限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

智嚢聚銘:(第30回目)『中国四千年の策略大全(その 30)』

2023-05-21 07:35:53 | 日記
前回

中国の書物(現代文ではなく、漢文)を読んでいてしばしば感じるのは漢字に対する思い入れや親密度が中国人の方が日本人より遥かに強い、ということである。一例を挙げると、漢字を使ったクイズが中国には多くある。魏晋時代の説話を集めた『世説新語』の《捷悟編》には魏の曹操が楊脩と謎の文字列を解く速さを競った次の話が載せられている。

【大意】魏の武帝と楊脩がある石碑に「黄絹幼婦、外孫虀臼」と書かれているのを見て、武帝が楊脩に「この意味が分かるか」と尋ねると、楊脩は即座に「分かる」と答えたが、曹操は分からなかったので、一人で考えたが、三十里ほど行ってようやく分かった。二人で解釈を見せあった。「黄絹は色付の糸のなので『絶』、幼婦は少女なので『妙』、外孫は女の子なので『好』、虀臼とは辛を受け入れるので『辭』(辞、受+辛)、つまり『絶妙好辞』だ」ということ。これから、「武帝は楊脩の知恵に遅れること三十里」を意味する「有智無智三十里」や「黄絹幼婦」という成句ができた。

【原文】魏武嘗過曹娥碑下、楊脩従、碑背上見題作「黄絹幼婦、外孫虀臼」八字。魏武謂脩曰:「解不?」答曰:「解。」魏武曰:「卿未可言、待我思之。」行三十里、魏武乃曰:「吾已得。」令脩別記所知。脩曰:「黄絹、色糸也、於字為絶。幼婦、少女也、於字為妙。外孫、女子也、於字為好。虀臼、受辛也、於字為辞。所謂『絶妙好辞』也。」魏武亦記之、与脩同、乃歎曰:「我才不及卿、乃覚三十里。」

このようにクイズだけでなく、漢字の意味から未来を予言することは次に紹介するような話にあるように、中国では昔からよく行われていた風習である。

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 馮夢龍『智嚢』【巻18 / 686 / 梁武帝】(私訳・原文)

南宋の紹興の時(1140年ごろ)、熊が永嘉城の所に現われた。城を治めていた高世則が副官の趙元縚に次のように言った「熊の字を分解すると『能火』となる。皆、火に気を付けるように。」その後、数日して、予感が的中して、官民の家が17、8軒焼失した。また、弘治 10年(1497年)6月、北京の西門から熊が市内に入った。兵部郎中の何孟春は、また火に用心せよと言った。それから暫くして礼部省が火事にあい、直後には乾清宮が炎上して倒壊した。

紹興己酉、有熊至永嘉城下。州守高世則謂其倅趙元縚曰:「熊、於字為『能火』。郡中宜慎火燭。」後数日、果焼官民舎十七八。弘治十年六月、京師西直門有熊入城、兵部郎中何孟春亦以慎火為言。未幾、礼部火、又未幾、乾清宮毀焉。
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火事についていえば、昔の日本でもしょっちゅう発生していた。江戸時代、江戸の街は実に90回もの大火事に遭っている。つまり、高世則が火事を予言したといっても別に未来が分かったのではなく、統計的に簡単に言えたはずということになる。


次は、漢の劉邦の話で、司馬遷の『史記』などにも載せられているのでよく知られている話だろう。

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 馮夢龍『智嚢』【巻18 / 688 / 漢高祖唐太宗】(私訳・原文)

漢高祖(劉邦)が柏人という村を通った。ここで宿泊しようとしたが、胸さわぎがして地名を問うと「柏人」という。柏人とは「人に迫る」ということだ。それで宿泊せずに立ち去ったが、後から聞くと、あやうく貫高たちに殺されるところであったという。というのは、劉邦は趙王に対して無礼に振る舞ったので、貫高たちが腹をたてて暗殺しようとしたのだった。

漢高祖過柏人、欲宿、心動、詢其地名、曰「柏人」、柏人者、迫於人也。不宿而去。已而聞貫高之謀。高祖不礼於趙王、故貫高等欲謀弑之。
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『智嚢』の《捷智編》には、上に紹介した以外にもいろいろな例が挙げられている。一種の語呂合わせ、つまり「解字」といういわばお遊びのように思えるが、中国人はなかなか真剣に意味解きに取り組んでいる。それは、出世や生死など大きな事態に関連してくると考えていたからであろう。それに反して、日本の故事成句でこのような「解字」に似た例といえば、私は徒然草・188段にある登蓮法師が「ますほの薄、まそほの薄」の意味を聞くために、雨の中を急いで行った話を思い出す程度でしかない。考えてみれば、ひらがなやカタカナのように漢字以外に逃げ道がある日本語と異なり、ローマ字と数字を除いては、漢字しか表現文字がない中国人は受験でいえば、浪人も出来ないし、私学も受けることができなく、国立大学一発勝負に挑む受験生に喩えられよう。

続く。。。
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