限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

想溢筆翔:(第420回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その263)』

2020-03-15 14:21:31 | 日記
前回

【362.雑貨 】P.4638、AD518年

『雑貨』とは説明するまでもなく、「いろいろな貨物や商品」のこと。辞海(1978年版)では素っ気なく「百貨也」と説明するが、そもそも「百貨」とは何であるかの説明がない。このように中国の辞書というのは大抵の場合、descriptive(これこれこうだと、説明するの) ではなく、 prescriptive (要は、こうだ、と断定的かつ簡明に述べるだけ)である。

「雑貨」と「百貨」を二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索する次の表のようになる。「雑貨」は南史(梁の時代、6世紀前半)が初出なので、かなり新しい単語だと分かる。また二十四史全体に見てもわずか10回しか使われていない。一方、「百貨」は宋史や清史稿ではかなり使われている。つまり、「百貨」は近代人には「雑貨」より馴染みのある単語であることは分かった。それでは古代や中世では一体どういう言葉が使われていたのだろうか? これを調べようとすると、ある概念に対する単語の系統図(家系図)が必要となるが、そういう資料は存在しているのだろうか? 



資治通鑑で「雑貨」が使われている場面をみてみよう(ちなみにこの場面は、南史と同じ内容である)。

南朝・梁の初代皇帝である蕭衍は弟思いで、至って仲むつまじかった。弟の臨川王の蕭宏は兄にかわいがられていることを笠に着て、不法を犯すことも多く、その上贅沢ぶりも半端ではなかった。

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蕭宏の贅沢は度が過ぎていて、財貨を飽く事ことなく溜めこんだ。長さ200メートルにも及ぶ倉庫は母屋の裏にあったが、長さ200メートルにも垂ん(なんなん)とした。厳重な戸締りがしてあったので、これはひょっとして武器が隠されているのではないかと疑う者がいて、朝廷に密告した。皇帝(蕭衍)は兄弟に対する愛情が深かったので、蕭宏に裏切られたと思い、非常に立腹した。(倉庫の中を確かめようとして、)ある日蕭宏の愛妾の江氏に豪華な食事を送って「これからそちらに行くから、盛大に宴会をしよう」と連絡した。(宴会の意図がばれないように)旧友で射声校尉の丘佗卿を一人だけつれて蕭宏の家に出向き、大いに飲んで、酔っぱらってから「今から、お前の後庭を散歩しにいくぞ!」と声をかけた。そしてすぐさま輿(かご)を呼んで倉庫のある後庭に行った。

蕭宏は兄皇帝に財貨のつまった倉庫がばれるのではないかと恐れて顔面真っ青になった。それを見た皇帝はますます疑を深めた。それで、倉庫を一つづつ開けさせて中を見たが、全ての倉庫に百万銭(現在価値にして0.5億円か?)毎に束にして黄色の標識を付けてあった。そして、千万銭ごとに倉庫には紫の標識が付けてあった。そうした紫の倉庫が30棟あった。皇帝が丘佗卿と指折り数えるに、銭だけで3億銭(150億円?)蓄財されていた。その他、絹布、綿糸、漆、蜜蝋などの金目の雑貨が倉庫にぎっしりと詰まっていて、とても勘定できなかった。皇帝は、ここで始めて武器などは一切蓄えられていないことを知って「おい、六よ、お前の家の財産は見事なもんだな!」と大いに喜んだ。そして、また飲み直して、大飲して、夜になって松明を点して宮廷に帰還した。兄弟の仲がさらに親密になったという。

宏奢僭過度、殖貨無厭。庫屋垂百間、在内堂之後、関籥甚厳、有疑是鎧仗者、密以聞。上於友愛甚厚、殊不悦。他日、送盛饌与宏愛妾江氏曰:「当来就汝懽宴。」独攜故人射声校尉丘佗卿往、与宏及江大飲、半酔後、謂曰:「我今欲履行汝後房。」即呼輿径往堂後。

宏恐上見其貨賄、顔色怖懼。上意益疑之、於是屋屋検視、毎銭百万為一聚、黄榜標之、千万為一庫、懸一紫標、如此三十余間。上与佗卿屈指計、見銭三億余万、余屋貯布絹糸綿漆蜜紵蝋等雑貨、但見満庫、不知多少。上始知非仗、大悦、謂曰:「阿六、汝生計大可!」乃更劇飲至夜、挙燭而還。兄弟方更敦睦。
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帝室の一族、それも皇帝の弟である蕭宏は唸るほどの財宝を溜めに溜めこんだ。その倉庫が長さ200メートル(100間)にも及ぶというのだから、まるで横浜の赤レンガの規模がある。

その中には銅銭がぎっしりと3億枚も収められてあったという。一銭というのは、年代によって価値が変動するが、ざっくり言って、現在価値にして大体50円程度であると考えられる。そうすると、蕭宏の倉庫には銭だけで150億円分が収められていたことになる。それだけでなく、絹布や蜜蝋などの金目の雑貨がぎっしりと詰まっていたということだ。

このような財産は正当な手段ではとうてい築くことはできない。この節の後に、蕭宏が庶民から田宅をあくどく奪う手法が書かれている。皇帝にとっては、弟の反乱の企てだけが気がかりで、庶民の苦しみなどまったく気にかからなかった。資治通鑑に登場する皇帝は多かれ少なかれ、そのようなもので、仁愛に富む政治を行おうとした皇帝などほんの一握りしかいない。

【参照ブログ】 貨幣の換算法にについて
百論簇出:(第150回目)『還暦おじさんの処女出版(その4)』

続く。。。
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