中国の詩人で有名なのは、李白、杜甫、白楽天など唐の詩人が多い。しかし、晋の時代の陶淵明(本名:陶潜)も愛好者の多い詩人で、酒仙と言ってもいいほどの酒好きである。彼の詩はいずれも洒脱でアジがあるが、とりわけ飲酒二十首という、一連の佳作が有名である。
その中の其五を取り上げよう。
結廬在人境、而無車馬喧。
問君何能爾?心遠地自偏。
采菊東籬下、悠然見南山。
山氣日夕佳、飛鳥相與還。
此中有眞意、欲辨已忘言。
私はこの中でも、特に最後の『欲弁已忘言』(弁ぜんと欲して、すでに言を忘る)という句が気に入っている。確かに、すこしばかり気取ったもの言いのようにもとれるが、想像するに多分、気分良く酔ったので、詩想にふさわしい語句を選ぶのがじゃまくさくなったのであろう。
さて、陶淵明は苦労の末、官吏になったものの、こわっぱ役人の出迎えをしないといけないと聞いて、馬鹿らしくなり、『歸去來兮、田園將蕪胡不歸』(帰りなんいざ。。。)の名句で始まる『帰去来の辞』の書いてさっさと職を捨てて故郷に帰って行った。
私が晋の時代が好きなのは、陶淵明をはじめとして教養豊かな自由人が綺羅星のごとくいるからである。
張翰もその一人である。
役所勤めをしていたが、秋風とともに、ふと故郷のナスと鱸魚の刺身を思い出したらしい。
『翰因見秋風起、乃思呉中菰菜、蓴羹、鱸魚膾』(張翰、秋風の起こるを見るによりて、すなわち呉中の菰菜、蓴羹、鱸魚のなますを思う)
そして、こう思った『人生、意にかなう生活をするのがベストだ。故郷を遠く離れて、こんな辺鄙な所で出世しようとあくせくしていいものか!』と。
『人生貴得適志,何能羈宦數千里以要名爵乎!』(人生、志にかなうを得るを貴ぶ。何ぞよく官につながること数千里、もって名爵を要せんや!)
そして、すぐさま馬車に乗って故郷へ帰った。
『遂命駕而歸』(ついに、駕を命じて帰る)
さすが、これも晋ならではの自由闊達なる気概溢れる話だと感嘆した次第であった。
その中の其五を取り上げよう。
結廬在人境、而無車馬喧。
問君何能爾?心遠地自偏。
采菊東籬下、悠然見南山。
山氣日夕佳、飛鳥相與還。
此中有眞意、欲辨已忘言。
私はこの中でも、特に最後の『欲弁已忘言』(弁ぜんと欲して、すでに言を忘る)という句が気に入っている。確かに、すこしばかり気取ったもの言いのようにもとれるが、想像するに多分、気分良く酔ったので、詩想にふさわしい語句を選ぶのがじゃまくさくなったのであろう。
さて、陶淵明は苦労の末、官吏になったものの、こわっぱ役人の出迎えをしないといけないと聞いて、馬鹿らしくなり、『歸去來兮、田園將蕪胡不歸』(帰りなんいざ。。。)の名句で始まる『帰去来の辞』の書いてさっさと職を捨てて故郷に帰って行った。
私が晋の時代が好きなのは、陶淵明をはじめとして教養豊かな自由人が綺羅星のごとくいるからである。
張翰もその一人である。
役所勤めをしていたが、秋風とともに、ふと故郷のナスと鱸魚の刺身を思い出したらしい。
『翰因見秋風起、乃思呉中菰菜、蓴羹、鱸魚膾』(張翰、秋風の起こるを見るによりて、すなわち呉中の菰菜、蓴羹、鱸魚のなますを思う)
そして、こう思った『人生、意にかなう生活をするのがベストだ。故郷を遠く離れて、こんな辺鄙な所で出世しようとあくせくしていいものか!』と。
『人生貴得適志,何能羈宦數千里以要名爵乎!』(人生、志にかなうを得るを貴ぶ。何ぞよく官につながること数千里、もって名爵を要せんや!)
そして、すぐさま馬車に乗って故郷へ帰った。
『遂命駕而歸』(ついに、駕を命じて帰る)
さすが、これも晋ならではの自由闊達なる気概溢れる話だと感嘆した次第であった。