愛知県三ヶ根山 殉國七士廟 殉國七士の墓
関東軍関係 板垣征四郎 - 南次郎 - 梅津美治郎
特務機関 土肥原賢二
陸軍中央 荒木貞夫 - 松井石根 - 畑俊六 - 木村兵太郎 - 武藤章 - 佐藤賢了 - 橋本欣五郎(旧大日本赤誠会会長)
海軍中央 永野修身 - 嶋田繁太郎 - 岡敬純
総理大臣 広田弘毅(外交官) - 平沼騏一郎(司法官僚) - 東條英機(陸軍) - 小磯国昭(陸軍)
大蔵大臣 賀屋興宣 内大臣 木戸幸一 外務大臣 松岡洋右 - 重光葵 - 東郷茂徳
外交官 大島浩(駐ドイツ大使) - 白鳥敏夫(駐イタリア大使) 企画院総裁 鈴木貞一 - 星野直樹
民間人 大川周明(思想家)
上記の28名が1946年(昭和21年)4月29日(昭和天皇の誕生日)に起訴され、このうち、大川周明博士は梅毒による精神障害が認められて訴追免除となり、永野修身と松岡洋右は判決前に病死したため、1948年11月12日に被告として判決をうけた者は25名となっている。東條英機、広田弘毅、板垣征四郎、土肥原賢二、松井石根、木村兵太郎、武藤章ら7名がA級戦犯として1948年(昭和23年)12月23日に処刑された。
卑劣にも12月23日に死刑が執行されたことについては、皇太子明仁親王の誕生日に合わせた事で、後の今上天皇の天皇誕生日と同じ日にA級戦犯が処刑されたという記憶を未来永劫国民に残し、天皇や皇族に対する国民感情を悪化させるGHQの巧みな意図があった事を忘れてはならない。 合掌