自分が現在抱えている病気といえるものは、20年来の糖尿病(境界型)と大腸癌術後1年経過である。しかし、どちらも自覚症状もないし、薬などの世話にはなっていない。気持ち的にはまったくの健康体のつもりである。
まずは、糖尿病から・・・血液検査で見つかってから20年経過している。なぜ、そうなったのか、因果関係は不明のままである。敢えて言えば、弟妹たちにもその傾向があることから、遺伝的な体質なのかも?
それが、趣味となり、今はライフワークともなっている登山にのめり込むことになったきっかけである。食べたい方だし、飲みたい方だし、我慢することが嫌いなタイプである。そのためには摂取したカロリーを消費することが一番と始めた山にはまってしまった。
それ以来、特に気を付けていることはないが、進行も悪化もしていない。敢えて言えば、数日間毎に体重計に乗り、今は体重を63kg以上に増やさないように心掛けていることくらい。3ヶ月毎に定期検診を受けているが、いつも「合格」と誉られて終わっている。
次に、大腸癌・・・なぜ、罹ったのか、これも因果関係は不明である。癌はいくら気を付けても罹る病であることは、「癌にならない10ヶ条」満点の健康生活模範人だった亡妻の例からも断言できる。よく「癌は防げる」と言い、実践しているがいるが、それは、罹らなかった人が結果的に言えることである。その実践人だって癌に罹っている人もいるはずだ。癌で助かる方法は早期発見しかないと断言する。しかし、早期発見が不可能な癌も多い・・・結局は運命としか言いようがない。
さて、今の自分に立ち返って・・・今は糖尿病対策も癌の再発・転移防止対策も意図的に取り組んでいることは何もない・・・癌が見つかる前とまったく同じ生活を続けているが、体調はすこぶる快調だし、登山体力は前より強化されている感じさえする。
人間、事故以外は病気で死を迎える・・・さて、自分のそうは長くない将来にどんな病気が待っているのだろう・・病気にならないために我慢し、守りに回る人生だけは送りたくない。その方が、いずれ訪れるであろう病気を素直に受け入れることができると思うからである。
さて、コレを読まれた方のご意見を伺いたい・・・
まずは、糖尿病から・・・血液検査で見つかってから20年経過している。なぜ、そうなったのか、因果関係は不明のままである。敢えて言えば、弟妹たちにもその傾向があることから、遺伝的な体質なのかも?
それが、趣味となり、今はライフワークともなっている登山にのめり込むことになったきっかけである。食べたい方だし、飲みたい方だし、我慢することが嫌いなタイプである。そのためには摂取したカロリーを消費することが一番と始めた山にはまってしまった。
それ以来、特に気を付けていることはないが、進行も悪化もしていない。敢えて言えば、数日間毎に体重計に乗り、今は体重を63kg以上に増やさないように心掛けていることくらい。3ヶ月毎に定期検診を受けているが、いつも「合格」と誉られて終わっている。
次に、大腸癌・・・なぜ、罹ったのか、これも因果関係は不明である。癌はいくら気を付けても罹る病であることは、「癌にならない10ヶ条」満点の健康生活模範人だった亡妻の例からも断言できる。よく「癌は防げる」と言い、実践しているがいるが、それは、罹らなかった人が結果的に言えることである。その実践人だって癌に罹っている人もいるはずだ。癌で助かる方法は早期発見しかないと断言する。しかし、早期発見が不可能な癌も多い・・・結局は運命としか言いようがない。
さて、今の自分に立ち返って・・・今は糖尿病対策も癌の再発・転移防止対策も意図的に取り組んでいることは何もない・・・癌が見つかる前とまったく同じ生活を続けているが、体調はすこぶる快調だし、登山体力は前より強化されている感じさえする。
人間、事故以外は病気で死を迎える・・・さて、自分のそうは長くない将来にどんな病気が待っているのだろう・・病気にならないために我慢し、守りに回る人生だけは送りたくない。その方が、いずれ訪れるであろう病気を素直に受け入れることができると思うからである。
さて、コレを読まれた方のご意見を伺いたい・・・
これを食べたら、これをしたら、身体に悪いと明らかなものは道理にかなった範囲で避けますが、情報に振り回されて、そういうことが生活全体の関心事になるような生き方はしたくないです。
私も「守りに回る人生」は送りたくないと思います。人はいつかは皆例外なく死んでしまいます。その事実を受け入れて、結果的に自分に許された時間を楽しく生きれればと考えています。
笑ってはいけない話ですが、納豆が身体に良いと言って毎日食べていた、納豆を作る店のご主人が癌で亡くなりました。これは10年以上も前の話ですが、何が良くて悪いかなんて、私達が正しく判断できないのは今も同じかと思います。
私もあまり難しく考えてはいません。健康維持は道理にかなった範囲、関心を払って行こうと思っています。
上手く表現できませんが・・・(^^ゞ
でもやっぱり正直考えているのは自分が重大な病気を宣告される時にどう受け止めるのかな?ということです。
今のところ健康に思える今考えてもわからないことなんでしょうね。
日曜日、羊蹄山の京極コースのお誘いを受け、滑ってきました・・・怖くて足がガクガクでした(笑)
とりあえず今は元気で山に行ける事を喜んでいます。
今は健康ブームで、いろいろな食事に関する健康法が提唱されています。それぞれに納得できることは多いのですが、いざ実践となると、踏み切る気にはなれません。
「健康維持は道理にかなった範囲、関心を払って行こう」は全く同感です。バランス良くいろいろなものを美味しく食べて、健康的な生活を心掛けて生きたいものですね。
と書こうと思ったのですが、さすがに初っぱなは憚られましたので (^_^;)、待っていましたhirokoさん・・・ありがとー。
長く山やっていると、死に対して一種の不感症に陥ることがありますが、あたしは将にそれです。
生(生命)は組織の劣化、細菌・ウィルスとの葛藤の場に常にあるわけで、そこでの優勝劣敗は自力にも左右されるとは言え、種々の環境因子の比重も無視できないものです。反面、「山での死はきれいだ」という言い方があります。偏り、歪みのある言い方ではありますけど、相当な真実もそこにあるとも思うのです。長く続く闘病生活(との闘い)など、あたしには想像もできません。戦略論で言えば「塹壕戦」。
連れ合いが「早く飯を食え!」と吼えていますので(笑)、とりあへず言葉足らずでここまで。
まあ、山をやっている人間にとっては、多少の不健康も丸抱えで、健康のつもりの人が多いようですね。好きなものを食べて、好きなことをして生活できるのが一番の健康かも?
しかし、山での死は考えたことがありません。そのような山もやっていませんが・・・。
長い闘病生活だけは避けたいものです。
癌とか死とか・・ホント今までは何も考えていなかったが親父を癌で亡くしてからは時々我慢も必要かと・・
やっぱり元気で山に登りたいからね・・。
答えになっていませんね。ゴメンナサイかも?
わたしは山に登りたいから、フルートを吹きたいから、ガーデニングで花を楽しみたいから、健康でいたいと思っています。
食事もある程度バランスが取れていれば良いのかな、と思っています。
最近の情報過多は異常に思えます。
弱輩者のわたしが大きな事はいえませんが、健康のために守りに回った人生は送りたくありません。
sakagさんの意見にまったく同感です。
ただ、自分の身体のことを知っておくことは必要かな、と思います。やはり1年に一度の検診はちゃんと受けておかないと、と思っています。
自分の好きなことをして明るく朗らかに過ごすことも、ひとつの健康法かな、と思います。
不摂生と摂生の境目が難しいですね。傍目から見て不摂生と思っても健康な人・・・私の友人で、毎晩酒は3~5合は欠かさず、タバコもかなりヘビースモーカーで太っているのに、血液検査では全く正常値内の人がいます。本人曰く「いくら摂生しても病気になるときはなる。好きな酒とタバコを飲んで、それで病気になったら、そのときさ!」
その点は同じ考え方なのですが、私が同じ生活をしたら、必ず病気になることは間違いないでしょう。
一般的に言えば、エバさんの場合は体重を落とすだけで、山登りにも効果的だし、きっといろいろ予防になるでしょうね?お互い、少しでも長く山に登り続けるためにも人並みの努力はしましょう。
○makonianさんへ
好きなことを長くやりたいから、健康でいたい。自分の体をよく知っておくこと・・・全く同感です。その上でコントロールをしていくことですね。一病息災と言う言葉もあります。私の場合は糖尿病体質ということが、まさにそれだと思います。
また、病の有無にかかわらず、精神的に明るく前向きに生きる・・・これが最大の健康法だと思います。病と上手に付き合うことも大切ですね。
身近でしかも大きなテーマなので考えがまとまりません。
「病気にならないために我慢し、守りに回る人生」とは、どのようなことをさすのでしょうか?
想像できないでいるaya爺です。
いわば、病気や怪我を怖れて、無理しない、好きなことも慎む、食べたい物も我慢する・・・つい、慎重になってしまう人生かな?
でも、視点を変えて、健康という目的を持った人にとっては、それは「攻めの人生」にもなるわけですよね・・・?
ayaGさんの健康観も知りたいところです。
お久しぶりです。私も最近人並みに歳をとったせいかそんなことを考えてます。病気にならないための守りに入る、という意味私は解りません。ただ怪我をしないように、守りに入ってますね。以前は全然そんなこと考えていなかったです。ゲレンデスキーも転ぶのが恐くなったし、危ない沢は行かないことにしよう、とか思います。父が肺がんで早く(享年61歳)亡くなり、母が糖尿病から透析患者になって入院中です。私にもそんな遺伝子があるかと、好きなものを食べるために運動は極力するようにしています。当時ヘビースモーカーだった父の死をどうしても受け入れられなかったです。やはり運命なのでしょうか? 母の余命も多分あとわずかだと思うのですが、母より元気よく入院してきて、暫くして亡くなったとか、友人のお母様が元気よく一人で住んでいて羨ましかったのが突然心筋梗塞で亡くなったとか聞くと、やはり与えられた命なのでしょうか?私自身もこれまでは交通事故に会っても、軽傷ですんでいるし、これが対向車が大型トラックだったら、などと考えると、私は何かの力で生かされているのだ、と思わずにはいられません。まだまだし残していることがある私は焦りだけを感じます。光陰矢の如し、です。最近は特に。別に意味ありません。