三丁目の飛行機屋

飛行機マニアのオヤジが
撮影遠征記やマル秘コレクションの公開などをしていきます。

老兵の記憶をここに~ 1   プロローグ  

2011年07月05日 | 老兵の記憶 父達の戦争体験
80歳代後半を迎えた父達の戦争記憶を少しづつ
ここに残してみようかとシリーズで取り上げていきます


1999年7月、イギリスのフェアフォーッドで開かれていた軍用機の祭典RIAT
会場にはRIAT会員(FRIAT)のみの専用エリアがある

 (会員エリアの入り口です)
事前に相応の会費を払うと指定席のスタンド席を確保でき
そこにはトイレはもちろん、軽食やバー、マニア向けの売店まで完備

(東独帽子を被ったこのオジサン?は世界的な有名人です~爆)
日本のようにスタンドイスに立っての撮影はご法度!
立って撮りたいなら最後部へ、ってオヤジの後ろに写ってるのは仲間のK君だった 

(パブとまではいきませんが、酒好きにも充分対応してくれます)

RIATの飛行展示は午前9時から夕7時過ぎ(日本なら夜だが)まで
休みなく続けられるので、どの飛行展示を捨てて買い物や食事にするか
プログラムとニラメッコして事前に計画をたてる
大抵は輸送機や小型プロペラ機、グライダー等が捨てる展示飛行になるのだが・・・

この時も主食のビールを買いに出かけたついでに
マニア向けのポスターを物色していた


以前に訪れた時に購入したこんなユニークな物を探していたがナシ

※画像が歪んでいるわけではありません、こんな遊び心が好き

それでもせっかくだからとこんなの見つけました

イギリス軍の歴代航空機を描いたもの

購入しようとしたら、売店の御爺さんが描かれた機体について説明が始まった~

自分は昔「ランカスター爆撃機のナビゲーターだった」という彼は

片足が不自由だ RIATの趣旨からすれば納得

「この機体はエンジンがいつも不調でね~

  ~様子を見ながら飛ばなければならなかったんだよ」

話の止らない彼に、つい私も
「義父はこの機体に似た双発の日本海軍の爆撃機に乗っていたんだ」
 と話してしまった、そして直ぐにそれを後悔した

嘘だというわけではない・・・
そしてしばらく話が進めばこの質問がくることがわかっていた

「なんという機種に乗っていたんだい?」
そう、これが一番恐れていた質問だった

日本語なら直ぐに返せる事だ、英語でも返せないことはない
問題は日本の機種名「銀河」が当時の連合軍側には通用しないことだ
ゼロ戦ならなんとかなったんだが・・・
たとえば一式陸攻ならベティー、飛燕ならトニーという具合だ

私はこの時、「銀河」の連合軍コードネームを知らなかった
銀河を英語にしてギャラクシーと言っても通じるわけもない
通りがかった一緒の仲間で長老の方に知らないか尋ねたが
「解らない」との返事にかなり困った

その時、他の買い物客に爺さんは呼ばれ
「まだ話したいことが沢山あるから待っていてくれ」
と言われたが、次の飛行展示が始まる時間を過ぎていたので
「写真を撮りたいから」と別れを告げてスタンド席に戻った



席に戻って One pint Bitter(ワン・パイント・ビター)のビールをあけるが


頭には「銀河」のコードネームの事がこびりついていた
それは帰国するまで続くこととなった


 ※今回使用した画像はポスター以外、
   2001年のRIATの自撮りビデオからキャプチャーしました
   文章は1999年時の出来事ですが、会場等の設備は似たようなものです
コメント (2)
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