三丁目の飛行機屋

飛行機マニアのオヤジが
撮影遠征記やマル秘コレクションの公開などをしていきます。

あの日あの時 ~マルヨンは鳴いていた 2

2015年09月14日 | ノスタルジック航空写真館
学生生活を終え田舎に帰郷してからは
仕事の関係で、航空祭に出かけることがほとんどできなくなったが
中央高速も開通した頃で、平日の岐阜基地へはチョクチョク出かけていた


ここの定番撮影ポイントは基地の東側滑走路エンド付近
外周道路の木陰からは基地内が覗けたし




離陸前のエンジン・ランナップでは
あの鳴き声が、基地全体に響きわたっていた






滑走路延長線上の高台では、養豚場の脇道に張りついて降りを狙う
ここの欠点は似たようなアングルばかりで飽きちゃうことだけどね




主役はマルヨンなんですが~
フィルムにこんな機体もあったので出してみます、飛行中のコマは貴重かな

 サーブ サフィール91B改・X1G  高揚力研究機

航空自衛隊で研究実験用に1機のみ輸入された機体

いまでは岐阜基地にお隣の
「かがみがはら航空宇宙博物館」に展示されてるそうだ
博物館に入ったことがないので・・・



部隊マークを消されたF-104、那覇基地の207飛行隊の機体で
画像は上手く色がでていないが、塩害防止のブルーグレイに塗装されている

上の機体のように耐用年数をひかえた機体は
部隊マークを消されて補給処のある岐阜基地に集められていた

一部は実験航空隊の機体として使用、さらには台湾空軍に供与されたほか
数機が無人標的機に改造された


「ヨー・ボイス・ノイジィー」のタワーからの警告直後に
トランスミッターアウト、タワーからのライトによる緑信号により着陸する F-104DJ 複座機



下は数少ない岐阜基地航空祭での一コマ

T-2との編隊はどちらの機体もゲートガードや博物館の展示機だけになってしまった




最後に、1983年に岐阜基地で行われた国際航空宇宙展

その会場から覗けた、F-104J/DJ 退役機の列線


宇宙展の展示機よりも、この列線各機を全て撮りたかった

少しだけトリミングしてみたが、部隊マークを消された機体の方が少ないきがする

あのベトナム迷彩に似た塗装機の尾翼だけ確認できる

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あの日あの時 ~マルヨンは鳴いていた 1

2015年09月11日 | ノスタルジック航空写真館
一向に終わらない長雨に、カビの生えそうな日々
6月の梅雨よりも雨量が多いのでは???

遠征もできない日々に、昔のフィルムをスキャンしましたが
カラーは色が出なくてね・・・

今回は40年程昔の画像を出してみます


 マルヨンは鳴く!
  泣く のではなく 鳴く

聞いたことはあるが、現役当時のマルヨンを見てないので~
という同業者が増えている

まぁ単純に自分が歳をとったということだが・・・

とここまで書いて、コレってマニア以外まったくわからない話だろうな(汗


マルヨンとは航空自衛隊の戦闘機 F-104J のこと

空飛ぶ鉛筆とか、最後の有人戦闘機などと言われ
1960年代から1980年代初頭まで日本の防空を担った機体だ

実は、こいつは鳴くんだ!
離着陸時のみならず、エンジンは独特の響き音を発生し
何処にいても音だけでマルヨンを特定できた


航空自衛隊基地とは無縁の信州人が
マルヨンを初めて見たのは、1973年の入間基地で行われた国際航空宇宙ショー
上空通過のみだったが、初めて飛ぶ姿と独特のエンジン音を聞くことができた
(当時の入間基地は、F-104 の離着陸は滑走路長の関係で不可だった)

そんなマルヨンに初めて近くで対面したのは
1975年(昭和50)10月10日、晴れの百里基地航空祭だった


友人から借りた標準レンズの一眼を持参
初めて見るマルヨンやファントムの列線に興奮を抑えきれなかった


この時は米海兵隊のハリアーも展示飛行を行ったが、機体は AV-8A だった
筑波山をバックにデモを行い~ って今回はマルヨンの話だったね



 


すでにこの時、赤の梅マーク 207飛行隊は那覇に移動後で
青の梅マーキング 206飛行隊のみだったのは残念
でも色の違いがわかるのはカラーのおかげ

ここからはモノクロ画像で紹介です

自前のカメラと望遠レンズを手に入れ
再度、百里を目指したのは 1977年(昭和52年)10月2日

ファントムがこんなブレイクを見せてくれたなんて~ 「あの日に戻りたい!」
って今回はマルヨンの話だったね(大汗


カラーフィルムは多くは買えなかったが
フィルムには関係なく、独特のエンジン音を全身で浴びることができた






T-33の整備員がいい感じ! とシャッターを切ったと思うが
右奥に小さくパラシュートパックを背負い、マルヨンに向かうパイロットの姿が貴重


配備間もないファントムと対峙するマルヨン

機体の大きさも、複座のファントムと単座の違いはあるにせよ
マルヨンは細く脚も短く、他機と並ぶとその小ぶりさに驚く
このアングルだと望遠効果もあり、機体の大小をあまり感じさせないね


F-15よりも戦闘機らしい感じで、カッコイイ!

こんなアングルだけでなく、色んなシーンをデジタルで残したかったな
 あの「鳴く」音もね

                                              ~つづく
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昔々の写真を読み取る 2

2015年08月25日 | ノスタルジック航空写真館
先日紹介したアルバムは、結局 高解像度のスキャナーで複写することに
アルバム自体の作りが、ページを全開できるタイプで助かった


そのアルバムに書かれたキャプションには
叔母の筆跡で 昭和29年(1954年) 5月30日 とある

 この日 従姉のCちゃん(当時10歳)は、花束贈呈の大役
 しかしその要請が来たのは当日の朝だったという

 急な話の中でも、まだ物資不足の国内で精いっぱい着飾っての晴れ舞台
 
 時代を感じさせるが、それよりも後方に集まった凄まじい数のギャラリーに驚く

 それは~
 自分はまだ生まれてはいないこの地に
 初めてヘリコプターが飛来した歴史的記念日


今ではメジャーな航空機のヘリコプターだが
歴史は案外浅く、実用化されたのは戦後のこと
朝鮮戦争の影響で急速に進化もしていっただろう飛び物

戦後 日本は翼をもがれて模型飛行機さえ空を飛ぶことはできなかったという時代を経て
1952年(昭和27年)サンフランシスコ講和条約発効で再開された日本の空
それから2年後に、当時は交通の要所であったこの地で
毎日新聞社ヘリコプターによる訪問飛行が行われた


ヘリの前、薄い色のスーツ姿で花束を受け取ったのがパイロット
叔母のキャプションには、近藤 完 機長と書かれてある

手前右の洒落者は、アチコチのコマに写り込んでるから毎日新聞のブンヤさんなのかな


機長の足元、皮製の短ブーツに目が留まった
これに似たブーツを、私の父がバイクに乗る時に履いてた記憶
それは昭和30年代後半の話だけどね

ヘリのキャノピーに描かれた
Bell の文字と毎日新聞社のマーク、その下に手書きで描かれただろう 「スワン号」 の文字
こんなものも時代を感じさせる

     
    
   コックピットをアップにすれば、メインの操縦桿は見えないが
   コレクティブレバーや、足の棒状のアンチトルクペダル(ラダーペダル)が確認できる
   座席のクッションは、他の Bell機 もこんな感じなのかな
   当時の経済事情からすれば、豪華なクッションに見える



これからが肝心な画像
機体の真横画像はなかったが
全体像が写るのは、わずか 5cm×5cm程度の写真のみ

それをスキャナーで複写、解像度をフルに上げて1200dbiも試したが
あまり意味はなく、600dbi~800dbiが限界のようだ


機体は Bell47 とわかるのだが、なんとかレジ(機体番号)がわかるコマはないものか
スキャンした画像をアップで探してみる

ちょうどレジが描かれている尾部がせっかく写りこんではいたが
ローター止めのコーションタグが邪魔で、末尾が見えないなんて・・・


ギャラリーは学生服?が多く見られるから、小学校の全校見学なのかな
この辺りの詳細は不明だが、当時の地元首長も出席しているので一大イベントだったようだ
(Bell47のトラス奥に見える初老の方がその人)


もう一つの小写真にレジが写り込んでいることを願いスキャン

ローター部に昇っているのはパイロットだが
後部の二人は整備員かな、この飛来時の搭乗人数も不明だ

この画像をアップにすると、尾部に描かれた JA7003 の文字を確認できた

JA7000番台はピストンエンジンのヘリに割り当てられた番号 
 
  JA7001 は産経新聞 シコルスキーR-6A
  JA7002 は産経新聞 ヒラーUH-12B

そして
JA7003 は Bell 47D-1 毎日新聞社
    1952年11月、日本の航空再開に合わせて導入された機体のようだ

そのあとの
JA7004は 欠番
JA7005 、JA7006 も某新聞社の Bell 47とあるので
日本で最初の登録された Bell47となりそうだ

しかし 1955年 5月にはJA7003は大破して登録抹消されている


パイロトに花束贈呈を果たした従姉はこの後実際に Bell 47 で飛行を体験したのだが
これは現場で急に話があったもの

一般庶民が航空機で空を飛べるような時代ではない
パイロットから、Cちゃんの母親(叔母)に同乗させてもよいか話があったという

飛行中、パイロットから「あなたの家は何処ですか?」と尋ねられた従姉

近くに独特な屋根の形をした映画館があったので「あのあたり~」と


  下の画像は、当時の新聞社用写真を後日いただいたもののようだ
  
  画像に添付されてる記者からのキャプションは
  「○○(地名)についた本誌ヘリコプター、 長の版」


こちらのキャプションは「ハナタバゾーテイ! ○○(地名)にて 長の版」
長野電送と書かれた文字が印象的だが
急いでいたのだろう、キャプションは逆のような気がする(汗
もうひとつ、この画像を見て背景の山がおかしいな~ と思ったら コレ裏焼きだ



番外でもうひとつ ふたつ
この日、初めてヘリコプターを見た、知っただろう地元の方々

 このヘリに搭乗したのは、当時の首長だった方とCちゃんのみ
 翌日 Cちゃんが学校へ行くと~ あだ名がつけられていたそうだ
  それは「ヘリコプター」(笑  なんとも直な あだ名 だが
 それだけインパクトがあったからだろう

叔母もキャプションにヘリコプターを 「ヘリコ ター」 と書かれてあった
ヘリの認知度はまだまだ低かったようだ

 ヘリに急遽搭乗できた Cちゃん は後日、近藤パイロットの礼状を書いたということで
 今でもパイロットの名前をしっかり記憶していた


さらに番外は~
この同じ地で18年後、私も同じ Bell47 のG型で、初めて空を飛ぶこととなる
今はなきインペリアル航空の遊覧飛行でね

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昔々の写真を読み取る

2015年08月17日 | ノスタルジック航空写真館
朝晩の涼しさは ~やはり信州かな~ と思う今日この頃だが

はるか遠い夏の記憶

自分が小学生だった頃だったかな

チョクチョク訪れていた叔母の家では、夏のお泊りは蚊帳(かや)の中

定番は叔母の怖~い話と、蚊帳の上に枕をのせて蹴りあうんだ(笑
飽きることのない世代だったから、叔母も相手するのは大変だったろうな


そんな中で、ひとつ記憶に残っていた事案
蚊帳の中でアルバムを開いて叔母や従姉の姿を見せてもらったことがあったが
従姉の Cちゃん のアルバムを見ている時に目が止まった

その時の様子も聞いた記憶が~


それは私が生まれる以前の話しだったが、貴重な写真があったような・・・

このブログを始めてから、いつか記事にしようと考えていたもの
先日、従姉が訪れてくれた時に 思いきってお願いしてみた

「昔 見た記憶があるけど… ○○が写ったアルバム あれば貸して欲しいけど」

直ぐに従姉も理解してくれ、 二つ返事でOKをいただけた
更には、わざわざアルバムを届けてくれ「この写真しかないけど… 」と開いて見せてくれた
  

   コレコレとは思ったが、記憶に残る写真は別のモノのような

  

  それでもなんとかブログに上げたいな

  部屋に戻りセピアに変わったアルバムをあらためて開く
  ページをめくると あった! これこれ!

  
  
 昔見た記憶に残っている写真だ
 でもこんなに小さかったかな???

古いアルバム台紙に直接貼られた写真は、台紙と共にセピアに変色している
カメラで 複写するか、スキャナーで複写か、とにかくやってみなければ

上の画像ではわからないが、小さなベタの写真は 5cm×5cm程度しかない

さて上手く複写できるか その結果はまた後日報告を

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初めて米空母を訪れた日 ~つづき

2015年03月04日 | ノスタルジック航空写真館
飛行甲板での展示公開を期待していたが
公開されていたのは艦内の格納庫のみで、そこに艦載機と来場者がギュウギュウ詰め



         狭いし天井の高さもない格納庫では、当たり前のことだが
        S-3 対潜哨戒機をはじめ、機体は空母上での格納状態で展示
         

やっと少しはまともなバイキングマークに会えた・・・ かな



翼折り畳み状態、それはそれで見られる機会は少ないから貴重なんだが

機体と機体は近すぎるし、制限ロープから機体までの距離も近く
せっかくこの日のために購入してきた広角レンズくらいでは歯が立たない



F-14はただでさえデカイ機体だから、鼻切れ、尻切れで・・・
画像に写る肩車の ボク だって、今はすでに中年の域になってるハズだ(笑


他の機体も写真はアップばかりになり欲求不満がつのる結果に


A-7コルセア 空気取り入れ口等に塗装の剥がれも見られますが
ガルグレイと白の塗装は艶アリだったと白黒画像でも確認できる




A-6イントルーダー 全体像?は2枚の写真を合成してあります

        

RF-8 はクルーセイダー戦闘機の偵察型、これぞ貴重な機体だが
この画像も2枚の写真を合成してあります、そのくらい近くて撮り難くかった




あまりの撮り難さに私は早々に切り上げ
ホームベースの羽田デッキに戻り、仲間にそれを毒づいたのだが(笑
今なら「機体以外でも撮るものあるでしょ」と思ってしまう、若かったねぇ~



 ところで、現在の横須賀基地に視点を戻せば
 停泊中の原子力空母 ジョージワシントンは
 この春過ぎに日本を離れ、新空母と交代することとなるそうだ

 今月には横須賀市民を対象に最後の見学会が予定されているという
 艦載機の載っていない空母に普段は興味ないが
 最後と付くと気になってしかたない(笑
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