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覚書2020.11.21

2020年11月21日 | 覚書
覚書2020.11.21


 大きく言えば、宮沢賢治の「ほんたうのこと」に関わることであるが、私たちの考えの〈真〉を保障するものは何だろうか。現在でも、自分こそが〈真〉だとそれぞれが〈真〉を主張し対立し合う状況は続いている。社会的なことや政治的なこと宗教的なことに関しては特にそうだ。

 現在の人間の考えをスペクトルの帯のように並べてみる。中央が多数で、両端は少ない。その中央値の帯域が大多数の人々の考えということになりそうである。社会内の様々な自主的な話し合いでは、自然とその中央値の帯域、すなわち現在的な常識的なところに落ち着くように見える。

 また、家族内で親が子どもの希望や主張を認めなかったり、子どものために良かれと思って別のことを子どもに強制しようとすることはあり得る。しかし、人が自分の考えの誤りを絶えず現実から突き付けられるように、家族内でも子どもの生き難さなどの状況から修正を迫られたりしっぺ返しをくらうこともある。

 親子であっても人間関係は相互的であり平等性は付きまとうからである。こうした私たちのあらゆる考えが、収束する場所は先のスペクトル帯の中央値の帯域、すなわち現在的な常識的なところだが、そこには遙か太古から積み重ねられた人間的な知恵と同時に現在的な大多数の考え方とが含まれている。

 それは例えば「新自由主義」「効率」「成果」「競争」などの現在の支配的なイデオロギーに影響された、しかもそれに対する批評性をも含む考え方である。だから、大多数の考えが収束するスペクトル帯の中央値の帯域は、それが現在の絶対的〈真〉であるとまでは言えないが、あるゆるやかな信頼性を私たちにもたらしていると思われる。

 例えて言えば、テレビや新聞などのマスコミの編集や放送が、事実のいくらかのねじ曲げや大衆を動かそうという意図や作為をいくらか含んでいたとしても、その情報のある程度の正しさは中央値として信頼性を持っていると見なせるということである。しかも、現在の情報過剰社会では読者たちによってチェックされやすい。

 現下のことで言えば、トランプが大統領に押し出された動機は切実な大衆の生活の欲求にあったろうが、安倍晋三同様にフェイクを振りまいてしまった。支持者を含めたトランプの現在の選挙に対する主張は、中央値の帯域ではなくスペクトル帯の両極端に位置しているはずである。

 人間の考えのスペクトルの帯で、中央値の帯域を設定できるということ、そしてそこには人類の知恵の積み重ねのようなものも含まれていて、一定の信頼が持てるということ。これは個と家族と社会関係の網の目を日々行き来して生きている私たち人間もまんざら捨てたものではない存在だということと同じだと思う。

 私としてはさらに、その人間の考えのスペクトルの帯の中央値の帯域の"無意識的なもの"として、"真なるものへの欲求"と"内省"を誰もが持っていると想定したい、そんな幻の帯域が想定できるのではと思っている。

詩『言葉の街から』 対話シリーズ 1173-1176

2020年11月21日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



1173
少年時それとは知らず
棕櫚(しゅろ)の葉に乗り
滑りに滑った言葉道



1174
何度も滑った棕櫚の
青い匂いは
言葉以前のことばの湯気が立っていた



1175
学校に取り込まれた少年は
少し堅苦しい
別の言葉道を歩いていた



1176
下ろし立ての靴が痛い言葉道
脇道に
枝葉が自由に繁っていた いい匂い