回覧板

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何度(たび)か、生活者住民として (3)

2016年08月02日 | 回覧板

   3.生活世界はなぜ政治的な話題を避けるか


 明治以降の近代において、都市と農村は対立的なものと感じられ意識され、地方から多数の人々が都市に押し寄せた。経済的に余裕のある層からは知識層や芸術家が登場した。彼らの根底に共通しているのは、学校で出会った輸入された欧米の考え方、その影響下のわが国の文学や哲学などを通して、農村の因習や関係を個の自由を縛るもの、古くさい否定すべきものと見なした点である。わたしは、かつて詩人伊東静雄の大正末から昭和にかけての歩みをいくらか調べたどったことがある。わたしは、そのことを想起しながらこれらの言葉を記している。一方、普通の人々が地方の農村から町や都市に押し寄せたのは、柳田国男に拠れば次男三男などは一般に農村に十分な居場所がなく、より良い生活を求めてのことであった。ここにも都市の優位性が射していた。

 社会総体として未だ農村社会のウェートが大きい時代で、農政学を学んだ柳田国男は、一人、そのような農村の因習や年中行事や信仰に批評的な眼差しを加えつつ、農村の現在的に当面する社会的な問題と精神史の古層とを深く追究した人だった。それは、新たに胎動する工業資本主義とも言える近代社会の裏面史の、それ以前は主流の産業だった世界の追究に当たっている。このように、近代社会は、特に都市においてはそうだが、今までの農村中心社会に蓄積されてきた精神史を裏面として沈めながら、一回目の大規模な欧米化の波を受けた時代であった。

 現在のこの列島社会は、敗戦後の第二の欧米化の波をかぶり、どこも似たような風景を持つ、割と均質な社会になってしまった。それでも今なお、近代に都市と農村とを対立する関係と見なした残滓のようなものとして、大都市の方が文化や娯楽ひとつとっても地方都市より優位性を持ち、特に若者をひきつけるものと見なされているのはまちがいない。
 
 ところで、敗戦後の第二の欧米化の波をかぶることによって、内発的なものとしてではなく、外来性として列島社会に民主主義の諸制度や諸概念が入ってきた。戦中世代ならそのことに複雑な思いがあったはずであるが、敗戦以後の世代は特に、それらに慣れ、自由や平等という考え方にも馴染んできた。一方、敗戦後70年の現在では、若い層にさえ「ネトウヨ」と呼ばれるような、敗戦で死んだはずの亡霊の復古的な紋切り型の政治概念を唱える者が出て来た。

 一体どうなっているのだろうか。何が問題なのであろうか。(註.)わたしは、今なお右や左、リベラルなどで呼ばれるもの認めないが、それらは社会の、あるいは人間の表層部分に今なお観念として残っていることは確かである。ほんとうは、太古よりこの列島の住民たちが受け継いで来た良性の精神の遺伝子とも言うべき生活感性や意識が、割と無意識的なものとして、その表層下にある。わたしたちは、そこにこそ注目すべきだと思う。

 今から四五十年前には、若者がエレキギターを弾いたりするのは周りから不良として白い目で見られがちだった。また、マルクスとか革命などの言葉も仲間内以外では口に出すのがはばかられるような時代であった。そこから見渡せば、ずいぶんと個の自由度が増大した社会になってきた。ところで、欧米や他のアジア諸国のことは知らないが、この列島の生活世界では、例えば家族や職場や仲間の集まりなどで、宗教的な話題や政治的な話題が避けられがちである。これはどこから来るのか。おそらく、それらは自分たちの世界をかく乱させる異物と感じられているからだろう。生活世界で宗教的な話題や政治的な話題を受け入れたなら、互いに対立的になったりする可能性を導き入れることになるし、お互いの関係が壊れることにもつながるかもしれない。したがって、そうした話題を避けるのは、トラブルとなる要素を避けようとする生活世界の知恵なのかもしれない。つまり、生活世界からの防衛反応ではなかろうか。付け加えれば、聖書にも、イエスは故郷では容れられなかった、つまり人々は、生活世界とは異質なものをイエスの言葉やふんいきに嗅ぎ取って、よそ者としてのイエスは受け入れられなかったとある。当時でさえ、宗教や政治はもはや生活世界から外部に抜け出ていて、そことは異質な外部的なものになっていたのだ。

 同じ政治的な考えやイデオロギーを持つ仲間内なら、「中国が攻めてくるかもしれない」とか「日中関係が緊迫化している」などと発言しても、ウケるだろう。しかし、生活世界でのフツーの仲間内や会議などでは、そのようなものは排除去るべき異物に当たるだろう。しかし、確固とした宗教や国家などがなかった太古には、それらの要素的なものを含めてすべてが集落の中に、つまり中世の自治的村落の惣村のようなものとして、集落内で話題にし話し合い吟味し処理したはずである。人間界はそこから、集落の外に宗教や国家等を生み出しそびえさせてしまった。そういうわけで、生活世界では宗教的な話題や政治的な話題を避けるという現状のような関係になった。これは、生活世界とその外の宗教や国家との関わり合いに対する、生活世界の独立性を確保しようとする人々の無意識的な意志と言うことができる。なぜならば、頭の中で価値を逆立ちさせてしまった大半の学者や官僚や政治家と違って、普通の生活者は、生活世界にこそ人間界の重力の中心はあり、日々のささいに見えることの連鎖の中に貴重なものがあると遙か太古からの精神的な遺伝のようなものとして受け継いで来ているからである。

(註.)「敗戦で死んだはずの亡霊の復古的な紋切り型の政治概念」が、なぜ今登場しているかについては、近々の別稿「現在というものの姿(像)について」で触れる予定。


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