(わたしがネット上で呼びかけを開始した「消費を控える活動」のしめくくり)
吉本さんのこの現在の社会の段階と現状の分析から提案された「おくりもの」を、わたし(たち)が生かさなくってなんの思想ぞ、なんの行動ぞ、とふと湧き上がった思いから、わたしが今までにない危機感を感じていたこの復古カビカビ政権に対するリコール運動としての「消費を控える活動」を主にネットという舞台で開始しました。
実際の活動に入り込んだのは、「普通の人」がものを書き始めるとき「作家」に変身して作品世界を築いていくように、私の場合は、「余計なことを考える人」としてのわたしから「普通の生活者」としてのわたしに変身して具体的な提案の行動に入っていきました。もちろん、少し前に公人ー私人問題がありましたが、同一人物なのに「公人」や「私人」の名札をその都度付け替えるとかいうことはありませんから、なかなか明確に区別しにくい場面もあるように思われます。わたしの場合も、その区別が揺らいだ場面もあったかもしれません。しかし、心づもりや原則としては、ふだんのゆったりやのんびりやいい加減なところもあるわたしの生活からちょっとはみ出た、少し意識的な「普通の生活者」に変身しようとしたつもりです。つまり、少し生真面目に他の生活者に手を差し出したということになります。
「消費を控える活動」の開始は、2014年8月でした。途中少し休止もしました。また、考え続けるということは持続していましたが、ここ一年くらいは何ら目に見える活動はしていませんでした。その最初あたりから薄々は感じ取っていました。つまり、我が国が先進中国や先進欧米の大波を被ってきてはいても、この列島の数千年に及ぶわたしたち住民の心性や行動の遺伝的なものは、アフリカや西アジアの「民主化運動」を促した心性とは異なっていて、良くも悪くも温暖気候型だということ、この根強い遺伝的なものがそうやすやすと変わることはないだろうということ。それに、わたしは経験していないけど、一度安保闘争や大学闘争などのラジカルな社会運動の正と負とを経験した以後の、高度消費社会へと変質した社会に現在はあるということ。そんな思いはありました。
しかし、このSNSを通した「消費を控える活動」の呼びかけは、ある指揮系統を持ってデモや署名活動や集会などの形式をとる旧来的な社会運動に比べて、より自由度を持つ未来性のある興味深い運動だという思いは、今でも変わりません。これは太古の小さな集落で「その件はどうしようかね?」というような集落の寄り合いや集会の状況をネットやSNSが仮想的に用意してくれています。つまり、わたしたち住民が、仮想的な世界を仲立ちとして社会や政治に意識的な眼差しを向けある意思を集約することができるのではないかということが可能性として浮上してきていますが、わたしたち生活者はまだそのことを十分に自覚できていないように見えます。したがって、その具体的な道筋も未知だと思います。もちろん、ネットやSNSを利用する人々も多くなってきているだろうとは思いますが、どれくらいの人々がこの仮想世界に出入りしているかも押さえる必要があります。
たぶん、この社会のいろんな小社会や集団の中で、いろんな分野で未来性を持った新たな芽が出ているのかもしれません。現在は、大きな声でかつ空疎な言葉が依然としてこの社会に瀰漫(びまん)してはいても、大きな声の言葉ではなく、個の身の丈に合った小さな言葉こそが、つまり吉本さんの言う「三人以上いれば」(註1)の世界の言葉が、未来性につながっていく芽を持ちうるのだと思います。そしてそのような身の丈のものはまた、わたしたち大多数の生活者が無意識のうちに願っている心や意識のベクトルでもあると思われます。
この現在の政権がずるずる居座り続けているから、個人的には継続しているわたしの「消費を控える活動」のしめくくりも、自然とのびのびになってしまいました。何ら歯が立たなかったようなわたしの活動からこの「三人以上いれば」の世界へのわたしの撤収は、たいしたことはできなかった「消費を控える活動」のしめくくりです。
大多数の生活者が、自分や自分の家族のための生活防衛として取っている消費の引き締めの行動は、悪政や将来の不安から来る無意識的な防衛反応と見なせると思います。わたしは、ただその無意識的な行動を意識的なものに転位させたかっただけです。そしてその気持ちの中には、わたしたちの現在まで数千年に及ぶこの列島民の負の遺伝子(思っていることをきちんと筋道立てて言わないとか他に対して余計な遠慮をするとか政治がいい加減でもなかなか声を上げないなど)を当然ながら意識していました。つまり、そうとう大変なものであるということは自覚していました。
ほんとうに素人のわたしが主にネット上で始めた「消費を控える活動」は、なんかよく見えないような打ち上げ花火に終わりましたが、わたしにとってはいろいろと考えさせられるものがありました。SNSなどを通じた仮想的なものであったとしても割と抽象的な〈社会〉の場に出て自分の存在をその大気や風圧にさらしている感じがありました。それは今も続いていますが、それまで特に文学以外のことはいろいろいいかげんにスルーしてきたことどもを今までになくまじめに考えることを強いられてきたと思います。そして、そのような「余計なことを考える人」としてのわたしがいろいろ考えたことを、少し意識的な「普通の生活者」としてのわたしにつなげて、もっと具体的な行動をいろいろと練る必要があったと思いますが、そのことはあまりできなかったように思います。ひとつ考えたのは、もっと簡潔なわかりやすい言葉にして「消費を控える活動」の提案の文章を書き換えようと考えましたが、難しいなと感じてそこまではいけませんでした。(我が国の知識も言葉も、遙か太古から知識層や政治世界の知識や言葉と生活世界の知識や言葉との間に大きな断層を持っていますから、わたしたちはこういう配慮を強いられています。)
という次第で、個人的には意識的な「消費を控える活動」はこれからも継続していきますが、他の人々に呼びかける「消費を控える活動」は、休止します。そして、「三人以上いれば」の世界へ帰って行きたいと思います。
依然として、根の浅い「右や左」「リベラルや保守」などの不毛な概念が社会に飛び交っていますが、それらはわたしたちの生活世界の諸課題を隠蔽するものでしかない、不毛な死んだ概念だと思います。この列島社会では、その生活世界自体から出立し、そこをよりどころに思想を構成し、また生活世界に帰って行くというような、漱石に習えば〈生活者本位〉の生活思想や政治が生み出されたことは未だかつてほとんどありません。わたしたちは、依然として外来のイデオロギーや思想、あるいは敗戦で一度死んだ復古思想やイデオロギーを接ぎ木して政治や思想や教育などを得意げに語る者たちが大きな声を出しているという不毛の風景に立ち会わされています。また元「民進党の右派」のような「安全保障」や「軍事」ばかりを語る者は、政治経済の構想もなく国内政治の諸課題からの逃げや隠蔽でしかないように見えます。大体、現政権の北朝鮮への煽り行動や自治体のミサイル避難訓練(?)という茶番は、国内向けのものでわたしたちの意識を一つの方向に統合しようとするもの以外ではありません。こんな風にして政治や行政は、普通の人々が抗い難い形で社会にくさびを打っていくんだということをわたしたちは目の当たりにしています。政治がどのように作為や成果の誇大宣伝をしようとも、わたしたち大多数の生活者の意識や生活こそが主流なのだという認識と対応を持たないならば、家計消費がGNPの過半を占める現状では特に、そのような政治は必ずしっぺ返しを食らうはずです。
「消費を控える活動」は、それらを蹴散らすことをも意味しましたが、今度は、それらに私の内心で密かに対峙し続けることになると思います。
少数の賛同していただいた方々、ありがとうございました。
(最近、パソコンが急に壊れてしまって、わたしが一部記憶している以外は、誰がツイッターでRTや賛同をしてくださったかなどがよくわかりません。したがって、一般的な挨拶とします。)
西村 2017.12.14
(註1) 「三人以上いれば」については、
http://dbyoshimoto.web.fc2.com/DBYOSIMO/INDEX02.htm
(「データベース・吉本隆明を読む」の項目469と473)参照。