のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

彼岸の頃合い

2023年03月14日 | 日記・エッセイ・コラム

 4月9日(友引)の夜11時15分からフジテレビ系列で鬼滅の刃刀鍛冶の里編が放送されるらしい。

 なんたって、我が家にはテレビがないのでどこかに見に行かねばならない。おおむね同級生のケンちゃんのところで漬物かじりながら猫三匹と一緒に見るのですが、当分日曜の晩は忙しくなりそうです。4月からお世話になりますと、猫に缶詰の付け届けをしておきました。

 ネット動画配信のGYAOは3月いっぱいで店じまいしてしまうので、新しいネット配信も模索しておく必要もあります。

 今年は妙に生暖かいので山菜の季節も早く来そうな予感。なので、近所のばあちゃんたちに砂糖と醬油とダシの素配りました。山菜採ってきたら預けて、翌日に煮物になって返ってくる。ばあちゃん活用術です。

 春の活動に向けての準備も着実に進んでいます。

 しかしながら敵もさるもので、「腰が悪くて行けないから、お彼岸までに墓掃除やっといてくれ!」「ついでに、オラんちも。」と2件ほど頼まれてしまった。日没前に帰ってきて手入れに行くしかないか。やはり、ばあちゃんは強い!

 そうか、もうお彼岸の時期になったか。熱い寒いも彼岸までと言いますが、鬼滅の刃で心を燃やすので熱くなるかな?

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どんより雨

2023年03月13日 | 日記・エッセイ・コラム

 朝は霧雨状態だったので山仕事に出かけましたが、途中から土砂降りになったので逃げてきました。ほぼずぶぬれで。もう少し気温が低ければ雪で、こんなにはぬれなかったと思うけれど、やはり仕事にはならなかったかな?

 どうにも体調がすぐれない。コクはあるけどキレがない。昨日おとといのスキー場での雪運びの後遺症なんですけど、痛くはないけれど重い。どんよりした疲労感が漂う一日でした。

 ノーベル文学賞の大江健三郎と、元運輸大臣だった扇千景さんがなくなったようです。お二人とも同じ世代の方ですが国家感などはずいぶん違うようです。

 存在感としてはどっちが大きかっただろう?と考えると、扇千景さんの方が大きかったと、私は感じます。

 大江健三郎は高校生の頃に読みましたが、正直言って全く面白くなかった。最初に読んだのが「飼育」で、次に長編の「洪水はわが魂に及び」で、こちらはまだ出版されて間もない時代だった。私が未熟だったということもあるのでしょうが、はっきり言ってつまらなかった。ノーベル賞受賞後も全く読む気にならず、読む価値さえ感じていない。世の中にぶら下がっているだけでクリエイティブなイメージがない。ノーベル文学賞でも貰ってなかったらとっくに忘れ去られた作家じゃなかろうか?

 扇千景さんは2001年の北朝鮮不審船と海図用保安庁の銃撃事件の時の国交大臣で、自爆して沈んだ不審船を引き揚げて展示した首謀者の一人。この時日本財団が引き上げ、曳航に関わり、作家の曽野綾子さんが日本財団の代表。それを展示して見世物にするなんて、女性でなければできない強さを感じたもんです。大江と扇どっちが男らしい?って言われれば扇ですよね。

 インフルエンサーとは、乃木坂の歌ばかりではなく、世に影響力を持つ人物のことらしいのですが、大江健三郎ってメディアのバイアスが作った虚像のような気がしてならない。

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梅は咲いたか

2023年03月12日 | 日記・エッセイ・コラム

 梅は咲いたか、桜はまだかいな。ツンテケシャン

 梅が満開じぃうたいになっているんだけど、チト気が早すぎはしませんか?例年4月初旬に寒波が来て雪が降る。早咲きの梅はここで実を落としてしまう。

 教育ママ的目線でいうなら、小中学校では優秀でお受験で私立に行かせたけど、次第に成績落としてスマホばっかりやっているやる気のない大学生作り上げたようなもんです。え?将来?新幹線でいうならひかりはないけどのぞみはあるかもしれない。でも、地道に各駅停車で行きましょう。これもまた景色を楽しめていいもんですよ。

 梅の花と言えば鶯ですが、全然声も姿も見かけません。その代わりと言っちゃなんですが、このt頃毎朝オスのキジが我が家の界隈を歩き回っています。この野郎、なかなかしたたかな記事でして、床下の自営業の猫のために玄関前に置いておいたキャットフードなんかをつまみ食いしてます。

 キジの雄って結構凶暴で、猫ではうかつに近寄ることもままならない。オス同士が近くにいると喧嘩を始めるので、ハーレムは作っても群れは作れない。しかし、蕎麦を入れた鍋するととってもおいしい。

 スキー場では雪解けとの過酷な戦いが始まってますが、雪運びの連続でこちらの体がかなりまいってきました。若い学生バイトは体力はあるものの、瞬発力だけなので、長時間続けているとさすがにグロッキー。おじさんたちがコツコツと運んでいる状態です。

 その雪の表面は近くの杉林からの花粉で上が黄色くなっている。かつては黄砂だと言われてましたが今週は杉の花粉です。

 コロナ以降、ニーハオの工業がダメになったのか?以前ほどPMなんたらの黒い雪は少なくなってきました。環境のためにニーハオ経済破綻は不可欠ですね。

 学生バイトが来ているトレーナーシャツ。USAの大学のもので、星条旗まで入っているシャツですがなぜかベトナム製。どこがUSAやねん?と言いたいところですが、環境のためにはニーハオよりベトナムか?かつては戦争していたのに。

 静岡県の富士市出身の学生がバイトに来てます。焼きそばは隣の富士宮で、こちらの名物ではないのだとか。おでんも西隣の静岡市。「おでんも焼きそばもどちらもあるけど名物空白地帯だ。」と言ってましたが、つけ麺タイプのナポリタンがあるのだとか。ちょっと怖くて食べられそうにないけど。

 故郷を離れると富士山が見えるだけでは世の中渡り歩いていくのが難しい。何か食べるもので名産品が欲しいと言ってました。あちらの方言では「しずおか」ではなく、「しぞーか」って発音するんですね。

 このところリニアモーターカー反対パフォーマンスですっかりイメージダウンしている静岡県。「あの知事のおかげで静岡出身って言いにくいですよ。」と言ってました。反対運動よりも地元名産。地方自治としてはこれが重要。

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3.11

2023年03月11日 | 日記・エッセイ・コラム

 明け方5時ちょっと過ぎに地震らしき揺れを感知しました。震度1程度かな?揺れている感覚はなかったけど、窓ガラスがガタガタなったので地震かな?と分かりました。

 あの日から何年たつんだ?

 あんときゃぁ、軽トラにシイタケのホダ木にするナラの木を満載して走っていたら、急にまっすぐ走らなくなって、サスペンションやっちまったか?と、急停車。でも、まだ軽トラが揺れていて周りの樹木も倒れんばかりに揺れている。

 たまたまだったんですが、あの日切ってきたシイタケのホダ木はその日のうちに買い手がついちゃったんです。後日、菅直人が起こした原発の爆発以降、シイタケ産業大打撃でしたね。薪にして出荷するにも放射線量チェックせねばならない。業界ガタガタになりましたよ。

 翌日はスキー場に行ってたんですけど、こちらは電力不足などの影響はなく、リフトも普通に回せました。あんな大災害が起きた翌日なのに、スキーに来る非国民も多く、客の数は少なかったけど雪質も良くて天気も良い。私の山岳会の先輩なんか奥さんと子供釣れてスキーしてました。登山やる時点で非国民ですから。

 山形からきているリゾートバイトのにいちゃんと、震災の時の停電の話題になったのですが、彼が住む町でも1日停電があったそうです。それも幸いなことに1日。隣の米沢などもっと長い日数停電があったのだとか。一日の停電でも、暖房を灯油ファンヒーターに頼っていたので、電力がないと使えない。寒い思いをしたそうです。

 こちらはダムを六つも抱える電力供給地なので、停電は全く心配なかったのですが、あの震災から胡散臭い太陽光発電が幅を利かせるようになったんですね。既に太陽光先進国のドイツでは破綻していたのに、環境ビジネスが躍起になっていた。

 私たち世代に多くいるサリドマイド事件を思い出していたんです。妊婦さんの痛みを和らげる鎮痛剤のサリドマイドが、奇形児を作る要因になって、世界的に禁止の方向になるのに、なぜか日本でそれを買いあさっていた。その結果。ってやつです。売り先をなくした太陽光パネルを押し付ける気だな。と、察してましたが、昨今のメガソーラーの問題見るとやっぱりなという感はしてます。

 我が家の裏山の上にメガソーラーができるとき、私は反対意見出していたのですが、そんときゃ村八分になりかねない批判でしたよ。でも、土砂崩れや水害など取りざたされるようになってようやく目が覚めたようですが、私は冷ややかに言うんですよ。「あんたが起こす災害だ。責任持てよ。」ってだってあの時はそんな弊害知らなかっただもの。と言い訳するので、「知らなきゃものを言うな。無知がものをいうからこういうことになる。いづれにせよ、あんたが起こす災害だ。」

 全ての屋根の上にソーラーパネルと言う都知事がいるようですが、震災の後、あちこちで崩れた屋根を見てきました。埼玉県あたりでも随分ブルーシートをかぶせている屋根がありましたが、ソーラーパネルなんかが落ちてきたらもっと災害になるぜ。 

 適所適材ってのが大切だと思うのだけどね。

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大阪万博

2023年03月10日 | 日記・エッセイ・コラム

 風呂で大阪万博の話をしました。このおやじさんは当時中学3年生で、修学旅行で大阪万博を見てきた人です。電電公社だったかのパビリオンで、電線がない電話で自分の家に電話をかけたときの感動が今でも忘れられないと言ってました。

 今や電線のある電話や、ダイヤル式の電話なんて若い人たちにはわからない時代。当時のこの辺りはその電話だってダイヤル式じゃなくて右側の発電のレバーくるくる回して、交換手が出て「●番お願いします」なんて時代で、村の中だって電話局が二つあって市外通話になることもありました。ダイヤル式になったのは昭和47年の4月1日からで、あんときゃ感動モノでしたよ。ちょうど我が家は祖母の葬儀の最中で、あわただしい春休みの時でした。

 「電話を持ち歩くようになるなんて夢に思わなかったなぁ。」と、言ってましたが、今がそんな「未来」なんですね。

 この修学旅行で村の中学生が止まった宿が琵琶湖の近くの雄琴温泉。いかがわしいお風呂がなかった時代は修学旅行で使われていたんですね。万博が終わって閑散とした温泉街を立て直すために歓楽街になって行ったようですが、後にこのおやじさんも消防団の旅行で何回も雄琴温泉に行って修学旅行を思い出したそうです。

 各国のパビリオンよりも企業のパビリオンの方が面白かったそうで、外国なんてどうせ行くこともないけれど、企業パビリオンで見られる技術はもしかしたら自分の手の届くところにやってくるかもしれない。と期待が持てたそうです。実際、実現通り越してその先を走っているのが現状でしょうが、「そんなに昔のことじゃなかったよなぁ。」と、50年ちょっと前を振り返っています。

 昭和39年の東京オリンピックの時、このおやじさんの家ではテレビを買って画期的な時代を幕開けしたのですが、何かと問題が多かった令和の東京オリンピックの時、テレビはすたれる時代になり我が家ではすでにテレビを持たず、ネット配信も含めて協議は全く見なかった。博覧会と名がつくところにも足を運んだことがない。混雑嫌いなので。

 このおやじさんは長久手の戦いのあたりで開催された愛・地球博にも行っているんですね。名古屋のいかがわしいお風呂があるあたりに泊まりながら。「今度の大阪万博はどうなるかなぁ。」と言ってましたが、その先の下心の方がやけに目に付く。

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音羽の水

2023年03月09日 | 日記・エッセイ・コラム

 暖かくはなったもののまだ冬将軍の管理下から抜け出ていない山村ですが、杉が花粉を飛ばすようになってきました。

 枯れ枝で杉の葉を引っ叩いて見たら粉が噴出しました。どうりでこの数日鼻水が出るようになったわけだ。

 今月初めに京都旅行に行ってきた60代半ばの夫婦。高校の修学旅行以来だそうですが、清水寺に行って音羽の滝の水を飲むとき、何の迷いもなく「延命長寿の水」を飲んだそうです。

 三本の水が流れていて、向かって右からだったっけかな?延命長寿、恋愛成就、学業成就の水と呼ばれていて、どれか一つしか飲んではいけないと修学旅行の時に教わって、その時は学業成就の水をいただきました。20台になって旅行(仕事で出張)に行ったとき恋愛成就の水を飲んで、その後は、知恵がついて人間ずるくなったので、三本の水が落ちる池の水を飲んでました。

 今なら?と想像すると、やはり延命長寿になるのかな?いまさら学業成就でもないし、恋愛成就に色気はあっても手間暇かけるのはもはや気力がないし、細く、長く・・なくてもいいんだけど、病気にはなりたくねぇわな。選択肢がそこしかない年齢になったってことか。

 で、三年坂ですっ転がっちゃいねぇよな。あの坂で転ぶと三年以内に死ぬといわれているので、三年坂の土産屋の人たち何か死の誘惑うずまく崖っぷちで仕事しているようなもんですよ。

 前もって京都旅行するとわかっていれば、まだ作成途中ですが、科捜研の女見ながらコツコツと作り上げている京都殺人事件現場マップを渡せたのに。

 京都駅近くのアパホテルに泊まって地下鉄やバスを利用しながら神社仏閣マップ片手に市内観光してきたそうですが、拝観料も結構な出費になったそうです。駅から五重塔が見える東寺は歩いて行ったそうですが、結構歩く距離があったそうです。すぐ近くに見えるんですけどね。途中、「あんな名刹の近くにストリップがあったぜ。」

 そうですか。意外なところに意外なものがあるんですね。しかも一方通行の路地みたいな場所に。京都の神社仏閣の中では格段と高い拝観料のDX東寺。でも65歳以上なら拝観割引があるとか?参拝してきたの?「行くわけねぇだろ!夫婦して。」

 羅城門の跡地も発見できたのだとか。碑がたっているだけですが、あの付近も怪しそうな町があるんだけど、とりあえず観光地ではない。

 修学旅行ではもちろん、このあたりに住んでいてもできない夜の居酒屋巡りなども楽しんできたそうです。

 もうすぐ始まる畑仕事。

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多様化

2023年03月08日 | 日記・エッセイ・コラム

 郵便局にアパ社長カレーを買いに行きました。

 郵便局、あまり用がなくて足を運ぶ機会も少ないのだけど、時折レトルトカレーを買いに行きます。

 なぜ郵便局でカレーを売っているのか?スーパーのない限界集落の村だからだろうか?郵便局が多業種でカレーショップ化して、そのうちカウンターの上に鍋やご飯のジャーが設置されてここで食べて帰れるようになるとか。

 なんだかわかんねぇけれど、奇妙な時代になってきたもんだ。

 前回カレーを買いに行ったときに気になっていた北の富士カレー。妙に気になるので買っておきました。まだ食べていないけれど。

 この世界も多様化が進んでいて、あの奇妙なアパ社長はホテルの経営者だし、北の富士は相撲の元横綱。なんでカレーなんだ?

 千代の富士の師匠としての北の富士を知る人は少なくないと思いますが、北の富士が現役で横綱だったころを知る人は還暦世代以上でしょうね。大鵬の次を担う世代で、玉の海と競っていた横綱。玉の海が盲腸で急死して一人横綱だった頃もありましたが、琴桜、輪島なんてのが直後に出てきました。

 この時代、大相撲が始まると祖父と一緒に見るのが当時小学生だった私の役目で、三役の取り組みが始まると日本酒を燗にして徳利に入れて持っていくのが仕事でした。祖父は新聞のスポーツ欄に赤鉛筆でその日の取り組みの予想をチェックして、取り組みに見入ってました。

 柏鵬時代の柏戸と大鵬が横綱になった年は私が生まれた年なので、大鵬は憶えていますが、柏戸はあまり記憶にありません。北の富士活躍ごろの琴桜も輪島ももうこの世にはいないので、短命な相撲界に置いて長寿で息災な人物ですね。まさかカレーまで作るとは思わなかったけど。

 力士がカレー作って郵便局がそれを販売して、「多様化」って結構進んでいるんじゃないの?

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ワームムーン

2023年03月07日 | 日記・エッセイ・コラム

 朝、仕事に出かけるときに近所のおばさんと顔を合わせました。これから朝風呂に行くのだそうです。

 立ち話でこのあたりではどこに咲いているかと聞かれたので、何か所か場所を教えて、拳の花が咲いてほどなく黄色い花が見られるから、4月の第2週あたりには見られると思いましよ。と、教えましたが、我が家のすぐ下にも3年ほど前までマンサクの木があったんです。除雪の雪が上から落ちてきて木が折れてしまったのですが、惜しいことをしてしまった。今年は例年よりつぼみの膨らみ方が早いから、花の季節の早いのかな?

 我が家の界隈、朝風呂に入る人が結構多い。これも日常になるとやめられなくなる。住人のほとんどがの高齢者ばかりなのでそんな暇もあるのでしょうが、ときどき私も仕事に行く前に風呂で温まってから出かけることもあります。

 もちろん今朝は風呂なんかはいらずに仕事に行きましたが、夕方は家に帰る前に温泉に直行。今日も暖かくて大汗かいて仕事したので、お風呂直行はありがたかったけど、妙に熱かった。湯船の温度が45度。

 かけ流しのお湯の量が増えたみたいで、60度超えのお湯が景気よく出ている。また微調整しなければならない時期になってきたようです。雪解け水が出てくるころになるとお湯の量が増えて温度が熱くなる。

 今夜は満月の予定ですが、山影でよく見えない。風呂上がりにちょっと遠回りして赤っぽくなった満月を眺めました。アメリカ先住民は3月の月をワームムーンと呼んでいたそうで、ワームってミミズやイモムシの類でしょ。それがわいてくる季節ということなんでしょうね。

 あれ?二十四節気の啓蟄(けいちつ)っていつだったっけ?と家に帰ってから暦を見ると昨日ががその日。暖かくなって虫が出てくるという日が啓蟄。そして、コオロギの粉末入りのパンがパスコ?

 一昨日、スキー場の帰りにスーパーに立ち寄ってとんかつソースを買ってくる予定でしたが、ちょうどお惣菜半額タイムだったのでそっちに気を取られ、なぜかとんかつを買ってきてしまった。しかしながらソースはない。先月末から毎度買い忘れるので、財布の中に「とんかつソース」と書いた紙切れを入れているのだけど、いつも帰ってきてから気が付く。軽トラのダッシュボードに「とんかつソース」と貼り付けておいたけど、それでも忘れるのかな?

 とんかつは麺つゆに砂糖を足して甘みをつけてカツ煮にしました。

 このところこうした物忘れが多くなってきているので、ボケ始まったのかな?

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ステッカー

2023年03月06日 | 日記・エッセイ・コラム

 天気晴朗なれどあたたかし。

 なんだかねぇ。はるがきたぁ!って一日でした。朝は寒かったけど。

 すっかり春のような陽気なのに、国道の掲示板には冬タイヤ早目の装着を促す掲示が。もはや3月いなので、これはつまり今年の年末に来る冬を予言しての掲示だろうか?やはり今年の年末には冬が来るのだろうか?

 今年の冬は異様に雪が少ない冬と言えましたが、その原因は?昨年末に私がスタッドレスタイヤ4本新調したからだと思われます。私が冬タイヤを新しくした年はおおむね雪は少ない。アンラッキーな運に恵まれてますが、それより夏の水不足や長雨になる方がよほど気になります。

 

 夕方から地区の組の役員改正会議。役は最小限で抑えられたのでまずは安心です。

 高齢化で役員をやる気があっても体が付いていない人たちばかりなので、私たち60代の若者世代に負担がのしかかる。どげんかせんとの状況が年々ひっ迫しています。

 軽トラ買い替えた80代が高齢者マークのステッカーも新しくしたからと、今までつかっていたステッカーをもらいました。これで私の軽トラも高齢者の仲間入りをしました。これで車いすのステッカーに赤ちゃんが乗っていますのステッカーにドライブレコーダー搭載のステッカー貼っておけば、弱者の権利満載で天下無敵です。あおり運転対策に、助手席には鎌と鉈が乗ってますし、荷台にはチェーンソーに薪割斧が積まれている。もちろん大雪に備えてのスコップとタイヤチェーンは必須です。

 まだ昭和のころ、「冷房車」なんてステッカーがありまして、もちろんクール宅急便の配送車ではございません。エアコンが付いているクルマという意味なんですが、通り過ぎると「お~」って思いましたもんね。昭和40年代だと「5速車」なんてステッカーもあって、マニュアル5速ミッションってことなんですが、スポーツカーっぽかったですね。ちなみに軽トラ、5速マニュアルですが、エアコンはついておりません。

 さて、いつスタッドレスからノーマルタイヤに履き替えようか?まだこれから雪は降るので、例年4月15日をめどにしています。

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かんぴょう巻き

2023年03月05日 | 日記・エッセイ・コラム

 「かんぴょう巻き作ったから帰りに寄ってけ。」と、電話をもらい、スキー場の帰りに立ち寄った家。

 昨年の秋に75歳になってプロの高齢者になったおやじさん、先月末に排尿失神とやらでひっくり返ったのだとか。小便をしてたら意識がなくなり、倒れた時の音で不審に思った息子が駆けつけて発見されたんだそうです。救急車待つより運んだ方が早いと、近くの診療所に運び込んだのだそうですが、排尿と同時に血圧が下がって意識が飛ぶのだそうです。

 そういえばよくトイレで倒れてなんて話を聞きますが、これもそうした症状の一つなんでしょう。

 「小便まにあって、きもちいいなぁってはじいてたんだけど、もっと気持ちよくなって気が付いたら診療所に運ばれる車の中だった。これが野原だったら貞操の危機に陥ってたかもしれねぇ。」

 タヌキやキツネ、はたまた熊や猪までいる畑の界隈、冬なら雪女が出るかもしれない。ちんちん出したまま倒れていれば危険だぞ。

 私がかんぴょう巻きが好きだと聞いて、自家製のかんぴょうで作った海苔巻きを分けてもらいました。ユウガオを栽培して、その実を皮むきして干して作るかんぴょう。手間暇かかる割に寿司屋での地位は決して高くない不遇なネタですが、私が子供の頃の巻きずしはこのかんぴょうに胡瓜と赤いデンブを巻いた太巻きが主でした。

 かんぴょう巻き。ごちそうです。

 スキー場でバイト学生が今この本読んでます。と、「具体抽象トレーニング」という本を見せてくれました。PHPから出ている本です。父親が「読んでおけ。」とくれた本だそうで、寮での暇な時間を過ごすために持ってきたんだそうです。

 具体的=正、抽象的=誤。のような風潮がまかり通る昨今ですが、要は抽象的な物事を解釈する能力に欠落しているからで、「具体的に」と言いたがる人ほど理解力が乏しい癖に上から目線の鼻持ちならぬヤカラが多いもんです。具体的とはその抽象の一部を切り取ったに過ぎない。それができないのは読書の不足。と、私が持論を述べたら、「同じことをこの本でも行ってます。」と言ってたので、同じ考え方をする人が書いた本らしい。

 でね、それこそ具体的に例を挙げれば、LGBTだなんだってどうでもよいことを法律化しようとしている向きがあるけど、こんなの抽象の一部であって、それを取り立てて「決める」ということは時間の無駄だよな。そのうち、トイレで流す水の量だって法で規制されちまうかもしれない。ならば、なぜ人を殺しちゃいけないか?このことに関する具体的な説明ができるのか?できないけれど殺人はいけないという抽象の概念を軸に法は成り立っている。

 あいまいという抽象はなんだかわかんねぇけれどそう言うもんなんだという機軸の元にあらねばならぬ。知恵と智慧の違いだね。

 山の上の石油ストーブで茶碗蒸し作りながら語る山仕事のおじさんのご高説に学生さんが聞き入ってました。

 「なんだかわかんねぇけど・・・そういうもんだ!」は案外重要で、気にかけているととんでもないところで腑に落ちて理解できた気になる。その瞬間が、大変うれしい。今すぐわかる回答に振り回されぬことも大切だと思うよ。

 とってもそんな風には見えないかもしれませんが、おじさん最初の大学で社会心理学を専攻してました。

 学生と接するとこちらも勉強になります。

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異種族

2023年03月04日 | 日記・エッセイ・コラム

 どっちが木星でどっちが金星か?それより土曜はカレーの日。なのでお昼はカレーライスでした。

 スキー場の山の上で青学の学生といろいろ話をしました。ミーハーな渋谷ではなくどこにあるのかもわからない相模原キャンパスで学ぶ理工学部の学生ですが、このところやたらと強い駅伝の学生たちは都心から離れたこの相模原で練習しているのだそうです。「どうすりゃ人間あんなに速く走れるものか?」と思うほど、とんでもないスピードで走っているそうですが、走っているときか何か食べているときにしか遭遇しない。否、ほかですれ違っても気が付かない。あれはきっと違う種族に違いない。

 この謎の種族が何かと課題や授業が厳しい理工学部で学んでいるとは思えないので、渋谷の文系学部に所属しているのでしょうが、昼間から相模原で走っているのでいつ学問をやっているのだろうか?謎の生態に注目しているようです。

 以前、日大の桜上水キャンパスで学んでいる学生も同様のことを言ってました。こちらは相撲部で、あんな大柄な学生を授業で見かけたことはないけれど、学校や学食に行くと必ずいる。どこで勉強してどこで暮らしているのかはわからないけれど、奴らは存在する。

 「鬼」は「おぬ」「おらぬ」から来た言葉だと言われていますが、存在していないようで存在する。特に飯時に。

 よく食べるという話は聞いてもよく仕事をすると入った話は聞かない学生バイトが、大盛カレーをお替りして食べてましたが、今週いっぱいでバイトが終わって帰宅するのだそうです。これが返ってきたらご家庭のエンゲル係数が一気に増大するんだろうな。と、ご家族の苦悩をおもんばかりながらも、こうしたバカ学生と過ごすのは楽しい。

 なんだかんだとあとひと月弱。また、山の中で一人仕事の孤独な時間に戻る。

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毘沙門様

2023年03月03日 | 日記・エッセイ・コラム

 3月3日ですね。お雛様と言うよりは毘沙門様のお祭りの日。

 なのでお休みを取って越後浦佐の毘沙門堂に行ってきました。この十数年続けている恒例行事ですが、疫病でお祭りがストップし、去年は出店なしの行事が行われました。今年は出店も復活しましたが、なぜか4日が大会当日。恒例の3日は前夜祭。ついに、土曜日に執り行う行事になってしまったようです。

 まずは松之山温泉に行って長々入浴しました。今年に入って3回目の松之山温泉です。

 今日は鷹の湯に行きました。その前に隣のラーメン屋さんで手打ちラーメンもいつものパターン。

 毘沙門様の祭りは午後五時から始まるので、その時間に合わせてのんびりあちこち周遊しながら浦佐にたどり着きました。

 出店が多い祭りでもありますが、前夜祭なので店だけ作っておいて、明日から営業の出店もずいぶんありました。

 私は毎年このお祭りで唐辛子を買ってくるのでが恒例の行事でしたが、コロナが出る前のお祭りの時に唐辛子屋が出ていなかったんですね。なんぞ不吉なことでも?なんて予感はあったのですが、今年は?出ていないみたいです。

 多聞天、毘沙門様のことですね。

 かつては私の村の建築関係の人たちが毎年お参りに行くお祭りで、越後側は沼田の迦葉山にお参りに来るというのが交流の歴史だったんですね。

 むしろ交通の便がよくなった今の時代よりよほど交流が盛んで、嫁のやり取りなんかも結構頻繁でした。明治以前、私の5代前の当家の嫁さんは塩沢の石打からきているし、我が家からその家にも嫁が行っている。交換ですね。

 そんな縁なのか?我が家では長男が7歳になると塩沢の雲洞庵(上杉景勝や直江兼続は幼少期を過ごしたいお寺)に小僧として修業に行かされる。私も小学校1年の冬休みに一週間行ってきましたよ。雪が降ってさぁ、寒くてさぁ、大変だっただよ。

 浦佐の毘沙門様もよくお参りしていたっけ。私は小児結核で虚弱児だったもんだから。

 前夜祭と言うこともあり、まだ人が多く出てきていないので、法要をしっかり拝観することができました。

  この町にある国際大学の外国人学生が見に来ていました。行事やお経について英語で解説してみたのですが、真言宗豊山派のお寺なので、読まれるお経はおおむね予想して予習していきましたが、陀羅尼は全然わからなかったので、サンスクリット語だから彼に聞いて!と、インド人留学生を指さしたら、「全然わかりません1」と、手を振ってました。

 1200年続く裸押し合い祭り。不動明王の池での水業が執り行われました。

 十数年位前まではこの行事に参加する人は年明けからお祭りが終わるまで女ご禁制で清らかに暮らさねばならない決まりがあり、今は世話役に回っている私の知人など子供3人が11月生まれ。ってことは冬の行事で女房とやってたんじゃねぇか!と、問うと。「このあたりでは毘沙門様のご霊験で妊娠期間が14から15か月なので、前年の年末につけた種なんですよ。」って、そんなことあるかい!

 昨今、広くあちこちから参加する若者を求めているようですが、サウナの後の水風呂なら歓迎ですが、寒い最中の水風呂は…遠慮しておきます。

 こうして今年も恒例の行事を一つクリアできました。

 祈願したのは、疫病退散と皆の幸い。こういうところで自分個人の願いなんか願掛けちゃいけないと教えられているので。

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昆虫食

2023年03月02日 | 日記・エッセイ・コラム

 お天気予報では午後から雪でしたが。朝のうちは雲一つない晴天。10時頃から風が吹いてきて曇り空になり、午後には雪が降りだす予報通りの天候になりました。

 家に戻るなり温泉に駆け込み、いつもより十数分多く湯船で汗を流しました。冷え込んできたら四十肩が痛み出したので、何はともあれお湯で代謝を促す。

 風呂で中学時代の後輩と顔を合わせましたが、こちらも膝の痛みで苦しんでいるようです。還暦ともなればどこかしらガタが来ているものですが、他人事ではなく自分の身の上に降りかかっているのですからたまったもんじゃない。

 昨今、巷で問題になっているコオロギ食の話になったのですが、俺らが食べていたのはイナゴと蜂の子と、テッポウムシ(カミキリムシの幼虫)くらいのもので、珍味として食べていたのであって、いくら山奥だからってそんなもの食わなきゃならないほど生活に困窮していたわけじゃない。SDGsってぇのはオカマのことじゃなくってコオロギ食うことだったんだなぁ。と、娑婆の病巣についての話になりました。

 食糧危機のために昆虫食とか言って、そのコオロギ養殖のえさが大豆やトウモロコシなんだって。それならそのまま大豆やトウモロコシを食料にすればいいじゃないか。やってることが本末転倒。こんなもの、同性愛や性倒錯と同じで個人の趣向でやっている分には目くじら立てないけれど、学校給食に出すなんてことしちゃ「病んでいる」としか言いようがない。薪割して出てきたテッポウムシ喜んで食べている私たちまで白眼視されかねない。

 学生のベンチャー企業が仕掛けたことらしいのですが、SDGsなんて振りかざされると思考停止する人々に寄生したカルトですね。霊験付きの壺売っているのと何が違うんだ?

 「先輩、ザザ虫なんか食ったことあるかい?」お!なつかしいザザ虫。蚕の蛹ですね。繭玉の中に入っている。眉をほぐして生糸を取ると中から出てくるのですが、炒ったり佃煮にして食べたなぁ、子供のころは。あんまりおいしいもんじゃなかったけど、あとは魚釣りの餌だった。

 韓国に行くと道端で天津甘栗のように窯で炒ったザザ虫を売ってたけど、コリアンものなんか危ないので食べなかった。結構若い娘さんなんかが買って食べてましたよ。K-POPの陰にザザ虫あり?

 おめぇさん、昆虫食と馬肉食の文化的背景知っているかね?と、後輩に問うてみました。有名なところでは長野県や熊本など馬肉が食用されている地域には、蜂の子などの昆虫を食べる文化もあり、お諏訪様と物部にゆかりの神社などがある。このあたりを仏教伝来以前の日本文化としてとらえると面白い発見があるかもしれねぇな。

 なんて話題でね。風呂の中が楽しかった。

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今日は肉じゃが

2023年03月01日 | 日記・エッセイ・コラム

 3月になってしまった。

 朝、ヤマメ釣りに行くおやじさんと遭遇しました。今日から秋のお彼岸までイワナやヤマメの渓流釣りが解禁になるのだそうで、雑魚一年の観察を買って勝負師のシーズンに入るのだとか。この水温ではまだ魚がえさを食べないだろうから、もう少し暖かくなった方が釣果は期待できるといってましたが、猫と一緒に食べる焼き魚はひとしおなんだとか。

 奥様は?

 「だめだあんなもん、マグロだとかイカの刺身なんかばかり食いたがって、そんなもんこの川じゃとれねぇだろい。」

 猫だけがお供なんですね。「ありゃぁ食い物さえあればどっちにも転がる。義理なんてもなぁ持ち合わせていねぇなぁ。」猫、現実第一です。

 釣り人は時折見かけますが、若い人ってあまり見かけないですね。あらかたが私たちと同世代以上の年配者。「暇」の影響なんだろうか?それとも釣りが興味持たれなくなったのか?そういえば釣り道具屋も見かけなくなった気がするけど、世はアウトドアブームなんだとか。

 魚はつらないけれど、ユンボにワイヤー吊るして直径60cm程度の丸太を吊って運び出しました。

 昨日の晩からストーブの上で肉じゃがを煮込みました、まさに、2月から3月にかけて煮込んだ肉じゃがです。

 もともとは英国に留学した東郷平八郎が向こうで食べたビーフシチューを再現したくて、海軍の調理担当者に「こういう食べ物」と口頭で教えたものの、そんなもの食ったことがない調理係が日本にあるもので作ってしまったのが肉じゃが。海軍の料理なんですね。

 私は学生のころ、居酒屋でアルバイトして肉じゃがを始めて知ったのですが、もつの煮込みだとか、このバイトで出会った料理は多かったです。

 学校で教わった学問はことごとく忘れるけれど、バイトで勝手に覚えた料理は不思議と身についている。近年、しみじみ感じてますよ。

コメント (2)
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