3月3日ですね。お雛様と言うよりは毘沙門様のお祭りの日。
なのでお休みを取って越後浦佐の毘沙門堂に行ってきました。この十数年続けている恒例行事ですが、疫病でお祭りがストップし、去年は出店なしの行事が行われました。今年は出店も復活しましたが、なぜか4日が大会当日。恒例の3日は前夜祭。ついに、土曜日に執り行う行事になってしまったようです。
まずは松之山温泉に行って長々入浴しました。今年に入って3回目の松之山温泉です。
今日は鷹の湯に行きました。その前に隣のラーメン屋さんで手打ちラーメンもいつものパターン。
毘沙門様の祭りは午後五時から始まるので、その時間に合わせてのんびりあちこち周遊しながら浦佐にたどり着きました。
出店が多い祭りでもありますが、前夜祭なので店だけ作っておいて、明日から営業の出店もずいぶんありました。
私は毎年このお祭りで唐辛子を買ってくるのでが恒例の行事でしたが、コロナが出る前のお祭りの時に唐辛子屋が出ていなかったんですね。なんぞ不吉なことでも?なんて予感はあったのですが、今年は?出ていないみたいです。
多聞天、毘沙門様のことですね。
かつては私の村の建築関係の人たちが毎年お参りに行くお祭りで、越後側は沼田の迦葉山にお参りに来るというのが交流の歴史だったんですね。
むしろ交通の便がよくなった今の時代よりよほど交流が盛んで、嫁のやり取りなんかも結構頻繁でした。明治以前、私の5代前の当家の嫁さんは塩沢の石打からきているし、我が家からその家にも嫁が行っている。交換ですね。
そんな縁なのか?我が家では長男が7歳になると塩沢の雲洞庵(上杉景勝や直江兼続は幼少期を過ごしたいお寺)に小僧として修業に行かされる。私も小学校1年の冬休みに一週間行ってきましたよ。雪が降ってさぁ、寒くてさぁ、大変だっただよ。
浦佐の毘沙門様もよくお参りしていたっけ。私は小児結核で虚弱児だったもんだから。
前夜祭と言うこともあり、まだ人が多く出てきていないので、法要をしっかり拝観することができました。
この町にある国際大学の外国人学生が見に来ていました。行事やお経について英語で解説してみたのですが、真言宗豊山派のお寺なので、読まれるお経はおおむね予想して予習していきましたが、陀羅尼は全然わからなかったので、サンスクリット語だから彼に聞いて!と、インド人留学生を指さしたら、「全然わかりません1」と、手を振ってました。
1200年続く裸押し合い祭り。不動明王の池での水業が執り行われました。
十数年位前まではこの行事に参加する人は年明けからお祭りが終わるまで女ご禁制で清らかに暮らさねばならない決まりがあり、今は世話役に回っている私の知人など子供3人が11月生まれ。ってことは冬の行事で女房とやってたんじゃねぇか!と、問うと。「このあたりでは毘沙門様のご霊験で妊娠期間が14から15か月なので、前年の年末につけた種なんですよ。」って、そんなことあるかい!
昨今、広くあちこちから参加する若者を求めているようですが、サウナの後の水風呂なら歓迎ですが、寒い最中の水風呂は…遠慮しておきます。
こうして今年も恒例の行事を一つクリアできました。
祈願したのは、疫病退散と皆の幸い。こういうところで自分個人の願いなんか願掛けちゃいけないと教えられているので。