のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

隠居は遠し

2020年04月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 ビニールハウスの日陰になる木を切ってくれと言われて準備していましたが、施主が今日は都合が悪いというので明日に延期になりました。

 そろそろ芽が出始めた桑畑の周辺の草刈りをしたので、隠居生活をしている馬車馬のカン太君のところに差し入れに行ってきました。

 人間なら後期高齢者なので、ほとんど動くこともなく立ちすくんだままボケーっと考え事をしているカン太君です。

 お隣の縄文風ハウスにはウサギさんが住んでいますが、こちらは元気よく食欲も旺盛。差し入れの雑草を早々に食べつくしてしまいました。

 本日昼間に接触したのはカン太君とウサギさんだけ。農耕接触の日々です。

 ニーハオウィルスや金ちゃん死亡説でもはや話題の蚊帳の外に置かれた南ニダですが、遊んでくれる国もあるみたいで、ベトナムで韓国軍の民間人虐殺を提訴する動きが起きているようです。

 南ニダも日ごろの行動言動から当然真正面から受け止めねばならない問題だと思いますが、どうやって回避するのかな?この国際的ブーメラン。

 南ニダ中心で金ちゃん半島統一というのは無理だと世界が見限る中、金ちゃん亡き後の金ちゃん半島の情勢も気になりますが、関わらないのが一番の得策。

 ニーハオウィルスで民度が試される時代に来ているんですね。

 外出自粛の流れが続く日本では高速道路の連休中の割引が中止になったようです。こんな時期に行楽旅行なんざぁ非国民ということですか?まぁ、それも一理あるけど、その行楽客を当て込んでいた観光地はたまったもんじゃありません。

 とりあえず今はじっと我慢の子ですが、カン太君はかつて観光客相手に遊覧馬車を引っ張ってました。いい時期に引退したのかもしれません。

 ポストニーハオウィルスの秩序は大きく変わることだと思いますが、その情勢を見極めねばカン太君並みの老後は得られない人間様。

 どうなるのかねぇ?

 夜、同級生のケンちゃんが「大けがしたんだってなぁ。ふためとみられぬ顔になっちまったって評判だぞ。」と青梗菜もってきてくれました。

 科捜研の女のシーズンではないのでテレビを見に行くことがなくてご無沙汰してました。

 すでに顔の腫れはずいぶん引いたものの、小顔が二倍くらいになっているような気がするのは怪我のせいだろうか?

 ケンちゃんの葬式には私が弔辞を読むことになっているので、まだ健康に留意しなければならないのですが、こちらのほうが先にガタが行きそうなこのところです。

 青梗菜は塩漬けにすると野沢菜の漬物みたいな味わいになるのですが、「調理できねぇんじゃねぇかって思って。」と、漬物も持ってきてくれました。

 日に日に腕をあげる彼の漬物技術はもはやおばあちゃんの領域に達してます。

 まだまだ気を休められない。

 カン太君がうらやましくもあります。

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昭和は遠く

2020年04月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 「昭和の日」。朝、近所の80代の方から「天皇の誕生日だから」と赤飯をもらいました。

 私の場合、数字の上では昭和より平成の31年のほうが長かったのですが、感覚としては昭和のほうが長かったような気がしてなりません。

 たぶん、大人になっていろいろやらねばならないことに追われているうちに時間ばかりが過ぎていった平成だったのでしょうが、あの31年はずいぶん短かったように感じます。

 昭和が遠くなるどころか20世紀も遠くなり、ほどなく平成も遠くなるのでしょうか?

 来年還暦、体が動いても10年ちょっと、20年とはこの世にいないでしょうから、もはやこの先何を望むでもないけれど、さらに速いスピードで時間は過ぎるんでしょうね。

 近くなるのはあの世だけ。

 思い返せば昨年は天皇誕生日がなかった不思議な年でした。

 元号に関係なく天皇誕生日なので、忠霊塔の掃除をしてきました。

 例年は5月の第二土曜日に薬師堂の掃除と一緒にやりますが、今年はお祭りが秋に延期になったのでそれまでご無沙汰では英霊に礼を欠くので今朝もらったお赤飯を一握りお供えしてきました。

 この度のニーハオウィルス世界蔓延で各国の国民性をうかがい知る光景が繰り広げられていますが、鉄砲の弾を買い置きする国もあれば、ビールを買いだめする国もある。日本はマスクと消毒液はわかりますがそれにトイレットペーパーは愚かさの象徴かもしれません。

 ニーハオの国ではコメの買いだめが流行っているようで、自動車で乗り付けてたぶん20kg袋だと思うけど、10袋も白米を買い込むおばさんの映像が流れていました。

 昔は一年で雑穀含めて一人一石(2.5俵=150kg)と言われてましたが、ラーメン好きで一人暮らしの私は米だけなら1年で1俵(60kg)あれば事足ります。

 玄米ならともかく精米したコメを何か月取っておく気だろう?この夏を待たずに酸化して、そのうち虫が湧きだす気もしますが、ニーハオだから強烈な薬使ってるのかな?何とも無駄であさましい光景に映りました。

 90年代にニーハオ国に行ったとき、露店の本屋に並んでいる本の中にオスカー・ワイルドの「幸福な王子」の絵本があったのに目がとまりましたが、あの人々には根付かない物語に違いありません。

 国が支給する10万円をめぐって金融機関などが差し押さえをしないよう規制する法案も出るようです。緊急事態の支援なので、当然と言えば当然ですが、闇金の取り立てなどこの機を逃してなるものかと暗躍しそうな気配もするので、刑務所がにぎやかになるかな?

 しばらくは暖かい日が続きそうでストーブの石油が節約できそうでありがたい。原油価格ダダ下がりのチャンスを狙って、来年の冬の準備も始めねば。

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ウグイス

2020年04月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 10時半ごろから雨が降り始め、11時には本格的な振り方になってきましたが、雲の流れを見るとほどなくやみそうな気配だったので、少し早めにお昼にして、軽トラの中で弁当を食べてウトウト居眠りしてました。

 ホーホケキョの声に目が覚めると運転席のドアから1mほどの木にウグイスがとまってました。

 鳴き声から間違いなくウグイスなんでしょうが、黙っているとメジロと見間違えます。メジロは目の周りが白いのですが、ちなみに竹の切り株が顔面に直撃した私は目の周りが紫色になっています。メグロってとこかな?

 ウグイスよりもメジロのほうが色が緑っぽくウグイス餡の色に近いんですよ。あれはエンドウ豆の餡子でしたかね。それよりも若干小豆を加えてブレンドしたような色が鳥のウグイスの色ですね。しかも漉し餡で。

 ウグイス眺めながら羊羹を連想してしまいました。

 長期春休みになっている学校。9月新学期説というのがにわかに現実味を帯びてきました。

 考えてみれば世界的に新学期は9月で、日本がむしろ特殊なのですが、社会制度が変わるのでなかなか世界に合わせるどころか、議題にも上げられないような問題でしたが、こんな感染症の蔓延で一気に話が決まるとすれば今まで何だったんだろう?面倒くさくってやらなかっただけどいうことなのかな?えてしてそんなもんかもしれない。

 留学する人、と言ってもこのご時世命がけですが、世界の大方は9月新学期なのでどうしても半年のタイムラグができてしまう。これがいくらか解消になるのかな?

 ってことは卒業が7月頃か?蒸し暑い最中、ご苦労さんなこってす。

 「鼎談(ていだん)」という言葉があります。三本足の鼎(かなえ)のように3人で会談することで、二人なら「対談」、4人以上は「座談」、そして「お前らの話なんざ雑談だ!」と高校の時に教わりました。

 三国志に代表されるように三つで争うのが常のニーハオ文化。敵の敵は味方で要領よく立ち回ったやつが天下を取る文化ですね。今の共産党だって日本と国民党たたかわせておいて疲弊した国民党追い出しての天下です。

 源平の紅白、関ヶ原の東西、幕末の官軍属軍と潔く二分して競う日本文化とはちょっと違う。

 今度ばかりはニーハオ肺炎で主役に踊りだしてしまったニーハオ国ですが、WHOのテドロスなんかがニーハオ中心の新しい秩序をなんて持ち上げて言いだしているもんだから逃げようがなくなってきてしまった。

 案外おそロシアあたりが第三の軸を狙って息をひそめているのでしょうが、ニーハオの本音とすればUSAとおそロシア競わせてその勝ち馬に背後からなんでしょうが、もはや逃げようがないところに追い詰められている。

 金ちゃんぽっくりをうまく使いたいのでしょうが、金ちゃんの妹だってそのあたりはわきまえているでしょう。何千年も属国やってきたんだから。ストーリーとすれば金ちゃんがバカやらかして口火を切って「義を見てせざるは」とニーハオが乗っかってくるのがよかったのでしょうが、修羅場になりそうな気配が漂ってまいりました。

 有事に備えて畑の準備でもするか!

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茨の花

2020年04月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 朝、知人宅に配りものを持っていくと、小学校1年生になった孫娘が赤いランドセルを背負ってお出かけするところでした。

 学校再開したの?と聞くと、相変わらず休みのままで、家から100mほど先のバス停まで行って「ただいまぁ!」と、帰って来るのだそうです。

 学校の卒業式・入学式自粛というのは東北の震災の時にありましたが、学校が休校ということはなかったので異常事態と言えばそれまでですが、そういえば、あの時自粛対象だった子供が今の中学3年生かな?そういう年回りなんだろうか?

 この家のオヤジさんが家の中で育てているサンザシの花が咲いたと見せてくれました。

 サンザシは赤い実が付きますが、花は白。

 サンザシの実は果実酒にしたことがありますが、実を食べたことはありませんでした。

 冬の北京に行くと、ビンタンフールーという真っ赤な駄菓子が路上で売られています。ちょっと見ると焼きリンゴかな?と言った色合いなんですが、サンザシを串にさして外を水飴でコーティングした一種のスウィーツ。

 ハルビンでは見かけることがなかったので、北京当たりのお菓子なんでしょうが、北京の環境を考えると食べるにはちょいと勇気がいります。外側が水飴です。

 クルマが通ると巻き上がる土ぼこり、しかも有鉛ガソリンの排ガス、さらにあちこちで暖房のために質の悪い石炭燃やしてるから町中が曇って酸っぱい石炭の煙の臭気が漂っている。プラス今ならPM2.5。テレホンショッピングなら「更に最新型武漢コロナのウィルスも水飴にお付けしましょう!今から2時間在宅ワーカーの受付を増やしてお待ちしてます!」♪ゼロイチニーサン♪

 命がげで食うほどのもんじゃないと思うけど。

 サンザシと言えば、おそロシアでもサンザシのような実をジャムや果実酒などにして保存しますが、こちらは赤ではなくアンズのような大きさの紫色の実で、ブルーベリーを大きくした感じです。

 山の中に棘だらけの木が勝手に生えており、その身を摘んできて加工食品を作るのですが、まぁそれがバラの藪で、X-JAPN悔しかったら採りに来てみろ!と言いたくなるほど。サンザシもバラの仲間だったか。

 ロシア民謡の中にこの木を題材にした歌があったな、とCDを探っていると、ロシアお姉ちゃんコーラス隊のCDに「Цвiте терен(ツビテ テーレン)」という歌がありました。ロシア語ではない。ウクライナ語ですね。大地の花という意味かな?ロシアの村唄のような軽快なリズムの歌だったので、てっきりサンザシの実を摘む村娘の歌かと思ったら、そうではなかった。

 Youtubeを検索すると、この歌をバラード調にしたバージョンがあって、恋焦がれた人と添い遂げられない娘の悲恋の歌だったんですね。愛を知らない人は悲しみを知らないと語る「茨の花」の歌だったんですね。

 夜、ミルクも飲まずに恋した人を待ち、椅子に座ったまま夜が明けたのも気が付かず朝を迎える女性。

 私も失恋経験は豊富ですが飯を食えなくなるような事態はなかったので、夕飯も食えず一睡もせずにいられるとはよほど火急的問題だったんでしょうな。

 にしても、すげえ国だな!と感心するのは、ウクライナ出身の歌手ナターシャ・カリョロバを中心に、カザフスタンのアナスタシア・スピリドノバ、グルジアの盲目の歌手ディアナ・グルツカヤ、そしてカモミールの花束抱えて涙を流して歌うチェチェン系のザーラ。

 各国代表するようなそうそうたる顔ぶれで古いラブソングを歌う。

 なんだか、いい発見ができた一日でした。

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もしかしたら?

2020年04月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 紫モクレンの花が咲きだしました。いつもは連休明けに咲く花なのですが、娑婆は毎日がゴールデンウィークみたいなものなので季節感がおかしい。

 今日は一日体を休めることに専念しました。とはいえ、横になって過ごすのもなんとも忍びないので、椅子に座ってひたすら読書でした。

 ものぐさになったわけではないのですが、用がない時は家で過ごすが身についてきたのか?これもこれで慣れっこになると復旧に向かった時に怖い気もします。

 午後1時ごろ建物火災があり、1kmほど離れた場所なので赤色灯持って駆けつけて、消防団の交通部が来るまで車両の誘導などをしてました。

 1時間少々で鎮火しましたが、交通整理をしていると幼馴染の圭ちゃんが「おう!ごくろうさん!」と缶コーヒー差し入れてくれました。別段珍しい光景でもありませんが、ちょっと不思議な感覚が。

 圭ちゃんとは小学生のころから50年も付き合いがありますが、四角四面のお堅いまじめな人で、倹約家。

 前回差し入れをもらったのが忘れもしない2011年の12月17日。道路わきの風倒木の処理をしていたら「寒い中、頑張ってるなぁ。」と温かいはちみつレモンを差し入れてくれました。

 こりゃぁ、吹雪になるんじゃねぇか?なんていいながら、ありがたくいただきましたが、2日後に金ちゃんパパの金正日の死亡が伝えられました。死んだのは17日の朝だったことが後にわかりました。

 それ以来の差し入れですから、金ちゃん死んじゃったのかな?

 金ちゃん亡き後のごたごたを考えると、拉致委被害者奪還のチャンスなんですが、ニーハオや南ニダが災いしそうな気もする。

 今後の世界情勢を懸念しながらダイドーブレンドコーヒーをいただきましたが、現場近くの自動販売機で100円のダイドー缶コーヒー。一緒に並んでるボスやジョージアは120円。やっぱさすがケチの圭ちゃんだなぁ。このあたりの経済感覚の鋭さを感心しました。

 夕方、パンティーマスクで武装して本屋に出かけました。百田尚樹の新刊「バカの国」を買ってきました。あの作家も最近少々エキセントリックになりすぎて、N国党のおっさんと同様になってきましたが、何でも口出し過ぎ。物言いがだんだんストレートになってきたから、そのうち飽きられてしまうと思う。

 カエルの楽園の皮肉はよかったんだけどなぁ。

 帰りにスーパーに晩飯を買いに立ち寄ったら、498円のマスクが大量に並んでしました。この日曜に並んでいるのだから、もはやトイレットペーパーもマスクも十分あるみたいですね。2-3日前に山積みになっていた納豆は消えていました。

 それよりも2割引や半額セールが早々に売り切れてなくなっているのは問題で、そのうち10万円はいるのだからもっといいもん食えよ!と言いたくなってしまう。

 マグロのブツが2割引だったので、家でとろろ芋をおろしてどんぶり物にしました。

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憲法守って

2020年04月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 三日連続で氷点下の朝。でも日が当たりだすとポカポカ温かい。温度差がものすごい。

 昨夜の雷雨で降った雨が軽トラのシートにたまって凍っていました。

 春の初めのころなら「薄氷(うすらい)」なんて風流を楽しめるのですが、4月の後半でこれでは畑大丈夫か?と心配になってきます。

 3年ほど前は遅い春で、この時期まだ積雪が溶けずに残っていて、木々も芽吹く気配がない。そこに5月連休明けに能天気に蚕が孵化してしまい、餌にする桑がないので、朝暗いうちに下のほうまで出かけて行って、耕作放棄した桑畑で桑の葉泥棒してきました。

 そんな年でもこの時期氷点下にはならなかったけど。

 知人の農家宅ではハウスの中でトマトの接ぎ木をしていました。

 例年なら農協のハウスなどに奥様方が集まってワイワイ騒ぎながらやる日当仕事なのですが、「いわゆる、今、都会で流行りの在宅勤務ってやつよ。」と、ビニールハウスを持っている農家は自宅に持ち帰ってのハウスワーキング。

 ホームセンターなどに行くと、80円くらいの安い苗木から298円の高い苗木まであるトマトですが、高い苗木は接ぎ木した苗木で、病気に強い根に良い実をつける苗を接ぎ木したもの。こういう年なので、家庭で栽培する人も多かろうと、例年より多く生産しているみたいです。

 一軒のノルマが2千本。「猫の手も借りたい」ということで、小学2年生の孫も手伝っていましたが、5歳の孫はハウスの中でおもちゃで遊んでいるだけ。肝心の猫は「まだその時ではニャイ!」と、オヤジさんの膝の上で寝てましたから、この辺りが猫の手になるかどうか?のラインでしょうね。

 ハウス作業を眺めていたら役場からの緊急メールで、5月7日以降の学校の休校が決定したようです。小学2年生「えぇ~!面白くない!」

 「いっそのこと、繰り上げ卒業ってことにして、じいちゃんと一緒に百姓やろうぜ!ビニールハウス、もう一つ増築するか!」と、じいちゃんは大喜び。

 こうして農業後継者が誕生するのであった。

 夕方、山から下りてきてスーパーに総菜を買いに行ったのですが、予想道理県外ナンバーの車が駐車場にたくさん並んでいた。

 2-3日前には店に並んでいたスパゲティーがパスタソースとともに一斉に姿を消していたが、狙いはそんなところにはない。総菜コーナーに「5割引」のシールを手にしたおばちゃんが出てきたので、ここからが勝負。

 狙いは99円になるぶっかけうどんで、ご飯が炊ける前の食前飯として食べるにはちょうど良いサイズ。

 獲物を狙うイヌワシのごとく、総菜コーナー方少々離れた位置から狙いを定め、おばちゃんのステッカーを待っていると、やはり週末。都会から来た人たちがこの地域では暗黙のタブーとされている「先物どり」をやらかして、ステッカーが貼られる前のぶっかけうどんをかっさらっていってしまった。

 そのうどんを手におばちゃんのところにもっていって5割引きのステッカーを張ってもらう。「すいません、もう少し離れてください。」と、接近を断るのがおばちゃんのせめてもの抵抗で、5割引きステッカーを張ってさっさと退去してもらうしか術がない。

 日本国憲法なんて、世界から見れば地元の暗黙のルールみたいなもので、ルールが異なる異国からすればこんな非常事態の時期にもかかわらず、尖閣諸島でぶっかけうどんの先物どりをするのも「何がわるいねん!アルヨ。」でしかない。

 国連が機能していないのは自明の理で、WHOに関してはもはや死に体であるが、憲法守って国滅ぶを実感しながら食前飯はあきらめることにした。

 こうして、ご飯が炊けるまでの間に温泉に行って温まってきたが、すきっ腹で長湯したら疲れがドカッと出て、夕食を食べる前に寝てしまった。

 うどん一つで国家の在り方を考えてしまう今日この頃です。

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余計な回想

2020年04月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日に引き続き霜が降りる氷点下の朝でした。午前中は日が照ってきたら晴天で蒸し暑いくらいでしたが、3時ごろから冷たい風が吹き出して雨になり、夕方6時半ごろには雷雨となりました。

 1日で喜怒哀楽全部堪能したような奇妙な気象。そろそろ桜も花が散り始めてます。

 クルマで国道を走っていると電光掲示板に「県外への外出は自粛してください」と表示されていました。

 ふと思い出したのは家畜改良増殖法。牛さんや豚さんは県外に出るときには県知事の許可がないと出られないのです。伝染病などの感染防止策の法律なんですが、なんか、人間も同じ扱いになってきたのかな?

 県境に関所が立ち、往来する人々は通行手形がないと通れない。川端康成の「国境の長いトンネルを抜けると」はやはり「国境(くにざかい)」でコッキョウではないんだな。なんて思いながら掲示板の下を通りました。

 清水トンネルが開いたのは昭和9年で、そこから2年ほど川端康成は湯沢温泉に高半旅館に通っていたそうで、小説雪国は85年ほど前の時代の話ということになる。

 この小説のファンで関西からこちらに出かけてきて、ついに生涯をこの地で終えたミーハーな母のおかげで、駒子のモデルになったとされるキクさんというおばさんにお目にかかったことがありました。三条に住んでおられました。平成11年に亡くなったと伺ってます。

 キクさんがいた置き屋さんも幼少のころに行ったことがあります。高半旅館の坂の下の諏訪神社のあたりだったと思いますが、母がノートを手に当時を知る人にインタビューして、私は弟と二人で諏訪神社で遊んでました。そんなことをふと思い出しました。

 これだけ感染者が蔓延しているのに、国会議員の感染者が一人もいないというのも不思議な話で、中には夜のクラブ活動をしていた議員もいたようですが、人と会うことが仕事の国会議員なのになんで感染者が出ないんだろう?やっぱ仕事していないからだろう。

 こういう事態なら衆議院解散もないし、食うには困らないし、安心して過ごしているんでしょうね。

 寝たきりで介護者がいないと動けない議員もいたけど、御身大切でこういう時に何の役に立つんだろう?

 国からの給付金も早々には決まるようですが、異論があるならば受け取らなければいい。それだけのことです。たぶん、第二第三の給付金が出ることになると思うでしょうが、そのために年貢を徴収して、不作の時に配布するのが江戸幕府のお役目。

 村の野仏を調べると、天明や享保の時代のものが多いけど、大飢饉があった時代ですね。これは祈りの遺物という側面ばかりではなく、記憶としてとどめておく意味もあるんでしょう。先人の願いを忖度して、休みの時に野仏の周辺でも掃除しておこう。

 ウィルス発生国のニーハオでは海外に逃亡していた指名手配犯が感染を恐れて戻ってきて自首するケースが出ているようです。

 ニーハオの人民は今回の疫病を克服したニーハオ国に帰りましょう!そのほうが安全ですよ。なんかかつての北朝鮮帰還事業じゃないけど、そうやってお帰りいただくのが「人道」的な方策ではなかろうか?

 あまりにも穏やかすぎて、余計なことばかり考えてしまう半病人生活。

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花冷え

2020年04月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 朝5時の玄関の寒暖計が氷点下2度。氷が張っていました。花冷えという言葉はあるが、この時期に氷が張る寒さも珍しい。県境の山は積雪で真っ白になっていました。

 畑ではジャガイモの芽が霜にあたってしおれていました。またすぐ新しい芽が出るから大丈夫ですが、こうして新芽をやられて不作になることってあるんですね。

 先週、竹にはじかれて大けがしましたが、眼の腫れは引いたものの紫いろのあざは当分残りそうです。直撃した部分はまだコブのようになっており、朝鼻をかむと出血があるのでまだ内出血は続いているようです。

 試しにボルタレンと間違えて買ってきたボラギノールを塗ってみましたが、霊験はなさそうですね。

 寒いのでストーブで温めながらネットで落語を聞いてウトウトと居眠りしていますが、最近は関西の上方落語でも寝られるようになりました。

 町の学校給食に米を出している契約農家は、学校が休校で米が全然出荷できない。1年分契約料でもらっているので生活に支障はありませんが、「これだけコメが余るということは、各家庭の消費分が増えているってことだから、仕事や済まされている家は大変だろうな。」と心配してました。

 実際、私も一家四人自宅待機中の弟に一俵(60kg)送ったばかりですが、中高生の勉強になりそうな本も送ったところ、「そっちは手つけず。事態がもっと切迫したら読むね。」とガキども、勉強する気はなさそうです。

 女優の岡江久美子さんがコロナ肺炎で亡くなったそうです。年齢的にも近い世代なので、油断できないなと身構えたくなります。

 夕方、スーパーに行ったら、マスクに防止にサングラスで武装した奥様方がスマホを見ながら「岡江久美子が亡くなっちゃったんだってぇ。」と話していたのを耳にして、家でパソコン立ち上げてネットニュースで確認しました。

 スーパーと言えば、今日は珍しくマスクが店頭に並んでいました。「お一人様1パックまで。」と制限はありましたが、夕方まで並んでいるのが珍しい。ようやく品不足がおさまってきたのかな?5枚で498円でした。しかも中国製。誰も買わないわけだ。

 店内にはこれでもか!と言わんばかりに納豆が山のように積み上げられていましたが、週末に都会から買い出しが来るからほどなくなくなるのでしょう。

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死兆星落ちず

2020年04月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 風呂に行く道すがら空を見たら北斗七星が見えた。

 死兆星は見えなかったのでまだ死なないのだろう。と、言うよりも、まだ左目を良く開けていられないのでを、乱視の右目で複数に見える北斗七星を見ただけのこと。

 風呂では近所の年配のおじさんと一緒になりました。昭和3年生まれだから92歳になりますが、まだ畑に出て仕事をしています。この地区に同級生が4人いるはずですが、みな介護施設や病院に入っており、元気で飛び回っているのは一人だけになってしまったそうです。

 80歳ごろから田畑の仕事の目線が、「より多く収穫する」から「うまいものを作る」に変わってきたそうで、「畑仕事ってのも奥が深くて、この歳になっておぼろげに”作物を作ること”が見えてきたような気がする。」と言ってました。

 この界隈も耕作放棄地だらけで野生動物の住処になっている昨今、食糧難を懸念するなら今から手を付けたほうが良いと思うのですが、「田畑から離れるときは、すぐにまた戻せばいいと思って離れるんだろうけど、いざとなったらそう簡単なもんじゃない。継続させるってことは重要だったんだなぁ。」

 昨日あたり、スーパーの棚からスパゲティーやミートソースが消えたそうで、村の奥様方が「どうなるんかねぇ」と心配してましたが、スパゲティーなんて一年に何回食べるもんでもないし、ケチャップでナポリタンでいいじゃないか。不安に飲まれて衝動買いするなら、材木も買ってくれ。今なら大根よりお安い材木です。雨にあてなければ保存もききます。

 今日は一人仕事だったので、朝の電話の打ち合わせ以外は人さまと話をする機会がなかったのですが、これも日常よくあること。いまさら7割8割接するなと言われても困ったもんですが、なんたって過疎地で人がいないんだからどうしてみようもない。

 風呂では終戦直後の食糧難の時の話を伺いましたが、昭和20年は不作の年で、農作物の出来は悪かったが、自分たちだけなら食べるに困ることはなかった。それでも、親戚縁者や遠方から買い出しに来る人たちに無碍もできないので、「我慢」を分け合ったという話でした。「戦中よりも戦後のほうが大変だったなぁ。何やっていいのかわかんねぇだもん。」と言ってました。

 昭和一桁と言っても、この3年生まれあたりを境に雰囲気が違う。たぶん、実際に戦場に行ったラインだと思いますが、特攻隊で散華された方にもこの年生まれの人がいます。

 このおじさんは兵役に就くこともなく終戦でしたが、今施設に入っている近所の同級生は予科練に行ってたそうです。

 今年は春の薬師祭りが秋に延期になりました。「おめえさんに頼んでおきたいことがあるんだけど、忠霊塔の草刈りやっといてくれ。幼馴染の顔ぶれも入ってるからな。」このお祭りの準備の時に忠霊塔の草刈りをしますが、今年はそれも延期になるかもしれない。

 そこに祭られた人たちの顔を知る世代の言葉。妙に重たく感じるので、「暇見てやっときますよ。」とまた安請け合いしてしまったが、こうして余計な仕事は増えていく。

 「今接ぎ木しているトマトができたらご褒美にもっていくからな。」と、風呂を出ていきましたが、トマトが収穫できるのは夏。それまでは私の頭上に死兆星が落ちてこないってことかな?

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読み聞かせですか!

2020年04月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 三日ほど体を休めたので、今日は一日山仕事をしてきました。

 両目が開くようになったとはいえ、常時開けていられるわけでもないので、ほとんど左目を閉じた状態で仕事をしていましたが、汗が腫れた瞼から滲んできて痛かった。

 静岡産の新茶を持ってきたオヤジさんがいたので、山の中でお湯を沸かしてお茶を楽しみました。山桜がまだ満開です。

 朝は腫れた左目が紫色になっていましたが、夕方には紫色の内出血のシミが右目に瞼にも移行していました。右目は腫れてはいないのですが、紫色になってきてプチパンダさん状態になってきました。もしや、これはニーハオ由来の内出血か?日頃悪口ばかり言っているからニーハオの悪の組織(共産党含めあらかた悪の組織だけど)にやられたか?

 「右目と左目の間も紫色になったら、漫画のタヌキだよな。」と、言われ、鏡を眺めると、そう見えなくもない。狸憑きになったか?

 昨年の今頃と言えば、野党議員は国会に出てこないで長期休暇していたっけ。それでも休業補償どころか普通に給料もらっていたのだから図太い神経していると思うけど、昨年成立した法案ってもはや破綻したものもあるんじゃなかろうか?

 働き方改革ってどうなったんだろう?残業禁止、副業OKとか言ってたけど、自宅待機でしょ。副業どころか産業ガタガタ。

 復興に向けてこの法律が足かせになるんじゃなかろうか?

 それと、外国人労働者問題。出稼ぎ外人どうしているんでしょうね?休業補償されているのかな?口入席業者に。帰国したくても帰国もままならない。帰国難民が出てきそうな気配。ほどなく食い詰めてゾンビ化して悪いことしだすぞ。

 馬鹿げた法改正だと思っていましたが、1年で馬脚を現してきましたね。 

 リーマンショックのころ、山仕事にも外国人が入ってきたことがあったんです。スバルの工場がある太田市あたりに来ていた外国人の雇用が減ったとかで、雇用促進とやらで公園の樹木の手入れなどにホセだとかトニーニョだとかカルロスだとか名乗る外国人が来るのですが、およそ肉体労働スーパーヘビー級なので続かないんですね。日がな一日座ってこちらの仕事を眺めているだけの連中でしたが、またこんなのがやってくるのかな?

 こんなバカなことは長く続かⅡ。と思えることはよくしたもので長続きはしません。バブル景気の時がそうでした。今回のコロナ不況は?まだそんな気になれないからもう少し続くのかな?でも、明けない夜はない。

 夜、休校中の子供たちに読み書きを教えている80代の元学校の先生から電話があり、何か読み聞かせで面白い本はあるか?と聞かれたので、迷わず「小川未明の本!」と答えました。

 この暗いご時世に暗い物語はいかがなもんかと思いもするが、無責任な「元気」を押し付けるよりも、思慮を育むにはこの時期この話でしょう。安易に答えが氾濫しすぎる世の中、後世に答えが見つかるような物語がいい。何より小川未明は新潟出身。あのどんよりした雰囲気は雪深い子の土地の人間なら身にしみてわかる。と小川未明全集を持っていきました。

 成り行きで、雨で仕事にならないときに私が朗読して話をすることになってしまった。

 「牛女」と「小さい針の音」を読んでやろう!即座に思い浮かんだ二つの物語。

 「小さな針の音」には懐中時計が出てくるのですが、今の子供たちって懐中時計なんてわかるだろうか?引き出しを探して懐中時計引っ張り出して、さぁ、どうやってガキどもの皆さんを話の中に引っ張り込んでやろうか?と画策中。

 自分が老後の楽しみになっている。

 その前にパンダタヌキ顔から脱出せねば。

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雑話

2020年04月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨夜から雨が降ってましたが朝になってもやむ気配がない。 

 左目の腫れもだいぶ引いて目を開けられるようになりましたが、まだ両目での視点が合わない。案外今日の雨は救いの雨かもしれない。

 前日までの横になれば睡魔がやって来るともないので、椅子に座ってYoutubeの朗読を聴きました。目で読む読書とはまた違ったイメージがわいてこれも楽しかったのですが、声優さんや俳優さんの朗読って一味違うなぁとしみじみ感じました。俳優の上川隆也さんが芥川龍之介の羅生門を朗読したものが上がっていましたが、さすがだなぁと感心しました。

 俳優さんもこうしたご時世で仕事にならないだろうから、一人でもスタジオで仕事ができる朗読などスポンサーが出してくれないかな?なんて思いながら耳にしました。たぶん、目でもやられていなかったらこんなことに気が付きもしなかったでしょうから、百聞は一見に如かずとも言い難し。けがもまたヨシとしよう。

 高校の通学バスの中で羅生門を読んだころ同じころにフランソワズサガンの「悲しみよこんにちわ」、石川達三の「青春の蹉跌」などつながりのない作品を読んだ記憶がありましたが、70年代はまだ人気があったサガンも今ではその名も聞くことはなくなり十数年前に亡くなってしまいましたし、色気づいてきた頃に読んだ「青春の蹉跌」では、女性に興味はあっても「妊娠」は怖いよなぁ」と恐れる時代でした。やがて恐怖はAIDSに代わり、今はニーハオウィルスですか?

 3歳のころ結核になって、親元を離れて祖父母の下で暮らしたことがありましたが、毎晩おとぎ話をしてくれるんです。よくあれほどの物語を憶えていたもんだと、感心するほど、いろいろな昔話を本も見ずに語ってくれた祖父母でしたが、その祖父母の年代になった今、果たしてどれだけのおとぎ話を聞かせられるか?と考えると、ずいぶん劣っていると言わざるを得ない。そのころ聴いた昔話は今も脳裏に残っています。

 耳で聞く小説。どんなコンテンツが分かりやすいか?テーマとして腹の中に据えておこう。

 明日あたりからシャープ製のマスクが出荷になるみたいですが、今度はパナソニックもマスク生産に乗り出すみたいです。ってことは日立やNECのマスクなんてのも出てくるかもしれない。でもそこは家電メーカーだからいつの間にか生産拠点が海外に行ってしまって、なんてことは十分考えられる。

 今回のニーハオウィルス騒ぎではマスクがスケープゴートになってしまいましたが、そのうち値崩れ起こすことでしょう。

 それより食糧危機問題のほうが深刻になるかもしれません。ゴルフ場にサツマイモ植えることになるのだろうか?

 文字通り会員限定カントリークラブで、都会の紳士たちがマルマンやミズノの鍬を手にコースに畝を作っていく。農耕接触だがマスクはいらない。「チタンヘッドの唐鍬はぶれなくていいねぇ。」「たい肥はダンロップがいいよ。」なんてご満悦で、ゴルフと違うのは数振ったほうが偉い。6番ホールはトウモロコシで、7番ホールはジャガイモ。

 雨の日の駅のホームなんか、サラリーマンがみんな傘で田起こしする素振り練習をしている。休日の朝の街道には鍬のセットが入ったバッグを担いだゴルファーが乗り合わせのために待っている。

 そんな夢のような日が近づいているのかもしれない。

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二日も休めば

2020年04月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 朝、「えらいめにあったんだってな。牛に犬に今度は竹だって?」そやねん。今度はかぐや姫にやられてん。と、同級生がグレープフルーツを持って、孤独死していないか様子を見に来てくれた。

 我々が小学生の時に一世を風靡したゲゲゲの鬼太郎のような顔になっていたので、「前髪伸ばして顔半分隠せばダイジョブだ。」と言ってましたが、その前に腫れが引けちゃうでしょう。

 それより、昨日友人から送られてきたフリルのついたお手製のマスク、通称パンティーマスクをつけて玄関に出たものですから、「ブラジャーをマスク代わりにしているのか?」と、同級生は目を丸くしてました。若いおねえちゃんが自分の下着でマスク作ってくれるんで。もてるのは牛や犬ばかりじゃないよ。とからかいましたが、なるほど、このマスクして外に出るのはちょっと勇気がいるかもしれない。

 今年は4年に一度の同窓会の年ですが、「この様子じゃ延期が妥当だよなぁ。」あと1年くらい待ってでからやってもいいんじゃないか?なんて話になったのですが、中学卒業してから同級生が亡くなったのは4名。少ないほうだと思うけど、「恐山で同窓会して死んだ連中呼び出すべぇ。」なんて話になりました。

 そんなこと言ってると俺たちが5人目になるかもな。ということで、気を付けべぇや!と、グレープフルーツもらいました。

 ひさびさのグレープフルーツ。歯に負担をかけないように世に出た当時の食べ方をしようと半分に切り、グレープフルーツ用のスプーンを出して、砂糖は…ザラメしかないのでなしにしました。

 グレープフルーツが世に出たのは昭和47-8年ごろだったかな?味がどうのこうのというよりもこの食べ方が斬新でした。

 大型の夏ミカンは酸っぱいというのが世の常識だった時代に「甘い」という概念を普及させたグレープフルーツ。日本のミカン農家は大打撃を受けましたが、底力が違うので新品種を開発して次第に巻き返していくんですね。

 グレープフルーツはいつでもどこでも見かけるのですが、手を出す機会もなく、定食の付け合わせかこんな時でもないと口にする機会がなくなりました。久々に食べたらおいしかった。

 天気が良くなったので外に出てみると、昨日の大雨でたまった水たまりにアメンボが泳いでました。

 ひところ全く見かけなくなったアメンボですが、この何年かで頻繁に見かけるようになりました。

 1時間起きては2時間寝るペースで体力回復を心掛けましたが、横になったところで本を読むには片目ではきつい。しかも右目は極度の乱視と来ている。こういう時には朗読のCDもよかろうと、気取ってみたいのだけどろうどくのCDなんざ持ってない。落語のCDをかけながら横になっていると落語家さんには大変申し訳ないけれど、眠っていました。

 夕方には随分と腫れも引いてうっすら左目を開けられるようになりました。体力が落ちてくるとかつて蜂に刺された場所がポッコリ膨れ上がってくるのですが、右腕の跡は症状が出なかったけど、左太腿の蜂刺されの跡がぷっくらと盛り上がってきた。

 空腹感はないのですが、2日ほどまともに食事をしていないので、むりやりにでも何か食っておかないとやばいぞ。と、野菜スープと飯を炊き、炊飯器が煮込んでいる合間に共同浴場に行ってきました。

 共同浴場はコロナ対策で地区以外の人が入らないようにカギがかかっていますが、利用する各家庭は鍵を持っています。

 昨日、病院から娑婆に戻っていた時に全部着替えたのですが、シャツを脱いだら高齢者の匂いがした。

 お湯につかっていても汗が出てこない。これって風邪の症状にも似ているけれど、熱が顔面に行っているので手足が寒い。まだ、体がお湯をはじくのでそこそこ生命力は保っているようです。

 隣の女湯では沼田の中央病院で発生したニーハオコロナの話でもちきりで、どうやら伊勢崎の老人ホームでは集団発生した患者を受け入れていたようです。共産党系の病院なのでこうした落ち度が出ればみんなも黙っていない。

 「共産党のやることはこれだからたまったもんじゃねぇんだ。」「わざわざ伊勢崎からそんなもん連れてきて、こちらに蔓延させる腹積もりじゃねぇのか!」「混乱させるんが目的だよ。」

 まあね。医は仁術だからと思いたいけれど、日頃が日ごろの人たちだからね。善意があだになるのは善意を悪用するからかもしれない。

 納豆と卵焼きとサワラの西京焼きで久々の食事でしたが、片目では箸が思い通りに使えない。元々箸遣いは下手なのですが、狙いが絶妙にぶれる。噛むと歯が痛いので、ほとんど飲みこみましたが、何となく体力がついた感じ。

 明日には普通に動けるかな?

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寝たきりおじさん

2020年04月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 米農家に2兆円規模の支援策。

 ネットの記事見て、危険な山仕事なんかやめて耕作放棄した田んぼ借りて米作りをしよう!と思い立った。今年は冷夏と予想しているのでコシヒカリよりひとめぼれかあきたこまち。これから田んぼの準備を始めるなら、栽培期間が若干短いあきたこまちか?瞬時に脳裏によぎる。

 「米農家」ではなく、「米、農家」でアメリカさんのことか。期待もたせんじゃねぇや。

 昨日は何も食べずに、スポーツドリンクと牛乳を少々飲んだだけ。今日も魔がたたかれた歯が浮いて痛いので牛乳に浸してジャムパン一個と一昨日買ったポテトコロッケを食べただけでした。それでも体がもつのは寝ているだけだからかもしれませんが、もう少し食べておこうと、冷凍庫の中にコロッケを発見。

 電子連枝で温めるだけの頃ってというのは初めてで、先月、安売りしていたのを興味本位で買っておいたのですが、これがなかなかいい味わいです。なんかはまりそう。

 午前10時前に娑婆に戻ってきてから、昨日に引き続き、ほとんど家で寝て過ごしましたが、ずいぶん腫れは引いたもののまだ目を開けることはできない。幸か不幸か、一日激しい雨だったので寝て過ごすことに引け目はなかったのですが、睡眠は最高の治癒です。

 よくここまで眠れるなぁと感心しますが、治癒にエネルギーが行ってるから無駄なところに回さず眠れるんでしょうね。

 4-5年前に体調を壊してから体軸がずれているな、という感覚はあったんです。スキーもその頃からやらなくなったのですが、これはなかなか治りそうもありません。寝ながら体をまさぐってみると、足が細くなったなぁと感じました。体が軽くなった分歩くには楽になったのですが、脚力が落ちているのは実感してました。

 こうして年相応の衰えがやってくるのでしょうが、厄年というのはそういう転機になる年齢みたいです。

 横になっていても必要な情報?は入ってきます。知人から電話があり、沼田の中央病院で、病院職員3人が感染したというニュースが入ってきました。あそこは新築の最新式の病院で都会の感染者を入れているという話を聞いていたので、出るだろうなとは予測していましたが、病院とはそもそもそういうところなので、最前線に立つ人は覚悟していることでしょう。

 でも、あそこは共産党系の病院だから「国のためにようやった!」と、靖国に祭られることは好まないでしょう。

 隣の中之条町で最初の感染者は、コロナ疎開で東京から逃げてきた人だったそうで、ここからまた感染者が広がるでしょう。

 夜、弟から電話がありました。私が送ったマスクが届いたようです。高崎方面のドラッグストアーはマスクが入荷すると朝から販売していましたが、結局仕事がない高齢者などが店の前に開店前から並んで買い占めるだけなので、時間帯をランダムにして販売しているようです。そのタイミングで行けば何とかゲットすることができるみたいですが、緊急事態宣言というのならこうしたことから統制すべきではなかろうか?

 この弟は小学生の時にBCGを打っており、真四角のスタンプのような跡が残っています。私が結核やっていたので、その影響でツベルクリン反応がおかしかったんだなんて言われましたが、今になってみると「案外ラッキーだったかもしれない」と言ってます。

 人間万事塞翁が馬。巡り巡ってどうなることか?

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緊急入院でした

2020年04月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 警戒するのはコロナばかりではなかった。

 そうね、ブルーバードやギャランもあったね!ってな問題ではなく、竹にはじかれて入院する羽目になりました。

 お昼直前でこの一本切ったら飯にしようや!と言った時で、斜めになった竹だったので、変なテンションがかかっていてはじくことはわかっていたんです。真上にはじくだろう予想して、横から離れて切れ目を入れたのですが、その瞬間、絶妙なタイミングで風が吹いたんですね。

 こちらに来る!と、リングにかけろで言うならば志那虎の旦那の神技的ディフェンスで上半身をスウェイしたんですが、ジャングルのような竹藪です。背後の竹が風に押されて頭を押すんです。

 高嶺竜二のブーメランフックは左手のフックですが、竹のフックは右手のフックでした。

 ヤバイ!竹の幹がブーメランフックのように飛んでくるのが一瞬見えたのですが、ぶつかる瞬間、後頭部をこん棒で殴られたような衝撃が走りました。

 なるほど、全面からかかったエネルギーが後頭部から抜ける力学的な現象ね!と、膝から崩れ落ちたのですが、ヒマラヤ登山で経験したような心地よい快感と、血の匂いが漂って、とりあえずチェーンソーのエンジン切らなければと左手で音のあたりをまさぐるのですが、なかなか見つからない。

 正座状態で頭から地面に突っ伏した状態で起きようとするのですが、パソコンで言うならデバイスがつながっていない状態で四肢が思い通りに動かない。

 ようやく頭を持ち上げることができて、チェーンソーのエンジンを止めて、当人はカウント8くらいで立ち上がったつもりなんですが、その間5分ぐらいあったそうです。

 立ち上がると鼻から血がだらだら流れ出て、鼻の骨をやられたかな?と手でまさぐってみましたが、鼻は大丈夫みたい。左側のほほに直撃したようです。

 幸か不幸か、この施主さんの奥さんが病院勤務のナースさん。すぐ連絡とってもらって連れていかれたのですが、病院について鏡を見ると目が猪瀬直樹さんのように腫れてふさがりつつある状態。頬に軽くかすり傷がありました。

 とりあえず検査して一日病院で様子を見ることにしたのですが、今の時期、こちらのほうが不安です。とりあえず横になって寝ているしかないのですが、だんだん顔が腫れてくるのが分かります。

 準備が良かったというのか、仕事帰りによって行くところがあり、着替えなんかも持ってきていたのですが、入院を想定したような絶妙のタイミング。病室には今トレンディーな次亜塩素酸の発生装置が霧を吹いている。

 入院と言ってもただ単に寝ているしかないわけで、横になるということは偉大な治療です。顔面にエネルギーが集中しているので手足が冷える。口腔の中に血がたまっていくのが分かりました。時折起きて鼻をかんで喉にたまった血を吐き出して、また横になる。内出血をこうして抜いている自然の治療なんでしょうね。

 夕方4時ごろには体も温まってきたので、体温が上がればウィルスにも感染しにくい。体内治療が顔面から全身にエネルギー分散し始めたのでしょうが、顔の腫れ方はものすごくて、頬が宍戸錠になり、左目は完全にふさがりました。骨は異常ないけど、鞭でたたかれたような衝撃なのであちこちの毛細血管が切れたんでしょうね。

 叩かれた衝撃で歯が浮いているので食事もままならない。スポーツドリンク飲みながらのどを乾かさないように横になっていましたが、夕方から眠れるようになりました。

 熟睡という状態ではなくうっすら眠っては目が覚めて、鼻と喉の血を出して、また横になっているうっとり眠りだし、そのたびに夢を見るのですが、枕元にメモはない。

 恐ろしいほどよく眠って朝の検査で大丈夫ということになり娑婆に戻ってきました。

 大雨でやることもないのでもう一日寝て過ごす予定ですが、コロナ、大丈夫だろうか?

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緊急事態洗顔

2020年04月16日 | 日記・エッセイ・コラム

 全国に緊急事態宣言か?これ以上何がどう変わるんだろう?

 それより、オイル交換で抜いた真っ黒いオイルがゴム手袋についた状態で顔をこすっちまったもんだからそりゃもう大変さ。世界にニーハオ肺炎を拡散したWTOのテドロスさんみたいな顔になってしまった。

 顔に粉せっけんまぶして緊急事態洗顔さ。顔がひりひりする。

 今年は異常気象で3月末に桜が咲きだしましたが、4月に入って寒くなり、昨日なんか朝は氷が張っていたようなありさまなのに昼間はぽかぽか。おかげで桜の開花期が長いので、桜の花の下で昼飯を食べました。

 日頃気にしていないタンポポの花も、こうした殺伐とした時にはありがたいものです。中国人研修生が入る混んでいる農業地帯ではタンポポさえ見かけません。連中がみんなとって食ってしまうからです。タンポポどころか犬まで食われちまうのだから、中国人が住めない山奥はいいもんです。

 今秋から仕事がストップして自宅軟禁状態になっている一番下の弟から「米送ってくれ」とメールが来ました。なんたって、食えば食うほど腹が減る高校生の息子と、中学生の娘が、学校休校で一緒にいるのですからエンゲル係数莫大になります。一家四人で五合の飯が一回で消える。「質より量だから兄ちゃんの作ったコメでもいい」だそうです。明日にでも宅急便で米とイノシシの肉でも送ってやろう。

 すぐ下の弟からは「マスクがあったら送ってくれ」。先日の葬式で近所に配っちまったので手元は少ないけど、仕事で必需品みたいだから手元にあるだけ送っとこう。使い捨てではなく何度でも使えるマスクが理想なので、ついでに猫マスクも送っておこう。つけると何も見えなくなるのが文字通り盲点のマスクですが、ま、何とかするだんべぇ。

 緊急事態宣言の広がりで、またあれがないこれがないが始まるのだろうか?

 ソビエト崩壊直後のロシアの物不足時代を思いだしますが、大方の家庭は郊外にダーチャという家庭菜園床屋を持っていて、週末になるとそこで畑などを作っていたので餓死するような事態にはなりませんでした。最低限の食べ物はある、でもプラスアルファーがという行列でした。

 何か足りないものが出てくると、それなら代用になるものを考えればいいし、その前に今火急で必要な物なの?と考えると、案外そうでもなかったりする。

 でも悲しいかな、不足しているものにとらわれて思い悩む。悩んでいるというより、悩んでいるような自分によっているのかもしれない。

 ダーチャと言えば、彼らは自分たちで作った野菜などをそこに保存しておくのですが、盗みに入る不心得者も少なからずいます。そこで彼らの予防策とは、ピクルスや密造酒などに無味無臭の殺虫剤入りを混ぜておくんです。

 それを飲み食いした泥棒さんは、ま、死んじゃうんだけど、その薬の強烈さときたら身体が溶けてなくなってしまう。倒れた形に衣服だけが残っている強烈なもの。

 防衛の在り方として参考になる…かな?

 ダーチャと言えばシャシリク。シシカバブーみたいな焼肉ですな。

 ロシア人はこれをグルジアの料理と言ってますが、中央アジアから中東にかけて見かけます。こちらは羊肉ですが、ロシアでは牛肉が多かったです。

 日本のシャシリクを披露しよう!と焼き鳥のたれと串を持って行って、向こうでとり肉買って焼き鳥を披露したことがあります。最初は「小さい」とバカにしていたのですが、食べてみて「日本の食文化おそるべし」と感動してました。

 まだ桜も咲いているし、花の下でシャシリクでもやってみるかな。面白いもんでこんなことしているとウグイスなどが寄ってくるんです。

 一昨年、「この世界の片隅に」がブームになりましたが、大戦中の広島の呉が舞台。この人たちがまたよく食べるんです。食事のシーンがやたら多い。タンポポ摘んできたり、代用食作ってみたり、でも、案外戦火の中でそれが一番心の安定を保てたんじゃなかろうか?とりあえず食えるものを見作ろう。いつも食べられるものを考えている。

 手に入らないからと不平不満や娑婆に当たり散らす。これってニダやニーハオの風習ですね。

 「困ったのう」と言いながら何かしら見つけてとりあえずしのぐ。その飄々とした姿って日本人。泣こうがわめこうが事態が変わるわけじゃない。それなら行動してみるか。

 不安は常に持っておかないと暴走するし、不安のにところに安心もないけど、不安に飲み込まれたらその行先はあ・の・世。あの世ですねぇ。

 だから、そのうち何とかな~るだ~ろう~。

 え?お呼びでない。こりゃまた失礼!

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