のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

コンビニコーヒー

2014年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 日曜の昼間は霧雨状態で、大陸から飛んでくる気味悪いにおいが漂っていましたが、夕方から台風並の強風が吹きあれてにおいはどこかに吹き飛びました。

 

 消費税値上げイブです。今回の値上げを決めたのは民主党政権の時代の野田総理でしたね。
 ガソリン満タンにして取り立てて買い揃えなければならいものはキャベツだけでした。フキノトウも出始めたし、山菜食って堪え忍びましょうか。

 

 大型間接税なんて名称で消費税導入が取りざたされたのは昭和の終わり頃で、バブルで金遣いが荒かったから財源として大蔵省の期待はあったんでしょう。
 総量規制に始まる大蔵省の失敗で四半世紀に及ぶ長いデフレスパイラルの闇の中をさまようことになった日本ですが、マイナス思考の日本人、景気の「気」の部分が回復してきたとは到底思えません。

 

 それに比べて前向きで明るいというより陽気な大陸や半島。国家破綻目前の経済状況なのに、ぜんぜん苦にしている気配もない。食いつぶしたら後始末は日本に押しつけて自分たちはどこか別の国に出ることだけ考えている。この無責任さがうらやましく思えます。

 

 笑う角には福きたると言いますが、嬉しいことがあるから笑うのではなく、笑って明るくしていれば幸福は呼び込まれるという意味らしいです。
 あの隣国は「笑う」と言うより「妬み」の憂さ晴らしですから、貧乏神しか寄ってきませんが、日本人はもっと気軽になって良いのじゃないかな?しかめっ面していると死に神がとりつきますよ。

 

 人事異動の季節を迎え、顔なじみの役所の職員や学校の先生から「今度移動になります」と連絡が入ってきます。新顔が来るのも楽しみですが、なじみがいなくなるのも寂しいものです。

 

 昔、役所勤めしていた頃、年が明けるとデスクの電話の前を離れず、いつお呼びがかかるかと待ちわびている上司がいました。仕事の内容など見れば左遷か早期退職しか道はない人物でしたが、こういう人間を押しつけられた部署も大変です。稟議書など机の上に山積みになり、ぜんぜん仕事が進まない。しまいにゃ、この人飛び越してその上に持って行かなければならない有様。異動の連絡が入って当人以上に喜んだのは部下達でした。

 

 私は故郷に戻る前の社会勉強のつもりで気軽にお勤めしていたので、人事だ派閥だなんてものにも無関係で蚊帳の外にいましたが、立場の弱いものほどいじめのターゲットになる「組織」も見ることが出来ました。

 

 組織やグループの中に埋もれると強気になれる人間は多いみたいで、不遜な私は今も昔も「雑魚に興味はない」とこうした集団から一歩距離を取っているので「変わり者」の烙印を押されていますが、類は友を呼ぶで、いつの間にか周囲が変わり者のネットワークになっていました。

 

 さて、懸案だったコンビニコーヒーですが、消費税値上げ前に経験できました。

 

 四月から大学に進学する同級生の娘さんが、学費稼ぎにコンビニでバイトしていたので、「こうしてカップをセットして、ボタンを押せば・・・簡単でしょう!」と教わりました。ほんの3か月前に因数分解の解き方教えてやった子にコンビニコーヒーの淹れ方教わっている。これぞ文化交流!

 

 なんか、最近新しいことを覚えるのが面倒になってきて、若かりしころは”こんな簡単なことなんでやろうとしないだ?”なんて思ったもんですが、その簡単なことが億劫なんです。

 

 小さな一歩を踏み出し少し偉くなった気がしていますが、コンビニコーヒーもそのうち飽きられていつの間にか消えているのかな?
 

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米作り

2014年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 黒龍江省には戦前日本人の開拓団がたくさん入植していましたが、開墾するまでが精一杯で、コーリャンやライ麦など寒冷地での作物が作れた程度で、水稲を作るまでには至りませんでした。

 

 もとより稲は中国南の農作物で、そのために米を使った料理は南、北は麦を使った料理と分かれています。

140330  黒龍江省に田園が広がる背景には一人の日本人の献身的な技術導入がありました。

 

 岩手県の沢内村出身の藤原長作さんという篤農家が黒龍江省に日本の水稲栽培の技術を伝えに旅立ったのは1981年ことでした。

 

 藤原さんは稗や粟しか取れなかった沢内村の土地を、豊富な米が取れるまでに品種改良や耕地の改良を苦心してきた人でした。

 

 おりしも、米あまりに陥った日本では「減反」政策の嵐が吹き荒れ、農家が米を作ることが行政にとって悪いことのような押し付けがありました。 

 

 日本の米作者にとってこれほど人をばかにした政策もなく、米は全て食糧庁のおめしあげで、米を出荷する事は「供出」などとよばれていました。しかも、10年前に冷害が一度起こっただけで米不足、外国米の輸入自由化、まったく機能をしていなかった食糧庁は解散し、米の価格も完全自由化になりました。

 

 が、1981年当時は米作りにまったく意欲がわかないほどの社会状況でしたし、農家が米を作るのは田んぼの維持や、長年の習慣のような部分もあったように思えます。

 

 藤原さんは日本のこんな状況に失望して日中友好協会の招きで黒龍江省に米作の指導に来た感じもします。

 

 最初に訪れたのが方正県の富余村で、この地の農家の田んぼを借りて生産性の高い水稲作りの実験が始まりました。当初は藤原さんが68歳の老人だったこともあり、農家がなかなか信頼せず、県が損害が出た場合の費用を保障して田んぼを借り受けました。

 

 当時の田んぼつくりは水田に種籾を直播する原始的な農法で、手間はかかりませんが込み合いすぎて病気が出やすかったり、村が出たりする農法でした。イモチ病になるにはもってこいの農法です。温暖な南のほうでインディカ米を作る場合は直播でも問題ないのですが、ジャポニカ米は病気に弱いので健康な稲を育てるところから始めなければなりません。

 

 畑に稲もみを播種し、ビニールシートで覆って発芽させ、15cm程度に育ったら間隔を保って稲を植えつける日本式の栽培技術ですが、農民の目には間隔を開けて田植えをする日本式の農法には、収穫量が減るのではと懐疑的だったそうです。

 

 当初は話半分に傍観していた農民たちもだんだんに藤原さんの熱意に引きずられるように興味を持って行きます。収穫高も彼らが今まで行って板のほうとは比較にならないほど良かったこともあって、次第に藤原さんのところに農法を学びに来る農民が増えてきたそうです。藤原さんにとっても学びに来る人たちの熱意が嬉しかったそうです。

 

 冷害に強く、収穫も高い日本式農法の導入で米作の機運は一気に高まり、わずか5年間で方正県の田んぼの面積が7倍になり、中国でも有数の米の産地になりました。

 

 あえて「日本のおかげ」なんて言うこともないし言われたくもありませんが、交流と言うのはこちらからも相手側からもやり取りがあって交流で、一方的なものは「押しつけ」と言うんです。

 

 第三者が他人のふんどしで相撲取るのも恥ずかしいですね。

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庖丁

2014年03月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 コンビニのコーヒーが人気なんだそうですが、まだ一度も飲んだことがありません。そのうち試してみようと思っているうちにブームが去って店頭から消えているんだろうか?

 

 マックシェークのコンビニ版のセブンイレブンシェークも一度買ってみようと思っているうちに消えてしまいました。

 コンビニコーヒーいつ飲むの?今でしょ!と、消費税が上がる前に意を決して!と出かけた結果、おでんを買って帰ってきました。

 

 どうやって買えばいいのかわからないので、誰かが買うのを見てからまねしようと思っていましたが、誰も買わないのでどうしようかな?と戸惑っているうちに私の順番になり、無難なところでおでんになってしまいました。

 

 クルマの中で「なんでこうなったんだろう?」とおでんを食べてからなじみの喫茶店にコーヒー飲みに行きました。最近、あまり見かけなくなってサイフォンで落としたコーヒーを出してくれる店で、月に一二度来てはビックコミックとビックコミックオリジナルを読んできます。

 

 今日はお目当ての本に先手をつけられてしまいましたが、元学校の先生がいていろいろ雑談できました。文字通り茶飲み友達を探しに喫茶店に来ているみたいで、ちょうど顔見知りの私が入ってきたのでいい暇つぶしになったそうです。 

 

 私が来るまで店にあったコミック本の「包丁人味平」を読んでいたそうで、「生徒にマンガを読むなと叱りながら今では自分が漫画づけになっている」と笑っていました。

 

 漫画と言っても侮るなかれ、興味を持てば何かを得るきっかけになりやもしれません。

 そんわけで今日は庖丁の話題です。

 

 庖丁の「庖(くりや)」という字は台所という意味で、「丁」は丁さんという紀元前4世紀ごろの牛肉料理の名人の名前のことだったそうです。庖丁の語源は「料理人丁さん」という意味でした。

 

 この料理名人が使っていた肉切り刀を庖丁刀と呼ぶようになり、やがて料理人のことを庖丁と呼ぶようになりました。それがいつのまにか料理人が使う刀を称して庖丁と言うようになりました。

 

 日本料理と比べると中国料理で使う庖丁は種類が少ないのですが、庖丁の基本的な使い方もたたき切るように使うので異なります。中国料理では料理人が使う大きな四角い庖丁を思い浮かべますが、一般家庭では日本と同じような庖丁を使っています。やはりあの大きな庖丁を使いこなすにはそれなりの修練が必要なようですが、料理人たちは実に巧みに使いこなして、こまかな細工料理なども庖丁一本でやってしまいます。

 

 中国料理で使われるまな板も日本のものとは違います。最近は衛生上の問題もありプラスチック製に変わりつつありますが、丸くて分厚い形状は変わりません。日本のまな板が木を正目に挽いたものを使うのに対して、中国では丸太を切断したものをそのまま使っていた名残でしょう。素材をあの大きな庖丁でたたき切るには衝撃に強い大きな厚みのある丸太が適しています。

 

 フランス料理などは基本的にまな板がないのだそうで、そのために何種類ものナイフを使って手のひらの上で細工するようです。

 

 まな板は日本語で、皇室では魚のことを「おまな(お真魚)」と言うそうで、真魚を料理する板なのでまな板です。ちなみに「サカナ」は「酒菜」酒のつまみのことなのだそうで、酒のつまみに魚がよく使われたので、江戸時代頃から魚を「サカナ」というようになったようです。

 

 コンビニコーヒーでは得られない深みが喫茶店のコーヒーにはありました。

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リサイクル

2014年03月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 衛生テレビ放送が一般的になってきた時代の話です。赤道近くのインドネシアではパラボラアンテナを真上に向ければ衛星放送が簡単に受信できる恵まれた地理的条件を備えていました。

 

  インドネシア政府はテレビの普及を目的に、地方の各市町村にパラボラアンテナを配給しました。

 インドネシアには1万を超える島があり、行政府はあっても電気がない島もあります。そこにパラボラアンテナが送られてきても・・・。

 

 ところがその村の村長さんは発明家のアイデアマン。パラボラアンテナに鏡を砕いて貼り付け、太陽光を集めて焼肉ができるコンロを作ってしまいました。

 

   侮れない、絶対伸びてくると思いましたが、今や新興工業国として突っ走っています。今あるものを再利用して別の物を作り出す。既成概念に縛られない発想の豊かさ、アイデアは必ず新しい芽を育てます。

140328_2 思いつくだけでもたいしたものですが、それをやってしまう行動力こそパワーです。

 

    現在の日本の自動車は世界一高いリサイクル率を持っているそうで、部品一つ一つが原材料に還元されるシステムができています。

 

 せっかくのシステムも中古車が国外に行ってしまえば役に立ちません。

 

   旧ソ連製の自動車は故障ばかりしますが、構造が簡単なので修理も簡単。ここまで使うか?と不憫になるほど過酷に使われ、いよいよスクラップか?と思いきや、さらにここまで酷使される。

 

  ロシア人の柔軟な発想も侮れないなと感心しています。昭和30年代の日本も廃車になったトラックの荷台を切り取って、牛や馬に引かせる光景がありました。

140328a  私が子供の頃の林業など、牛に荷車引かせて山に行き、切り倒した材木を牛に引っ張らせて道まで下ろし、荷車に積んで牛に引かせて戻ってくるような時代でした。

 

    懐かしいな、明るいな、楽しいだろうなと眺めてしまいます。これはこれで、人生の深みがあって素敵な光景です。

 

 世界的な原油高の中、産油国ロシアもガソリンの値段は高騰し庶民にふところは厳しいのは同じです。

140328b  化石燃料消費しなくても草を食わせれば動いてしまうエコロジーな動力。メタンガスは少々出すものの、資源保護への多大な貢献をしています。

 

    近代化、機械化、デジタル化、あわただしく世の中は進化していますが、小手先の移ろいに翻弄されず、泰然としている人たちの魅力的なこと。急ぎ足で生きる人たちと、スローライフを決め込んでいる人たち。本当の脅威はこの逞しさにあるような気もします。

 

 物を原料に戻すリサイクルももちろん重要ですが、物を物として違う道筋で使えるリサイクル。これは私たちの生活の中でも可能なことだと思います。ユニークな発想が新しい製品を生み出すかもしれませんね。

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会議は踊れ

2014年03月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 消費税が上がるまで秒読み段階に入りました。今のうちに買いだめと思っても基本的先立つものがないのですから、どうして見ようもありません。

 

 庶民が薄氷を生む思いで選択を迫られている中、御国の方もロシアのクリミア問題を巡ってきわどい選択を迫られているようですね。一歩引いてみれば国連のパフォーマンスで、日米韓の三者会談みたいなもの。

 

 プーちゃんだってロシア国内の人気取りにクリミア編入を持ち出したわけで、この程度のことで一戦交える気もないでしょう。夢は大きくどうせねらうならウクライナ編入でしょう。

 袖の下を渡して人を腐らせていく中韓の外交戦略と違って、コブシで語り合おうか!と言うプーちゃんの戦略はある意味正統派の王道。ヨーロッパ諸国はしたたかにそこを見抜いていますから冷静です。

 

 それより、G20のクネちゃんは居場所がなさそうでしたね。実際、来年の今頃の会議ではいなくなっているかもしれないけれど、狼少年外交のつけが回ってきたみたいです。体調不良と言う名目で晩餐会も出なかったようですが、1人寂しくホテルの部屋で携帯電話ギャラクシー片手にマッコリ飲みながら激辛ラーメンでも食べていたんでしょうか。

 

 ご近所を見渡せばこういうおばさんよくいますよね。井戸端会議の話題の先陣は他人の悪口から始まるおばさん。

 

 「どこそこの家は父ちゃん失業中なのに初ガツオなんか食べているのよ、ニダ」と会話に入り込んできて、いつの間にか会話の中心になっているんだけど、そのうち煙たがられて少々卑屈になるおばさん。

 

 このおばさんが何を勘違いしたか?ハイソサエティーなセレブが集まる社長会議などに出かけようものならそりゃもう見劣りしますわな。お得意のご近所の悪口も相手にされないし、噂話は地獄耳でも教養ないからセレブ達の会話にもついていけない、お食事会でも日頃立ち膝で犬食いしているから、行儀よく食べられない。

 「ちょっと、持病の癪がでて、スミダ。」とホテルの部屋に引きこもる。

 

 
 「私が悪いんじゃない、ニダ。父ちゃんが出世しないから、こんなに惨めな思いしてる、ニダ。妬ましい、ニダ。恨む、ニダ。所詮我が社は中小企業、ニダ。」 すねては見ても、中傷企業なんだけどね。

 

 そんな苦悩があったんでしょう。翌日、小浜社長が「知ってるよね、ボクのゴルフ仲間の安部ちゃん。一度話してみたら。」と顔合わせしてくれたのですが、うっかり口を開けば品のなさが露呈してしまうので、一つ突っ張って気位の高さを見せてやろうとツンツンしてたらそれが逆に非難を浴びてしまう。
 「安部ちゃんじゃなくて、真紀子ちゃんが来てくれれば良かったのにスミダ。ヨナちゃんの気持ちが良くわかる、ニダ。ヨナちゃんは国外で生活できてうらやましい、ニダ。恨む、ニダ。ニダ、ニダ!」

 

 唯一仲良くしてくれたのが産廃業者の習社長。金は持っているけど品がないのでこういう席ではいつも浮いている。

 
 「ハーイ!クネちゃん。私も韓流ドラマ好きアルよ。イ・スンマンいいの男アルね。」
 クネちゃん企業はその昔習社長の下請け工場でさんざんひどい目に遭わされたけれど、基本的に社風もにている。

 

 
 「安部ちゃんや小浜ちゃんと手を切って私の会社の下請け戻るがいいヨ。お金なんぼでもありまんねんアルよ。この世はすべてお金アルよ。私たち正しい考え方持っているアルよ。あんな気取った連中とつきあったっていいことなんもないアルよ。」

 今までさんざん売掛金踏み倒されてきたにもかかわらず、下請け根性が抜けきっていないからついついなびいてしまうクネちゃん。

 

 「クネちゃんのとこのカバのゴーカンスタイル。あれ最高アルよ。私、肥満対策に腰フリフリしているアルよ。」 フリフリ フリフリ

 「カバのゴーカンスタイル????サイのカンナム(江南)スタイルのこと?ハシミカ。」

 「そうとも言うアルね。イタリアでパッシングされたみたいアルが、イタ公は芸術わからないアルよ。中国は4千年の歴史アルよ。」 フリフリ フリフリ

 「ウリナラはもっと歴史古い、ニダ。ウリナラのオリジナルは世界に普及している、ニダ。でも、習さんさすがによくわかっている、スミダ!」

 「パクさんとリーさん元気アルか?クネちゃんのとこで開発したパクリあれ世界一の技術アルよ。」 フリフリ フリフリ

 「パクリもウリジナルニダ!歴史を軽んじる国にはパクリは使えない、ニダ。習さんとこと、ウリナラだけでパクリを独占する、ニダ!」

 「やっぱ、クネちゃんは話が分かるアルよ。これから仲良く手を取りあって行こうアルよ。」 フリフリ フリフリ

 

 
 習社長はそういってみてもクネちゃんの所の社員が無能で使い物にならないことを知っているから、面倒見る気持ちなんざさらさらない。調子いいこと言ってみても経営破たん目前のクネちゃんの負債引き受けるほど余裕もない。何しろ自分のところが張り子の虎なんですから。

 

 習社長は安部ちゃんや小浜ちゃんが注目してくれれば満足。でも、クネちゃんにすれば目の前に餌をぶら下げたようなもので、「人生いろいろ、スミダ!」とクネクネとすり寄っていく。

 

 そんな会議の中で、すでに安部ちゃんも小浜ちゃんも竹島工場の北に防衛ラインを設定し、クネちゃんの会社でも労働組合が勝手に動きだし、海軍なんぞ日本を仮想的国にして軍備増強して無駄な設備投資している。

 

 会議は踊るじゃないけれど、こんなことしている間に世界はこっそり動いているのかもね!

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島よ

2014年03月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 その昔、フランスと言う国にナポレオン・ボナパルドと言うおじさんがいました。このおじさんはとても喧嘩が強く、ヨーロッパ各地を占領して一大帝国を築き上げましたが、ロシアとイギリスにちょっかい出したのが運のつきでした。

 

 ロシアなどモスクワを占領しほぼ勝利を手中にしましたが、ロシア人はしたたかなので骨まで切らせて叩き潰す戦略をとります。国の重要人物は忽然と姿を消してひたすら冬を待ちます。冬が来て、このままでは閉じ込められてしまうとフランスへ戻るナポレオン軍を突然出現したロシア軍がケチョンパンに叩きのめして「勝った!」と勝ち名乗りを上げてしまいます。死んだふり作戦ですね。

 

 これが運のつきでナポレオン軍は各地から次々と撤退を余儀なくされてしまいます。ナポレオンが占領した地域では自動車が左ハンドルで右側を走る。と、ナポレオンを寄せ付けなかったイギリスは日本と同じ右ハンドル左側通行に誇りを持っています。日本の中古車がたくさん走っていた時代のロシアなど右ハンドルのクルマが右側を走っていたものですが、なんだかロシアの立場を象徴しているように見えました。

 

 ナポレオンの末路はアフリカの左側の英国領セント・ヘレナ島に流され、一説ではヒ素による毒殺をされたと言われていますが、孤独の死を遂げました。

 

 シャンソン歌手のセルジュ・ラマがその悲哀を「Une île(島)」と言う歌にしています。いろいろな歌手が歌っていますが、ギリシアの歌手ナナ・ムスクーリの創唱がきれいです。

Une île
Entre le ciel et l'eau
Une île
Sans hommes ni bateaux
Inculte
Un peu comme une insulte
Sauvage
Sans espoir de voyage
Une île
Une île
Entre le ciel et l'eau

島よ、空と海のはざま 行きかう人も船もない

外に出る希望もなく荒涼として人を見下す

島よ島よ空と海のはざま

Ce serait là, face à la mer immense
La sans espoir d'espérance
Tout seul face à ma destinée
Plus seul qu'au coeur d'une foret
Ce serait là dans ma propre défaite,
Tout seul, sans espoir de conquête
Que je saurais enfin pourquoi
Je t'ai quittée, moi qui n'aime que toi

ここには夢も希望もなくはてなき海をのぞむ そんなところさ

すべての孤独は自らの運命に向き合い 森の中よりさらに孤独

敗れ去り征服への夢も消え孤独だけがここにある そんなところさ

お前だけを愛していた私がなぜおまえの元を離れたのかやがてわかるだろう

Une île
Comme une cible d'or
Tranquille
Comme un enfant qui dort
Fidèle
A en mourir pour elle
Cruelle
A force d'être belle
Une île
Une île
Comme un enfant qui dort

島よ、金色の的のように眠れる子供のごとき静けさ

まさしく私はここで彼女のために死ぬのであろうなんと残酷な美しさだ

島よ 島よ 眠れる子供のような

Ce serait là, face à la mer immense
Là pour venger mes vengeances
Tout seul avec mes souvenirs
Plus seul qu'au moment de mourir
Ce serait là, au coeur de Sainte-Hélène
Sans joie sans amour et sans haine
Que je saurais enfin pourquoi
Je t'ai quittée, moi qui n'aime que toi

はてなき海をのぞみ私は報いを受ける ここはそんなところさ

すべての孤独は思い出とともに 死の床につきさらに孤独

喜びも悲しみも憎しみもないセントヘレナ島 ここはそんなところさ

お前だけを愛していた私がなぜおまえの元を離れたのかやがてわかるだろう

Une île
Entre le ciel et l'eau
Une île
Sans hommes ni bateaux
Inculte
Un peu comme une insulte
Sauvage
Sans espoir de voyage
Une île
Cette île
Mon île, c'est toi

島よ、空と海のはざま 行きかう人も船もない

外に出る希望もなく荒涼として人を見下す

島よ島よ私の島よそれはお前

 

 だいたいいこんな意味の歌です。ナナ・ムスクーリは昔から好きだったのでレコードも何枚か持っていましたが、昭和の終わりごろかな、「Alone」と言うタイトルのアルバムが出て、この歌を英語バージョンのラブソングとして歌っていました。

 

 フランスでの「あなた」がフランスと言う国を思わせるナポレオンの心境を感じさせるのに対して、英語版は恋人に対する「あなた」に感じてしまいます。

 

 ライナーノーツにはセルジュ・ラマの作詞作曲とありましたが、当時はシャンソンのことをよく知らなかったこともあり、”輪廻転生なさるかたかしら?”なんて想像していました。

 

 ナナ・ムスクーリはすでに現役を引退したそうですが、二十数年前に日産シーマのコマーシャルで彼女がスキャットで歌う「アルファンブラの想い出」が使われたことがあります。

 

 日本では70年代初頭に某国営放送のハリー・ベラフォンテのコンサート放送にゲストで出た彼女が紹介されて注目を浴びました。実は私もその時知ったのですが、アメージング・グレースをアカペラで歌っていました。その後、元トワ・エ・モアの白鳥英美子さんがアメージング・グレースをアカペラで歌うようになり、アカペラがもてはやされますが、私的にはナナ・ムスクーリが元祖だと思っています。

 

 Aloneのライブ盤です。

Alone between the sky and sea
An island
Reaching out to me
Neglected
A world apart rejected
It's wild shore
Deserted and unsought for
An island
An island
A vision calling me

空と海のはざまで私の手の届かぬ孤独な島よ

浜辺は野生のまま隔絶され拒まれ忘れ去られた世界

荒れ果てて誰も訪れない島よ島よ 私の目に映る景色

 

An island in the setting sun
Alone
At peace when the day is done
Protected
It's secrets undetected
Illusion
Untouched and in seclusion
An island
An island
At peace when day is done

夕日に沈む孤独の島 日暮れの平和に守られ

知られることなき秘密を持ち 幻想 触れることも近づくこともできない

島よ島よ 日暮れの平和に守られた

 

I must go there
Without the crowds around me
There with silence to astound me
Alone to face my destiny
To understand what life might be

取り巻きの者もなく私はそこに行かなければないのだ

そこには私を驚愕させるほどの静寂があり運命に向き合う孤独がある

生きることを知るために

I must go there
To take my future chances
To turn away the backward glances
Then in that moment I will know
Why we are apart
When still I love you so

過去を振り返り未来の機会をつかむため私はそこに行かなければならないのだ

そしてその時私は知ったのだ

私はあなたを深くあしていたのになぜ別れたのかを

 

Alone between the sky and sea
An island
Reaching out to me
Neglected
A world apart rejected
It's wild shore
Deserted and unsought for
An island
This island
My island is you

Is you
Is you

空と海のはざまで私の手の届かぬ孤独な島よ

浜辺は野生のまま隔絶され拒まれ忘れ去られた世界

荒れ果てて誰も訪れない島よ島よ 私の島よそれはあなた

それはあなた それはあなた

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密輸?

2014年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 台湾では、台湾と中国のサービス分野での貿易協定に反対する学生たちが立法院を占拠する事件が起きていましたが、日本のメディアはほとんど報道していませんね。日本で言うなら学生デモ隊が国会を占拠したようなものなんですが。

 

 台湾が中国に乗っ取られると学生たちは懸念しているようですが、その可能性はありますね。と冷ややかに見ながらも、アメリカに日本が乗っ取られると安保反対して東大を占拠した学生たちのことを思い出します。

 

 台湾問題のほうがよほど深刻だと思いますが、何で大きく報道されないのだろう?

 

 台湾とは逆に日に日にかかわりが薄くなっていくことを望みたい人民中国向けの材木のコンテナー詰めに行ってきました。いつ経済がドカンといってもおかしくない国ですから今回が最後の出荷じゃなかろうか?と毎度毎度さようならのつもりでコンテナー見送っていますが、当人たちはまだビジネス続けるみたいです。希望とはいいものです。

140325 これも毎度のごとく材木の間に密輸品を詰め込むのですが、今回は掛け軸や古民家から出てきた家具などの骨董品。密輸じゃねえの?

 

 大連から来たと言うバイヤーのおねえちゃんに、どこで見つけてきたの?と聞いたら、解体業者が古い家屋を解体した時に出てきたものを買い取ったのだそうです。

 

 こんなもの中国に行けばいくらでもあるじゃないかと言うと「中国にあるのはみんな偽物。 日本の物は品質が全然違う」アルヨ!

 でものこれ、文化財持ち出したらあなた逮捕なるよ。あなた、ラオガイ(労働思想改造所)に送られて、大変よ!と聞くと

 「日本のラオガイ、中国ならホテルよ。」

 あなた、今度日本に来るは中国の古いの壺持ってくる。私うれしいなぁ。

 「それ大きいの問題よ。私本当にラオガイに行く。殺されるよ。」

 などと大連の馬鹿ねえちゃんとワイワイ騒ぎながらコンテナー詰め。材木の間に日本の重要文化財入れて、また材木でふたをして荷造り完了。

140325a  日本では売り物にならない品質の悪い材木は、中国で合板に加工されます。あの国はあの国で森林を粗末にしてきたため木材不足で森林伐採が禁止されています。

 

 最近日本に入ってくる合板も中国以外の国で作ったものが増えてきているようで、はたしてこんな出荷がいつまであるのか疑わしくなっています。

 

 およそ環境にはりょなどない工場で合板に加工され、あの国の環境汚染に一役買うことになるのでしょう。良いことをしているのか悪いことをしているのかはなはだ疑問です。

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アルメニア

2014年03月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 旧ソビエトから独立した国家にアルメニアと言う小さな国があります。黒海とカスピ海の間、東にアゼルバイジャン、南にイラン、西にはトルコ、北はグルジア。やばそうな場所でしょ。

 

 文化の十字路と言うこともありますが、昔から移民を多く輩出している国です。シャンソンの巨匠シャルル・アズナブールもアルメニア系ですが、アルメニア系の姓にはYanが末尾につく姓が特徴的で、オーケストラの指揮者のカラヤンもアルメニア系です。剣の舞のハチャトゥリアンもアルメニア人です。ちなみに「おてもやん」は熊本です。

 

 USAではユダヤ系、アイルランド系と並んで三大移民大国などと呼ばれておりますが、近年は韓国系や人民中国系の移民が多くなっているようです。前者と後者の違いは、前者は優秀な人物が多数出ていますが、後者はクズばかりだと言うことでしょう。

 

 19世紀から20世紀にかけてアルメニアではオスマントルコによる大量虐殺があり、首都エレバンのトルコ国境近くには、国境の向こうのアララト山を望むように虐殺された人々の名を刻んだ碑が立っています。

 

 日本がトルコと仲が良いこともありますが、こうした悲劇にあざとく食いつくのがコリアンで、USAのグランデール市に設置されたキム・ヨナ像にはアルメニア系移民まで巻き込んでいます。

 

 コリアンの悲劇はファンタジーですが、アルメニアの悲劇は実際に起きたことです。が、組んだ相手を間違えたので「本当にトルコによる虐殺があったのか?」と疑う声も強くなっているようです。交友関係は気を付けなければなりません。

 

 この後アルメニアはソビエトに組み込まれてしまいますが、実際どちらが悲劇だったのだろうか?

 

 ソビエトの巨大な穀物地帯だったウクライナなど、豊作の年に翌年の種もみまでソビエト政府に供出させられ、当然、翌年は畑にまく種もないのですから大飢饉。人口が三分の一になるほどの死者を出してしまったわけです。

 

 ソビエト末期には大規模な灌漑農業の結果畑に塩害が出てしまい使い物にならない荒れ地になってしまい、人件費高騰のEUからは安い労働力に目をつけられて工場が進出してきたものの、品質管理がとても無理と見きられて手を引かれるありさま。

 

 ソビエト内でも大きな国だったウクライナでさえこの有様ですから、小国で大した資源もないアルメニアが良く立ち回っていると感心します。

 

 アルメニア系ロシア人ザラーが歌うDle Yamanと言うアルメニアの古い歌です。愛する人を亡くした」と言う意味らしいです。

 

 ザラーはクルド系トルコ人の血を引くアルメニア系ロシア人。いったいどれだけ長たらしい民族なんだ?本名ザリーファ・パシャエフナ・ムゴヤン。ザリーファが彼女の名前。お父さんはパシャエフ、ファミリーネームはアルメニアの姓ムゴヤンですね。生まれはサンクトペテルブルグです。ザーラは聖書に出てくるサラと同じ意味で、セーラ、サーラなど西側でもある名前ですが、アルメニアに多い名前と聞いています。

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白鼻心

2014年03月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 白鼻心と書いて「ハクビシン」と読みます。

 この野郎が悪いことばかりするので害獣の上位にランクインしています。

 

140323 ハクビシンは元々日本にいた 動物ではなく、比較的近代になって毛皮を取るために中国から輸入された動物です。

 

 それが逃げたのか、誰ぞが放したのか、やたらと増殖していて人様の畑を荒らしたり元々日本にいた在来種の動物にまで影響をもたらしています。

 

 今風にたとえれば、安い労働力や少子化で経営難になっている大学が学生を求めて海外(と言ってもおもに東の特定な国家)から人材を入れたらドロンと消えて、あちこちで不法なことをするばかりか犯罪をまき散らして治安を脅かしているようなものです。

 

 同じように大陸から入ってきた先輩にはネコがいます。仏教の経典をネズミの被害から守るために中国大陸から持ち込まれたと言われています。

 

 ネコはあのざまでもエリートだったんです。近年、出世したネコの中には駅の駅長を営んでいるネコもいます。

 

 それに比べてハクビシンは見てくれはかわいいけれど、人民ニーハオ人のごとく目の敵にされています。この先、人様のお役に立って社会的な地位を作れるか?と問われると「無理です!」。

 

 ハクビシンは狩猟許可なしに捕獲してよい動物に入っています。元々日本の在来種ではないのですから、いなくなっても何ら問題がない動物でもありますが、それだけ被害があると言うことなんでしょう。

 

 景気が良くなると人材不足が起きるので海外から労働力の輸入を検討すべきだ。などと国会でものたまう人がいますが、安く人を使おうと考えているから出る発想で、その前にお前さんの給料を半分に下げて今と同じ仕事をしてみろ、どうせ政治なんてサービス業なんだから。と言ってやりましょう。

 

 増えすぎて害悪をもたらした場合の駆除の方策を講じることが先決だと思います。その前に、日本人をもっと大切にしておかないと大変なことになるぞ。

 

 さて話はハクビシン捕獲になりますが、畑にわなを仕掛けてハクビシンを捕獲している農家がいます。こういうことをやらせると男性より女性の方が発想が適格です。

 

 男の発想ですと餌を置いてその周りにトラばさみと呼ばれるわなを仕掛けたがりますが、女性はもっと的確に習性を把握しています。

 

 餌を吊るしておきその下にトラばさみを置くのだそうです。地面に置かれた餌なら食いつく前にハクビシンも警戒して罠に気がつきますが、頭上に餌が吊るされていくとハクビシンの注意力はエサに注がれ足元にはなくなります。儲かる話にゃ目がないが足元がおろそかなどこぞの国の人間並みの頭脳です。

 

 エサにピョンと飛びついて落ちたところに罠がある。

 

 母ちゃんの罠にかかった父ちゃんたちは「なるほど理にかなった発想だ!」とわが身をかえり見ることもなく手放しでほめています。

 

 罠にかかったことも気がつかない。父ちゃんたちの頭もハクビシン並です。

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西施

2014年03月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 「象潟や 雨に西施が ねぶの花

 90年代の初めにオートバイで日本の東北地方を回ったことがあります。秋田県の象潟(きさかた)に行った時に松尾芭蕉の像と、芭蕉がこの象潟で読んだ俳句を見てきました。松尾芭蕉と河合曽良が訪れた頃の象潟は松島のごとく小さな島が点在していたそうですが、その後の地盤の隆起で陸続きになってしまって現在の姿と違うそうです。

 

 「奥の細道」を初めて目にしたのは中学生の時で、二十数年かけて芭蕉が俳句を詠んだ場所を回りました。

 

 中学生の時にこの俳句を目にした時、「西施」の意味が分かりませんでした。本の解説には中国の四大美人の一人と書かれていましたが、あの国の美人は人生を全うした者がおりません。

 

 虞美人(貂嬋という説もあるが私は虞美人のはかなさを愛しております)・楊貴妃・王昭君と西施が中国四大美人と呼ばれております。美貌が故に国とともに滅ぶ道を歩んでしまった不幸な生涯を持つことが共通です。

 

 貂嬋(チョウセン)については架空説もありますし、親兄弟の敵討ちのために色仕掛けで王の妾になり部下をたぶらかし王を殺して一族の恨みを晴らしたという言い伝えです。

 

 王昭君は絵師に袖の下を渡さなかったがためにブサイクに描かれてしまい、皇帝が「こんなブスいらない」と今のモンゴルあたりの実力者にくれてしまったら、実はとてつもない美女だった。「ちょっと待ったぁー」と手を挙げたものの時すでに遅し、王昭君は草原のかなたで良き妻として生涯を終えたまともな人だったそうです。

 

 楊貴妃なんざ唐の玄宗皇帝骨抜きにして、国を亡ぼしかけたと言うのですから、美女が悪いのか?スケベオヤジの浅ましさが悪いのか?男の末席を汚す者として気持ちはわからないでもないが、一国の長がそれやっちゃぁおしまいだろう。

 

 さて、西施ですが長江の下流、今の浙江省(紹興酒の原産地)あたりに越という国があり、呉(今の江蘇省あたり、日本企業の進出著しい蘇州のあたりです)と覇権争いをしておりました。

 

 呉越同舟(仲の悪いものが同じ船に乗り合わせたり、共通の敵に向かうたとえ)などといわれるくらいですから、よほど仲が悪かったのでしょう。

 

 紀元前5世紀に呉王夫差と越王勾践が戦争をしましたが、呉が勝利を収めました。しかし、越には范蠡(ハンレイ)という知恵袋がいました。敗れた勾践は従順に夫差に従うふりをし、越の美女西施を夫差に謙譲します。

 

 西施の美しさに骨抜きになった夫差は次第に国政をおろそかにします、長年の宿敵だった越もすっかりおとなしくなったと安心しきって西施のとりこになってしまいます。これこそが越の策略でした。

 

 BC437、夫差が西施の色気におぼれている間に、越は一気に呉を攻めて滅ぼしてしまいます。

 

 「(ひそみ)に倣う」という中国のことわざがあります。

 

 ある日、西施が街を歩いていると北風が吹いてきて思わず眉をひそめたところ、(病で顔をしかめたという説もあります)これがまた美しいもので、それを物陰から見ていた醜女が「西施の美しさの秘密はこれなのね!」と考え、まねをします。

 

 ところがただでさえ怖い顔ですから、顔をしかめようなら目も当てられません。襲われるのではないかと男はもとより犬猫まで逃げ出したという故事から来たことわざです。

 

 あさ、プチ吹雪になって、ものすごい形相のおねえさんがスノーボードで滑ってきました。余りの迫力の顔にこのことわざを思い出し、西施と言えばと連鎖して「今日のネタにしよう」と今夜の話題になりました。

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茂左衛門地蔵尊

2014年03月21日 | 日記・エッセイ・コラム

140321 春分の日か秋分の日はどちらかもしくは両方天気が悪いもので、今年も春分の日は雪が舞う寒さでした。

 

 近隣の茂左衛門地蔵尊の縁日に行ってきました。

 

 お寺に通じるこの参道はその昔、私の知り合いを筆頭とする地元のガキ共の皆さんが橇乗りをして、テカテカになった坂道で転んだ住職が下まで滑り落ちてきたと言ういわくつきの坂。

 

 私が子供の頃はこの坂を上りきると戦争で負傷したおじさんがアコーディオンやハーモニカを吹いてお金をもらっていました。

 

 これも地元選出の知り合い説では「あんなの真っ赤なウソ。縁日がお開きになると軍服脱いで普通の服に着替えて、近くの食堂で一杯やって、普通に歩いて電車に乗って帰って行った。」

140321b 昔は専用列車まで出た縁日でしたが、今は露店の数も半分に減りました。

 

 子供の頃はこのお祭りに行って有り金を全部使い切って15kmほどの道のりを歩いて帰ってくれば一人前の男と言われたものです。

 

 お寺の近くの沢に淡水のシジミがおり、帰りに沢でシジミを取って家に持ち帰ったものです。

 このお寺の地元の人たちが踊りを披露していました。佐渡おけさと富山の風の盆を混ぜたような新作の踊りみたいです。もちろん地元のおっさんおばさんたちの生演奏です。頭にかぶった傘で顔が見えないようにしているのが幸いで、仏教的見地でいうなれば、後弁天前不動と言ったところです。

140321c 絵馬なるものがこの地に定着してそれほど長くはないと思います。

 

 私が高校受験の頃「絵馬ってのがあって、木の札に馬の絵を描いて願い事を書きつけると効能があるみたいだぜ!」なんて話が飛び交っており、実物は見たことなかったと思います。

 

 やはり合格祈願物が圧倒的に多く見受けられましたが、 明らかに子供の字と思われる大きな文字で「せかいへいわ」と言うのが一つありました。

 

 このまま私欲にまみれずに育っていただければ言うことないのですが、その「せかいへいわ」の下には大人の文字で「給料が上がりますように」なんだかビミョーに家庭の建前と本音が交錯している絵馬でした。 一枚の絵馬に親子で願い事書くところなんぞ、生活感あふれていて切実でした。

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呉音・漢音

2014年03月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 小学生の頃、なぜ漢字に音読みと訓読みがるのか、何でそんな煩わしいことになるのか?ただでさえ難しい漢字を覚えるのが面倒くさかった記憶があります。

 

 訓読みは日本古来からの言葉に漢字を当てはめたもので、本来の日本語。音読みは今で言うなら外来語のカタカナ言葉と同じ。

 

 万葉集に出てくる外来語の音読みは「菊」と「衛士」の二つしかありませんが、古今和歌集になると音読み言葉がさく裂しています。なぜか、柔らかく聞こえる訓読みですが、古今和歌集より訓読み言葉の多い万葉集のほうが男っぽく感じてしまいます。

 

 漢和辞典をひもといていていただけるとお分かりでしょうが、漢字の音読みにはさらに呉音と漢音の二種類があります。   

 

 呉は今の上海から蘇州あたりに開けた国で、7世紀以前に日本に持ち込まれた漢字の読み方は呉音だといわれています。呉音は当時のこの地方の方言的な発音だったようです。日本に漢字が来たのは朝鮮半島の百済からだといわれていますので、百済の読み方が呉の影響を受けたものだったのかもしれません。漢字の読み方は一つしかない朝鮮半島ですが、百済が漢字をどのように読んでいたのか?あの国の歴史はあてになりませんから、案外呉の国から直接日本に伝わったのかもしれません。

 

 8世紀中ごろには唐の長安や洛陽の発音の漢音が日本に伝えられます。そのころ、漢音が正しい漢字の読み方とされて、天皇家から勅令が出ます。呉音を憶えて唐にわたった遣唐使達が発音が通じないもので呉音の読み方が違うのだろうと、唐の読み方を持ち帰ったとも言われています。

 

 今ではありませんが、天皇家の出す勅令は漢音読みで読まなければなりません。戦前なら教育勅語などというものがあって「兄弟」を「ケイテイ」と読んだり、「上下」を「ショウカ」などと、日常なじみのない読み方をしました。一方で、神事としての天皇家の祝詞は全て純日本語の訓読みにて読まれます。

 

 呉音は漢音が日本に来る前にすでに広まってしまった読み方で、漢音伝来以前に日本に伝わっていた仏教関係の言葉はおおむね呉音で読まれるようです。犯行声明などの「声明」は(セイメイ)と読まれますが、仏教では(ショウミョウ)と呉音で読まれます。「テログループが犯行の声明(ショウミョウ)をした。」と読んでしまうと犯行グループが仏教テロリストになってしまいます。スターを意味する「明星」なら漢音で(メイセイ)、呉音で(ミョウジョウ)。

 

 抹香臭いというのもへんですが、仏教風の読み方は呉音が多いので、「石(訓読みならイシ)」なら、芭蕉の俳句で有名な「立石寺(リッシャクジ)」のように(シャク)と読みます。磁石もそうですね。一方、漢音なら(セキ)と読みます。「暦(コヨミ)」なら「延暦寺(エンリャクジ)」のように(リャク)と読むのが呉音。「還暦(カンレキ)」などのように(レキ)と読むのが漢音です。

 

 仏教用語ではなぜか「上人(ショウニン)」が漢音です。面白いところでは「霊」で「怨霊(オンリョウ)」は呉音、「幽霊(ユウレイ)」は漢音です。

 

 音読みと訓読みが混ざった読み方を重箱読みなどと言いますが、音読みにもマナーがあって、呉音で始まった複合語は呉音で読む、漢音で始まった単語はそれで読むのだそうですが、いちいち考えてはいられません。「言語(ゲンゴ)」は呉音で読めば「ゲンギョ」、漢音なら「ゴンゴ」になってしまうので、呉漢のあわせ読みですね。「美男(ビダン)」も実はそうでして、呉音なら(ミナン)、漢音なら(ビナン)。音声(オンセイ)も合わせ読みみたいで、仏教では大音声(ダイオンジョウ)など呉音で読みますが、漢音では(インセイ)と読むのでやはりあわせ読みですね。

 

 難しく考えるとわれわれ日本人は漢字の読み方一つにしても訓読みのほかに呉音・漢音・他の音読みを駆使しています。その上地名特有の読み方。さらに人名用の読み方。追い討ちをかけるように最近の子供達の名前のように、言われてみればそう読めないこともないけどいくらなんでも無理があるんじゃないかいという読み方。自分たちが思う以上に我々は柔軟な思考を持った民族なのかもしれません。

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バンドゥーラを手にすれば

2014年03月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 彼岸に入ったので早朝に墓掃除をしてきました。靖国問題語る前に先祖の墓くらい掃除しておかねばなりません。

 で、靖国問題ですが、別に今回は語ることはありませんが、これでいつでも語れるぞ!と地ならしみたいなものです。

 まずはこの歌をお聴きください。

Взяв би я бандуpу
Та й загpав, що знав.
Чеpез ту бандуpу
Бандуpистом став.

私がバンドゥーラを手にすれば
知っている調べを弾くだろう。
バンドゥーラがあるから
バンドゥーラ弾きになるだろう。

Марусена, сеpце,
Пожалiй мене, ?
Вiзьми моє сеpце,
Дай менi своє.

心の人マルースィナよ、
私を哀れんでくれ、
わが心を持ち去っておくれ、
そして、君の心を私におくれ、

Де Кpим за гоpами,
Де сонечко сяє,
Там моя голубка
З жалю завмиpає.

クリミアは山並みのかなた、
太陽が輝くところなのに、
わが愛しい人は
悲しみに伏せている

А все чеpез очi…
Коли б я їх мав,
За тi каpi очi,
Душу я б вiддав.

全ては瞳のために
その瞳を私のものにできるのならば、
その茶色い瞳のために
わが魂をささげよう。

 「バンドゥーラを手にすれば」と言うウクライナの民謡です。

 バンドゥーラとはハープとギターを合体させたような楽器で膝の上に乗せて弾きます。
140318 

 ちょっとヨハン・シュトラウスの「ドナウ川のさざ波」 に似たメロディーのこの歌はウクライナの言葉で歌われています。

 クリミアは山並のかなた、太陽が輝くところなのにわが愛しい人は悲しみに伏せている

 昔からこういう物語の舞台になった土地だったんでしょうねクリミア半島は。再びこの歌が甦るような事態になっているクリミア半島です。

 住民投票では圧倒的にロシア編入を望んだクリミアですが、一応帰属はウクライナ。そうそう簡単にウクライナも手放すはずはないでしょうが、何しろ国家破綻同様の財政状態です。

 ロシアに編入された場合、エネルギー問題は解決されるかもしれませんが、水はどうなるのだろう?ほとんど雨が降らず水不足の土地ゆえ現在はウクライナから水を供給されているはずです。

 住民投票では圧倒的にロシア編入を望んだクリミアですが、一応帰属はウクライナ。そうそう簡単にウクライナも手放すはずはないでしょうが、何しろ国家破綻同様の財政状態です。

 ロシアに編入された場合、エネルギー問題は解決されるかもしれませんが、水はどうなるのだろう?ほとんど雨が降らず水不足の土地ゆえ現在はウクライナから水を供給されているはずです。

 独立するにはこうした問題も絡んでおり、地面がつなっがっているウクライナかはたまたロシアか?どこかに帰属しなければ生きていけない。自立できない地域の悲哀があります。

 

 ロシアがシンフェロポリやセバストポリを欲しているのはわかりますが、道頓堀まで手を伸ばさへんよう警戒せねばなりまへん。

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箕面

2014年03月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 話はさかのぼって、日曜に行った大阪のことやねんけどな。

 

 今まで行った大阪は梅田より南のサザン大阪やその南のラテン大阪ばかりで、北部に行く機会は大阪万博以来おまへんでしてん。今回は淀川の北のまた北、アメリカ大陸で言うならカナディアン大阪に行ってきました。

 

 新大阪から梅田に出たあたりはビルの屋上にデーンと主張している観覧車が見えてきて「だんだん濃くなってきたぞ!」と大阪臭が漂ってきましたが、梅田の駅周辺が様変わりしている。JRから阪急に向かう道路が立体的になって、下の車道を横断している人がいない。道路がスムーズに流れている。

 

 夜、二次会で居酒屋に行きましたが、昔は梅田の駅の界隈にも居酒屋があったと思っていたら、今はビルの中に押し込められていて、ヨドバシカメラの8階の飲食街の居酒屋で2次会でした。

 

 阪急電車に乗って宝塚方面に。けったいなおっちゃんもケバイねえちゃんもいてへん。タカラジェンヌとおぼしき男装の令嬢も見あたらない。黙々とスマホいじっている人ばかりで、東京とかわんねぇじゃん!
 十三を越えて一駅ごとにまともな人濃度が濃いものが残されていく。雪焼けで真っ黒の私が異様な人物最前線にたたされているのがわかる。

 

 石橋駅で箕面線に乗り換えるとまた雰囲気が変わってきます。わずか三つの駅を行ったり来たりしている不思議な路線ですが。乗客の雰囲気もまた異なります。
 高級住宅地でもあるのかな?と察する品の良さそうな奥様や、ハイキング姿のおじさんおばさんたちが大量にいました。

 

 ここは思い切り大阪ではない。石橋駅で電車に乗り換えたとたん変わる風情。アメリカ大陸にたとえるならカナディアンアメリカの中でさらに毛色が違うケベック州と言ったところでしょうか?フランス語は通じないけど日本語の標準語は通じました。

 

 箕面の駅前の交番の隣にご当地ゆるキャラ滝の道ユズルのモニュメントのある花崗岩のベンチがあり、妙なおっさんが横になって寝ていました。髭もじゃで着ているものもボロボロでたぶん酔っぱらい。東京の早稲田の界隈ならこんな姿で路上で寝ていればホームレスか大学教授。
 
 こんな清楚な観光地のような町でホームレス営んではる人やろか?さぞや名のある酔っぱらいではなかろうか?まさか、絵の達人だったりして、それより、今回のイベントに来はった講師のおかたやろか?この近くだったら阪大の教授かな?

 

 箕面の一体は笹川という姓が多いらしいのですが、この駅の周辺一帯の土地を持っているのが船舶振興会の笹川良一さんだったそうで、もしかしたらこの酔っぱらいのおっさんはそのご親族だろうか?それより、競艇で有り金全部すってこのざまになった可能性の方が高いけど、もしかしたら高級住宅地になって追い出された先住民かもしれません。アメリカ大陸にたとえるならカナディアンインディアンと言ったところでしょうか?

 

 大阪のスピリッツを持ったおっさんに見受けられましたが、イベントの最中、窓の外に婦人警官に付き添われてどこぞに連れて行かれる姿が見えました。
 やはりさすらいのおっさんだったのだろうか?

140317 夕方、イベントが終わって箕面の滝を見に行ってきました。薄暗くなった遊歩道を下っていると、あれ?この景色見たことがあるぞ!この先の右側にお寺さんがあって、むかしダンゴを食べながらこの道を歩いたことがある。初めて来たはずなのだが、何か見覚えがあるぞ!具体的にわからないけど感覚が妙に残っている。神戸の六甲山との勘違いだろうか?

 

 釈然としないままおぼろげに思いだしたのは2ー3歳の頃だと思いますが、母が里帰りしたときに宝塚市だったか芦屋市の同級生のところに私を連れていったことがあり、大きなコリーの犬がいて、私は「ラッシー」と呼んでいたことを思い出しました。多分この家を訪ねた後、宝塚から箕面に行ったのでしょうが、アメリカ大陸に例えるならアラスカからカナダに行ったようなわけです。

140317a  あ、今思い出したフミちゃんと呼んでいた、フミちゃんはお嫁に行くのでその結婚式に呼ばれて母が里帰りしたのだと思いますが、結婚式の前に母が私を連れてフミちゃん宅を訪ねたのでしょう。

 母が結婚式に行った日、実家において行かれたのはよくおぼえています。

 

  滝とそこに至る山道の店の黒っぽくなった木造の家の柱と、のぼり旗。たぶんお茶屋さんやおみやげ屋さんの旗だったんでしょう。団子を食べながら歩いていたのか?アイスクリームだったのか?なんか思い出してきたぞ。
 今では山肌に巨大な大江戸温泉のビルが建っていますが、雑木林で「あの山に天狗さんがいるからよい子にしなさい」と言われ、駅に戻って現在大江戸温泉になっている建物の方を見ないよう振り返らなかった記憶があります。

 

 50年前ですから建物は変わったと思いますが地形はそう変わるものではありません。が、山肌の巨大な建物が景観も記憶も変えてしまいました。

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京都どすえ

2014年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム

140316a とあるイベントがあって上方に行ってきました。

 

 おいおいその話は紹介するとして、日曜の晩は京都どすえの友人宅に泊まりました。

 近代的な建物が占めるようになった京都の中で古いたたずまいが残っている路地に友人は家を借りています。

 

 川端康成の「古都」を思い出してしまいましたが、そんな情緒が残っている通りでした。観光地京都ではなく、生活圏としての京都を感じることができました。

140316b 通りのあちこちに 地蔵様や神様が祀られているのはこちらも同じですが、屋根がかかって野ざらしにならないように気づかいしています。

 

 誰がお供えするのか?どの野仏にも花が飾られていました。映画やテレビドラマに出て来る「花いらんかえ~」の花売りを想像してしまいましたが、今の時代まだいるのだろうか?

 

 この心の余裕が美しいです。どんな人がお供えしているのだろう?と興味はあるけど、案外自分のご利益第一主義の婆さんだったりして。

 

 こんな路地に舞妓はんでも芸娘はんでも歩いていれば絵になるんですが、浮名を流したい欲望はあっても金はなし。

 私の村にはない景色ではあっても心は似通っているような気もする日本人。

 

 私も花を供えてみようかな?とスーパーに入ったら高知のニラが78円。安いじゃん。こっちじゃ同じ高知のニラが安売りで98円。このところ128円が相場です。京都土産に高知のニラを二束買いました。

 このニラを少し多めの油炒めて醤油味のラーメンに乗せてニララーメンにするとたまらなくうまいんです。これに豚肉をこんがり揚げるような感覚で炒めて乗せてスタミナラーメン。寒い時にはこれがうれしい。

 

 花?それはまた何かの機会で、地元の人の楽しみを奪っちゃいけません。

140316c 京都御所に行ってきました。

 

 ロシアではテンノーは東京に住んでいてミカドは東京に住んでいると言われていますが、どの方がミカドはんなんでひょう?

 京都ではミカドは東京に用があって行っているだけでそのうち戻ってくるとされています。

 

 御苑内はウォーキングで歩き回っている人がたくさんおり、多分京都人と思われる年配者が20名ほど宮内庁の事務所の付近にたむろしていました。やはりウォーキングのグループなんだそうです 。万歩計もって御苑内を歩き回っているそうです。

 

 京都の地盤は巨大な湖の上に土が堆積した土地で、下は花崗岩の岩盤になっています。そのため地震に強い地盤になっていますが、京都御所の付近は一番岩盤層に近い土地で、最も地震に強い場所だなんだそうです。古の人たちがどうやってこの場所を選んだのかわかりませんが、偶然ではないような気もします。

 

 太平記には日本を襲った天災のことも書かれていますが、人為的に都を移してしまう遷都も今まで住んでいた人々の価値観が変わる災害かもしれません。

 

 1864年8月20日禁門の変が起きます。長州藩が御所に突入しちゃうんですね。翌日の21日には北から出た火が大火事になり、東本願寺の手前まで燃え尽きる大火になります。

 

 この時点ではまだ薩摩と長州は敵対していたのですが、後に坂本龍馬の暗躍によって薩長が手を組みます。会津は薩摩に逃げられたような形で時代の波に乗れなかったのですが、新選組には会津出身のメンバーも多いですね。

 

 さて、戊申戦争で薩摩長州軍と相対することになった会津藩ですが、会津ではそれはもうむごい死体の山が築かれたそうです。後々またこのことは紹介しますが、この破れた側の会津藩の武士の娘が昨年の大河ドラマの八重ちゃんです。番組は一度も見なかったけど。 

140316d  八重ちゃんが結婚した相手が新島襄で、同志社大学を作ります。

 

 群馬県ローカルの「上毛かるた」では「平和の使い新島襄」と謳われ、安中市の出身です。

 

 なんで京都御所のお隣に八重ちゃんゆかりの同志社大学があるのかな?なんて余計な詮索をしたくなります。

 

 大学の近くの今出川の地下鉄駅からニラの入った買い物袋ぶら下げて京都駅へ、そこから新幹線で東京へ、途中下車して御徒町でタラコや魚を買って、上越新幹線に乗り込んで帰りました。

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