のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

大晦日

2014年12月31日 | 日記・エッセイ・コラム
 いよいよ今年も終わりを迎えることになりました。
 喪に服しているわけですから年明けのあいさつはできませんが、来年もよろしくお願いいたします。

 夕方、スーパーに行ってきました。元日はスーパーが休みなので、閉店間際のたたき売りが狙いなのですが、おなじみの顔触れとも会えることができました。
 「お父さん元気になったかい?」と知り合いのおばさんに声をかけられ、「23日に亡くなりつつがなく葬儀も済ませました。」と答えると言葉を失っていました。

 例年なら、スキー場から帰って来るとこのスーパーの閉店セールの時間で、半額になった刺身や魚を買ってなべ物などを作りましたが、今年は食事を待つ人がいないので少し拍子抜けしています。
 近所のおばあさんに手打ちの蕎麦をいただいたので、半額になった天ぷらの盛り合わせと納豆を買って店を出ました。
 一番下の弟は特売の「緑のたぬき」を箱買したとかで、この年末は家族でカップ麺の年越しそばになっていることでしょう。これが「我が家の年越しそば」になると切ない気もしますが、とりあえずこちらは手打ちそばを味わえそうです。

 例年よりも生暖かい風が吹く大晦日で、こういうときに雪が降るとしまった思い雪が積もります。多分年明けから北風の吹雪になるだろうと予想していますが、2日には自分たちの家庭の正月を終えて弟たちがまた来る予定です。雪が気がかりです。

 今日は地元の温泉に行きましたが、もともと父の出身地なので、いろいろ懐かしい話で風呂の中は盛り上がりました。

 とりあえず今年はこのくらいで、皆様、良いお年をお迎えください。

 
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スマホ

2014年12月30日 | 日記・エッセイ・コラム
 家の片付けに弟たちが来てくれました。
 食事の合間にスマホの話になりましたが、私はいわゆるガラ系携帯電話なのでスマホのことはよくわからないのですが、すぐ下の弟はソニーのスマホ、一番下の弟はLGのスマホを使っていました。電池の容量などの話になっていましたが、ガラ系携帯と比べればはるかに電池の使用量が多く、父の葬儀で騒いでいた間にも充電器を持ってきてこまめに充電しているのを見ていました。ソニーと比べてLGの電池は持ちが悪く頻繁に充電していました。
 LGのスマホは使っているうちに本体が熱くなってくるので、この季節にはカイロとしても使える。なんてからかいましたが、本体が熱くなってくると「爆発するんじゃなかろうか?と、不安になるそうです。値段につられてLGを買ったそうですが、「失敗したなぁと思っても簡単には買い換えられないし、安物買いの銭失いと言われないよう気を付けて使ってるんだ。」と後悔しているみたいです。

 父が納棺される前、弟たちの子供が父の棺桶の中に入ってなんだか変な踊りを踊っていましたが、「妖怪ウォッチダンス」と言うのだそうで、子供たちの間で流行しているのだそうです。スマホで見せてもらいました。こういうときに便利ですね。
 父の葬儀の時に読経のどらや太鼓のリズムに合わせて幼稚園児のなっちゃんが踊っていたのもこのダンスだそうで、「隔世遺伝だよな。俺たちは分別があるもの。」と一致しました。

 昼時、弟たちを連れて自称「台湾料理」の中華料理店に行きました。台湾料理と称しても中国の黒竜江省の出身の家族が営んでいます。
 日本語が怪しいのは仕方ないにしても、漢字も怪しいのではなかろうか?
 「肉団子」の「団」と言う字も旧字体の「團」を使うならまだ台湾的ですが、毛沢東が変えてしまった大陸の「团」を使っています。中国語専門家の一番下の弟に言わせると「この一発で大陸出身とばれてしまう。」
 「ホウレン草と玉子」も「木クレン草と玉子」になっていました。なんか、この怪しさがたまらなくいい。

 黒竜江省などの旧満州東北三省の中国語は訛りが少ない方なのですが、一番下の弟の説では店の主の喋る中国語は北京に言葉に近いきれいな言葉で、使っている語彙からも教養があることがわかると言っていました。それより、向うの方が弟の喋る中国語に「私より綺麗な発音をしています。」と驚いていました。奥さんは黒竜江省の田舎丸出しの発音だったみたいですが、「上海や南の人たちよりもきれいな北京語だよ。」と弟は申しています。

 料理が専門のすぐ下の弟が言うには「日本人の口に合うように香辛料や味付けも研究されている。中国人でもできるんだなぁ。」と絶賛していました。この弟、本職はフランス料理だったのですが、シンガポールの和食屋に技術指導に派遣されていたこともあり、そこで中華系民族のおおざっぱな味付けや彼らが隠し味に使う素材なども見てきたそうです。

 一番下の弟が三国志の研究で留学していた同じ時期に蓮舫も北京大学に留学していましたが、一度も顔を合わせたことがないと言っていました。近年、蓮舫が政治家もどきになってテレビに出るようになると1-2回見かけたことがあることを思い出したそうです。そもそも、蓮舫が誰で何だったのかも知らなかったので「性格悪そうな人がいるな。中南海の幹部の娘か?」とすれ違いながら思ったそうですが、「あの人何の研究に行ってたんだろう?」ここんところすごく重要だと思うのだけど。

 父がこの店の豚の角煮が好きで、よくテイクアウト用に作ってもらっては持ち帰っていました。
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床暖房

2014年12月29日 | 日記・エッセイ・コラム
 この季節、一度こたつに入るとあまりの心地よさに動けなくなり、横着精神があふれて人間がダメになります。
 同じくらい人間をダメにする暖房設備に床暖房があることを最近実感しました。

 今日のご近所のお葬式は午前中に葬儀、午後に火葬とお寺参りだったので、私たち会計を担当していた組のおじさんたちは葬儀の後七日の振舞の前の会計報告まで用がないので、親族控室で花子とアン一挙放送を見ていました。
 組の人たちも「なんだか立ち上がるのが億劫になってきた」と畳の下から温かさがこみ上げる床暖房の心地よさにお昼寝タイムになってしまいました。私も父のお通夜の時にこの斎場の隣の部屋に泊まり床暖房を経験しました。床暖房の畳に寝っ転がっているとおおむね心地よいのですが、暖房の温度調節のために一時的に温度が下がることがあるので、この時は妙に現実に引き戻されます。
 床暖房の温度が下がると組の人たちも起き上がり、多少はまともな会話になりますがそのうち温度が上がって温かくなってくると、寝そべって睡眠タイムになります。
 「床暖房ってのは人間をダメにするな。」と言っているおじさんは、控室の風呂に入ってきて斎場の浴衣に着替えていました。どちらかと言うと温泉旅行で旅館の夕食を待つ温泉客気分です。

 暇つぶしの話題では、斎場のスタッフのことが出ました。引き物を渡すお姉さんを別の斎場で見たことがあると言う人があり、何気に受け付けしているときに話を聞いたら、引き物や食事の世話などそれぞれ出入り業者から派遣されてくるスタッフで、JAのスタッフは3-4人だけだそうです。
 司会のお姉さんもFM尾瀬から派遣されてくるスタッフで、地元FM放送のアナウンスなどをやっている人だそうです。

 こういう人と結婚すると家庭生活もしめやかに執り行われるのかな?なんて話題になりました。
 「これより○○家、朝食の儀を執り行います。導師様のご入場、合唱してお待ちください。」と夫が入場してきて「ご導師様は当家主▽▽様でございます。」で夫が着席し「皆様、食卓に向かって合掌、いただきます・・・おなおりください。」と朝食が始まると、「本日の朝食は、サケの切り身、納豆、香の物はダイコンの糠漬けでございます。」とメニューをしめやかに紹介し、「深く、どこまでも深い青い青い世界、凍えるような北の海の中を元気よく泳いでいた鮭の群れ。」と焼鮭の生前の姿を偲ぶ詩を読み上げ、一通りおかずに箸がつくと「それではメールのご紹介をさせていただきます。順不同、敬称は略させていただきます。」と夫のスマホに入ったメールと読み上げ「たまには遊びに来てよね。同伴出勤大歓迎。キャバクラM」「ご主人様、いつ来てくれるの?メイドカフェ・セーラームーン」「メンツが足りないすぐ来い。雀荘ロン」「会社倉庫から出火、すぐ来てください!株式会社◇◇。」と読み終わる頃には夫はシジミの味噌汁と飲み終えるころで、「それでは、ご家族を代表して○●様よりお礼のあいさつがございます。」と夫が合掌しながら「ご馳走様でした。」とても落ち着いた気持でしめやかにゴミ袋を両手にぶら下げて出勤する。
 落ち着いた静謐な家庭になることでしょう。

 なんてことを斎場のスタッフを交えて歓談して時間を過ごしました。これも床暖房効果です。体のみならず気も緩む。

 七日振る舞いの会場で、喪主と四十九日法要の打ち合わせをしました。我が家と2日違いなので法事が重なっては組の人たちに迷惑がかかってしまいます。
 葬儀委員長曰く「お寺が違っても同じ曹洞宗なんだし、まとめてやっちまえばいいじゃないか。」そうもいかないだろうなんて話になりましたが、喪主が警察の行事の関係で早めに執り行いたいそうで、こちらも雪が多い中で納骨も大変なのでできれば先に伸ばしたい意向もあり、上手にずらすことができました。

 食事をしながら「そういえばお前さんとこの葬式の時に泰寧寺の方丈様の法衣につけていた青いバッジと同じものをお前さんもモーニングにつけていたけど、あれはお寺のバッジか?」と組の人に聞かれてなんだかがっかりしました。北朝鮮拉致被害者を救う心ばかりの寄付のブルーリボンバッジでよくテレビにも出ているはずですが、意外と気にされていないんですね。
 「日本ブルーリボンの会」で500円ほどで販売されています。
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氷点下二ケタ

2014年12月28日 | 日記・エッセイ・コラム
 ついに今朝の気温が-10度。
 電熱線の電源を入れてなかったので水道が凍りました。

 組のお通夜は夕方からなので、時間が空いている間にスコップもって今まで世話になった方々にあいさつ回りをしてきました。
 皆それぞれ年老いているので雪かきもままならぬだろうから、また大雪が近づいていることもあるし挨拶回りのついでにお世話になったお礼を兼ねて雪をかいてやろうかと出かけましたが、それぞれ近所の人たちが雪かきをしてくれたようです。
 午後、組の人たちと檀那寺の坂道の凍結した道路に塩化カルシウムを撒きに行ってきましたが、立て続けに葬式を出した組ですから、この顔触れが歩いていると「また誰か亡くなったの?」と心配されてしまいました。

 お通夜の後の清めの席で施主と話をしましたが、高校の柔道部の先輩なので「お前の時は柔道部関係者は誰を呼んだ?」と聞かれました。あんな連中が大挙して押しかけられると暑苦しくなるので大御所だけ呼んだのですが、卒業後こちらを離れていた施主には顔ぶれもよくわからないのでどうしたものか?と言われ、向うの方から勝手に来るから気を使わなくても大丈夫ですよ、既にOB会から問い合わせが来ていますから、代表が何人か来るだけですよ、と言っておきました。私もその代表の一人なんですけど。
 「お前。段位は何段になった?」と言うので「最近六段になりました。」と答えると「まだやっているのか?早死にするぞ。」やりたくないけど、小中学生の指導などで引っ張り出されるし、進学校ですから卒業すると皆外に出て行ってしまう。この分野も高齢化が進んでいます。先輩こそ警察を定年になったら余生を過ごしにこちらに戻ってきてはいかが?と聞くと、そうしたい気持ちもあるけど、こちらはこちらで事情があるしなぁ。と頭をかいてました。

 お通夜から戻ってくるとすでに弟たちは自宅に戻っているので父の家は私一人。
 昨日から生前に父がお世話になった遠方の人たちにお礼の手紙を書いていたのですが、印刷ものでは失礼だろうから最初は硯を出して筆で書いていました。そのつい面倒になったので筆ペンにかえて、現在はボールペンになっています。自分で書いて読めないような悪筆なので、結局自分の家に戻ってきて一人ひとり文章を変えてワープロで打つことになりました。
 文明の利器はとてもありがたいです。父の納骨の時に収める写経もワープロにしたらいかがなもんでしょうか?なんて考えてしまいます。
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近所付き合い

2014年12月27日 | 日記・エッセイ・コラム
 昨夜から今朝まで雪が降り積雪は40cm程度でした。

 弟の嫁と子供はそれぞれ昨夜のうちに自宅に帰り、昨夜は弟たちと3人で父の家で過ごしました。
 今日からは近所の85歳のおじいさんの葬儀の手伝いもあるので、すぐ下の弟が手伝いに出かけ、一番下の弟は家の片付け、私は外で雪かき。
 支払いがてら我が家の「喪中」の看板や提灯などを農協がとり来る予定になっていましたが、昨夜風吹に近い状態になったので、外にあったものは取り外して家の中に入れておきました。

 農協の担当者が午後になりそうだと言うので、合間に近所にお悔やみのあいさつに行ってきました。
 お子さんが埼玉など都市部に住んでいるので葬儀のやり方も違うし、何をどうすればよいのかわからない。故人の奥さんも斎場を使う葬儀はあまり経験がないのでどう対応してよいのかわからない。高校卒業してこちらを離れて以来ほとんど交流もなかったので地元の人たちともなじみがない。私などまだ小学生だった頃の記憶しかないと言ってたくらいですから40年ほど浦島太郎になっているようです。
 故人が亡くなる前日、足腰が弱っているとのことで雪道を歩かなければならない「お告げ」には顔を出さなかったものの、まさか翌朝ぽっくり亡くなっているとは近所の誰も思っていない姿だったので、ご近所以上に家族もびっくりしていることは察しますが、父親の交友関係も何も知らなかったので、参列者の選定もちんぷんかんぷんだったそうです。
 しかも、役所をはじめ御用納めを終えて冬休みに入っているので、年明けまでできない手続きなどもあります。我が家の場合2日早かったことと、年明けまでもたないだろうな?と私が下準備をしておいたことで金融機関の手続きなども早々に終えることができましたが、寝耳に水の急死だったこの家では正月休み明けにならないと手が付けられないことも多々残っているみたいです。
 
 同じ村内の曹洞宗のお寺でも、我が家と違うお寺なのでしきたりも微妙に異なります。昨日、父の葬儀の時に脇僧の一人として来てくれた方丈様がこの家の菩提寺の住職なのですが、お子さんたちにとっては長いこと地元を離れているうちに住職も代替わりして面識もなく、故郷と言うより見知らぬ土地で父親が亡くなったような感覚だそうです。
 49日法要は土日を利用しようかと思っているので、重なると組の人たちが大変なので大まかに打ち合わせしようと思っていたのですが、とてもそれどころではなさそうな状態でした。

 午後、お告げから戻ってきた弟は「しばらく離れていたら空き家になった家が増えたねぇ。」と驚いていましたが、「それより、知っている顔ぶれがみんな年老いているんで浦島太郎みたいな気分だ。」と言ってました。
 この弟は新興住宅地に家を建ててマスオさん人生を歩んでいますが、近所づきあいはママ友の仁義なき抗争があり冠婚葬祭よりバーベキュー仲間「組」が近隣づきあいの境界になっているようです。
 この弟の家庭も末期がんの父親を抱えており、「重大な事態が待ち構えているのに女性陣は和議を結ぶ気配もない」と案じています。この弟の嫁は男兄弟がいないので、近くの他人より遠くの兄弟になりそうな気配で、「そんときゃ手伝いに来ていただきたい。もちろん香典もはずんでね。」と、一見厄介な組付き合いも、ない場所から見ればありがたいことがわかったようです。

 一番下の弟も新興住宅地に家を構えていますが、嫁さんの両親も代々近くに住んでおり近所づきあいもしっかりしていますが、嫁さんの兄弟が近くにいない。この秋に嫁さんのお父さんが心筋梗塞で緊急手術になったのですが、救急搬送された病院で嫁さんと母親と一緒に説明を受け「どうしますか?」と医者に問われるたびに二人の顔がこちらを向き、”なんでこんな重大な判断をまかされるんだ?”と背中に冷や汗が流れる感覚があったみたいです。

 昨日お寺で「49日法要までに写経しておいてくれ」と納骨の時に一緒に収める延命十句観音経を預かってきたので時間に余裕がある今のうちに書いてしまおう。42文字の短い経文ですが「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」いわゆる観音経のエッセンスのお経ですね。まずは書き写す前に意味を理解しなければと漢字とにらめっこしたら、霊験あらたかに心地よいお昼寝ができました。
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一息

2014年12月26日 | 日記・エッセイ・コラム
 父の葬儀一通りつつがなく無事に終了しました。

 午前中は火葬場に行き、略礼服からモーニングに着替えて午後から本葬、今度はモーニングから準礼服に着替えてお寺参りと7日法要。これが結構忙しかったです。
 親の葬儀など人生長くても2回程度ですが、田舎で「組」と言うコミューンに縛られていると、外から俯瞰的に何回も眺めているので、その手順など意外と冷淡に把握しています。この歳になると儀式のあらかたの役を経験しているので、喪主がどういう先回りをしなければならないかも踏まえているので、流れも順調に進みました。

 本葬の最中幼稚園年中のなっちゃんは脇僧の叩く鐘や太鼓の音で踊っていましたが、式が終わる頃には熟睡していました。おじいちゃんの葬式と言う意味など皆目分かっていないので、いとこやはとこが集まって楽しかったみたいです。

 広島勤務だと思っていた大学の時の友人が来てくれたのには驚きましたが、この秋から高崎に赴任していて新聞で知ったそうです。遠くから来てくれたものだと驚いていましたが、近くに赴任してきたのなら早く行ってくれれば顔出ししたものを。

 父の同級生と話をしましたが、ようやく平均年齢を超えた年代なのですが、同級生で生き残っているのが1割に満たないとのことです。「なんだか俺たちに年代がそのまま平均年齢になっているような気がしている。」と申していました。

 心配していたのは天候で、これから年末にかけて豪雪になる気配です。幸い、今日は20cm程度の雪だったので大したこともなかったのですが、組内でもう一軒控えている葬儀には影響しそうです。明日は早朝から不幸があった家の駐車場などの雪かきに出なければなりません。父を病院から連れて帰る時に、近所の人たちが出てきて家の周りの雪をどかしておいてくれました。「結」とか「手間返し」などと呼びますが、田舎のコミューンの互助制度です。

 まだ残った仕事は多々ありますが、とりあえず大きな役目は終わりました。
 皆様にご心労をおかけして心苦しく思っています。
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通夜式

2014年12月25日 | 日記・エッセイ・コラム
 朝、またもや思わぬ事態が舞い込んできました。
 父の酒飲み仲間で私とも森林関係の仕事でなじみがあった近所のおじいさんが、今朝自宅の寝床で亡くなっていました。亡くなるほど体力が衰えている様子もなく、山を歩いていたから足腰が基本だよななどと昨日は話していたほどでしたが、年寄りの寿命はいつ尽きるかわかりません。
 大変なのは組の人たちで葬式のダブルヘッダーになってしまいました。
 我が家は夕方お通夜の会場に向かうだけで取り立てて問題はないのですが、こちらの家では「変死」と言うことで警察が遺体を持っていき、現場検証をしなければならないので組の人たちも葬儀の準備もできません。多分我が家の葬式と引き続きになると思います。

 こちらはこちらで、役場に行って父の戸籍謄本を取ってきたり、議員年金の停止届を出したり、お寺に挨拶に行ったりそれなりに用事がありましたが、準備していたのでことなく終わりました。

 朝、農協が父の棺桶を持ってきたのですが、遺体の下に敷く畳にメッセージを書けると言うので孫たちがいろいろ書き込んでいました。上は小学5年生、下は幼稚園年少で、父の孫ですから予想通り余計なことをやらかします。孫4名は棺桶の中に入ったり出たりしてドラキュラごっこをして遊んでいました。

 午後になると親戚が集まり、3時に旅支度をさせて納棺。4時過ぎには斎場に向けて出棺しました。
 出棺の時に家の屋根に向けて弓矢を居るのが風習で、私のすぐ下の弟の長男がその大役を仰せつかったのですが、小学校3年生です。弓矢がうまく放てるように練習していたら、本番前に弓の弦が切れてしまい。本番では弓を引く形だけして矢は手で放り投げてごまかしました。

 6時からお通夜が始まりましたが、斎場でのお通夜や葬儀がまだ定着していない地域なので勝手が違って戸惑うことも多いです。式の前に前席に座る遺族代表たちはリハーサルがありました。孫たちの目線は焼香の抹香で、リハーサルの後の隙を狙って抹香を焼香台にドカーンと入れたみたいで、どえらい煙が式場に漂っていました。
 会場の係り員きっと腹が立っているんだろうな、と察しつつ、ドクドクと煙が立つ焼香台付近の参列席で、生花を並べる順番を打ち合わせ。今回は読まないけれど、届いた弔電の名前の読み仮名などを確認しました。通夜式が始まる前にガキどもが抹香ブチ込んだ煙も収まりったところでお寺さんが来るのを待って通夜式が始まり、私の喪主のあいさつも無事に終わり、何とか収めることができました。

 夜は弟たちと斎場に泊まりましたが、寒冷地なので床暖房になっています。これはこれで快適なのですが、温かいので横になると動きたくなくなります。そのまま床暖房に聞い畳の上で寝込んでしまいましたが、夜半、暑くて目が覚めます。場所を変えようにもそこも温まっているので、座布団を並べて床からの熱を遮って寝ました。
 久しぶりにテレビを見ましたが、小田和正の「クリスマスの約束」を放送していました。かつて毎年見ていた番組でしたが、この4年ほど見ていません。なんだか今回は今までの放送の総集編で、見たことがある映像ばかり映っていました。今年はやらなかったのか?と眺めているうちになってしまいました。
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供養?

2014年12月24日 | 日記・エッセイ・コラム
 今日は葬儀によぶ家への「お告げ」だけでしたが、朝から組の人たちが集まり、人員配置や回る件数などでにぎやかなやり取りになりました。
 昨夜のうちに拾い出して大まかな地図などを書いておいたのですが、人口は少なくても面積だけは広い村なので大仕事になります。

 組の人たちがお告げに出ている間に郵便局と農協に行き、それから役場に死亡届を出しに行ってきました。
 「不在者投票に来ました。」ととぼけて役場に入ると、既に父が亡くなったことが知れ渡っていたようで「いろいろ大変だね」と職員が顔を出してくれました。
 さらに、「こんな時になんですが」私の交通指導員の後任がまだ決まらないので、区長会議で選任を急いでもらっていると担当職員から持ち掛けられ、この件については私も話を聞いているので、葬儀が終わって落ち着いたら私自身も後任探しに回ることなどを話しました。

 帰りにお寺に顔を出すと父の戒名も決まったようで卒塔婆などが用意されていましたが、あまり大げさな葬式にしないように、どころか、身内だけででこじんまりとやるように言われていたのでその旨を伝えました。和尚さんの数も少なくと言うと「院号付きだからそうもいかないだろう」と言われ、頭が痛いところです。

 私が役場やお寺周りをしている間に弟たちは父の部屋を片付けていましたが、タンスや金庫の中から次々とペットボトルの焼酎や紙パックの酒が発掘されました。歩けなくなって10月に入れたばかりの介護ベッドの下には、お寺の配り物に使う袋の中に点滴に使うカテーテルチューブにつながれた4リットルの焼酎のペットボトルが発見されました。10月から介護ヘルパーが来ていたので、より隠し場所が巧妙になっていたのでしょうが、チューブでビンの中の焼酎を吸い上げていたかと思うとあきれてものが言えないどころか、情けなくなりました。

 昔、祖父が亡くなった時に、押し入れの中から数十本の一升瓶が発見され、どうやら配下の連中が命を受けて運び込んでいたみたいだったのです。毎晩夕食の膳と一緒に一合の熱燗を持っていくのが日課でしたが、おだてると調子に乗る弟にやらせると徳利一本に余分に持っていくので、融通が利かない私が祖父の酒を持っていくのが役目でした。やはり、最近少ない酒で随分酔うようになったと父が心配していたら、押し入れの中に隠し財宝があったわけです。

 時は流れて、毎晩、夕食の時にワンカップ一杯分の日本酒を出していましたが、病気のせいか酒が弱くなったなと思っていたら、親を見習って同じことをやっていたようです。

 午前中に回るところを回って家に戻ると、次々にお告げ周りから帰ってきた人たちが集まり、弟たちが昼食の弁当の用意とお吸い物を作っていました。
 一番山奥にお告げに行ってきた人たちが「キジを跳ねちまった。」とぐったりしたオスのキジを持ってきました。自動車の前に飛び出してきて、ブレーキを踏む間もなく頭を踏み潰してしまったようで、「クリスマスなのでフライドチキンになるために飛び込んできたのかね。」「なんでもいいから供養しなければ」と言うのでお湯を沸かしてキジの羽をむしり解体すると、薪ストーブの熾火を七輪に入れて網の上で焼き鳥。
 「清めだから」と農協が持ってきた清めの塩で味付けして供養しました。

 「仏さまも喜んでいることでしょう」と、まぁ生きていればこういうことに真っ先に首突っ込む父でしたから確かにそうかもしれないけれど、地域全体がバーバリーですからキジはローストチキンになってしまいました。

 
 嫌な予感はしたのですが、絶妙のタイミングで「食ってくれ」とウサギを持ってくる猟師がおり、「今度は鍋がいいな。」「ちょっと畑掘り起こして野菜取ってくる。」と家から野菜や酒を持ってくる人たちが出て、喪主は仏様ほったらかしてウサギの解体ショー付山賊料理の料理長になってしまいました。
 昔は十二講と言って十二様が木を数える十二日には山に入っていはいけないとされ、ウサギや鳥を持ち寄って鍋を作って一杯飲むいわば山師の休日のような風習がありましたが、そうした中で育ってきた父の思惑通りに事が運んでいるようで不思議な気分でした。これも供養か?と、父の遺品?の隠し酒も近所の人たちに供養してもらいました。

 近所の人たちが鍋をつついて一杯やってもらっている間に、父が亡くなった病院に行き支払いを済ませ、いろいろお世話になったナースセンターにお礼かたがたカステラとチョコレート菓子の差し入れを持っていきました。

 夜、弔問に来た父の悪友の娘さんに「父たちの世代はやりたい放題やって許される時代だったんだね」と意見が一致しましたが、我々も年老いたらそういわれるほど厳格な時代になっているのだろうか?

 
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肩の荷が

2014年12月23日 | 日記・エッセイ・コラム
 ハードな一日になりました。

 昨夜、小康状態だった父ですが、夜中の4時ごろ呼吸が荒くなりました。
 フクダデンシDS7111とにらめっこで、昨日まで頻発していた不整脈は見られなくなり、脈拍も90前後で安定していますが、酸素飽和度が80台になり、時折呼吸が止まってはまた呼吸が始まる不安定な状態になりました。

 いよいよかな?と覚悟半分、期待半分で時計とにらめっこし、7時を待ってから弟たちや父の兄弟たちに「多分、この1-2時間の問題だと思う。」と電話連絡しました。

 8時になると酸素飽和度が70台60台と下がりはじめ、呼吸の波も弱くなり始めました。
 8時20分、呼吸停止。まだ心臓は動いていましたが、次第に振れ幅が弱くなり3分後に停止。
 医師の確認で8時33分永眠となりました。
 怖れ多くも命日が天皇誕生日。満82歳でした。ちなみに誕生日が終戦記念日になったので、つくづくこうした運には恵まれているようです。

 非常に穏やかで、私とナースさんが見ている中、静かに息を引き取りました。
 遺体の処理にしばらく時間がかかると言うので、弟たちや父の兄弟に電話をし、一昨日ガードレールに激突して入院中の叔母のところへは直接病院まで足を運び伝えました。

 父の待つ病院に戻り、車の助手席をリクライニングさせて父の遺体を乗せて家路についたのが1時間後。
 亡くなりそうになったら個室に移すのかな?と思っていましたがそのまま4人部屋で遺体を処理し、観客が見守る中、白いシーツにくるんで「白い巨塔」のラストシーンのように正面玄関からご退院。なかなか大胆な病院です。
 途中、我が家のすぐ近所の父の生家の前を通りました。今は父の妹一家が住んでいます。父の生家の前に来た時に対向車が来たので、雪のない場所にクルマを一時停止。父の生家の玄関前でした。

 父の家に行くと近所の人たちがあわただしく雪かきや掃除をして準備を始めていました。
 しばらく家を空けていたので埃だらけになっていたり、葬儀社の手配やお寺さんの都合などで翻弄されました。ここまで一人で対応していたので、それはそれは神聖な末路を見とれたと思っていたのですが、容赦会釈なく降りかかるご近所のお手伝いに、遺体を車の中に入れたまま1時間少々ゴタゴタと準備に走り回りました。
 今年は葬式に呼ばれることが多かったので引き物でもらったお茶には事欠かなかったのですが、いざと言うときのために用意しておいたお茶が実は味付け海苔の缶詰で、ドタバタするなどワイワイにぎやかにしめやかなはずの準備をしました。
 近所の人たちもまさか自分の車で連れてきているとは思っていなかったようで、「それにしても農協は遅いな」と外を見ていましたが、ほどなく「連れてきているなら先に言わんかい!」とこれまたあわただしく車内から父を引きずり出して布団に寝かせました。

 今月初めに脳卒中で緊急搬送された時に大方のことはこの想定して準備していたので順調に進み、法事に出ていた方丈様が戻ってきたことで、25日お通夜で26日葬儀と決定しました。

 弟たちが到着したころにはほとんどのことが決まっていたのですが、写真が見当たらない。
 年老いてからほとんど写真に写りたがらなかったのですが、母が亡くなってから写真をあらかた処分していたようです。
 私の撮った近年の写真では朝霞の自衛隊駐屯地に行ったときに戦車の前で写した写真で、戦車の砲弾が頭の後ろに写っている。こりゃいくら何でもまずかっぺ。と今夜一晩写真探しになりそうです。

 一昨年父がガンで緊急搬送されたときに、私がマスクをしていても顔の表情がわかるように、爪楊枝で目じりにしわを付けてから病室に入るようにしていましたが、今では普通に目じりにしわができるようになってしまいました。
 今回の病院内でもナースさんや医師に気兼ねさせないように目じりのしわを意識しながら接していましたが、日本人の「微笑」の奥深さを自ら体感しました。

 当たり前でもありながらなかなか得難い経験をさせてもらったので、葬儀が終わるまで何とか気張ろうと思います。
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息抜き

2014年12月22日 | 日記・エッセイ・コラム
 父の様態は酸素飽和度90には達したものの、平均心拍数40、脈拍100を越え、安定した危篤状態と言ったところです。
 何とか天皇誕生日は向かえられるかな?秒読み段階に入っています。

 村の英会話教室のクリスマス会に顔を出してきました。
 例年、一品持ち寄りで行われていますが、今年は会場が押さえられず、レストラン「貴族の森」沼田店でのピザ食べ放題コース。

 ちなみにこの店の店長は私の従兄弟。この店長の母親が昨日雪で滑ってガードレールと喧嘩して肋骨を入院中の父の妹。
 叔母は2ー3日で退院できると申していましたが、どうやら様子を見るために2週間程度入院が続くみたいです。

 「毎日顔を合わせているね」と、のんきにこんなところで顔を合わせている場合ではないのですが、多少の気晴らしにはなりそうです。

 サラダバー、ドリンクバーも食べ放題なのですが、女の強さというのか、容赦会釈なくがっつりと盛り合わせていくんですね。はたしてそんなに食えるのか?と疑問に思いつつも、しっかり完食しさらにパスタとピザを食べる。追い打ちをかけるようにデザートが別腹です。

 この喰っぷりと神経の太さを見ていると、地域の役員なども男女平等を強く押し進めていくべきではなかろうか?
 どこの地区でも区長や評議員などなり手がいなくて、年明けから3月頃までは師走ならぬ長走で、「長」のつく役を持っている人が次の後任を探して奔走します。
 かく言う私も今期限りで足抜けする交通指導員の後釜探しに四苦八苦している状態です。

 村の人口だって女性の方が多いのですし、是非とも地域の役割で活躍していただきたいと常々願っているのですが、社民党なんかこういうことを後押ししないんですかね?女性役員の活躍などあんた等の得意な領域でしょう。

 食べきれないほどピザ注文しておいて、お持ち帰りできないので結局私が無理矢理食べさせられることになりましたが、こうしたことも予想して最初から食べないでいたんです。さめて堅くなったピザってあまりありがたくないんですけど、胸焼けになりそうです。

 60代女性というよりこの年代の女性はウーマンリブの風が吹いた時代を歩んできたので主張は強いし行動的。でも、責任感まるでない。しかも考え方もえらく単純なので、諍いごとを増やすばかりかな?
 下の世代に行くほどしっかりしてきます。物事の考え方も多面的に考えられるので社会事情などもその背景などを考慮しながら物を言うので、任せても心配ないなと思えます。

 とにかくヨイショして煩わしい役を彼女らにも背負ってもらおう。
 いつも息抜きしてばかりいるようだけれど、久しぶりに息抜きしました。
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雨上がり

2014年12月21日 | 日記・エッセイ・コラム
 昨夜は病院に戻って待合室のソファーで一晩過ごしました。院内の気温21℃は温かくはないけれど、看護師さんがブランケットをもって来てくれてボチボチ快適です。
 完全に熟睡して夜明け前に目が覚めましたが昨日の夕方の雨がうそのように青空が出そうな気配でした。と言うことは放射冷却で朝は冷え込んだわけです。

 父の病室に行くと酸素飽和度が87%まで上がっておりましたが、自動車免許の学科試験だって90点以上、二種免許なら95点以上要求されます。まだ安心できる状態ではありません。不整脈が出る兆候もだいぶ少なくなりましたが、どこで急変するかがわからないのが恐ろしい状態でした。
 父の反対側のベッドに寝ていたおじいさんは、深夜に様態がおかしくなったのか?昨夜までなかった気管支挿管がなされていました。これで病室の4人全員にフクダデンシのモニターが取り付けられたことになりましたが、さっそく、携帯電話の電波がどのように作用するのか?科学的見地から実験してみましたが、さすが日本の電子機器、微動だにしません。試しに、テレビのリモコンの赤外線を照射してみると?これも変化なし。この病院は院内で携帯電話の規制がないのもうなづけます。
 何しろ、対話できるものがこのモニターに映る数値しかない。病室でただ漠然とモニターに映るグラフと数字をボケーっと眺めているのが付き添いの現実。

 11時ごろまで病院にいましたが、今度は沼田に住む父のすぐ下の妹が軽のワゴンで雪の塊に突っ込んで肋骨を折ったと知らせが入り、そちらにすっ飛んで行くことになりました。
 琴の教師をしているのですが、今朝、教室に向かうためにクルマを運転して出かけて、昨日の雨が凍った路面で滑ってガードレールに突っ込み、シートベルトが締まってろっ骨にひびが入ったようです。
 雨で道路がミラーバーンになっているので、息子が送っていくとクルマのエンジンを温めているうちにちゃっかり出て行ってしまったそうで、2-3日入院してからしばらくは自宅療養するみたいです。

 午後、いったん家に戻り地区の集金に回りました。
 共同浴場の温泉使用量や街灯の電気代、公民館の会費に組の積立金、今月は区費が入るので結構な金額になります。
 温泉使用量は何人いても一件1500円なので、自宅で風呂を沸かすより格安だと思いますが、その料金の大半は共同浴場の掃除の人に支払われます。基本的に温泉の湯元の善意で恩恵にあつかっているわけですが、これもまた歴史的な逸話が多々あり、機会があったら紹介したいと思います。

 これから寒くなると風呂に入ってポックリいく人が出るので、地区に4カ所ある共同浴場にはAEDが備え付けられていますが、ほとんど使う機会もなかったために使い方を忘れたとのことで、そのうちAED講習会をやるみたいです。
 10年ほど前のことですが、私も風呂場の洗い場でひっくり返っている人を発見したことがあります。埼玉県から来た年輩の観光客で、手首の首の頸動脈も脈が降れないので、心臓マッサージのまねごとをしたら息を吹き返しました。そのまま着替えて帰ってしまいましたが、この件がきっかけで心臓の疾患が見つかったとかで、半年ほどたったころにネギ一束持ってお礼に来てくれました。
 この頃、風呂場でぽっくりが続いたのでAED導入のきっかけになりました。
 私の家は共同浴場から少し遠いので、冬の真っただ中に風呂から上がって家に戻ってくると、洗い髪が芯まで冷えるを通り越してガチガチに凍ります。タオルも凍って棒のようになります。まだその気温には至っていません。

 そろそろ冬至なのでこれから日照時間が伸びてきますが、寒さはここから一カ月が本番です。
 原油価格が下がっていると言うので灯油の買い控えをしていましたが、年末年始の分だけはそろそろ確保しておかなければなりません。私が灯油を刈った翌日あたりに値段が下がるようなこの冬です。
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開き直って

2014年12月20日 | 日記・エッセイ・コラム
 11時半ごろ父が入院している病院から、酸素飽和度が上がらなくなって危篤状態になったので、会わせたい人がいたら読んでくださいと電話が入りました。

 17日に気管挿管して以来、フクダデンシのモニターに一喜一憂していましたが、昨日の夕方のSPO2(動脈血酸素飽和度)は85前後でした。通常なら100が当たり前で、95から上が普通のはずで90以下はやばい状態です。連絡を受けて病院に駆けつけるとSPO2が72前後を推移していました。
 思い切りまずいな。と弟たちに電話をして呼び出しました。

 16日に父の姉が胃と胆のうと子宮を取る大手術をしたばかりで、こちらは昨日あたりからリハビリが始まっているようですが、前橋や高崎に住んでいる父の兄弟には雪道が心配なので、一応連絡だけ入れておきました。

 ドパミンで無理やり心臓を動かしているようなものなので、不整脈も出ているので心臓が耐えられなくなるか、肺に痰などがたまって呼吸困難になるか?息を引き取るシナリオは3-4つに限定されてきました。何よりやせ細って体力もそろそろ限界でしょう。

 弟たちは子供を連れてやってきましたが、高校生以下は見舞いに入れない病院の方針なので、待合室で私と話をしながら過ごしました。実際、ホースでつながれている姿を見せるのも忍びなかったのですが、まるきり意識がないわけではないので孫の顔くらい見せてやりたかった気もします。

 夕方にはSPO2が82-3にまで上がりましたが、厳しい状態であることには変わりがありません。

 毎日私が病院を訪問しては手や足をさすっていましたが、看護師さんが「お子さんたちも病気になった時にお父さんにそうやって育ててもらったんですね。」と言われて弟と顔を見合わせました。
 政治だ選挙だ高速道路や新幹線の誘致だと飛び回っていて、少なくも自分の子供が病気になった時に世話をしたような記憶はないぞ。私が小児結核になった時は母が身ごもっていたために、私は祖父母の元に預けられ父は顔も出さなかったし、小学生時代に私が学校でマムシにかまれたときも自民党のなんたら勉強会とかで東京に行っていて連絡もつかなかった。弟がハシカになった時は両親とも外出中で、私が弟を背負ってバスに乗って病院に連れていたのですし、よくよく考えてみると、弟たちも病気の時にこのオヤジの世話になった覚えがない。
 愛憎悲喜こもごも。

 ただ、私たちは自分の親がその親を最後まで世話して看取ったから、その背中を見て同じようにしているだけです。弟二人はそれぞれマスオさんで嫁さんの家族と同居していますが、自分の親は離れていたので手を貸せなくても、今一緒に住んでいる嫁さんの親をしっかりと世話して、その姿を子供たちにも見せておくように伝えました。

 いよいよ人生の終末に差し掛かった親を見ながら、はたして、向うは納得しているのか?こちらの一方的な自己満足なのか?判断しかねています。

 今月1日の私の発見が早かったことと、処置が正しかったことが逆に痛い思いをさせて苦しめたのではなかろうか?と疑問に思うこともありますが覚悟はできているので、もはやあと何日ではなく何時間と割り切って、淡々と接するしかありません。

 午後から雪ではなく雨が降りましたが夜半には久しぶりに雲のない夜空が広がり、見上げれば頭上にオリオンの三ツ星。冬の星座になりました。
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雪の朝

2014年12月19日 | 日記・エッセイ・コラム
 雪もひと段落しました。
 積雪は1m程度でしたが、湿度がある雪で気温も低くないのでお天道様が顔を出すと締まって根雪になることでしょう。
 今週末にオープンするスキー場も多いみたいですが、すべてのコースが滑走可能になるまではもう少し積雪が欲しいみたいです。
 早朝、国道までクルマが通れるだけの道路の雪をかきに出ていたら、役場の除雪車がやってきました。多分、夜通し枝葉の道の除雪をしていたのでしょう。今年2月の大雪のでは出動が遅れたために、重機まで職員がたどり着くことさえままならなかった教訓が生きています。

 病院の待合室で朝日以外の各新聞を読んでみたら、除雪が追い付かなくて交通や流通機能が麻痺している街の様子が紹介されていました。自衛隊が出動した地区もあるようです。、予想もしない所に予想もしなていなかった量の雪が降るからトラブルが起きます。決して行政だって手を打っていなかったわけではないと思いますが、雷様がその上を行ってしまうからお手上げになってしまうわけで、とやかく言うならメディア総出動でスコップ持って駆け付ければいいじゃない。

 身の回りの雪かきでごたごたしていたので通学路の歩道の雪かきが間に合わなかったのですが、今の子供たちは自家用車で送迎ですから昔のように国道を歩く光景も少なくなりました。
 犬をつれて散歩している年輩の男性に会いましたが、利口な犬なので主人の前を歩きません。ご主人さまが雪を踏んだ跡を上手に歩いてついてきていました。ラッセルと言って、先行者が雪を踏んで踏み跡をつけてくれると後ろの者は歩きやすい。主従関係から言えば犬が雪をかき分けて歩き、その踏み跡を飼い主が歩いてくるのが本来の姿だと思うのですが、こちらも下剋上の時代なんだろうか?
 
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過激?

2014年12月18日 | 日記・エッセイ・コラム
 やはりそうだったのか!
 関西で結婚詐欺おばさんが保険金目当てて男を次々と毒殺していた事件が発覚し、犯人の婆さんが京都府警に逮捕された事件のことですが、沢口靖子率いる科捜研が動いていることは想像していました。
 先週、先々週の化学ドキュメント「科捜研の女」のビデオを借りてきた見たらやはりシアン化化合物について取り上げていました。やっぱ科捜研動いていたんだ。事件解決の背景に沢口靖子あり。
 
 昨夜からの雪はまだこれからが宴もたけなわですが、朝、近所のお年寄り宅の玄関前の除雪に行ったら、「お茶飲んでけ」と呼ばれました。
 「袋のままで皿に盛り付けていないけど暴れるなよ。」と茶菓子にピーナツの小袋を出してくれました。大韓航空機の引き返し事件を皮肉っているんでしょうが、よくそんな事件知ってますね。と聞くと、「そりゃぁやることねぇだもん。日がな一日テレビ見ていりゃ、こうした馬鹿な話だって耳にするさぁ。」

 「貧乏人が乗ったこともない飛行機なんかに乗るからのぼせ上がっちまったんかいなぁ。」とおばあさんは分析してました。たしかあの暴力事件の犯人は大韓航空の社長の娘で副社長だったと思いますが、精神構造は同じような気もします。さすが年の功、ポイントは外していません。
 その後、娘の育て方を間違えたと言う意味で田中角栄さんの話題になったのですが、「七光りものはダメだねえ。」と結論に至りました。

 航空会社の機内サービスが云々と得意げに話す人も結構多いけれど、そんなものどうだっていいからもっと安く飛ばないもんかな?安井早い旨いが一番だと思うけれど、円安で牛丼が値上がりするのは今までが無理して安かったんだから仕方ないにしても、原油価格崩落状態なのにまだ燃油サーチャージとっているんですから二重価格ですね。

 パキスタンでは過激派が学校を襲撃して100人を超える死者が出たけれど、あれってマララさんがノーベル平和賞もらったことに対する反撃なんだろうか?だとしたら、平和賞の意味があるのだろうか?多分、学校や子供たちに対する襲撃はこれから増えるかもしれない。むしろ、これからが若いマララさんに苦渋がのしかかるのでしょうね。担ぐ神輿は軽いほうが良いとマララさんを担いでいる大人たちはそんなことどうでもいいんだろうけれど、禍根を残しそうな予感がします。

 「俺たちは正しい!」「We Are Right」最初の文字三つで「WAR(戦争)」ですから、正義って怖いですね。
 ピーナッツのおばさんだって「乗務員教育がなってねぇ」と当人とすれば「正義感」だったのかもしれないけれど、だいたい高飛車に出るときは当人にも後ろめたさがあるから勢いで乗り越えようとしているもので、それを疑う智慧がないことは惨めなもんですね。

 雷様だって「ちゃんと仕事してるんだ。文句ないべ。」と大雪降らせているわけで、ほどほどにしてもらえないか?って、真っ白でかすんだ夜空眺めてお願いしています。
 
 
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大雪の予感

2014年12月17日 | 日記・エッセイ・コラム
 本格的に雪が積もりそうな気配になってきました。明日の朝どうなっているのだろう?天気図を見ると今までお目にかかったことがない気圧配置になっています。
 今日までに降った雪は湿度が高い湿った雪でしたが、夕方からは乾いた雪に変わったので、前日までの雪の表面が凍結した上に粉雪が降り積もると表層雪崩が起きやすくなります。

 夕方、病院から父の様態が悪くなった電話があり急ぎ駆けつけました。
 午前中は体調も良く、リハビリのほかに入浴もしたそうですが、午後から呼吸が浅くなり酸素飽和度80、喉にチューブを挿管して湿気を含んだ酸素を吸引させることになりました。
 集中治療室に連れていかれたのかな?と予想して病院に行きましたが、一般病棟のままでベッドの周りに酸素吸入の機械が並んでいました。ちなみに、すべてメイドインジャパンでした。
 それにしてもこれだけいろいろ機械仕掛けになると、使いこなすのに医師はもちろん看護師さんの負担も別の方向に要求されることでしょう。村の診療所のベテランナースのおばちゃんなどスマホで挫折して、簡単ケータイに逆戻りしているので近代的医療には不向きですが、往診先のじいさんばあさんのことはやたら詳しいのでこれもまた適材適所で必要な能力です。

 病院の駐車場では大雪で患者が外に出られなくなる地域のための巡回医療車の準備をしていました。

 父の状態は懸念されていた肺炎状態になったようで、肺の下部にたまった痰を吸引して小康状態まで持ち込みました。
 これで持ち直したにしても、今後この事態を何回も繰り返すことになるのでしょう。

 四肢末端とはよく言ったもので、指先を触ったらいつもより冷たい。湯たんぽで温めてもらいながらやはり酸素が行き届いていないのだなとわかりました。
 当人は意識もあり、もともと脳が損傷して言葉がしゃべれなくなっているので、喉にチューブが挿管されていても喋れないことには変わりないので、こちらの問いかけに手を握り返してもらうことで応答しました。

 様態も安定して帰る頃になると外は雪が積もりはじめていました。こちらでは何ということもない雪ですが、お天気奉行所の予言では我が家の界隈では一晩で6-70cmの積雪になるとか。もし万一のことがあって雪の少ない地域に住んでいる弟たちが来ることを考えるとこれもまた気がかりでした。

 病室の父のあい向かいのベッドに脳の手術したおじさんがいますが、回復してきたようでベッドを起こして新聞を読んでいました。
 多分昔なら死んでいた病気なんでしょうが、医療技術の進歩は大したもんだなと感心しつつよく見ると、新聞を逆さにして読んでいました。脳の手術の影響で文字が逆さに見えるのだろうか?もしかして、新聞の文字など読めなくて、ただ単に読んでいるふりをしているだけなんだろうか?キレのあるボケっぷり、なかなかの使い手かもしれない。今後注目したい人物です。 
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