のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

裏事情

2014年01月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 葬儀、告別式、七日の一杯も滞りなく終わり、コクがあるけどキレがない豚骨風味の体です。

 

 朝から火葬場の世話係で、作業着に運動靴で出かけました。いつもはスパイク付のゴム長をはいているので、そのつもりで凍った道路を歩いたら景気よく転んで、腰をしたたか打ちつけてしまいました。

 

 火葬場での待ち時間に方丈様に「大悲心陀羅尼」と言う経文について聞いてみました。耳で聞いてもわからない、文字を読んでもわからない。サンスクリット語の音を日本読みの漢字に当てはめたお経で訳すことが不可能だったために元の言葉で唱えられるお経だそうです。

 実は台湾でこのお経を聞いたことがありますが、微妙に音が違った気がしました。多分、元の言葉に漢字の音を当てはめる時に日本語の感覚とは違う音になってしまったのでしょう。

 

 「どうだい。大悲心陀羅尼を写経してみるか?」と言われたので「ワープロ使っていいですかね」と聞いたら、「これだからお前さんは・・・困ったもんだ。」と笑っていました。

 

 昨年末から葬式続きで今回が5件目。昼間はなかなか時間が取れないので、いつもは夕方通夜に行ってご無礼を許してもらうのですが、疑問に感じていることがありました。

 

 斎場の係員で引き物の担当をしている「ナニワ金融道」キャラのパンチパーマのおじさんがいるのですが、どうもおかしいと違和感を感じていました。

 今日、斎場の式典の係員にこっそり質問してみたところ、私の予想通りカツラだとわかりました。今日は特にきれいにカールしたパンチパーマの首筋の部分さけストレートに髪が伸びていたので、境界線がはっきりわかりました。

 

 「このところ忙しかったのでヘアーサロンに行く時間がなかったんですよ。」命取りになりましたなぁ。

 それにしても、顔つきが週刊大衆向きでパンチパーマでは職業が特定されそうですが、「当人があの手の映画が好きみたいで、昔は自前の髪の毛でパンチパーマにしていたみたいですよ。」

 失ったものへの未練。仕事がら年じゅうお経聴いてていて解脱できぬのだろうか?

 

 以前、親戚の葬式で東京方面に出向いた時、戒名をつけるのに名前や生年月日や宗派や趣味などをパソコンに打ち込んで戒名を、作り出していました。

 最近ではフリーソフトで戒名をつけるソフトが存在するそうで、戒名ばかりか自分の名前や出身地を入力して相撲のしこ名をつけるソフトもあるみたいです。これがまたものすごくセンスが悪い名前が出てくるとか。

 てなわけで、本日はこれまで。おやすみなさい。

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やはり嵐が

2014年01月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 厳かに、何事もなくしめやかにお通夜はいとなわれました。

 なんて事がないのが魅力なんです。そう思わなければやってられない。

 

 事の始まりは出棺から始まりました。納棺が午後3時半、出棺が4時15分。この微妙なタイムラグが組の長老No1と長老No2に火をつけました。

 

 我々は午後3時に集合することになっていました。納棺は基本的にご家族が行うもので、我々組の人間は関係ないのですが、いろいろ裏仕事があるからこの時間かな?と考え、納得していました。

 3時にはみんな集まり、私は竹ぼうきで家の周囲の掃き掃除をしていました。長老No1が「出棺まで時間があるから俺んちでお茶でも飲もう。」と一同を連れていきました。

 

 私はまだ掃き掃除が残っていたので葬儀委員長と外に残っていたら、長老No2が「それなら集合をもう一時間遅くしてもよかったじゃないか。大体、野郎が言い出しっぺのくせに、うちによって時間つぶせとはどういうことだ!」と葬儀委員長に詰め寄り、にわかに嵐が吹き荒れました。

 

 この二人がことあるごとに激突するのは年中行事なので、いつもは若手No1の私と若手No2の喪主が引き離して相手をしていますが、今回は若手No2が喪中の人。葬儀委員長は真っ正直なので言われたら何とか対応しようとする人なので、「まぁまぁ」とホトケさんの思い出話などをして話題をそらし、3人で外で立ち話をしていました。

 

 地区の運営を巡って「あいつは俺が区長の時足引っ張りやがって。」とはじまりましたが、この組、役者揃いなのでおじさんたちは私以外は全員地区の区長経験者。現在の区長は喪主です。皆が言うにはこの二人が仲たがいしているのはもっと歴史が長いみたいで、多分6-70年前から喧嘩しているみたいです。

 まぁ、田舎ですからこうしたことはよくあることですが、面白いものでけんか相手のどちらかがコロリと逝くと、後を追うようにもう片方も喧嘩をしに追いかけていくので、娑婆でやり合っている分にはありがたいことです。

 

 出棺の見送りも終わって我々もマイクロバスに乗って斎場に移動。この時は私が長老No2を誘ってバスの一番後ろに押し込めて、二人が近づかないようにしました。

 斎場では長老No1は和尚番で方丈様のお世話、No2は受付の総代で接近することもなく、私は受付の前のロビーでひ孫たちと遊んでいました。 

140130 受付が佳境に達した時、奇妙な一団がやってきました。

 お祭りの法被を着た神輿担ぎの一団で、黒服の上にそれぞれの神輿の会ごとにそろえた法被を着てやってきました。

 喪主は世を忍ぶ仮の姿で学校の教員をしていましたが、本業は神輿担ぎ。日本各地のお祭りの神輿を担ぎに出かけていく人物なので、その仲間がお通夜にやってきました。こちらのお祭りにも毎年顔を出す人が多いので、地域住民とも顔見知りです。

 

 面喰っていたのは県庁の受付。次男が県庁職員なので、互助会の人たちが受付に来ていましたがホトケさまは温厚で物静かなお婆さんでした。長男がお祭り男なんです。棺担いで練り歩くようなことはしないので、驚くほどのことじゃありません。

 

 100人ほど集まったお通夜は無事に終了し、方丈様の「生きること、命の重み」についての法話に皆さん感慨深くお帰りになりました。

 

 さて、一度は通過した台風ですが、すぐ後にもう一つの台風が迫ってきたのはお清めの頃からでした。

 

 方丈様のテーブルの隣の席に葬儀委員長、合い向かいに和尚番の長老No1。ここまでは定石どおりです。長老No1の隣に長老No2が座るのも定石どおりです。が、そこには椅子が一つ空く異様な「間」が存在していました。

 

 嫌な予感はしてたんです。みんなの視線に。

 

 「ただニコニコしてうまそうに食っていればいいんだから。」とどんより黒い霧に覆われた空席に私が押し込められることになりました。

 

 この時はこの地方の民話の話題で和気あいあいとしていたのですが、嵐が突然押し寄せたのは帰りのバスの中でした。

 

 私と葬儀委員長は斎場と翌日の打ち合わせをしていたので遅くなりましたが、バスに乗り込むと長老No1No2は一番後ろの席に並んで座っている。並んだ、並んだ。インドのブッダガヤの北東にナーランダ寺院があります。これも仏のお導き。オラ知らねぇ。と、一番前の席に座りました。

 

 バスが動き始めて数分経つか経たないか、始まりました。

 「生意気なこと言うんじゃねぇんだ!」「だいたいてめぇはガキの頃から気に入らなかった!」「歳とったらそれなりの分別を身につけろ!」なんて怒鳴り合いから子供の頃のカブトムシの争奪戦の諍いまで、時空を超えて甦る怨念のせめぎ合い。多分あの世に行っても続く那由他の戦い。

 普通、歳をとると物わかりが良くなり諦めも身につくので穏やかになるはずですが、この一部の老人に関しては歳を重ねるごとにこらえることができなくなって爆発することが多くなっています。

 

 私より3歳年上のホトケさまの娘は「相変わらず元気だよねあの二人は。」ホトケ様の孫娘は「またあの爺様たちはぁ・・・」と頭を抱え、地元住民は昔から見慣れているので法事のお経の延長のようなものですが、こちらに住んでいない次男嫁は「何か無礼があったんでしょうか?」と心中穏やかではない。

 

 バスが到着し「本日はお疲れ様でした。」「また明日もお世話になります。」とあいさつした後、「じゃあ、続きは明日な。」「おう!」爽やかに各自家に帰りました。

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おくやみ

2014年01月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 結構忙しい一日でした。 

 

 父の家の薪ストーブの煙突掃除をすることになっていたので、まだ薄暗い早朝6時に頭にヘッドライトつけて屋根に上って煙突掃除を始めました。早朝作業と言うより、こんな暗がりの中で屋根に上っていたらどう見ても怪しい人にしか見えないと思うけど、ストーブに薪をくべられる前が勝負です。

 

 それから昨日の夕方亡くなったお婆さんの家に行き、組の人たちと葬儀の段取りをしました。今回の私の役回りはお告げと火葬場と野(お墓)の担当。最年少はいろいろ役回りが多い。いつも私と組まされている元教員の2番目の年少者は今回喪主。

 

 告別式の後の念仏の先達も今回は私の順番だったのですが、このあたりでは「寒念仏」と言って、寒の入りから30日間は葬儀の後の地元住民による念仏をやりません。

 昔と言っても大昔はこの寒念仏の期間は村人が集って鐘を鳴らし仏様の供養していたそうで、その名残と言うより恩恵で簡略できたのかもしれません。大昔はお寺ではなく自分たちで死者を弔っていた名残の念仏です。

 

 さすが昭和のドまん中を突き抜けた人たちはすごいなと感心したことがありました。弔問に来たおじいさんが、竹を切って作った花瓶をもってきて花を一輪さしてまくら花にしました。多分、今朝この竹を切ってきたのでしょう。

 枕もとの花一輪で雰囲気がずいぶん変わると言うのか、亡くなった方や供えた方の人柄を語るようで妙に胸をかきむしられました。お悔やみの言葉を口にせずとも花一輪で語ってしまう「粋」。日本映画の世界だ!と感動しました。

 

 午前中は二人で組になって手分けをしてお告げに回りました。古い家系なので親戚も多く私の家もその親戚筋の端くれになりますが、200年以上昔からの付き合いみたいです。よばれる人の名簿を見るとだいたいつながりがわかるので田舎は恐ろしい。

 

 弔問に来たお年寄りの話を聞いていたら、90代のお婆さんですが、足が痛くて病院に通っていたところ耳の遠いのが治って、今では補聴器が必要なくなったそうです。足の治療で耳が治るとは、大正生まれは体の構造が現代人とは違うのでしょうが「明治はもっとすごかったぞ。」と言われました。

 

 私は地元のお告げ担当でしたが、つい先月までは頻繁に顔を合わせていた人たちばかりなので、急な訃報に驚く方も多かったです。

 お告げやお寺との相談は必ず2名以上で行くのがしきたりで、この地域の民話では面倒だからとひとりでお告げに行った男がもののけに取りつかれて帰ってくる伝説があります。今は大方電話で片づけるのですが、村内は直接回るようにしています。

 自宅ではなく葬祭場で葬儀を行うのにクルマを運転しないお年寄りもいるので、お告げに回りながら近所で乗り合わせて乗せて行ってもらう人の手配もしなければなりませんでした。

 

 お告げから戻ってくると「野」の仕事の一つでお墓の掃除。我が家のすぐ下にお墓がありますが、年中このお婆さんがお墓の掃除をしていたのであらためてやるようなことはなく、バケツに雑巾もっていって石塔を洗っただけでした。

 墓碑一覧には一番古いもので明和三年(1776年)の戒名がありました。20年前に亡くなったタダちゃん(このお婆さんの連れ合い)が整備したお墓ですが、タダちゃんが亡くなる5日ほど前に長年愛用のクボタの帽子をかぶって我が家に顔をだし、いろいろ山の話などしたことを思い出しました。

 

 お墓の掃除をしているとこれも習わしの通り、葬儀委員長がお清めの日本酒をもってやってきました。

 「タダちゃんが死んで20年もたつのか」とお清めいただきながら思い出話になりました。タダちゃん健在の頃はこうした儀式を仕切ってくれたので頼り切っていたそうですが、仕切るどころか、自分が送られる順番待ちになってきたなんて話題になりましたが、私より若い人がいない組なので、私の時にはどうなるんだろう?「無縁仏で決まりだな!」とお墓で酒盛りして本日は解散。

 

 あわただしくはなかったものの、民俗学満載の一日でした。

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お諏訪様

2014年01月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 夕方4時ごろの出来事です。

 

 近隣の市の山間地の氏神様のお諏訪様の神社に行ってました。

 周囲は森になっており、こんなところに神社があることさえ気がつきにくい場所でしたが、そこに至る道はコンクリートで舗装され、周りは竹と杉林になっていますが一の両脇に樫の木が並木になっており、それも直径1m近い樫の巨木で長い年月賭けて地域の人たちが育んできたことを察しました。

 

 この界隈ではお諏訪様を祀っている場所は北条氏の支配地だった場所が多く、真田や上杉の影響下にあった私の住む界隈にはありません。

 私が住むあたりの氏神様は山神に属する神様が多く、山の神様はほとんど女の神様です。

 

 お諏訪さまがあるところから今日行った地域がかつて北条氏の影響下にあった土地で、山間地でも一応はアマテラスオオミカミのお仲間の神様を祀っているので、今でこそ住んでる人間はアバウトでも昔は都の秩序に従っていたことを察しました。

 

 樫の大木のほかに社の周辺には椿の類も生えており、その枝が欠かれていたので神事の際に榊に利用したのでしょう。

 

 多分この土日にでもお参りに来たのか?お赤飯が半紙の上に置かれていました。氏子代表の人が言うには赤ちゃんの初宮参りだそうです。

 

 参道の山側は山の神様の領域らしく十二様の祠がありました。人ともののけの境界のような場所ですが、そうなると我々は物のもののけの側の住人だと言うことになります。もののけと言うより古神道と呼んだほうが良いのかもしれません。

 

 夕方4時少し回った時ですが、杉林に囲まれた参道に一瞬ですが白い煙のような光が空に向かって突き抜けていきました。一緒にいた人も「降臨ではなく昇って行ったよな」としばらく上を眺めていました。

 山の民人はポジティブですから、根拠はないけど「これはよいことがある吉兆だ!」とお賽銭おそなえして「ありがとうございます!」とお諏訪様にお礼を言って帰ってきました。

 

 家に戻ってボンカレー食べてご機嫌さんでいたら近所のおばあさんが亡くなったので集合せよの連絡が入りました。昨年末は畑に出ていましたが、年明けごろ体調を崩して入院したと言うので、組の代表が先週見舞いに行ってきたばかりでしたが、急に亡くなってしまいました。

 明日はお告げ、31日が葬儀になりそうです。

 

 亡くなったのが夕方4時ごろだと伺い、あの白い光はあいさつに来たのかな?なんて思えるのですが、それじゃぁ、賽銭は?賽銭どうなるんだ?

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信条なし!

2014年01月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 この春、町議会選挙があるので、そろそろ色気を持つ人が動き始め出しました。今まで挨拶もしてくれなかった人が急に愛想が良くなるので、いよいよ直下型地震が首都圏を襲うか?と不気味に思えてなりません。
 地域の寄り合いなどにも、今まで縁もゆかりもなかった人が顔を出して「みなさまの要望を」なんて言うものの、「邪魔だから帰りなさい」とは言えず「何かなかったっけかな?」「公民館の冷蔵庫のビールが少なくなってきたな」「急に言われてもな」
 改めて突きつけられると案外行政に要望なんてない。重要なことは区長が会議に持って行くので、他は自分たちで何とかできることばかり。

 

 昔のように地区の代表で議員を出さなくなったから、議会報告のようなパンフレットが来るのも選挙直後と選挙の直前。あとは取り立てて縁がないし、合併してから議員の存在感が薄くなった。

 

 選挙が間近い当人としてはそりゃもう必死だわさ。重要なのは日頃の積み重ねなんだけど、中高生の勉強と同じで中間試験や期末試験の直前になって慌てるようなもので、中間試験がないだけ議員の方が手を抜ける。今「ノート貸してくれ」と同級生訪ね回っているようなもので、中には日本酒と言うカンニングペーパーを用意している連中もいるとかいないとか。

 日本酒飲まないもんですから、いただけるなら現金でお願いいたします。ハイ、魚心あれば水心。お礼と言っては何ですが、ご偉業と共にご芳名をこのブログで紹介させていただきますので、候補者の皆様、こぞっておいでくださいませ。

 

 昨日は地元の県議会議員の新年会があったそうですが、近隣の村の再来年の村長戦に向けて動き出している村議会議員がいたそうです。
 前回の県議会議員選挙では落選した方の候補を押していた村議会議員ですが、いつの間にか現職の雛壇に偉そうに座っていたそうです。この村議会議員、その村のプチプロ市民の会合に顔を出して胡散臭いNPOの役員をやったかと思えば、創価学会の会合などにも顔を出す。

 

 思想信条どうなっているんだ?と首をひねりたくなりますが、てめえの懐が全てさ!本音はともかく村長になるのって大変なんですね。ご苦労様です。恥を知らない日本人って魅力ないです。

 

 そういえば私の町の町議会議員にも似たようなのがいるな。共産党系の病院職員から議員になった男ですが、民主党員としてデビューし、枝野なんたを呼んで講演会などもやっていました。が、一昨年末の衆議院選挙の時には自民党候補者の決起集会に参加しており「今度自民党員になったんですよ。」なんてことを申していました。
 こんなざまですから、この春の選挙の落選候補者のトップに見なされていますが、組織票は魅力なんでしょうか、こいつも創価学会の会合に母親を伴って顔を出して「創価学会に入れてください」と申し込んだものの、あの宗教団体だってバカじゃない。あっさり断られたそうです。

 

 思想信条をなげうってでもすり寄ってくる奴が公約など果たすはずもない。叩けば埃はいくらでも出るけれど、自分の行動に誇りはない。あえて敵に回すほど暇でもないから、はいはいそうですかと話を聞くふりをしながらシカトする。韓国に対応するようなものですよ。

 

 こういう人たちって、選挙そのものが目的なんですね。村長や議員になって何をやりたいのか?そこんところがほとんど明快ではない。政治屋どころか選挙屋です。

 

 都知事選挙も近くなりました。投票する方々も責任をもって選んでくださいね。

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冬の夢

2014年01月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 雪はそれほどでもなかったのですが一日台風並みの強風が吹き荒れました。

 

 もうすぐ冬季オリンピックが始まると言うのに全然盛り上がっていませんね。チェチェンテロリストが何かやらかすのでは?と、こちらの方は盛り上がっていますが、肝心のオリンピックは妙にしらけている。

 大会が始まればニッポンチャチャチャになるとは思っていますが、そろそろ準備しないとね。

 

 ロシアでは盛り上がっているのだろうか?と、何気にネットをさまよっていたらアルスゥが歌っている映像を見つけました。オリンピックマークが入っているから今年の映像なんでしょう。アルスゥは1983年の生まれですからモスクワオリンピックの時には生まれていません。

 

 彼女が20世紀末に「зимний сон(冬の夢)」で世に出た時は16-7歳だったと思いますが、大人っぽい感じがしました。と、言うよりも、いつまでも子供っぽいままが好まれる日本人とは感覚が異なるのでしょう。

 

 デビューしたころは髪の毛をブロンドに染めていましたが、肌がいくらか褐色だったのでタタール人の血を引くと言うのも納得できました。

 久々に見るとオトナになったと言うよりおばさんになった感じがしますが、それはさておき今聴いてもいい歌だなぁと懐かしい思いがします

Звезды поднимаются выше,
Свет уже не сводит с ума.
Если ты меня не услышишь,
Значит наступила зима.
Небо, загрустив, наклонилось,
В сумерки укутав дома.
Больше ничего не случилось,
Просто наступила зима.
星は高く、明かりは夢を見させてくれない
もし、あなたに私の言葉が届かないなら、それは冬の訪れ
夕闇は家を包み、悲しく空はその身をかがめる
ただ冬が訪れただけのこと、何も起きはしない。


В тот день, когда ты мне приснился,
Я все придумала сама.
На землю тихо опустилась зима, зима.
Я для тебя не погасила
Свет в одиноком окне.
Как жаль, что это все приснилось мне.
その日、あなたが私を夢に見た日に、私はすべてがわかったの
冬が、冬が、しずかに大地に降ってくる。
あなたのために、たった一つの窓の灯火、
なんて惨めなの、みんな私の夢だった

В сны мои луна окунулась,
Ветер превратила в туман.
Если я к тебе не вернулась,
Значит наступила зима.
Может помешали метели,
Может предрассветный обман.
А помнишь мы с тобою хотели,
Чтобы наступила зима.
私の夢が月を包み隠して、風を霧にしてしまった。
もし、私があなたに戻さなければ、それは冬の訪れ
吹雪にまみれるかもしれない、偽りの夜明け前かもしれない
でも、それをあなたにおぼえていてほしかった、冬が来るように

В тот день, когда ты мне приснился,
Я все придумала сама.
На землю тихо опустилась зима, зима
Я для тебя не погасила
Свет в одиноком окне.
Как жаль, что это все приснилось мне.
その日、あなたが私を夢に見た日に、私はすべてがわかったの
冬が、冬が、しずかに大地に降ってくる。
あなたのために、たった一つの窓の灯火、
なんて惨めなの、みんな私の夢だった

 

Голос тихий таинственный, где ты,
Милый единственный, сон мой…
Вьюгой белою снежною стану
Самою нежною, сон мой…
神秘的で静かなささやき、あなたはどこにいるの?美しい一つの声、それは私の夢…
真っ白な雪の吹雪になる、とっても柔らかな、私の夢…
なんて惨めなの、みんな私の夢だった

 

 
В тот день, когда ты мне приснился,
Я все придумала сама.
На землю тихо опустилась зима, зима.
Я для тебя не погасила
Свет в одиноком окне.
Как жаль, что это все приснилось мне.

その日、あなたが私を夢に見た日に、私はすべてがわかったの
冬が、冬が、しずかに大地に降ってくる。
あなたのために、たった一つの窓の灯火、
なんて惨めなの、みんな私の夢だった

 

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科捜研のおじさん

2014年01月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 鹿が畑を荒らすので、この春から電牧を張るという近隣の市に住む猟師の知人と、メジャーをもって畑の外周を測りました。

140125 畑の中で物騒なもの発見しました。何者かの骨です。
 昨夜、科学ドキュメンタリードラマ「科捜研の女」をビデオで見ているので、気分は沢口靖子です。

 

 
 科捜研のおじさんになって検証するとこの骨は鹿の骨。鋭利な刃物のようなもので肉をそぎ落としたのか、骨に切り傷がありました。道具を使っているので、そこから想定されることはこの近くに鹿を食する人類がいると言うこと。

 

 縄文人か猟師のおっさんか?科学的想定は続きます。

 

 この鹿を食した縄文人か猟師のおっさんと思われる人物が、刺身で食べたのか?肉鍋にして食べたのか?刺身なら生姜醤油か?ニンニク醤油か?鍋ならば味噌仕立てか?醤油仕立てか?

 科学的想定はDNA検査などの検証を待つばかりになってきました。

 

 次週「科捜研の女」は私と沢口靖子がこの謎を解く。これをきっかけに風間トオルを追い出して私が科捜研に入り、沢口靖子と私のラブロマンスがドラマに加わる次のシーズン「科捜研の女と山のおじさん」が見えてまいりました。

 
 新シリーズ撮影の際はしばらく京都で暮らすことになるかもしれないけど、忙しい撮影の合間にできるだけこのブログも更新します。スターになっても皆様のことは忘れません。庶民的なおじさんスターでいたいと思います!

 

 鹿の骨を手にとって観察を続けていたら、「あぁ、それ。畑の中に埋めておいたんだけど浅かったんだな。プラウかけて天地返ししたときに出てきちまったんだ。」
 観念したのか?犯人が自供を始めました。
 「去年、おまえも一緒に食っただろう。あの鹿鍋のなれの果てだ。」
 私も犯人の一味でした。

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寺院

2014年01月24日 | 日記・エッセイ・コラム

140124a 地獄の沙汰も金次第。

 関西方面のいろはカルタに出てくる ことわざですが、閻魔さまの裁定も銭で何とかなると言う意味です。

 中国では葬式の時に紙銭と言う紙のお金を燃やして野辺送りしますが、地獄の沙汰も金次第の王道を歩む国なんですね。

 地獄の反対は極楽。黒竜江省最大のお寺はハルビンの極楽寺です。かつては街はずれだったらしいのですが、いつの間にか街の中央に近い場所になってしまいました

 戦中はこの寺院の前に日本の関東軍第三十歩兵連隊本部がありました。

 極楽どころかこの寺院の北の道外区などアヘン窟はあるわ死体が転がっていれば身ぐるみはがすわの餓鬼の巣窟みたいな場所だったようです。

 20世紀の末期でも道外地区に行くことは危険が伴うとまで言われていましたが、ハルビンの市街地のリニューアルで、古い住民を追い出して古いアパートなどは撤去され新しい高層マンションが立ち並ぶようになりました。

 が、新しいマンションの値段が高すぎて住む人がおらずゴーストタウンのようになっているみたいです。

 器は作るが中身は作らない。なんだか昨今の中国を象徴みたいです。

140124b 地獄の沙汰も金次第。

 21世紀になって金回りが良くなった中国ですが、いつの間にか大仏様は金ピカになりました。金ピカになったら大仏様の右手が「ちょいと兄ちゃん金だしな!」と恐喝しているようにも見える。

 日本人の感覚からするとありがたみがなくなったように思えてなりませんが、日本でも新興宗教はこうした派手な演出が好きですね。

 考えなしに金に任せて買い集めてきたあるいは建立した伽藍や仏舎利塔が無造作に並び、整然とした日本の寺院の感覚でお参りすると世俗的過ぎて「やっぱ新興宗教の本山?」と疑わしくなる。

 基本的に宗教を否定する共産主義の国ですから、こうした寺院が残っているだけでも大したものですが、欲得のお願いのための寺院では自分のご利益しか考えない新興宗教に精神的に近いかもしれない。

 仏作って魂入れずではありませんが、妙に精神性を感じないお寺になってしまいました。

 かつては中国経由で日本に仏教がもたらされましたが、中国では仏教が定着しなかったこともあって、毛沢東の文化大革命がなくても廃れていたと思います。改革開放路線に移行して、中国から日本に仏教を学びに来る僧侶もずいぶんいたようですが、ソビエト崩壊後のロシアも似たようなことがあり、日本でロシア正教の勉強した司祭様も少なくありません。

 多分この極楽寺も日本から逆輸入されたしきたりや儀式もあると思います。

140124c  このお寺の参道には仏具屋お守りなどを売る商店が立ち並びますが、これは門前町で日本も同様。

 ところがさすが中国だなと感心したのはお守り買うのも値段交渉するんですね。「三つ買うから安くしなさいよ」なんてやり取りをしています。およそ日本人にはおそれ多くてできない交渉です。

 門前町からして空気感が違う。参拝者のマナーも悪い。(それでも良い方だと中国人は申していましたが)こうした精神性を逆輸入できないものだろうか?

 あれやこれやと欲しがるよりも、手に入れたものをもっと大切にして磨かなければやがてそれが自分の足元を崩すことになるのにね。

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言葉

2014年01月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 こんな山奥で、社会的にはなんの影響力も持たないおじさんたちが論議しても意味はないのですが、茶飲み話にこの国のあり方などを話し合いました。

 

 
 もうすぐ70代に突入するおっさんは幕末から明治維新の頃の日本が好きな人で、あの維新の時代の変化を受け入れて順応した日本人の志と能力の高さに感服しているそうです。

 

 70年の人生、何もなせずに過ごしたことを悔いていると当人は謙虚に申しておりますが、選挙違反と酔っぱらい運転の事故という常人には成し得ない二つの偉業を達成しているだけでもたいしたものです。

 人生終焉を迎えるに当たってもうひと花咲かせたいというので、旬はすぎたけど、菅直人でも刺し殺してみてはいかがでしょうか?とお勧めしました。官房機密費で家を新しくしたみたいで、以前住んでいた武蔵野の家は引き払ったみたいです。

 

 
 暗殺する側より、暗殺される側の方が人物が大きいのは世の常で、暗殺者の名前のほうが知られているのは韓国限定の安重根くらいのものです。安は今の北朝鮮の出身だと思いますが、暗殺者しか世界に誇れる人物がいない民族と言うのも情けない話です。

 じいさんが菅直人の暗殺に成功した暁には納屋を改造して「記念館」を作ってやると話は進み、愛用の軽トラや鉈なんぞを展示して、「それじゃぁ今の納屋と変わらねえじゃねぇか!」と大笑いになりました。

 できれば暗殺されるような人物になりたいねと、話は餃子の王将の社長など飛び越して坂本竜馬の暗殺事件に移りました。

 

 「坂本竜馬と一緒に殺された上岡龍太郎って奴も大したもんだったんだよな。」
 あれ?なんかおかしいぞ?微妙に違うような気がするが・・・名前が思い出せない。言ってしまった当人も”何か違うぞ”と気がついたのか、微妙な無言の「間」が生じましたが、高知県に行ったときに室戸岬の銅像を見てきましたよ。多少の違いはあっても言わんとしているところの気持ちは分かるので、気がつかないふりをして話を路線に戻しました。

 

 このとき、私の脳裏に浮かんだ中岡慎太郎の銅像は、先頃亡くなったやしきたかじんさんの顔になっていました。

 
 
 かく言うこちらも中岡慎太郎の名前が思い出せないまま釈然としない一日を過ごしました。某国営放送の大河ドラマでは上川隆也がこの役を演じており、上岡龍太郎と似たような名前だったよな、とおぼろげな印象。つなぎ合わせるとやっぱ上岡龍太郎で良かったんだっけ?で、銅像のことを思い出すとメガネをかけたやしきたかじんの顔が思い浮かぶ。

 

 家に戻るなり「竜馬が行く」を書棚から引っ張り出し、あぁ、中岡慎太郎だったんだ。と憑き物が落ちたようにさわやかな気持ちになりました。

 

 関東に住んでいると、やしきたかじんにはあまり馴染みがないのですが、地元のローカル局で「胸いっぱい」というバラエティーを放送していてよく見ていました。

 

 関西に限ったことではないのですが、地元の言葉で喋るとかなり言い過ぎたような話でも許されるようで興味深いです。共通の言葉にするときには言葉はもちろん考え方もオブラートにくるまないと舌禍事件になりかねません。

 

 何か関東の番組でいらんこと言うて番組降ろされて、「もう東京のテレビには出ぇへん」言うて大阪にこもってもうたそうやねんけど、あれやねん、方言で言うたら角はたたへんけど、標準語で言うたら問題になることって結構おますねん。

 

 今、副総理兼財務大臣ばやっとお麻生太郎さんば知っとうや。失言ば多か人たいとマスコミは麻生さんば叩きようけど、博多弁やったらなんちゃ問題なか発言ばい。そいを、こげん小さかことば鬼の首ば取ったよう騒ぎよるけん、言うんやったら標準語ば使わんで博多弁で言うたらよかですばい。

 

 かようなわけでございまして、慇懃かつ美しい言葉で書かれているこのブログでございますが、心は地方の方言で物事を考えておりますので、「言いすぎじゃないの?」と思われることもございましょうが、悪意なんぞこれっぽっちもございません。基本、地方の田舎者の頭と感性でございます。

 かようなところで、本日はこのくらいにしておいた方が無難でございましょう。

 ごきげんよう。良いお年を。

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混信

2014年01月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 山の中で炭焼きをしているおじさんに面白い話を聞きました。このおじさんは炭焼き小屋でラジオの1134MHZの文化放送をつけておくんだそうです。

 

 天気がよい日には文字通り東京の文化放送が聞こえるけれど、天気が悪くなるときには韓国のKBS放送が入ってくるのだそうです。

 

 こりゃ面白いことを聞いたと、毎朝、文化放送をつけておくのですが、今朝、ハングル語が混ざって入ってきました。今にも雪が降りそうな空模様でしたが、文化放送よりハングルの方が大きく聞こえるようになったら雪が降り出してきました。

 

 たぶん、雲に電波が反射する関係だと思いますが、雲が低くなると言うことは気圧も下がっているのですからなるほどこれは理にかなっている。
 何より、そんな理屈云々考えもしないでラジオの電波と気象の関係に気がつくおじさんの感覚に敬服してしまいました。

 

 昔ソビエトという国があった頃、ニッポン放送の周波帯の近くに極東放送の周波帯があり、夜になると日本向けのプロパガンダ放送が混線して入ってきて困ったもんでした。

 

 韓国のKBSはどうやら文化放送と同じ周波を使っているようで、出力も5倍ほど大きい電波をとばしているようです。

 

 日本語放送はないので日本向け従軍慰安婦プロパガンダ放送はないのでしょうが、金ちゃんの国を視野に入れてこんな大きな出力を使っているのだろうか?すくなくとも、みのもんた問題以前に文化放送のじゃまをしていましたから、これが目的ではなさそうですね。

 

 電波障害と言えば、私が中高生の頃CB無線というのが流行って、トラックの運転手がとんでもない大出力の無線を搭載して走り回っていたので迷惑したものでした。
 アマチュア無線の資格を取れば問題なく出力の大きな無線を使えるのにと思いますが、あの試験が難しかったんだそうです。私なんか中学2年のときに合格する程度の問題だったのに。

 

 違法無線積んだトラックが通ると、テレビやラジオにそれが入り込むので困りものでした。レコードをカセットテープにダビングしていると時間の長いLPレコードなら必ず違法無線の電波を拾っていたものでしたが、高校の時、同級生がよしだたくろうのLPをテープにダビングしているときに違法無線とはちょいと異なる声が入り込んでいました。

 女性の低い声でうめき声の後「許せない殺してやる」と聞こえる奇妙な音で、少なくも違法無線の声が混入したのとは音質も違う。LPにはそんな音入っていなかったので、試しに別のカセットにもう一度ダビングしてみたがそんな声入らない。

 

 神主のせがれが「お祓いしてやる」とそのテープをもっていってあの不思議な声は消去してしまいましたが、あの声は何だったんだろう?

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おかげさまで

2014年01月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 スーパーに行ったら知人が孫を連れて買い物に来ていました。

 
 名前が「しおん」と言うので、昨今問題になっているDQNネームのたぐいかな?否、否、キリスト教のイスラエルに故郷を建設しようと目論むシオニズムに由来する「シオン」かな?と考え、「婿さんはバテレンさんですか?」と聞いたら、お寺の息子なんだそうです。

 仏教で言うところの「四恩(天地、父母、国主、衆生の恩)」を意味するありがたい言葉です。

 
 我々がよく使う「おかげさまで」もこうした精神の現れなんですが、この言葉を外国語に訳すときは苦労します。キリスト教圏やイスラム教圏では神に感謝でもアラーのご加護でも変えることができますが、日本に仏教を伝えたとされている中国語では漠然とした「おかげさま」に相応しい言葉が見つからない。ちょいと昔なら「毛主席のおかげで」だったんでしょう。

 
 だいたい、我々だって「なんのおかげか?」なんて考えないで「おかげさま」を連発しているけど、本来は「四恩」に感謝する言葉なんでしょうね。
 番組打ち切りがささやかれている「みなさんのおかげです」のみなさんは衆生の恩を言うのだろうか?

 
 今日もこの知人とのあいさつで「よう、今年初めてだな。元気か?」と言われ、「おかげさまで風邪もひかずに元気にやっています。」と口にしていました。
 なんのおかげだろう?誰のおかげだろう?健康に留意している自分の功績だから俺様のおかげだ!と自分自身を褒め称えては中華民族になってしまいます。
 難しく考えるとこの美しい日本語が使えなくなってしまうので、そっかぁ、なんだかよくわからないけれど「四恩」のおかげでと考えればよいのかぁ。ていどにね、売り言葉に買い言葉で「おかげさま」が出ればこの世は安寧と言うことにしましょう。

 
 
 おかげさまで、この場合は寒さのおかげさまで膝の古傷が痛むので温泉で少し長めにお湯につかるようにしています。
 おかげさまで、この場合は温泉のおかげさまでずいぶん回復しています。でも、よくよく考えてみると、膝の痛みは寒さに関係なくスキーの後遺症ではなかろうか?健康のためのスポーツが体を痛めつけているけど、おかげさまできわめて頑丈です。
 「ほどほど」のさじ加減。難しいですね。

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大寒

2014年01月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 寒さ本番大寒です。
 そんなわけで今日はお寒い大韓民国の話題にしましょうか。

 

 政治・経済はすでに破たんしているので今更傷口に塩を塗るようなことは言いませんが、復興に向けてかなりやばいと言うより危機的状況になっているのではなかろうか?と懸念しているのはKARAのニコルちゃんとジヨンちゃんが脱退するそうで、3人で活動は続けていくみたいです。南北問題より重大かも?
 オジサン的には人数が少なくなれば誰が誰なのかわかりやすくてありがたいのですが、ほんと、最近のPV映像など1秒ごとに画面が切り替わるようなはやさで画像が変わるから、大人数いると誰が誰なのか全然わかりません。
 KARAのように5人なら何とか認識できるのですが、ジヨンちゃんとジュリちゃんの区別がつきません。
 今度は大丈夫!3人なら何とか区別できる。
 ほかのグループ?みんな同じ顔に見えるんですけど。

 
 韓流ブームと一緒にK-POPも終焉に向かうことでしょうから、これからグループ脱退や解散が相次ぐでしょう。

 冬ソナから始まった韓流ブームですが、電通も東京オリンピックの方がもうかるから、もはや賞味期限切れの韓流商品など使い捨てなんでしょう。お疲れ様でした。

 

 最近、この2年ほどでしょうか、メディアが韓国を称して「永遠のライバル」なんて言い方をしなくなりましたね。確かに国力や人口を考えてもいくら何でも無理があるだろうと思わざるを得ないのですが、向うはそのつもりでいたんでしょう。無理して背伸びしてきた付けがあちこちに出ていますね。これも電通が絡んでいるのでしょうが、冷静に考えても無理がある。メディアに乗せられないように分析することは常に怠らないようにしたいものです。

 

 
 「学問のすすめ」第十三編は「怨望の人間に害あるを論ず」という項目で、人様を妬むあまり、その人の足を引っ張って自分を満足させることの愚かしさを説いています。

 

 
 羨ましいと思えばそうなるように努力すればよいので、自分のレベルまで相手を貶めて「あいつは大したことないよ」と自分で納得してもなんの進化もない。
 こういった過ちはとかく起きがちですが、誰のためどころか自分のためにもならない。
 隣国の失態を見て歴史に学びましょう。ではおやすみなさい!

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ひげ茶

2014年01月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 風がなかったので吹雪にはならなかったものの、みるみる雪が積もるバブリーで景気の良い降りっぷりは今年初めてです。

 昨日より気温は温かかったですが、その分雪が湿っていて指先がかじかむというより痛くなりました。

 

 雪かきに行った家のおばあさんに「トウモロコシの髭のお茶」をごちそうになりました。文字通りトウモロコシの実の先っちょについている髭を干してお茶にしたものですが、スナック菓子の焼きトウモロコシの風味がします。

 トウモロコシの髭のお茶は最近韓国でも流行ったそうですが、日本では昔から飲まれていたようです。

 小学校の頃夏休みの課題に薬草採りがあり、ゲンノショウコ、ドクダミ、オオバコ、トウモロコシの髭などを干して休み明けに学校に持って行きました。

 秋も終わりになると学校行事でイナゴ採りなんかもしていましたね。

 これらを売ったお金で学級文庫や図書館の本を買ったり、鉛筆削りなどの文具をかったり、先生方の飲み会や宴会やちょいと一杯の費用に充てていたようです。中でも一番大きく予算を割いていたのは先生方の飲み会でしょう。

「あの時代の教師の給料なんて雀の涙で、こんな事でもなければ酒なんぞ飲めなかったんだよ。」と恩師が言ってたことがありましたが、そんなこと児童も父兄も折り込み済みで、目くじら立てるこっちゃない。それどころか「薬草いっぱい採って先生にうまい酒のませてやれ。」なんて言われていた時代だったんです。

 
 確かに、トウモロコシの髭を干して持って行った記憶はあるけれど、こんなものを何に使っていたのか想像もできませんでした。この歳になってこうして使っていたのか?と納得しました。なかなかの味わいです。

 霊験は「小便が良く出る」と言われましたが、まさにその通りでした。

 この身を切るような寒空の雪の中あまりありがたくない効能ですが、ごちそうしていただいた心意気を受けて「健康に御利益がある!」と信じています。

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リケン

2014年01月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 東京都知事選挙、候補者が名を連ね出しました。話題ばかりで争点が見えてこないのだけど、この調子だと来年の今頃また選挙になっているのかな?

 

 細川の殿様は熊本の人でしょう。舛添さんは福岡あたりから参議院に出てたよね。田母神さんは福島県生まれだっけ。でるかでないかわからないけれど、そのまんま東は宮崎県人ですし、共産党はどこの生まれかわからないけれど名前が宇都宮。おまけだけれどドクター中松も雪深い田舎の出身と聞いています。他は?よくわからんけど江戸っ子はおらんのか?

 

 今までの歴史を考えると、変な者を代表に選ぶと首都直下型地震が東京を襲うことになるでしょう。

 
 
 マスメディアでは争点と思いこまれている原発反対は大いに結構なことですが、それに対して自分はどれだけの責任を負えるのだろうか?都民も考えなくてはならないでしょう。「原発反対の候補に投票しました」では単なる自己満足。何かの免罪符じゃないんだから。
 だいたい、東京に原発があるの?その利便にあやかっているだけでしょう。それなら、マハトマ・ガンジー並の無言の抵抗で電気を使わない。電車も乗らない。自らの暮らしの中でプロテストすればよいので、1000万とは言わないから、10万人も電力なしで死活に直面すれば国だって動きます。

 我々辺境の人たちだって協力しないわけではない。都民が望むなら、原発廃止して代替えの水力発電のダムとして、我が家から400mほど下の谷を塞いでダムを造ってもらっても私はいっこうにかまいません。

 ダムに水没する我が家なんか移転の保証料として思わぬ大金が転がり込んで、ついでにダム工事の仕事でも完成後のダム監理でも仕事になればハッピーでナウな未来が待っていると濡れ手に泡の利権への道のりが見えてきます。ようし、今夜の晩飯はリケンのまぼちゃんの辛口だ!

 

 そんな訳なので、おねげぇでおごぜえます細川の殿様!東京都民の電力のためにおらが村をダムに沈めてくだせぇ。保証料の一部を政治献金させていただくばってんがぁ、よそよりちょいと高い値で買っておくれでごあす。よろこんで都民のみなさまの犠牲になるけん、働かない割に休みの多い東京都都庁関連の外郭団体に入れてつかぁさい。

 ついでに東京も立川の米軍基地いらないでしょう。東京都内のあれだけの土地なら利用価値がありまっせ。こちらならあの程度の土地ならいくらでもあるから、細川の殿様!米軍基地をおらが村に移転してくだせぇ。熊と狸と婆ぁしかいないから不祥事だって起きません。

 

 こういう話が持ち上がると何タラ市民が移住してきて反対運動するんだろうけど、どこから資金が出ているのだろう?沖縄じゃないけど、基地移転反対運度をする地元住民がなぜか関西弁喋っている。なんて不思議なことが起きる。
 私の住む村にダム建設と米軍基地の移転でも決まれば、大阪の高槻とか堺出身の地元住民なんてのが出てくるんだろうか?

 

 ダムと米軍基地の収入で住民税いらなくなるでしょうし、地方主権って言うなら消費税なしの村。なんてのもいいね。8ー10パーセント安く買えるからコストコやアウトレットモールも出展するでしょう。

 

 そういえば十数年昔のことだけど、下流に住む人たちのために水源地の私たちは川を汚さないようにしましょうと奥様方が立ち上がり、近代的な洗剤を使わず生協の米ぬか石鹸で洗濯していたことがありました。
 いつの間にか米ぬか石鹸を使う人も少なくなり、言い出しっぺのおばさんたちででさえ酵素パワーのトップを平然と使っていました。最後まで米ぬか石鹸で洗濯していたのは私だけでしたが、あれもお調子者で飽きっぽいおばさま方が生協にいいように踊らされていたんでしょうね。

 なんか、近年「きれいごと」ってものすごく罪作りだろ思えるようになってしまいました。きれいごとは口に出すものではなく、行動で示すものだと思うのですが、そうでしょ!

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小野田さん

2014年01月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 フィリピンルバング島で、戦後29年間任務を全うしていた小野田寛郎さんが亡くなりました。

 

 「冥福」という言葉は冥途に行って良い思いをして戻ってくるなよと言っているようで、あまり使いたくない言葉です。化けて出て来いとも言えませんが…。
 小野田さんの場合、時折娑婆に降りてきて日本人を鍛えてくれと言いたい気持ちがあるので、冥福を祈るという言葉は使わないことにします。

 

 小野田さんが発見される2年前にグアム島で横井正一さんが発見されましたが、こちらはボロボロの姿で見つかりました。任務を全うしていた人と敗残兵の違いなんでしょうが、ある意味、敗戦日本の惨めさをたっとぶメディアには横井さんのほうが好ましかったでしょう。凛とした姿で現れた小野田さんは日本のマスメディアにすれば快いものではなかったかもしれません。
 
 実際、当時私は小学生でしたが、小野田さんが出てきたときには「日本人ってすごい!」「こういう気概を持ちたい」と思ったものでした。

 

 徴兵で戦地に行った一般人の横井さんと、軍人として任務に就いていた小野田さんではもともとにわかごしらえの素人とプロフェッショナルの土俵が違いますが、有事の際に徴兵制がはたして有益なのか?考えさせられます。

 
 
 自分の日常では火事の際の消防署と消防団の力の差を見て感じることが良くあります。
 日頃の防災は消防団の仕事で、火事本番は消防団はプロのお手伝いなんですが、妙に張り切る連中がいるんですね。消防署より消防団が早く着こうものなら大声出して「消防署は何やってんだ!」と威張りまくったり。「消防署のクルマが入れないように道路塞げ」なんてほざくバカもいる。「消防団邪魔するな」と言いたくなることが多々あります。

 

 
 所詮素人なんです。日々訓練している人と月に1度飲み会込みで練習している人では力量も気概も違います。
 こういう粋がったバカ連中も50代を超えて姿を見せなくなりましたが、今の若い人たちは自分の役割をよく認識しています。
 
 これって、我々の時代のなんでも平等教育の弊害なのかもしれない。案外今の若い人たちのほうがクールにそのあたりをとらえているのかもしれませんが、何の努力もしない人がプロフェッショナルと同じ力量のはずはないのですが、同様だと思っている人たちがいるんですね。

 

  実は一昨年の春、交通指導員一人クビにしたのですが、イベントなどで国道や県道の道路を規制するときに妙に張り切るバカがいたんです。そりゃぁ警察だって諸雑多な事情で遅れることはありますし、そのための補助が我々の役目なんですがそこで張り合ってしまう。
 トラブルが起きそうになると「隊長!大変です!」とお呼びがかかり私がすっ飛んで行くことになるので、一年かけてえげつない説得してお役を退いてもらいました。人材不足の村ですから後任を見つけるのも一苦労でしたが、事故を招いては元も子もありません。

 

 
 
 日々そのことばかり考えているプロフェッショナルと半分ボランティアの一般人は別格なんです。そんなの自分の日常の仕事を考えてみればわかると思いますが、自分が飯の種にしている仕事に社会実習の中学生あたりがとやかく言ったら快く思わないでしょう。

 

 
 
 昨日のイベントで顔を合わせた山岳警備隊の隊長ともそんな話題が出ました。昔は県警の山岳救助のプロが少数しかおらず、岩場などで動ける人も少なかったので、山岳遭難の時には山岳連盟の救助隊がメインで活躍していました。一の倉の岸壁にワイヤー張って遭難者を救助する訓練など年に何回かやって、私が遭難者を背負って岸壁を下降する姿が雑誌「岳人」に出ていたこともありました。
 今は県警の警備隊が充実してきてヘリコプターでひとっとびですから、山岳連盟が出る機会も少なくなりました。救助隊の若手からは「我々の訓練は意味があるのか?」とか「存在意義は?」なんて質問が出ますが、重要なのは「自助力」。遭難事故があれば自分たちで救助する。それで手におえなければプロフェッショナル。自分で何とかしないで最初から頼るのは筋が違う。

 

 
 
 そう考えてみると、かつての徴兵も「自助力」だったんでしょうか?
 現代の戦争はプロ中のプロに特化した戦になると思うので、徴兵された一般人が対応できることではないと思いますが、最後の泥沼になった時には頭数ですからねぇ。
 もう一つ、プロとボランティアの違いは、プロは法律などの決められた枠の中で動くことを強いられています。ボランティアは基本的にそのあたりがあいまいですから、使い方によってはプロに都合が良いこともあります。連中の自己満足の虚栄心をうまくくすぐって、決まりの中でできないことやらせるのには都合がよい。

 

 
 
 さてさて、話は小野田さんに戻りますが、戦争=徴兵の認識しか持たなかった我々にプロフェッショナルがいたんだなと言うことを知らしめてくれたのが小野田さんだったような気がします。
 戦場ではないけれど、同様の気概と責任感を持って活躍している日本人が多々いることを誇りに思いたいと思います。

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