のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

関白・みかど

2009年06月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 NHKの「天地人」も豊臣秀吉時代に突入しました。

 豊臣秀吉は関白だったので、ドラマの中では「殿下」の称号で呼ばれているのが印象的です。

 ところで、「亭主関白」と言う言葉はあっても、「亭主みかど」ではないのはなぜだろうか?そりゃ、天皇差し置いて「帝」を名乗るのもおこがましいが、帝を補佐する関白の地位ですから、やはり帝は天照大神以来女性なんでしょうか?

 「○○君~」女性が男性を君付けで呼ぶ風潮が広まり始めたのは1970年頃だと思います。60年安保闘争の時代に既にその萌芽は出ていますが、定着したのは70年安保闘争の時代でしょう。当時は「女史」なんて言葉がまだ残っていて、ヘルメットにマスクをしてシュプレヒコールをあげていたような人たちが、「男女平等」から「女性の解放」そして「フリーセックス」で「ラブ・アンド・ピース」。最終的に”威厳を捨てることで男のスケベ心の勝利”に至っているように思えます。

 10代20代のころは悶々と生命力にあふれていますから、男だってやりたい一心でキツネにでもタヌキにでもなります。ビートたけしさんの言葉ではありませんが、「男なんて女に持てるために金を使うのだから、マルクスの経済理論よりもフロイトの精神分析のほうがよほど経済学を言い当てている」。

 寺山修司なんかが世に広めたらしいのですが、フロイトの弟子でマルクス経済学と融合を試みたウィルヘルム・ライヒという心理学者が書いた「性と文化の革命」なんて本がもてはやされ、”性道徳を廃止すれば、家父長的権威主義的な家庭を解体でき、資本主義国家を転覆できる”。裏返せばてめえらがやりたい一心だっただけです。

 「女性のための」とフェミニズムを旗頭にする某政治団体などもライヒの影響を受けているのでしょうが、「ジェンダーフリー」、「性の自由」と謳いあげたものの、その責任について考えていなかったから、「自由」の結果に生まれた子供達がAIDSなど性病の蔓延、援助交際と 名前を変えただけの少女売春、堕胎、未婚の母の増加etc。それを「社会の責任」「政府の無策」と押し付けられても困りますが、そこは蛇の道は蛇。「なんたら対策費」の予算をつけて特殊法人ができたりなんたら会館のビルができる。したたかなものです。

 「性の自由」と言っても、「自由」だけで「責任」が付随しなければ、男の性欲のための道具にするために大義名分を与えただけだった現実が浮き彫りになっただけで、”親の因果が子に報い”と、親の蒔いた種を刈り取って いるようなものです。

 家父長的権威主義的な家庭を解体できたのでしょうが、 結果的に悪い方面でより資本主義的な傾向を強めただけだと思います。 昨今の理由不明な熟年離婚を見ると、自業自得の気もするので、時代を誤った付けまわしが自らの身の上に降りかかっているようにも思えます。

 こうした当時の若者達がジェンダーフリーのユートピアとして持ち上げたのが、彼らが行ったこともない当時のソビエトです。 天国や地獄に行って帰ってきた人がいないのと同じで、亡命すれば帰ってこられないのですから憶測しかありません。ソビエトの現実は「自由」どころか「監獄の中」のような監視社会で「義務」に追われて生きていたソビエト市民のことなど知る由もありません。女性の社会進出が目立つソビエトあるいはロシアですが、国家の重責を女性が占めたことはありません。

 エカテリーナ、アンナ、エリザベータ、エカテリーナ二世と女帝が歴史に名を連ねていますが、エカテリーナ二世があまりにも権威を振舞ったがために後に「女帝は出さない」とニコライ皇帝一族の取り決めができました。

 社会主義革命以降「女性だから」と言う甘えが許されないのがロシア社会ですが、対等な部分と別の役割との「区別」する部分は明確に区別しています。何でもかんでも同じではないところがミソですが、女性が強くたくましいのではなく、強くたくましくなければ行きぬけません。

 レフ・トルストイが”幸せな家庭は似通っているが、不幸せな過程はそれぞれおもむきが違う”とアンナ・カレーニナの冒頭で書いていますが、70年代の若者の憧れとは逆に、しっかりした家庭ほど父親を中心にまとまっているものです。

 ただ、日本の亭主関白と大きく違うのは、一見それは母親中心に動いているように見えることで、大方の父親は寡黙で、最後の重要な決断に関して「パパはどう思う」とまかされてはっきり決断できる度量を持っていること。あるいは、戦前の日本の家庭に近いものがある遠いもいますが、父親が威厳ぶらないだけのことです。

 亭主関白と言っても、「関白」は「みかど」の補佐でしかありません。幕府に馬鹿にされながら、のほほ~んと手まりや和歌に興じていても、みかどはその全責任において「勅命」を発するものです。ポツダム宣言受諾の時も迷走する軍部と政府を差し置いて、昭和天皇が独断で決定し戦争を終結させています。

 時代は「関白」より「みかど」になることを男性に求めているのでは?

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自然農法

2009年06月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 「奇跡のリンゴ」の木村秋則さんの講演会に行ってきた先輩に話を聞きに行ってきました。
 20代30代の若い農業後継者が多数公演にきていたそうで、「日本の農業もまんざらすてたもんじゃない。若い連中に期待できる思いがした。」と喜んでいました。

090629  いまや免罪符のようになってしまった有機農法に対しての自然農法で、農作物を観察しながら必要最低限の手助けはするが、余計な手間はかけない農法。「誰かさんの畑のようだ」とからかわれましたが、私も時代の先端を行っています。私の場合、面倒だから余計なことはしないだけで、しっかり農作物と会話して必要最低限のことは気が向いたら手助けしているので、時折思いがけない収穫がもたらされる理念なき結果的自然農法!

 だいたい、自然に対して人間が頭で考えることにろくなことはありません。有機農法にしたって錦の御旗になってから次第に胡散臭くなってきて、宗教ぽくなってしまった感があります。
 健康が云々、アトピーが云々、自分たちが安全に食生活すらことには熱心ですが、生産する側が食っていけるかどうかなんてことは蚊帳の外。
 私の地元に有機農法で入植してきた若い農家も、借金抱えたままどこぞにドロンしてしまった噂も聞いています。

 年金暮らしの余裕で農業ならまだしも、経済的に成り立たなければ、きれいごとより質より量のジレンマ。有機農法賛美者のきれいごとに「偽善」「身勝手」を感じてしまう昨今です。こういう人たちって自然の気まぐれで自分の命が意図も簡単に吹き飛んでしまう様な経験をしていないんですね。だから自然に対する恐怖も畏敬もないまま「甘えられる対象」と勘違いしているんでしょうね。

 農薬バンバン使っても「食うためだ!」と現実を突っ走る者に対抗もできなければ、説得力もない。圧倒的正義に胡坐をかいて思考停止しているから、自民党と社民党くらいの力の差が出てしまった感があります。有機農法を語ることに快感を覚えてしまっている人が先頭で旗をふって、それに踊らされている生産者も不憫です。

 有機農法なんてカテゴリーができる前のほうが無農薬生産者にとって作物が高く売れていたような気がします。

 有機農法や自然農法への関心が高まってきた90年代初頭、私は農政の仕事をしていました。根がひねくれているので役所の考えと正反対のことにシンパシーを持つ性格です。線引き、カテゴリーわけが難しい有機農法は役所にとって管理が難しい。役人の考えることにろくなことはないので、役所が嫌がるということは良い事だ。こういう思考ですから左遷街道まっしぐらでした。

090629a   福島正信の「わら一本の革命」。今にして思えば自然農法のさきがけですが、話題になった本でした。福島正信氏はアジアのノーベル賞と言われるマグサイサイ賞を受賞した農民ですが、本を読んでみて感じたのは、理念ばかりで具体的な農法はさっぱりわからん。それもそのはずで余計な頭を使わず、作物を観察することからはじまるので、手順からはじまる工業的農法とは別次元。
 考えないで感じることからはじまるのだなと解釈しました。

 その頃、農業のシンポジウムに仙台に行く機会があり、やはり、若い世代が有機農法について持論を交わしていましたが、有機農法賛美の流れの中、秋田の出版社の無明舎を主催するあんばいこう氏が「無農薬だ、有機農法だとこんなところ傷をなめあいしても、食って行けなければただの負け犬の遠吠え。消費者は生産者のことなど気にもしていないのだから、きれいごとを唱えていれば何とかなると思う甘えはすてろ!」と釘を刺し、さすがだ!と感心しました。賛美者の大方は農産物で生計を立てている人ではなかったので、どこか説得力に欠けると思っていましたが、あんばいこう氏はそこだったのか!と感心するポイントをついていました。

 このシンポジウムで福島正信氏の弟子を名乗る農民に会いましたが、野良着に地下タビのいでたち、名刺にまで理念を書き込んでいる理論武装したおじさんで、この時点ですでに「自然」から遠のいた存在に思えました。土作りが云々、土壌の微生物が云々、厩肥と堆肥の違いは云々とご高説を賜り、そんながんじがらめの思考で自然農法が成り立つのか疑問に思いました。今頃どうしているのだろう?

 農作物を意のままにしようとしてしっぺ返しを食らっているのが現代で、考えてみれば子育てだって教育だ躾だと出てきた芽を闇雲に摘み取っているのですから、思考力もなければ病害虫に弱くもなるし実もつけなくなる。個性尊重とか言いながら手作りをやめて規格品を製造しているマスプロ工場。

 駄目なものは淘汰されていくのが自然なんですから、過保護もほどほどにしては?

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点の記

2009年06月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 ひさびさに映画館に行って、今話題の映画「剣岳 点の記」を見てきました。

 学生時代、山岳部の夏の合宿で剣岳に行って、春夏秋冬18回ほど登った山です。
 当時の山屋は新田次郎の小説のほとんどを読破していて当たり前の時代だったので、私も「点の記」を読みましたが、初めての剣岳から帰ってきてからでした。
 個人的には新田次郎作品の中で一番すきなのが単独行の登山家、加藤文太郎を描いた「孤高の人」です。

 映画ですからロケーションの場所や日にちが異なることもあるので、「この登山ルートにこんな景色はなかったはず。」「雪の質が違うぞ!」なんてことは気がついても突っ込まないで見ました。

090628 明治40年の時代背景で驚いたのはスウェーデンのガソリンコンロ、オプチマス123Rが出てきたことで、私も愛用していましたし、現在も製造されているガソリンストーブです。
 この100年も昔の時代にこのストーブがあったのか?
 疑問に思って調べたら、既に存在していたようで、基本的な構造もまったく変わらないまま現在まで製造されているロングセラーだったようです。

 ホワイトガソリンと呼ばれる精製されたガソリンを使うストーブですが、自動車に使う普通のレギュラーガソリンを使っても大丈夫です。しかし、普通のガソリンを使うとススで食器が真っ黒になったり、ノズルがつまる危険もあるので、多少高くてもガソリンスタンドにホワイトガソリンを特注して使っていました。最近はホームセンターで簡単にホワイトガソリンが手に入る時代になりましたが、私の123スベアはエルブルースに登った後で、ロシア人のクライマーにプレゼントしてしまいました。

090625i  剣岳は冬期登山の際に富山県警の認可を得なければならないので、単独行の私にとっていろいろ厄介なので、平成の世になって剣岳から冬の槍ヶ岳北鎌尾根単独行に目標が変わりました。

 「孤高の人」の加藤文太郎が亡くなったのも、この北鎌尾根です。

 ちなみに写真は夏の槍ヶ岳北鎌尾根。

 平成2年1月、4年がかりの挑戦でようやく北鎌尾根を登りきり、そこからさらに過激に槍ヶ岳から穂高岳へ縦走する予定でした。そのため初冬に槍ヶ岳の肩の小屋付近の雪の中に食料とオプチマス用のガソリンをデポジットしておいたのですが、ようやくたどり着いてデポジットしたあたりを掘り起こしてみたら、縛り付けておいたロープはきられ、私の食料とガソリンは持ち去られていました。
 デポジット当て込んで登頂前夜に2日分の食料を食べ、ストーブをがんがん燃やして温かい夜を過ごしていました。
 無駄遣いが祟って手持ちの食料と燃料は3日が限度。とても穂高まで縦走するだけの余裕はありません。無念と言うよりも「ここまでできたのだからいいや」と岐阜側に下山しました。

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蛍雪の功罪

2009年06月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 旧月夜野町のホタル祭りに行ってきました。ホタルの数より人の数のほうが多かった。

 私が子供の頃は国道沿いの田んぼがホタルの群生地で、団扇で扇いでホタルを落とせるほど飛び交っていたものですが、いつのまにか環境が変わり姿を消してしまいました。近年、その田んぼも住宅地になったものの、またホタルが戻ってきています。

 英語教師のアンソニー君も一緒にホタル鑑賞に来ました。彼の故郷のカナダでもホタルは生息していますが、発光する色がもっと緑色に近いそうです。

 苦学して見事に合格することを「蛍雪の功」と言いますが、高校時代に漢文で勉強したことがあります。雪の反射光で勉強したのが康と言う人で、ホタルの明かりで勉強したのは車と言う人物。ホタルと雪それぞれ別の人が発案したようですが、ホタルの明かりの元で本を読めるほど光度があるかというと、暗くて読めたものではありません。

 「孫氏世録曰、康家貧無油。常映雪讀書。少小清介、交遊不雜。後至御史大夫。」”孫子世録に曰く、康、家貧にして油無し。常に雪に映して書を読む。少小より清介にして、交遊雑ならず。後に御史大夫に至る。”

 「晉車胤字武子、南平人。恭勤不倦、博覽多通。家貧不常得油。夏月則練囊盛數十螢火、以照書、以夜繼日焉」”晋の車胤字は武子、南平の人なり。恭勤にして倦まず、博覧多通なり。家貧にして常には油を得ず。夏月には即ち練嚢に数十の蛍火を盛り、以て書を照らし、夜を以て日に継ぐ”

 最近興味があるのは、こうして苦学して科挙合格して偉くなった人物が、その後どうなったのか?ということで、世のため人のためになったのなら良いが、鼻持ちならない袖の下役人や政治家になっていたら大笑いしそうです。

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M・ジャクソン

2009年06月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 朝、テレビを見ながら湿布薬を取り替えていると、マイケルジャクソンが急死したニュースが報道されていました。
 テレビの音だけ聞いていたので、一瞬、ボクシングのマイク・タイソンと勘違いし、画面を見たら蝋人形のような不気味に白い顔の写真が出ていました。

 ”薬物中毒だろうか?”なんて頭をよぎりましたが、関心もないしどう見ても健全な人間ではなかったので、どうでもいいやと出かけました。児童への性的暴行とかで裁判になり、無罪になったのが2005年の今頃の季節だったと記憶していますが、それ以降マイケルジャクソンの名前も聞くことがなかった気がします。マイケルジャクソンの曲はビート・イットとスリラーしか知りません。

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山靴

2009年06月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 捻挫した足首が腫れて、歩くのに難儀しました。ガレ場や悪路を歩いてもびくともしない人が、斎場の絨毯の上で怪我をするのですから、歩きなれない場所は要注意です。

090625d   足の負担を軽減するためにイタリアのテクニカのハイキングブーツを履きましたが、ウレタン部分の加水分解を発見しました。

 あまり使わない靴で下駄箱に放り込んでいたこともありましたが、ソールと靴本体のショックアブソーバーになっているウレタン部分がボロボロ破れていました。

 高温多湿の日本ではウレタンが数年で加水分解することが問題になり始めましたが、近代的なアウトドアシューズが登場して普及して、ウレタン部分が壊れてソールがはがれる事態が取りざたされたのが数年前頃でした。

 靴底にシャンクも入っていないヤワなウォーキングシューズなので、山に履いて行く事もない靴ですし、もう少しボロボロになるまでがんばってもらうことにしました。

 今月はじめに28年使ってきた皮の登山靴がついに天命を全うしてしまったので他の山靴の点検をしました。

090625_2    オーストリーのコフラックのプラスチックブーツ。冬山限定のダブルの靴ですが、いつパコーンと割れてもおかしくないほど老朽化しています。カムチャッカやコーカサスのエルブルースにはこの靴で登っています。

 後継者にアゾロのプラスチックブーツがあったのですが、3年前に山スキーをつけて雪の中を歩いていたらシェルが割れてしまい、再び現役復帰したものの、インターブーツはヒビだらけで、いつ壊れるかわからない状態なので冬山に持っていく気になれません。予定では今年の冬買い換えるはずでしたが、3シーズン用の革の登山靴が壊れたので、厳冬期に山に行くかどうか?様子を見ています。

090625a_2  イタリアのザンバランの軽登山靴。当時としては珍しいゴアテックスを使った軽登山靴。

 冬のモンゴルに行った時にはこの靴をはいて行きました。薄い靴下を履いて足を合わせているので、冬の山に使える靴ではありませんし、底も柔らかいシャンクが入っているので、アイゼンをつけたり重い荷物を背負うときは使っていません。

 3年前にソールが磨り減って張り替えましたが、この靴も旧タイプのウレタンを使っているので、いつ加水分解が起きるかわかりません。歩きやすいので近郊の日帰りハイキングに使っています。

090625b  イタリアのスカルパのトラベルGTX。スカルパといえば頑丈な革靴で有名でしたが、時代の波にそった山靴も作っているようです。

 初めて買った近代的コーデュラナイロンのゴアテックス靴。この手の山靴で3000mまで登ってくる人もいますが、苛酷な環境での使用はぜんぜん期待していません。

 ソールは岩場でも使えそうですが、歩くとことを優先した作りなので、つま先の強度が足りません。

 ザンバランがだめになったらこのスカルパがハイキングシューズのメインになることでしょうが、まだ履き込んでいないので横幅が足形に合わせて広がりきっていません。

090625c  イタリアのローメルの登山靴プトレー。シンパテックスという透湿性防水素材を使っています。先日壊れたノルディカの革靴に変わって、ハードな縦走用に活躍してもらいます。

 靴底はがっちり硬いので岩場も使えそうですし、ワンタッチアイゼンが使えます。春から秋までの予定でいますが、冬もそこそこ使えそうな山靴です。

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お清め

2009年06月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 中学時代の同級生の奥さんが亡くなり、葬儀に行って来ました。
 奥さんが癌で闘病中と聞いていましたが、昨年の同窓会に顔を出さなかったので状態が良くないのだろうと察していました。同じ村内なので時々顔を合わせましたが、気丈にがんばっていたので「様子はどう?」とは聞くに聞けない雰囲気でした。
 この3月に村内の同級生の集まりで、この奥さんの病状が芳しい様態ではないと話題が出ていました。
 亡くなった奥さんはまだ42歳でした。中学生を筆頭に3人の子供がいますが、一番下の子は今年小学校に上がったばかり。

 葬儀の後、久々に顔を合わせた同級生達と食堂で清めをしましたが、食堂にあったその日のスポーツ新聞に元チャーリーズエンジェルズのファラフォーセット・メジャースが末期ガンで、映画「ある愛の詩」のライアン・オニールと結婚した記事が出ていました。
 「こいつら、話題優先で相手の面倒などみる気があるのだろうか?」「必死さがないよな。」「子育てがないから気楽なんだよ。」と辛らつな意見が飛び出しました。
 幸いなことに50近くなっても同級生達は健在ですが、配偶者を亡くした者は何人かいます。片親で子供を育てる必死さを垣間見ているだけにその言葉も重みがありました。

 重圧の最中ポカをやらかすのが私の悪いところで、この3月に催事場の絨毯の継ぎ目に足を引っ掛け転んだことがあり、注意していたんです。
 注意はしていたのですが、前回足を引っ掛けた絨毯の手前に足拭き用のマットがあり、今回はそのマットに足がひっかかり、転びそうになったところを爪先立ちで踏ん張ったら左足首に激痛が走りました。くるぶしの下が痛む典型的な捻挫で、痛みのあまり葬儀の最中に汗が止まりませんでした。
 自動車で斎場に行くまでは近眼用のメガネ、受付で老眼鏡をかけて帳簿を書き、そのまま老眼鏡のまま斎場に向かったので足元の感覚も違いました。さらいに追い討ちをかけるように流行物のつま先の無意味に長い革靴のおかげで足元が狂っていました。

 清めの時、友人が家に戻って「腫れが引くから」と馬の肉を持ってきてくれました。本当は馬の肉を患部にあてて冷やすことが目的でしたが、そこは悪い同級生の集まり、馬刺しにしてみんなで食べました。

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役所仕事

2009年06月23日 | 日記・エッセイ・コラム

090622a  昨日は激しく雨が降りましたが今日は一転して猛暑になりました。
 気温は28-9度でしたが、湿度が壁のようでした。

 この梅雨は例年よりも気温が低いような気もしますが、そろそろ暑くなってくれないと農産物に影響します。寒冷地仕様の私にとっては厳しさが増す季節です。

 総務省から「重要」と書かれた手紙が来て、何事か?総務省の政務次官にでもなってくれと言うのか?と思ったらテレビの地デジ放送のことで、各地区で地デジの説明会があるので参加してくれと言う手紙でした。

 しかも、そこは役所仕事。我が家の界隈の説明会は平日の午後3時。こんな時間帯に説明会に参加できるのはお年寄りばかり、しかも、4時から水戸黄門の再放送がありますから、お年寄りと言えどゆっくり説明など聞いている暇などない。それでも一応「説明は受け入れてもらいました」ということで総務省的に納得して帰るんでしょうね。
090622  今年も玄関先のニッコウキスゲが咲きました。そろそろ株分けして植え替えようと思っているのですが、植え替えするなら初冬か春先。

 構想数年になりますがまだ実現しておりません。

 その気になれば十数分で作業は完了してしまうのですが、役所仕事に国民も合わせなければなりません。この冬こそ意を決して株分けしようと毎年今頃に季節になると決意しています。

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軌道

2009年06月22日 | 日記・エッセイ・コラム

090621  ウラジオストクからモスクワまで9000km。広大な大陸を横断するシベリア鉄道。

 さらにそこから乗り継いでヨーロッパの西端まで行くこともできますし、アジアを南に向かって南下することもできます。

 人や物資の輸送にとても有意義な鉄道ですが、せんそうでてきこくのてにおちれば軍事物資や軍隊を運んでくる輸送路にもなりかねません。

 そのため、ロシア国内でも動力車の電源を直流の地域にしたり、交流の地域にしたり、一直線で行けない様に工夫していますが、それが平時の輸送の妨げにもなっています。

 中国は近隣の国と線路の幅を違う規格にして、他国から直接列車で乗り込めないようにしています。そのため、国境の駅では列車の車輪の台座をのせかえて線路の規格に対応しています。

090621a  西ヨーロッパでもフランスとスペインの軌道の幅が1435mm、1688mmと異なるため、新幹線時代以前にもタルゴと呼ばれる軌道の幅を変えられる列車が走っています。

 一つの国内でも日本の整備新幹線など、郡山までは新幹線の1435mm軌道で走り、そこから在来線の1067mm軌道になるため、思い切って在来線の軌道を1435mmにしてしまったり、他の在来線が乗り入れる区間にはレールを3本にしてしまうなど大掛かりな改良をしています。

 周囲を海に囲まれた日本は列車で敵国が直接乗り込んでくる心配はありませんが、陸路で国境を接する国は有事の際の備えが、平時の交易の障壁になっています。

 最近はドイツなど西側ヨーロッパから中国に商品の買い付けに来て、シベリア鉄道で荷物を搬送するケースが多くなり、中ロ国境の満州里が輸送拠点のひとつになっています。

090621b  樹木の乱伐による環境悪化、加速する砂漠化を招いてしまった中国では、木材の伐採に規制がかけられたため、材木のほとんどは輸入に頼っています。

 莫大な森林を持つロシアや、樹木の生育が良い湿暖なベトナムや南アジアなどから材木が中国に入り、加工されて他の国へと輸出されています。

 鉄道は産業の大動脈ですが、異なる軌道の規格が大きなネックになりつつあります。

 遠くない将来、ユーラシア大陸には新幹線が走ることでしょうし、それには日本の技術が不可欠でしょう。国と国との認識の違いや意地の張り合いで、次世代をにらんだ共通の軌道が作れないようだったら人類の文明もまだ坂の途上です。

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花火

2009年06月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 今年の旧正月(2月9日)に旧正月の花火が原因で北京のCCTVが建設中の新社屋が燃えたときの映像です。

 映画タワーリングインフェルノもびっくりするような現実の火災。正月を祝うイベントの花火を建設途中の新社屋に置いてあったところに、別の花火の火が飛び火して未曾有の大火災になったそうですが、この世界不況で経済成長をしている中国ならではの景気の良い事故です。

 それにしてもこんな連中が原爆の管理などできるのだろうか?

 昨年もらった線香花火が物置にあったので、そのうち使おうと思っていましたが、雨で他に燃え移る心配もないので、真夜中に花火を楽しんで見ました。

 夕方ならまだしも丑三つ時に家の玄関先で線香花火をしている姿を他人に見られたら間違いなく精神状態を歌がされることでしょうが、これはこれで結構面白かったです。

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不老不死

2009年06月20日 | 日記・エッセイ・コラム

090619  まだ今年は耳にしていませんが、毎年今頃の季節になると山菜と間違えて独走を食べた人の話題がテレビや新聞に載ります。
 知人とそんな話題をしていて、「ヨモギと福寿草を間違えて食べたってニュースが昔あったよね。」「え?福寿草って毒なの?」「毒草の宝庫キンポウゲ科の代表的毒草だよ。」「なんであんなのをヨモギと間違えるのだろう?」なんて会話になりました。

 福寿草は花が終わり葉が育ってくると、確かにヨモギ(キク科)の葉っぱに似た姿になりますが、普通に簡単に見分けがつきます。よく見ると福寿草の葉っぱはキンポウゲ科の毒々しい様相も持っています。普通、間違わないと思いますが、考えてみると図鑑に出ている姿はほとんど花の季節の写真ばかりで、一生のほとんどをすごす普通の姿はあまり載っていません。机上の「ナチュラリスト」と呼ばれる人たちなら間違えて食べるかもしれません。

 その昔、紀元前3世紀ごろ「斎」の国に中国に徐福と言う学者がおり、何の研究をしていたかと言うと不老不死の研究をしていた人で、秦の始皇帝に命じられて3000人の童子を連れて、蓬莱山を探しに東へと旅立ったと言われています。
 東の行き着く先は当然日本で、一説には富士山は「不死」を意味する徐福に縁の山と言う説もあります。そんなさなか秦の始皇帝が死んでしまったので徐福は日本に留まったとか、帰ったけど殺されたなど諸説ありますが、徐福縁の地を自称する土地は日本に多々ありますし、羽田総理など徐福の末裔を名乗っていたことがありました。

 なぜ3000人もの童子を連れて旅に出たのか?御伽噺などで鬼や魔物を退治するのはだいたい子供か年寄りです。子供は「魔」を寄せ付けない。そりゃそうだ、子供や老人は常識なんぞ通用しない「魔」そのものなんだから。

090619a  その徐福の子供に福寿と言う学者がおり、同じく不老不死の研究をしていたといわれています。
 毒をもって毒を制すではありませんが、あの猛毒のトリカブト(これもキンポウゲ科)だって心臓の薬になります。私が子供の頃は薬品会社の依頼で栽培している農家がありました。
 ちなみに、トリカブトの根で作った毒を「附子(ぶし・ぶす)」と呼ぶそうで、この毒で死んだ人の顔の表情がもだえ苦しむあまりにひどい表情になるので、皆様の身近にもいらっしゃる健全でも服毒死した様なお顔のご婦人の皆様をこのエピソードにちなんで「ブス」と呼ぶわけです。

 徐福や福寿の時代、不老不死の妙薬として用いられていたのがミイラの粉。中国はエジプトからミイラを輸入して、それを粉にして不老不死の薬として服用していたようです。
 エジプトのミイラには腐敗を防ぐために水銀を用いています。この水銀が不老不死の正体だったようで、当然水銀はとんでもない猛毒です。ところが、死にそうな動物に微量の水銀を施すとその副作用で一時的に元気になることがあるのだそうで(結局最後は死ぬんですが)、死人を甦らせるとか、不老不死の薬に一役買っていたそうです。

 印鑑の朱肉も本当によいものは水銀朱という水銀を含んだ朱色の朱肉で、色が変化しないばかりか、燃えても時間がたつとまた赤い色を取り戻すとかで、「不老不死」に関連付けられて重用されたようです。

 世界の工場中国の工業地帯の水質汚染は想像を超えていることでしょうから、廃液垂れ流しの河川には水銀を含め怪しい化学物質が満ち溢れる資源の宝庫。
 死に水に飲ませたら化学反応で生き返るなんてこともあるかもしれません。

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余桃の罪

2009年06月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 戦国時代の衛の国に弥子瑕(びしか)という美少年がいました。衛の国の王様は美少年が大好きという趣味を持つ男。弥子瑕がかわいくてなりません。

 弥子瑕のやることなら何でも良いほうに解釈してしまいます。あるとき、弥子瑕の母親が病気になっ他と連絡が入ります。弥子瑕は王様に無断で王様の馬車を使って母親の見舞いに行ってしまいます。

 王様の馬車を王様の許可なくして乗ったとなれば大変なことです。厳しい罰則のある衛の国では死刑にこそなりませんが、手足をちょん切られます。

 ところが弥子瑕にぞっこんの衛の王様は「危険も顧みず母親の見舞いに駆けつけるなんて、なんて親孝行な美少年でしょう。」と簡単に許してしまいます。

 弥子瑕が桃を食べたらとてもおいしかったので、その食べかけの桃を王様に「とてもおいしいですよ。食べて御覧なさい」と勧めました。食べかけを王様に勧めるなんでとんでもない無礼なことです。が。王様は「自分が食べておいしいと感じたものをそのまま私にくれるなんて、心から私を愛してくれているんだなぁ」と感動してしまいます。

 しかしながら時の流れとは恐ろしいもので、美少女はオバタリアンに美少年もオヤジになってしまうものです。いきなりオヤジにはなりませんが衰え始めた美少年なんて惨めなもんです。

 あれほどかわいがっていた衛の王様ももはや美少年ではなくなった弥子瑕の振る舞いが気に入らなくなってきます。「あのやろう、家来の分際で馬車を勝手に乗り回しやがって。王である私に食いかけの桃なんぞ食わせやがって。」と今まで賞賛していたことが逆に腹が立ってなりません。

 思い起こすほどに腹が立つ王様は「弥子瑕なんか処刑してしまえ!」と、詔を出してしまいます。これを余桃の罪といいます。

 韓非子の話の中に出てくる逸話で、弥子瑕が王をよく観察し研究していればこのようなことにはならず、臨機応変に自分自身を変化させることができたはずだという教訓ともなっています。

 路線変更の時期を見誤ったがためにブラウン管から姿を消していくジャニーズ事務所のタレントを見ている今の日本人ならこのような例を理解できるでしょう。かつての中国では殺されてしまうのでフォーリーブスのように再結成もありません。

 男女の仲でも同様の例は多々あるものです。惚れて熱のある頃にはアバタもえくぼだったものがいつの間にかただのアバタに見えるようになってきて、それが気になってならなくなるものです。

 愛情は持続できてこそ愛情です。

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一周忌

2009年06月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 ネコのウンチ君が亡くなって一周忌です。

 そんなわけで今日はおやすみ

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恋愛的移民?

2009年06月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 中学生の頃テレビ映画で「Melody aka S.W.A.L.K(小さな恋のメロディー)」を見て、トレーシー・ハイドのあまりの美しさに英国に亡命したい思いでした。同じ世代だけに「この世のこんなに美しい女の子がいたのか?」と感動したものです。マーク・レスターなんぞどうでもいいけど。

 日本以外ではあまりヒットしなかった映画だったようですが、この映画の有名なテーマソングを歌っていたのは、後にサタデー・ナイト・フィーバーでディスコソングのほうが有名になるビージーズ。エンディングで二人を乗せたトロッコが去っていくときに流れていた歌がCSN&Yの「Teach your children」。英国なので、日本と同じ右ハンドルの自動車が走っているのが印象的でした。
 英国の労働者階級の社会を描いた映画であることなどは後にわかりましたが、それでも、当時の私たちの生活よりモダーンで洗練されていた思いがしました。

  中学生の頃、もう一人魂を奪われた女優がおりました。フランス映画「Friends」のアニセー・アルビナで、イラン人の父とフランス人の母を持つ女優でした。
 2年ほど前に癌で亡くなったそうで、結婚しなくて良かったと今になって思っていますが、トレーシー・ハイド同様、彼女に「結婚してくれ」と言われたら亡命してもフランスに行っていたことでしょう。

  一ドル360円固定レートの時代でしたから、このまま日本にいては先が知れてる。隙あらば都会へ、さらに隙あらば国外へ出てやろうと虎視眈々と狙っていた閉塞感に満ちた時代でした。 1980年代が時代に転換期だったと今になって思いつつ、生まれ故郷に戻ってどうやってここで生き抜くか苦心惨憺しています。

 久し振りに韓国人の友人からメールが来て、今はグアムにいるようです。なぜグアムにいるのかと言うと、アメリカ本土よりもUSAのグリーンカードが取り易いのだそうで、グアムでグリーンカードを取得したらアメリカ本土に行く目論みを持っているようです。
 日本人と違って移民する人が多い韓国人はUSAの居住権がとりにくいそうですが、それにしても、愛国をあれほど口にしながら、隙あらば国外へ移り住もうとする相反する二面性。

 「あなたはアメリカに移住したいと思わないのか?」と言われ、向こうに好きな女性でもいれば別だが、そうでもないのに移住する価値があるのか?と答えました。
 彼が言うには向こうで結婚するにしても同じ韓国人か、韓国系の女性でなければ嫌だと言うので、それじゃぁ韓国に留まったほうがいいじゃないか。
 私が寅さんに感化されているのかもしれないけど、民族性や社会環境の違いかもしれません。

 将来戻ってきたときに、より良い暮らしを求めて国の外に出て行った者と、惚れた女を追いかけて出て行った者では、愚かしい後者の方が受け入れやすい気がします。

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郵便局長

2009年06月16日 | 日記・エッセイ・コラム

 国鉄が民営化されてJRになったのが1987年の4月1日。当時私はお江戸におり、毎日利用していた山手線がどう変わるのか?期待していましたが、看板が変わっただけで、混雑は相変わらずでした。

 国鉄の呼び方がしっかり根付いていましたから、JRというローマ字の呼び方になかなか馴染めませんでしたが、こちらに戻ってきて鉄道を利用することが少なくなったらJRも違和感がなくなりました。

 もっと身近でなじみの深いJAなどいまだに農協のままで、JAなんて呼び方をするのはJA職員くらいのものです。

 どうもローマ字の呼び方になってしまうと安っぽく感じてしまいます。農協のほうが重量感があります。

 民営化後22年たった国鉄も各地にネコの駅長が出現して観光客を集めているようです。気まぐれでも、スト権を求めてストライキすることもありませんし、便所掃除などしませんが煮干の2~3匹転がしておけば喜んで駅舎に寝泊りしてくれます。しかも客を呼ぶ招き猫。

 あと2-30年すればネコの駅長のニャン生を描いた赤川猫次郎原作の映画「ネコのポッポ屋」が涙を誘うことでしょう。

 やっぱ、もし警察が民営化されたらネコの警察署長が出てきて、署長の資格があるのはパトカーと同じ白黒のネコに限られるなんてことになるのでしょうか?

 20年もすれば民営化された郵便局もネコの郵便局長が出現することでしょう。世襲制公務員として問題になった特定郵便局にネコの郵便局長を赴任させ、封建的血脈を断ち切るなんてことも起こりかねません。

 窓口や配達は任せられなくても局長ならネコでも勤まるかも。お茶を飲んでいるかカツブシを食べているかの差で、ネコの郵便局長を抱っこするために貯金や郵便を出しに来る客も増えることでしょう。

 問題はライバルがクロネコですから、郵便制度の不正流用で逮捕されたネコの郵便局長の背後に黒いネコがいたなんてことも起きるかもね。

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