のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

かんぴょう巻き

2023年03月05日 | 日記・エッセイ・コラム

 「かんぴょう巻き作ったから帰りに寄ってけ。」と、電話をもらい、スキー場の帰りに立ち寄った家。

 昨年の秋に75歳になってプロの高齢者になったおやじさん、先月末に排尿失神とやらでひっくり返ったのだとか。小便をしてたら意識がなくなり、倒れた時の音で不審に思った息子が駆けつけて発見されたんだそうです。救急車待つより運んだ方が早いと、近くの診療所に運び込んだのだそうですが、排尿と同時に血圧が下がって意識が飛ぶのだそうです。

 そういえばよくトイレで倒れてなんて話を聞きますが、これもそうした症状の一つなんでしょう。

 「小便まにあって、きもちいいなぁってはじいてたんだけど、もっと気持ちよくなって気が付いたら診療所に運ばれる車の中だった。これが野原だったら貞操の危機に陥ってたかもしれねぇ。」

 タヌキやキツネ、はたまた熊や猪までいる畑の界隈、冬なら雪女が出るかもしれない。ちんちん出したまま倒れていれば危険だぞ。

 私がかんぴょう巻きが好きだと聞いて、自家製のかんぴょうで作った海苔巻きを分けてもらいました。ユウガオを栽培して、その実を皮むきして干して作るかんぴょう。手間暇かかる割に寿司屋での地位は決して高くない不遇なネタですが、私が子供の頃の巻きずしはこのかんぴょうに胡瓜と赤いデンブを巻いた太巻きが主でした。

 かんぴょう巻き。ごちそうです。

 スキー場でバイト学生が今この本読んでます。と、「具体抽象トレーニング」という本を見せてくれました。PHPから出ている本です。父親が「読んでおけ。」とくれた本だそうで、寮での暇な時間を過ごすために持ってきたんだそうです。

 具体的=正、抽象的=誤。のような風潮がまかり通る昨今ですが、要は抽象的な物事を解釈する能力に欠落しているからで、「具体的に」と言いたがる人ほど理解力が乏しい癖に上から目線の鼻持ちならぬヤカラが多いもんです。具体的とはその抽象の一部を切り取ったに過ぎない。それができないのは読書の不足。と、私が持論を述べたら、「同じことをこの本でも行ってます。」と言ってたので、同じ考え方をする人が書いた本らしい。

 でね、それこそ具体的に例を挙げれば、LGBTだなんだってどうでもよいことを法律化しようとしている向きがあるけど、こんなの抽象の一部であって、それを取り立てて「決める」ということは時間の無駄だよな。そのうち、トイレで流す水の量だって法で規制されちまうかもしれない。ならば、なぜ人を殺しちゃいけないか?このことに関する具体的な説明ができるのか?できないけれど殺人はいけないという抽象の概念を軸に法は成り立っている。

 あいまいという抽象はなんだかわかんねぇけれどそう言うもんなんだという機軸の元にあらねばならぬ。知恵と智慧の違いだね。

 山の上の石油ストーブで茶碗蒸し作りながら語る山仕事のおじさんのご高説に学生さんが聞き入ってました。

 「なんだかわかんねぇけど・・・そういうもんだ!」は案外重要で、気にかけているととんでもないところで腑に落ちて理解できた気になる。その瞬間が、大変うれしい。今すぐわかる回答に振り回されぬことも大切だと思うよ。

 とってもそんな風には見えないかもしれませんが、おじさん最初の大学で社会心理学を専攻してました。

 学生と接するとこちらも勉強になります。

コメント
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