のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

2009年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 1日雨降りでした。
 近年、雨降りの後、自動車のボディーに水滴の跡が残ることが時々あります。黒いボディーなど特に目に付きます。空気中の塵が雨で落ちてきた跡で、もちろん、昔からこういうことはありましたが、年々その塵の水玉が濃くなっているような気がします。
 エコロジーとは程遠いお隣中国から飛んできた塵が雨で地上に降り注いでいるのだそうで、雨からダイオキシンなんてことになれば黄砂よりも問題は大きいと思います。

 中国に近いウラジオストクなど、春になると黄砂で自動車は真っ白、街の道路にもうっすら塵の膜ができ、霧の街が黄砂で霞むような状態。
 「工業の多い中国南部の塵が飛んでくる日本はもっと気をつけたほうがいう。」とウラジオストクの友人は言いますが、風上にこう言う国があると心配です。

 近隣の国にこれだけ公害が及んでくると言うことは国内はどうなんだろう?と気になりますが、最近、上海に仕事に行って来た知人が言うには中国国内で奇形児の出生率が増えているという話を聞いたと言っていました。大気汚染を含め水や食料まで怪しいのですから、納得できる気もします。
 どうすれば中国に「環境」について理解してもらえるか?頭を痛める日本ですが、「無駄だと思うよ」とロシア人。

 大雑把なロシアがもっと大雑把な中国に対する接し方は手馴れていますが、お互い相手を人とみなしていないような対応が成り立っています。緻密に相手の立場まで尊重してしまう日本はどうもこうした荒っぽい国との接し方が苦手です。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

腐れ豆腐

2009年05月30日 | 日記・エッセイ・コラム

090529  肥満が問題になっているUSAではダイエタリーな日本食が注目を浴びていて、特に豆腐は日本食の代表に祭り上げられていますが、豆腐は中国の発祥です。

 中原の西域や北から東北にかけては騎馬民族の領域でした。騎馬民族は家畜の乳を食しますが乳製品の加工には歴史と技術を持っています。

 遊牧民が食していた発酵食品に乳腐という食料がありました。今で言うヨーグルトです。これが乳製品に縁のない当時の中原の人々には貴重でおいしい食べ物の代表でした。きっと酸っぱいヨーグルトだったことでしょうが今までに味わったことがない味わいで体調もよくなりウンコもよくでる。中原の人々の驚きたるやいかばかりか。

 日本語に「醍醐味」という言葉があります。醍醐味の「醍醐」はヨーグルトのことなのだそうです。家畜の乳を食酢習慣のなかった日本ですから、よほどやんごとなきお方でもなければ食べることができない正体不明の不思議な食べ物だったことでしょう。

 騎馬民族の乳腐を知ってはいたものの中原の人々も乳腐を作る技術もありません。乳腐を食するのには塀の外の世界の騎馬民族と取引しなければなりません。

 何とか乳腐を作れないものだろうか?食べ物にかけては惜しみなく情熱を注ぐ民族性は現代も引き継がれています。

 ある人が茹でた大豆をすりつぶした絞り汁(豆乳)に塩を入れると凝固することを発見しました。純度の高いNaclの工業用食塩ではなく不純物を多く含んだ岩塩です。豆乳を凝固させる成分が含まれていたのでしょう。乳腐に似た沈殿物ができました。この沈殿物を布地で濾して固形物にして豆腐が誕生したのだとか。

 やがて豆腐も日本に伝えられますが、外国から入ってきたものをアレンジして完成させるのは日本民族の得意技ですから、繊細な日本式の豆腐に進化していきました。元祖中国の豆腐はもっと荒々しいスカスカの豆腐です。

090529a  ヨーグルトは発酵食品ですが、豆腐は発酵させないで食べます。実は発酵させた豆腐もあります。「腐り豆腐」などと呼ばれますが、これが中国の珍味のひとつになっています。チーズに似た味がするといわれていますが、ものすごい匂いです。日本のクサヤの干物に匹敵する匂いで、クサヤ大好きで通販で買って食べている私でさえ後ずさりする匂いでしたが、確かにおいしい食べ物でした。良質なチーズもクサヤのような匂いがするのだそうです。

 ウンコ臭いのは発酵食品の特徴的な匂いなんでしょうね。ハルビンスタッフも腐り豆腐を「オエッ!」とむせ返しながら食べていましたが、病み付きになる味わいです。日本に土産に持って帰りたかったのですが、飛行場でパニックになるからやめろといわれました。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

竹やぶ

2009年05月29日 | 日記・エッセイ・コラム

090530  天変地異の前触れか?異常気象の警告か?
 あちこちで黄色く枯れた竹やぶが目に付きます。私の周辺ばかりではなく別の町でも竹が枯れる光景を目にします。
 30年説や50年説や120年説などいろいろありますが、竹は花を咲かせるといっせいに枯れる習性があります。面白いもので、元からあった親の竹やぶも株分けした子の竹やぶも同じ時期にいっせいに枯れるのだそうで、そういう意味では珍しい年に遭遇したわけです。
 いつ竹の花が咲いたのか?全然気がつきませんでしたが、この春、竹の花を見たという人もいるので、竹の花が咲く年だったのだろうか?

 それでも例年よりも少ないながらタケノコは出ているので、今日もタケノコの煮物を食べましたが、今頃の季節はタケノコにフキやワラビに身欠きニシンで煮物料理の季節。
 我が家の竹は孟宗竹なのでアク抜きに米の研ぎ汁を使います。毎年、竹が増えないように出たタケノコは全部とって食っちまえと、この季節はタケノコばかり食べるのですが、さすがに竹が枯れ始めると”少しは残したほうがいいのかも?”と控えめです。
 群馬県は海がないのでニシンは獲れませんが、ワラビもフキも山に勝手に生えていますし、タケノコもほぼ勝手にはえてくる。自然食の食卓?

 我が家より少し新潟よりになると雪が多すぎて竹も生育できなくなるので、竹やぶがあるということは豪雪地帯ではない温暖でトロピカルな土地の証拠。密かに嬉しい。これでニシンが獲れたら言うことないのですが。

 ロシア語でニシンをセリョートカといい、国民食といわれるほどよく食べられていますし、塩漬けや燻製したニシンが広く内陸まで流通しています。
 毎年タケノコの季節に箱で買い込む身欠きニシンも、最近はナホトカやサハリン製が多くなりました。日本性の身欠きニシンなどしばらく食べていない気がします。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

草食系男子

2009年05月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 まだ20世紀だったころ、ウラジオストクで当時話題だったバイアグラを買って来た事がありました。どこで手に入れたのか?向こうの友人が「簡単に買えるよ」と持ってきてくれました。

 独身の身に必要はありませんし、安全かどうかもわからないので飲んだことはありませんでしたが、帰国後友人たちとバイアグラの話題になったら「是非ゆずってくれ」と興味を持つ先輩がいたので、それじゃあロシア土産と言うことでとプレゼントしました。当時、まだ40代の半ば過ぎの先輩でしたが、「ありゃぁなかなか霊験あらたかな薬だぜ。久々に夫婦円満だったぜ!」と感心していたんですから効いたのでしょう。「ツレがうつになりまして」ブームの昨今、このスケベ心ではウツなど寄り付きそうもありません。
 バイアグラの副作用や危険性も取りざたされているので、そこまで身を削って妻に尽くさねばならぬ男の不憫なこと、と思いましたが、後にこの年代になってみると、なるほど興味も意欲も薄れて黄昏ていくことを実感することがしばしばあります。

 「草食系男子」なんて言葉が巷に流行するようになりましたが、女性に「性的」な興味を持たない、恋愛にエネルギーを使わない男性が増えているのだそうで、30代より20代と世代が若くなるほどその傾向が強くなるそうです。草食系男子の定義とやらを突き詰めると、本来なら中高年の家庭的な男性の理想像に近いと思いますが、20代でその境地に達しては人口が増えるはずもありません。ある意味、仏教の言うところの煩悩を一つ克服したかに見えますが、元々それがなければ「克服」とは言いがたいのかも?

 英雄色を好むではありませんが、何ごとにも意欲的な人はそれなりにスケベ心もあるものです。ロシア女性や中国女性が自分の国の男性に対して嫌悪感を感じる要員にこの「スケベ心があり」ちょっと事業で成功するとすぐ他所に女を作りたがる男性が多いとのこと。日本男性はこういうことをしないと彼女らは期待していますが、期待を通り越して危ない領域に達しているのではなかろうか?

 中高年離婚を経験した人がよく言うことですが、「性格の不一致などいろいろ理由はあるけど、本当のところは夜の営みが一番の不仲の原因だよ。」
 骨肉の夫婦喧嘩をしながらも夜は停戦して仲良くなって、翌朝から再び喧嘩の再会と言うのも家庭円満の裏事情ですから、スケベ心も大事なのかも?

 バイアグラで身を削るのもなんですから、Viagraの歌で活力を。

 後日談ですが、先述の先輩は韓国旅行に行く知り合いに例のバイアグラを一粒もたせたそうです。ところが、もらったほうは使い方を知らないので、夜の街に出る前に薬を飲んで出たものですから、イチモツが先行して暴走して大変だったようです。
 新しい生命を生み出す前に自分の生命が逝ってしまってはもともこもありませんので、使い方を良く学び、医師と相談して合法的に処方してもらってください。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

フニクラ

2009年05月27日 | 日記・エッセイ・コラム

090528  四十数年昔のことですが、ケーブルカーに初めて乗ったのは神戸の六甲山のケーブルカーでした。
 ケーブルカーと言うくらいですから、ケーブルで引っ張って山坂道を登っているわけですが、そんな原理など知らないものですから、ものすごい力がある電車だと驚きつつ、興奮しながら乗ったおぼえがあります。

 神戸同様坂の多い港町のウラジオストクにもケーブルカーがあります。私がウラジオストクに行き始めた当初は経済混乱や予算の問題でほとんど動いていませんでした。20世紀も終わる頃に行った時にケーブルカーが動いているのを見て”なんとしても乗らねばならぬ”とうきうきしてしまいました。

090528b  当時は路面電車が無料だったので、極東工業大学までは路面電車に乗って行き、工業大学のキャンパスを歩いて通り抜け、山麓駅からケーブルカーに。料金は2-30円だったと思います。

 ケーブルカーに乗って数分、丘の上の山頂駅に到着すると、またチケットを買って下りのケーブルカーに乗って戻ってきましたが、これを3回ほど繰り返したら、駅の職員(ほとんどオバサンばかり)が「何者だこいつ?」といった顔でこちらを見ていました。へんな乗り物マニアの無邪気なおじさんだけなんですが。

 山頂の駅。将来は金角湾を横断する橋ができるそうですが、いち観光客としては金角湾横断ゴンドラや、ロープウェーのほうが面白いのですが、「私たちの通勤や生活のことなんか考えていないでしょ!」と言われると、まったく考えていません。

 駅の建物にフニクレールと看板がありますが、ケーブルカーをフニクラと呼びます。

 イタリア歌曲にフニクリフニクラという歌があります。どこかで聞いたことがある歌だと思います。

 この歌がコマーシャルソングの元祖なんだそうです。イタリアのベスビオ火山に登るケーブルカーの客を増やすために作られたCMソングで、1880年に作られました。
 肝心のケーブルカーは1944年にベスビオ火山が噴火した時に壊れてしまい、復活したのは1990年です。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

軍靴

2009年05月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 消防団の団長の研修で、県内の自衛隊駐屯地に視察に行って来た先輩に、自衛隊がイラクのサマワから撤退するビデオを見せてもらったと話を聞きに行ってきました。

 戦場には火事場泥棒のような連中がいるので、撤退こそ難しいもので、いかに速やかに撤退するかが大きな課題。自衛隊が撤退することがイラク側に事前に漏れており、撤退の指示が出て駐屯地を出るまでの時間がわずか20分。自衛隊が出て2-30分後には駐屯地に砲弾が降り注いだそうです。その様子を記録ビデオで見てきたそうです。
 撤退した駐屯地に現地のゲリラや物取りが入り込んで、残していったものを略奪するのが戦場の現実。
 この先輩はすごいものを見せてもらったと感心していました。
 わが町の消防団長は近所に住む私の同級生で、至ってノー天気な男なので、「旅団と師団はどう違うんですか?」など素朴な質問をしていたそうです。

 駐屯の売店で「2万7千円で将校クラスの軍靴を買ってきた」と言うので見せてもらったら、USAのアウトドアメーカーのダナーの製品で、Maid in Chinaでした。ゴアテックスを使った製品で「冬、雪の上で使う事にしているんだ。」と、雪が降るのを楽しみにしているようです。
 「お前の持っている軍靴はロシア軍のものか?」と言われ、どの靴のことか?と思い返すと山仕事用の安全靴のことで、ワークマンで4980円で買ったものです。

 下級兵用の軍歌は7千円ぐらいだったそうですが、「消防団のゴム長のほうが値段が高いぞ。」消防団のゴム長は火事場で釘などを踏み抜かないように靴底に鉄のプレートが入っています。
 村に予算がなかったから私が消防団員だった時代はこの一側のゴム長を何年も使ったものですが、最後は穴があいて水が染み込んでくるゴム長になっていました。太って消防の制服が合わなくなってきたことや、交通指導員からの誘いがあって消防団を足抜け出来ましたが、交代要員の若者がいないために、50歳近くになってまだこんなことしなければならないのですから、徴兵制の2-3年のほうが楽なのでは?と思うこともあります。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

八重山民謡

2009年05月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 ファムレウタ、子守唄と言う意味です。八重山のシンガーソングライターの新井幸人さんの歌です。八重山民謡というよりも現代八重山音楽です。
 どのくらい言葉の意味がわかるでしょうか?下の字幕スーパーと見比べ聴き比べてみてください。

 八重山のメロディーは沖縄のものよりもゆったりとのんびりとした感じがします。

 学生時代、朝ちゃんという沖縄から来た友人がおり、よく琉球民謡を歌っていましたが基本的に音痴なので元々そういうメロディーなのか?音程がずれているのか?よくわからない音楽に聞こえました。当人は声を絞り出していたんでしょうが、氷山でひねもすトドの叫びみたいで、歌というよりは心地よい雑音でした。

 八重山の悲恋の歌と紹介して歌ってくれた歌があり、もちろん音痴の朝ちゃんの歌ですからピタゴラスの平均律とは全然かけ離れた音階のメロディーになっているうえに、何を言っているのかはわからない言葉でしたが、古い日本語を聴くような感じで言わんとしていることが塊で感じられるような歌でした。

 後に琉球音楽が見直され、世界に広まる時代が訪れますが、その頃には既に朝ちゃんは癌のために夭折しており、何という歌だったのかわからないままです。

 今にして思えば、八重山の何かしらの民謡に、朝ちゃん自身が歌詞をつけて歌ったのかもしれないと思えるようになりました。

 何かをやりたいのだけれど何をやればよいのかわからないエネルギーがくすぶっていた若い頃に出会ったのが琉球民謡で、「涙そうそう」「花」「島唄」などこの主のメロディーラインを聴くと殺伐とした退廃的な時代が思い出されたものですが、最近はそんな感情も薄れて聴くことができるようになりました。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

交代

2009年05月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 韓国の盧武鉉前大統領が飛び降り自殺。歴代大統領が逮捕、投獄されたり、暗殺(朴大統領)、亡命(李大統領)と、無傷ではいられない国ですから、逮捕はあるだろうなと思っていましたが、その前に自殺と言うショッキングな事件です。
 権力と金銭のつながり、家族主義など日本でも似たような状況はありますが、ここまで激しくはない。
 やり手の経営者だった李明博現大統領は5年後にどうなっているのだろう?

 中国の易姓革命ではありませんが、新しい王朝が古い王朝を否定しその遺物を破壊するような意識が、中華の影響が大きい韓国にも残っているのだろうか?
 中国の現王朝(共産党)が倒れたら、過激な「総括」が起こることは間違いないでしょう。共産党ならぬ金王朝の北朝鮮などどんなことになるやら?

 統治者が死なないと新しい時代が来ないのは民主化されていない国々の特徴ですが、韓国の場合、選挙によって5年で統治者が変わります。5年後に奈落に突き落とされることがわかっていながら大統領になろうとする人がいるのも立派ですが、この間に自分を保身する法律を作らせないのは韓国の「民」の力かもしれません。

 日本の場合、政権交代があっても高級官僚は残っているのでダイナミックな変貌はないでしょうが、政権や首相が変わったら役所の局長から上が入れ替わるようでなければ政権のカラーも出ないでしょうし、ほぼ毎年首相が交代している今なら、役所の出世競争も変わり、天下りも必要なくなるかもしれません。
 元厚生労働省事務次官がハローワークのカウンターに並んで「シルバー人材センターに登録したほうがいいんじゃないですか?どんな技術を持っていますか?」などと極めて事務的な対応を受けるようになればお役所のサービス体制も変わるかも?

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

軽井沢

2009年05月23日 | 日記・エッセイ・コラム

090523  顔見知りの仲間たちと軽井沢に行ってきました。

 午後からこの日のメイン、プリンスホテルのアウトレットモールに行きました。私はマイクロバスの運転だったので、ここに来たら木陰の芝生に寝転んで本でも読みながら一休みしようと計画していましたが、なかなか思うようには行きません。
 3歳から5歳のチビギャングが5人、私と芝生で遊んでいるうちにおばあちゃん達はこれ幸いとばかりに「私たち買い物してくるから子供達をちょっと見ててね。」とショッピングモールのほうに行ってしまいました。ちょっとと言っても女性の買い物のちょっとは時間の感覚が異なります。
 男の結束も怪しいもので、じいちゃんたちはバスから生ビールに向かって一直線。
 4時間近く子供達に引っ張りまわされることになってしまいました。足がつって、滝のように汗をかいて、子供達を見失わないように飛び回ったので、2-3日後に後遺症が出てくることでしょう。

090523a  子供と遊ぶのは楽しいけれど、手加減をしてくれないから体力勝負です。

 それでも、孫達の様子を見に来てくれたじいちゃんばあちゃんたちに見てもらっている合間に、アウトレットの1500円のチノパンを2着買うことができました。元の値段が6900円。
 胴回りが106センチの大きなズボンで売れ残ったようです。最近痩せたので今のサイズよりも10センチ太いのですが、それでも規格外の体格なので贅沢は言っていられません。着られるものがあれば抑えておくにこしたことはありません。

 異様に疲れた一日でした。 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

うどん

2009年05月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 モンゴルに行った時、食事にうどんが出てきたので驚いたことがありました。日本のうどんと変わらない麺で、岩塩を使っているせいなのか、独特の深い味わいを持った麺でした。

 惜しむらくは汁で、トンコツなのか、牛骨なのか、はたまた羊の骨なのか?それと肉の出汁の汁で、それを岩塩で味付けしたスープでした。カツオ出汁に懐かしさを感じてきている頃だったので、削り節を持って来れば良かったなぁと思ったものです。

 今にして思えば、あれだけ良い麺があったのですから、ぶっ掛けうどんにして食べればよかったなと思いますが、生卵が新鮮かどうか怪しい国ですから。

090522a 茹でたてのうどんに生卵をいれて醤油をぶっかけて熱いうちに食べる。汁なんていらない、うどんの最高においしい食べ方だと思います。

 幼少の頃、農繁期の今頃の季節によく食べたもので、うどんが茹で上がる間、鰹節を削るのが私の役目でした。

 最近、生うどんを買ってきてはぶっ掛けうどんにして食べています。

 以前、温泉に当時に来た老人から、戦中の話を聞きました。南方で爆撃を食らった傷痍軍人でしたが、目の前で爆弾が破裂して吹き飛ばされる刹那、脳裏をよぎったのがうどん。

 その後、米軍の野戦病院で意識を取り戻し捕虜になったそうですが、同じ部隊の生き残りが、もはやこれまでと悟ったときに「妻や子供の顔が・・・」「郷里の母の顔が・・・」などと語っているとき、うどんが思い浮かんだとは言えずに「両親の声が聞こえました」と答えたそうです。実際には鉄の鍋で煮込まれた野菜がたっぷり入った煮込みうどんだったそうで、「汁の匂いまで感じた。汁がたっぷり染み込んだ椎茸と、その椎茸の香りもした。」

 まさか、自分の命がこれまでと言うときにうどんを思い浮かべながら死んでいくとはいえないものの、「腹へってやっとこ動いていたような戦闘だった」そうで、思い返すと他の兵隊達だって同じようにすきっ腹だったので、自分同様「家族」が思い浮かんだと言いながら、食べ物が脳裏をよぎっていたに違いないと言っていました。

 今は亡き私の登山の先輩は、ヒマラヤ登山の下山中、高度障害と酸素不足で意識が朦朧として、目も霞む状態になり、そのとき雪煙の彼方に牛丼の吉野家のオレンジ色の看板が見えたそうです。ベースキャンプに無線で「吉野家の看板が見えます。でも、金持っていません。」

 連絡を受けたベースキャンプも、こりゃ高度障害にやられている、早くサポートの隊員が待つ下のキャンプまで行かせなければと「ここは我慢してC4まで降りて来い。牛丼なら松屋があるぞ!10円高いが味噌汁付だ。食券も買ってあるぞ!早く降りて来い!」松屋は先に自動販売機で食券を買うシステムです。極限状態で隊員の生死がかかってるとき、こんなこと言わなければならないベースキャンプも「情けない」ことこの上なかったでしょう。

 言われた先輩、雪原に牛丼の匂いまで漂っていたそうですが、8000mから上では天国の匂いがすると言われています。

 朦朧とする意識の中で目の前の吉野家を諦め、仲間が食券を買って待っている松屋を目指して下山し、標高が下がるに連れ意識が戻るようになってきたそうですが、「もしあのまま吉野家に行っていたなら、俺はたぶん死んでいただろう。」と、熱く語っていました。きっとこの氷河に飲み込まれている歴代クライマー達はまぼろしの牛丼屋に引き込まれたのでしょう。そして、この先輩も後に牛丼屋に吸い込まれてしまいました。

 ヒマラヤや世界の高峰に限らず、砂漠のど真ん中や海原の真っ只中に牛丼屋が出現した時、あなたならどうします?

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

マラソン大会

2009年05月21日 | 日記・エッセイ・コラム

090521  例年秋に行われていて中学校のマラソン大会が今年から5月に変更になりました。
 驚いたのはその距離で、女子が2.5km、男子が3.5km。これでマラソン大会?と疑いたくなるような距離ですが、文科省のお達しで距離が短くなったのだとか。

 私の時代では今の2倍以上の距離を走らされたもので、長距離が苦手だった私など”なんで三十数年前に距離を短くしてくれなかったのだ?”と悔しい思いがします。

 距離が短くなって幸いだったのはトップグループと最後尾の開きが少ないことで、最後の一人が通過するまで炎天下の道路に立っているのもきつい役目です。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

おくりびと

2009年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 映画「おくりびと(Departures)」がアカデミー外国語映画賞に輝き、オスカーを手にしたことは記憶に新しいです。

 昨今は葬儀会社があらかたのことをやってくれるようになりましたが、葬儀社がなかった時代、ご近所の底力だけが唯一の頼みの綱。我が家の界隈なら近所の隣組みの人たちがほとけ様の死に装束を着せたり化粧を施し、お通夜の晩に家族が棺桶に納棺するのが慣わしでした。
 交通事故のほとけ様など出てしまったものなら、見られるような仏様に仕上げるのにご近所は悲惨なものでした。

 20代前半の若者ですが、「おくりびと」前処理をやっている青年います。自動車の修理工場に勤めていましたが、つぶれてしまい、奥さんと子供を養わなければならないので給料優先で選んだのがこの仕事。
 主に病院や警察に遺体処理に呼ばれる仕事が多いようですが、呼ばれれば県内全域に出かけるのだそうです。
 今日の夕方、たまたま顔を合わせたら、前橋方面で2件依頼があって仕事を終えて帰って来たとのことでした。

 「あの映画が出てからこの仕事につきたいと問い合わせの電話が頻繁に来るようになった。」と、競争時代に入った模様です。映画は臭いがしないからねぇ。と笑っていました。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

2009年05月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 本棚の裏に建築を学んでいた学生時代のスケッチブックがあったので久し振りに眺めてみたら、最初は真面目に建物をエスキースしていたのに、後半は山や人の顔など曲線ばかりの絵になっていました。そういえば、直線を描くことにうんざりしていたことがあったっけ、と懐かしい感覚を思い返されました。

080519  中央アジアに行ったときにエスキースしてきた少女を油絵で描いたものですが、だんだん日本人の顔つきになってしまい途中で投げ出したまま、物置の中から発掘されました。

 本当はこの背後に遊牧の草原や、イスラムの寺院や、砂漠の岩石など描き込むつもりでいましたが、面倒くさくなって一休みしたままです。

 たぶんトルコ系の少女だと思いますが、アジア的でもあり、ロシア的でもあり、茶色の目がなんとも「中央アジア」を思わせる不思議な顔立ちだったので印象に残っていましたが、描いているうちにだんだんわからなくなってしまい、それ以後、自信がなくなってできるだけ人物は描かないことにしています。特に、あらぬ誤解を受けそうなので女性の絵は描かないことにしていますし、一緒に絵を見るときには見入らないよう気を使っています。

 最近、野仏に挑戦しているのですが、仏様の神々しい顔を描くことがどうにもままならりません。描いているときには柔和に描いているつもりなんですが、一晩立つと不動明王のような顔つきに見えてしまいます。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

千の風邪になって

2009年05月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 新型インフルエンザの感染者が160人を越えた模様です。日本の感染者ランキングも一気に世界4位に躍り出ました。日本の底力?を見る思いです。

 2-3年前に「千の風になって」と言う歌が大ヒットしました。元はUSAの詩で「Do not stand at my grave and weep」。これをデーブスペクターが訳して1985年の御巣鷹山の日航機墜落事故で亡くなった坂本九さんの葬儀で、永六輔さんが朗読して知られるようになりました。

 数年前にシンガーソングライターの新井満さんが作曲して発表しましたが、ブレイクしたのはテノール歌手の秋川雅史さんの歌でした。

 秋川さんが歌ってヒットする前に盲目の歌手新垣勉さんが歌っているのをテレビで見ましたが、新垣さんは牧師なのでUSAのゴスペルかと思っていました。

 このようなことを言うのも恐縮なんですが、秋川さんの見事なクラシックのベルカント唱法に合わない歌に思え、頻繁にラジオなどで放送されていたにもかかわらず、「きれいごと」と言うイメージが先行して、まともに聞いたことがない歌でした。後に、訳詞作曲した新井満さん自身が歌う姿をテレビで見て、歌詞の持つ意味が伝わってきてあらためて向き合ってみた歌でした。

 この路線で最近注目されているのが、樋口了さんが歌う「手紙 親愛なる子供たちへ」で、ポルトガルの詩を翻訳して曲をつけた歌だそうです。ボケを含めて老後の願いを子供に託した歌ですが、ファド(運命と言う意味)の国ポルトガルだけあって一本筋が入っているような気がします。

 死んだ後の「千の風になって」に対して、こちらは死ぬ前の「老い」がテーマです。

手紙~親愛なる子供たちへ~  (歌詞)

年老いた私が ある日 今までの私と違ったいたとしても

どうかそのままの私のことを理解して欲しい

私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても

あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい

あなたと話をする時 同じ話を何度も何度も繰り返しても

その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい

あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本の暖かな結末は

いつも同じでも 私の心を平和にしてくれた

悲しい事ではないんだ 消え去っていくように見える 私の心へと

励ましのまなざしを向けて欲しい

楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり

お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい

あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて

いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを

悲しい事ではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に

祝福の祈りを捧げて欲しい

いずれ歯も弱り 飲み込む事さえ出来なくなるかも知れない

足も衰えて立ち上がることすら出来なくなったら

あなたが か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように

よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい

私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい

あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらいことだけど

私を理解して支えてくれる心だけ持って欲しい

きっとそれだけでそれだけで 私には勇気がわいてくるのです

あなたの人生の始まりに私がしっかり付き添ったように

私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい

あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと

あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい

私のこどもたちへ

愛するこどもたちへ

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

白いネクタイ

2009年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム

090517 昭和村を通ったらお寺の前に人が集まっていました。お葬式かな?と、通り過ぎたら、白いネクタイをしている人ばかりで、葬式に白いネクタイということはまずありえませんし、仏式結婚式でもあるのだろうか?

 否、この界隈で葬式に白いネクタイで人が集まるほど嫌われているとしたら・・・心当たりのある爺さんがおり、いよいよ地獄に落ちたか?

090517a 面白そうだから引きかえして見に行ったら、鐘つき堂の落成式式でした。

 知った顔ぶれがいたので○○の爺さんがくたばったのかと思ったといったら、「あんつらもんの葬式に行くような馬鹿はいやしねぇ。散々人を泣かせてきたんだから簡単に死んでもらってはおさまんねぇ。」とすざましい嫌われ方でした。

090517b 何回か通り過ぎたことがあるお寺でしたが足を踏み入れるのは初めてで、境内に水子地蔵尊が祀られていました。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加