のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

オムライス

2014年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 子供や孫のために木を植える。もし食糧危機でも起きたら?できれば実のなる木が良いと柿や栗などの木を植える。

 

 その気持ちはわからくもないしけど、大きくなる木を家のそばに植えるものではない。もし倒れたら家を壊しかねないし、必要のない日陰を作ってしまう。

 

 近隣の市のことですが、市街地のはずれの家に隣接する畑の境界に柿や栗や桜を植えた農家がおり、枝が茂って住宅地の屋根の上までかぶるようになったので、2日ほどかけて枝を切りに行ってきました。

 

 根元から切ってしまいたいところですが、持ち主の承諾が取れなかったようで、人家に面した枝だけならと許可が下りたそうです。

 

 お昼前には枝も切り終わり、切り落とした枝は近所の人が薪ストーブで燃やすと持ち帰ってくれたので楽でした。

 

 畑はすでに耕作放棄地になっており藪の中にけもの道が見られましたが、栗や柿の木の幹の畑側に、クマが上り下りした爪痕が残っていました。クマもクマなりに気を使って民家から見えない方向から木に登っていたんですね。

 

 「そういえば、何か木に登っているような気配を感じたことがある」と近くの住人もうすうすわかっていたようです。

 

 作業後、民家のご隠居さんに誘われてオムライスを食べに行きました。5-6分歩いたところに昔ながらの洋食屋さんがあり、シェフ兼ウェイトレスのお婆さんが切り盛りしていました。ちなみにオムライス650円。ランチタイムのコーヒー付。

 

 オムライスが高級料理と思っている年代の末端なので、「何年振りだろう?」と喜んでごちそうになりました。

 

 御隠居さんとその仲間のたまり場になっている店で、面白い話をいろいろ伺えましたが、お年寄りのたまり場の形が市街地と農村部では異なることも面白かったです。

 

 オムライスは得意料理のひとつでもありますが、ここ何年か作っていなかったので「何年振りだろう?」と言いながら食べていたら、とんでもない山奥から出てきた人間に見えたのか?「よかったらもう一つ食べて行きなさい」とおかわりまで馳走になってしまいました。

 

 5-6年前だと思いますが、「地下鉄に乗って」と言う映画のビデオを借りました。赤川次郎原作の小説を映画化したもので、タイムスリップして不仲になっていた自分の父親や、少年時代の自分の兄弟と出会い、時代を変えることはできなかったけれど、理解できるようになるストーリーで、この映画の中でオムライスが印象的に用いられていました。

 

 あのビデオを見て自分で作ったオムライスが最後だったな。なんてことを思い出しました。

 

 バブルのあたりからふんわり半熟卵とかドミグラソースとか、オムライスがよりゴージャスになって足が遠のいてしまいましたが、薄い玉子焼きにケチャップで水の入ったコップにスプーンがささっていれば十分ゴージャスです。

 

 今ではチューブが当たり前になってしまったケチャップがガラスのビンに入っていて、瓶の底をたたいてケチャップを出していた光景などを思い出さして、「なんだか、心が豊かになる料理ですね。」とご隠居さんに言ったら、「そうでしょう。この料理は和食の心意気があるよな。」と共感してもらえました。たしかに、日本以外でで見たことないけど。

 

 この界隈に独居老人が多いこともあって、この店に食事に来るおなじみさんも多いそうで、400円の日変わり裏メニューが人気でした。筍とフキの煮物にお新香に焼き魚と味噌汁にご飯。もしくはすいとん(団子汁)とご飯。思い切り和食じゃないか。

 

 帰る道すがら考えた。和食と洋食の線引きはどのあたりにあるのだろう?

140531 夕食のおかずはモヤシのごま油和え。5分ほどゆでたモヤシの水を切り、ごま油でもんで醤油で味付け。これにきざみネギなんか入れるともっと嬉しいのだけど、ネギがなかったのでいりごまを少々。

 

 ちょっぴりカラシをくわえて考えた。ごま油和えとナムルの線引きはどのあたりだろう?コチュジャンなどもってのほか、カラシを入れた時点でお下品になったのではなかろうか? 否、ここまではかろうじて和食の品位を保っている。そうだ!そうだ!そうに決まった!

 

 ひと袋19円のモヤシとは言えとはいえ、ふた袋を一気にごま油和えにするとこれ一品で飯の代わりになる。

 

 モヤシ一品料理はさもしい学生時代をもいだしてしまいます。オムライスには希望があったけど、モヤシには現実しかない。

 

 健康にはいいと思うけどね。

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世界遺産

2014年05月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 中国のテーマパークに作られたスフィンクスの模造品が、世界遺産の精神に反するとエジプトから抗議を受け、「映画撮影のために作ったあるよ。撮影終わったら取り壊すあるよ。」と壊されることになりそうです。

 

 今の中国では何を作っても「貶める行為」に見られてしまいそうな世界状況ですが、万里の長城も秦の始皇帝からクレームがつくのではなかろうか?あれだって、国境なんですから、万里の長城の北は別の国ではなかろうか?

 

 宇宙から見える唯一の人口建造物が万里の長城ですが、人類が作った最大の建造物が「国境」と言うのも人類の英知の愚かさが漂っていていいですね。

 

 とあるロシアのお母さんはベルリンの壁ができる時に東ドイツに派遣されていましたが、最初は有刺鉄線の束を東西ベルリンの境界に配置し、コンクリートの建造物は後にコツコツ作っていたそうです。表向き教師だったこのお母さんは分厚い皮の手袋をして有刺鉄線を張る作業を手伝ったそうです。

 

 考え方を変えれば、ベルリンの壁も世界遺産ものだったかもしれません。

 

 山岳保険の継続の通知が来ました。jroという東京都山岳連盟が関わっている共済形式の山岳保険で、2000円の年会費と前年度の支払い実績を会員で割って負担するので、安く入れる保険です。事故が少なく会員が多ければ安くなる仕組みです。

 

 昨年度に起きた事故の負担費用を割ったら一人当たり600円の負担。年会費とその消費税160円と負担金600円で2760円。

 

 居酒屋で言うならメニューの金額がはっきりしている明朗会計ですが、会費の2000円はお通しのようなものなんだろうか?

 

 今までは日本山岳協会の山岳保険に入っていましたが、こちらはオプションによって費用が異なりますが、年間8000円ほどかかっていました。

 

 日本山岳協会の保険は牛丼屋で言うならサラダセットに単品で玉子をつけた方が安いか、玉子セットにサラダを別注したほうが安いか?意外とねらい目はキムチ単品。みたいなところがありますが、山の事故の場合捜索費用と遺体搬送が高額ですから、余計なものは省いて特化すると、東京都岳連の保険は理に適っている。と、かれこれ5年ほど継続しています。

 

 冬になるとスキーの保険にも入りますが、幸いなことに、自動車も含めてこうした保険のお世話になったことは今までないのでありがたい無駄に感謝しています。

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ヒョウ

2014年05月29日 | 日記・エッセイ・コラム

140529 嫌な雲行になってきたなぁ、と周囲がうす暗くなったのが午後2時ごろ。

 

 赤城山のすそ野に広がる赤城原を通りがかった時の光景です。

 

 既に雷の音は聞こえていましたが、急に夕方になったような暗さと、冷たく心地よい風が吹いてきて、風の音にまぎれて雨がふる音が聞こえてきました。

 

 その音がだんだん近づいてきて、畑のビニールのシートに当たる音が聞こえ、ヒョウが降っているなと様子を見ていました。

 

 ほどなく大粒の雨に紛れてヒョウが降ってきました。乾いた地面に落ちると誇る意を伴ってポンポンと跳ねる固形物。クルマを木の枝の下に入れてやり過ごすことにしました。

140529a  対岸の山を見ると雨を降らせている雲が太い柱のように立ち上って、ゆっくりと移動しているのがわかりました。

 

 まだ雨が降っていない地域の空は紫色に見える薄い雲が覆っていました。

 

 ラジオでは稲光と同期するように雑音が入り、”荒れるぞ!”と畑にいた農家が逃げ帰る様子を眺め、ヒョウがいくらか少なくなった時点で立ち去ることにしました。

 

 背後までどしゃ降りが追いかけてきているのを感じながら山を下りて、国道に出るところで雨雲に追いつかれてしまい、ワイパー全開で逃げ帰りました。

 

 

 本日の最高気温は北海道で記録したみたいですが、画期的なことです。こちらも朝から蒸し暑かったのですが、この雨一発で様相が変わりました。一発でドカンと降った雨は地面にしみ込む前に地表を流れてしまうので、地下水にはあまり影響しないのですが、畑の農作物には恵みになったことでしょう。

 

 

 私が小学生の時代、養蚕が主流だったころ、この季節のヒョウを伴った大雨が大きな被害をもたらしたことがあります。カイコのえさになる桑の葉っぱが穴だらけになってしまい、養蚕農家が桑の葉を集め回ったことがありました。

 現在ではその桑畑も荒れ放題か抜根して畑になってしまいましたが、ヒョウの被害は少なからずあります。

 他人事のように気象がもたらす自然のショーを傍観してしまいました。

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大河の一滴

2014年05月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 空から降ってきた雨の一滴が沢となり、川となり、大河となって海に注ぎ、やがてまた雨となって一滴をもたらす。輪廻転生のような自然現象。海って天国の象徴なんだろうか?

 

 海にたどり着く前に路上で蒸気になっちまって漂っている一滴の方が多いんじゃないのかな?行いの悪い雨は海にたどり着けないのだろうか?私なんか集団行動が苦手だから大河にたどり着く前に川のほとりで蒸発してしまう水かもしれない。山の向こうに湧き上がってきた積乱雲を眺めながら考えてしまいました。

 

 五木寛之の大河の一滴がベストセラーとなった頃、このエッセイには違和感を感じていました。50代になって読み返してみると妙に心にしみる哲学書です。理解力が上がったと言うよりも諦めて納得できる狡さが身についたからかもしれませんが、あの世が近くなったこともあるのでしょう。

 

 近年のイスラム世界では聖戦で命を落としたものは天国に行けるのだそうで、その天国と言うのが泉が湧き清流が流れ、木々の緑に囲まれた世界なんだとか。

 

 私が生活している山の中と変わらねぇじゃねぇか!

 

 甘い!実に甘い!関東限定ジョージアMAXコーヒーだ!そんな甘い考えでは蒙古タンメンは食べられない。

140525_20 だいたい皮膚感覚が足りない。木々の緑に清流とくればブヨにやぶ蚊、足元にはヤマヒルだ。

 

 雪解け水の大河の一滴の水溜りには虫が卵を産み付けてティラミスのココアパウダーのようになっている。

 

 夕方になれば夕立だってあるし、雨に濡れれば砂漠の夜の寒さより危険だ。

 

 雪が降れば雪かきしてもさらに降り、かいてもかいても雪は降る。三途の河原で石を積むような虚しさが現生で体験できるプチ地獄だぜ!しかもじいさんばあさんたちはやたら元気で身勝手だ。

 

 冬の大雪を体験したシリア人が「こんなところは人が住むところじゃない!」とアラーのだまし討ちに泣いていたぞ。

 

 つまるところ、そこが天国なのか地獄なのか?気持ち次第なんだろうけど、天国で生きていくのも大変そうですね。

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七難八苦

2014年05月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 フナッシーが尊敬すると言う山中鹿之助。てっきりフナッシーゆかりの千葉の人かと思っていたら山陰の武将でした。

 

 お家再興のために「われに七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったと言う人物で、困難を受け入れて尽力したえらい武将だったようです。

 

 別にお月様にお願いしなくても向うの方からやって来るのが七難八苦で、何とかやりくりしながら皆さん生き抜いているもんです。

 

 最近、やけに多いと懸念しているのが「むしゃくしゃしたから」「世の中に不満があって」などの理由で通り魔事件を起こすような連中で、「誰でも良かった」で被害にあった人はたまったもんではありません。

 

 AKB48の傷害事件も人気投票の選挙でも背景にあるのなら別ですが、わけのわからない犯人の気晴らしに切りつけられて、挙句に「AKBならだれでも良かった」では理不尽な気もします。

 

 でも、芸能界はああいう世界ですから今回の事件が自分の名を売るチャンスと受け止めているかも?七難八苦を乗り越えるチャンスと言えばそうですからね。そっか、色白は七難隠すで、こちらは免除されているから八苦だけとはいえ、生き馬の目を抜く世界でのし上がるには「虎視眈々」の目がきらめいている。

 

 こういう事件が起きると「社会の責任」とわかったような顔して善人ぶるコメンテーターが出てきますが、社会の責任と言うことはあんたの責任と言うことなんですよ。どう責任取るんだ?

 

 社会の責任なら、今後こういう人間が出てきたら娑婆で袋叩きにしちゃえと言うことなんでしょうか?昔はそうだったけど、今は世のためにならない人間が出てきたら叩き直すことをあきらめちゃっていますから、確かに社会の責任も一理あるかも?

 

 世のため人のために人を叱ることも責任だと思いますが、七難八苦を押し付けられたような気分です。

 

 厄介なこと背負い込まないで、自らの壁につぶされて滅んでいく弱者を傍観するのも手段かな?偽善者でいる方が楽だもの。

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ピョートル大帝

2014年05月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 ピョートル大帝(1655~1725)と言えば「ピョートル大帝のひげきり」で名前を知られていますが、16世紀に雷帝イワンによって突然出現した未文化で野蛮な超荒っぽい国だったロシアに、文化を導入して普通にダーティーで荒っぽい国に進化させた皇帝です。

 

 ヒゲきりにしても、スウェーデンと戦争をするために風呂税・スイカ税・クルミ税・煙突税などと奇妙な税金を次々とあみだし、ネタが尽きたためにひげに税金をかけたのだそうです。身分によってヒゲの税率は違いましたが、基本的に農民はヒゲ税の対象外でした。しかし、農民が都市に来るときには微量ではあれヒゲに対する税金を支払わなければなりませんでした。画期的な税制改革でしたが結果的に失敗しました。

 

140526  ピョートル大帝は2mもある大男だったそうですが、酒にまつわるエピソードに関してはエリツィンが聖人に見えるほど豊富です。偉大な事業をなしえた大帝ですが、それゆえに奇妙な行動も多かった人物です。平凡な善人より非凡な狂人を愛するロシアの幕開けはこのあたりから始まったのかもしれません。

 

 あるとき飲んだくれ仲間を集めて「酔っ払い省」を作り、酔っ払い大臣、酔っ払い法王、酔っ払い枢機卿などを任命。自らは謙虚にこれらの中でも身分の低い酔っ払い司祭に着任。ピョートル大帝以上の酔っ払いがいたのでしょう。

 

 造船技術や軍事技術を学びに英国に行けば、3ヶ月の滞在で宿舎の家具は壊され室内はがたがた。毎晩飲んでは大騒ぎをしていたようです。飲んで騒いで大暴れが当時のロシアの文化だったのでしょうが、受け入れたイギリス側はたまったものではありません。

 

 プロイセンに行ってドイツ女性とダンスを踊り、コルセットを知らなかったものですから、「ドイツ女性は硬い肋骨をしている」と解釈し、オランダには身分を隠し造船所に職人として雇われて働いてみたり、奇妙な行動をとることが多い変わり者でした。

 

 型にはまったことが嫌いで、かんしゃくもちで気まぐれのピョートル大帝は気分次第でおかしなことをやらかしては周囲のものを困惑させましたが、それを上手にとりなっていたのは妻のエカテリーナ(1684-1727)です。

 

 ピョートル大帝にはエカテリーナの前に前妻エルドーギアと息子のアレクセイがいましたが、大帝暗殺を企て失敗し殺されています。「アリョーシャ、あたしゃもう今日という今日は父ちゃんに見きりつけたわよ。こんな飲んだくれの父ちゃんなんか絞め殺してネヴァ川に流しちまおう」と今のロシアでもありそうな人情物語ではなく、王位を狙った泥臭いものです。

 

 洗濯女からピョートル大帝の後妻となったエカテリーナも、マルタ・スカブロンスカヤという名前で農民の娘でしたが、一家が離散し牧師の幼女になり、スウェーデン人と結婚、ロシアの戦乱に巻き込まれ連行されてきて、ロシア貴族の妾になり、それをピョートル大帝に見初められて王妃に成り上がった玉の輿人生を歩んだ人です。

 

 ピョートル大帝の死後エカテリーナが女帝になりまさにシンデレラストーリーを地でいく人生を歩みましたが、なかなかつわものだったらしく、ピョートル大帝がエカテリーナ皇后の愛人をひっとらえて連れてきても「そんな男知らない、迷惑だから殺しちゃえ」と突っぱねるような女でしたので、大帝も酒におぼれたくもなります。

 

 女帝エカテリーナ以降、アンナ、エリザベータ、そして大帝エカテリーナ二世とカマキリのような女帝の歴史がロシアに始まります。ちなみにロシアの皇帝で、大帝と呼ばれるのはピョートル大帝と、エカテリーナ二世だけです。エカテリーナ二世については別の機会で取り上げますが、愛人と結託して亭主を暗殺して皇帝になってしまった大物です。

 

 ピョートル大帝の娘のエリザベータ女帝などわがままに育っていますから、自分が好きなピンク色を独占してしまい、死刑廃止論者であるにもかかわらず、自分の好きなピンク色を身に着けた女性に限っては死刑にすると言うお触れを出しています。

 

 一歩遅れて出てきたロシアがヨーロッパ史に列強として名を連ねるようになるのはピョートル大帝からですが、家庭内では強い女性に虐げられて不憫な生活をしていた哀れな父ちゃんのかもしれません。

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山開き

2014年05月25日 | 日記・エッセイ・コラム

140525_28 アルプスのおじさん廃児となって朝から山の稜線をすっ飛び歩きました。

 

 平標山は花の百名山に入るほど有名な花の山なんですが、そのシーズンを迎えるのは6月の半ば頃で、まだ春先の様相です。

 

 山開き当日なので、毎年おなじみの顔触れが登ってきますが、連中が来る前に一足先に頂上を踏んで、2026mの仙の倉山まで歩きてきました。

 昨年は分水嶺をテーマに歩いてみましたが。これも調べ始めると面白いもので、およそ想像の付かないようなところに分水嶺が存在しています。

 

140525s_1  三国山脈は列島を東西に分断しているのわかりやすいのですが、長野県など信濃川(千曲川)の源流が思ったよりも南にあったりします。

 

 この写真では雪解け水が右側に流れると太平洋、左に流れると日本海に流れ着きます。

 

 多分山の中では伏流水が”どっちに行こうかな?”と渦巻いているのでしょうが、ここから滴った一滴が、大河の一滴になります。

 

 2-3年前の山開きの時には新潟県の高校山岳部が平標山の家に泊まって研修会を開いていましたが、今年は長岡高校の山岳部が登ってきました。

140525_29 やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。

 

 山本五十六の名言ですが、山本五十六の後輩たちです。他には櫻井よしこさんもそうですね。

 

 高校山岳部は競技会などの影響もあって割と最近まで旧体系の装備や手法で山登りをしていましたが、さすがに時代を感じたのか?と言うより安全性の問題が大きいと思いますが、近代的装備に切り替わっています。

 

 彼らは日帰りの予定で早朝に出てきたようですが、家庭で作ってきたおむすびなどを持ってきていました。山登りに行く時に母親が弁当作ってくれるうちが花で、ほどなく親も呆れて「勝手にしろ」と見て見ぬようになります。

140525_22

 山の上はまだ花が咲くような温かさではありませんでしたが、山頂から松手山方面を下ると、そろそろ花が咲く季節になっておりました。

 

 妙に生暖かい日だったので、雪解けの水の滴りで蚋が目を覚まし、 半袖の腕を2か所ほど刺されてしまいました。

 

 これから梅雨明け頃までは局地的に蚋の集団が待ち受けており、このラインが日々少しづつ標高を上げていきます。

 

 下山時は汗が目に入ることよりも目の周りにまとわりつく蚋がうっとうしかったです。

140525_25 アズマシャクナゲがまだつぼみの状態で、それでも気の早い花がこの様子。

 

 シーズン真っ只中になれば登山道の両側がシャクナゲの回廊になるのですが、あと2週間ほどかかりそうです。

 

 こうした高山植物は適した環境でなければ花もつけませんし色も出ません。マニアの人はそこを何とか工夫するのが楽しいのでしょうが、体が動くうちは身に来ればよいのですし、動かなくなれば図鑑を眺める。

 持ち帰って人が住むところに植えた途端に意味がなくなると思います。

140525_17 オオカメノキの白い花が咲いていたのは標高1600mあたりでした。

 

 昨年はもう少し低い場所に咲いていたので、いくらか温かいのかな?

 

 雪は例年に比べて多くはなかったはずですが、2月の大雪で状況が一転した感じでした。例年とは残雪の残り方も違っていました。

 

 あの大雪はゲリラ豪雨冬版みたいなものでしたが、近年こうした雪の降り方が多くなった気もしています。

140525_9 昨年は蕾状態が目立ったミネザクラ、今年はそろそろ咲き始めの状態でした。

 

 タカネザクラとも呼ばれ県によっては絶滅危惧種になっているようですが、 この山では豊富に咲いています。

 

 高度よりも涼しい環境を好むようで、こちらではあまり高い山でなくとも見かけることがあります。

 小さな花をたくさんつけるサクラで、秋には小さな赤い実をつけます。

140525_14 ナエバキスミレです。合向かいの苗場山の名をもらった黄色いスミレ。

 

 最初、黄色い花なのでミヤマキンバイかな?エチゴキジムシロかなと覗きこんだらハート型の菫の葉っぱ。花もよく見ればおしべが黒い。

 

 雪解けの山の路傍に妙にこの花の黄色が目立っていました。

 

 毎年花の最盛期にもう一度来ようと思いながら山開きを迎えていますが、花の時期になると梅雨入りしてしまいます。今年はどうしようかと思案すること十年以上。考えているうちに花の季節は終わります。

 わが人生のように。

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山小屋

2014年05月24日 | 日記・エッセイ・コラム

140525s_7 平標山の山小屋です。

 貧乏登山が心情なので野宿は毎度でも山小屋に泊まることはめったにありません。

 

 人生余裕ができたら山小屋どまりで山歩きをしたいものだと思う続けて30年以上、余裕のない生き方をしています。

 

 まあ、外国に行っても野宿は毎度のことですからこれも私の生活の柄なんでしょう。

 「一夜を過ごす」どうもこの概念が世間一般とかけ離れているような気がします。

 

140525sa  若かりし頃はシュラフなんて必要なかったんです。コンパクトなシュラフカバーに潜り込んで、寒ければザックの中に足を突っ込んで、木の陰で丸くなって時間が過ぎるのを待っていると、そのうちウトウト眠っていたもんです。この孤独感がたまらなく好きです。

 

 あまり縁がない山小屋泊まりもたまには面白いもので、ランプの明かりでなじみの顔触れと盛り上がる話がなぜか怪談と野生動物の話題。

 

 リアルタイムで小屋の外に出たらしいんですが、山小屋のおやじさんが「単なる幽霊だ、気にするな。来たければ入ってくりゃいいんだ。」筋が通っているのかいないのか、それもそうだよな。

 

140525sb_2  幽霊は人畜無害みたいですが、2000m近い稜線に猿が出現するらしいんです。高山植物でも荒らすと大変なことになります。歪んだ自然保護が新たな環境破壊を生み出しているのですが、左巻きも悪いけれど「学術被害」という新たな災難を社会性のない学者が生み出しているのも現実です。

 

 自然と折り合いをつけながらほどほどのところで生きている我々と違って、猿も学者も幽霊も「自分が悪いと思っていないんだよな」と話は決定しました。著名な植物学者も来ていたのですが、フィールドワークを多数こなしている人は「まさにその通り、私が悪うございます。」と気取らないです。

 

 幽霊がいたあたりの湧き水。毎年の恒例でペットボトルに持ち帰ってコーヒーを淹れます。

140525sc 小屋の近くにはショウジョウバカマが咲いていました。

 

 高山植物などに興味を持つようになって10年弱ですが、私がこうしたものに興味を持つようになったことが「お迎えが近くなった」と不吉らしいです。

 

 かつては一日どれだけ多く歩けるか、とかどこまで険しい山に登れるかに傾倒していましたが、そこそこのところで切り替えなければならないので、いい口実だなと高山植物に目を向けるようにしているのですが、「悪党は悪党のままでなければいかん。」と足抜けできそうにありません。

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今でこそ言えるけれど

2014年05月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日の女子サッカーすごい試合だったんですね。延長後半終了数秒前にコーナーキックで勝ち越し。劇的だったんですね。サルがアンテナひん曲げてテレビ映らないけど。

 

 結果がわかると無性に見たくなる。それより、南シナ海でベトナムと中国が大変な時にベトナムで開催される大会で中国とやる日本女子サッカー。並の精神力ではない。大和撫子強いですね。

 

 夕方、知人のところに昨夜のサッカーのビデオを見せてもらいに行ったのですが、PKで同点にされたところで録画をやめてしまったために、肝心の延長部分が録画されていなかった。「まさかこんな展開になるとは思っていなかったんだ。今朝のニュースで勝ったのを知ったんだけど、録画しておけばよかったなぁ。」と言い訳していましたが、人生最後までわかんねぇもんです。

 

 その気持ちもわからないでもありません。近年、競ると弱い日本人のイメージが強くなってしまい、肝を冷やすような試合はこの状態になっただけで諦めてしまっていたけど、日本女子は違いますね。

 

 この知人宅でテレビニュースを見ましたが、女子サッカーのニュースはもう古くなってしまったようです。大阪の行方不明の女性のニュースとタイのクーデターのニュース、チャゲ&飛鳥の逮捕のニュースしか流れていませんでした。

 

 ♪Say Yes!♪と謳っていた割に容疑をNoと否認し続けていたAska容疑者もついに観念したみたいですね。

 

 桜桃忌(6月19日)も近くなったので、太宰治の本を引っ張り出してきました。このところ読む機会がなかったので本棚の裏の列に突っ込んでいたのですが、今の気分では読みたい作品がない。

 この歌がラジオの深夜放送から流れていたのは蒸し暑い夏でした。統計の計算していた時で、いらいらしていた手を休めて聴き入ってしまいました。「思い切り駆け出したいけど たよりなく 後ずさり」と言う歌詞が妙に胸をえぐる言葉に感じました。

 

 曲が終わって、誰が歌う何と言う曲なのか?メモを用意して構えていましたが、説明はなく次の曲に移ってしまったことなどを今でも思い出します。

 

 永井龍雲の「桜桃忌」と知ったのは夏の終わりごろでした。桜桃忌ってなんだ?と調べて太宰治の命日と知ったのも、今でこそ言えるけれど、この歌のおかげでした。

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シベリア

2014年05月22日 | 日記・エッセイ・コラム

140522_2  冬のノボシビルスクで予約しておいたホテルが閉鎖になっていたことがありました。まあ、こんなことはよくあることさ、と、街をうろつき、駅の待合室で夜明かしをしました。

 

 シベリアの大都市なので各地から来た人たちが列車の乗り継ぎで駅で夜明かししていましたが、皆一様に毛皮のロングコートを羽織って、それそのものがシュラフの代わりになりそうな温かさを感じさせました。私は準登山スタイルで毛糸の帽子にマウンテンパーカーに登山靴、このいでたちが異様に目立っていた感じがします。顔つきはブリヤートモンゴル人か極北の民族のような顔なのに、着ているものが見たことないいでたち。何者だ?と警戒されている気配を察しました。

 

 
140522d  街を漂っていた時、窓越しに家庭の様子が見えました。二重ガラスの外側の窓には霜がこびりついていましたが、真ん中あたりは曇っておらず、かすかに生活を除くことができました。一人旅はこうした寂寥感との対話で、今度来るときには出れを連れてこようか?なんてことを思い浮かべるのですが、無事旅が終わると充実感の独り占めがまたたまらない。

 

 十数年後、ノボシビルスク出身のアレクサンドル氏と親しくなり、この夜明かしの話をしたら「ロシアではこういうときが明かりのついている家に泊めてもらえばいいんだ。我々はそういう民族なんだ。」と言ってました。行けども行けども何もないシベリアの奥地ならともかく、100万都市のノボシビルスクでそういう感覚が通用するのかさておき、何とも温かい言葉に感じました。

 

 アレクサンドル氏は私より一歳上ですが、長年肝臓を酷使した結果、現在はアルコールを断っているそうです。市街地から少し離れた一軒家に娘夫婦と二人の孫と一緒に暮らしています。ほとんど手作りで家を建てたみたいで遊びに来いとメールが来ました。

140522e  夏のシベリアはやぶ蚊がすごくて、私には決して快適ではありません。音も立てずにやってきて刺されるととてつもなくかゆい。

 

 一度秋に行ってみたいと思っているのですが、いつが秋なのかわからない。アレクサンドル氏説によると「夏と冬の間にある。」と言うのですが、そりゃぁ日本も似たようなものです、で、いつなの?と聞くと「その時の気分で決まる。」と非常に明確な回答が返ってきました。

 

 日本に来たことがない彼の奥さんは私のことを日本の雪深い辺境地に住む山岳民族かなにかと思っているらしいので、一度お会いして「真っ当な日本人です!」と釈明せねばならないと思っていますが、彼がどんな説明をしたのか?そっちが疑問です。

140522f 以前は新潟からイルクーツクまで飛行機で、そこからシベリア鉄道でノボシビルスクに行きましたが、最近は成田から直行便も出ているらしい。でも、寒くなってからあるのだろうか?

 

 久々にシベリアをうろつくのも面白そうだな、というより、どれだけ変化したのか見てきたい思いもあります。

 

 久しくロシア語も使っていないので聞き取れなくなってきたし、構文が思い浮かばなくなってきたのでNHKラジオでも聞いて勉強しなおすかな?なんて思っています。

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2014年05月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 ♪雨がふります雨がふる 遊びに行きたし金はなし♪

 ビミョーに違うかな?でも、北原白秋の感性ってすごいなと年齢を重ねるほど感心しています。

 

 久しぶりに一日たっぷりと雨が降りました。このところ雨らしい雨が降っていなかったので、畑の恵みになったことでしょう。

 

 朝、雨合羽を着て通学路に立っていましたが、私が建っていた通学路を傘をさして通り過ぎて行った小学生は5年生と6年生の4人だけ。あとは親の車に乗って学校まで送ってもらったようです。これはこれで安心なんですが、なんだか寂しい思いがしました。

 

 通学路からの帰り、水たまりの中にカエルの卵が産みつけられていました。今回の雨でできた水溜まりだと思うので、今朝産み付けたものだと察しましたが、晴天が続けば水がなくなるような場所です。そうでなくともこれだけ浅くて少ない水では孵化したオタマジャクシがカラスなどの鳥のえさになるのが落ちでしょう。それに、育つまでのえさだってないと思うけど。

 

 私のオタマジャクシが食べられてしまったゲロゲロと泣き叫んでも、これはあんたの責任やで。ところ構わず見境なく発情して、後先考えずに産んだ結果がこれです。ゲロゲロ鳴けば社会や行政が何とかしてくれると思ったら偉いと違いの偉い違いだ!馬鹿ッ子ばかり作っても世の中のためにはならん!

 

 と、学校に成り代わってモンスターペアレントのカエルに説教しておきました。

 

 ♪雨がふります雨がふる けんけん小雉子(こきじ)が今鳴いた 小雉子も寒かろ寂しかろ♪

 

 畑付近のジャングルのような藪からキジが顔を出すようになりました。多分、この藪のどこかに巣を作って卵を抱いているのでしょう。藪から出てくる場所と入り込む場所が離れていて、巣の近くに来ないように違う場所へ誘導しようとするキジなりの知恵なんでしょう。

 

 キジの卵は鶏より一週間長い28日で孵化します。畑には目障りな藪ですが、記事の子育てが落ち着く梅雨明けまで刈りはらわないほうがよさそうです。

 

 杉林の中、杉の枝に鷹が巣を作っていました。鷹の種類はノスリです。鳥も鳴かずば撃たれまいの逸話は、キジでしたが、杉林に近づくとたかが甲高い鳴き声を発して威嚇します。その鳴き声で巣があることがわかったのですが、黙っていれば気がつかなかったかもしれません。

 

 この2月の大雪で折れた杉の木があるので、間を見て伐採しておかなければと思っての下見だったんですが、鷹が巣を作っていたのでしばらく見合わせることにしました。

 

 これが個人の林ですから融通がききますが、行政の仕事なら納期が決まっているので、「鷹が巣を作っています」と言うのも理由にならない。で、切り倒してから左巻きのモンスターに突っ込まれてあたふたする。どちらも心の余裕がないのは似たようなものなんですがね。

 

 ちょいと昔なら方便という規制が意味をなしていたんです。どういう時期にどこの森に入ると祟りがあるとか、何時から何時までは山の神様の仕事があるので人は入っていけないとか、なんだかわからないけれど言い伝えに従ってそれが鎮守だったんですね。

 

 山に限らず里でも時期のよってはタニシが毒を持つから食べてはいけないなんて言い伝えがありまして、ちょうどタニシが卵を持つ時期はとって食べてはいけないと言う方便でした。

 

 人間が頭で考えるとろくなことになりません。多くは自分がやりたい感情が先にあって、理論はそれを後押しする言い訳に過ぎないのですが、これが過ぎると自然のしっぺ返しが必ずやってきます。天変地異含めての自然なんですから、想定の範囲外でしたと言うならわかったような気にならないことが賢明です。

 

 そんなわけで周囲をよく見渡しご機嫌を損ねないように生活していますが、それにしても一日長々と雨に降られると退屈です。

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羅生門蔓

2014年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム

140520 ラショウモンカズラが花を咲かせていました。この界隈で標高1200mあたりまで見かけることができるシソ科の植物で、標高の高いところでは7月頃に見かけることができます。日陰に生える草で、比較的何処の山でも見かけることができます。

 

 漢字で書くと羅生門蔓。平安時代に酒呑童子を退治した源綱が、京の一条戻橋の上で鬼女と戦ったときに切り落とした腕がこの花の名前の由来と言われています。

 

 鬼女が来ていた着物の袖だろうか?振袖ではないから既婚者だったのか?などと余計なことを考えています。

 

 鬼女と呼ぶのも鬼に失礼かもしれませんが、大して変りがないような鬼婆おばさんに不快感を覚えたのは一昨日の日曜日のことです。

 

 午後、バイオマスの地域発電のシンポジウムがあり、私は受付に座っていました。こういう会議ですから左巻きの人が来ることは予想していましたが、私の背後に白髪頭で絣の作務衣姿のおばさんたちが大声で話をしていました。

 

 原子力発電や沖縄基地のことをうんぬん言っており、不平不満オーラをガンガン発していました。共産党にはここまで下品な人はいないので社民党系かな?と察しました。

 

 そのうち、自分たちが持ってきたパンフレットを受付のテーブルに並べて「一部200円で売ってください。これを読めば日本のことはよくわかります。経済のことだってよくわかります。」

 

 さすがにこの会議の運営者たちがやばいと感じたのか、役員たちがポケットマネーで全部買い取りましたが、一種の押し売りですね。

 

 憑依する先を求めて漂う亡霊みたいで、あまりにばかばかしくて怒りを通り越して微笑みを浮かべながらその様子を見ていましたが、こうした人たちが幅を利かせると説得力がなくなります。この人たちの破壊願望を満足させるためのバイオマスではありません。

 

 パンフレットが売れて満足したのか、また私の背後の椅子で叔母さんたちの談義我は締まり沖縄基地の話などをしていましたが、米軍基地の周辺に反対は運動の人たちが集まって抗議活動するのは権利かもしれませんが、糞尿くらい持ち帰れよ。

 

 基地の周辺に立小便や野糞して、ごみ巻き散らかして、地元の人たちがそれこそ物言わぬボランティアでそれらを片付けているのが現実です。会話の中に「菅首相が」なんて言葉が出てきたので、やっぱあっち系かと察しましたが、こういう人たちが増えるようならこのプロジェクトから手を引こうかと思います。現実味もなくなりますし、何より私たちの生活を食い物にされたくありません。

 

 私は呆れてにこにこしていましたが、それを「好意的」と勘違いしたのか?今度は教育ママ系のおばさんが「集団的自衛権の反対する署名をお願いします」と私のところに来ました。

 

 こういうのはちょっと・・・それより、趣旨が違うでしょうこの会議と!自分でも顔の上半分からこわばって来るのがわかります。急に私の目つきと声が変わったので向うもうろたえて引っ込みました。なんたらの1000人委員会と書かれていたような気がします。

 

 それでも、ここで引き下がってはならないと感じたのか「でも、根本は同じだと思いませんか?」と捨て台詞のように言って立ち去ろうとしたので、「全く違います。私たちはそこまで下品ではありません。」目線が会うと言い争いになりそうなので、顔を背けて言いました。

 

 簡単に環境問題や福祉や無農薬などを口にする人って無責任なんですよね。何を担保に物を言っているのだろう?私たちは自分の生活が担保になっているんです。きれいごとではなくてクリーンでなくてはならないんです。

 

 原発が嫌なら電気を使わなければいいんです。集団的自衛権が嫌なら団結する市民もやめるべきです。自然が大切なら足を踏み入れないことが一番です。

 

 どこかで折り合いつけながらほどほどの絶用のバランスで自然に食わせてもらって生きているのが私たちなんです。自然に食わせてもらっているやましさ向き合いながら生物多様性の末席で生きている野生に近い人類なんです。都会の穢れを持ち込むな。

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こんにゃく問答

2014年05月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 お茶の茶うけにタケノコの煮物をごちそうになりました。不思議なもので。田舎料理の煮物は板前の達人でも婆さんには太刀打ちできない特異な分野です。
 人柄が反映される料理なので、温厚な人が作るとまろやかな味わいになりますし、短期で鉄火肌の人が作るとどこか硬い味付けになります。横着者には横着者のよさがあるようで、材料にじっくり味がしみていたりで侮れない。各国にスピリチュアルな煮物料理があるのもうなづけます。

 

 今回ごちそうになったのはタケノコとゼンマイとフキの煮物で、おばあさん曰く「みんなそこらへんに生えてたもの。」
 しかしながら「馳走」と言う意味合いにおいてはまさに王道で、スーパーの野菜コーナーのごとく一カ所に生えているわけではない。あちこち野山を歩いて入手してきた素材です。
 ゼンマイなど昨年とったものを筵に広げて、何日も手もみしながら干したもので、人件費を考えたら超高級素材です。

 

 お茶だって、この親しみやすい安っぽい味わいは葬式の引き物のお茶でしょう。今年はずいぶん葬式があったから。
 葬式のお茶とて見る角度を変えれば、人様の人生終焉の遺産のようなもので、得難い品物です。この出がらしのお茶のように味気ない人生だったんだなと故人を偲べば、「そういうこという前に香典はずんだらどうか?」と言われそうなので、心よりご冥福をお祈りします。化けてでないでね。

 

 煮物の中で唯一そこらへんに生えている素材でない物がありました。コンニャクです。こちらはコンニャクの産地ですから、そこらへんに生えていることは生えていますが、農家が鬼のように手間暇かけて作った農産物です。

 

 考えてみれば、コンニャクの食い方を考えついた人類の英知も頭が下がるもので、コンニャクの芋が食用になるまで3ー4年かかります。
 冬は凍結させないように掘り出して倉庫で保管し、春にまた植え付けて芋を育てる。出荷するまでの手間も大変ですが、これを食べられるように加工するのがまた大仕事です。

 

 触ると痒くなるのでゴム手袋をしてコンニャク芋をすり下ろし煮るのですが、このとき厳格な水と芋の重さの対比が要求されます。煮る最中もちょっと手を休めるとすぐに焦げ付くので、休む暇なく鍋をかき回し、湯気に当たると顔が痒くなります。
 最後に重曹を入れて固めるのですが、これも重曹の量をしっかりと比率通りにしなければなりません。

 

 ここまで手間暇かけて作った食材がカロリーゼロと言うのですから笑っちゃいますが、ミネラルの宝庫です。

 

 味の良くしみたコンニャクを食べながら「仏教のお経にコンニャク経ってぇのがあるっつげだい。」
 そりゃなんだい?落語のネタかい?南無観世音蒟蒻菩薩、アブラヒカエメソワカなんて読むのかね。なんて笑いながらふと思い出しました。涅槃経(ねはんきょう)のことかな?

 

 諸行無常、是消滅法(ぜしょうめっぽう)、消滅滅已(しょうめつめつい)、寂滅為楽(じゃくめついらく)。なんて句が出てくる経ですね。
 たしか涅槃経と書いて「こんにゃくきょう」という呼び方があったはず。

 

 と、毎度のことですが妄想に陥るわけです。俳優の沖雅也さんが飛び降り自殺したときの遺書に、「おやじ、涅槃で待つ」と書かれていたことから、広く庶民にも「涅槃」という言葉が浸透しましたが、あれを「おやじコンニャクでまつ」と読まれていたらどうなっただろう?

 

 三途の川の船着き場の茶屋で、おでんをつまみながらプロダクションの社長を待つ。問題はおでんを食べる順序だ。私はコンニャクから先に食べて、最後は薩摩揚げ派なんですが、それだとおあずけ食らったみたいになってしまいます。角生やして虎のスカートはいた鬼のウェイトレスに「下げていいですか?」なんて言われて「もうすぐ連れがくるので、ちょっと待っててください。」なんて言ってるのも絵にならない。

 

 やっぱ、沖雅也さんは玉子から先に食べる派だったんだろうか?黄身を食べるときに汁を飲みたくなるよな。で、それから薩摩揚げに行って、竹輪、お店によっては大根もあるだろう、でもハンペンだったらどうなるのか?あれだけの俳優さんだ、香典たくさん集まっただろうから、ガンモドキやキンチャクも入っていたかもしれない。静岡おでんなら牛すじも欲しいところだ。でも、最後には汁がなくなって干からびたコンニャクが残る。人生とはそういうもんやったんや。

 

 集団的自衛権や憲法改正なんかに比べれば実に些細でどうでもいい問題です。でも、「些細なことが気になる性分でして」と水谷豊演じる杉下右京警部の心境です。

 

 こんにゃく問答、お後がよろしいようで。

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20世紀の自動車

2014年05月18日 | 日記・エッセイ・コラム

140518 日頃軽トラしか走らない田圃の畦道を疾走する燃えるような赤い自動車。

 
 世界一農道が似合うクルマ、フェラーリです。V型12気筒エンジン、もちろんハイオク仕様なので一体どのくらいい燃料代かかるのか?

 
 ここでクボタの帽子かぶったおじさんと、モンペ姿のおばさんが降りてきて、田圃で稲の補植を始めれば最高にファンキーです。中国当たりならやりそうな気もするけれど。

 

 70年代末にスーパーカーブームがありましたが、イタリアのランボルギーニ社は元々はトラクターの会社で、北海道でランボルギーニのトラクターを見かけたことがあります。

 

 仕事で成功したランボルギーニの社長がフェラーリ買に行ったら「農機具屋なんかに売れるか!」とバカにされたために「それなら自分で作ってやるっぺよ!」と自動車作りを始めたと聞いています。

 

 田圃に突っ込まないかな?と期待しながらながめてしまいました 。

140518a_10  たくみの里で「20世紀に作られた日本の自動車物語」と言うイベントがあったために見に行ってきました。

 

 近県からも参加者が多数来たこのイベントの条件は、ナンバー車検があり、自走してこられるクルマで、参加料1000円。

 

 実は私が乗っている軽トラも20世紀に作られたクルマなんですが、この界隈では20世紀の軽トラなら掃いて捨てるほどいます。まだ昭和の時代の550ccの軽トラが畦道をかっとんでいます。

 

 道楽ではなく、生活その他諸雑多な事情で、要するに買い替える金がないから乗っているわけですが、もうひと踏ん張り我慢すればレトロの領域に達します。

140518a_1_3  さすがにこのレベルになるとまずめったにお目にかかることがないダットサンスポーツ。

 

 860ccエンジンを搭載していますが、今の軽四より小さいのではなかろうか?

 

 それでもちゃんと車検も取ってあってここまで自走してきたみたいです。

 

 ディズニーランドあたりで走っていそうなクルマですが、私が子供の頃にこの車のトラック版がありまして、まだ現役で走っていたのを見たことがあります。およそ今の感覚でたいして荷物が積めそうもないトラックでした。

140518a_2  この後ろ姿で思い出したのが消防車です。

 村の消防団の車でこのモデルを使った消防車がありました。

 

 自走する消防車など珍しいほうで、多くの分団はポンプを積んだリヤカーのような消防車で、分団の消防士が人力で引っ張っていたんですから、やっぱ画期的でしたね。

 

 私が幼少の頃はまだ有鉛ガソリンが当たり前でしたので、自動車が通った後の匂いが印象的でした。もちろん毒性があったんですけど、みんな病的に元気です。

 

 90年代中国に行ってらこの有鉛ガソリンの匂いが漂っていて、妙に懐かしく感じたものです。

140518a_3  こうしたイベントに欠かせないのがオート三輪。自動車博物館では定番ですが、現役で走っている車は希少でしょう。

 

 オート三輪と言うとミゼットが有名ですが、今のダイハツのクルマでした。今回来ていたのはマツダのオート三輪です。

 

 このオート三輪がよくひっくり返っていたものです。ちょっとカーブで景気よくハンドルを切ると簡単にひっくりかえるんですが、簡単に起き上る。これが三輪ドリフトです。

 

 1970年代でも真ん中より前の時代の都市部ではオート三輪が走っていました。小回りが利くので汲み取り式便所のバキュームカーとして活躍していました。

140518a_4  この荷台のタイヤハウスの部分が、当時の人たちにとっては座席だったんです。

 

 荷台に10人くらい人が乗り込んで、舗装されていない凸凹道を走っていたんですから長持ちするわけないんですが、なんだか妙に前向きでノー天気だった昭和30年代。「ALWAYS 三丁目の夕日」の香りが漂っています。

 

 オート三輪は今でも中東に行くと走っていますし、中国でも田舎に行くと走っています。中国のオート三輪はオートバイの派生のような代物ですが、中東のオート三輪はボディーを板金屋が作って、日本の軽四の中古エンジンなどを積んで走っています。

140518a_5  ちょっとピンボケですがレトロな自動車の定番のスバル360。日本の国民自動車です。

 

 エンジンは後ろに積んで後部作責の背後に15リットルも入ればいっぱいの燃料タンクがありました。

 

 空冷エンジンなので、よくオーバーヒート起こしていましたが、今考えてみるとこの設計は日本人の知恵が凝縮されており、よくぞこのスペースに大人4人が収まるものだと感心してしまう優れものです。

 

 その向うに見える黒いスズキのセルボ。このあたりになると乗ったことがあります。スズキもまだエンジンを後ろに積んでいた時代で、2サイクルの550ccでした。この2サイクルエンジン、時折逆回転するです。そんなときはエンジン停めてもう一回かけなおせばいいんですが、この逆回転で事故が起きたために2サイクルエンジンは姿を消してしまいました。

140518a_6  マツダコスモ。この車が世に出た時はスーパージェッターの流星号が現実になったかと思いました。

 

 世界で初めてロータリーエンジンを実用化したクルマです。

 

 ロータリーエンジンは元々はドイツのアウディーが発明して、実用化できずにマツダが権利を買い取ったと聞いています。燃費や環境問題もあってロータリーエンジンも姿を消してしまいましたが、理論上は優れていても実用化が難しい技術の一つです。

140518a_11 ヨタハチと呼ばれたトヨタスポーツ800。水平対抗二気筒の800ccエンジンを積んだ 奇妙なスポーツカー。

 

 空冷エンジンなので高速ですっ飛ばすとオーバーヒートするなんて言われていましたが、軽くて燃料を食わない車だったみたいです。

 

 このエンジンを使ってパブリカと言う大衆車が生まれ、スターレットになり今のヴィッツにつながっています。

 

 ヨタハチのライバルにはエスハチことホンダS800なんてのがあって、エンジンから小売りへシャフトではなくチェーンを使って駆動を伝えていました。オートバイの技術だったんですね。

140518a_8  日産に併合される前のプリンスグロリア。東京の西荻窪に工場がありました。

 

 プリンスと言う社名は皇太子ご成婚の年につけられたそうで、今の天皇皇后のことですね。

 

 アメ車のようなデザインでタクシーにも使われていたので乗った記憶があります。

 

 グロリアは6気筒2000ccエンジンを搭載しており、この時代のクラウンはまだ1900ccの4気筒エンジンでした。

140518a_9 縦目のプリンスグロリア。

 

 この型が売られていたころにプリンス自動車は日産に合併され、一頃は日産グロリアとして販売されていました。

 

 この後の型からグロリアとセドリックは同じ車になってしまいました。

 

 ごく最近までこの車を所有していた知人がいました。今のように舗装路ばかりではない時代だったのでサスペンションも椅子もふわふわしたクルマで、やはりアメ車のような雰囲気を持っていました。

140518a_7 オープンカーが初代ダットサン・フェアレディーと流線型でその地位を築いたニッサン・フェアレディZ240型。

 

 ダットサンのフェアレディーは昔の日活や松竹映画などで良く出てくるクルマで、美人女優がサングラスとスカーフを頭に巻いて乗っているのが印象的でした。

 

 フェアレディーZになると、私の世代ではすでに240伝説がまかり通っていたのですが、高価すぎて買う人はいなかったですね。自分のクルマが持てれば上出来の時代で、2000ccなんて手の届かない時代。3ナンバーともなれば毎年税金が10万円近かったのですから、およそ庶民の帰るクルマではありませんでした。

140518a_13 トヨタ・スタウト。1900ccのピックアップトラックです。

 

 アメリカあたりに行けば今でも走っていそうなデザインです。

 

 このスタウトの後継車がハイラックスで、いくらか小型になります。

 

 農村地帯に行くとこのスタウトとダットサンのトラックが良く稼いでいたものです。

 

 今でこそゆるぎない地位を築いた日本車ですが、これらの自動車は何とか欧米に追い付こうとしていた時代の自動車だと思います。司馬遼太郎流に言えば、坂の上の雲を追いかけていた時代だったのかもしれません。

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品格なのかな?

2014年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 USAに行ってたときにエスニックのフェスティバルなどを通じて日系米国人や米国在留日本人とたくさんであうことが出来ました。

 長時間接しているうちに見た目で日系米国人はわかるようになりました。目つきが我々とは違うんです。
 よく、キツネ目なんて表現がありますが、多くがそういった目をしていて、向こうのアニメなどに出てくるアジア人や日系人の顔はなるほどなと納得できてしまいます。

 それと目の周りというのか、顔の上半分の表情があまり変化しないんです。目線も泳がない。時折インタビューに答えるイチロー選手の目を見ていると、日系米国人によく見られた目線を思い出します。

 日系人の物事の考え方や仕草など明らかに日本人とは異なりますが、YesとNoの境界が広い私たちと異なり、我々が気兼ねして言いにくい「No」をはっきり言える人々になっています。あれだけ多様な民族が混在する土地ですから考え方がシンプルで短絡的な原理主義がわかりやすくて浸透するのもわかります。

 日系人よりつきあい方に気をつけたのは向こうに永住を決めている日本人で、大まかに分けて二種類いました。
 一つは向こうの方が仕事や生活がしやすくて移ってきた人たち。もう一つは日本を追われるように出てきた人たちで、当然要注意だったのは後者の人たちです。妬みが強い反面、精神的に自立できていないから日本人や日系人の集まりには顔を出し、不快感をまき散らしていきます。

 中国人や韓国人と違って日本人はエスニックタウンを作ることなく生活できるのは、その土地にとけ込める能力が高いからなんでしょうが、もちろんすべての日本人がそうだとは言えません。艱難汝を玉にすると申しますが、艱難汝をダメにする例もあるようで、海外で日本の足を引っ張る日本人も多数います。

 よっぽど日本で悔しい思いをして出てきたんだろうなと、察することができましたが、同様に「気位は高いけど能力の低い人だな」と感じました。こうした人たち、平均して英語も下手なのですが、日本語能力も著しく低い。日本人の集まりに顔を出して、我々が日本語で話をしているあからさまにバカにしたような態度をとりますが、それなら、と英語で会話になると高いレベルの会話もできない。日本人にも慣れなくてアメリカ市民にもなれない無国籍人間と言う意味でコスモポリタンと呼んでいました。腐ったミカンではありませんがこの手の日本人とは極力関わらないようにしていました。わが身の危険にもかかわります。

 退役兵士の保養所があるような土地でしたから、ある程度の年齢の米国在住日本人女性には在日米軍兵士と結婚して移り住んだ人も多数おり、沖縄出身者も多かったです。ベトナム戦争時代に移り住んだ人も多かったです。
 これも、まっとうな恋愛して結婚して米国に移り住んだ人か、水商売のおねえちゃんが米兵にくっついてやってきたのか?向上心や品格でわかります。

 昭和の時代に中国大陸から留学生が来るようになり、この時代は能力の高い人間が多く、侮れないなと刺激にもなりました。90年代になると日本で使い物にならないような学生が腐ったミカンのように国外に出て行った時代がありましたが、時代は巡り、近年は近隣アジアから来る腐ったミカンの廃棄場所のようになってしまった日本。
 日本人の品性が低くなったことも反省せねばなりませんが、類は友を呼ぶんです。

 日々の生活に気を付けたいです。

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