のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

4年に一度

2012年02月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 4年に一度しかない2月29日です。

 知り合いの高校生と顔をあわせました。卒業式は明日ですが、就職も決まり自動車免許を取るべく教習所に通っているそうです。彼の高校では卒業式後でなければ免許の試験を受けられないそうで、今週中に教習所を終わり、来週は学科を受けに行くのだそうです。3月末には本社に研修に行くのだとかで、学科試験は一発で済ませたいと意気込んでいました。

 私が高校生の頃はバイク通学も当たり前でしたし、免許に関してうるさくなかったので、年明け前に教習所を終了し、冬休みを利用して学科を受けに行きました。

 まだ二十歳前の若造が自動車を買うことができるような時代ではなく、2000ccの自動車なんておよそ手の届かない時代でした。高校時代から乗っていた90ccのバイクを東京まで持っていって大学の通学に使いました。

 が、最初の大学は付属高校からエレベーターであがってくるお坊ちゃま、お嬢様が多い大学だったので、2000ccどころかBMWやアウディーなんて車で乗りつける学生もいました。一生懸命勉強してこいつらの経営する会社で働く立場なのかな?なんて考えると情けない思いがしました。

 とは言え、そこはお坊ちゃま。役得もある者です。先輩にフォルクスワーゲンのビートルをもらい自動車のオーナーになれたのが19歳のとき。ビートルと言っても1960年代の1300ccの空冷エンジン。クーラーがないどころかヒーターも満足にきかない。当時は10年以上経過した自動車は車検が毎年。それでも、オートバイよりはましだと喜んでいました。

 左ハンドルでしたが、便利なのは通りを歩いている人に道を聞くときだけで、街中で道路わきに駐車すると縁石が邪魔をしてドアを開けられない。追越するのに見通しが悪い。

 古い自動車なので音がうるさくて、朝や夜中にエンジンをかけると近所に気を使う。

 アパートの家賃6000円の2畳の部屋に住んでいて、駐車場が月1万円。しかもアパートから歩くこと5分。ばかばかしい生活をしていたものです。

 そういえば、このオンボロビートルをくれた先輩は誕生日が2月29日でした。「20年の人生の中で誕生日が5階しか来ていないんだ。」と自慢していたっけ。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ミイラ

2012年02月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 この2日ほど近隣の市の住宅地のケヤキの木8本を伐採してくれないかと依頼され出かけてきました。

 家の周辺に高い木を植えるものではありません。うっかり倒せば家を直撃してしまうため、木に登って枝を落とし、上から徐々に切り落としていく「空師(そらし)」と呼ばれる仕事で、登山用のハーネスをつけ、ロープで体を固定しながら上から徐々に切り落とす作業でした。

 切り落とした枝や幹を運ぶために3tトラックで出かけましたが、住宅地なのでトラックを置く場所がありません。

 町内会長さんが現場近くの家の庭先を借りてくれました。「昨年末ごろまでおばあさんが一人で住んでいたけど、このところまったく姿を見せないから埼玉県の孫のところにでも行ったのだろう」と言ってました。

 作業2日目。午前中にはほとんどの作業が終わり、後はそれほど難しくない木を1本切り出せば済む状態になりました。

 町内会長さんが「せっかく遠くから来てくれたのだから。」と近所のおいしいうどんの店に連れて行ってくれました。

 食事が終わり、現場に戻ってみると、私たちがトラックを置かせてもらった家の周辺が騒がしい。パトカーまで来ている。

 何か事件が?と、野次馬に聞いてみると、この家に一人で暮らしていたおばあさんが死体で見つかったとか。

 どうやら、われわれがトラックを置くために町内会長さんがお孫さんに電話をし、お孫さんは「家にいると思っていたのにどこに出かけたんだろう?」と気になって、こちらにやってきて家に入り、死亡していたおばあさんを発見したようです。

 そういえば食事に連れて行ってもらう前に、私たちのトラックの近くに黒いスポーツカーが停まっていて、家の持ち主が来たのかな?と思っていましたが、家の中では騒ぎになっていたんですね。

 こちらから私と一緒に行った60代のおじさんが木の上に登って枝を切り落とすとき、家の中が見えたそうです。「なんかミイラみたいになった干物のような姿が見えたよ。」

 まさか家の中にこんな状態の死体があるなんて知らないで2日ほど近くにいましたが、警察の現場検証で雨戸と窓を開けたら腐敗臭が周辺に漂っていました。

 そんなわけで、今日は夕飯も食べずに寝ることにしました。

コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

川海老

2012年02月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 60代のおじさんと「川海老」の話題になりました。正確にはスジエビと呼ばれる淡水性のエビで、池や川などに生息していました。

 最近見かけることはないのですが、私が子供の頃には田んぼの水路などに生息しており、ざるですくって、かき揚げにしてもらって食べたものです。

 田んぼの農薬散布や、河川のコンクリート付けで川海老が棲める環境が少なくなったこともありますが、もう随分長いこと見かけていないことに気がつきました。

 田植えの頃になると、田んぼ作業の合間にタニシやドジョウなどの副産物をとっ捕まえてきては食べたものですが、こういうのを捕まえるのも子供の仕事だった気もします。

 ドジョウなど小さくて食用に適さないものなど鶏の餌にしたものです。ドジョウを食べさせると鶏が卵を産むなんて都市(田舎?)伝説があったほどで、たぶん動物性蛋白が不足していたからなんでしょうね。

 比較的水が澄んだ場所にはスナメンドジョウなんて呼んでいた赤っぽいドジョウが生息しており、これは食べるとおいしくないとかで鶏の餌でした。

 「懐かしいけどあの時代の戻りたくはない」やはり生活は便利なほうがいい。某国政府は電気料ガス料両値上げして、進化と逆行する生活に戻ろうと呼びかけているけど、ようやく文明生活に追いついたのにまた元に戻れといわれたわれわれ田舎物には「都会人の贅沢」にしか思えません。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

萌え?

2012年02月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 2・26事件から76年ですね。2・26事件は一部の将校が起こしたいわゆる軍事クーデターですが、今の日本では一部の官僚がクーデターを起こしているような気がします。

 温厚でおとなしい日本人は「ちょっとおかしいんじゃない?」と感じつつも傍観していますが、草食化の影響でしょうか?

 草食系と馬鹿にするなかれ。結構皮肉を込めて切り返すのも面白い。

120226  日本のサブカルチャーが中国に切り替えした「萌えキャラ」の「日本鬼子(ひのもとおにこ)」

 中国で日本人を馬鹿にする言葉「小日本鬼子(シャオリーベングイツゥー)」を逆手にとって、萌えキャラを作ってしまったこのユーモアとアイデア。なかなかやりよるな。

 案外、「萌え」と「エロ」が近隣諸国を堕落させる日本の秘密兵器になるかも?

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

四大発明

2012年02月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 中国の四大発明といえば羅針盤・火薬・紙・印刷術ということはよく知られています。

 春秋戦国時代には磁石の作用に気がついた人々が天然磁石を用いて「司南」という原始的な方位磁石を用いていました。後に「司南」を方位を書いた円盤の上に備え付けて羅針盤を発明しました。羅針盤は後にヨーロッパに伝わり、大航海時代の到来に大きな役割を果たしました。

 火薬は漢の時代に発明されたといわれていますが、それ以前にすでに木炭が燃えやすいことや硝石と硫黄が爆発しやすいことを知っていたそうです。漢の時代にその三つを一定の割合で配合する比率を確立し、火薬が誕生しました。唐や宋の時代には火薬による武器が使われています。これが今日の原水爆の始まりということになります。14世紀になると、この火薬がヨーロッパに伝わりヨーロッパ各国が火薬を用いた武器を製造するようになります。

 紙は漢の時代に発明されました。前漢の時代には目の粗い紙が既にあったそうですが、後漢の時代に蔡倫という宦官(宮廷に使える一物を切り落とされた官僚)が布・麻・木片を原料にした静止方法を発明し、紙の質が大きく変貌しました。紙は6世紀になると朝鮮半島経由で日本にも伝えられます。

 印刷術は唐の時代の中ごろに木版印刷が発明されました。この印刷術は版画のようなもので、木版に文字を彫って紙に刷っていました。そのため文字を間違えたりするとはじめから全部彫りなおさなければならない代物でした。11世紀初頭の北宋で活字印刷が発明されます。粘土を焼いて作った漢字の活字の判を配列して印刷する手法で、現在の印刷の基礎です。

 四大発明に限らずさまざまな発明や医学や科学的な先端技術を有していた中国でしたが、18世紀にヨーロッパで産業革命が起こり、技術革新が各地に伝播していったのとは対照的に、閉鎖的だった中国では新しい技術の波を受け入れることができずに技術後進国へと転落してしまいました。

 その後政治的な混乱などもありなかなか立ち直ることができませんでしたが、元々基礎がある国です。世界各地で活躍する中国人科学者の数は日本人の比ではないでしょう。

 日本人の独壇場とも言える微妙な皮膚感覚の精度を要求される職人芸は一朝一夕に育つものではありませんが、ハイテクと呼ばれる理論的高等技術ほど追いつきやすいものです。ハイテクが高等な理論や技術であってもそれを噛み砕いて応用できる人物が出てくればものになってしまうものです。

 あらゆる技術がバランスよく進化してかといわれれば決してそうでもありませんが、突出した技術は世界の最先端を行くものもあります。

 バイオテクノロジーではインシュリンの人工合成などは中国が世界に先駆けて開発した技術です。他の国では採算が合わないと早々にやめてしまった研究でしたが・・・

 日本のように制御の難しいH2エンジンを積んだロケットなどありませんが、ロケット「長征」は商業衛星発射業務で宇宙輸送ビジネスとして成り立っています。

 エビのチリソース煮ではありませんが外国の技術であっても自国に取り込んで消化してしまう中華料理のような発想と、知的所有権に対する順法意識のないこともあって、貪欲なまでに新しい技術を吸収してしまう国です。日本のようにそれを独自にアレンジしてしまうしたたかさはないようですが、決して侮れない技術を持った国です。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

検察官

2012年02月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 3年間馬を走らせたところでどこの国へも行き着けないロシアのある地方の町は、粗野で収賄家の市長と賄賂をもらって恥じることのない小役人が支配していました。慈善病院は「死ぬやつは死ぬ。治るやつは治る」をモットーに運営され、裁判所は鳥の巣になり、学校には切れる(と言っても、頭ではなく堪忍袋が切れる)挙動のおかしな教師が暴れまくっているモラルハザードを突破した田舎町です。まるで私の住む村のようなところです。

 腐敗の極みのこの村に首都から検察官がお忍びでやってくると噂が流れます。日ごろが日ごろなので一同心中穏やかではありません。

 そんなときに市で唯一の旅館にフレスターコフというただ者ではない面構えの男がやってきます。振る舞いもただ者ではない。まさかこの男が噂の検察官か?

 腐敗役人の心中たるや水戸のご老公一団が来ていることを事前に察知した越後屋とお代官様のようなものです。助さん格さんに殴られて印籠見せられ土下座する前に、早々に気分良く立ち去ってもらわなければなりません。

 実はこの男フレスターコフは首都で博打と放蕩で身をもちくずして、役人を辞めて故郷に帰る途中の青年にすぎませんでした。何の考えもなしに行動してしまう頭の空っぽな男で、帰途の途中カードゲームで有り金をみんなすってしまい、宿泊費も払えず旅館に滞在していました。

 ところが、この男こそお忍びの検察官に違いないと思い込んだ市長は、旅館にフレスターコフを尋ねてきます。宿代を払えない自分を逮捕に来たと勘違いしたフレスターコフは居直って「何だね君は!何しに来たんだね!}と猛然と市長を怒鳴りつけてしまいます。これで「この方こそ首都の検察官」と勘違いのまま確信した市長は早速自宅で豪勢な歓迎会を催して、賄賂まで握らせてもてなします。

 フレスターコフと言う男もなかなかしたたかで、自分が国の重要人物でしかも将軍でもありさらに大作家でもあると吹聴したばかりか、自分の嘘の酔いしれてしまいます。魚心あれば水心で、やましいところがある役人・商人・大地主が貢物を持っては陳情にやってきます。

 いささかこれにも飽きてきたフレスターコフ、今度は暇つぶしに市長の娘に結婚まで申し込んでしまいます。市長とすれば、娘が首都の検察官の妻になれば立身出世の道が開けるので大喜びです。何しろ何も考えないで行動する男ですから、成り行きで市長の夫人にまで言い寄る始末。追い詰められて結局市長の娘にプロポーズして一件落着します。

 フレスターコフは思わぬ贈り物で懐も膨らみ、頭の良い召使のアドバイスもあって化けの皮がはがれないうちに退散することにします。ついでにペテルブルグの友人に、この街での出来事を自慢した手紙を出します。これがまた、自分を検察官と勘違いした市長を「老いぼれた虚勢馬のような馬鹿」、慈善病院の院長を「頭巾をかぶった豚」などとボロクソに嘲り、役人一人一人にあだ名までつけています。

 「下司な飲んべぇ」と嘲られたのは郵便局長で、この男の趣味は人様の郵便を勝手にあけて読むこと。偽検察官の郵便を、毎度のごとく開封して読んだ郵便局長がぶったまげて手紙を持って市長の家に駆け込んできて、読み上げると役人一同大爆笑。はたまた罵りあいの大喧嘩するほど愚かしく馬鹿にした内容の手紙でした。「てめえら!何笑ってんだ!自分で自分を笑ってんだぞ!」と市長が吼えます。

 一同唖然としていると、そこへ本物の検察官が到着したと言う知らせが入り、空気が凍りついたまま幕になります。

 ゴーゴリの「検察官」と言う戯曲です。学生時代の演劇で市長役を演じたことがあります。なんとも愚かしい人々ですが、権威などとは所詮この程度のものなのかもしれません。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

2012年02月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 夜、台風並みのものすごい突風が吹き荒れました。あさからあめで下が、午後には晴れ間が見え”今夜も放射冷却で冷えるのか?”と懸念していましたが、気温は下がらなかったものの強い風が吹き荒れました。

 ”春一番?”にしては早すぎるような気もします。

 高校のときの同級生で写真家の須田郡司君が祥伝社から「日本の聖なる石を訪ねて」と言う本を上梓しました940円です。

 須田君は世界中をまわって石の写真ばかり撮っている奇妙な写真家ですが、今回の本は写真集というより「語り部」としての須田君の横顔が見えてくる本です。

 須田君が石の写真集を初めて出したのは20年ほど前だったと記憶していますが、その頃の私は岩に張り付いて山登りしていた頃で、「同じ石や岩でも面白いものの見方ができるもんだな?」とそれ以後のものの見え方が変わった思いがしました。

 興味深い本なので是非手にしてみてください。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ユング

2012年02月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 金八先生の武田鉄也氏が昨年心臓手術を受けていたことを知ったのはごく最近のことでした。「死にましぇ~ん」と生き伸びたんですね。

 以前、テレビで武田鉄也氏が人間は歳をとるとだんだん中性化していくと言う話をしていました。男性の中にも女性的な要素があり、女性の中にも男性的な要素がありまして、これをカール・グスタフ・ユングは「アニマ」と「アニムス」と呼んでいます。

 「繁殖」の必要がなくなった晩年なら取り立てて男であることや女である事を強調せずとも、そのエネルギーを余生に向けるために中性化した方が穏やかに過ごせるから自然の摂理かもしれません。夫婦や男女がお互いについて理解し会えるのが晩年になるのも。お互い中性化していく過程の中で、自分自身を知ることで理解できるのかもしれません。

 私自身がそんな事を感じるようになったのは40歳前後で、今まで「女々しい」と毛嫌いしていた花の栽培などをやるようになり、この何年かはすっかりはまり込んでいます。何事も理論整然としていないと気に入らない攻撃的な性格だったのですが、曖昧を許容するようになり妥協をおぼえてきたのも年齢を経て中性化している証左なのだろうか?

 ジェンダーフリーとやらで、男性と女性との境界線を取っ払う動きがでていますが、これはあくまでも社会的なことで、本来人間が持っている「野生」の部分を変化させる事は良い結果を招くとは思えません。

 少子化が問題になる国に生きる人たちには、男性の中にある女性的性格「アニマ」と、女性の中にある男性的性格「アニムス」のバランスがおかしくなっているのではなかろか?などと考えてしまいます。女性である本質を乗り越えて男性的な部分を押し出していたり、男性である本質を押さえて女性的な部分を受け止めていたり、若くして中性化しているように思えます。

 女性が働き家庭を養い子供も育ててしまうロシアでは、本来男性がすべきことまで女性が取って代わっているので男性の影と髪の毛は薄くなるばかり。「主夫」を生業としている男性も少なくないそうです。それでも彼らは「有事」において鉄砲をもって立ち上がる場がありますので、戦争でもなくなれば男性の肩身は狭くなるばかりでしょう。日本ではまだ社会の中心に男性がいられますが、この先どうなることやら?

 ユング的な解釈をすれば、人は恋愛相手に対しては自分の深層心理の中にある「アニマ」「アニムス」を軸に相手の理想像を構築し強要するようで、その自分が作り出した幻影と現実のギャップを乗り越えられないと、ひどい場合には「アニマ崩壊」「アニムス崩壊」が「心の崩壊」を招くこともあるそうです。「思い入れ」と「思い込み」の違いは大きなものです。

 大きな声で言えないので、小さな文字で書きますが、昔柔道していた仲間に新宿2丁目のオミセのママを営んでる男(女)がいます。失恋が原因で「目覚めた」と言っていますが、失恋のあまりのショックに苦しんだ末たどり着いたのは「自分の理想とする女性になろう!」というとんでもない結論だそうです。

 それを転じれば、昨今の日本女性の下品さの背景に彼女らが見てきた男性の悪しき一面を垣間見る思いで心苦しいものがあります。

 若かりし頃の失恋の数々は女性たちのアニムスが理想とする男性像と私がかけ離れていた事が要因の大半を占めると思いますが、こちらも些細な事が気になって理想の女性像が崩れて失望したことも多々あるものです。

 ユング理論でも「アニマ」「アニムス」の形成にはその人が育っていく過程の中で接してきた異性の断片が大きく影響するそうです。必ずしもそれが好ましい断片でないこともありますので、理想像とする異性が違うのはそのためでしょう。何であんな素敵な女性がこんな男と?その逆を含め自分の理想とはかけ離れたカップルは多々あるものですが、「相性」「縁」とは不思議なものです。

 したたかなおじさんたちは決してアニマを軸にした自分の理想を放棄したわけではなく、相手を受け止めたふりをしながら、嫁を自分の理想の女に仕立てようとさまざまな罠を張り巡らせるのですが、敵もさるものひっかくものです。状況によっては蹴っ飛ばしもしますし、噛みつきだってあります。土鍋投げつけられた友人もいます。

 「悩み」は複数の答えが存在して、そのどれにも納得できないときに生じるものですが、体と心・感情と理論の食い違いで起こる事が多いものです。「好きなんだけど納得できない」本性とアニマ(アニムス)の対立が生み出しているのかもしれません。

 こういう状態に陥った場合後で思い起こすと情けないほど自分自身に余裕がなくなっていることに気がつき悔やむものですが、後悔役に立たず。同じ事を何度も繰り返してしまうものです。簡単な事を難しく考えるよりも、難しい事を簡単に考えることの方が「難しい」ものです。

 最近おじさんになることでしたたかになってきましたので、こうなったらどうするという状況設定で道筋をいくつも想定しているので「こんなこともあるものさ」と考えられるようになったように思えます。

 「男性」「女性」何ぞや?と考えると難しくなりますが、男性が女性を好きになることも女性が男性を好きになることも健全なことです。小さく書かれる「好き」のありかたも、「好き」になれない感情を持てぬ人よりはましかな?

 「アニマ」「アニムス」の深層心理については、1973年にユングの妻のエンマ・ユングが書いた「内なる異性」が面白いです。興味のある人は読んで参考になさる程度にして、深く考えて自滅しないように。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

リンゴ畑

2012年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 リンゴ園の剪定を頼まれました。例年、東北方面からの冬の出稼ぎでリンゴの枝切りに来る一団がいましたが、今年は震災復興の仕事で忙しいとかで人出が足りない。そんなわけで経験がある私まで引っ張り出されました。

 お茶のとき、リンゴの小枝の皮をむいて紅茶に突っ込んでおいたら、リンゴの風味が漂うお茶になりました。

 雪の中で切り落とした枝を拾うために革の作業手袋が濡れ、お茶休みのとき、リンゴの枝に干しておいたらカラスがくわえて持っていってしまいました。豚革の200円程度の作業手袋ですが、およそ食える代物ではないと思います。

 畑の中をカケスが飛び回っていましたが、これも春になると南からわたってくる鳥です。カケスは英語ではJayと呼ばれている鳥で、泣き声が「ジェージェー」と聞こえるから。

 春なんでしょうが、寒さは相変わらずです。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

海峡

2012年02月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 大陸と樺太(サハリン)の間に間宮海峡と呼ばれる海があります。江戸時代の末期に間宮林蔵が発見し、樺太が島であることを立証した海峡で、探検によって領土を拡大していたこの時代なら、「樺太は日本の領土です!」と主張できる発見でした。

 時代は徳川末期で今と同様政治不安の時代。外交安保の波風に呑まれようとする時代でした。

 そんなことに関係なく、平成に生きる私は趣味の延長で間宮海峡を渡ったことがあります。ちょうど今頃の時期でしたが、海が凍って凍結した間宮海峡をスキーでペタペタ歩きながら渡りました。

 90年代でしたが既に雪上車で間宮海峡を渡る観光はありましたが、何が何でも歩いて渡りたかったので、およそ10kmほどの氷の上を山スキーを履いて歩いて渡りました。視界が悪かったこともあり、コンパスを頼りに歩いたところ、目的の到達点より1kmほど南に到着してしまいました。かなりずれてしまいました。

 このときの気温はマイナス20度くらいだったと思いますが、吐き出す息でゴーグルが凍りつき、これも視界を悪化させました。

 グレートジャーニー説によれば大陸から人類の祖先は氷の上を伝って渡ってきたのだろうとのことで、人類の祖先の道をたどって気分・・・には、なれなかったですね。ただ単に疲れた。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

凍結

2012年02月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 なんだかこの冬一番の寒さだった気がします。今朝の気温氷点下15℃。

 夕べは星がきれいないい天気だったんです。放射冷却で冷えるかな?と予想はしていましたが、夜の12時ごろ、窓に室内の湿度で氷が作られていく様子が美しく描かれました。その様子が半端ではない。

 かなり冷えるぞ!と予想はしていたんです。夜中の1時ごろ、トイレにいって水を出したら普通に出るので、大丈夫かな?と思ってはいたんですが、朝5時、トイレの水が出ない。台所の水道も出ない。地下水をくみ上げるポンプが凍りつきました。

 年末凍りつかせて熱線を入れておいたのですが、初午も過ぎたし、もはや寒波のたいした事ないだろうと熱線を抜いたのが比較的暖かかった2日前。よもや!のだまし討ちを食らいました。

 東電と菅首相が起こした原発事故のおかげで電気料金を抑えるために熱線を抜いたが思いがけない災難をもたらしてしまいました。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ワカン

2012年02月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 朝起きたら雪が積もっていました。驚くほどの量ではないうえ、気温が低いから粉雪だったこともあり、箒で掃いただけで除雪ができました。冷え込んだためだと思いますが、右のひじが痛くてつらい一日でした。

 新雪の上でアルミ製のカンジキのテストをしました。14年前から前から使っていたアキスパート・オブ・ジャパンのカンジキがあちこちガタがきたので、同じものを新調して、ベルトの締め具合やアイゼンを装着した場合のベルトの位置などの調節などをかねて雪の中を歩きました。

 雪との設置面積が多いほど沈みにくくなりますが、以前のワカンは屋根の雪落としのときにも使う計画だったので、現在のものより一回り小さいサイズでした。大きくなったのですから当然雪に対しても沈み込みが少ないのは当たり前ですが、こちらは山歩き酔う、古いのは作業用に使う予定です。

 本当はスノーシューと呼ばれる西洋式のカンジキを買う予定でしたが、雪に対しては面積が大きいので強いことは強いのですが、急な斜面で滑りやすくて昇りにくい弱点があったので、日本古来のワカンにしました。値段も安いこともありましたが。

 2時間ほど雪の中を歩いて新しいアルミワカンの感覚を体になじませました。が、寒さも体になじんでしまったためにいつもより長く風呂に浸かってもなかなか温まりません。

 冷え込みそうな夜なので、体を冷やさないように羽毛のシュラフにくるまって寝ることにしました。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ボタンとリボン

2012年02月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 その昔テレビ映画で見て大笑いした米国喜劇映画「腰抜け二丁拳銃」ボブ・ホープ主演の映画です。この映画の主題歌が「ボタンとリボン」。子供だった私の耳には「ボタン アンド リボン」が「バッテンボ」と聞こえたものです。

 そんなわけで、ボタン路リボンならぬ、ボタンとズボンの話題。

 水路が発達して船が交通手段だった江南地方と、一面が草原で馬が交通手段だった北を指して、南船北馬といいます。

 「少林寺」などのカンフー映画などでその違いなどがよく描かれています。足元が不安定な船の上では洗浄にしっかり足を据えて、両腕の技を中心に戦う南拳と、馬上での戦いですから蹴り中心の足技が主体の北拳。物語のあらすじは南が悪役で北が正義という役柄が多いのも首都が北にあるからでしょう。

 チャイナドレスは横に大きなスリットが入っています。これは馬に乗るために便利なように足元から腰の近くまで切れ込みを入れた北の衣装です。

 元来着物は一枚の布を体に巻きつけただけの簡素なものだったのでしょう。一枚の布地を体に巻くことでさまざまな着付けができるインドのサリーなど、原始的な衣服を昇華させた典型でしょう。また、衣服は用途によってさまざまなデザインが生まれてきます。

 私達が日常使っているズボン(スラックス)も中国発祥らしく、馬に乗るときに都合のよいように股から分かれるようにデザインされたものです。

 ズボンと同様、中国発祥の衣料品にはボタンがあります。衣服の左右を簡単にとめることのできるボタンはなくてはならない素材です。

 衣服にボタンを多用する欧州に伝播したのは騎馬民族の侵攻や、シルクロード貿易で西へ行き、独自の変化をします。

 ボタンのなかった頃の欧州の服装はギリシア神話の挿絵のような服装だったのでしょう。

 欧州の民族も寒さのきびしい北へ行くにしたがってシャツの襟元を止めて寒さを防ぐ必要が出てきますが、ボタンがなかった頃は布地で襟元を閉めてとめていました。これが元祖ネクタイです。

 中国からボタンが伝わることによってネクタイは役目を終えたはずなのですが、社会に従属する証明としてしつこく残っています。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ひどいもんですね

2012年02月16日 | 日記・エッセイ・コラム

 しいたけなどのきのこを作っている農家は、東電と菅総理がばら撒いた放射線騒動の影響で売れ行きが悪く苦慮しています。

 今頃の季節は菌を植える季節ですが、キノコの需要が少なくなれば、キノコの菌を植えるホダ木にも影響があるわけで、林業にも影響しています。

 無農薬の有機農法がもてはやされますが、キノコ類など無農薬農法の典型的な一例でもあります。極端な話、菌を植えて山の中にほったらかしておけば、菌が勝手にホダ木を分解して肥料にして育つ。まさか天から災いが降ってくるとは、まさに天災です。

 それにしても原子力保安委員の言い訳もひどいですね。自分は危険を察知していたのに「携帯が通じなかったので連絡できなかった」とか、「私は文型なので」なんて馬鹿を言うな!と呆れてしまいます。

 携帯で連絡取れなければ足を運べ!委員を受けておいて文系だ理系だなんて学生時代の分類わけなど意味はない!

 粉飾決済で逮捕されてオリンパスの経営者のほうがまだまともに見えます。一応責任とって逮捕されていますから。

 ノーリスク・ハイターンなんてあってはならないと思うけど・・・

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

思い出かな

2012年02月15日 | 日記・エッセイ・コラム

 インフルエンザで休校になっていた学校が授業を再開したようで、今週初めて通学する生徒達を目にしました。

 学校が休みの間に何があったかというとバレンタインデーで、「ざまぁみやがれ!」と人様の不幸を密かに喜んでいます。

 中学3年生のとき、下駄箱にチョコレートとラブレターが入っていたことがありました。後輩の女の子からのバレンタインデーだったんですね。

 嬉しいことは嬉しかったんですが、それよりちょっぴり大人になった気分で、大方のバレンタインデーに縁がない同級生たちを見て「ガキっぽいな」なんて思えてしまいました。

 ラブレターには放課後の校舎の裏の河原に柔道着を着て待っていてくれと書かれていたので、、普通なら「おかしいぞ?」と思うのですが、有頂天になっていたので、授業が終わると道場に行き、試合用の柔道着に着替えて河原で待っていました。

 吹雪とまではいきませんが小雪が北風に舞う寒い日でして、ソフト部やバレー部がランニングをしていました。「なんか今日はやけに女子の部活がランニングしているな?」と思いながらも、寒い中河原でバレンタインチョコの主を待っていたんです。

 結局こなかったのですが、きっと恥ずかしくてこられないのだろう、部活が忙しかったのかな?と、おおらかに考えていました。

 あれから20年以上過ぎ、後輩の女子生徒どもがいたずらで出したバレンタインデーチョコだったことがわかりました。

 ひっかかりそうな男子5-6人に同じ罠をしかけて、見事にひっかかって寒空の下で待っていたのは私だけだったそうです。

 正直、この話を聞いたときははらわたが煮えくり返る思いでしたが、唯一のんきにだまされてしまった自分が情けなかった。

 チョコレートは大切に保管していたんですが、高校のとき、机の引き出しにアリの行列が入り込む凄絶な光景が・・・。青春の思い出はアリに食べられてしまいました。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加