のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

今日も~~~雨ぇだぁったぁ~

2019年08月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 8月も大みそかになりました。

 湖上花火大会がある日なので、この日は必ず雨が降るが地域の通り相場になっています。

 午前中がカラっとした心地よい天気だったのですが、夕方になるほど雲の厚さを増し。花火が始まる直前には、やはり降ってきました。

 私が小学生の頃に始まった花火大会で、当初は9月初旬のお盆にやっていたので、盆踊りなども重なって賑やかな花火大会でしたし、打ち上げ花火なんぞまだ珍しい時代だったのでひとも集まりました。が、不思議のと台風にぶつかったり雨が降ったり、天気に恵まれたためしがない。

 そのうちお盆が月後半になって、花火大会も移動しましたが、これまた天候に恵まれない。

 いっそのこと、お祇園にしたら?と8月の初めにしたら、やはり雨。

 そのうち、町村合併で花火大会もなくなってしまい一安心でしたが、有志が集まって寄付を募りまた再開したものの不思議と雨が降る。

 しかも、再開した花火は質より量のニーハオものですから色は単純ですし、煙が出る。天気が良くても煙が夜空に残って花火が見えなくなる。交通指導員をやっていたころは交通整理に出ていましたが、役もなくなったので足を運ぶこともなくなりました。

 花火大会の後はクマさんのご機嫌が悪いんです。そりゃぁ、営業に出る夜にあんなでかい音鳴らされたら商売になりませんわな。大会翌日に山に仕事に入ると怒ってうなり声あげてるのが聞こえるんです。今年は日曜だから山に入らないけど。

 人里では秋そばの花が咲きだしました。

 そば打ち技術のないクマもイノシシもこれは荒らしたりしません。もう少し繁ってくるとキジのケンちゃんが蕎麦の林をうろつきだします。

 教員採用試験の競争率が下がって、質の低下が懸念されているようです。やはり競争は必要なんですね。

 質の低下なんざぁ今に始まったことじゃないのですが、いい人材が民間に流れているということでしょうか?

 私の世代が大学受験する頃は各県にある国立大学の教員養成課程は難易度が高かったのですが、60代半ばの人が言うには「俺たちの時代は教育学部はつぶしが聞かないから競争率低かったよ。」

 まだ、デモシカ教師や公務員になれた時代だったので、学生運動に首突っ込んで民間からスポイルされた学生でも入れる余裕があったのでしょうが、決して給与や待遇が良いわけではなかった時代です。

 教員の質を上げる?簡単なことです、流動性をよくすればいいんです。良い教師は全国どこからでも引き合いが来るようにし、ダメな奴はお役御免にする。

 教員の評価基準が上の学校への進学率というのもいかがなものか?と思いますが、元教師だった年配者が言うには、卒業した教え子が訪ねてくるのが本当の評価と言ってました。

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民族性

2019年08月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 香港のジャンヌ・ダルク逮捕か?と思ったら夕方には釈放されたようですね。

 ちょっと日本の感覚ではとらえられないのですが、逮捕される理由があるから逮捕したわけで、どうも民衆がうるさいから釈放した方がいいんじゃない?って、それじゃ、法はどうなってるの?

 強権的に見えて意外と世論を気にするんですね。それもそのはずニーハオの歴史は辺境から来た虐げられた者たちによって王朝が変わっている。香港デモが大陸に飛び火すれば、第三次天安門事件になりかねない。意外とデモに弱いのかもしれない。超法規的措置やむなしか。

 とは言え、日本でも1975年のクアラルンプールでの日本赤軍による大使館占拠事件や、1977年のダッカハイジャック事件で赤軍派のゴミを牢から出しましたからね。威張れた話じゃないのですが。

 日本の学生運動なんてクズでしたが、国外ではそうでもないみたいです。南ニダのクネちゃん引きずりおろしデモだって学生が中心でしたし、第二次天安門事件だって学生のデモを鄧小平が恐れた。

 やはり1956年のハンガリー動乱が独裁者にとって脅威だったのかな?毛沢東は文化大革命でインテリを徹底的に弾圧しましたし、ポルポトなんか眼鏡かけていたらインテリだからと惨殺。王様以外はみな愚民が一番居心地いいんでしょうね。

 ニーハオが香港飲み込んだところで食あたり起こすこと請け合いだと思うのだけど、南ニダがすり寄っているのでニンニク臭と唐辛子味を気にしなければ飲んじゃってはいかがでしょうか?

 日本ではデモは賛同を得るどころか逆効果ですが、それはデモなんかやってる連中にロクなもんがいないからですが、それでは物言わぬ声をどうやって汲み取るのか?このシステムが壊れてますね。近年。

 以前は頻繁に国の議員が来ては御用聞きしていたのですが、このところは選挙の時だけ来るだけで、地域の要望なんか耳も傾けない。国どころか市町村までそういう気分になっているから議員が仕事をしない。小選挙区制と市町村合併の弊害ではなかろうか?

 私はテロに関しては完全否定はしないんです。徹底的に虐げられて声を聞いてもらえない人たちの最後の手段として、忍者部隊月光でいうなら「ピストルは最後の武器だ」ってやつであっても良いのかな?と思っていますが、民意とかけ離れたテロは弾圧すべきだと思います。

 香港の場合、民意の象徴逮捕したら風向きがさらに悪くなった。もしも殺しちゃったら大事件勃発だったでしょうね。

 民主化は民主化で厳しい道のりが待っているので思っているほど甘くはないと思いますが、南ニダのように自分たちに民主主義は似合わないことを薄々感じ取って、専制国家の一角になりたがっているのも静かに見送るしかない。

 三途の川のこっちと向こうくらいの違いがあるのだからヨモツヒラサカで区切った方がよい。お盆もお彼岸もなしに。

 お墓じゃないよ通りの道脇だよ。

 花かごに鉢植え置いて竹灯籠。

 昼間ならまだしも、灯籠に灯りがともる頃なんざクマかイノシシしか歩いていない山里ですが、景観作りに知恵出し合っているようです。

 役場もなんかやっているアピールしなければならないので、いろいろアイデア模索しているようですが、独自性がないというのか?地域性が感じられない。

 年寄りでもおっぱなして、かけた茶碗でサイコロ転がしてチンチロリンなんてやっていれば、すごく郷土色があるのだけど。なんだかガサツな文化しか持ち合わせてないな。

 藁アートと言い竹灯籠と言い愛媛県の今治市の真似事なんですが、どうせそこまでパクるのだったらバリーさん連れてきてそこらへん飛び回らせておけば、子供は喜ぶ。

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備えあれば

2019年08月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 九州北部の豪雨水害。自衛隊が災害出動しましたね。

 近年になってゲリラ地ら豪雨や線状降水帯などの言葉が出てきて、豪雨に注目されるようになりましたが、毎年どこかで豪雨水害は起きていたのであって、気象情報や災害情報が今ほど報道されなかっただけだと思います。

 50年に一度とか、100年に一度と比較的わかりやす言い回しになったのですが、むしろあいまいな言い方になったことでわかりやすくなったこともあるでしょう。

 備えあれば患いなしで、豪雨対策のインフラ整備は不可欠だと思いますが、なかなか進んでいません。

 20年枚に水害にあったこの土地も砂防ダムがそろそろ一杯になってきたのですが、手を打ってもらわないとやばいんじゃなかろうか?

 ラバさんのおかあさんが亡くなったというのでお悔やみに行ってきました。

 ラバさん一家は岩手県にいましたが、東北の震災で被災してこちらに引っ越してきた罹災家族で、馬車馬の勘太君の隣に住んでいました。

 故郷に帰ることなくラバさんのおかあさんは波乱の生涯を終えました。

 ラバさんのお隣では牛さんが衣替えです。

 稲藁が風雨にさらされて腐ってましたから、年に二回くらい衣替えしなければだめなんじゃなかろうか?

 この秋は少し余計に稲藁を保存しておいて、春に衣替えすれば稲刈りの時期まで持つのでは?

 ゲージツの維持も手間暇かかります。

 もはや意味不明の現代アートと化し、そして放置された謎の建造物。

 手前はクマだと思うんですよ。鼻が長いので豚だという説もあり、新種のキメラではと様々な憶測が飛び交ってますが、放置されていたので雑草が伸び放題、蔓まで絡んでいる。

 このまま放置され続けるとゴミと勘違いされそうです。

 さらにそれよりも難解な、イースター島のモアイのような地面から這い出したゲージツ。

 河童説、ドラえもん説、宇宙人説、遮光器土偶説。様々憶測が飛び交うUMA?

 古代史ミステリーは案外おじさんたちの遊び心から生まれたのかもしれない。

 稲藁だから腐ってなくなるのは後世に禍根を残さない名案とも言えます。

 いわゆる徴用工をめぐって、団体同士が利権を巡って小競り合いが始まった南ニダ。

 予想されていたこととはいえ、大義名分振りかざして銭むしり取ってその行く先は分捕り合戦というわかりやすい毎度の構図ですが、なんだろう?この民度の低さ。しかも捕らぬ狸の皮算用の取り合い。

 より「被害者」を装うことで利権に食いつく。被害者って汚らしい人たちに見えてなりません。

 地獄って、こういう世界のことを言うんじゃなかろうか?

 文ちゃんは「本来あってほしかった歴史こそが正しい歴史」という独特な歴史観を提案したようで、そりゃもう歴史じゃないでしょう。史実がないんだから。

 なんだかね、ろくな仕事もしないで「自分はこんなもんじゃない」と気位だけは高くて、小学生の通学路で包丁振り回して暴れたり、ガソリンまいて放火する犯人と変わんなくなっているんじゃなかろうか?被害がどこの国に出るかわからないけど、監視が怠れなくなりました。

 備えあれば患いなし。

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帯状疱疹降水帯

2019年08月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 映画めぐみへの誓いクラウドファンディング

 なんとあの沖縄県でも取り上げられたそうです。

 通過点の金額にもまだまだ足りません。皆様のご協力。さらなるご協力。何卒よろしくお願いします。

映画「めぐみへの誓い」クラウドファンディング・荒木 和博 part2 (4/29 秋田県特別攻撃隊招魂祭シンポジュウムより )

 佐賀県の方はガバイ雨が降ったようで、水没した地域が何か所も出たようです。

 7月に九州南部で大雨が頻発して鹿児島が水害に見舞われましたが、この時九州北部では夏の水道水を心配するほどダムの貯水量がなかったようです。本当に局地的な大雨なんですね。

 どうしても帯状疱疹という言葉が先に出てしまって、なんだっけかなぁと思いだすのが線状降水帯。もっと憶えやすいのに名前を変えません?

 その、帯状疱疹に名前が似ている線状降水帯が日本海側を日本列島北から南まで暴れまくりそうな気配です。

 思い出せないと言えば坂口杏里。また恐喝事件のようなことやらかして逮捕されたようですが、今回は本名野沢瑞恵まで公表されちゃいました。お母さんの坂口良子なら「池中玄太80kg」の頃の顔を思い出せるのですが、娘は全然イメージがない。

 元タレントってなに?浅草のロック座で踊り子さんになると聞いていたけど、こっちもダメだったのかな?

 私が高校生の頃、横溝正史や森村誠一のブームがありまして、森村誠一はあまり読まなかったけど、横溝正史はあらかた読んでました。この手の映画によく出ていたのが坂口良子で、それもちょい役で出ていました。

 坂口良子は健康的なイメージが強かったのですが、娘はまた事件起こして逮捕、どうせ今後もまた何回か逮捕の挙句、最後は飛び降りてなんて人生になるんでしょうね。自暴の人間には関わっちゃならない、それだけのことです。

 南ニダが自ら言い出したGSOMIA破棄決定の28日です。

 今度は東京パラリンピックのメダルが旭日旗を連想させるからやめろと文句言いだしたみたいですが、これってデザインが出た時点で「必ず難癖付けてくるな」と予想されていたこと。

 それより、オリンピックもパラリンピックもボイコットするんでしょ。ガヤの外なんだから相手にする価値ナシ。

 ニダ叩きで憂さ晴らしが昨今の日本のトレンドみたいですが、消費税どうなるのかね?

 確実に消費が落ちて景気後退するわけですし、「もともと民主党がやった法案だから」と与党側も他人事。ただでさえ景気の波と遠い地方末端では不景気の影響だけが真っ先に来る。

 働き方改革で残業できなくなった人たちが副業求めて右往左往。基本給が上がるわけではないですからね。総量規制は散々失敗してきたけれど、これは労働時間の総量規制。逆に結局過酷な労働状況を生み出しているようにしか思えないけど、労働団体がバックの野党は何も言わないのかな?自分たちの首絞めているのに。

 まぁ、議員が田舎を回るのは選挙の時だけですし、地方の惨状なんかわからないのでしょうが、愚策の付けを取り戻すのはもっと長い年月が必要になる。

 私の町なんか昨年の今頃は町長のセクハラ事件で長議会選挙や、辞任要求などで騒いでいましたが、その前の年から全然仕事しないで行政ストップしたままでした。

 町役場もその雰囲気に慣れちまったもんですから、事業は全然動かない。目先のイベントに職員投入すればそのままストップで先延ばし。

 前の状態にするまで何年かかるか?

 それを待つより見限ってこんなところ出たほうがいい。

 南ニダを笑えない状況にあるのだけど。

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ボヤキ

2019年08月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 台風はフィリピンをニーハオ大陸に向かうようですが、前線が停滞した日本列島は雨雲の通り道になりそうです。

 京都アニメ放火事件で犠牲になった人たち。実名を公表されていない25人の人たちもその名を発表になったようですが、そんなこと知りたいんですかね?公表を望んでいない遺族もおられるようで、遺族の意向を優先すべきだと思いますが、被害者の名を知ったところで香典もって出向くわけでもないのですから、遠くから首を垂れるしかないのにね。

 それにしても、20代の若者なんかが犠牲になっているのは悔しいですね。5年後、10年後、20年後、アニメ制作の中心になっているのでしょうが、その人材がいなくなるのは痛手ですね。

 不思議なのは、生きていてもロクなもんにならなかった連合赤軍のリンチ事件で殺されたメンバーの名前はわりと保護されて発表されないんですね。

 後半の死者などリンチ事件の加害者側でもあったわけですし、前半に殺された者達だって強盗などに関与している。被害者どころか世の中に対しての加害者だったんです。そもそも人殺しのために山の中にこもっていたのですしね。

 連合赤軍と言えば重信房子と言うテロリストがいました。京都の隣の大阪の高槻で潜伏しているのを逮捕されましたが、懲役20年で2027年には娑婆に出てくるようです。

 現在は東京の法務省の病院で抗がん剤投与されながらガン治療しているようですが、年金収めるどころか、国のために何の役にも立っていないのに社会保障の恩恵にあずかってうらやましい御身分です。

 消費税増税が重くのしかかる生活ですが、食うに困らない生活をしている塀の中の人がうらやましい限りです。

 大病患ったら刑務所がおすすめ?

 木製遊具が完成。

 果たしてこんなもん作って何の意味があるのか?設計したのがサスケのチャレンジャーなので、あちこちにサスケ練習機能が組み込まれているようですが、表向きはよい子の遊具。

 半年も前なら早速挑戦する若さがありましたが、頸椎ヘルニアで苦しんでいる身なのでよい子にしています。

 中野区で脱走したコリアン犯人が逮捕されたようです。見るからに悪辣な人相。あの顔で今日まで逃げおおせたのもすごいと思うけど、逃亡につかれて出頭したみたいですね。

 遺体で発見?と期待していたんですが、これでしばらくは衣食住安泰ですね。

 自民党内ではあおり運転に関する法案の作成にかかったみたいですが、あおり運転一発で免許召し上げは最低条件でしょうね。事故誘発で死刑もありかな。

 あおり運転と言えば、キモトさ~んのおかげで悪の携帯ツールとなってしまったガラケー。

 私なんかあえてガラケー使っているのですが、作業するのにスマホは大きすぎて邪魔ですし、折りたためない。

 そのガラケーのおかげでNHKの視聴料とられているのですが、よけいな機能はマジいらないから電話だけのガラケーで防水の頑丈なものだったらそれで十分。ワンセグつけるよりナイフや缶切りでもつけてもらった方が役に立つと思う。

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気の抜けた一日

2019年08月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 日本が考えなおせばGSOMIAもう一度締結してやってもいいと南ニダが言い出したみたいですが、もうお流れにしちゃったんだからそれでいいじゃないの。

 自分で言い出したことなんですし。エンタメ路線を突き進んでください。

 おフランスで開かれていたG7会議も終わったようですが、中東やイラン情勢に注目なんですね。金ちゃん半島なんざカヤの外。グリーンランドの件がもう少し注目されるかな?と、思っていましたが、地球儀で見るとグリーンランドってカナダのちょっと右上なんですね。

 国際情報ドキュメントの「ゴルゴ13」にもアイスランドにニーハオが基地を作ろうとしているのを、依頼を受けたゴルゴ13が阻止したドキュメントが出てましたが、グリーンランドはもっとUSAに近い。ニーハオが用地買収しているみたいですが、アメリカ大陸にとってはヤバイ場所ですね。でも日本じゃ注目されない。

 渓流のゴルゴ13のような毛針の釣り師のおっさんがイワナの燻製作ってました。

 昔は囲炉裏の上に吊るして作っていたもんですが、近代住宅では囲炉裏は無理なので、納屋でカセットコンロ使って作ってました。

 最近周囲で燻製流行りで熱いさなか家の外で煙をモクモクさせていますが、これって都会のマンション暮らしじゃできないんでしょうね。公園にでも行ってレゲエヘアーのおじさんたちとやるしかない。

 キャンプ場で燻製作っている家族をこの夏はずいぶん見かけましたが、今はこういうのが楽しいのかな?おかげで記念樹の桜で作った燻製チップは結構売れているみたいですが、案外、こうした価値観は田舎の方が先行していたのかもしれない。

 日常の延長だったんだけどね。

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赤とんぼ

2019年08月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 安倍政権への支持率が上がったそうで、ひとえに文ちゃんのおかげです。

 これからも自暴自棄を繰り返してください。

 お盆に五山の送り火を見るために京都に旅行に行ってきた奇特な村人が言うには、泊った旅館はニダ人観光客が占拠したような旅館で、渡航規制しているという割に随分来日してんだなとあきれてました。

 タクシー一日借りて仏閣めぐりしたそうですが、ニーハオ人のミニバン白タクを何度も見かけたようです。

 1年も前から予約して楽しみにしていた旅行だったようですが、台風接近で雨に見舞われ、五山の送り火も大丈夫か?と気にしつつ、「ひたすら蒸し暑かった」夏の旅行を満喫してきたようです。

 山の中にムラサキシメジが出ていたので少しばかり採ってきました。

 キノコ料理大好きなおじさんがいるので持っていったら、ご褒美にイワシの缶詰をもらいました。

 残暑にイワシのかば焼き。私はこっちの方がありがたかった。

 アキアカネが真っ赤になってきました。標高の高い場所から下へと下がってきます。

 夕焼け小焼けの赤とんぼはアキアカネだろうか?三木露風は兵庫の龍野の人なのでアキアカネの可能性が高いと思いますが、胸まで赤いナツアカネは夏も平地に住んでいます。

 アキアカネだとしたら季節は秋、9月か10月か?でも、山の畑の桑の実をこ籠に摘んだはまぼろしか と言うのだから6月から7月。ならばナツアカネか?

 いやいやあれは幼き日の故郷を偲んだものだから赤とんぼの季節もそのシーンの一つにすぎないか。

 草刈り仕事の手を休めてしばらく赤とんぼを眺めてましたが、山田耕作のメロディーと共に「週刊新潮は・・・」のコマーシャルが思い浮かんでしまう。

 あれはあれで谷内六郎の絵と共にいいコマーシャルだと思いますが、近年ゴシップ雑誌に思えてきたので、新潮も文春も読まなくなりました。

 夜、風呂上りに夜空眺めながら歩いてみるとわし座は雲に隠れていたが、こと座と白鳥座はまだ鎮座してます。

 カシオペアとアンドロメダが幅を利かせてくると秋本番なのですが、まだ夏の星座が頑張ってますね。

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複数形

2019年08月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 朝から金ちゃんが謎の飛翔体を打ち上げたようで、どうやら弾道ミサイルらしいのですが、南ニダより30分も早く日本の方が発表しちゃったみたいです。

 ああいう国ですから24日の期限内に「GSOMIA破棄は言ってみただけニダ!日本が言うから考え直してやっているニダ!」と掌返すかな?と見てましたが、今回は根性入っているみたいです。でも「まだアメリカは24日ニダ!」とやらかしかねないのであと半日は気が許せません。

 北極海付近ではおそろしあが原子力潜水艦からの弾道ミサイル実験をしたみたいで、トランプさんのグリーンランド買収案に対する抵抗なのか?金ちゃんの後押しなのか?熱烈歓迎文ちゃん!の祝砲なのか?

 「国家の死」と呼べる姿をソビエト崩壊で目の当たりにしました。社会主義という一つの体制が死を迎える瞬間が平成の始まりでした。

 何が社会主義に「死」をもたらしたのか?と考えると「自由」だったんでしょうね。なんだかわかんねぇけど、「自由」ってのはいいもんだぞって、自由に飛びついたもののそれをどう扱ってよいのかわからない混沌はしばらく東側諸国と呼ばれた地域を覆いました。

 愛知の「表現の不自由」なんて戯言で、本家表現の不自由の国では自由に考えることさえ許されなかったのですから。

 私が初めてソビエトに行ったときはまだブレジネフ政権の、やたら生き苦しい時代でした。ソビエトとロシアで何が違うか?と印象的だったのは、ソビエト時代は自分を刺す一人称が「мы(私たち)」の複数形の言い回しが多く、ロシアになったら「я (私)」の単数形が耳につくようになったことでしょうか。

 これは1960年代の日本のフォークソングと1970年代の違いにも似ていて、岡林信康の「私たちの望むものは」など「私たち」「僕ら」「みんな」が60年代フォークによく出てくるテーマでしたが、70年代になると「私は」「僕は」から私小説的になっていった感じがしました。

 そういう目線で見ると、団塊の世代を中心に70代の人たちって何か事をなすとき「みんな」が多く、決して自分が泥をかぶらないように単数形で何事もしたがらない。

 河島英五の「てんびんばかり」という歌には飼い犬のことが出てきます。うちの仔犬はとても臆病でひとりでは街を歩けない 首輪をつけるととても自由だ 僕を神様だと思っているのだろう 

 ニダは首輪をつけてくれる神様を求めているのだろうか?「自由」から離脱するために国が死ぬのだろうか?否、彼らにとっての「自由」は私たちとは違うのかもしれない。

 夏休みが短いこの地域では来週から学校が始まるので、通学前の熊の見回りに行くことになりますが、山の上に行く近道の町道に枯れた杉の木が倒れて道をふさいでました。

 今回の雨でくじけて折れたようですが、いったん枯れた木が雨水を吸うと「しぶた」といって重くなります。 倒れた衝撃でガードレールがぐにゃりと曲がってました。

 災害対策の町の予算で撤去してもらうことにして、チェーンソーの手入れをして発注を待つことにしました。

 るんるん。

 もう一か所、枯れた松が倒れて道をふさいでいる場所があり、2か所仕事が舞い込めばラッキーだぜ!と、「わたくし、善良な町民なんですけど、倒木が道をふさいでまして。」と役場に陳情しよう。

 生活の柄が悪くなる一方だな。

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久々の晴れ間

2019年08月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 8月も終盤に差し掛かり、朝夕は涼しくなってきました。

 この夏は雲隠ればかりしていてあまり顔を出さなかったお天道様に久々にお目にかかりました。元気でやっているようですよ。

 燕が飛んでいたのでまだこちらで営業活動をしているようです。いつの間にか姿を見せなくなって冬の出稼ぎに行ってしまう季節労働者の鳥ですが、春になってこちらにやってくるときは目立ちますが、いなくなる時は忍び足で夜逃げタイプですね。

 オミナエシも見ごろの季節です。この花が映える頃には虫の音も変わる季節ですが、近年、コオロギもキリギリスも音はすれども目にする機会が減りました。

 昭和の時代はお盆が9月初旬だったので、オミナエシと吾亦紅がお盆の花でした。

 帰省ラッシュであわただしいお盆も面白いですが、少し寒くなった季節を感じながら牡丹餅食べたお盆もまた良かったなぁと思います。

 実るほど頭が下がる稲穂かな。

 最近、「俺様」化した自暴の人々がトラブル起こすニュースが蔓延していますが、本来、日本人は地位や格式が上がるほど腰が低くなるもので、天に向かって胸を張る麦の人たちとは異なる性質を持っているものです。

 パンや粉ものの小麦粉食ってるから「俺様」になっちまうのかな?米くってけろ!

 今日は昼間は30度声、夜になると20度を下回る気温ですが、この温度の高低差が良いコメを作るそうです。

 農作物にとっちゃ温度の高低差なんぞありがたくもないはずですが、危機感があるから実に蓄えるんでしょうな。そして味わい深くなる。

 この冬は雪が少なかったから、夏は雨が多いだろうと予想はしていましたが、高気圧と高気圧に挟まれた秋雨前線が右往左往して不安定な空模様。

 23日から下弦の月なので、月末の新月に向かって月は欠けていきます。今夜がちょうど半月です。

 雨降りお月さん雲の陰 お嫁に行くときゃ誰と行く 一人でから傘さして行く

 幼少の頃は何度か花嫁行列を見る機会がありましたが、最後に見たのは昭和42年頃だったかな?花嫁を馬に乗せるのにご近所総出で大騒ぎで、言うこと聞かない馬だから勝手に動き回ってしまう。赤飯の握り飯食べながら大人たちの慌てぶりに笑った覚えがあります。

 当時の馬と言えばペルシュロンなど農耕用の大きな馬で、1トンを超えるような大きな馬。花嫁衣裳着て跨がれるような代物ではありませんから横乗りするんですが、花嫁がずり落ちてしまう。とても日傘をさして馬の上なんて悠長なものではありませんでした。

 あの時代に結婚式は自宅で行ったもので、親族や近所など一度に入れないから二日三日かけての結婚式も珍しくはありませんでした。

 結婚式や葬式などの引き物の定番は砂糖で、結婚式用の砂糖はタイの格好をしたパックに入ってました。さように砂糖が貴重な時代でしたが、それでも糖尿病はいましたよ。

 お馬さん連れて、といってもポニーですが、散歩している家族。

 石破さんがあの顔で「日本は戦争責任と向かい合ってこなかった。」と言っているようですが、石破さん自身はあの顔でどう向かい合ってきたんだろうか?

 地方創生担当大臣という特命大臣ポストができて、石破さんは初代大臣でしたが、役職ができても何にも変化はなく地方は衰退するばかりでどう責任取ってくれるのかな?地方創生のために血眼になって飛び回ってくれていたのならまだしも、何一つ変わってない。どころか我々の生活は悪くなる一方。

 今日は辺境の何たらとかいう番組で聞いたことがないお笑いタレントがこちらにロケに来ていたようですが、まぁ、そんなもんですよ。

 パフォーマンスだけなら民主党政権だってできたんです。

 石破さんだってあの顔で辺境を背負って出てきている議員なんですから、お笑い番組とは別途に日本の辺境をくまなく回って地方創生をライフワークにするくらいの取り組みをするのが歴史に名を遺す最善ではなかろうか?あの顔の銅像が立つことを想像すると、これまたホラーですけど。

 最近の石破さん、だんだんと言ってることが鳩ポッポに近くなってきている感じがするけど、認知症大丈夫かな?

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モンスター

2019年08月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 やらかすのは予想していましたが、南ニダが軍事情報に関する包括的保全協定(GSOMIA)破棄しましたね。

 もうちょっと頭を使うかと思っていたんですよ。この24日に期限が切れて何もしなければ自動更新の協定でしたから、一度更新してその後で難癖付けて協定破棄のシナリオを想定していました。予想より4-5日早くなっただけだけど、いきなりプッツンしちゃいましたね。

 ご愁傷さまです。

 この先は一本一本自ら糸を切って自滅していくのでしょう。誰かが助けてくれる、誰かが手を貸してくれる。それを見越してのわがままって最後は見放されるのが大人への階段。

 思えば、こうしたおばちゃんって身の回りに時折見え隠れします。おばちゃんに限ったことはないけれど、何か自分を特別な人間だと思い込んでいいたり、話題の中心にいないと気が済まない。

 こういう人ってまず誰かの悪口を言うことから輪に入ってきます。何かを、誰かを否定することで自分はそれと同等以上だという見栄と、悪く言うことで共感できる仲間を求めて。

 最初のうちは話を聞いてやるふりをするのですが次第に人が離れていく。気が付けばまた一人に戻っている。

 そんなばあさんがいましたが最後は湖に身投げして、私も遺体捜索に加わっていましたが、みんな「死んでまで迷惑かけて」と怒ってました。

 果たして孤独が人を狂わせたのか?人が狂ったから孤独になったか?卵が先か鶏か?でしょうが、その人生をたたえる人は誰一人いなかった。

 メディアがどう騒ごうが、行き着く道は一つで。落ちてもがいて這い出すまで何十年?何百年?妬み嫉みが生み出したモンスターに自らが食われていくのでしょうね。

 そんな世情に関係なくお天気の都合次第の山奥の暮らし。木製の遊具の設置。

 何考えて今頃こんなもの作るのか?_

 落ちて怪我でもすればモンスターな親が怒り暴れるのが目に見えているのですが、本来こうした場所で自分の不注意や身の程を怪我押しながら学ぶのが意味あることなのに。

 被害者というのは痛い目にあって被害者なので、できれば被害者にはなりたくない。でもそれが自分にとって有利になるから被害者の立場でいたい。そんな人たちが小さな事故でもあれば騒ぎ出すんです。

 こんなもん作っちゃならない気もします。

 遊具設置のために異動させられた藁人形のホトケ様。

 このところ雨が続いたら魔界の使いのようになってきた。

 新しい稲藁が出てくるまで最低でも一か月。衣替えは冬の入り口か?

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阿Q

2019年08月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 前門の虎、後門の狼ではないけれど、台風11号と秋雨前線に挟まれ不安な天気。

 それでも隣国の国際状況よりは危うくない。

 この夏は前半は雨続きで涼しく後半は猛暑だったけど、蝉時雨と呼べるほど賑やかにセミの音が響く様には出くわさなかった気がします。

 もちろん、セミは鳴いてはいましたが、数が少なかった気がします。梅雨の長雨で地面が浸水してくたばっちまったのだろうか?

 コオロギの音がセミに代わってきました。秋ですな。

 ツリガネニンジンが花を咲かせてました。

 防衛省は2020年度の予算で宇宙作戦隊を作るみたいです。

 いよいよ人工衛星や大陸間弾道弾をめぐる攻防の時代に突入ですね。

 この界隈で宇宙の防衛をしているのは幼稚園の子供たちでしたが、近年はその数が激減して防衛力に不安を感じていましたが、国が腰を上げてくれると心強い。

 日韓軍事情報を目降るGSOMIAは何もしなければ24日に自動更新になりますが、どちらが「破棄すんねん!」と言い出すかのチキンレースになっているようです。

 機密情報保護法がなかった日本では国際的な軍事情報は韓国経由で入れるしかなかったので隣国も重要でしたが、ゆるゆるとは言え法整備ができたので直接情報が入ってくるようになりました。

 お天気だって大事な軍事情報なので、気象衛星一つ持たない隣国では日本の気象衛星でお天気占いしている状態ですが、世界的にみて優位な南ニダの軍事情報と言えば金ちゃんの動向くらい。それよりもこちらの情報が金ちゃんに流れる方が多いので軍事情報の共有でさえ難しいのが現状でしょう。

 もはや、外界からの情報なんてすべて絶って、妄想の中で幸せに酔いしれながら滅んでいくのが良い気もする。

 ニーハオ文学の魯迅の作品に「阿Q正伝」という名作があります。古典文学を含め近代文学までも破壊した毛沢東ですが、魯迅は好きだったらしく弾圧の対象にならなかったようです。それどころかニーハオ共産党の正当性を主張するためのプロパガンダに使っていました。

 阿Qは自堕落でものぐさなニートですが、「俺が悪いんじゃない、世の中が悪いんだ」と「精神的勝利法」という論理のすり替えで自分に都合よく解釈し人を見下す最下層の人間。何の向上心もなく重箱の隅をつついて相手が劣っている部分を見つけて自分が優位と思い込み満足する性分。最後は銃殺されちゃうのですが、これがニーハオ人の悪癖を描いた物語と言われてました。

 小中華のニダも同じような思考を持っているようで、都合の悪いことは「日本が悪いニダ」と現実直視せず、野心だけはある阿Qそのもの。最後は銃殺されて皆に「ろくなもんじゃなかったから当然」と同情もされずさげすまれる。小説そのものを地で行きそうな様子になっています。

 論理のすり替え、当事者からの逃避、責任のなすりつけ。日本の左巻きやメディアもお得意とする手法ですが、阿Qの行く末は銃殺でした。

 現実から逃げ回っていると・・・ですねぇ。

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世間の片隅

2019年08月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 映画、めぐみへの誓いクラウドファンディング。多くの皆様に協力いただいて感謝してます。引き続きご協力お願いします。

 歌手のSAYAさんのコメントが胸にしみます。

 今年の4月29日の秋田招魂祭にはパネリストとして来てくれたそうで、私は行くことができなかったのですが、言い寄られたらどうしよう?

映画「めぐみへの誓い」クラウドファンディング・SAYA(シンガーソングライター)

 それほど激しい雨が降ったようにも思えなかったのですが、山の方はかなり降ったと見えて地下水が噴き出していました。

 そして、絶妙なタイミングで軽トラの窓が開けっぱなしで一晩おいたので車内がびちゃびちゃでした。幸いなことに老朽化して床が腐って穴が開いている軽トラですから水が車内にたまることはなかった。

 気温が低かったこともあって、日中は比較的快適に過ごせました。雨がひと段落して地区を見回りましたが、崩れた場所もなく、排水もスムーズに流れていました。

 8月20日は5年前に広島土砂災害があった日ですが、前々からその懸念があった場所なのに蓮舫の事業仕分けで予算が削られて水害対策ができなかった土地と聞いてます。

 政治や行政というのは「実態」なのだからイメージ優先のパフォーマンスであっては困るのですが、東京都民が選んだ政治家によって広島県民が殺されたと思われるのもまたつらいです。

 方向性を間違えた南ニダを見ていると国民の幼児性による民主主義の死を垣間見る思いですが、無関心もまた死を招く。

 香港のデモ。民主主義や自由に対する欲求はよくわかります。あの街よりも南ニダの方が民主主義も自由もあると思うのだけど、結果として崩壊に向かっている危険度は香港より高いかもしれない。

 民度の備わらないところに民主主義は劇薬かも?

 じゃ、その民度って何?って考えると自制心かな?

 自制心を高めるにはどうすればよいのか? 

 そうだ!お汁粉を食べよう!

 先週の餅つきの餅と、お盆で牡丹餅作った残りのあんこ貰ったのでお汁粉にしてみました。

 そして今、胸やけを自制心で我慢してます。

 ブラジルでは銃とガソリンもってバスをジャックした犯人を警察が射殺したそうです。

 たしか、あの国は「犯人引き渡し条例」の異例の国で、犯罪者がブラジルに逃げ込めば逮捕されたり身柄を引き渡されることもない国だったと思いますが、ブラジルの法律を破ればさっさとこういう処置をしてしまうんですね。

 ロシアだって死刑制度がない国ですが、イスラムテロリストの学校占拠事件のように逮捕する前に射殺して豚の皮にくるんで埋めてしまう。

 日本の場合なまじ民度が高いから「罰」が緩いですねぇ。あおり事件のバカップルなんか不起訴になる可能性もあるみたい。こんなキチガイ野に放てばまた事件を起こすのでしょうが、そんときゃだれが責任取るの?弁護士さん?

 裕福な家庭の子供だったらしいけれど、裕福な家庭で思い出した紀州のドンファン怪死事件。あれいつだっけ?去年かな?いまだに事件解明していないみたいですね。解明する気もないのかもしれないけど。金持ちと言ってもどうでもいい人物だったってことでしょうか?

 どちらも「自分」しかない人たちみたいだから、彼らがどう不幸になろうが身から出た錆なんでしょう。

 世界の中心で愛を叫ぶより世間の片隅で細々生きよう。

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お盆終わって

2019年08月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 深夜、只今大雨警戒レベル3発生中。我が家のあたりも警戒区域。

 夕方、雨が小降りになった時に水路は見回りしておいたし、地下水の量は7月よりも下がっている。警戒発生の時より雨が弱くなっているので、風向き雲の流れを考えると、まぁ、何とかなるでしょう。警戒レベルが下がるまで防災士は眠れません。

 昨日の日曜に高齢者世帯を回って様子を見ておいたので、避難指示等が出てもすぐに対応可能。最高齢の102歳は昨日葬儀でもういないし、自力で動けない人は、なんてすぐに頭をよぎる。

 天災の多い日本ですが、人災も数多く起こっています。

 昨年日本各地に起きた水害だって防ごうと思えば防げたものもありましたが、まさか!と思うところにやってくるのが災害です。蓮舫の仕分けでどれだけの被害者が出たか?コンクリートから人へはケースバイケースで、そこを見極める能力も責任もない人が振り回してはならない。最大の人災は民主党政権でしたが、南ニダを眺めているとよくぞ目覚めた日本人ってところですかね?

 拉致問題なんてこりゃもう100%人災なんですが、自国民拉致されて見殺しにする憲法っていかがなものか?GHQの人災と言うより、はれ物にしてしまった日本人の人災でもある。

 映画「めぐみへの誓い」クラウドファンディングも90日の期限を半分終わり残り45日となりました。多くの皆様のご協力をお願いしてます。

映画「めぐみへの誓い」クラウドファンディング・めぐみさんの同級生 小栗 武

 お、今ダムを放流すると防災無線が入った。

 利根川の容量からすると、ここらのダムが一つ決壊してもあふれるようなことはないのですが、かつては坂東太郎と異名をとった暴れ川。ムダなダムに見えるけれどちゃんと治水の役はなしています。

 ただ、管理する側の能力というのはとにかく大事で、脱ダムブームの前は8月になるとダムはほぼ空っぽにして水不足を人為的に起こしていました。そうすればまたダム作る口実になりますからね。

 ところが脱ダムブームでダムを造らない時代になった途端に夏の水不足解消。でも、こうした大雨の時に備えていくらかはキャパシティーを開けておかねばならない。この辺りの駆け引き、やればちゃんとできるみたいですね。

 どのくらい放流するのか?朝のアユ釣りやいかに?と思いきや、20日からと網解禁なので、アユ釣りもいなくなるか。

 土曜の不思議夏祭りに参加協力したご褒美に草木染の手ぬぐいをもらいました。

 昨年の今頃大腸がん騒ぎをした60代後半のおじさんは、がんもどき一周年で明日から検査入院だそうです。

 「この年になれば健康上何も問題がない人の方が病人だよな。」と申してましたが、確かにそうかもしれない。

 オギャーと生れ落ちてから老・病・死は死ついて回るのですから、これはこれで素直に受け止めてお付き合いしていくしかない。

 この家、お盆にお墓に牡丹餅お供えしたらクマにお供え物食われたそうで、お墓の周りにクマ親子の足跡がたくさん残っていたそうです。墓地全体だと果物など結構お供えが上がっていたので「サルか何かにやられるんじゃないかな?」と思っていたそうですが、一晩でした。

 この界隈ではお墓に食べ物のお供えはしないという申し合わせになっていますが、遠方から里帰りしてくる親族はそういかないみたいです。

 お盆が終わって日常生活に戻れるか?と思いきや、お盆の最中は都会で仕事してこれから里帰りの第二弾が始まります。

 懐かしい顔ぶれ、誰が来るか?これもまた楽しみです。

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ジャンク

2019年08月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 今年は草刈りが入らなかった道路わきにソバナの花が咲いていました。

 アスファルトとコンクリート製のU字溝の隙間から芽を出した、ど根性ソバナでした。

 毎年お盆前には刈払いが入るのですが、今年は役場がだらけているので事業入札もなく草ボウボウになっています。

 おかげで秋を告げる花を見ることができました。

 ラジオからジョン・デンバーの「故郷へ帰りたい」が流れていました。

 ジョンデンバーが飛行機事故で亡くなったのが1997年の10月頃で、この年の7月に香港がニーハオに返還されたと記憶しています。

 あの頃は中国返還を望むデモがあったくらいで、きつい言い方をすれば植民地からの解放のようなおめでたムードでしたが、20年たってまた火種になっているようです。

 ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしやうらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや

 室生犀星の恨み節ではないけれど、帰ってよかったもんだべか?

 小学生の頃、ジーンズのビッグジョンのコマーシャルでジョン・デンバーの「太陽を背に受けて」が流されており、この曲が入っているLP「詩と祈りと近い」を小遣いためて買いました。

 ライナーノーツに英文の歌詞は書かれていても訳詞がなくて、旺文社のジュニア英和辞典と格闘しながら単語を調べて「意味わからん」とヤケになった思い出があります。

 後にPPMなんかを聞くようになって、「悲しみのジェットプレーン」がジョンデンバーの作で、60年代フォークの時代から活躍していたことなどを知るのですが、私にとってのジョンデンバーは「太陽を背に受けて」のビッグジョンのジーンズです。

 このLPの中でお気に入りの一つに「JUNK」という曲があり、これまた後にビートルズのポールマッカートニーの曲だったことを知るのですが、この歌は短い詩でしたし辞書に載っている言葉だったので訳すことに成功しました。

"Junk" By Paul McCartney

 JUNK ガラクタって意味ですね。当時は、ごみ箱行きといったニュアンスで意味を受け取ってました。

 最近よく耳にするジャンキーなんて言葉もJUNK由来ですが、ガラクタ人間ってことかな?

 あおり運転のガラクタ人間が逮捕されましたね。犯人の指名手配写真を見たとき脳裏に青汁がよぎりました。青汁飲んで「まずい!」と言う俳優の八名信夫さんを思い出してしまいました。

 人相から悪人顔のあおり運転犯人、逃げ回っていたにもかかわらず逮捕の時には、少しでも罪が軽減される目論見で「出頭させてくれ」とごねたというのですから、やることに似合わない根性のなさ。

 せっかくの悪党顔なんだから愛人人質に立てこもって、最後は狙撃部隊の銃弾でいちころだったら「世の中平和になってよかったんじゃない」と留飲を下げたでしょうが、現行法ではほどなく娑婆に戻ってしまいますね。出てきたところでまた事件起こすよ。

 USAの映画ならあおって横向けに止まったところを超大型のコンボイトレーラーがブチャって車ごと押しつぶして、バンジョーのBGMが流れる中、陽気にストーリーは展開してしまうのですが、外車に乗るならそのくらいおおらかでなければ。

 他人様の人情に期待して粋がっているようでは幼稚です。

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餅つき完了!

2019年08月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 私たちにとっては真夏の餅つきイベント。無事終了いたしました。

 掌にまめはできるし、大汗まみれになるし、真夏の炎天下にやるには厳しい行事でしたが、思いついたのは春先でした。

 餅つき体験をしたい子供たちの行列が並び、もちろん子供だけでは危険なので私たちが手を添えて餅つきさせるのですが、これが自分一人でやるよりもよほど大変。

 身長が低い子供なので腰を曲げて介添えするため、妙に腰に来ました。

 月館の餅はその場で黄な粉にくるんで配布しました。

 30度を超える気温の中、お雑煮もオツなもので、汗まみれになったところに出てくるお雑煮は”何かの罰ゲーム?”のようでしたが、これがまたおいしかった。

 ステージではフラダンスやアコーディオンとオカリナ演奏などが催されました。

 基本的に現地民の趣味の延長なので、エンターテイメントとしてはあまり期待していませんでした。

 フラダンスのおばさんたちがおそろいのムームー纏って、髪の毛や体に飾り物一杯つけて会場の外を歩いてくる光景など、富士の裾野によく見かける怪しい新興宗教の集団みたいでちょっとホラーでしたが、このおばさんたちの演目が終わって、更衣室で普段着に着替えて帰る集団もかなりキテました。

 服装は田舎のおばさんですが首から上はハワイアンダンスのままの化粧と髪飾りなので、稀に変な化粧して徘徊する認知症のおばあさんっているでしょう。それが集団で徒党組んで歩いているみたいで、真夏の昼の怪談みたいでした。

 アコーディオンとオカリナもねぇ。地元民の演芸の延長ですから、ま、よかったんですけどねぇ。

 赤とんぼや浜千鳥や赤い靴などを演奏していると、インパール作戦生き残りの傷痍軍人が縁日の出店の門で白いマント纏って日本軍の帽子かぶってハーモニカなど演奏して日銭稼いでいた昭和の頃みたいで、妙に情けないんですね。

 縁日が終わる夕方になると、傷痍軍人と称する人たちがその日の日銭で近くの居酒屋で一杯やっているのですが、その時は足や手が生えて五体満足の人になっているんです。「ガキが来るんじぇねけ!あっち行け!」と追いやられるのですが、子供心になんだ?このおじさんたちは?と不思議に思ったもんです。

 そういう意味ででは妙に懐かしい演奏でした。下手さ加減が。

 参加することに意義のある人たちです。

 津軽三味線と尺八のプロも来てました。

 やっぱ、プロは全然違う。音のメリハリや演奏のキレなどその前に演奏した地元民三味線軍団とはあからさまに違いました。

 その道で食っていける人を「才能」なんて言葉で片付けるのは失礼だと思いますが、修練のたまものと言うべきか、”これでいい”という妥協のない探究心が作り上げるのだと思います。

 プロは自画自賛の許されない世界の人たちです。

 このところニダが火を噴いているので、南ニダ外務大臣か何かの白髪頭のおばさんはメディアでよく見かけます。

 一昔前なら社会党や公明党あたりから出てきそうなおばちゃんで、こういうのがPTAの会議に出てくると会議をかき回し、親の支配下に押し付けられた子供はやる気のない腑抜けか、いじめの裏親分と言うのが相場で、ろくなもんじゃねぇなと眺めてます。

 一方、ニーハオ報道官のおばちゃんはまだ愛嬌がある。

 最近ニーハオ報道官見かけないので、習ちゃんに粛清されちまったのかな?と思っていましたが、学校に通って勉強しているみたいです。

 学校と行ってもニーハオ共産党の学校ですから、これまたろくなもんは集まっちゃいないのでしょうが、ああいう国ですから何かの歯車が狂えば粛清。しがみつくにも必死なんでしょうね。ニダも同じだけど。

 シャブ中が簡単に復帰する日本の放送業界って緩いな。

 自己規制できるプロより、参加することに意義があるアマチュアの方が扱いやすいのかな?

 村の音楽祭見てそんなことも考えてしまった。

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