のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

論語

2013年07月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 論語によると、

 「吾十有五にして学に志す(志学)。三十にして立つ(而立じりつ)。四十にして惑わず(不惑)。五十にして天命を知る(知命)。六十にして耳に順う(耳順)。七十にして心の欲するところに従えども、矩(のり)を踰(こ)えず(従心)。」

 80になったらどうすりゃいいんだ?共同浴場で年配の人とこんな話題になりました。80どころか90も視野に入れて当たり前のご時勢ですから、孔子が生きた2500年前にはよもやこれほど長生きの世の中になるなんぞ思っちゃいなかったことでしょう。

 70代になると道徳の基本から外れなくないようにすると孔子は申しておりますが、このところのお年寄りパワー暴発で、道徳の基本などクソくらえ!で己の欲するところにばく進しているような高齢化限界集落です。

 40代の(不惑)と言うのは分別を見につけていることで、40過ぎても人様に恨みを買っているようでは見込みがないとくことらしいです。その前に15歳の段階で学を志していないのですから、孔子の論語の規範から既に外れています。

 ぜんぜん成長しない。だから長生きできるのかも?

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聖職の碑

2013年07月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 最近時々かかってくる勧誘の電話。

 簡単に言えばソーラーパネルの売り込みの電話ですが、冬どうするの?屋根の雪落としに来てくれるの?と問うと、「豪雪地帯にお住まいですか?」そんなの電話かけてくる前に調べてよ。

 さらに、深夜電力なのか、ソーラー電力の給湯なのか?「お風呂は石油ボイラーですか?ガスですか?」

 ホントは石油のボイラーですが、「温泉地なので共同浴場があるんです。このあたりでお風呂なんか沸かしている家なんかないですよ。」というと、「失礼しました」とさっさと電話を切ってしまう。失礼ですね。となんだか面白くない。何か面白いからかい方を考えてみよう。

 中央アルプスの宝剣岳で韓国人の登山者が9名行方不明の事故が起こり、今のところ3名手痛い温床で死亡、1名心配停止、5名無事下山の状況です。

 中央アルプスといえば大正2年8月26日に地元の小学校(現在の中学校)の登山で11名が凍死する「聖職の碑」事件が起きています。現地ガイドをつけなかったと言うことで今回の韓国人パーティーの事件も似ていますが、今回の事故では誰がリーダーなのかわからないような団体だったようです。プサンの山岳会みたいですが。

 2000m未満の山しかない韓国ですから3000m近い高所への対応が身に付いていなかったとしても、韓国人なら軍隊経験があるはずですから、こうした事態に対して対処する手段を身につけていなかったのだろうか?

 韓国は登山ブームらしく、最近は日本の山でも韓国人登山者を見かけるようになりましたが、ブームに踊っているときにはろくなことがありません。

 聖職の碑と言えば、背景には当事の社会の確執があり白樺派と呼ばれた理想主義者と実践主義者の対立が村と学校、教師の内部にもあったそうです。結果、生徒がその争いに巻き込まれて死亡したという見方もできます。

 生徒の命を奪った教育者の対立と言う悲劇なのか?生徒を守ろうとして死んでいった教師の悲劇なのか?どちらにしても悲劇ですが、山の神様のご機嫌を損ねるようなことをすると必ずしっぺ返しが来ると言うのが、山の住人の答えです。

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牡丹灯篭

2013年07月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 日本の有名な怪談話に牡丹灯篭という話があります。登場人物の名前など諸説ありますが、代表的な話は萩原新三郎という浪人者が顔見知りの医者の宅に伺ったところ、治療に来ていた武家のご令嬢お露と女中のおヨネに出会います。

 新三郎もお露もお互い一目ぼれし、この人以外に伴侶となるものはいない!と心に誓っては見るものの、かたや武家のご令嬢、かたやしがない浪人もので身分の違いはいかんともできません。

 ある夜、新三郎が家にいると下駄の音が聞こえる。こんな時間に誰が歩いているのだ?と気になって外に出てみると、牡丹の絵柄の美しい提灯ぶら下げてお露とおヨネが歩いて来る。「これはこれは、こんな夜更けに何用ですか?」「新三郎さまに会いとうて」と、それから毎晩お露が訪ねてくる。

 近所の者も、毎晩何しているんだ?と気になり、好奇心半分にのぞいてみると、新三郎が楽しそうに話し掛けている相手はなんと骸骨。新三郎に思いを寄せながらもお露は病を得て死に、それを追うようにおヨネも死んでもはやこの世のものではありません。

 毎夜死人と情を交わしていた新三郎も日に日にやつれていく。これはいかんと周囲のものがお坊様に頼んで新三郎を助けようとします。新三郎の家の入り口にお札を貼って、お露が入れないようにしてしまいます。

 「新三郎さま、お札を、お札をはがしてくださいませ」とお露が懇願します。新三郎もあの世に連れて行かれてなるものかと拒むのですが、ついにこらえきれずにお札をはがしてしまいます。

 しらじら夜明けも近い頃、おヨネの照らす牡丹灯篭の後にお露と新三郎がついていきます。後にお露の墓をあばいてみると、棺の中にはお露の骸骨を抱いた新三郎が入っていた。

 怪談・牡丹灯篭は落語家の三遊亭円朝の噺で広く庶民の間に知られるようになりました。落語の牡丹灯篭の元になったのは19世紀になって書かれた鶴屋南北の「阿国御前化粧鏡」。山東京伝の「安積沼」があります。

 牡丹は中国の代表的な花ですが、実はこの牡丹燈篭という物語は明の時代に書かれた剪燈新話という本に出てくる物語です。

 上田秋成の雨月物語にも剪燈新話から引用された物語がいくつもあります。牡丹燈篭をモチーフにしたと思われる「吉備津の釜」や剪燈新話の愛卿伝をモチーフにした「浅根が宿」などが引用されています。

 さて、本家牡丹灯篭とはいかに? 時代は元の末期、今の浙江省あたりに喬生という男が住んでおりました。毎年五月十五日には燈篭祭りが開かれ賑わいを見せるのですが、喬生は妻に先立たれ、燈篭祭りを見に行く気にもならずぼんやりと門前にたたずんでいました。

 夜も12時を回った頃、牡丹の花が二つ並んだ燈篭を持った女中を先頭に年の頃なら17-8の世にも美しい娘が歩いてきます。喬生はあまりの美しさにふらふらと近づいてしまうと「逢引のお約束をしたわけではございませんのに、こんな月の夜にお目にかかれるのも何かの縁でしょうか」と美女麗卿に声をかけられます。

 「私の家はこの近くなので、お寄りいただけませんか」と喬生が誘うと麗卿と女中の金蓮は拒むことなくついてきました。ここから先は日本版と同様で、毎夜毎夜二人が訪ねてくるので、隣のものがのぞいてみたら喬生がドクロと話をしている。

 人間は陽の世界に住む精気のあふれたものだが幽霊は陰の世界に住む穢れたものなのだ。それに気がつかず毎晩毎晩幽霊と同衾しているが、このままだと若いみそらであの世に連れて行かれるぞ、と、老人に脅かされた喬生は、麗卿が住むという湖の西に行って見ますが、誰も麗卿のことなど知りません。

 一休みしようと立ち寄った湖心寺で「元奉化州、州判のむすめ麗卿の棺」というのを見つけびっくりします。よく周囲を見ればその前には牡丹の花を二つ並べたおなじみの燈篭があり、その下には死者に供えた紙人形があり、その背中には金蓮と書かれています。

 これは大変なことになったと魏法師という男の元に相談に行くと、二枚の護符を渡されて、一枚は門柱に張りもう一枚は寝台に張るよう言われ、決して再び湖心寺に近づいてはいけないと言われます。

 一月ほど経った頃、友人の家で飲んだ喬生は魏法師の言いつけを忘れて湖心寺の前を通ってしまいます。門前には女中の金蓮が立っており、「お嬢様がお待ちでございます」と喬生と寺の中へ引っ張り込みます。棺のあった部屋には麗卿が待っていて「お目にかかれた以上もう放しはしません」と麗卿は喬生を棺の中に引きずり込むと棺の蓋がバタンと閉まります。

 喬生が帰ってこないことを心配した老人が西心寺に見に入くと、麗卿の棺から喬生の着物が出ているので、老人が棺を空けると喬生は屍の女を抱いて死んでいました。

 日本ではここでおしまいですが、ここから物語がお下劣に進行するのが人間不信の中国版です。

 その後、夜な夜な金蓮の牡丹灯篭を筆頭に喬生と麗卿が手をつないで歩いている姿が人々に目撃されるようになります。それに行き当たった人は思い病気になってしまい、手厚い法要をしないと死んでしまうとあって、人々は魏法師に助けを求めに行きます。

 わしの護符は未然に防ぐことはできても、既に起きてしまったことには効き目がないので、幽霊を懲らしめる術を身につけた鉄冠道人に相談しろ。と魏法師は言います。

 鉄冠道人は静かな隠居暮らしを妨げられたので怒り心頭です。金連、喬生、麗卿の三人を捕らえると首かせをして鎖でつなぎ鞭打ちをし、三人に供述書を書かせて九幽の獄へ押し込んでしまいます。人々に鉄冠道人のことを教えた魏法師に対しても「あのおしゃべりめ」と怒り、喋れなくしてしまい、道人は人々の前から姿を消してしまいます。

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モウセンゴケ

2013年07月28日 | 日記・エッセイ・コラム

130728  湿原のコケの中にモウセンゴケを発見しました。

 まだ成長していないモウセンゴケなので、大きさにすれば4-5mm。注意してみていないと気が付かない大きさでした。

 不気味な花に付いた粘りのある液体で昆虫を捕らえてアミノ酸などの栄養分を吸い取る奇妙な植物ですが、これが巨大になれば動物どころか人間まで引っ付いて。えらいことになるだろうな。

 食虫植物にはモウセンゴケのほか、ハエトリグサやウツボカズラなどの有名どころがありますが、ハエトリグサは十数年前にホームセンターで買って育てたことがあります。ハエを捕まえてきては大きな口に入れてやりましたが、えさの与えすぎが悪かったらしく枯れてしまいました。

 今日、見たところではモウセンゴケに捕まっている昆虫は見かけませんでしたが、もともと昆虫など食べなくても生育できる植物らしいです。昆虫が生活のためのボーナスみたいなものなんですね。

 こうした奇妙な植物を見ると、なぜか安部公房の「砂の女」を思い出してしまいます。昆虫採集に出かけた男があり地獄のような砂の穴にすむ人々に捕らえられ、一度は逃げ出そうとするが捕らえられ、最後にはその土地の住人として砂の中での生活に埋没して逃げることもしなくなり、男がいなくなった全うな世界では失踪者として死亡宣告がされていたミステリアスなストーリー。

 自由を求めつつ何かにとらわれていたいと言う願望が人間にはあるのだろうか?なんて哲学的なことをモウセンゴケを見ながら考えてしまいました。

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小さなことから

2013年07月27日 | 日記・エッセイ・コラム

130727a   ブナの根元にニホンミツバチの巣を発見しました。

 昨年もこの近くにニホンミツバチの巣を見つけていましたが、それは枯れたブナの幹に作られたものだったので、クマがほじくってえさにしてしまった痕跡が残っていました。

 ミツバチも考えたんでしょうね。今年は生きたブナの幹にできた裂け目に新居を構えました。これなら熊も簡単に掘り返すことができないでしょう。

 災害から学ぶ。ちっぽけな脳みそでニホンミツバチもなかなかやるもんです。災害パニックをいまだに引きずっている民主党より頭が良い。

 学生時代に登山のリーダー講習会で教わったことですが、非常事態が起きたときに「正解」は存在しないのだそうです。「ちょっとまし」「こっちのほうが良いかも?」の小さなベターの積み重ねが生き残る最善策なんだそうです。

 ミツバチだってこのブナの隙間が最善の場所と言うわけではありません。クマのつめを持って擦れば簡単にとは言わないまでも、幹を削り取ることだって可能です。スズメバチが襲ってくることだって考えられます。

 それでも、一寸はマシの積み重ねで生き延びてきたんでしょうな。

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TPO

2013年07月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 道楽の一環として鉄砲撃ちをしているハンターではなく、昔からのしきたりに従って猟をする猟師は絶滅しかかっています。熊専門の熊撃ちなどほどなく絶滅してしまうのではなかろうか?

 その絶滅しかかっている猟師のオヤジさんにばったり会いました。街中で。

 何かの会議に出るとかで、この蒸し暑い日にスーツ姿でしたが、これが意外なほどさまになっていてダンディーでした。いつもは野良仕事の姿しか知らなかったので、別人のように思えました。

 日ごろ人間界と隔絶した山奥で生活していますが、今日出かけていくところはそういう場所ではないので、それなりの支度をしてきたと言っていましたが、日々スーツ姿で働いている人と違って、それなりの心構えで着ていく服なのでかなり値段は高くなっても良いものをオーダーメイドしているようです。

 TPO{Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)}をわきまえるのは大人の常識ですが、夕方見たニュース番組で参議院選挙に当選した山本なんたらと言う人物の服装には疑問を憶えました。

 選挙のときのイメージとしてTシャツ姿はとがめませんが、議員となって出てくる場にTシャツ姿はいかがなものだろうか?と思ったら、その支援者達も公の場で帽子をかぶったままだったり、程度が知れる姿でした。相手の土俵に載ろうともせず外野で騒ぐだけで、本気で原発反対を訴えているのだろうか?

 なんだか、いい大人がまだ甘えから抜け出していないような思いがして残念でした。

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アル

2013年07月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 アルミニウムやアルコールなど「アル」が付く物質はアラビアで発見されたと聞いたことがあります。それでは、アルバイトは?

 ドイツ語で「労働」などを意味する言葉で、これがもしアラビア語発祥の言葉だったら「労働」ではなく「だらだら働く振りして、目を盗んで怠ける」なんて意味になっていたでしょう。

 古い登山用語にもアルバイトと言う言葉は出てきます。登山用語の場合は歩くことや登ることを意味していています。

 アルバイト漬けだった学生時代に「イスラム教になる」アルバイトをしたことがあります。東京都内にあるとあるアラブ諸国のイスラム教寺院の内装工事で、イスラム教徒でなければ手をつけられないとかで、職人のおじさんたちとイスラム教になって作業する仕事でした。私は施工管理の仕事だったのですが、要は施主側との折衝係ですね。

 単価の良い仕事だったので、思想心情のない職人さんたちは喜んでいましたが、洗礼のときに豚肉やアルコールには触れてもならないときつく言い渡されたので、洗礼のあと上棟式を兼ねた前祝と暑気払いで、「豚肉は食っちゃいけないといったけどモツは食うなと言わなかったよな」と「ビールはアルコールだったっけ?」「呑んでみないとわかんないですね」と浅草でモツ煮を食べてビールで乾杯しました。

 イスラム教寺院と言うとたまねぎ方の塔などが印象的ですが、日本国内ですから外見は普通の鉄筋コンクリートの建物で、中はイスラム式の内装になっており、船で運ばれてきた内装用の建材をチェックしたり、どのように組み立てるのか職人さんと説明書を訳したり、頭をひねって作り上げました。

130725

 時代は平成になり四半世紀。

 アラブの春でアラブ諸国も変革したり逆戻りしたりと行き場を求めて右往左往していますが、アラブの夏を目指して世界は動いています。

 アラブの夏はまずは生ビールで乾杯から。

 アルコールを発見したアラビアにある中があふれかえることからアラブの夏は始まるアルよ。

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ミステリー

2013年07月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 山口県で横溝正史ミステリーのような事件が起きています。

 携帯電話も通じない山奥の村での放火殺人事件。5名の年配の人が殺され、犯行を匂わせるなぞの張り紙、犯人と思しき人物が忽然と姿を消す。原因は村八分か?

 これに落ち武者伝説でも加われば、壇ノ浦近いもんな。

 うちの村で例えるなら、なんてことを近所の人と共同浴場での話題になりました。

 村八分とは結婚・出産・成人祝い・年忌法要・新築改築の手伝い・水害の見舞い・病気見舞い・旅行を一緒にしないと言う意味で、残りの2つは葬式と火事。これは村八分といえども別物と言う決まりごとです。

 村八分への報復が放火殺人だったら残りの部分で仕返したわけですね。

 

 首都圏の水がめの利根川水系で10%の取水制限が始まりました。その水がめ地に住んでいますが、このところよく雨が降るので、我が家の地下水は非常に豊富です。

 確かに、この冬は雪が少なく5月には雨が少なかったので、地下水を使っている我が家では洗濯のすすぎに事欠く有様でしたが、6月中ごろからあめが豊富に降り、今のところ水には事欠いていません。

 ダムに関係ない沢も水が例年並みに豊富に出ています。深刻な間伐だった94年より水が少ないと報道しているようですが、94年は山の樹木が色を変え、葉を落として身を守っていました。今年は青々しています。

 先月末ごろ、やけに景気よく水を放流しているなをいう思いで見ていたんです。下界では田植えのきせつでったり台風が速く来たりゲリラ豪雨対策かな?とも思っていましたが、また「ダムを作りましょう」と世論を持っていくための前触れかな?

 ひところ、脱ダム宣言が流行りダム建設が棚上げされたとたんに水不足がなくなりましたが、人為的管理の背後には黒い思惑がうごめいています。そろそろ「のどもと過ぎれば」とダム作りが動き出すような予感はしているのですが、流域面積の狭い山奥に作るより、もっと下流に作ったほうが良いと思うけど。

 降水量を統計して出すと人為的かどうかはすぐにわかるのですが、やはり首都圏の水を管理しているわけですから、意図的か放水ミスがあったのかなどダムの管理者は責任を負うべきで、その意識で管理させないと原発の二の舞になります。

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惨めだね

2013年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 参議院選挙の結果は明白なのでテレビも新聞も目を通さないようにしていましたが、ラジオを聴いていたら民主党の細野なんたらが辞任すると言ってました。

 てっきり議員を辞職するのか?と思ったら、党の役員を辞任するだけの話で、どうでもいい矢と思いました。さすがにモナちゃんやり逃げの無責任男です。選挙惨敗の「責任」と言いつつも、その同じ口から「野党再編」なんていっているのですから、泥船から逃げて別の政党を・・・なんて腹なんでしょう。この狡猾さがあの政党が嫌われる要因なんだけど、こんな火中の栗を拾う政党もないでしょうね。

 菅元総理に「離党勧告」と言う処分にしても、この元首相の出自を考えれば「自己批判」と「総括」でしょう。海江田党首と話し合いではなく、十数人の党員に囲まれて「自己批判せよ」とやられるのが自分の歩んできた道でしょう。そうでなきゃ革命の同志諸君に申し訳なかろうに。

 沼田市に鹿の俣林道と言ううっそうとした薄暗い林道があり、ここに連合赤軍の迦葉山ベースがあり、「総括」の名の元に3名がリンチ殺害され、当事の白沢村の山の中に埋められました。今日、たまたまこの迦葉山ベースがあった辺りを通りました。いわゆる殺人現場ですね。江戸や京都では珍しくないけど。

 浅間山荘は映画になりましたが、その前に起きた榛名・迦葉山・妙義で起きたこの陰惨な事件は映像にしにくいのでしょう。

 当事私は小学生4年でしたが、近くに連合赤軍が隠れているかもしれないからと、釜や鉈を持った大人が通学に同行してくれました。浅間山荘突入のときは「悪いお兄さん達の姿を見ておけ」と校長がテレビ室に児童を集めて見せてくれました。

 もともと連合赤軍は複数の活動セクトの寄り合い所帯で、この体質も民主党と似ているのですが、ノブレスオブリージュを持たない人間が力を握ると弱者を踏み潰す、現在の「いじめ」に通じる心理を露呈していました。そういえば雨後のタケノコのごとく乱発した大臣達が、威張り散らして馬脚を現す事態が相次いだ政権でもありましたな。

 民主党の内乱も松下政経塾セクトと労組新左翼セクトの争いだと思いますが、元々「ねたみ」のより集まりですから、王道を歩む人たちではない。日が当たれば自分達が「ねたみ」の標的になるだけのことでした。

 連合赤軍同様まだひと波乱あってどんな断末魔をあげるのか?陰惨な未来を予期していますが、「批判」だけにしかスタンスを持たない人たちにとってふさわしい末路になるのでしょう。

 「批判」を生業としてきた人たちにとって、「認める」「褒める」と言う行為が自分の大きさを決定してしまうようで恐ろしいのでしょうが、批判非難で微分して結局自ら朽ち果てていくのが成れの果てです。

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続き

2013年07月22日 | 日記・エッセイ・コラム

130722c  昨日の続きなんですが、前武尊山から見た榛名山です。奥に見えるギザギザした山が榛名山。その手前の左側の山が子持山。

 どちらも1300mクラスの山ですが2000mを越える高さからは下に見えます。

 子持ち山の手前。霞がかかった平地のようなところにうっすらと円錐形の尖った山が見えます。これが戸神山。夏目雅子が病床でこの山を見たいと言っていたそうです。夏目雅子のお母さんは沼田市の出身で、子供の頃よく沼田に来てはこの円錐形の山を眺めていたそうです。130722d

 山頂直下の雪渓の周辺に咲いていたキヌガサソウ。

 ユリ科の植物らしいのですが、この葉っぱが高貴なご婦人が着用した衣笠に似ているためにこの名前が付いたそうです。

 私達世代にとって衣笠と言うと広島カープの衣笠で、あの恐い顔を思い浮かべてしまいますが、いにしえの人たちは優美な花の名前を思いついたものです。キヌガサソウは日本固有の植物らしいです。

 高山植物に詳しい登山者のおじさんが、下界では2-3000円で売られていることもあるそうです。単純計算でこの付近に30万円ほど咲いていました。

 野生の植物はその土地に生えていてこそ価値があるもの。田舎の美人も都会に出れば人並みみたいなもので、見たければ体力使って見にくればよい。妾をかこう気分で野の花に関わるな!と言うのが私の心情です。

130722e   こちらも頂上直下の雪渓の付近に咲いていたバイケイソウ。

 たぶん、コバイケイと呼ばれる品種だと思いますが、これは毒草です。

 バイケイソウの花は横に開いている花が雄花で、立てにまっすぐ伸びているのが雌花と言うわけではなく雌雄両性の花らしいのです。

 とっさにはカルーセル・マキしか思い浮かばないけど、最近よく雌雄両性のタレントがトーク番組に出ていますね。

130722f  ちょっと見るとブルーベリーのようですが、コケモモの一種で野生のブルーベリーです。

 食べたら酸っぱかったです。

 以前これをたくさん摘んできてウォッカにつけてコケモモ酒を造ってみました。鮮やかな青い酒で、色を楽しむには最高でした。

 つづく。

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武尊山

2013年07月21日 | 日記・エッセイ・コラム

130722  武尊山へ登ってきました。

 アベノミクスで好景気になりつつあるのか?登山道の途中に置かれた観音様やヤマトタケルの命の像の賽銭にいまだかつて見たことがない100円玉が備えられていました。

 石碑ならう生活の中から山登りに来ている山やはそんな余分な金持っているはずがないので、登山ブームにのっかてやってきた一般登山者が備えたものなんでしょう。ひとつの仏像あたり千円を超える賽銭が置かれていました。

130722a  山頂直下にはまだ残雪が残っていましたが、標高2100m前後から山頂付近まではアキアカネと呼ばれるトンボが群れを成していました。

 アキアカネという呼びかたより、アカトンボといったほうがわかりやすいかもしれませんが、夏から秋にかけて群れは山を下って里に移動します。

 溶け始めた雪渓の水がしみこんだ地面からは小さな昆虫がわいてくるのでアキアカネの格好のえさになります。

 天気はうっすら雲が出ていましたが、曇りと呼ぶような天気でもなくさりとて大要が照らしつけるような天候でもなく、秋のような風が吹いていました。

 雲の間に遠くにひときわ高く富士山が見えました。山頂の雪は溶けていたので、よく見ないと雲の陰のように見えましたが、間違いなく入山料1000円とる富士山でした。

 富士山は登るより見るに限りますが、昨日は富士山頂付近で40代の男性が亡くなったそうです。高山病かな?

 ヘリコプターが救助に来られるのは2600m前後ですから、約1000m近く人力でおろさな蹴ればならないんですね。

130722b  下山の時には剣が峰の岩峰を越えてみました。

 一般登山者はこの岩のピークを途中で迂回するルートを取りますが、おじさんこう見えてもクライマーですから、と、岩に取り付いてから異様に息が切れる。

 山頂まで上ってきた時点でずいぶん体力を消耗していたようです。

 20代の頃には簡単に越えた岩場を四苦八苦しながら越えて、ザイル出して確保しながら進もうか?引き返そうか?一人ぼっちですから自分で何とかするしかない。

 そんなわけで、落ちてから考えようとクライミングにクライムダウンを繰り返し、迂回路を通るより30分も余計に時間をかけて岩稜のピークを超えてきました。

 近年のにわか登山ブームのおかげで谷川岳は混んで面白くないので、今年はトレーニングをかねてあと3-4回この山を登ろうかと思っています。

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ジンギスカン

2013年07月20日 | 日記・エッセイ・コラム

130720b  武尊牧場に行ってきました。昔は育成牧場として地元片品村の牛を中心に放牧されており、冬はスキー場になる牧場でした。

 牧場は村営での育成牧場で、ホルスタインの子牛や繁殖和牛などが畜産農家から預けられていたはずですが、畜産農家が少なくなったことや観光牧場としての敬愛転換、スキー場の売却などいろいろ事情があったようです。

 現在預託牛はいないみたいで、観光用のヒツジやヤギが柵の中に飼われていました。

 ヒツジとヤギは似たような動物ですが、祖先はずいぶん早い段階から分かれていたようです。

130720a  ヒツジの成れの果てのジンギスカン。定職で1200円。

 たぶんこの焼肉に使う鍋がモンゴル人がかぶっていた帽子に似ていることからこういう名前になったんでしょうね。

 中国ではシャブシャブをモンゴルから来た料理といわれていますが、モンゴル軍に占領された朝鮮半島には焼肉が伝えられています。

 草原の蒼き狼も日本では料理の名前になってしまいました。

130720  ジンギスカンは肉を焼くのではなく「蒸す」のだそうで、鉄鍋の上に載せた野菜の上に肉を乗せて、野菜経由で伝わってきた熱で肉を焼く「蒸す」食べ方なんだそうです。店のお姉ちゃんが申してました。

 鉄板と肉の間で肉汁にまみれてしんなりとした野菜が実に美味で、私はどちらかと言うこちらが好みです。

 モンゴルに行ったときにヒツジ肉は何回も食しましたがこんな焼き方をした料理はお目にかかりません下。一番のお気に入りは半分に切ったドラム缶でヒツジ一匹を岩塩だけの味付けんで煮込んだ料理で、ヒツジ特有の臭みもあまり気にせず食べられました。

 

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豆腐

2013年07月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 夕食のおかずは冷奴にしました。田舎なので絹ごし豆腐はなじみがなく、豆腐と言えば目の粗いもめん豆腐で、醤油と唐辛子で食べるのが私流の食べ方です。

 肥満が問題になっているUSAではダイエタリーな日本食が注目を浴びていて、特に豆腐は日本食の代表に祭り上げられていますが、豆腐は中国の発祥です。

 中原の西域や北から東北にかけては騎馬民族の領域でした。騎馬民族は家畜の乳を食しますが乳製品の加工には歴史と技術を持っています。

 遊牧民が食していた発酵食品に乳腐という食料がありました。今で言うヨーグルトです。これが乳製品に縁のない当時の中原の人々には貴重でおいしい食べ物の代表でした。きっと酸っぱいヨーグルトだったことでしょうが今までに味わったことがない味わいで体調もよくなりウンコもよくでる。中原の人々の驚きたるやいかばかりか。

 日本語に「醍醐味」という言葉があります。醍醐味の「醍醐」はヨーグルトのことなのだそうです。家畜の乳を食酢習慣のなかった日本ですから、よほどやんごとなきお方でもなければ食べることができない正体不明の不思議な食べ物だったことでしょう。

 騎馬民族の乳腐を知ってはいたものの中原の人々も乳腐を作る技術もありません。乳腐を食するのには塀の外の世界の騎馬民族と取引しなければなりません。

 何とか乳腐を作れないものだろうか?食べ物にかけては惜しみなく情熱を注ぐ民族性は現代も引き継がれています。

 ある人が茹でた大豆をすりつぶした絞り汁(豆乳)に塩を入れると凝固することを発見しました。純度の高いNaclの工業用食塩ではなく不純物を多く含んだ岩塩です。豆乳を凝固させる成分が含まれていたのでしょう。乳腐に似た沈殿物ができました。この沈殿物を布地で濾して固形物にして豆腐が誕生したのだとか。

 やがて豆腐も日本に伝えられますが、外国から入ってきたものをアレンジして完成させるのは日本民族の得意技ですから、繊細な日本式の豆腐に進化していきました。元祖中国の豆腐はもっと荒々しいスカスカの豆腐です。

 ヨーグルトは発酵食品ですが、豆腐は発酵させないで食べます。実は発酵させた豆腐もあります。「臭豆腐」などと呼ばれますが、これが中国の珍味のひとつになっています。チーズに似た味がするといわれていますが、ものすごい匂いです。日本のクサヤの干物に匹敵する匂いで、クサヤ大好きで通販で買って食べている私でさえ後ずさりする匂いでした。確かにおいしいと思えばおいしいなのかもしれませんが、好んで食べるようなしろものではありません。

 ウンコ臭いのは発酵食品の特徴的な匂いなんでしょうね。本場の中国人も臭豆腐を「オエッ!」とむせ返しながら食べていました。日本に土産に持ち帰り不幸のおすそ分けをしたかったのですが、飛行場でパニックになるからやめろといわれました。

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儒学

2013年07月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 東方礼儀の国を自慢する韓国では「儒教の国」を自負していますが、日本は中国の儒教の影響を受けながらも儒教の束縛に縛られず「儒学」と日本式に解釈して消化してきました。         

 江戸時代になると日本は外国との取引を制限してきました。オランダとの交易は長崎の出島のみと限られていましたが、明や清は長崎郊外の「唐人屋敷」「唐館」と呼ばれる居留地が認められていました。

 当時日本に往来していた唐人は浙江省、広東省、福建省の人々です。唐人から伝えられた文化の一つには煎茶があります。それまでの日本のお茶は儀礼的な抹茶がほとんどでしたが、明のお茶の飲み方が伝わったことで、庶民に広くお茶が広まりました。

 17世紀には江戸幕府が日本人の海外渡航を禁止したために、清朝が南下してきて明朝から出兵の依頼が来たときに江戸幕府は出兵を拒否しています。戦費負担もPKOもNO!と言っています。かくして、明は滅びました。

 江戸幕府は治世上の学問として儒学を積極的に取り入れました。幕府体制を維持するのに儒教の考え方が好都合だったことが大きな要因です。

 儒学と言うと、朱喜の「朱子学」と王陽明の「陽明学」で知られていますが、徳川幕府は明朝と同じように朱子学を擁護していました。朱子学は「太極という人知を超越した外在するものから与えられている」という思想が権威主義や保守主義につながりやすかったためと考えられますが、老中松平定信は「寛政異学の禁(1790年)」で朱子学を正学とし、他の儒学を異学とする御触れが出ています。

 江戸幕府の学問所としては昌平坂学問所という胡散臭い名前の学問所が有名です。ここでも朱子学以外の講義を禁止しましたが、他の学問の研究を禁止したわけではありませんでした。「良知を窮めることをもって人間の究極とする」「孝」を重んじた陽明学も研究の対象として残されていました。

 後に明治維新をおこす幕末の志士達は陽明学の流れを汲む儒学を学んだ武士達が多く、吉田松陰が有名ですが、元祖西郷ドンこと西郷隆盛も陽明学の流れを汲んでいます。          

 あまり専門的なことは解りませんが、朱子学は為政者が国を治めるのに都合の良い学問だったのだそうで、李朝朝鮮など儒教にどっぷりつかり、朱子学オンリーにしてしまったために近代的な志向ができなくなってしまっていたのだそうです。         

 日本では儒教を学問の一環として捕らえていたので相対する陽明学も冷遇されながら研究されていました。学問の自由が明治維新の下地になったのかもしれません。         

 為政に対する考え方と言うのはその時代時代によって変わっていくもので、それは自然なことだと思います。厳しい封建制の時代でしたらそのシステムにふさわしい考え方や学問が生まれ指示され、民主主義ならそれにふさわしい考えが生まれて指示されてしかるべきです。         

 そういう意味で現代中国の共産主義などマルクスがどこへ行ってしまったのかわかりません。だれがどう見ても資本主義の王道を突き進んでいるようにしか見えませんが、一応共産主義と言うことになっています。考え方が柔軟なのか節操がないのかわかりませんが、まあ、当人達が共産主義と言っているのだからこんなもんでしょう。         

 個人的には孔子の論語などずいぶん学ぶべきことが多いと参考にしていますが、論語にしてもスローガンにしてもその意図することが達成されていないから生まれるのであって、立派なこと言っている裏にはその逆の現実がそびえています。         

 一見思想のない日本ですが、思想など意識しないで生きていけるのですから、やはり素晴らしい国だということです。

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ビール

2013年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 蒸し暑いときは少し長めに風呂に使って汗をもうひと搾り出すと心地よくなります。高温多湿の国ではシャワーより入浴が習慣になる理由もわかります。

 風呂上がりのビールはうまい。酒類は年になんかも口にしませんが、サウナなどで汗をたっぷりかいた後のビールは確かに爽快です。

 しかし、なぜ風呂で汗を出した後のビールはうまいのに、蒸し暑い部屋で現在進行形の汗をかきながら飲むビールにはその爽快感がないのだろう?

130717  ビールと言えば、日本では冷たいビールが当たり前ですが、ヨーロッパでは常温で飲むビールが珍しくありません。

 日本のビールよりまったりとコクがあるので、冷たくしなくても味わいがありますが、逆に考えると日本のドライ系のビールなど冷たくないと味わいがない。

 やはり、湯上がりの一杯は冷たく冷やしたドライで、それからゆったりとヨーロッパのコクがあるビールを楽しむ。

 いろいろ考えて温泉で長湯をして、脱衣所で冷たい水を飲んで「やっぱこれが一番爽快!」。いいお湯とおいしい水は切り離せないセットです。

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