のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

最後の寒波?

2011年01月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 早朝の気温がまたマイナス10度でした。昨日車中に朝食用のパンと牛乳を入れっぱなしだったので、車内にとりに行ったら、牛乳は凍り、パンは冷凍状態になっていました。

 この寒さも1-2日で終わり、ここからは寒波といっても寒さが弱まるのがいつもの年です。北陸地方は大雪で、鉄道がストップしたり、道路では動けなくなったトラックが道をふさぎ大渋滞になり、自衛隊が出動したニュースが報道されています。
 こうした物流の動きが止まると、修復まで時間がかかり後々まで影響があるもので心配してしまいます。

 ”魚が値上がりするかも!”、値上がりする前の今のうちに魚を食べておこうとスーパーに行ってものの、結局、今回の大雪にほとんど関係ない秋刀魚の開きを買って来て晩のおかずにしました。

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凍りそう!

2011年01月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 一日中気温が氷点下から上がらない寒い1日でした。おまけに雪でした。

 明け方、ストーブをつけたまま寝たにもかかわらず、寒さで目がさめました。外は氷点下二桁でした。昨夜から右ひじが痛くて、何度となく目がさめていましたが、寝不足のようなまったりした1日になってしまいました。

 中東北アフリカのアラブ各国の政権交代を求める騒動が報道されていました。

 20世紀初頭まで中東やアフリカはヨーロッパの植民地。地図をよく見れば国境が直線。主に英国とフランスがこういうわけ方をしたのですが、後々問題が起こらないわけがありません。

 今回の騒動は中東にも「民主主義」が存在しているがための政権交代闘争ですが、こうした騒乱が原油高の要因になるので警戒してしまいます。ただでさえ灯油が高くてきびしい冬なのに。これ以上値上がりしてしまえば凍死するぞ!様子を見ています。

 日本を襲っているこの寒波も2月にはいれば収まるようですが、原油高はまだ収まりそうもありません。

 温厚な日本人も政権交代騒動を起こしてもよさそうなというより、起こせ!といいたい無策な政府。何とかならんのか? 

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ウサギ

2011年01月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 毎年、冬になると雪のうえにウサギの足跡を見かけるものですが、この冬はウサギ年というのに、ウサギの足跡をあまり見かけていません。

 「最近、キツネなど肉食の動物が増えているんじゃないか?昔と違って今は猟師が毛皮目当てで捕まえなくなったから、ウサギも数を減らしているんだろう。そのうち、餌不足になってこうした肉食獣が減ってまたウサギが増えるんじゃないかな。」と、鉄砲撃ちの知り合いが申していました。それも、ウサギの肉鍋をつつきながら。

 今の日本ではウサギの肉を食する機会は珍しい部類に入ると思いますが、私が幼少の頃はこの界隈のどこの農家でもウサギを飼っていましたし、冬になるとウサギを食べていましたし、「肉」といえば鶏肉かウサギ肉が主流だった気がします。

 お国柄の違いなのか、ロシアに行ったときに行った商店でウサギ肉のキャットフードを見つけました。フリスキーだったか、カルカンだったか、日本でもおなじみのブランドのペットフードでした。他にはビーフのキャットフードで、日本のキャットフードの主流の魚類は見かけませんでした。当時我が家で飼っていたネコは魚党で、ビーフの缶詰など食べたがらなかったのですが、土産にウサギ肉のキャットフードを買っていきました。食わないだろうな、と思っていたら、なぜかよく食べました。

 

 平成のはじめ、地面に平飼いしていた鶏小屋でウサギを二羽飼ったことがあります。両方メスだったのですが、なぜか子供が生まれました。哺乳類は外性器で押すメスの区別はつけやすいのですが、見間違えたのだろうか?と思っていましたが、このウサギ達、とんでもない不良娘ウサギで、鳥小屋の地面に穴を掘り、夜な夜な外に出歩いていたようです。

 ウサギの掘った穴から蛇が入り込んで鶏の卵を狙うこともあるので、穴に石をつめコンクリートを流し込んでふさぎました。ウサギは?最終的にみんな鍋になっちゃいました。

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どげんかせんと

2011年01月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 踏んだり蹴ったりという言い方は失礼だけど、宮崎県は大変なことになっています。

 昨年春の口蹄疫から始まり鳥インフルエンザ、新燃(しんもえ)岳(1421メートル)の噴火、畜産ばかりか、今回の噴火で野菜にも影響が出ています。

 東国原知事は引退したので、いつものように県知事が報道に出ることは少なくなりましたが、「どげんかせんといかん!」状態です。

 先週のことですが、近隣の大型スーパーに「宮崎焼き」という看板を掲げた宮崎ナンバーのトラックの販売店が出展していました。

 タレで味付けしたご飯を宮崎産牛肉の焼肉で包んだお結びで、一個350円前後だったと思います。宮崎復興を応援してくださいとポスターが掲げられていました。おむすびを買う人たちが「がんばってくださいね」と販売員のお兄ちゃんに声をかけていました。

 口蹄疫の広がりは農林省はじめ政府の人災ともいえますが、今回の鳥インフルエンザにしても火山の噴火にしても政府の動きは伝えられていません。宮崎は保守王国というのか、自民党が強い土地でしたが、それならなおさら力を入れて急降下する民主党指示者を増やすチャンスだと思いますが、自分の保身ばかり考えているようですからそこまで目が向かないのでしょう。

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バカ

2011年01月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 Рака(パカ)「じゃあね」「またね」など、軽い別れの挨拶に使うロシア語です。これが日本人には「バカ」に聞こえます。電話の最後や別れ際に「馬鹿!」と吐き捨てられたように聞こえてしまいます。親しい間柄でもなければ使わない言葉なので腹が立つこともありませんが、そんな日本語との絡みもあっておぼえやすいかもしれません。

 ロシアで「馬鹿」を意味する言葉の代表はдурак(ドゥラーク)で、「Иван дурак」といえばレフ・トルストイの小説「イワンの馬鹿」のことです。

 私など「дурак」を「ドーラク(道楽)」と絡めておぼえてしまったために、アクセントの位置がずれてしまい笑われてしまいました。あまり誉められる言葉ではないので、使うこともないでしょうし、使う場をわきまえないと危ない言葉です。

 さて、「イワンの馬鹿」についてです。ロシアの人々は「戦争と平和」や「アンナ・カレーニナ」などの大作などレフ・トルストイの作品はよく読んでいて、詳しく知っている人が多いのですが、「イワンの馬鹿」や「大きなカブ」などの晩年に子供向けに書かれた小説については意外に知らない人が多いです。物語は知っていても、それを書いたのがレフ・トルストイであったことなど気がついていない人も多いです。

 晩年のレフ・トルストイはモスクワ郊外の田舎、ヤースナヤパリャーナの自分の領地にこもって、最後は浮遊者のごとく彷徨い、道端でのたれ死んだといわれていますが、それとて自分の荘園敷地内だった地主様でした。

 イワンの馬鹿は当時の人々に道徳を説くために書いたといわれてています。お人よしのイワンには二人の兄がおり、一人は武力に欲を燃やすシモン。もう一人は金こそこの世の全てと考えるタラス。

 二人の兄は百姓を嫌って兵士や商人になりますが、そこへ悪魔が取り付いて悪さをします。兵士として名を上げたシモンは、さらに大きな兵力を持つ国に敗れてしまいます。商人として成功したタラスは自分の欲のために無一文になってしまいます。悪魔たちは馬鹿のイワンにも不幸をもたらそうと、腹痛を起こしたり地面を硬くして掘れなくしてしまいますが、それを苦にしないイワンについに負けてしまいます。悪魔たちが集まって知恵を出し合いますが、ついにはイワンの素朴さの前に屈してしまう話です。

 よくよく考えながら読んでみると、イワンは決して馬鹿ではなくしたたかなところもあるのですが、「自分だけが」と他を排除する欲がありません。人を呪わば穴二つといいますが、人の不幸の上に自分の幸せは成り立たないのかもしれません。

 とはいうものの、私など同じ百姓として他所がみんな不作で自分だけ豊作と言うのが理想なのですが、不作が平年並みなのでその逆を年中身にしみています。

 レフ・トルストイは権力・富・知恵も無欲で純粋に生きる人間の前では歯が立たないと言う教訓を説いています。日本人には受ける話の内容ですが、ソビエト時代に市民は「イワン」のようになることを強要された記憶を持つ人々にとっては、あまり面白くない話だそうです。イワンは無欲であるがゆえに成功しますが、ソビエト市民は結局それだけで終わってしまいました。

 しかしながら、ソビエト崩壊後の混沌とした時代、新しい時代の波に乗れず権力の座から落とされた人がたくさんいることを考えれば、これもまた一理あるのではなかろうかと問いたくなります。ウラジオストクでホームレスになっている元ソビエトの偉い人と言うのを見かけたことがありますが、それを教えてくれた友人は「あの人は不幸になって当然」と言っていました。

 幸せは価値観の基準をどこに置くかが大切だと思いますが、案外そんなに大それたものではないのかもしれません。同じことを「幸せ」と感じて楽しんでいるかどうかの違いで、不平不満の行き着くところは限りがありません。

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お~!

2011年01月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 たまたま動画サイトを閲覧していたら、面白い番組映像を発見しました。

 おなじみのビートたけしさんの番組ですが、たけしさんが尋ねた東大のスポーツ・バイオメカニクスの深代教授は私の中学時代の同級生のお兄さんです。教授自身かつては短距離主体のアスリートで、6歳下の私達の代でも破られていない記録がありました。

 以前、同窓会でこの教授の妹さんと顔を合わせたとき、彼女が私の大学と明治通りを挟んで会い向かいにあった短大に通っていたことを知りました。理工学部だったのでめったにまともな女性にお目にかかれない環境で、たまに品がいい女性がいるなと思ったら、お向かいの短大の学生だったものですが、中学時代の同級生が近くにいたのに顔を合わせる機会もありませんでした。

 スポーツ科学の第一人者を送り出した中学校でしたが、およそそんな気配もない原始的な鍛え方をしていた柔道部時代。タイヤを引っ張って走るのは定番ですが、なぜか柔道部のトレーニングと称して花壇の土運びなどをやらされ、柔道の技よりスコップと一輪車の扱い方がうまくなったことがあります。

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やはり!

2011年01月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日のモスクワ郊外のドモジェドボ空港で起きた爆発事件は、テロリストによる自爆テロであることをロシア非常事態省が発表しました。
 テロの犯人はチェチェンか、北オセチアのイスラムか?まだはっきりしていないようです。

 日本と違うなぁと感じたのは、メドベージェフ大統領が、「何が何でも犯人とっ捕まえろ!抵抗するなら射殺しろ!」と公言しているところで、尖閣問題の日本の不抜けた対応をかえりみれば、危機管理に対する姿勢がまるで違います。

 モスクワを中心にたびたびテロ事件が起きていますが、民族問題とは言え、どちらかというと問題の火種は少数民族を粗末にしている侵略者のロシア側にあると思いますが、一応ロシア側が官軍なので彼らの正義を押し通すまでのこと。間違っていようが考慮の予知があろうが、そこに躊躇や迷いがないのは「国を守る」ために不可欠な決断。「人」より「国」が優先するんだなと考えさせられますが、大方世界の「国家」や「国民」はこうした観念なんでしょうね。

 

 昨年末からかつての連合赤軍問題について考えていますが、連合赤軍事件の火が収まった頃、マレーシアのクアラルンプールやダッカで連合赤軍残党が人質事件を起こし、超法規的措置で逮捕されていた活動家を釈放する事件がありました。たしか、マレーシアのときは三木武夫、ダッカ事件の時は福田赳夫が総理大臣だったと思いますが、「人命は地球より重たい」の名言と共に、釈放した連中が世界各地でゲリラ活動を起こして多くの人命を奪うことになりました。

 同じ時期に同じように活動家によるハイジャック事件が起きたドイツの場合、軍を派遣して、瞬時に犯人達を射殺しています。日本の国内法の問題もありますが、これからの戦争形態が「テロ」行為が主体になるとしたら親権に考慮しなければならない問題だと思っています。

 人権問題というと中国が問題になりますが、民主活動家の拘束が世界的にも非難されたから劉氏がノーベル平和賞に選ばれたわけですが、これは主張する活動が「王道」であったからで、自爆テロという「覇道」に及んだロシアの場合、、国際社会は彼らの活動を擁護しません。

 危機管理が脆弱な今の政府なので、問題が起きないことを願っています。

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テロかもね

2011年01月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 モスクワの空港で爆発事件があったようです。手荷物を扱う区域での爆発らしく、多数の支障が出ているようです。
 テロ事件だろうか?国の内外に敵が多いロシアですから間違いなくテロ事件だと思いますが、最近の戦争は国対国ではなく、テロリスト対国家の戦いになっている感があります。
 世界がテロリストを問題視していますが、ロシア革命などテロそのものですし、中国共産党だって革命は銃口からと毛沢東が述べたごとく、テロリストの集まりのようなものでした。
 
 90年代の東側諸国の崩壊を見ていたら、流血で社会主義国家になった国は同様に流血で社会主義から脱出しています。ビロード革命と呼ばれる静かな革命を実現したチェコスロバキアのように、静かに社会主義から脱出しチェコとスロバキアの二つの国に分かれました。
 遠からず中国もテロによって国が分裂することでしょう。
 
 実際のところ分裂したソビエト連邦もまだ旧構成国とロシアのきな臭い状態は続いていますし、国内でも民族問題を抱えています。
 再びロシアが分裂するのだろうか?故に、強硬派の政治手腕が求められているのも現実で、これが更なる軋轢を生んでいるわけです。
 
 学生時代、言論の自由を抑圧すると、テロを持って自らの意思を主張するのが歴史だと教わってことがありますが、虐げられた少数の人たちにとって、テロは自分の正当性を主張する手段というのも事実です。
 無差別テロを容認する気は毛頭ありませんが、覇道には覇道で対抗するのも常套で、人をないがしろにした結果がこうした行為に結びついていると思います。

 戦後日本でも連合赤軍やオウム事件のようなテロと認識してもおかしくない事件がありましたが、あれはないがしろにされたというより妄想に取り付かれた狂人の仕業でしょう。

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123

2011年01月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 1月23日で123です。

 スキー場で、盲人のスキーヤーを見かけました。「盲人」と書かれた黄色いゼッケンをつけて、補助の人の声にしたがって滑っていましたが、安定して滑り方をしていました。目が見えないからスピード感が違うのか?なかなかスピードを出した滑りをしていましたが、補助員の人のすばらしさというのか、他のスキーヤーやボーダーがいない場所を上手に選んで誘導していました。

 リフト乗り場で並ぶとき、「日本人もまだまだ大丈夫だな」と感じたことがありました。どう見てもだらしない格好をして無頼漢のようなボーダーの若い人たちが、「誘導の邪魔にならないように小さな声でしゃべれ!」と、盲人の人たちが行動しやすいように気を使っていることを感じました。盲人スキーヤーは目が見えない部分を触感で補うことも多いので、ちょっと人と触れただけでもビクッと反応します。こうしたことにも気を使っていたように感じました。

 経済3流、政治は4列目でも国民は1流でありたいものです。

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黒い雪

2011年01月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 毎年のことですが、氷点下10℃以下の気温が続く時期ですが、ここから10日ほどが勝負です。

 寒さのためなのか?腹筋が緩んできたのか?坐骨神経痛らしく、腰が痛くなりました。首を左右に振るのは問題がありませんが、下に下げると腰に痛みが走ります。

 夜、寝るときにホカロンを腰に貼って寝ましたが、貼り付けタイプではないホカロンをパンツのゴムひもで抑えた状態で寝たので、朝起きたら行方不明になっていました。どういう寝相だったのかわかりませんが、足元にホカロンが転がっていました。

 

 ハルビンの友人から「今年は暖冬」とメールが来ましたが、氷点下30℃台は日常の土地、氷点下40℃を記録することが少ないだけのこと。

 自動車が増えたことや都市部のヒートアイランドが大きいのではなかろうか?と思いますが、大気中の砂塵や灰を吸い込んだ黒い雪が降ります。ダイヤモンドダストを見る機会も多くなりますが、はたして自然現象のダイヤモンドダストなのか?光化学スモッグで目がチカチカしているのか?深刻な環境問題だと思いますが、とりあえず街のたたずまいがきれいに整備されていることで「環境がよくなった」と勘違いしている市民達です。

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さむいよね。

2011年01月21日 | 日記・エッセイ・コラム

110121  ウラジオストクはロシアが長年捜し求めてきた冬でも海が凍らない不凍港の町。ロシアの中でも暖かい地域とされています。それでも、冬の最中には氷点下20度になることもあります。

 ウラジオストクは気温こそロシアでは温かい部類に入るものの、凍らない海が近くにあるために湿気を含んだ海風が吹いて、体感温度は数字の上でははるかに寒いはずの内陸シベリアよりも寒く感じます。

 日本人が感じている身震いするような寒さとは違う形の寒さがロシアにはあります。寒いというより痛い。

 氷点下20度と氷点下30度の違い。これは中国のハルビンで体感しました。氷点下20℃を超えてしまうと後は数字上の問題で大して変わりません。

 外に出て日向ぼっこをすると陽ざしが温かいのが氷点下20度。日向ぼっこしていられない寒さが氷点下30度。

110121a  モンゴルのウランバートルに厳冬期に行った時に氷点下50度を体験しましたが、瞬きをするとまぶたが凍りついたり、息を鼻から下に向けてそっと吐き出さないと顔面が凍りつくことになります。ヒマラヤの7000mでも問題なく使えたカメラの潤滑油が凍りつき、レンズをまわそうにもまったく動かなくなりました。

 ウランバートルの郊外は1300mの高地で風が吹きさらすので、風が吹くと身をかがめて吹き抜けるのを待ちました。風は湿度並みに体感温度に影響します。

 それでも人々は外に出て歩いていたり、陽ざしを感じるとその温かさが顔面に感じられました。人間という生き物は意外に強いかもしれないと感じたものです。

 雪のしんしんと降る夜は温かいもので、風が無いから雪が降り積もります。

110121b_2  雪の朝は幻想的な靄が立ち込めていて美しいものですが、これから通勤する人たちにとっては実が引き締まる思いでしょう。道路の混雑は必至です。

 雪の日、自動車のヒーターを入れるか入れないか?大きな決断です。というのも、車内の暖かさで硝子に降り注いだ雪が瞬時に溶けて次の瞬間凍りつきます。

 そのため、ヒーターを入れないで自動車に乗っている人も少なくありませんが、今度は車内乗っている人たちの体から発する湿気が車内の窓ガラスを凍りつかせます。

 溶けた雪で体を濡らすことが一番恐いことで、体さえ乾いていればそれほど数字上の寒さは気にならないものです。ししの末端が冷えるので毛糸の靴下は必須です。

 実際外はフリーズドライになっているようなものなので、塗れる心配もありませんが

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告別式でした

2011年01月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 交通事故で23歳で亡くなった従姉妹の息子の告別式に行ってきました。
 近所に住んでいたので、この息子の同級生や友人も顔なじみですが、久しぶりに見ると別人のように大人になっていました。
 事故から10回生きていたので、われわれ親戚は覚悟を決める時間がありましたが、連絡がつかず突然訃報に接した友人の中には「いまだに実感がわきません」と肩を落としていました。
 弔辞の最後はこの息子の婚約者が勤めましたが、残されたものが不憫だなと考えると共に、こうした儀式が残された者のあきらめのためにあることを考えさせられました。

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逆縁

2011年01月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 従姉妹の息子のお通夜に行ってきました。
 この斎場に来るのは3回目ですが、控え室になっていたのは2007年の年末にやはり交通事故でなくなった先輩のお通夜のときに使われていた部屋でした。この先輩と同じ位置に棺が置かれていましたが、棺の上には日本刀の模造品が置かれていました。3年前の先輩のときは私がプレゼントしたピッケルが置かれていて、このときの歯がゆさと、また別の歯がゆさを感じてしまいました。

 お通夜の席で机上に振舞っていた従姉妹の夫が「自慢の息子でした」とついに泣き崩れてしまいました。
 親より子供が、夫より妻が先に他界することは「逆縁」というのだそうですが、ある意味、本当の不幸を与えることかもしれません。

 こういう事態に同じ苦難に見舞われていても家族がいることはありがたいもので、妻や子供がどれだけ支えになるか?しみじみ思いました。

 とはいえ、いかなる事態でも自ら受け止めてやると決めている私にとっては心が揺らぐ瞬間でした。

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とうとう

2011年01月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 1月8日に交通事故を起こした従姉妹の息子(23歳)が、昨夜息を引き取りました。10日に見舞いに行ったとき、半分脳死状態でもう長くないことはわかっていましたが、とうとうこの日が来たかとむなしい思いがしています。

 今日、高校受験があった娘がいたので、昨夜病院で兄が亡くなったことを隠し、普通に受験に送り出したそうです。悲しむことより、厳しさが求められたこの何日かだったのでしょう。悔やみ後と一つ言わずどうやって毅然と装うか自問自答している姿を見る思いでした。

 夕方、遺体が運ばれた斎場に行ってきました。従姉妹夫妻は気丈に振舞っていましたが、それより不憫だったのは亡くなった息子の恋人で、弔問に訪れる人たちに「息子の嫁です」と紹介してもらう姿に、胸をかきむしられるような思いがしました。

 夏のお祭りのときにこの息子が「彼女です!」と連れてきたとき、「いよいよ孫の顔が見られるね!」「早く孫連れて来い!」と従姉妹夫妻と乾杯しましたことなどを思い出すと、こんな結末がなおさらつらく思えてしまいます。

 

 それにしても、若い人の訃報は生き残った人たちに残す傷が大きすぎる。「大往生でした!」と、赤飯炊くような葬式が望ましいです。

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寒かった!

2011年01月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日に引き続き雪が降りましたが、東の空には青い空が見えました。その淡い緑がかった青と、頭上の雪雲の対比の美しいこと。いい光景を見られた!と自分を慰めつつ、雪の固まりの上に乗り上げて動かなくなった自動車の床下をスコップでつつき、雪をかきだしました。

 

 家に戻ると、家の前の坂がテカテカに凍っていて、駐車場に自動車を入れることができない。歩くこともままならないほど見事に凍結しており、家の脇にためておいた砂をまいて滑り止めにしました。砂をまくとき、この冬2980円で買ったスパイク付の長靴に履き替えましたが、このスパイクが全然効かない。ソールのゴムは冷えて硬くなって粘着力がない。雪かきをする短い時間でしたが、ソールのそこから冷たさが染み渡ってきて防寒機能がない。安物の中国製ですからこんなものなんでしょうが、以前使っていた日本製のスパイクはこんなことがなかった気がします。

 冬の恒例行事といえばそれまですが、唯一の救いは幻想的な光景に出会えたときで、自然の猛威も時々楽しませてくれます。

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