野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

夏の野々池

2011-08-16 06:50:43 | 野々池周辺
夏の野々池は、空の色が美しい。
何時もは、野々池貯水池の水など見みていないが、たまに見るのも良いものだ。
貯水池の上は何時も風が吹いているのでウォーキングの涼みに丁度良い。

この季節、朝の5時~8時、夕方の7時以降の涼しい時間にウォーキングする人が多い。
朝8時30分近くになると、野々池中学運動部の女子生徒が「イチニサンシ、イチニサンシ・・」のランニングが始まる。
昼前後にウォーキングしていると、野々池中や明石南高の吹奏楽部の練習音が聞こえてくる。朝から夕方まで練習しているようだ。
ゆっくり歩いている人、早足ウォーキングする人、ジョギングする人、其々の服装だが、女性は日焼け防止のフル装備なので暑そうだ。
でも、朝一番涼しい時にウォーキングしている人を見ると、今日も元気に過ごそうと思う。

盆明けの16日、地獄の蓋が開いて日なのでケンカするなと小さい頃良く言われたことを思いだした。
今日も暑い一日になりそうだ。


南西側の内周路から北側を見る。
貯水池周りは鉄のフェンス、上には有刺鉄線が張ってあるので、貯水池の中には侵入できない。
常時、水道局の見回りが実施され、貯水池はカメラの監視とマイクが設置されている。
9.11テロの後、野々池周りにロープが新設されていたが、今は取り外された。
右に野々池中学校、前方に二棟のマンション。
ウォーキングは此処の後方約200m前付近の外周路からスタートする。



中央付近から、神戸造形ファッション大学と二棟のマンション、その左が県営の高層住宅。
雲が水面に映って奇麗だが、貯水池の水はこんなに青かったのかな。


中央に見える塔は明石大橋の淡路側主塔。右側に淡路島の遠景。


マンションの左側の塔は明石大橋の舞子側の主塔。


北側の一番端から明石市の沢野町と南側前方を見る。


同じく、北側の一番端から神戸市西区の中野側を見る。


鯉が放流されているが、水面にこんな数の鯉が集まっているのも珍しい。
最近見なくなったが、魚釣りの若者がいたようだ。「魚釣り禁止」の看板あり。
暑くなると、甲羅干ししている亀の姿も良く見る。
ここの亀は多分、家庭で飼育されたものを放流したのか、フェンス近くに寄ると勘違いして寄ってくる。


山手側遠景は西神南の高層。


その左側遠景は西神中央の高層建物群。
高めに位置するので、同じ西区でも気温が違うのは納得。


南左側遠景に大久保のゴルフ練習場「リンクス」
明石以西でゴルフをすることが無くなったので、ここ5年程「リンクス」に行っていない。
右側の丘は明石市に残った数少ない小山。この森には、色んな種類の鳥が住んでいるようだ。


時たま、近くの大久保の松陰付近からモータパラグライダーが飛ぶ事がある。


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精霊流し

2011-08-14 06:50:05 | 故郷
島原の「精霊流し」

昨年の盆は、母親の初盆だったので精霊船の担ぎ手として帰省した。

島原地方では、伝統的に、地区の何処かに初盆の家があると、必ず精霊流しが実施されてきた。
8月15日が「精霊流し」なので、その前日までには帰省する。
島原に住んでいた頃は、前日の精霊船作りにも駆り出されていたが、今度は担ぐだけだ。

竹と麦ワラで作った精霊船に、島原独自の切子灯ろうを飾り付けた、独特の精霊流し。
もう大分前から麦藁の入手が困難となってきて、この麦藁調達が一仕事になる。

14日午前中、精霊船作りはベテランの漁師さんが造り手の棟梁となって、分業で進む。
今はどうか知らないが、約40年以前は、広い敷地の家の庭先を借りて涼しい木陰で酒を飲みながら作業だったと記憶している。
明治の頃は、生家の庭で精霊船を造っていたらしく、当時生家が酒屋を営んでいた事もあり、酒には事欠かなかったとは、既に精霊船で旅だった長老の昔話。
精霊船造りは、炎天下汗だくの半日仕事だ。
船の名前は「西方丸」。
油紙に「西方丸」と書いた帆をかかげる。 

初盆の家には、近隣や親戚から贈られた灯篭が座敷一杯に天井から吊り下げられている。
だいぶ前までは、丸提灯だったが、今は切子灯籠に変っていた。

夕方になると、墓に提灯をぶら提げての墓参りする。 そして、夜になると酒盛りが始まる。
今は、近所のスーパーで出来合いの肴を購入しているが、だいぶ前までは、全部家族の手作りだったので、母達の作業は大変だったろうと思う。

15日の昼前に、贈られた切子灯籠を車に積んで(数が多いので、これが大変な作業だ)、出来上がった精霊船に灯籠の飾り付けが始まる。
切子灯籠なので、灯籠同士が絡まらないように、またお世話になった人の優先順序に従って、精霊船の先頭から順番に灯籠を取り付ける。
まだ、日中の暑い盛りの作業で、飾る灯籠の順番を確認しつつ、汗がビッショリト媚びつく。

初盆の家の数に応じて、飾る灯籠の数が決まるが、昨年は一軒だったので、生家の決めた順番に取り付けた。
これまでの作業が一仕事終わると、また、墓参りに出かけ、6時前ぐらいから灯籠のローソクに灯を付けに出かける。

担ぎ手は、近所や親類の若手が主に担当するが、兄弟で一番若いこともあり、担ぐことになった。
集まる担ぎ人には、ビールが出されるので担ぐ前から疲れてしまう。

町内会会長の合図で動くことになるが、結構の重さだ。
担ぎ手の「ナマイドー(南無阿弥陀仏)」の掛け声の中、精霊流しの集合場所に行く途中、実家で一度立ち止まり、また酒がでる。
流し場までの道中、約1kmほどあるが、「ナマイドー」、「ナマイドー」と繰り返しながら進む。

今もそうだが、精霊船には初盆の家や近所の家から盆の供物も一緒に積み込む。
また、船の舳先から横に設置してある、竹製の線香立てに線香を立てる。
以前は、丸提灯だったこともあり提灯のローソクに火が入ると、担いだ精霊船が大きく揺れるに伴い提灯も揺れる。
運が悪いと、提灯に火がつくこともあったが、今の切子灯籠になってから担いでいても灯籠の揺れが少ないようだ。

市役所で事前に決められた指定の洗切波止場に、三会地区の精霊船が集結する。
早く着いた順番に満潮時の海に流す。
有明海は遠浅なので、満潮にならないと船は沖に出せない。
昨年の精霊船の数は、約10隻位だったと記憶しているが、洗切波止場に着くと既に暗くなっており、着くと同時に爆竹が破裂する。
爆竹は、精霊船が着くごとに鳴らされ、終了するまで続く。

レコーダーマイクから厳かな読経が流れ、精霊船は岸辺を離れて、西方浄土に向けて静かに暗闇の海面に流れる。
海に入ると、漁師の船で沖合まで曳航し、暫くは沖合に止めるようだ。
その後、精霊船は集められ燃やしてしまうと聞いた。

大分前は、地区ごと集めることはせず、町内毎の決めた場所から、若手が泳いで沖まで精霊船を連れて、その後漁師の船で沖合まで引航していた。
満潮から引潮にのって、精霊船は可なりの沖合まで流れ、熊本近くまで辿り着く船もあったようだ。
夜の沖合に、何隻もの精霊船が灯籠に灯をつけたまま、漂流している姿は幻想的だ。
満潮時の潮が打ち寄せる音と、海の砂には青く光る生物が波の動きに同調して動く様子は、まことに持って幽玄の世界だった。

大堤防ができた後、砂浜は無くなってしまったので、この光景はもう無い。

精霊流しが終了すると、精霊船は集めて燃やすとのことだが、以前は暫くそのまま漂流させていたので、翌日の満潮時には近くまで精霊船が流されてきた。
これが、泳いで行ける場所にあるので、格好の遊び場だった。 
  



今も昔も、精霊船造りは麦藁と竹で作る。
町内会の寄合い作業だが、夏場の炎天下の作業なので、大変な仕事だ。
船の長さは約10m弱。










15日の午前中、涼しい時間に灯籠の飾り付けをする。
先頭から、決められた順番に沿って家紋付き切子灯籠を二段、両側に取り付ける。
何にしても、暑い。







精霊船を担ぐ前に、全ての切子灯籠のローソクに火をつける。
切子灯籠は良くできていて、家紋のついた個所を少し上げてローソクに火をつける。




西方浄土への旅立ちが始まった。
若手が中心の担ぎ手となるが、初盆側の担当として、後ろ側を担がせてもらった。
余り荷重がかからない場所だったが、これが結構重い。




実家の前に小休止し、酒が出る。
皆が大きな声で、「ナマイドー(南無阿弥陀仏)」「ナマイドー(南無阿弥陀仏)」と繰り返してくれた。



三会地区の精霊船の集合場所である、洗切の波止場に一番に到着。
すると、爆竹がなった。
全ての精霊船が集まるまで暫く休止。
他地区の精霊船が到着する度に、ひっ切り無しに爆竹がなる。
海に流す前に、爆竹が鳴る中で広場内を数周して海岸に担いで行く。



精霊船を流す時間になると、爆竹の音と、テープレコーダから流れる読経の中で、西方浄土に向けて流す。
灯籠の火は付けたままだ。
流し終わると、帰宅し、またビールを飲む。
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ヤマハではダメなんですか 

2011-08-12 06:55:52 | 二輪事業
たまたま見つけたブログに、マレーシア在住の日本人の方だろうと思うが、的を得た処があったので転載してみた。
以下は、ブログの管理人とバイク屋との会話であろうが、エンスーの気持ちが良く表現されている。

先日、バイク屋さんのおやじさんに言われた。

 「なぜヤマハじゃだめなんだ!?」

 英語でもマレー語でもこうした複雑な思いはうまく言うのが難しい。まあ、ヤマハがダメとは思わない。良い二輪車だとは思う。
 ほとんど壊れないし、スタートダッシュも速いのは毎日見て知っている。二人乗りしてもスズキ君より速い。
 排気量など1割ほどしか違わないにも関わらず。
 きっと燃費だってとても良いだろうし音も静かだ。それに新車でも安い。
 あれが日本円にして15万円で買えるなんて実のところちょっと信じられないほどだ。

 こうして考えるとダメな理由なんて何もない。ヤマハは良い。乗っていたことがあるから実感としてよくわかると言う事もある。
 けれど、ヤマハは単なるヤマハなのだ。それ以上でもそれ以下でも何でもない。ヤマハだ。

 それ以上は説明のしようが無い。

 昔は(実は今も)レースでよく勝っていた。
 だからそれなりの何かが無いこともなかったと思う。でも商品になって出てくる二輪車は工業製品的な臭いの方がだんだん強く
 なってきたように感じられた。
 今は売れなくなってきたからか、あまりクセの無い長く売れるモデルばかりを並べているようだ。
 破綻の無い流れるようなラインで構成されたカッコ良さ。
 どちらかと言うと無難なカッコ良さ。

 そうして眺めてみると、ヤマハとホンダとスズキなどはどれでもかまわなくなってくる。
 値段とカタログ・スペックで馬力がちょっとだけ高い方、ちょっとだけ軽い方、そうやって選べば良いわけで、
 別にヤマハである必要はない。
 だからどれも選ばないし選べない。安さでDemakでも構わないじゃないかと思えてくる。

 生活必需品ではないので、それだったらヤマハは要らないと言うところに落ち着くだけだ


マレーシアは、シンガポールと同様に東南アジアの中では平均所得が高く、先進国と同じような購買層がいるということだろう。
しかし、殆どの東南アジア諸国のモペット購入の主目的は、モペットは生活出需品で、かつ財産だから中古価格の高い方に売れ筋がある。だから、圧倒的にヤマハやホンダが主流で、二社で90%以上のシェアだ。この話を書きながら、「ドゥガッティ」が浮かんできた。

「Ducati 796」

すべてはスリルのためにアグレッシブなモタードスタイルとスポーツバイクのテクノロジーを高次元で融合。
操縦性の高いライディングポジションにより、ハイパーモタードは冷静なロードマナーから熱狂的なワイルド走行まで、さまざまな走りのシーンを縦横に駆け抜ける


ドゥガッティは世界スーパーバイク選手権(WSB)を争っていた時の競争相手だ。
だから、何度もドゥガッティの名前を聞いたし、当時イタリア人で運営されていたWSBにおけるドゥガッティマネージメント戦略の巧みさは見事だった。今、ドゥガッティは二輪レース界でホンダに比す王者に成長し、かつ魅力ある製品の販売投入でユーザーから絶対的な支持を受けている。戦略は当たった。

自動車の顧客満足度調査で有名な、「J.D.Power」がある。調査結果は広く告知され、企業側の宣伝に用いられることも多いことから、特に北米においては自動車メーカー・自動車ブランドの評価・イメージや販売実績に与える影響が大きい。消費者の製品選択においても大きな影響を与えている。米国人はこの調査者に認定されたことを自慢にするらしい。評価者への対価はたった1米ドルだ。だから、四輪の開発担当者の開発目標は、「J.D.Power」で問題を指摘された項目を次年度の大きな改良ポイントとして開発に専念すると聞いたことがある。顧客満足度調査は、単なる品質レベル調査だけではなく、サービス、車の値段、メーカの対応等々、全ての分野における顧客満足度評価なので、米国においては決して無視できない。「J.D.Power」が二輪の顧客満足度調査をした分析概要を見た事がある。日本の4メーカに加え、ハーレーダビッドソンやイタリアのドゥガッティ等も調査された。

顧客の購買理由から、各部位の満足度、そして再購入するか否か等がポイントとして評価されており、顧客の購買意識に対する感触が実にリアルに調査されてくるから、顧客がもつブランド意識を知る上で、有効な手段として認識せざるを得ない。そして、それは各メーカの同コンセプトマシングループ毎のランク付けとして表現されるので、結果的に自ずと競争相手との彼我の比較評価となっている。

「J.D.Power」の米国二輪調査で、高い評価を得ていたのがハーレーダビッドソンとドゥガッティだった。
ドゥガッティが米国のユーザーに、そのブランドを深く浸透させつつある資料を見たとき、ドゥガッティのブランド戦略の成功を感じた。米国だから、ハーレーダビッドソンは頷ける。だが、ドゥガッティがそこまでのエンスー顧客を掴んでいるとは思っていなかったので、ビックリした。もう、7、8年前の事とだ。

米国、2011上半期の二輪販売実績表が公表されたが、それによると、
「ボローニャのドゥガッティ2011年上半期」では、ドゥガッティの販売台数は5200台で、63%もの大幅な伸長を達成している。その成功の背景にはMultistrada1200、Diavelの販売好調があるという。アメリカではドゥガッティのモデルラインナップの拡充政策がうまくいっているようだ。まだまだ、台数は圧倒的に少ないが、何処を責めるかが明快なので、これからグイグイ攻めて来るだろう。
強い戦略を持ったことは次に繋がる。低迷した市場で、伸びる要素をもったブランドは勢いがあるのでドゥガッティの伸び代は期待できる。ランチェスターに言う弱者の戦略を実践している二輪メーカだ。

25年前の「トップ・ガン」で、トム・クルーズが乗っていたのはカワサキのGPZ900R。
この前見た、バットマン「ダークナイト」でブルース・ウェインの愛車はMVアグスタだったと思う、「Mi-2」ではトライアンフとドゥガッティだった。日本車でなければ成らない理由は乏しくなってきたようだ。

ドゥガッティのブランド戦略を、飛躍的に伸びている東南アジア市場に適用すれば以外と面白い展開と結果が出るかもしれない。
インドネシアやベトナム等の巨大モペット市場で弱小企業の生きる道を暗示しているようにも思えるからだ。何も、ホンダやヤマハに対抗する必要性はない。1,000万台市場で7%のシェアは70万台。ここ数年、稼げる市場は新興国のみだけど、資本主義で明るい性格の国での二輪はもっと伸びるだろう。


余談になるが、メーカが独自に実施する満足度調査がある。
メーカが実施する満足度調査結果と、「J.D.Power」の顧客満足度調査との間に大きな差異が出る場合があるかもしれない。
また、メーカが実施する調査の方が高い顧客満足度結果が出易いともいう。その理由を、大坂大学の狩野教授が「サンプルのかたより」と言ってNHKの「ためしてガッテン」の番組で上手く説明していた。どれを採用するかは、メーカの置かれた環境に依るだろう。
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健康診断

2011-08-10 06:55:42 | その他
昨年の5月から約1年が経過したので、8月初めに体のチェックに行ってきた。
今回は、血圧測定、血液検査、胸のX線写真を循環器科クリニックで、別の胃腸科クリニックにて胃内視鏡とエコー検査を実施した。
検査結果は、いずれも「問題なし」であった。

昨年は、風邪気味だった事もあり咳と痰が止まらず、明石医療センターにて胸部CTと胸部X線撮影をしたのに加え肺機能検査まで検査した。
何れも問題なく、呼吸器専門クリニックにて10日間ほど投薬してもらったら簡単に治癒した。

今回は、単に検査だけなので胸部X線のみだったが、何等問題なし。

X線写真を見て何時も気になることだが、X線撮影画面に肋骨の折れた跡が鮮明に映っている事である。

現役時の冬、酒を飲み過ぎての帰り道、フラフラしたので野々池の登り口で自転車を降りたのだが、不覚にも大転倒した。
その時は、ただ痛いなとしか記憶していない。

しかし、翌日、咳をしたら、今まで経験した事がない程、胸部に痛みが走った。
その痛さ加減たるや、表現するも憚るぐらいの痛さで、涙がでた。
近くの外科でX線撮影すると、上から7番目の肋骨がスパット斜めに折れている。

肋骨が折れても、何の手当ても出来ないので、唯々胸部を固定してほっとくしかない。
だが、咳やクシャミをすると激痛が走るので、極力しないで済む術を覚えた。
そのうち、肋骨はくっ付いたが、斜めにスパット折れて状態で繋がったので、X線撮影すると医者から毎回指摘される。
一生の恥さらしの痕跡として、残ってしまった。

血液検査結果は、総ビリルビン値が基準値上限にあったが、その他の項目は基準値の真ん中に星印があって、看護師さんもビックリしていた。
何時も気にしている項目値として、総コレステロール値がある。
昨年の総コレステロールは170であったものが、今回は195に上がった。
基準値は130~219であるから、数値上は何等問題ない値であるが、一年で170が195に上昇したのが気になった。

現役時の値は210~230で、少し高めかなと気になっていた。
しかし総コレステロール値は高い方が長生きする可能性が高いとの大学教授の説もあり、高い事は良いことだと勝手に判断していた。
それが、昨年は一挙に170に下がり、当然基準値のど真ん中だが、どう判断して良いのかと心配していた。
多分、ウォーキングによって現役時に比べ運動量が相当増えたので、その効果であろうと考えてみたり、また女房が言うには「まずい食事が多くなったからか」とも考えてみたが、
今回は195だ。HDL値は基準値の真ん中より少し上だからマー良いか。

腹部エコー検査も「問題なし」。
肝臓、胆嚢、膵臓、腎臓などの腹部内臓器等のポリープ有無や心臓の弁膜状態が分かるらしい。

胃内視鏡は、昨年もそうだったが、鼻の穴からカメラを挿入した。
事前に、鼻に麻酔し、腕の上部筋肉に注射しておくが、この注射が少し痛い。

胃内視鏡による結果(食道、胃、十二指腸)は「今回も異常なし」。
昨年は青色の色素を散布したり生検を取ったりしたが、今回、医者は何もしなかった。

咽頭部に少し違和感があったので、注意して見てもらったが問題無し。


昨年実施した大腸ファイバーは問題なかったので、今回は検査せずにパス。

検査する前は胃や腹部付近に何となくすっきりしない感じが心持ちあったが、検査後は何の違和感も感じない。
酒の量も「現状で可」の結果が出たわけだ。

以上、クリニックでの検査めぐりでした。

循環器検査は西明石の「織田クリニック」。
胃腸検査は玉津の「ももいクリニック」
両クリニックに、ここ数年お世話になっている。


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カワサキ 14年振りのタイトル獲得はどうなった

2011-08-08 06:51:29 | モータースポーツ
全日本モトクロス選手権は第5戦菅生大会(8月7日)で半分を消化した。
第1戦世羅大会で、カワサキは幸先のよいスタートを切れたので14年ぶりのタイトルに近づいた、と期待していた。

で、第4戦までの結果は、1位=成田(176点)、2位=熱田(成田との差-12)、3位=新井(成田との差-37)となっており、
カワサキファクトリーは第3位だが、実質、成田と熱田の上位2名が首位争いしており、新井以下は非常に混戦状態で目が離せない。
結構エキサイティングのレースのようにも見えるが、レース展開からみると新井は可なり苦戦だろう。・・・と見ていた。

そして、第5戦菅生の結果はこうだ。
ヒート1 成田ー熱田・・5位新井
ヒート2 成田ー熱田・・5位新井
成田と新井のポイント差は55ポイントに広がった。
カワサキの14年振りのタイトル獲得はかなり難しくなったようだ。

ところで、14年前と言えば、1997年、カワサキワークスのジェフ"チキン"マタセビッチがチャンピオンになった年だが、
それ以降、カワサキは全日本最高クラスでのチャンピオンを獲得していないと言う事か・・・・・・・。


「往年のカワサキのワークスライダー」
こうして見ると、カワサキは個性的なライダーが多いな~。

 カワサキワークスライダー :岡部選手、立脇選手、伊田選手、野宮選手。
(中尾省吾さんのブログより借用)

  



 カワサキワークスライダー :安井選手、山本選手、従野選手、清原選手。
Samさんのブログより借用)

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世界スーパーバイク選手権

2011-08-06 06:35:16 | モータースポーツ
世界スーパーバイク選手権(WSB)のレースも9戦が終了し、残り4戦になったところに、ビックリするニュースが飛び込んできた。
ヤマハは2011年末をもってスーパーバイク世界選手権からファクトリーチームが撤退するとのことだ。「ヤマハ・ワールド・スーパーバイク・チーム 2011年シーズン末で活動を休止」


ヤマハチームは第9戦英国のシルバーストーンサーキットで良い成績を挙げ、残り4戦で何処まで順位を上げ得るか興味があった。
唯一、日本メーカーで欧州メーカーのチームに対抗していたので興味があったのだ。だから、非常に残念だし、寂しい思いがする。スーパーバイク世界選手権においても、今だ収まらない経済不況が二輪レースに影響を与えたようだ。ヨーロッパ全土を襲う販売不振、それに伴うマーケティング戦略の見直しによる撤退だという。

今季、ヤマハ発動機発表の上期の営業利益は、新興国が345億(利益率9.4%)で、先進国は予想より122億好転したが49億の赤字、全体としては415億の黒字で予想より165億も好転しているのに、ファクトリー参戦を中止するという。確かに、ヤマハの欧州向け売上実績は、前回予想より4.5%程悪化しているが。

ヤマハのスーパーバイクチームは、ヤマハ発動機本社ではなくヤマハモーターヨーロッパとして、ヨーロッパ内の代理店、マーケティング部門の活動として運営されている。この地域の市場が減収減益になり、ヤマハNVはチームを存続させるに十分な資金を得るには程遠かった事なんだろう。

撤退発表は、何の前触れもなく突然だった。チーム、ライダーを始め、ロードレース界に大きな衝撃をもたらすだろう。

だけど、此処までのヤマハの戦績と実力であれば、今年のドガッティチームのようにファクトリ参戦を中止しても十分勝てる見込みがあると判断したのかもしれない。過去もそうしたように、優れたチームと優れたライダーにマシンとサポートを提供する事は続けるとある。ヤマハ本社の関与は大幅に縮小するかもしれないが、タイトル争いに絡める実力を維持する事は十分考えられる。

また、スズキもWSB撤退の噂が流れているようだ。
スズキの決算発表では、四輪と違い二輪は赤字決算を計上し、2012年3月期は黒字化したいとあるのでレースにも影響しているのかもしれない。かって、グランプリレースの常勝チームであったスズキは、競争相手垂涎の的であったマシン「RGΓ」をもって連戦連勝だった。アメリカにおけるスズキの地位は「スーパーバイクと言えばスズキ」と呼称されていたほどだ。
あのスズキは何処に行ってしまったのか。

一方、ドガッティは2012年型の新型スーパーバイクマシンを既に発表し、来季はファクトリー体制で参戦するらしいとの報道もある。ドガッティは、海外生産工場をタイ国に建設する計画が昨年末に報道されていたので、今頃は生産開始の準備段階にあるかもしれない。なんで、こうも欧州勢は勢いがいいのか。

しかし、どうなんだろう。

MotoGPが興行的要素が強くなり勝つ事だけの狭い世界に特化しつつある中、かつ頻繁なレギュレーション変更もあって、資金力の乏しいメーカが戦うには極めて不利な条件となった。資金力の差は技術力構築の差に直結するので、資金力の乏しい二輪メーカは、四輪のF1と同様に参戦したくとも避けるべき分野となっている。MotoGPの分野ではホンダ、ヤマハ、ドガッティによる実質3社の競争を呈し、ここでもスズキの低迷には目を覆うばかり。

一方、技術志向型(性能数値優先志向)の二輪を主に市場に出してきた日本の二輪メーカにとって、技術力を最も具現化できるモータースポーツは避けて通れない。スーパースポーツ車の各社コンセプトはほぼ同一でも、一般市販車である以上、具体的な設計展開となるとは各社異なっているので、性能ポテンシャルの優劣は判断しがたい。

スーパーバイクレースでの戦闘力を保有し一般ユーザーが乗りやすい市販車として設定するか、あるいはWSBとしての戦闘力よりも市販車がサーキットで最も早く走行できるように設定するかは、各メーカの設計思想次第だけに、市販車としての競争力がWSBでの戦闘力に直結しているとは限らない。従って、各市販車の秘めたる戦闘力は、WSB等のレースにて同一条件で競争し結果を出し、ユーザーに訴求し続けるしかない。唯、それはユーザーが性能優先の車を求める場合の一判断材料でしかないが、WSBで戦闘力の高いマシンと同じ車を持った優越感はあると思う。

MotoGPがF1と同じように、ある意味サーカスのようなレースとは異なり、WSBはユーザーが購入し得る市販車と同じマシンで優劣を争うのである。自分が保有する車の優秀性が立証されれば嬉しいはずだろう。

劇場型のレースより参加型のレースの方が、よりユーザに近い存在であることは間違いない。日本でのモータースポーツは流行として捉えがちだが、、欧米の定着したモータースポーツ文化をメーカーも一緒になって守っていく必要性はあると思う。

また、WSBにおいては標準タイヤが指定されており、タイヤによる操縦安定性の影響を論じても意味があるようには思えない。仮に日本車の操縦安定性がタイヤ性能に依存しているとすれば、どのタイヤ装着でも許容力が高い欧州車の方が基本ポテンシャルは高いと判断されるかもしれない。所謂、欧州車の方が懐が深い性能に仕上がった車と評価される。

でも、MotoGPにおける最近のホンダマシンをみる限り、RC212Vのコーナリングスピードは驚嘆する程に優れているので、日本車も技術的には完成しているのだろう。WSBにおいても、早晩日本車がトップになるための時間はそんなに掛らないと思っている。

しかし、折角多くの二輪メーカが参加し活況を呈してきたWSBから、二輪の大メーカーであるヤマハが撤退する事は低迷している欧州の二輪需要に水を掛け兼ねない。「ヤマハは二輪モータースポーツへの観客動員数推移」から、二輪ユーザーの潜在性を判断してきたメーカーだ。

一方、低迷しているチームにとっては、上位に登る絶好のチャンスが訪れたことになる。
一部のメーカが撤退してもWSBのレースが無くなるわけではないので、自チームの優位性を証明する絶好の機会が増えたのだから、利用しない手はない。

危惧すべきは、ヤマハに続いてスズキもWSBから撤退すれば、それを理由に、同様に欧州販売に苦慮しているメーカが撤退理由を作ってしまう可能性を否定できない事である。そうならない事を願うばかりだ。





■開催日:2011年7月31日(日) 決勝
■開催地:イギリス/シルバーストーン
■天候:曇り時々晴れ
■観客数:64,000人

SUPERBIKE - Race 1結果

1. Carlos Checa (Althea Racing) Ducati 1098R 38'06.477
2. Eugene Laverty (Yamaha World Superbike Team) Yamaha YZF R1  38'09.781
3. Marco Melandri (Yamaha World Superbike Team) Yamaha YZF R1  38'11.259
4. Leon Haslam (BMW Motorrad Motorsport) BMW S1000 RR 38'13.593
5. John Hopkins (Samsung Crescent Racing) Suzuki GSX-R1000 38'17.534
6. Sylvain Guintoli (Team Effenbert-Liberty Racing) Ducati 1098R 38'28.376
7. Joan Lascorz (Kawasaki Racing Team) Kawasaki ZX-10R 38'28.785
8. Maxime Berger (Supersonic Racing Team) Ducati 1098R 38'29.211
9. Troy Corser (BMW Motorrad Motorsport) BMW S1000 RR 38'31.968
10. Ayrton Badovini (BMW Motorrad Italia SBK Team) BMW S1000 RR 38'32.202
11. Max Biaggi (Aprilia Alitalia Racing Team) Aprilia RSV4 Factory 38'32.321
12. James Toseland (BMW Motorrad Italia SBK Team) BMW S1000 RR 38'52.055
13. Roberto Rolfo (Team Pedercini) Kawasaki ZX-10R 38'58.127
14. Jon Kirkham (Samsung Crescent Racing) Suzuki GSX-R1000 39'03.787
15. Leon Camier (Aprilia Alitalia Racing Team) Aprilia RSV4 Factory 39'42.934

RT. Fabrizio Lai (Castrol Honda) Honda CBR1000RR 25'55.384
RT. Mark Aitchison (Team Pedercini) Kawasaki ZX-10R 21'23.662
RT. Noriyuki Haga (PATA Racing Team Aprilia) Aprilia RSV4 Factory 19'05.488
RT. Jakub Smrz (Team Effenbert-Liberty Racing) Ducati 1098R 13'49.436
RT. Alexander Lowes (Castrol Honda) Honda CBR1000RR 10'46.507
RT. Michel Fabrizio (Team Suzuki Alstare) Suzuki GSX-R1000 2'06.045

SUPERBIKE - Race 2結果

1. Carlos Checa (Althea Racing) Ducati 1098R 38'03.361
2. Eugene Laverty (Yamaha World Superbike Team) Yamaha YZF R1 38'05.635
3. Marco Melandri (Yamaha World Superbike Team) Yamaha YZF R1 38'07.036
4. Max Biaggi (Aprilia Alitalia Racing Team) Aprilia RSV4 Factory 38'07.321
5. Leon Camier (Aprilia Alitalia Racing Team) Aprilia RSV4 Factory 38'07.766
6. Sylvain Guintoli (Team Effenbert-Liberty Racing) Ducati 1098R 38'14.319
7. John Hopkins (Samsung Crescent Racing) Suzuki GSX-R1000 38'14.748
8. Leon Haslam (BMW Motorrad Motorsport) BMW S1000 RR 38'14.857
9. Michel Fabrizio (Team Suzuki Alstare) Suzuki GSX-R1000 38'15.608
10. Ayrton Badovini (BMW Motorrad Italia SBK Team) BMW S1000 RR 38'23.066
11. Jakub Smrz (Team Effenbert-Liberty Racing) Ducati 1098R 38'23.114
12. Maxime Berger (Supersonic Racing Team) Ducati 1098R 38'24.943
13. James Toseland (BMW Motorrad Italia SBK Team) BMW S1000 RR 38'30.596
14. Mark Aitchison (Team Pedercini) Kawasaki ZX-10R 38'34.063
15. Jon Kirkham (Samsung Crescent Racing) Suzuki GSX-R1000 38'45.940
16. Fabrizio Lai (Castrol Honda) Honda CBR1000RR 38'46.781

RT. Roberto Rolfo (Team Pedercini) Kawasaki ZX-10R 36'54.601
RT. Troy Corser (BMW Motorrad Motorsport) BMW S1000 RR 26'05.082
RT. Alexander Lowes (Castrol Honda) Honda CBR1000RR 15'16.934
RT. Joan Lascorz  (Kawasaki Racing Team) Kawasaki ZX-10R 12'48.104
RT. Noriyuki Haga (PATA Racing Team Aprilia) Aprilia RSV4 Factory 15'28.127



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鈴鹿8耐

2011-08-04 06:50:07 | モータースポーツ
鈴鹿8耐を、USTREAMとソーシャルストリームを見ながら観戦した。
観戦したと言うより、ライブのラップタイムとツイッターによる実況が実に面白いのだ。レース場にいても、結局、レース展開が実質分かるのはライブタイム表示によるわけだから、これにツイッターによる観客の主観が手短に加わると、戦闘状況良くわかる。

今年のレースエントリー台数や観客は一時に比べれば格段に減少したが、それでも55,000人/(日曜日)の観客動員数。
一番動員数の多かった時期は16万(消防法の関係で表示は16万人、実質20万か)だけど、16万は流行の絶頂期にあっただけで、それに比べれば少なくなっただけ。1日に6万人もの集客をする催物なんかそう滅多にあるものではない。二輪のレースで6万も集まれば立派なものだ。エントリーはホンダ車が圧倒的に多く、モータースポーツ分野の盟主は相変わらずホンダだが、そうあって欲しいと思う。しかし、17、18年前のライダーがトップを走行しているのは気になるな。

ホンダに対抗しうるチームは、唯一ヨシムラスズキだけになった。
ヨシムラスズキ、鈴鹿8耐第一回大会の優勝者であり、2009年大会の優勝者でもある。確かに、ヨシムラが優勝チームとして再び脚光を浴びる事自体素晴しいとは思うが、世界に冠たる二輪メーカの主力が参加しないモータースポーツには興味が半減する。鈴鹿8耐は日本を代表する二輪モータースポーツの、その頂点にあることに変わりないのにだ。

1993年から1997年まで、オフロードに加え、ロードレースも担当した。
その間、鈴鹿8耐に勝つ事のみを考えてきたが、当時の8耐は観客数に若干の陰りは見えても、日本の二輪メーカーにとって最大級のレースであり、マスコミの取上げ方も半端ではなかった。だからこそ、二輪モータースポーツの頂点に立つべく、1年前から必死に作戦を練り、チーム組織を鼓舞して戦った。そこに世界最高レベルの二輪レースがあるから、そこの頂点に立つことを単純に目指した。

勝てたら目的を最大級に達成出来るし、仮に優勝出来なくとも、トップに極めて肉薄したレースを展開できたら次善の結果である。
「勝てるか」との質問を受けることが度々あったが、勝つための戦略や戦術を仕組んできたので「勝つ可能性はある」と回答してきた。
相手も当然勝つ戦略を練ってくるので、当然相手も勝つ可能性はある。だけど、実際のレースでは少しでもミスした方が負け。競争相手も同じ境遇だった事は、ホンダの「8耐の本質と10回の敗北」に少しだけど記述してある。

勝負は、運が良かったなと思う事はあっても、運だけでは勝てない。
相手の欠点を判断し(例えば、ライダーの組合せ等)、彼我の比較をする事で、ある程度の勝負の確率予測はできる。8耐の担当期間中(’93~’97)、優勝が一回、残りの4回はトップと同周回数の2位、もしくは3位の表彰台だった。レース予算が当方の10倍強のチームと互角に戦えたので、個人的には次善の評価をしている。

がしかし、トップへの8耐報告会は相当つらかった思いばかりが残る。
そう簡単に、8耐は勝てないよ。


鈴鹿8耐はFIM世界耐久選手権の一レースだった事もあり、フランスのボルドー24時間耐久レースも観戦する機会を得た。
ボルドー24時間と鈴鹿8時間は、耐久時間においては相当の開きがあるが、耐久レースと称せど、そのレース内容は根本的に異なっていた。どちらがより難しいレースかとの単純な評価はかなり困難だが、実際のレースを戦った担当として言えば、鈴鹿8耐の方が遥かに神経を酷使するレースであった事に間違いない。ボルドー24時間は、その耐久時間の長さから戦い方は8時間と根本的に異なり、例えエンジンに不具合が発生したとしてもエンジンを交換して走れば良いのだ。それでも入賞あるいは三位以内に入れるかもしれない。鈴鹿8耐は一秒の遅れを喫したらまず勝てない。まさに神経戦だ。一秒の失敗が勝敗を分ける。

でも、なぜ、ボルドーの耐久レースが伝統的に観客を惹きつけ面白さが継続しているのに、8耐は観客動員数は減少し面白くなくなるのだろう。鈴鹿8耐の方が、よりセンシティブでハラハラドキドキする玄人受けする極めて面白いレースなのにだ。

アメリカのスーパークロスやデイトナ200マイル、四輪ではナスカーレースでの観客動員数には圧倒される。
アメリカのモータースポーツは、どちらかと言えば興行的な傾向がより強く、圧倒的な観客動員数を誇る。観客動員数が多ければ、レース志向の強い車を販売している二輪メーカは直接参戦せざるを得ない。すると、もっとエキサイティングなレースと相まって、観客はより一層盛りあがる。

レースはもっと泥臭くあるべきだろう。

欧米のレースは、観客がレースと触れ合う事、選手と触れ合う事を心底楽しんでいるように思える。。
知識が無くても単純明快に分かるレース、観客に対する最大限のファンサービス、みんなが楽しめる雰囲気づくり、そしてレースを主催する街。全てのベクトルが観客中心に向いていると感じた。

ボルドー24時間中、レースを見ている観客は少なく、レース展開などそっちのけで飲み食いドンチャン騒ぎの家族も多数いる。
ゴミはアチコチに散乱し、夜はワインを飲んで大騒ぎする。歴史的なレースイベントの高貴なイメージとは大きく異なる光景がそこにはある。レースを知らなくても楽しめる雰囲気作り、ドンチャン騒ぎする人も寛容に受け入れる街がある。もっとビックリするのが、サーキットまでの途中、道路近くの木々や電柱に巻き付けられた分厚いマットの存在だ。何のために設置してあるんだろう。

90年代の鈴鹿はもっと泥臭い雰囲気があった。
野宿する若者に対して実に寛容だったし、アチコチのテント張にも寛容だった。何時のまにか、次第に大人しく窮屈になってしまったようだ。面白くない、妖しくない催し物には、誰も楽しくない。90年代も、レース観戦が主目的ではなかった観客の方が圧倒的に多ったと思う。でも、鈴鹿8耐は欧州や米国の伝統的なレースのように歴史を重ね続けるべきだし、もっと、観客が一体となって楽しめる「泥臭い「祭り」」として歴史を継続させるべきだ。


ホンダ鈴鹿8耐・・・ 「8耐の本質と10回の敗北」 

ホンダは二輪業界の盟主だ。そして、ホンダの二輪レースの位置づけは極めて明快で理解し易い。
ホンダの「8耐の本質と10回の敗北」の記述は、8耐を戦った者にとっては、実に興味深い。
でも、これだけホンダが鈴鹿に入れ込んでも観客動員が伸びない。

鈴鹿8耐は、二輪業界の宝だと思っている。

移り気な日本の若者、全般に大人なしくなった若者と言えど、日本人の本質には何等変りはしない。
ただ、常に興味をそそる「泥臭い策」を取って行かない限り、鈴鹿には戻ってこない。





一方、勝負に掛けたい強い意志のある開発陣も当然いるはずだ。
何の商品であれ、開発とは競争相手に如何にして勝つかであろう。
ところが、その競争が最も如実に勝ち負けを具現化したレースとなると、拒絶したがる開発陣が二輪に多くなったようだが、気のせいか。一般の量産機種の開発であれば、量産移行した時点で仕事は終了し、それに目標の販売台数を確保すれば目的は達成する。だけど、運よく販売好調でも、あるいはその逆でも、実はその理由は多岐に渡るため、一概に開発の評価は難しい。

ところが、レースは、マシンを、車を、開発したらそれで終了ではなく、競争相手との戦いに勝たねばならない。車を開発したら、はい終わりでは無いので、担当者にとってはつらい評価が常に付き纏っている仕事だ。

鈴鹿8耐は、スプリントタイムで8時間を競争相手より如何に早くゴールさせるかの競争だ。
その戦いは、考え方によっては非常に奥が深い。勝ったから車が何台売れるかの単純な物ではないが、若い技術者が戦うには面白い素材だと思うのだがな。



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モミジアオイ + 朝顔 + カノコユリ

2011-08-02 07:00:02 | 
モミジアオイが咲き始めた。
この花が咲くと、一気に夏になった気分になる。

庭に植えているモミジアオイは、故郷 島原の生家にあった根を分けてもらったもので、彼此20数年になる。
冬場を過ぎて春先の芽が出始めた頃のモミジアオイを郵送してもらい、庭に移植したので、島原の物とは根が繋がっている。

ハイビスカスと同属の植物なので花姿はよく似ているが、此方の方がシャンとしていて凛々しい感じがする。
その昔、大きなハイビスカスを友人が転居する際に貰って育てていたが、気温に敏感で冬場の育て方を誤り枯れてしまった。
それに比べれば、モミジアオイのほうがはるかに育てやすいし、この神戸の気候にも合っているのか、宿根草なので同じ場所に芽を出し、この季節に立派な花を咲かせる。

5枚の花びらを持ち大きさは径15cm~20cm、色は鮮やかな緋色、表面に光沢がある。
朝咲いてその日の夕方にはしぼんでしまう短命な花だが、蕾が多くつくのでシーズン中は休みなく次々に咲く。

咲き終わり、上手くいくと種が出来、この種を蒔くと芽が出て成長する。
しかし、花が咲くまでには数年かかる。
こうして種を、近所に配って育てて貰ったものが同時期に咲いている。

モミジアオイには、実は虫の幼虫がよく住み着く。
葉に糸を蒔きつけては丸めて枯す、蕾に住み着いては花芽をポトンと落とす。
だから、適当な大きさに伸びるころになると、虫の幼虫を見つけたら潰す。
ヒイラギの新芽にテントウムシの幼虫が住みつくのと同時期に、ヒイラギとモミジアオイをスミチオンで消毒する場合もある。
でも、近くに野菜もあるので極力消毒しなくて済むように、毎日幼虫が住み着いていないか点検するのも日課のうち。


今年、モミジアオイの傍に昨年おちた朝顔の種が芽を出し、朝顔とモミジアオイが同時期の朝に咲いた。
モミジアオイの茎に朝顔の茎が蒔き付いて、モミジアオイが負けるかなと心配したが、どうして立派に共存している。









 



朝起きて朝顔が咲いていると、一瞬、ホットとした癒しの気分になる。










カノコユリも咲き始めた。
ユリの仲間では最も美しい種類の一つだそうだ。
その美しさは、ヨーロッで一大センセーションを巻き起こし、花弁が宝石に例えられたり、「美しさにおいて最高の花」とまで激賞されたとある。
以前、庭に植えていたオニユリを野々池に移植してしまったので、同じ場所にカノコユリを植えた。
確かに、見事な咲きっぷりで、九州の市町村の花に指定している処もあると聞くと、納得できる。
まさに、妖艶な夏の花の女王、存在感が際立つ。

オニユリの欄で記載すべきだったが、カノコユリの欄で書いておこう。
ユリの母国と言われているのは、実は日本。欧州で原産しているのはたった5種類ほどだそうだ。
日本には多数の美しいユリが原産し、1829年、シーボルトが日本から球根を持ち帰って、世界のユリは、その種類を増やしたと言われている。


 



 
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