野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

カワサキ 2012年モトクロッサー

2012-02-10 06:30:49 | オフロード車事業


米国の有名なオフロード専門誌 motocross  action」 が選ぶ2012モトクロスマシンの戦闘力評価がHPに公表され、
250ccクラス、450ccクラスともカワサキが最優秀マシンとして選出された。

アメリカのオフロード専門誌はオフロードの本場だけあって多くの専門誌が発行されており、書店は勿論のことコンビニ、酒屋でも購入できる。
昔、現役時の渡米時は、帰りの空港売店で購入し、飛行機の上での暇つぶしに読んでいた。
多くある専門誌の中でも、「motocross action」誌や「Dirt Bike」誌のモトクロスマシン評価が市場に与える影響は無視できない程大きかったので、
新車が発売されると何時も気になっていた。


「MXA’S 2012 250 FOUR-STROKE SHOOTOUT」

 一位: Kawasaki KX250F

 「KX250Fは過去7年間,250cc4ストモトクッサーのSHOOTOUT(試乗評価)にて、5回もNO1の地位を獲得した。
  エンジン性能とサスペンションが極めて有機的にチューニングされており、ライダーが要求する性能にレスポンス良く応答する優れたマシン。
  初心者からプロクラスライダー至る、どのクラスのライダーにも最適なマシンである」、との最大級の評価が記載されている。

       「カワサキ KX250F」


「MXA'S 2012 450 SHOOTOUT 」

 一位: Kawasaki KX450F

 「N01はカワサキのKX450Fだ。
  2006年にKX450Fが投入されて以来、カワサキ技術陣は勝つために毎年改良を続けており、
  2009年に続いて450ccクラスSHOOTOUTにてNO1を獲得した。
  450ccクラスはMXレースの最高クラスで、各社とも最大の力を投入するため毎年激戦区となっており、NO1を維持するのは相当な努力が必要」
  カワサキ開発陣の勝利との評価である。

        「カワサキ KX450F」




競争用に開発されたモトクロスマシンの評価は、スキルの異なる複数の評価ライダーによって最も競争力に優れたマシンを選出することである。
スーパークロスやアウトドアのモトクロスレースに供与されるので、SHOOTOUT評価にて優秀マシンとして認知されることが販売に大きく影響する。
空戦時の戦闘機と同様に、戦闘力に劣るマシンは極端に言えばガラクタとされる危険性さえある。

従って、実戦を経験し、彼我の比較をしながら自車の立ち位置を確認して開発していくのだが、
例えば、一年でも開発を休めば、その期間だけ他社マシンとの競争力差が大きく開き、それから再起するのは至難の事。
このために、常に競争相手の動向を掴んでおく必要がある。

レース毎、そして毎年勝負に晒され続けるが、競争相手も条件は同じなので、
気候不順だったから勝てなかったとか理由にもならず開発担当者には辛いものがあるが、しようがない。
だから、この苦労が分かるだけに、高い評価を受けた記事が出ると、OBの一人として我が事のように単純に嬉しい。

一方、マシン評価が高いだけでは、あくまで競争に勝つための一条件をクリアしただけに過ぎない。
実戦で勝つには、ライダーにも高いスキルが要求されることは勿論で、ライダーの能力を十分に引き出すためのマシンセッテイング技量も必要となる。
従って、勝つための組織総合力を発揮しないと、ポテンシャルの高いマシンを開発出来たとしても実戦で勝つことは困難となる。

つまり、マシン所謂ハードと同様にソフト開発力を育成し、広く末端ユーザーに教育や指導をしておく必要性が生じることになる。
ソフト開発能力を組織内に蓄積出来ているか否かは勝利に大きく影響する。
ここが一般的なオンロード市販車開発とは大きく異なる点だろう。

何れにしても、米国でのカワサキ車の戦闘力は実戦で証明されているだけに、その優秀性には説得力がある。

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USテスト時の写真

2011-10-28 06:27:34 | オフロード車事業
23日の三木アネックスで開催された 「on any sanda」で、モトクロスOB会の一部メンバーが集合した。
懐かしい話はアチコチ飛び跳ねて収束する気配など一向にないのだが、その中で阪口君が話し始め、KDXとその比較車の話がでてきた。

当時は、モトクロスマシンと同様に砂漠やファイヤロードを走行するエンデューロ車の人気が非常にあって、
モトクロス車をベースに改造した車を開発していたが、その車がKDX175だった。
(KDX175→ベストバイクに選出され、高い性能にも関わらず値段は他社並みだったので、バーゲンセールと雑誌に評価され販売を急激に伸ばした。
 そして、カワサキに移籍してきた J.Penton によって、KDX175は有名なデイトナのアリゲーターエンデューロレースを制した)

KDX175は軽い車体とKX125エンジンの排気量UPを基本仕様としているが、その走行性能確認をUSでKMC R&Dと共同テストすることになり、
日本から野宮、立脇の両プロライダーにサス担当の的野さんと私が同行した。

「on any sanda」 の会場で、立脇君が記憶していた、「一回だけUS出張したことがあり、確か青い車があった」の青い車はヤマハのIT175である。
確かそうだ、当時の写真があるはずと探して出てきたのが、次の写真だ。
確かに立脇選手と野宮選手がいる。
毎日ビールを飲んで談笑していたわけではないが、たまにはカラオケ屋に行って歌った事も思い出した。
皆でワイワイしながら昼間はテスト、夜は上手い飯を食べに出かける日課だった。
もう30年近い前の話だが。


写真左から、私、鈴本さん(元R&D社員)、野宮ライダー、的野さんそして立脇ライダー。




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4研の「鬼の松正」

2011-06-09 07:00:51 | オフロード車事業
「鬼の松正」

4研ビル、今はその場所から移動したが、カワサキの品質保証部(品証部)が長い間、居としていた。
4研とは、正式にはビルディング番号15で、総合事務所がある3研ビルと同じく戦前からの建物である。建物の管理責任元は補給部品課の所属であったが、実質品質保証部が建物を仕切っていた。戦時中まではコの字の形をしていたが、火事で損傷し半分だけが残った。阪神大震災では一部の外壁が飛んだが、土台はしっかりしている。戦時中の面影を残しており、色々な話も伝わっている場所でもある。今は屋上立入禁止としているはずだが、約10年程前までは昼休みの屋上テニポンに興じた場所でもあった。この屋上からの眺めは素晴らしく、明石海峡を通る船が一望に眺められ、昔の航空機の機体設計者たちの安らぎの場所であったに違いない。

品質保証部はカワサキ汎用機の全製品の品質を顧客に対して保証する部門である。
この品質保証部で永年大活躍した人物を紹介しよう。

いかにも絵に描いたようなハマリ役というのがあるものである。
こういう人がカワサキにいて、こういう役をやるからこそ、製品に反映されるのである。「鬼の松正」と呼ばれた人物 「松尾 正雄」さんである。昭和10年生まれだから、今年で77才になる。品質保証部が設立された当時から在籍し72才で現役引退した名物品証マンである。

自分の家の修理などお手の物、建築してしまう程の腕がある。
かといって、モノを作る事以外に疎いのかと言ったら、パソコンの扱いなどは簡単に操作する。何をさせても器用なのだ。カワサキの製品を市場に出してよいかの最終チェックをするのだが、問題個所の見つけ方が抜群にうまくて、まるで名人芸の域だ。我々などジーットと眺めてもなかなか見つけられない不具合をいとも簡単に抽出してしまう。

ある時、タイの組立製品を日本で販売する際に、国内の販売店に卸す前に品証部で事前点検したのだが、松尾さんが不具合の山を写真に撮ってパソコンに入力し持ってきた。これでは販売店には渡せない。これがキッカケで、「求極品質」活動を開始した。

傑作な話だが、松尾さんが言うに、塗装したタンク上に微小の瑕疵があり、その修正に時間がかかるという。早速、松尾さんがタイに飛んでタンクの塗装工程からの工程を隈なく、それこそラインをズーット点検したが、発生原因が良く判らない。あるとき、最終点検後の完成車を移動のために工場の外で一時保管するのだが、ここが問題発生場所だった。工場近くにパイナップル農場があり、パイナップルの収穫時にハエがたかる。このハエが工場の一時保管とした場所に飛んできてはフンをする。このフンの痕だったのだ。早速、ハエの侵入防止のビニールを張って問題解決した。笑い話のようだが本当の話だ。

暫く、タイに駐在してもらって品質指導と確認をやってもらった。このような事例は枚挙にいとまない。
これまで何人かの再雇用者がタイの品質チェックに駐在したが、あの暑さと食事に閉口し早々と帰国した中で、70才に近い松尾さんは平然と仕事をやり遂げてきた。まさに、余人をもって変え難しと言ってもよい。

松尾さんの人となりが実に如実に表現されている事として、「「カワサキバイクマガジン」のカワサキ創成期の証言」中から、記事の一部を紹介しよう。

「悪い言葉でいうたら、設計が作ったオートバイのあらさがしや(笑い)。
それで目ェ光らせてな、開発で「これでOK!」と出した奴でも、品質保証部で止めた事はナンボでもあるもん。
そんで徹夜で部品の改良をしてやな、量産してったこともあるわ。そやからワシも真剣や。
入社時分の開発テストもそうやったけんど、「もう、このオッサン来よったらほんまかなわんがいや」言われてやな。
相手が誰だろうと、ダメ出しゴッツウ言うてやな。そんでもワシ、言う限りは、その後もケツ拭きまでしよるからな」

部品に不具合があれば、各パーツメーカーまで出向き、先方の担当者と一緒になって調べた。

「そやからいろいろ勉強になりよったわ。子供の時分からワシ、自分でモノ作りよったからな。
量産前の検査いうことで気ィつたけんどな。楽しかったわ。川重も部品メーカーも、ええ集団やった。
ワシみたい人間が言いたい事を言うても話を聞いてくれて、ほんま感謝やな」

72才まで現役をつとめた松尾は、現在では、自宅近所のトラクターや水槽に不具合があると、「ちょっと見せてみ」と言っては、
近所づきあいで修理している。

「去年、地元で神輿作りよったやけんどな。そんときオートバイのテールランプに使うLEDを部品メーカからもろうてきてな、
神輿に電飾しよったんや。それまでは豆電球やったやけんど、LEDにしたらゴッツウ派手になったわ(笑い)」

本当に軸がぶれない人である。だから、実行力のない上司や決断力のない上司に対する評価もきつかった。
顧客は「カワサキへの信頼」で製品を購入してくれるのであるから、顧客への信頼構築をしっかりと確立する前に中座したら困ってしまうだろう。「品質改善活動」の発展継続はメーカー側の責務であり、最終判断はあくまで顧客である。

松尾さんとは、設計時代から何故か馬があった。
今では、それまで奥さんに世話を掛けぱなっしていた畑仕事を手伝ったり、Z1会というゴルフコンペでも優勝する腕前でもある。もう、こういう人物は現れないだろうし、こういう人物を使いこなす上司や組織も出てこないかもしれない。
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野々池貯水池で思い出す人

2011-06-07 07:01:13 | オフロード車事業


時期をとっくに過ぎたが春先の野々池貯水池を散策していると、沢山の綺麗に咲いたツバキに出会うことができる。
しかも、選りすぐりの多彩な色遣いをしたツバキばかりである。

もうかなり前の話、現役の頃であるが、ある時、ウォーキングしていると、バケツに入れた肥料をセッセセッセとツバキに施肥している人がいた。
野々池貯水池の明石側に住まいの「故武本一郎」さんだ。
「何をしているんですか」と聞くと、「いやな、野々池貯水池のツバキは非常に珍しい種類のものが一杯あるのに、市役所が手入れしないから、上手く咲かないんだ。
だから、こうして肥料を入れているんや」と仰る。
それにしても、野々池貯水池周りには、何十本ものツバキが植わっているのに、そのツバキの木の周りを掘ってはバケツ一杯の肥料を入れては埋める。
これを毎年繰り返しているのだと言う。
これらがあってか、今は誰も施肥しているのを見たことがないが、綺麗に咲いたツバキを楽しみながらウォーキングできる。

有り難い。感謝、感謝。

またある時、野々池貯水池のウォーキングコースを汗びっしょりになってジョギングしておられ、すれ違うと「ヤーッ」と手を挙げられた。
気さくな人だった。

私は永い間、オフロード車の開発やレース運営を中心に担当してきた。
その間、ロードレース運営を傍で見る機会もあったが、ロードレースは戦績が今一つさえない時期に、不運にも景気が悪くなる時期と重なることが多く、
その度にレース参戦中止の声があがると言う轍を繰り返してきた。

この時期、レース活動を継続させる動機とは何かを懸命に考えていた時期でもあった。
モトクロス(MX)とロードレース(RR)の決定的な差異は何かというと、両者には、その活動が直接的にお金を生み出すか否かに決定的な差があった。

MXが何故レースを継続可能かは、単車経営に欠かせない、つまり事業としてのMXは必要であり、
また、その事業を維持していくには開発を継続させる必要上レースは不可欠だという理屈と実績を両立させたいとばかり考えていた。
幸いに、技術部から転出された資材部長がMX車のコスト見直しを実施してくれた時期でもあり、採算性向上のための策を順次打っていった。

その時に、出くわしたのが、企画部や生産企画部の部長を担当しておられた「故武本一郎」さんである。
レース運営を含むオフロード事業にも関心を持たれ、数度電話があって、「レースを一緒に見させてくれ」との事であった。
レース担当した期間(約15年近くにもなるが)、レース観戦希望者は後にも先にも「故武本一郎」さん一人だったので、その発言は極めて新鮮であった。

電話で話する際は「オフロード事業の進み具合はどうや」と、まず最初に聞かれるのが通例で、他社との戦闘力予想を聞いてくれる唯一の企画マンであった。

軸がぶれていない人だなと思っていた。

種子島 経著の「くたばれ!リストラ」の「あとがき」に故武本一郎さんの人となりが紹介されている。
「信念をもって、開校したばかりの防衛大学を二年間受験したが近視のため不合格となった。
やむを得ずに入った東京大学を昭和35年卒業し、当時防衛産業の比率が最も高いメーカーのひとつだった川崎航空機工業(株)(現在の川崎重工業(株))に入社した。
その企画マンとしての頭脳の冴えは万人の認めるところだった。
だが、誰の前でも自説を主張して譲らない剛直さ、駆け引きや妥協を絶対にやらない純粋さ、親分、子分を一切持とうとしない独立独歩性、等々は、
昭和から平成にかけての大企業では、敬遠され、変人扱いにされることのみ多かった。」・・・とある。

この人物評価を読んで、然もありなんと思った。

少し話は飛躍するが、我々が担当してきたレースは常に一戦毎の戦いの連続であったが、レースシーズンが終了し、
運よくチャンピオンになっても感激があるのは勝った数分だけで、あとは何も感じる事はなかった。
故武本一郎さんは、経営を一つの戦いという視点で考えておられたのかもしれない。
その点において、大先輩に失礼ながら許してもらえるならば、同気相求む人物だったのではないかと懐かしく思う。


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Kawasaki Team Green活動  -その3

2011-06-05 07:00:07 | オフロード車事業
米国の「Team Green活動」の歴史の一片を紹介したい。
1981年に活動をスタートした、「Team Green活動」は30周年を迎えた。

「Team Green News 」の中に、その活動を端的に表現したものがある。「Team Green」のロゴマークである。
有名な親指を立てた1981年のロゴから最近のロゴ変遷に至るまで、ロゴマークは変われども活動内容は首尾一貫し、その軸にづれがない。
責任者が変ると、往々にして中途半端な活動になったり、あるいは活動を否定し時には中止したりする事例が多い中で、希有な事例だと思う。

KMCの「Team Green News- March 2011」 からの抜粋。

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Kawasaki Team Green活動  -その2

2011-06-03 07:03:09 | オフロード車事業
「カワサキ オフロードの歴史」の一部ではあるが紹介された記事がある。
それが、「KAWASAKI DIRT CHRONICLES」である。
その中に、KMCのTeam Green活動を起案した日本人の一人が紹介されている。- 堤利雄さんである。
以下は同記事の中からの抜粋であるが、Team Green活動を日本人駐在員としてどのように観察し指導されたかについて紹介したい。

 カリフォルニア州ロサンゼルス近郊にあるモトクロスの聖地、サドルバックパークを訪れてみると、ライムグリーンのバイクは1台もいなかった。
視界に入るモトクロッサーの銘柄はスズキとヤマハが大半を占め、少数だがマイコ、ブルタコ、CZ、ハスクバーナなどの欧州車も走っていた。
アメリカのライダーたちにカワサキのモトクロッサーを買ってもらうには、一体どうしたらいいのだろう。
コース脇で佇む堤利雄(当時:KMC Technical Service Dept. Manager)は、砂塵にまみれたシャツの袖で額の汗を拭った。

「アメリカでは'70年代後半にモトクロス人気が急上昇したのですが、カワサキが市販モトクロッサーを投入した当初は見向きもされなかったし、無理だよと笑われたこともありました。
1969年に渡米してから10年ほど、KMC(カワサキ・モータース・コーポレーション)では技術的な部署にいましたが、モトクロスをビジネスとして成立させるには、メーカーと販社が一体と
なって取り組まなければいけないと痛感し、私が販売促進にもタッチするようになったのです。そんな折、KX250・KX125に加えて'79年モデルからKX80が新発売され、広い購買層に
アピールできるラインナップとなりました。これはチャンスだと、KX80に乗ってくれるライダーを探したことが、チームグリーン活動の始まりでした」

 堤は毎週末あちこちのモトクロス場に通い、辞書と首っ引きでスカウト活動に没頭した。
ようやく見つけたのが、サンディエゴのバローナオークスで出会ったサム・ストアという中学2年生。
KX80を気に入ってくれたこの少年は、晴れてたった1人の第1期生となった。
翌'80年からチームは堤の下を離れ、新たに任命されたマネージャーに引き継がれる。
この時から正式にチームグリーンと命名され、活動は少しずつ全米に普及していった。

「チームという概念とはちょっと違って、キャンペーンと言った方が正しいかもしれません。何しろアメリカは国土が広いですから、各地からライダーがどこかに集って合宿するとか、
団体行動をするなんてアマチュアレベルでは不可能です。我々が行ったのは、販売促進とカスタマーサポートを一体化したサービスで、ひとことで言えば『いまKXを買えばキミもチームグリーンの一員になれる』というようなキャンペーンだったのです。資格は何もなし。スカウトもセレクションもなし。ただ指定販売店でKXを買えば、誰でもチームグリーンに登録できました。
特典はいくらかのディスカウントと、キットパーツや技術情報の提供だけ。契約金も賞金もありませんでした」

 本格的にスタートしたチームグリーンの主戦場は、アメリカ各地のローカルレースだったが、最終目的地として目指したのがポンカシティ(NMA Ponca City Grand National Motocross)。
夏休みに全米からアマチュアライダーが集う「モトクロスの甲子園」だった。
細かく分けられたカテゴリーには、排気量とは別にストック(無改造)とモディファイド(改造)があったが、カワサキは最激戦区の80ccモディファイドクラスに、まだ市販されていない
翌年型KX80の量産試作車を投入。この作戦が大ヒットした。

「モディファイドクラスにはホモロゲーションが要らなかったので、発売前の新型でも出られました。当時はモトクロッサーが毎年劇的に進化していた時代ですから、
たとえば現行の空冷エンジンに対して来年型が水冷エンジンだったりすれば、これはもう羨望の的になります。性能的にも格段の差がありましたから、
あえてストックのまま出ても他社の改造車に勝てる。今度のKXを買えば勝てるぞ!という明確なメッセージが波及するのに、時間はそれほど必要ありませんでした」

 チームグリーンの活躍が格好の宣伝となり、KXシリーズの販売台数は上昇の一途をたどる。
ブームの発端となったポンカシティにおいては、やがて出場車の半数をKXが占めるまでになった。
レース活動にはライダーの育成や実戦テストといった側面もあったが、すべてが好循環に回っていった。
 チームグリーンのメンバーに対しては、ポンカシティで優勝したらカワサキのファクトリーチームに入れる、というインセンティブもあった。
この制度による最初の成功例が、'83年にファクトリーライドを得たビリー・ライルズだった。

「私は'85年には日本に戻りましたが、チームグリーンがその後も成長し、今日まで続いてきたことをとても誇りに思っています。思えば今年で30周年になるのですね。
私がスカウトを始めて途方に暮れていた頃は、こんな繁栄を予想することはできませんでした。チームグリーンの収穫には、販売台数以上の図り知れないものがある。
カワサキというブランド、ライムグリーンというカラーを浸透させた…とでも言えばいいのでしょうか。それは言葉にも数字にもできない収穫です」

 アメリカのトップライダーの中には、チームグリーン出身者が多い。
だが、カワサキのファクトリーシートには限りがあるし、多くはプロデビューを機に他社のファクトリーチームへ流れていく。

「それでもいいじゃありませんか。チームグリーンがカワサキのみならずモトクロス界全体の礎になっているとしたら、こんなに幸せなことはありません」
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Kawasaki Team Green活動  -その1

2011-05-03 11:45:43 | オフロード車事業
「Dreams, Sacrifice, and Success: Celebrating 30 Years of Team Green」 黒表紙の一冊の報告書がある。
「KAWASAKI MOTORS CORPORATION / TEAM GREEN AMATEUR RACING PROGURAM / 1981/ by Dave Jordan 」
1981年、この報告書から実質スタートした、Team Green活動が30周年になったとのKMC(米国カワサキ販売)HP記事が投稿されている。
Team Green活動はkawasakiのオフロード事業に多大な貢献をなし、カワサキモトクロス=KXマシンを米国市場において確保たる成功に導き、Team Green活動なかりせばカワサキのモトクロスビジネスはここまで来れなかったと思う。オフロード車は米国人の伝統的な嗜好マインドに良く合致し、米国二輪市場にて安定的な販売を確保させて不況にも断然強いという歴史がある。

「あなたもTeam Greenメンバーになれる」

カワサキのKXマシンを購入したユーザーは誰でも「Team Greenメンバー」として登録でき、全米各地で開催されるレーストラックにおいて分け隔てなく同等の支援を受けることができる。一部の特別なライダーのみが優遇される特権ではなく、レーストラックでは、場合によってはカワサキユーザー以外のモトクロスユーザーへの支援をも除外しなかった。勿論、Team Greenの卒業生からAMAモトクロスの著名な多くのチャンピオンを輩出したことは言うまでもない。Jeff EmigやRicky CarmichaelはSXレースのテレビ解説者となり、ames StewartとRyan Villopotは其々ヤマハ、カワサキを駆使し2011年のSXチャンピオンを争っている。

Team Green活動は、広く言えば米国の多くのモトクロスユーザーを支援し、そして育て、米国のモトクロス市場を守ってきたと言っても過言ではないだろう。そのTeam Green活動が30周年である。

開発と販売ソフト及び実績が極めて上手にジョイントし成功した好例であり、草の根活動の二輪販売戦略の見本として大いに参考となる。私も日本の開発チームの一員としてTeam Green活動へのハード面での全面支援を惜しまなかったので、30周年を迎えたことは我が事のように嬉しい。オフロード車事業の一環としての、Team Green活動とファクトリレース活動とを少しづつ述べてみたい。

「Dreams, Sacrifice, and Success: Celebrating 30 Years of Team Green」
抜粋写真






 
全日本250ccチャンピオンEddie Warren(上段左より3人目)も元Team Greenメンバー


Jeff Emig & KX80


Ricky Carmichael


James Stewart(左側)


Ryan Villopoto


XT250 Tecate (三輪ATVで大活躍)


KX500 Baja
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