野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

ブログを書いて、今年も一年が過ぎた

2012-12-31 06:59:29 | 日常生活
       「年末、野々池貯水池のサザンカ」
年末の野々池貯水池で、次に咲く順番を待っているのは椿の蕾ぐらいだが、少し迂回すると紅色のサザンカが数本咲き始めていた。々池貯水池の土手の草は殆どが枯れて赤茶けた色に変わり、春先までは何も咲かない。

今年も一年が過ぎた。
昨年もそう感じたが、自分のブログを始めるまでは、他人の情報を見ているだけで自分から情報を発信する事などは全くなかった。自分で興味ある情報を検索はするもののチャンネル数の多いテレビのような使い方だけで、何となく眺めていただけだった。これが、ブログを始めてから、気がつくとデジカメで写真を撮ってきてはブログを書いている。書き始めると、なかなか面白く書けて、集中している自分が居てびっくりすることもある。  この繰り返しはブログの最初から変わらない。そして注目すべきはそのブログを通して、今まで交流の無かった人との交流が生まれてくるし、加えて、アクセスカウントが上がっていくのが楽しみになると、ブログを中心とした循環行動が出来上がる。今年の年末が過ぎるとブログを初めて二年目の正月となるが、このようにブログには随分と助けられた思いだ。こうして見ると、確かに「ブログを書くこと」は良いものだ。

日頃からこうではないかと考えていた事象や現象が発生した場合には、直感的に頭の中に言葉が出て、その直感の源流には自分の基本的な考えがあるからだろうか、その延長上でブログを書くので全く苦にならない。むしろ、無用に長ったらしい文章に成りがちなのを、バサーッと短くするのに苦労する。長くとも2500字前後を心掛けてはいるものの難しい。

現在、一日置きにブログを投稿している。
その日にブログを投稿すると、基本的に、その日はブログから離れ何もせず、野々池貯水池ジョギングコースやその周辺を散策したり、ウォーキングしている。不思議なもので、野々池貯水池ジョギングコースをウォーキングしていると、次のブログの題材や書いたブログの欠点が浮かび上がってくる。これは不思議なことで、実は妄想に近いのかもしれないが、頭に浮かんだものを記憶しておこうと努め、帰宅後パソコンを開くことがままある。ブログを投稿する前日の朝、2時間ぐらいで書きあげるが、考えて、書いて、「てにおは」の修正と文章の流れ修正にも時間がかかる。すんなり読める時もあれば、読んでも何度も引っかかる時も出てくる。自分の強く意図とするのを書こうとするとどうしても引っかかるが、この場合はそのままに修正しないことにしている。ブログ原稿を書いた夕方、再度読み直し言いたいことがすんなり読めたら、明日の朝に投稿する。 これが投稿するまでの基本パターン。どうしても書かずんばおられないという日もあるが、その日は日を置かずに書いて投稿している。だが、その逆もあって、何も書きたくない日もあるのも事実。

自分一人で考えている限りは、その状態は維持されたままだが、「考え」をブログに書くことによって、誰かの目に触れる状態に置くことによって、自分自身が変わることもできる・・・良いもんだ。自分本位の独善的なブログにも関わらず、田舎の親戚から「この記事は面白かった」とか、「今度はこれを書いてくれるだろうと話題にしている」とかを聞くと止めるわけにはいかない。そして、ブログ読者にとって定期的に訪問する価値があるものに少しでも近づきたいと思っている。

今日は31日、来年はどんな年になるのかな。
景気が本当に良くなって欲しいものだ。

どなた様もどうか良いお年をお迎え下さい。
今年一年、訪問していただき有難うございました。
                            「二階からみた野々池貯水池に見える夕焼け」
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「くまモン」 と 球磨焼酎「繊月」

2012-12-30 12:40:55 | 故郷
■米紙ウォール・ストリート・ジャーナルを飾った「くまモン」 
   「くまモン オフィシャルサイト
熊本の人気ゆるキャラ「くまモン」が、米国の名門新聞「ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)」一面に登場し、日本のファンを驚かせているとの記事を見た。「くまモンが出現したのは12月26日(現地時間)付のWSJ紙だ。一面下部の「かわいくない?日本の、抱きしめたくなるようなキャラクターたちの競争(Isn't That Cute? In Japan, Cuddly Characters Compete)」と題した記事の挿絵として、モノクロのくまモン(Kumamon)のイラストが描かれている。」とある。「新与党の自民党を始め、国・自治体、企業などが競って『ゆるキャラ』を導入している」との紹介された記事の中で、くまモンについては、「このわんぱくな黒い熊のマスコットは、熊本県の顔であるのみならず、このブーム全体の顔である」とも書かれ、「くまモン関連グッズは、年間25億円もの売り上げをもたらした」、と重点的に取り上げていた。そして、「くまモンはくまモンです。くまモンは1人しかいません。それ以上は聞かないでください」と「そっけなく」はねつけられた、というエピソードともに、「anime(アニメ)」「kawaii(カワイイ)」が英語として市民権を得たように、「yuru-kyara」という言葉が定着する日も来るかもしれない」、とも書かれている。

そーか、「くまモン」はスーパスターに成長したのか。
くまモンは25億円も稼いだのか、ヘーッ驚いた! たいしたもんだよ!「くまモン」は今や熊本を代表する名士となって、女房の田舎、人吉から「くまモン」の名のついた「くまモン焼酎」や商品グッズを沢山もらった。今も、鏡の前にそのグッズがある。ここまで有名になるとは思いもしなかったが、「くまモンFB」には熊本の日常風景が一緒に投稿されており、この風景が見れるだけでも懐かしい!

■「球磨焼酎 繊月」
    「繊月」とは相良藩人吉城の別名で、細い形の三日月」
 「くまモン」の記事を見ながら、熊本を思いふけっていると、昨日夕、人吉から球磨焼酎「繊月」が5本送られてきた。近くのスーパーに、米焼酎は販売していないので、時々送られてくる米焼酎を見ると大変うれしい。なにせ、熊本に住んでいる時に良く飲んだ酒は、基本的に球磨焼酎だったので、他県にどんな焼酎がどの位あるのかも知ることもなかった。だけど、神戸に来てからは米焼酎を酒店でみることは殆どなく、芋か麦焼酎の方がポピュラーな品だ。だから、米は時たま送付されてくる「繊月」をいそしんで飲むぐらいで、普段購入する焼酎は「麦」か「芋」そして「そば」が多かった。それでも、米焼酎と聞くと、旨いはずと頭の中に浮かび上がるので、舌の慣れとは恐ろしいものだ。

焼酎の良いところと言えば、自分の体調や気分に合わせてお湯とのブレンド率を調整出来るのが良い。
普段は焼酎4:お湯6の割合だが、3:7の比率も焼酎の甘味がでて良いな~と思いながらも、早速5:5で飲んでみた。悪い癖だが、焼酎を飲むと直ぐに眠たくなる。ちょうど、炬燵を居れていることもあって、焼酎飲んで炬燵にはいると電気カーペットの下から温まってきた。至福の時が再び巡ってきた。
                       
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久しぶりの明石市立図書館

2012-12-29 06:35:47 | 日常生活
      「明石市立図書館」

27日、久しぶりに孫と「明石市立図書館」に行ってきた。
買いだめしておいた古本を読み終わり、28日から雨続きとの予報なので、次の本探しに明石市立図書館まで車で行った。朝早く7時半ごろの外気温は-3度。図書館に出かけた10時前は7度で風も雲一つなく快晴で気持ち良い。平日は直ぐ駐車できる駐車場が一杯で、隅っこを探していたら、図書館の直ぐ近くに駐車中の車が移動しているのが見えたので、即移動。いつもはこんなに駐車場が一杯になることは無く、図書館も人が沢山だと言うことかと思いながら歩いていると、明石公園の周回路を走っている高校生の集団に出会う。明石南高の陸上部は野々池貯水池ジョギングコースの他に明石公園もよく利用していると聞いていたので、多分そうだろうか。自転車競技場に来ると、いつもは10数台の練習者がいるが、今日は3台と少ない。暫くの時間、自転車競技の見物。

図書館も混んでいるだろうと思ったが、意外とそうでもない。お目当ての新刊を探したが既になく、館内の本表紙を見て回り5冊借りた。我々神戸市西区の住民もこの図書館から借りる事が出来、返却時は歩いて10数分の明石市の弁財天集会場に返せばよい。この日に借りた本5冊。

「誰も言わなかった 海軍の失敗」 是本 信義
「インドと組めば日本は再建できる」鈴木 壮治
「日本はなぜ敗れるのか」     山本 七平
「国防」             石破 茂
「ツタンカーメン 発掘秘史」   レナード・コットレル

          「図説 ツタンカーメン発掘秘史」
ツタンカーメンの、しかも秘史と題してあったので、借りた。幾つになっても秘話とか秘史とかには弱い。
今年12年10月発行とあるので、なんか知らない新発見でもあるのか期待して、いの一番に読んでみたが、拍子ぬけだった。特段に目新しい事実は無く、今までの事実を並べてみただけの様に思えたが、カーターやパトロンのカーナボン卿との発掘に関するやり取りは巧く書けている。第6章に、「呪いという言葉」があったので、新事実や新解釈等の分析が述べられているのかと、これも期待したが、「呪いの言う言葉自体、まったく馬鹿げたことであり、そのように見られるべきである」とし、ファラオの呪い等は馬鹿馬鹿しいの一言で結論付けられている。なーんだ!それでも、最終章の、ツタンカーメンに纏わる血統や何故ツカンカーメンの墓はカーターによって発見されるまで3000年もの年月を残ったのかの解説は中々面白い。それにしてもツタンカーメンの時代から既に存在していた、墓泥棒の知恵は見事と言うしかない。原著は約40数年前に書かれ、殆どは既知の資料で、今年各地で開催された「エジプト展」に合わせ、翻訳され刊行されたもの。原書を忠実に翻訳に努めようとしているのだろうが、読む方は言葉の意味や言葉の繋がりを理解するのに苦労した。原著の奥深さを理解するには、ある程度の予備知と洞察力が必要だなと思った。
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最近読み終えた本 - 「誰も知らなかった毛沢東」

2012-12-27 06:42:14 | その他
       「マオ 誰も知らなかった毛沢東」
中国に関する読み物が、このところ続いた。
それも歴史物が多かったのだが、「胡錦濤 中国の新覇権戦略」を唖然として読んで、続いて読んだ「マオ 誰も知らかった毛沢東」には更に唖然とした。「マオ 誰も知らかった毛沢東」の著者、ユン・チアンは「ワイルド・スワン」の著作があり、紅衛兵を経験したあと農村に下放され農民として働いた経験を持つ。文化大革命時、農村に下放された都会人の生存率は非常に低かったらしいが、その苛酷な労働経験を生き残った。なにせ、上下巻合わせて1000ページに及ぶ大作なので、とても全巻読むのは困難と判断し、毛沢東の意思が強く表れている下巻をとりあえず読んだ。

公文書、毛沢東と接触した数百人もの中国国内外の人々へのインタビュー、関係各地の調査多くの参考文献や関係者とのインタビューを通じて纏められたとある。もし、書かれていることが事実ならば中国のみならず、当時の日ソ米も含めた国際政治動向が詳しく記述してあるので、政治史として読んでも当時の国際状況が良く理解できる。全篇を通じて、毛沢東の実像が赤裸々に描かれており、混沌とした中国政治とそれに深く浸透するソ連の暗躍にビックリしてしまう。まさに、毛沢東の蛮行と世界戦略、それを阻止したいソ連との政治的やり取りは、知らなかったエピソードが連続して登場し、驚きの連続。

毛沢東と中国共産党の軌跡を読むうえで、この本は非常に面白いものだが、下巻の各項を通じて共通していることと言えば、権力闘争の過程で中国国民7000万以上の犠牲者を出したことや、毛沢東が核兵器による超大国化を達成するためなら中国人民の半分が死ぬことも厭わずと主張している等、全編、中国人民からの搾取と殺戮の連続そして同胞の粛清の連続で綴られている。毛沢東本人の地位保全の謀略たるや、すさまじいの一言。 毛沢東にとっては共産党組織や家族は彼が生き残るための道具でしかない。偶像化され、今なお、その思想を持つ政権が継続していることを考え併せると、中国の行動志向を注視しておく必要性を改めて感じさせるものだ。

本の中盤以降、ソ連式の暴力思想を取り入れた中国共産党は、一環して支配地域で残忍な血の粛清を行っていく。
自らの権力欲のために、人々へのテロと搾取だけでなく、数万の友軍でさえ平気で抹殺するその破滅性癖は、古今東西のあらゆる暴君以上で、中国の歴史でもこれ以上の暴君は見当たらない。死ぬまでの保身を最大限の目標と置き、民衆の生活改善や優先課題など一切考えず、娯楽・文化をも抹殺し続けた。その間、毛沢東は愛人を取り変えつつ強固な作りの部屋で過ごした。自己中心的な保身と権力に執心して、秘密警察を多用し、党幹部の行政能力にはすぐに嫉妬して攻撃を仕掛けるなど、全てが自分のみの保身と権力のみにしか関心がない。「資本主義国よりも豊かで、平等で、より素晴らしい社会を築く」という理想主義のかけらなど彼の心の中に一切なかった。

ソ連から軍事技術、特に核兵器技術を取得するため、人民の飢餓などなんとも思わず食料を輸出して国内では7000万人を餓死させた。要するに毛沢東にとっては、世界征服して、自らが世界の帝王となる、という野心が一番重要で、覇権主義の最終目標としての資本主義アメリカとの戦争を目論んだ。戦争による人民の犠牲は厭わないが、自分自身の安全は何が何でも確保する、呆れた自己中心主義毛沢東の思想が終始言葉を換えて記述されている。

圧巻は、「文化大革命」と「林彪事件」
毛沢東の超大国化計画に反対した事を根に持って、彼ら統治機構の大半を占めた幹部層を逆恨みし、No2に指名した林彪を使って静粛し続けた。彼らへの「報復のために」発動し、経済、社会、文化を全てボロボロにまで破壊したのが「文化大革命」である。しかも、この文化革命を詳細にかつ器用に指導させたのが、周恩来。毛沢東の命令に一切反抗できないイエスマンとなって、細かく全国規模で「文化大革命」を指導、監督した。これまでの周恩来のイメージがぶっ飛んでしまう。しかも、最後には林彪を自滅に追いやってしまうから凄まじい。


★読んでいて思い出した。浅間山荘事件の赤軍派だ。
赤軍派による浅間山荘事件等での「総括」という権力闘争では、集団つるし上げが日常的に行われ、結果、「粛清」という名の殺人事件が頻発していた。日本の赤軍派の静粛規模を中国全土に展開した闘争行動が毛沢東の「文化大革命」だと言える。 中国式「つるし上げ、批判集会」で、幹部の大半や中国人民を理由もなく排除、粛清した。結果、毛沢東時代の中国国民は、雑草と泥で作った饅頭を食べて空腹を誤魔化したり、雑草と泥しか食べられない生活で体が痩せ衰え、免役抵抗力もなくし、ばたばたと民衆が飢え死にした。そして、最近の北朝鮮でも、よく似た事例が報道されていることから、今なお、毛沢東思想は独裁国家では生き続けている。

最初は唖然としつつ読み進めたが、中盤くらいからまるでアメリカ西部劇やスパイアクション活劇を読んでいる雰囲気にさえなってしまう程だった。しかし、この毛沢東のイメージ像に反発する人達も当然持論を発表しているはずだから、次はこのあたりと調べてみたい。
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故郷の友人が国会議員になった

2012-12-25 06:35:29 | その他
16日の衆議院選挙、長崎2区は「自民党加藤寛治が当選」した。
故郷三会村小学校、中学校から島原高校までずーっと一緒で同学年だった。
高校卒業後、彼は東京の日本大学に進学し、その後故郷に帰り県議に当選。
冠婚葬祭で故郷に帰ると、その席に加藤寛治君が何時も居た。
かわす挨拶は、昔からのままで名前を互いに呼び捨てにして「元気な」と方言で言葉を交わす程度。
小学校、中学校から高校まで一緒で、学校帰りには何か付け加藤君の自宅へよく遊びに行った。
そのころから身長が高く現在も180cm以上、今風に言うと「ジャイアン」のような性格で、何故か、寛治とは非常に気があって仲も特別良かった。
寛治の父親も長崎県の県議で県会議長までなった人だが、彼自身も県会議長までなった。寛治のほうが父親より性格も能力も優れていると思う。
その加藤寛治君が初めての衆議院に挑戦し初当選、国会議員となった。・・・おめでとう!

今年の夏頃、衆議院に立候補するとの案内をもらった時、無理だろうと思った。 と言うのは、
同じ長崎2区には、前回選挙で自民党の久間章生元防衛相を破り、政権交代を実現させた「風」の象徴的存在だった、民主党の福田衣里子がいる。
民主党の福田衣里子も立候補するはずだがら、福田衣里子には勝つ見込みはないなーと思っていたら、なんと民主党から離党。
しかも、彼女は「みどりの党」に移籍、紆余曲折あって最終的に「日本未来の党」から比例代表近畿ブロックから立候補、しかも末席。
それなら勝てるかもしれないと思っていたら、今度は同区に久間章生元防衛相が立候補する予定だとも聞いた。
久間元防衛相は頭脳明晰な人材なので、久間さんとの勝負は難しいだろうと思ったところ、長崎自民党県連は加藤寛治を推薦決定。
民主党県連も候補者の人選交渉に難航。急きょ長崎県雲仙市長の奥村慎太郎が立候補すると表明。
奥村さんは自民党の久間章生元防衛相の元秘書だが、準備不足は否めなかった。

いよいよ加藤寛治君にフォローの風が吹きつつあると思っていたら、全国的な自民圧勝の波に乗り、他候補に大差をつけての勝利。
県議を8期務め、議長を経験。時間をかけて地域の後援会組織を強化し、支援者や企業を回った。推薦団体は千を数えたという。
2区は農業票が多く農業団体からの強い支援もあり、TPPには絶対反対を掲げているようだ。
日本の国会は「地方代表」の性格が強くそうならざるを得ないので、今後はどうあるべきは別として、これは理解できる。
しかし、個人的な思いとすれば、TPPなど早く決着し貿易立国を早急に再確立してくれと思っている。
安倍政権は最初の躓きさえなければ長期政権になる可能性が高いので、寛治の活躍も遠目に見る事ができる。
まー、何れにしても、小学校時代からの友人が国会議員になった。・・・おめでたいことだ。


加藤寛治君の政治信条は「千里同風」とある。
意味するところがよく理解できないが、こういうキャッチコピーが地方の有権者には受け入れ易いのかな?
都会で暮らしていると、「千里同風」を解釈するに、斜に構えて意地悪く言うと悪く捉えられてしまうのだが。

        

政治信条は、「千里同風(せんりどうふう)」。
 千里の先も同じ風が吹くという、世の中すべての人が等しく穏やかであり、幾久しく公平な幸せが行き渡るような社会を目指す」
「もう遠い昔に成りました。昭和五十七年、第四十四代県議会議長であった父の後を受けて、県議選に出馬以来、
 『千里同風』の政治信条と地域密着型政治を掲げて、ただひたすらに政治の道を邁進して参りました。
 友は、「少し自分の時間を持ったら?」と何度言われたことか、でも「これが私の天命」と、常に自身の使命を問い、駆け足で走り続けて来た思いがします。
 そして今、最大の転機が訪れました。それは、多くの同僚・友・そして見知らぬ方々からまで「頑張ってください。」と激励され
「衆議院選挙への挑戦」を決定づける「自民党第二選挙区支部長」への推薦であります。
 そして、熟考熟慮の結果、それが私の天命なら、あえて否定することなく、これまで歩み続けた政治家の集大成として政治姿勢を変えることなく、
 都会も片田舎も同じ幸せを享受できる公平な「千里同風」の政治を全うする事こそ、私に課せられた生涯の使命として一身を投げ打つ覚悟に至りました。
 どうぞ皆様、この決意をご理解いただき旧に倍しますご指導・ご支援を心よりお願い申し上げご挨拶と致します。」



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年賀状 と モンブラン 

2012-12-23 06:35:06 | 日常生活
庭の植木、バベと梅の剪定を終えた。ヒイラギは夏の選定後、そんなに伸びなかったのでそのまま。これで正月に向けての外回り清掃は終了。
これから、年賀状書きに切り替えよう。
現役の頃は時間がなかったので印刷屋に見本を選んで依頼していたが、現役を退いてから、年賀状のイラストはパソコンから選び出しプリンターで印刷している。
このイラスト選びと構成に毎年頭を悩ます。作ってしまうとどーってことはないだが、正直作り終えるまでは難儀する。
表の宛名書きは毎年自筆で書くようにしている。相手が頭に浮かび易いし、コメントを追加するときなどは、その方がスムーズに筆が進む。

     

10数年前に、モンブランの万年筆を手に入れた。それ以来、モンブランで年賀状の宛名書きをしている。
モンブランを手に入れるまでは、毎年、宛名書き用の筆ペンや太先のインク式ボールペンだった。
ところが、年末に年賀状を書こうと思い立つと、一年一回しか使用しないのに、いつもペンが見当たらず毎年違うペンを買うはめに。
そこでモンブランに変えてみることにした。少し固めに感じるもののペン先が滑らかに滑るので非常に書き易く、淡い墨芯のインク色にも満足。

モンブランを使うのは宛名書きだが、せいぜいその程度。
字がもともと下手糞なので、一生懸命書こうとはするが、今まで一度足りともよくできたと思ったことは無い。
読めない字で変わった配列に書かれた年賀状をもらっても相手も嬉しくないだろうと思ってしまうので、丁寧と書こうという意思だけは強くある。
万年筆を使用するようになってから、ほんの少しだけだが、もっともらしく宛名書きの体裁が整って見えてきたのはモンブランのお陰かもしれない。

しかし、手書きの手紙など年賀状書きぐらいしか機会がないのに、やっと年賀状を書こうと思いつきモンブラン万年筆をだすと、今度はカートリッジのインクが無い。
ちょうど年末のクリスマス時期と重なるので、孫のクリスマスプレゼント買いに明石のトイザラスに行った際、いつも店内の「ながさわ」でカートリッジを買う。
ところが、ボールペンなどカラフルで種類が豊富なのに、インクカートリッジは店の中を探すも何処にも見あたらない。
店員に尋ねると、レジの真向かいの一番下段に置いてあった。つまり、誰もモンブランの墨芯などこんな処で買う人などいないと言う事か。
そういえば、店に万年筆など何処に置いてあったのか覚えていない。
でも、今年も「MIDNIGHT BLUE」を買った。8本入りなので、当分大丈夫だろう。

こんなことをしながら、年賀状書きは年末の一大行事で、今年もやっと済んだ。





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体質は変わらないものかな?

2012-12-21 06:33:49 | その他
      「厳重注意、三菱自動車の記者会見」

少し前だが、親友のブログ「Sam'sダイアリー」に、ダイハツ軽4の新車を購入したと書いてあった。それは良かったねと思って購入動機を読んでいたら、なんと前車の三菱EKワゴンのミッショントラブルで店の対応が最悪だったので、ダイハツに買い替えたとある。今時、こんな四輪販売店があるのかと唖然として読んだが、何か釈然とせず気になっていた。ところが、20日の新聞各社の電子版に「三菱自動車へ厳重注意、国交省、リコール対応等で」と報道されている。国交省によると、「三菱自動車側からエンジンが停止する前に油圧の警告ランプがつくという説明を当初は受けていたものの、後からエンジンが停止するまでランプが点灯しないケースがあったと報告してきたり、三菱自の社内調査でエンジンオイルが70分で漏れるという結果が出ていたにもかかわらず、「徐々に漏れる」という曖昧な説明をされたりしたという。」 つまり、SamさんのEKワゴンと同じ、エンジンからのオイル漏れという重大不具合に対する品質認識が極めて甘かった。更に悪く言うと、品質不具合の深刻さが既に判明していたのに顧客にも、報告義務のある国へも隠した。
やはり、「企業体質はそんな変わり得ず、期待するほうが無理か?」と改めて痛感した。

Samさん(エンジン開発の経験豊富な技術者)の三菱車不具合を簡単に書くとこうだ。
「『EKワゴン』は購入して9年目になるが 8月に車検を受けたばかりで、運転は娘と家内のみ。買って1度も「高速道路」を走ったことがない。走行距離は『53,421km』『この距離でトランスミッションが壊れるか???』 整備担当者から故障の経緯説明があったが当然納得がいかない。走行距離も少なく チョイ乗り程度の車が!!!そして 最終的に 『どうされますか? 修理されますか?』その値段が42万円。 
「チョッと待て!!!』 これが走らないにしても「高速道路」で故障していたら『大事故になっていたかも知れないのに!!! ・・・その言いぐさはないやろ!!』
これまで、エンジンのオイル漏れで「オイルシール」交換5万円弱、これも今まで経験したことが無い。
~で なんだかんだで 今回の『ダイハツ ムーブ』 になったわけ。 『ミツビシ』は懲りた。いろんな意味で!!!」

知らぬ存ぜぬで、責任を顧客に押しつけていたが、結局、不具合が明らかになり、三菱自動車に対し、国土交通省が異例の口頭による厳重注意に踏み切った。2000年の自動車業界始まって以来の大不祥事(リコール隠し)トラブルが続く体質が改善されていない点を重視され、経営危機を経ても教訓を生かせず、意識改革が進まない深刻な事態に陥っている、と報道されている。

メーカは販売店からの不具合報告が来なければ不具合など知り得ないが、少なくとも顧客に責任はないはずで、どこに市場不具合票が飛んで消えるのだろうか。自動車も機械製品だから100%壊れない等とは言い切れないので、3σ、はたまた6σの品質基準を設けて生産するものの、不具合防止は100%できない。そのために、設計や製造に纏まった責任が認められれば早急な市場対応が義務づけられ、個別の市場対応をせざる得ないケースだって十分にある。その対応を確実に行うことで顧客との信頼性を築いてきたのが自動車業界の歴史。

自動車業界は日本の経済界を牽引するリーダー格であり、常にその動向は注目され続けてきた。
それまで市場から何ら問題視されなかった自動車業界へ信頼性を崩したのが、一自動車メーカの汚点に端を発した、2000年の三菱のリコール隠し。その後、自動車業界は業界全体の問題として捉え、市場からの信頼を再度取り戻すべく、その期待に真摯に応えるべく対応を採ってきた。例えば、品質に関する部門を会社組織の筆頭に置いている企業が多いのも、その表れでもある。市場で発生した問題、特に市場不具合は経営トップが周知すべき事として内規に盛り込まれているはずだし、市場不具合対応もトップの早急な判断が求められてきた。

その当時の状況を以前のブログ「不祥事」にも書いているので再掲してみると、『当時、「三菱のリコール隠し」は刑事告発までに発展し、国交省はリコール監査を全自動車メーカに対して徹底的に実施した。三菱より遥かに事業規模の大きいトヨタ、日産からリコール隠しに類する不祥事等は聞いたこともなく、ルールに基づいた対応さえしておれば特段に問題となるものではなかったのだが。

三菱自動車は三菱重工業の関連企業だったこともあり、重工業と名のつく傘下企業は更に詳細に調査されたようだ。
重工業と名のつく企業は同質の問題を内在させていると邪推されたのだろうか。当時社長が言っていた「川崎は重工業でも柔らか頭の柔工業です」と冗談を言いながら監査をうけた。それでも、担当以前の過去の言質や不具合の流れ等をしつこく調査された記憶がある。結局、三菱自動車以外からはリコール隠しに類する指摘はなかった。

三菱自動車のリコール隠しの本質は当時新聞等に詳細に報告されており、公表された一部を記述すると、
「元々持っていた三菱自動車の企業風土に加え、開発過程での品質テストがおろそかになった」、「部門間の人事異動が乏しいため、相互チェックが働かない」「三菱のディーラーは与えられたノルマをこなすだけで、接客態度もよくなく、市場不具合の流れが確立されていない」「「命令―服従」の組織構造においては、部下が自社の反倫理的情報を収集しても、それが上司によって強圧的に抑圧されたり、また上司がそれを故意に聞き流したりして既存の情報網から濾過してしまう可能性があった」
つまり、三菱自動車のリコール隠しは、徹底した縦割り社会が形成された中で、部門毎の情報の抱え込み、つまり官僚的な要素を強く持った企業だった事に加え、事業トップが市場不具合を認めない等々がリコール隠しの主因と分析されていた。』

つまり、今回の不具合は一企業の固有の体質だろう。
三菱自動車は2000年、長期間にわたる組織的なリコール隠しが明らかになり当時の社長が辞任。この後グループ会社のトラックが脱輪事故を起こし、04年に2度目のリコール隠しが発覚。2件の事故では、元社長らが業務上過失致死罪などに問われ、有罪判決が確定。うち1件を巡っては東京高裁が「リコールをしていれば事故を防止できた」と指摘した。さらに、90件以上の欠陥隠しを繰り返していたことが04年から05年にかけて次々と判明。リコールの対象車両は延べ250万台以上に上り、消費者の三菱車離れから経営危機に陥った経緯がある。三菱自動車は「お客様第一」「安全第一」を掲げ、品質を統括する専門部署などで対応する姿勢をみせてきたが、リコールの認定範囲を渋ったり不具合を過小評価したりする体質が変わっていないことが今回改めて露見した形となった。如何に経営トップが代わっても同じ企業内でたらい回しする限りは、体質は変わり得ないことを今回の事例は示している。

今の日本市場に限ることではないが、ユーザーと企業との密接な接点をどのように具体的に構築していくかが問われ、いち早くユーザの信頼を勝ち得た企業が勝組みとなっている。例えば、日本の自動車販売店では、既にハード(商品)を店頭には並べず、遊び等のサービスを主体に販売を展開しているメーカもあって、ユーザから好評を得ている。ハードを主体にすると、どうしても鼻の差の競い合いに目が行き易く欠点を隠そうとなり易いが、そんなことより、ユーザーの興味は企業に対する信頼性の高さにある。 
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Facebookに、昔のモトクロス・スターの写真があった

2012-12-19 06:31:45 | モータースポーツ
Facebookをめくっていると昔懐かしい写真が投稿されていることがある。
遠い昔のことだが、記憶の中は昔のままの映像しかないので、突然見るとそのままが思い起こされるから楽しい。

向かって左からM・バーネット、J・ワード、B・グローバー、D・ベイリーだと思う。
グローバーを除けば、カワサキと何らかの縁があった。共に、当時の世界最高の域に達したライダー達。
            

次のB・ハンナ
ヤマハで一世を風靡したモトクロスチャンピオンで、手がつけられない程に圧倒的な強さがあった。
カワサキマシンでレースを戦って欲しかったライダーだから、色々な思い出がある。
                 

当時のホンダ軍団。
揃いのライディングギヤで決めた軍団には驚いたが、この軍団がサーキットに現れたら、誰でも側に寄って見たくなるだろう。
他者を寄せ付けないホンダのプレゼンスが旨く表現されている。 素晴らしい!
最近のアメリカンホンダは何をしているのだろう? あれだけ活躍したスーパークロスレースから撤退したのかな?
                

       

 
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自由民主党、圧勝

2012-12-17 08:22:44 | その他
今朝、早朝の「安倍総裁」投稿のFacebook。
「皆さんのご支援のおかげで「日本を取り戻す第一歩」を踏み出すことができました。しかし、本当の闘いはこれからです。
「結果」を出していかなければ、自民党や私への支持や信任も、あっという間に消え去ってしまいます。
しっかりとした結果を出していく。まずは、「経済」そして「安全保障です」。」
他党に先駆けた、自民党のネット戦略は非常に分かり易く我々末端まで素直に受け止められた。

3年ほど前にあれほど期待した、民主政権いや民主党のたちの悪さは結果的にどうしようもなかった。特に、大臣に任用された党員の質の悪さには本当に唖然の連続。
しかし、自民党、3年前、麻生政権は歴史的敗北を喫し、自民党が野に下ったが、「有権者が小泉改革にNOを突きつけた」と評したが本当だろうか。
その分析は、きちんと出来ているんだろうか。

気になっているのは、「イデオロギー路線」だ。
衆議院選挙を間近に控えて、自民党の憲法改正案が話題になった。 
その中で、自民党の参議院議員「片山さつき」の次の発言は特に気になった。こうだ。
「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。
国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!」
此処まで踏み込んだ発言を、自民党の憲法改定委員は言う。 これに対し、「天賦人権論の否定なんて言語道断だ」という反応があるのは自然のこと。
この延長上に、徴兵制も考えているかもしれない。憲法にある奴隷的拘束条文削除も、誤解を招く内容だった。
「イデオロギー路線」に走るなら、自民党のへの理解も一気に冷める。誤解されるような表現・内容は避けるべきだ。

もうひとつは気になっているのは、ばらまき路線の再考。
自民の集票基盤だった農村部の一次産業は衰退の一途をたどっており、ほっておいたら自民党はもっと早くに自滅していたかもしれない。
それを回避するには、苦手としていた都市部の無党派層の支持を集める以外に道は無い。そしてそれをやってのけたのが小泉政権。
自民党の支持基盤は、すでに農村や土建の分野から都市部に移行しているのだから、都市部に内在する喫緊の課題「景気と雇用」に早急に対応すべき。
GDPの1%にも満たない農業支援のためにTPP反対とは理解不能、TPPで99%の国民は経済的利益を享受できる。


■みんなの党の基本路線とは考えが近く、その経済政策を支持していたので期待していたが、脱原発に固守しすぎた。
選挙の関心アンケートでは「景気と雇用対策」がダントツのトップ、次は「社会保障」。「原発問題」への関心はあまり高くない。
もしも景気と雇用を悪化させる「脱原発のデメリット」が広く知られたら、誰も脱原発を支持しない。

■民主党、野田総理は中々の人物だと思っていたが、なにせ前の2名の代表がどうしようもなかったので、再度立ち上がるには時間がかかる。
加えて、輿石某という幹事長など、政局のみに終始し、民主党への信頼を遠ざけるだけの政界を渡り歩いているヌエのようだった。
15日の神戸新聞に、鳩山元代表が涙目で地元北海道候補の応援をしている場面があったが、こんなのが一国の総理大臣だったのかと思うと、どうしようもなく悲しくなる。
結果的に、田中文科相ら8閣僚落選、現憲法下で最多と報道にあったが、それはそうだろう。
純粋に民主党らしく結党し直し、新代表を筆頭に自民党に対峙できるように成長してほしいと期待している。
優秀な知識豊富な幹部クラスもいるので将来は期待できるはず。

■日本維新の党にも期待したが、公約らしきものが公表される度に党首の発言がぶれる。橋下市長の勇ましい雄弁はどこに行った。
橋下さんは、本当に頭の回転のよい優秀な資質の首長だ。彼が脱原発を捨てたのは現実的で正解だと思う。が、諸政策が太陽の党と一緒になってから駄目になった。
NHKテレビの党首会談での斜に構えた党首発言等、正直がっかりで、将来を任せられない。もう少し活動内容と実績を観察すべきと痛感。
維新がみんなの党と一緒になれば応援したけどな。

■原発反対者が祭り上げている、金持ち音楽家の原発反対意見を読んで、原発反対理由がこんな薄っぺらなものかとガッカリした。
曰く、「この「原発はあぶない」っていうのは感覚的なものなんだよね。僕はべつに放射能の専門家じゃないわけで、ただひとりの市民として、感覚的に「危険だ」と感じているだけ。」
音楽家だから歌うと平和が訪れると勘違い。しかも彼は成功して暮らしに困らない。彼は電気が無くても適当に暮らせるが、我々はそうではない。ドイツと同じ道を辿りたくない。
金持ちの道楽発言を聞いて、未来の党は絶対ないと思わざるを得なかった。
ましてや、「何でも反対」の社民党と言う党の存在って何なんだろう。
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西明石駅のイルミネーション

2012-12-13 06:25:51 | その他
  「2012年度版 西明石駅イルミネーション」

昨年12月、元町から忘年会帰りの女房を西明石駅に迎えに行った際、いつもは新幹線側の乗車口を利用するのが、その日は在来線側周りで通った。
その時初めて在来線ターミナル中央ロータリーにイルミネーションが設置されていることに気付き、「昨年のブログ」にも書いた。
それで、調べてみると今年の点灯式は12月9日で、既に何年も前からイルミネーションが付けられていたと知った。
西明石の玄関口は新幹線側に移行して久しいが、西明石近辺での忘年会の帰り、利用する人は在来線側が多いようだ。
たまたま写真を撮った日もそうだったが、イルミネーションをバックに写真撮影している人達も結構多く、在来線口イルミネーションの周りには暖かさが漂う。
節約傾向が蔓延し、如何にも暗い世情となっている。このイルミネーションも地元の有志を募って成り立っているらしい。
そんなに高額の費用が掛かるわけでも無いし、景気の良さ、羽振りの良さを前面に出すことで、西明石をパーット明るくする夢を売る企業よ出て来てと思うのだが、どうだろうか。
 
        

        

西明駅イルミネーション情報:「西明石の街を彩る★駅前イルミネーション
         「2011年」

         「2010年」

        
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