野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

米で“サムライ”と呼ばれた男 ②

2016-09-30 07:02:55 | 二輪事業
9月28日の産経ニュース【銀幕裏の声】”サムライ”と呼ばれた男の続編が掲載された。22日の産経ニュースに掲載された「”サムライ”と呼ばれた男(上)」につづく下巻なので、転載しておこう。

米ドラマ「白バイ野郎ジョン&パンチ」で、ジョンとパンチの白バイ警官が乗っていたKZ1000POLICE、ハリウッド映画「トップガン」で 主人公の戦闘機パイロットを演じたトム・クルーズが乗っていたGPZ900R。いずれも劇中で日本のカワサキ製バイクが活躍している。 「どうしたら後発メーカーのバイクが米国に浸透できるか? 自分が開発したバイクで米大陸も横断しました」。こう振り返るのは、 これら傑作バイクの生みの親である元川崎重工常務、百合草三佐雄さん。米国でカワサキモータース(KMC)社長などを務め、 カワサキの大型バイクを米国市場に普及させた立役者だ。だが、決して順風満帆ではなかった。「とんでもない事件が起こったんです…」。軌道に乗り始めた大型バイク事業を脅かし、社の存続さえ揺るがす事件の真相を百合草さんが吐露した。

 「白バイ警官転倒続発で“欠陥バイク”の濡れ衣 敗訴で賠償金100億円」
百合草さんが開発に関わったZ1の白バイバージョン「KZ1000POLICE」は、米国のCHP(カリフォルニア・ハイウェイ・パトロール)や、 LAPD(ロサンゼルス市警)などで採用後、米各都市の警察でも採用が決まっていった。KMCのR&D(研究・開発)所長時代、百合草さんが奔走した結果、 その高い性能、信頼性が全米で認められた証しだった。 「しかし、帰国後、とんでもない事態に見舞われたのです」と百合草さんが語り始めた。 「テキサス州で白バイ警官が転倒する事故が起きたのです。それも何件も発生し、その原因がバイクの欠陥だとして集団訴訟を起こしてきたのです」1983年、カワサキ側は敗訴。その賠償金は当時の日本円で約100億円という巨額にのぼった。さらに米交通安全局はリコールするよう通達してきた。 「社の上層部からは“もう会社はつぶれてしまうかもしれない”と言われました。しかし、私は絶対におかしいと思いました。 バイクの安全性については、CHPやLAPDなどでの白バイ採用の厳しい合同テストをクリアし、絶対の自信を持っていましたから」  百合草さんはすぐに米国の弁護士に相談したが、返事はつれなかった。「米国で判決を覆すのは難しい。リコールで応じた方がいい」。つまり泣き寝入りしろという提案だった。この対応に、いつも冷静で謙虚な百合草さんが怒りを爆発させた。「そんなばかなことがあるか。私たちは時間と労力を惜しまず安全で高性能なバイクを開発した。 断じて欠陥バイクなどではない!」と。

 「事故が起こって当然? ずさんなメンテナンス」
百合草さんは直接、同局へ出向き交渉した。理路整然とした百合草さんの反論を聞き、同局は「調査のために1年間の猶予を与えよう」と提案してきた。 ただし、立証責任はカワサキ側にあった。 百合草さんたちはただちに調査を始めた。すると、驚くべき事実が明らかになってきた。 日本と違い、米国の白バイ警官は自宅から白バイに乗って出勤、そのまま帰宅していた。バイク管理は個人に任され、毎月決まったメンテナンス経費が個人あてに支払われていたのだ。 「しかし、彼らは経費を浮かそうと、バイクが壊れるまでメンテナンスしていなかった事実が分かってきたのです」 いくらタイヤが摩耗しようと、チェーンが傷つこうと、故障する限界までメンテナンスを怠っていたのだ。白バイはいつ転倒してもおかしくない状況で、 高速運転で逃走車両を追跡するなど過酷な業務を行っていた。 百合草さんたちは約3カ月の調査で、これらの結果をまとめ同局へ提出した。その結果、“欠陥バイク”の汚名は返上。リコールも免れ、巨額の損害賠償の危機も回避された。

 「クライスラー&カワサキ製 “幻”のスポーツカー秘話」
米国のバイク市場で“世界最速”の名をほしいままにしたカワサキの大型バイク。その性能に、ある巨大自動車メーカーが目をつけた。「実はクライスラー社から、カワサキのエンジンを積んだ小型スポーツカーを共同で開発できないか、と提案してきたのです」1985年当時、日米を代表する技術力を誇る両メーカーによる夢の高性能小型スポーツカーの共同開発計画が進んでいたというのだ-。 百合草さんはカワサキ側代表として何度もクライスラー側と交渉を重ね、急ピッチでテストカーの開発は進められたという。 「第一次のプロトタイプカーが完成。私も試乗しましたが、若者向けの優れたコンパクトカーでしたよ」と百合草さんが明かす。 しかし、突然、クライスラー側は新車の開発を中止し、計画は幻に終わる。当時、クライスラー側で新型スポーツカーの開発に最も熱心だったスパーリック社長が、 アイアコッカ会長との意見の相違で退社したのが原因とされているが、真相は不明だ。 もし、カワサキエンジン搭載のクライスラー製スポーツカーが販売されていたら、現在の世界の自動車メーカーの勢力地図は違った形になっていただろう。 百合草さんはアイアコッカ氏とも親交が厚く、「なぜ彼は計画を中止したのでしょうか? Z1などのバイク技術が、四輪にどう生かせていたか-と想像すると残念でなりません」と 百合草さんはつぶやいた。

 「夢はバイクから航空機へ」
長年、バイクの研究・開発、米国での販売などに尽力した百合草さんは平成5年、川重取締役となり、航空宇宙事業本部副本部長兼ジェットエンジン事業部長に就任する。 「私は航空機を作るために入社したのです…」。血気盛んな新入社員の頃、上司に申し出た百合草さんのこの熱い思いを会社はずっと忘れていなかったのだ。 昨年初飛行に成功した国産初のジェット旅客機「MRJ(三菱リージョナルジェット)」の開発には、その中心となった三菱航空機の他、 企業の垣根を越えた“オールジャパン”の技術力が結集されている。そこには、「日本航空宇宙学会」関西支部長や「日本航空機エンジン協会」理事などを務め、 日本の航空機産業の発展に長年尽力し、そしてYS11の設計者の一人、土井武夫の遺志を受け継ぎ、誰よりも航空機を愛してきた男、百合草さんの智恵が生かされている。
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葛も夾竹桃も実に変る季節となった

2016-09-28 06:12:42 | 野々池周辺
通年を通してほぼ毎日5時半前後に起きる。この時間帯では、真夏時は朝日が既に登りドアの取っ手も朝日で暑くなりかけていた。
ところが、今の季節、東の空はやっと日が昇る寸前で、空は白くなりかけ少し肌寒い時間帯へと変わりつつある。

朝の気温は23度近辺まで低下したが、昨日、今日(27日)と昼間は蒸し暑く、今日現在の気温は31度まで上昇。
日曜日の夜半から月曜日だった昨日の朝までかなりの雨が降って、その後、晴れたせいもあって終日蒸し暑かった。
その中を、野々池貯水池のジョギングコースに上がって、外周路を速足でウォーキングしていると、日頃見ることもない実に出くわした。

    「僅かだが、今なお咲く野々池の葛の花」
葛と夾竹桃の実だった。毎年、葛の花も夾竹桃の花も夏場に咲き誇るが、花の結実を今迄見たことがなった。
わずかだが葛の小さいな花を見つけたので傍によってみると、周辺に葛の実がたくさん付いている。
    「葛の実」
葛は漢方の万能薬として重宝されているのは良く知られていることで、根は勿論、花や葉、つるも薬として活用されているが、実の効用を探すも見当たらない。

その葛の実の傍で、夾竹桃の実を見つけた。
夾竹桃は樹全体が有毒なので一切触ら無いようにしているが、実がなるとは知らなかった。
   
夾竹桃は花、葉、茎、根、おまけに土壌にまで毒性をもたらすと言うのは有名なので、触らないようにしている。
万能薬としての効用が極めて高い葛が夾竹桃の樹にまとわりつき、花を咲かせ実をつけるとは面白い。

加えて、以前紹介したネムの樹の実は現在こうなっている。
 
もう少し乾燥して、強い北風が吹き始めると実は樹から離れ四方に飛び散るはず。
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この件、どうなったのだろう?

2016-09-26 06:24:18 | モータースポーツ
23日の米国モトクロスネット誌”MotocrossAction”のRUMORS, GOSSIP & UNFOUNDED TRUTHS: SIGN ON THE DOTTED LINEの中に面白い記事があった。米国における工場(メーカー)側と契約するワークスライダーの法的位置づけを解説した内容だが、その中にライダー”Davi Millsaps”についても若干触れている。「(5) A factory rider can be terminated with five days notice for breaching the contract (without just cause) or being convicted of a felony-level crime  (or any act of moral turpitude or an act that reflects poorly on the team). No one outside of Davi and Kawasaki know what led to his release from Team Kawasaki  in the midst of the 2015 Supercross season. Davi has rebounded to land on the BTO KTM team for 2016.
  「Davi Millsaps :motocrossaction」

2015年中盤、米国モトクロス・スーパークロスレースシリーズの途中で、米国カワサキワークスモトクロスチーム” Kawasaki Racing Team”から解雇され、その後、KTMチームでレースを転戦した”Davi Millsaps ”の件だ。

カワサキワークスは個人的に贔屓にしているチームで、その動向や戦績は日頃から気に掛けている。2014年以前までは、米国モトクロスシーンにおいて、カワサキは最強チームNO1の位置付けで高く評価されてきた。2015年、4年連続スーパークロスチャンピオンだった、カワサキの大スター”Ryan Villopoto”が米国のレースを一旦中断し欧州を中心とする世界選手権レースを転戦するに伴い、米国のカワサキワークスは新しく”Davi Millsaps”をワークスのエースライダーとして契約した。ところが、カワサキに移籍してきた Davi Millsapsは鳴かず飛ばずのレースを繰り返し、見る影もなく惨めな結果が続いた。毎レースのLAP CHARTや動画でレース展開を見ていたが、 Millsaps はずるずると後退し、ジャンプも上手く飛べない、コーナーではインを簡単に突かれる等、これがカワサキのワークスかと目を疑う場面も多かった。そして、とうとうシリーズ中盤でカワサキとの契約が破棄されると言う前代未聞の事態となった。米国の多くの専門ネット報道を読むと、カワサキと Millsapsとの契約破棄について、その理由を色々書いてあり、解雇された Millsapsが訴訟するとの噂の記事等もあるも、詳細は不明のままだった。年度途中のワークスライダーとの契約破棄という前代未聞の事態に、相互からの説明もないまま、 Millsapsは途中から他マシンに乗り換えレース参戦。なんとも不可解な事件で良くわからないままシリーズは終了した。カワサキワークスは結局スーパークロスシリーズ13位で終了。過去から連綿と続いたカワサキの輝かしい歴史の中、特に前年までは Ryan Villopotoによる4年連続チャンピオン獲得が続いていただけに、この戦績は目を覆うばかりに落差が大きく見えた。それは、カワサキファンのみならず世界中のモトクロスファンから信望を得てきた歴史だけに、残念に思っていた。

で、結局、米国カワサキモトクロスチーム” Kawasaki Racing Team”は”Davi Millsaps”を何故解雇したかの理由が全く不明のままに終わる。カワサキワークスを解雇された”Davi Millsaps”はその年に、カワサキの競合チームKTMチームと契約して米国のレースを転戦、今なお活躍している。この件は、どう言う理由でどのような経過でそうなったか相互に触れられずじまいとなった案件で、奥歯に物が挟まったままでいる。
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米で“サムライ”と呼ばれた男 ①

2016-09-24 06:30:18 | 二輪事業
9月22日の産経ニュース【銀幕裏の声】に、米で“サムライ”と呼ばれた男、”百合草三佐雄”さんの紹介記事があった。
カワサキ二輪事業の百合草さんについては話すことはいっぱいあるが、すぐに思いだした事をひとつふたつ。百合草さんは、カワサキ単車事業初期頃の単車実験関係の責任者の一人で川航技報に多くの論文を残され、且つカワサキのワークスレースの開発や運営に大きく関与した第一人者。また、KMCでは社長を含め在任時、その後米国オフロード市場を席巻した”TEAM GREEN”創設に携わり、加えてジェットスキー、ATVや多目的車MULEを初めて開発上市された。米国駐在時に、競争が最も熾烈だった米国モトクロスやロードレースでカワサキの大成功を導き、駐在から帰国後、再度レース部門の責任者を担当された百合草さんの一言、「全日本モトクロス選手権で勝て!」を信じて、以降モトクロス開発部隊の見直しに着手、連れて勝てるライダーとの交渉を本格的に開始した。「勝て!」の一声がなかったらのらりくらりの組織に終わった可能性すらある。とにかく、夢を具体化できる人で、どちらかと言えば地味なカワサキの開発陣に対し、その方向性を明確に指示した人だが、未来の形を語れる人が上位に立つ組織は良くなる。また、百合草さんは頭のきれる人で、昼休みに好き者が集まる4研ビル2階での賭けトランプでは常に勝たれるので不思議だった。メンバーは当時の各部門責任者たちばかりで、若輩でペーペーの私は記録兼雑用係だったので覚えているが、その閃きは見事だった。1976年、百合草さんがKMCR&D(MAIN通りにあった昔のR&D)の所長に着任された当時、私もテストで初めての米国出張だったが、大変お世話になった。その年に、ロングビーチでのF1公道レースの前座でイボン・デュハメル等がH2Rで走るというので、種子島さんや百合草さん等と一緒に見に行った記憶がある。
 
 「現在も百合草さんは、新たな国産旅客機開発の必要性の訴え、論文などを執筆:産経ニュース記事から」

以下、産経記事からの転載。
人気の米ドラマ「白バイ野郎ジョン&パンチ」やハリウッド大作の劇中、日本製バイクが活躍していることをどれほどの人が知っているだろうか? 
「カリフォルニア・ハイウェイパトロール(CHP)で採用されていたポリスバイクはカワサキ製。ロス五輪で聖火ランナーを先導したのもロス市警(LAPD)が 採用したカワサキ製です」。こう語るのは元川崎重工常務の百合草三佐雄さん。航空機のエンジニアとして入社後、世界最速の称号“NINJA=ニンジャ”の愛称で 米国のバイク市場を席巻した伝説のバイク「GPZ900R」の開発部長でもある。自ら米国に乗り込みカワサキモータース(KMC)社長も務め、 大型バイク王国・米国にカワサキの名を轟(とどろ)かせ、米国人から“サムライ”と呼ばれた男が挑んだ米開拓秘話を紹介したい。

 「ヒーローの愛車はカワサキだった」
米国のCHPに所属する白バイ警官、ジョンとパンチ2人組の活躍を描く米ドラマの傑作「白バイ野郎ジョン&パンチ」(1977~1983年)。 ドラマで2人が乗っていた白バイは当時、CHPで実際に採用されていたKZ1000POLICE(Z1000Aの警察仕様)だった。 同ドラマは日本でも昭和54年から放送された大ヒットシリーズ。当時、番組を見ていた人たちの中で、こう思い込んでいた人は少なくないのではないか。 当然、大型バイク大国“米国の象徴”ともいえるハーレーダビッドソン社製のポリスバイクが使われていたのでは-と。 当時、米国の大型バイク市場は、ハーレーダビッドソンなどの他、日本勢ではホンダのCB750などが勢力を拡大し、カワサキは後発メーカーだった。 61年、カワサキがこの牙城に挑むため、“白羽の矢を立て米国に送り込んだ”日本からの刺客が、新型バイクの研究・開発だけでなく、 グリーンのチームカラーで、世界のロードレース界を席巻した「チームカワサキ」の監督も務めた百合草さんだった。

 “カワサキのバイクを知り尽くした男”に「米国市場で戦え!」
百合草さんはA1、Z1、そしてGPZ900R初代“ニンジャ”などカワサキを代表する歴代名バイクの開発に関わってきた生粋のエンジニア。 51~56年にはKMCのR&D(研究開発)所長として米国でバイク開発に携わっていたが、KMC社長としての米国赴任は異例ともいえる指令だったという。 会社は“カワサキのバイクを知り尽くした男”に米国市場での社の命運を託したのだ。「君はバイクの開発責任者なのだから、今度は米国でそのバイクを販売するために市場を開拓してこい、というのが会社からの命令ですよ」と 百合草さんは苦笑しながら当時を振り返った。 百合草さんは技術者として、自ら開発したバイクを持ち込み、米大陸横断という過酷なテストを何度も繰り返した経験も持っていた。 そこで培った知識などを駆使し、米市場開拓の作戦を練り上げていく。

 高速道路の充実した米国での大型バイク需要、レース好きの若者を対象にした市販レーサー需要…。 開発者としての視点から米国向けバイクのニーズを分析していた百合草さんは社の期待に応え、米市場にぐいぐいと食い込んでいった。 世界最速の名をほしいままにした“ニンジャ”シリーズは、公道での「ゼロヨン」(約400メートルのタイムを競うレース)などレース好きの米国の若者たちの絶大なる支持を得て販売網を拡大。また、CHPやLAPDに採用されたKZ1000POLICEは、その信頼性から、米国全土か、 カナダの警察用白バイとしても採用されていった。

だが、決して順風満帆だったわけではなかったという。 「このKZ1000POLICEは、まさにカワサキの名を世界に知らしめた傑作バイクですが、後に社の存続を揺るがす事件を引き起こすことになるのです」。 百合草さんが明かした壮絶な“ある事件”については後編で紹介したい。

「売れるバイクを作れ」の社命、航空機開発資金を稼ぐためだった。 百合草さんは昭和10年、東京で生まれ、愛知県で育った。「戦後の日本の産業を復活するためには最先端の技術が求められる航空機作りの技術者が必要だ」との信念から、名古屋大学工学部航空学科に進学する。 大学で航空機設計について学んだ“師匠”は、旧日本陸軍の戦闘機「飛燕」や「屠龍」などの設計者、土井武夫さんだった。 東大工学部航空学科で土井さんと同期だったのが、零戦の設計者として知られる堀越二郎さんだ。 「土井さんからは当時、国産初の旅客機として研究・開発が進められていたYS11の図面を教材に講義を受けました。 航空機開発の草分け的技術者から“失敗の経験の尊さ”も教えられました」と言う。 YS11の設計には土井、堀越両氏が関わっていた。 百合草さんは、「国産の新型航空機を自分の手で飛ばしたい…」という夢を膨らませ、迷わず選んだのが川崎航空機工業。 現在の川崎重工だった。

 しかし、当時、日本の航空機産業は米国からの規制を受け衰退。戦闘機などの軍用機はもちろん、旅客機もYS11以降、自由に製造できる環境にはなかった。 入社した百合草さんへの会社の指令は、「新たなバイクを開発しろ」。配属されたのは二輪車部門だった。
「“私は航空機を作るために入社したのです”と上司へ抗議しました」と百合草さんは苦笑しながら当時を振り返る。「すると上司にこう言われたんです」 航空機作りの夢に燃え、熱く訴えてくる若いエンジニアを諭すように上司はこう語りかけた。 「航空機を研究開発するためには数千億円が必要なんだ。今、その資金はこの会社にはない。その莫大な開発費を稼ぐために、君に世界で売れるバイクを開発してほしい」と。 若きエンジニア、百合草さんは、大学で土井さんから受け継いだ航空機エンジン開発のノウハウを、「世界で戦える新型バイクのエンジン開発に注ごう」と強く心に誓った


 
 「平成6年、百合草三佐雄さん(右)は師匠の土井武夫さんを川重明石工場に招いた(百合草さん提供):産経ニュースから」


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台所の水道蛇口からスパウト脱落再発

2016-09-23 06:24:20 | 日常生活
台所の水道蛇口からスパウトが再び脱落した。
蛇口からスパウトが自然に下へ垂れ下がり、水が四方に飛び出し、暫くするとスパウトが洗い場の受け面に落ちた。
これで二回目で、初回は3年前。二回目なので修理の仕方はわかっているが、前回修理の仕方が悪かったのか、もしくは経年劣化で摩耗したのか不明。
落ちたスパウトには特段の摩耗跡は見当たらず、しかし小さい傷はある。このくらいの傷でスパウトが落下するとも思えず、とりあえず分解点検。
   「自在スパウト」
メーカーである、福岡TOTOの「TOTO Webbショップ」に電話すると受付嬢は専門の担当者に聞きながら前回同様の修理方法を教えてくれたので、
その後「 TOTOパーツセンター」に電話。再び、同様の質問をすると同じ回答。結局、前回と同じ部品を注文し、前回と同じ部品6点でコスト528円、
発送費540円、合計1068円で注文後2日後に部品が届いた。これで修理できれば蛇口一式3万以上の節約になる。
前回もそうだったが、蛇口そのものは約20年前後前の製品で、一品54円~108円の部品6点を取り揃え、、末端ユーザーまで丁寧に発送してくれる姿勢に感心する

電話で修理方法を再確認する際、多少混乱したのが修理部品の取付を”本体”に取付けるという解釈で、当方はスパウト本体に部品を取付後、一括して蛇口本体に
押し込むと理解したが、後から考えるとWEB担当者は本体を蛇口本体と説明したようで、蛇口本体に修理部品を取付て、その後スパウトを蛇口本体に押込むと言う事だった。
電話受け側の当方は多少混乱した。本体を、スパウト本体かもしくは蛇口本体かの理解がそれぞれ違ったが、取り合えず、トライしてみる事にした。
Web説明員に従い、蛇口本体を配水菅から取り外し(これがまた難儀で、32㎜のスパナーが必要になり、スパナーを買いに走る)送付されてきた部品を
どの本体に取り付けるかを、取扱説明書を見ると何も記載がなく、部品の取付順序だけを書いてあり、とりあえずスパウト本体に小部品を装着してから、
蛇口本体に押し込むのだろうと思われたので、トライするも取り付かない。
で、結局、WEB説明員の通りに蛇口本体に部品を装着して、スパウトを押し込んでみるとすんなり取り付いた。取説の説明は誤解を招き易い。


一応修理は済んだが、その後漏れもなく今は使用可能となっている。
それでも心配だったので、スパウトを単に押込むだけではなく、ナット締め上げ式はないのかと「TOTOパーツセンター」に質問すると”ある”という。
言うに、「ナット式は完璧だが取り外しは不可」だと言うが、スパウトは本来落下するものではないのだから、質問すると、袋ナット式スパウトアダプタ THY782(1,944円)と
ナット取付スパウトTHY270AL(3,200円)があると教えてくれた。と言うことは、やはり、市場末端では押し込み式スパウトの不具合が多少あるという証左だろう。
調べてみたら、AMAZONでも部品を揃えていたので、次回再発したら、これだな!・・・参考用に備忘録としておこう。
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台風16号

2016-09-21 06:18:39 | その他
今年初めて近畿地方にやってきた台風16号。朝早く午前5時過ぎには神戸市に大雨警報が発令された。
昨日は秋雨前線の影響で一日中雨が降り続き、今日20日は、台風16号が鹿児島指宿を過ぎて四国地方をかすめながら和歌山に接近との予報で、朝から強い雨。
昨日から部屋にほした洗濯物が完全に乾ききらず、今日の洗濯分も入れて近くのコインランドリー乾燥機を借りにでかけたのが午前8時半過ぎ。
外の気温は18~19度で、20度を切ると半袖ポロシャツに雨粒があたるとさすがに寒い。コインランドリーは先客も少なく時間を待たずに洗濯物を投入。
洗濯物を取り出し、10時前に帰宅する、その前後から猛烈な雨が降った。雨で前方が霞んでいたが風はそうでもなく雨だけはすごい。

しかし、それも長くは続かず、小振りになったり強く降ったりで、連れて風も強くはなるが猛烈な暴風というほどのこともない。
12時前には雷も鳴り始める。時折強い雨風が吹くも驚くほどでもなく、野々池貯水池のシュロの木はかなり揺れているも他の樹はそうでもない。
来るぞ来るぞとテレビが言うので昨日、外の飛びそうなものをかたずけ、雨戸を半分閉めて外を眺め、雨雲レーダーを見てはどう動くかと予想しながら遊んでいる。
昼過ぎの部屋の温度は23度。
  
3時過ぎには、雨も止み風もだいぶ収まった。
たぶん、このまま小康状態が続き、間もなく落ち着くのだろう。結局、ここ西明石に近い神戸市西区では何の被害もなく過ぎた。
この時間帯、九州はすでに晴れたとの情報。ここも4時20分ころには警報解除され雲間から少し日差しが見えたので、明日はたぶん晴れ。

年少の頃、九州有明海の海沿いに住んで、毎年1,2回は台風がまともに直撃してくるので、台風そのものには慣れっこで驚くこともない。
岸壁を超えて荒波がしぶきとともに畑にまともに入ってくる。この時期の畑には唐芋を植えていたが、唐芋は海水に強く特に大きな被害もなかった。
それよりも荒波がまともに岸壁を叩き付ける様には毎度とは言え自然と身構えてしまい、幾つになってもその記憶があるだけに台風がくると肩に力が入る。
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18日の「そこまで言って委員会NP」  

2016-09-19 09:05:13 | その他
9月18日放送された「そこまで言って委員会NP」は非常に分かりやすかった。
 
民進党の政治家が、俗に関西の右翼番組と言われている「「そこまで言って委員会NP」に出席しレギュラーパネリストと議論している。
番組初頭が、今、二重国籍で話題の蓮舫新民進党党首の二重国籍問題で、”問題あり”もしくは”問題なし”かの採決議論では、”問題あり”が圧倒的多数。
当時の民主党総務大臣だった、佐賀出身の原口議員が法律違反と明言した。曰く「国籍法16条は努力義務ですが、14条によって台湾籍は放棄しとかなきゃいけない。
それをなされないということは、14条違反になる。私は総務大臣だったので、そこからひるがえると公職選挙法や政治資金規正法違反になる。
国会議員になるには日本人でなければならないという根本的な要件を満たしていない疑いがある」と。
また、同じく台湾出身者で評論家の金美齢さんは「2009年に日本国籍を取得するとき、法務局から先に台湾国籍を喪失して喪失証明書を持ってきてくださいと求められた」と証言した。
時の総務大臣や実際に台湾籍を離脱し日本籍になった金美齢さんが言うんだから、蓮舫党首は国籍法違反だろうと感じた。

蓮舫議員の二重国籍問題はネット誌アゴラで最初に取上げられ、その後「池田信夫さん」や「☆Chris*台湾人☆」等複数のツイッターが問題ありと指摘し
論じられてきた来た曰くつきの国会議員の重大案件で、民進党幹部や党首になる可能性がある人物の受け答えに不自然さもあって興味があった。
蓮舫議員は今なお台湾から国籍を離脱しておらず、蓮舫議員の発言が台湾国民の頭を逆なでしたこともあって台湾政府が離脱を認可するかも不明だと報道されており、
「そこまで言って委員会」での議論を聞く範囲では、民進党は暫くは悪い話題の中心になる可能性を残している。
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9月中旬の野々池貯水池

2016-09-17 06:21:33 | 野々池周辺
  「9月16日の野々池貯水池上空」
毎日練習音が聞こえてきた、明石市の野々池中学校吹奏楽も明日17日は体育祭のようだ。
運動場にびっしりと青いテントが張ってあり、子供のマイクの練習も堂々たるものに聞こえてくる。

野々池貯水池では、赤トンボやシオカラトンボと緑色のギンヤンマが目立つってきた。、
ギンヤンマが顔近くまで近づいてきたので、暫くその状態で一緒にギンヤンマと歩きながら、ぐるっと後ろを振り向くと
ギンヤンマは後方に飛び去り、暫くするとまたいつのまにか再び近寄ってくるので、面白いなーと何時も思って歩いている。
稲穂が垂れはじめ、彼岸花が咲き始めた。今日16日の昼の温度は30℃まで上昇したが、ほぼ28度ぐらいに安定しつつある。
   
   
   

ところで、台風16号が九州、近畿地方に向かっている。九州に接近するのは20日、近畿地方は22日。
近畿地方に今年初めての台風が近づいているが、連休中も秋雨前線によって大雨の降るおそれがあるとのことで要注意。
    「 デジタル台風:台風進路予想図(Google Maps)」
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バクモン 「熊本城」

2016-09-16 06:26:33 | 故郷
  「NHK バクモン 熊本城」
14日、NHK地上波「探検バクモン」が熊本城の今を取り上げていたので、しっかりと見た。
NHKバクモンの出だしは、「4月の大地震で築城400年最大の被害を受けた名城・熊本城。壮大な石垣は50か所が崩落し、立入規制が続く。 復興へ歩み始めた“不屈の城”の今を、爆笑問題が目撃する。爆笑問題が、地震の被害で立ち入り規制中の熊本城へ。 築城400年最大の被害をまのあたりにする。城の代名詞ともいえる壮大な石垣は、50か所が崩落。国の重要文化財13棟も、すべてが被害を受けた。 これまで、地震や風水害にあいながらも、そのつど復興を成し遂げてきた熊本城。今また、少なくとも20年と見込まれる修復の出発点に立っている。 復興のシンボルとして歩み始めた“不屈の城”、そのリアルな今を目撃する」
  
  
  
4月、熊本の大地震で熊本市内外はもちろん、その中枢に位置し熊本の象徴ともいえる熊本城も大被害を受けた。
熊本城は阿蘇と並ぶ熊本の2大シンボルだが、その熊本城のしゃちほこと屋根瓦が落下し、阿蘇の国宝阿蘇神社も崩壊、地震に伴い熊本城域を閉鎖した。一方、熊本城で地震で倒壊しなかった部分の一つに、建物と石垣ともに築城当時の宇土櫓はほぼ無傷のようだ。明治期、西南戦争で天守を含む御殿など主要な建物は焼失(放火らしい)したが、焼失を免れ、当時の姿を残している唯一の建築物「宇土櫓」は400年以上前に建設されたもの。で、今回バクモンの熊本場内の様子を見ると、熊本城そのものの象徴であり、かつ熊本城の熊本城たるを示してきた石垣が軒並み崩壊している。(個人的に各地の城郭数十ヵ所見学してきたが、熊本城が最も優れた城たるに値すると思っている。何故か、熊本城は西南戦争で西郷の猛攻に耐え落ちなかった)

バクモンが放送された前日、同じNHKのクローズアップ現代「名城はなぜ崩れたのか 謎のメカニズムに迫る」が放送された。

その中で、熊本城の石垣が崩壊した推定原因を城郭研究の権威者奈良大学の千田教授がこのように解説している。「石垣というのは、栗石の部分が揺れを吸収する。日本のお城の石垣というのは、「下の石」の上に「上の石」を積んでいくだけで、固めていないんです。ですから、非常に柔らかい、いわゆる「柔構造」の形を取っていて、揺れても少しずつ石垣がわずかに変形して、全体としては大崩れしないという、地震が避けられない地震国の日本に適した石垣を発達させてきましたから、その象徴というのか、最も高い技術に到達した熊本城の石垣が、これほど崩れてしまったというのは大変なショックでありました。(調査行った立場からしても、まさかという?)例えば、一方のヨーロッパの石垣でいうと、石と石との間にモルタルなどを詰めていまして、全体を固めてしまう「剛構造」の石垣でしたから。そういうので見ていきますと、日本の地震に備えた、あれだけの石垣が崩れてしまったっのは大変なことだと思います。また、熊本城の石垣については、清正の石垣は大丈夫だったけれども、それ以外の石垣が壊れたんだというお話もよく聞くんですが、実際、現地を調査してみると、すべての時代の石垣が被害を受けていて、結局、日本のいろいろな耐震の工夫をしていた石垣が耐えられないほどの非常に大きな地震だった、石垣の限界を超えていたと思います」

話は変わって、熊本市は古くから「水の都」とも呼ばれ、水環境に恵まれた都市で、好きな街だ。
政令都市に認定された都市の中で、上水道に使う水の全てを地下水でまかなっているのは全国でも珍しく、湧き水も多い。豊富な水のお陰もあって、熊本市内には緑に囲まれた素晴らしい風景が何処にも見られ、目を洗うほどに奇麗な街なので気にいっている。昔から学生に寛容で多少の事は大目に見てくれる土地柄で、また軍都でもあり、軍所属の車両がメイン通りを通過することも普通にある。

阿蘇を源流とする白川が街の中心を流れる熊本市、市内を蛇行しながら流れる白川には多くの橋が掛かる。加藤清正公の時代から、白川と熊本城を囲む坪井川は治水工事が続けられてきた。国道3号線が通る橋である「長六橋」は建造当時木造で、西南戦争のときは薩摩軍がこの橋を渡り侵攻してきた歴史的な橋。熊本を代表する橋で、今はコンクリート桁橋となっているが、何度も通った。

最近、政令都市になったので、中央区とか北区とかに呼ばれてもピンとこないが、黒髪町とか竜田口と言った方がすぐに場所を特定し易い。旧制五高のあった、熊本大学法学部の裏に昔住んでいて、法学部と工学部の間に阿蘇までに続く57号線が走っている。工学部の裏手すぐに白川が蛇行しながら流れていて、今は白川黒髪緑地となっている場所には草ぼうぼうの空き地があったが堤防の記憶が無い。普段の白川は清流で、竜田口付近で良く釣りをした。紅サシでハヤが良く釣れた。川の中には大きな石がごろごろしていた事を記憶しているが、多分昔の洪水の名残だと思う。しかし、川辺は一面緑で爽やかな気分で過ごせる良い環境である。で、白川と平行して流れる、の周りを流れる坪井川沿いの長塀も崩れているが、坪井川と言えば、遠い昔の事だが、この川に魚が沢山いたので釣り糸を垂らしていると、川魚は一匹もつれなかったが、多くの見物人が集まったのを思いだした。

思いだしついでに、熊本大学から龍田山までに中腹に今話題の「真田丸」に出てくる細川忠興、その妻ガラシャの墓がある。
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当面、雨が続くとの予報

2016-09-14 06:15:02 | 日常生活
今年は、7月、8月に雨が全く降らず暑い日が続き相当うんざりしていた。
毎日、複数台のクーラーを付け続けたので先日、電気料金を見てびっくり、ここ数年で最も使用量が多かった。
料金をみてもう少しセーブすべきだったかと後から反省してももう遅いが、
関西電力から送電会社を変更していたので、そのままだったら更にビックリ仰天だったと思えるのが少しの救い。

8月の雨と言えば、ここ西明石近辺は長期間にわたって一向に雨が降らず暑さが倍増するばかりのなかで、17日と25日朝の二日間だけ降った。
約60日間でたったの2日の雨だったが、昼前にはすぐに34度付近まで気温が上がり、雨が降ったと喜んでも直ぐに湿気が含んだ蒸し暑い日になっただけ。

9月になると、5日、台風12号の影響で昼前後から雲行きが怪しくなり降ったり止んだりがつづき、突然強烈な雨が降った。
開けて6日、朝未明から雨が降ったようで道路の路面が濡れていた。9月初めの雨続きで朝夕はさすがにひんやりとして過ごし易く、
やっぱり秋はいいなと感じるも、昼間には31度にぶり返す。一時期の昼間34度の暑さに比べればうんざり感は減少したが、暑さはまだ続くのかと、
いやになっていると、12日からの今週は雨が1週間ほど続くとの予報で、今日13日はきっちりと雨がしとしと降っている。
昨年も同時期秋雨前線の影響で何日も雨が続き、その時は雨にほとほとうんざりだったが、良い事と言えば夏野菜が急に元気になり成長が早い。
加えて雨が止んだ夕方になると、夏の間には聞こえなかった虫の声が聞こえるようなってきた。

    「ピンポイント天気(明石) - ウェザーニュース」


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