「RACERS vol49」
今回のRACERS誌の主題は、スズキ125MX(RAシリーズ)が1975年から1984年の10年間にわたり世界チャンピオンを維持し続けた、その中枢をなす当時のチャンピオンライダー群像を紹介し、かつ彼らの功績を支えたマシンの歴史を説明していること。往年のスズキワークスモトクロスと言えば、一度でも世界モトクロス選手権で戦った経験のある開発者なら何れのライダーも決して忘れることができない、むしろ脅威に感じたはずだろう。これらの大活躍でスズキのモトクロスマシンの優秀性は世界中に確定した。当時は、どの二輪企業のワークスチームも打倒スズキワークスだった。そんな時代を特集した「RACERS vol49」を読んで、印象に残った2件を書いてみた。
栄光の10連覇を成し遂げたライダーの一人、モトクロス世界選手権唯一の日本人チャンピオン”渡辺明”選手を特集している。渡辺選手の世界選手権にかけた生きざまと、その生きた時代を紹介しながら、最後に、渡辺選手が雑誌記者に”これだけは言っておきたいので、ぜひ掲載して欲しい”と述べた文面が印象に残った。そこにはモトクロスのマシン作りに関することで、こう書いてある「ここ15年、日本の4メーカーはアルミフレームの商品価値にこだわり作り続けてきましたが、世界のレースシーンでは鉄フレームが勝ち続けている。アルミの場合、剛性は優れていても、特にオフロードでの重要な衝撃の吸収性では鉄に劣り、ライダーの体力的負担が大きい。過去15年のレース結果がすべてを証明していませんか。新しい鉄フレームの開発を決断すべき時だと思います」とある。つまり、モトクロスマシンの主流をなす、アルミフレームの見直し要求だ。
日本企業のモトクロスマシンは4メーカーとも共通してアルミフレームに転換して長いが、そのアルミフレームに異を唱え、クロモリフレームを依然として採用し続けているのがKTM 450SXFを筆頭とする欧州のKTMとHusk社だ。昔はいざ知らず、KTMのモトクロスマシンは、今や世界の頂点に立ちその地位は揺るぎないもので、世界中の顧客から信頼と支持され続けている欧州企業の製品。専門誌による市販モトクロスマシンのシュートアウト(比較試乗記事)でも、KTMは2017年のみならず、 2010, 2011, 2015 、2016のベストマシンに選出されている。モトクロスマシンは二輪の原点でもある競争するためだけに、そのレースに勝つためだけに開発販売されるマシンだから、技術的合理性にそって設計されている。昔から技術的合理性の追及は日本の二輪企業が得意とするところで、その技術的優劣を競うレースに勝つことで、日本企業は彼らの技術的優秀性を世界中に認知してきた歴史がある。ところが日本企業が左程の規模にない欧州企業に頂点を奪われ続けて5年、そのKTMとHuskが最も設計的合理性を求められるモトクロスマシンに採用しているのが鉄のクロモリフレームだ。
渡辺選手が言いたいのは、類推するに多分、今やモトクロスの頂点は欧州のマシンであり、彼らが長年にわたり採用しているのが鉄フレームであること。モトクロスマシン設計で最も重要なのはフレームやサスの衝撃吸収性であるが、フレームが適度にしなり衝撃を緩和することによってライダーへ衝撃負荷を軽減させ体力的負担をより少なくすることでレースに集中できる、と言うことあろう。フレームが適度に撓むことによる衝撃吸収性は強度上断面係数つまり剛性を高くせざる得ないアルミ材より鉄フレームが優れており、鉄フレームについて再検討すべき時期にあるとの意見だ。モトクロスマシンにアルミフレームが採用されて以来、優れた衝撃荷重吸収性が求められるモトクロスマシンのフレームにアルミ部材が本当に適切だろうかと、私も個人的に考えてきた。ここ数年、トップライダーのレース中での転倒事故が多くなり、何が主因しているの懸念してきたが、ひょっとしたら一因の一つかもしれない。世界のトップ選手はどう考えているのかと日頃から思っていたが、渡辺選手も同様にアルミフレームに疑問を持ち続けていた事が分かった。さてさて、横並びに仕様を統一したがる日本二輪企業の技術者に、元世界チャンピオン渡辺選手の想いは通じるか楽しみにしている。
もう一点興味を引いた文面がある。栄光の10連覇を成し遂げたチャンピオンマシンの仕様が如何にして進歩し続けたかを詳しく解説した文面だ。この解説によると、当時のモトクロスマシンの設計は研究部研究第1課で行われており、そこは別名”すぐやる課”と呼ばれていた。要するに、上司からの指示や問題への対処は可及的速やかに行うのが当たり前だったのだ。250、500を含めて、スズキの性能進化と改良対応は、とにかくスピーディだった。「当時のエンジニアを頻繁にレース現場に送りこんでいたことが(問題の理解と対応を速めた)スズキの強みだった。 更に加えて2サイクルエンジンと言う不確定要素の多いエンジンの性能追及は最後まで続いた」と書いてある。
レースとは勝ち負けが明確に分かるスポーツであり、かって日本企業はレースに勝つ事で自社技術や製品の優勝性を誇示し販売に寄与させてきた歴史がある。その歴史のなかで、各社ともレースマシンの開発担当組織は設計・実験・レース運営を統合した、いわゆる問題解決を迅速化し意思伝達を一本化するタスクフォースを組んできた。ごく最近で言うと、ヤマハ発動機はグローバルのレース運営・開発の元締めは技術本部が担当していると昨年公表したが、これはその典型例だと思う。それは開発担当のみならずグローバルにレース計画を立案展開するモータースポーツ部も技術本部が担当していると言う。歴史的に言えば、レースは常に変動し戦場の戦いに即した臨機応変に対応する組織を構成しないと勝てない。
ところで、企業がレースを戦う意義をこう解説している。例えば、ホンダの元社長は「その極致が“修羅場体験”です。想像を超える困難な状況の中で、自分で何とかしないとダイレクトに結果に表れる。誰も教えてくれない。失敗はしたくないが、失敗を恐れていたら何もできない。必要な情報や知識をどんどん吸収し、あらゆる力を一点に集中して突破する。そして、見事成功したときは達成感に浸る。こうした修羅場体験を経て、ひと皮も、ふた皮もむけて力をつける。ところが、組織が大きくなると、自分は何もしなくても業績に影響しないような状況が各所に生まれがちです。大企業病が蔓延する。そうならないよう、社員をいかに修羅場に追い込んでいくか」と解説している。また、昨年、トヨタ社長はレース参戦する理由の一つとして「競争という厳しい環境の中でこそ、新しいアイデアが生まれ、それを実現しようと皆が努力を重ねます。その過程が、人は成長させ、クルマも更に良いものに成り続けていくのです。ですので、モータースポーツは、自動車産業にとってなくてはならない取り組みなのだと思っています」
戦いのなかで蓄積される人的・物的な知識・技能の伝承、いわゆる組織技術ソフトウェアの蓄積の重要性から言えば、レース運営組織は経験的に企業グループ内で運営し続けねばならない必要性をトヨタ、ホンダの経営トップの考え方から読み取れる。だから、実際にレースを戦った経験から言えば、スズキ社の言う「すぐやる課」は非常によく理解できる。
そんな中、スズキ社は、モトクロスワークス活動において世界の頂点に長く君臨していた時代があるにも拘わらず、2018年のモトクロスワークス活動を撤退すると発表した。スズキ全盛期時代、打倒RMを目指し切磋琢磨してきた長い戦いの歴史を横から眺めてきた経験があるので、今回のモトクロスのワークス活動撤退方針はとても寂しく悲しい思いで聞いた。それでも、一社のワークスチームがレース界から撤退しても、それを代替するチームが必ず台頭してくるのが世の常なので、世界のレース人気は廃ることはないにせよ、一時代を築いた伝統のワークスチームの選手権からの撤退は忍び難い。夫々のメーカーにも販社にもいろいろな事情があり、ホンダもヤマハもカワサキも、過去ファクトリー活動の撤退と再開を繰り返してきたので決して恥ずかしいことではないと思うが、近い将来、必ずやレースの世界に再び復帰し世界のレースファンを歓喜の渦に巻きこんでくれることを、今は期待するのみだ。
今回のRACERS誌の主題は、スズキ125MX(RAシリーズ)が1975年から1984年の10年間にわたり世界チャンピオンを維持し続けた、その中枢をなす当時のチャンピオンライダー群像を紹介し、かつ彼らの功績を支えたマシンの歴史を説明していること。往年のスズキワークスモトクロスと言えば、一度でも世界モトクロス選手権で戦った経験のある開発者なら何れのライダーも決して忘れることができない、むしろ脅威に感じたはずだろう。これらの大活躍でスズキのモトクロスマシンの優秀性は世界中に確定した。当時は、どの二輪企業のワークスチームも打倒スズキワークスだった。そんな時代を特集した「RACERS vol49」を読んで、印象に残った2件を書いてみた。
栄光の10連覇を成し遂げたライダーの一人、モトクロス世界選手権唯一の日本人チャンピオン”渡辺明”選手を特集している。渡辺選手の世界選手権にかけた生きざまと、その生きた時代を紹介しながら、最後に、渡辺選手が雑誌記者に”これだけは言っておきたいので、ぜひ掲載して欲しい”と述べた文面が印象に残った。そこにはモトクロスのマシン作りに関することで、こう書いてある「ここ15年、日本の4メーカーはアルミフレームの商品価値にこだわり作り続けてきましたが、世界のレースシーンでは鉄フレームが勝ち続けている。アルミの場合、剛性は優れていても、特にオフロードでの重要な衝撃の吸収性では鉄に劣り、ライダーの体力的負担が大きい。過去15年のレース結果がすべてを証明していませんか。新しい鉄フレームの開発を決断すべき時だと思います」とある。つまり、モトクロスマシンの主流をなす、アルミフレームの見直し要求だ。
日本企業のモトクロスマシンは4メーカーとも共通してアルミフレームに転換して長いが、そのアルミフレームに異を唱え、クロモリフレームを依然として採用し続けているのがKTM 450SXFを筆頭とする欧州のKTMとHusk社だ。昔はいざ知らず、KTMのモトクロスマシンは、今や世界の頂点に立ちその地位は揺るぎないもので、世界中の顧客から信頼と支持され続けている欧州企業の製品。専門誌による市販モトクロスマシンのシュートアウト(比較試乗記事)でも、KTMは2017年のみならず、 2010, 2011, 2015 、2016のベストマシンに選出されている。モトクロスマシンは二輪の原点でもある競争するためだけに、そのレースに勝つためだけに開発販売されるマシンだから、技術的合理性にそって設計されている。昔から技術的合理性の追及は日本の二輪企業が得意とするところで、その技術的優劣を競うレースに勝つことで、日本企業は彼らの技術的優秀性を世界中に認知してきた歴史がある。ところが日本企業が左程の規模にない欧州企業に頂点を奪われ続けて5年、そのKTMとHuskが最も設計的合理性を求められるモトクロスマシンに採用しているのが鉄のクロモリフレームだ。
渡辺選手が言いたいのは、類推するに多分、今やモトクロスの頂点は欧州のマシンであり、彼らが長年にわたり採用しているのが鉄フレームであること。モトクロスマシン設計で最も重要なのはフレームやサスの衝撃吸収性であるが、フレームが適度にしなり衝撃を緩和することによってライダーへ衝撃負荷を軽減させ体力的負担をより少なくすることでレースに集中できる、と言うことあろう。フレームが適度に撓むことによる衝撃吸収性は強度上断面係数つまり剛性を高くせざる得ないアルミ材より鉄フレームが優れており、鉄フレームについて再検討すべき時期にあるとの意見だ。モトクロスマシンにアルミフレームが採用されて以来、優れた衝撃荷重吸収性が求められるモトクロスマシンのフレームにアルミ部材が本当に適切だろうかと、私も個人的に考えてきた。ここ数年、トップライダーのレース中での転倒事故が多くなり、何が主因しているの懸念してきたが、ひょっとしたら一因の一つかもしれない。世界のトップ選手はどう考えているのかと日頃から思っていたが、渡辺選手も同様にアルミフレームに疑問を持ち続けていた事が分かった。さてさて、横並びに仕様を統一したがる日本二輪企業の技術者に、元世界チャンピオン渡辺選手の想いは通じるか楽しみにしている。
もう一点興味を引いた文面がある。栄光の10連覇を成し遂げたチャンピオンマシンの仕様が如何にして進歩し続けたかを詳しく解説した文面だ。この解説によると、当時のモトクロスマシンの設計は研究部研究第1課で行われており、そこは別名”すぐやる課”と呼ばれていた。要するに、上司からの指示や問題への対処は可及的速やかに行うのが当たり前だったのだ。250、500を含めて、スズキの性能進化と改良対応は、とにかくスピーディだった。「当時のエンジニアを頻繁にレース現場に送りこんでいたことが(問題の理解と対応を速めた)スズキの強みだった。 更に加えて2サイクルエンジンと言う不確定要素の多いエンジンの性能追及は最後まで続いた」と書いてある。
レースとは勝ち負けが明確に分かるスポーツであり、かって日本企業はレースに勝つ事で自社技術や製品の優勝性を誇示し販売に寄与させてきた歴史がある。その歴史のなかで、各社ともレースマシンの開発担当組織は設計・実験・レース運営を統合した、いわゆる問題解決を迅速化し意思伝達を一本化するタスクフォースを組んできた。ごく最近で言うと、ヤマハ発動機はグローバルのレース運営・開発の元締めは技術本部が担当していると昨年公表したが、これはその典型例だと思う。それは開発担当のみならずグローバルにレース計画を立案展開するモータースポーツ部も技術本部が担当していると言う。歴史的に言えば、レースは常に変動し戦場の戦いに即した臨機応変に対応する組織を構成しないと勝てない。
ところで、企業がレースを戦う意義をこう解説している。例えば、ホンダの元社長は「その極致が“修羅場体験”です。想像を超える困難な状況の中で、自分で何とかしないとダイレクトに結果に表れる。誰も教えてくれない。失敗はしたくないが、失敗を恐れていたら何もできない。必要な情報や知識をどんどん吸収し、あらゆる力を一点に集中して突破する。そして、見事成功したときは達成感に浸る。こうした修羅場体験を経て、ひと皮も、ふた皮もむけて力をつける。ところが、組織が大きくなると、自分は何もしなくても業績に影響しないような状況が各所に生まれがちです。大企業病が蔓延する。そうならないよう、社員をいかに修羅場に追い込んでいくか」と解説している。また、昨年、トヨタ社長はレース参戦する理由の一つとして「競争という厳しい環境の中でこそ、新しいアイデアが生まれ、それを実現しようと皆が努力を重ねます。その過程が、人は成長させ、クルマも更に良いものに成り続けていくのです。ですので、モータースポーツは、自動車産業にとってなくてはならない取り組みなのだと思っています」
戦いのなかで蓄積される人的・物的な知識・技能の伝承、いわゆる組織技術ソフトウェアの蓄積の重要性から言えば、レース運営組織は経験的に企業グループ内で運営し続けねばならない必要性をトヨタ、ホンダの経営トップの考え方から読み取れる。だから、実際にレースを戦った経験から言えば、スズキ社の言う「すぐやる課」は非常によく理解できる。
そんな中、スズキ社は、モトクロスワークス活動において世界の頂点に長く君臨していた時代があるにも拘わらず、2018年のモトクロスワークス活動を撤退すると発表した。スズキ全盛期時代、打倒RMを目指し切磋琢磨してきた長い戦いの歴史を横から眺めてきた経験があるので、今回のモトクロスのワークス活動撤退方針はとても寂しく悲しい思いで聞いた。それでも、一社のワークスチームがレース界から撤退しても、それを代替するチームが必ず台頭してくるのが世の常なので、世界のレース人気は廃ることはないにせよ、一時代を築いた伝統のワークスチームの選手権からの撤退は忍び難い。夫々のメーカーにも販社にもいろいろな事情があり、ホンダもヤマハもカワサキも、過去ファクトリー活動の撤退と再開を繰り返してきたので決して恥ずかしいことではないと思うが、近い将来、必ずやレースの世界に再び復帰し世界のレースファンを歓喜の渦に巻きこんでくれることを、今は期待するのみだ。