野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

こんな花も咲いている我が家の庭

2014-07-30 06:12:49 | 
朝、雨戸を開け暫くすると一斉に聞こえてくる蝉の声。
庭の桜の樹に毎年びっしりと蝉が止まっている。しかもクマゼミとアブラゼミの煩い蝉ばかり。
朝、煩くてしようがない蝉も昼過ぎには、これもまた一斉に静かになるが、すると今度は暑い!!
数年前、庭の樹木を整理した際、樹の下を掘った事があるが、地下20cm程に1cmにも満たない蝉の幼虫が沢山いた。
それにしては、今年の庭の穴の数が少ないが、どこから飛んできたのだろう。
   「桜の樹にとまった蝉」

その下で、松葉ボタンが咲いている。
咲き終わると毎年種が落ちるのか、毎年咲いている。
伸びた庭の雑草をを引き抜く際、松葉ボタンも引き抜いているが何処かに残っている。
      
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

鈴鹿8耐、勝つのは本当に難しいもんだ

2014-07-29 06:21:21 | モータースポーツ
今年の8耐、前日のトップ10トライアルと鈴鹿4耐に続き、昨日は終日鈴鹿8耐をテレビ観戦した。
実況放送だったので、テレビ席を立つわけにもいかず、傍らでパソコンのライブタイミングで順位とラップタイムを確認しながらテレビ観戦した。(パソコン”USTEAM”を見ながら気がついたが、ライブタイミングにはトップとのビハインドは表示されるも、すぐ前を走行するチームとのビハンド差が 表示されない。各セクション毎のビハンド差もテレビ画面には出ていたので、パソコンにはもっとたくさんのデータを表示してほしかった)それはさておき、2014年の鈴鹿8耐も実に面白かった。贔屓にしているカワサキ系のチームで、しかもカワサキ直系の販売会社が運営する”チームグリーン”が久し振りの8耐参戦と言うこともあり、テレビ(BS12)を見続けられる理由がついた。

2014年のレース結果」には、ホンダ#634のムサシハルクプロが昨年に引き続き優勝し、2位には#34ヨシムラスズキ、 3位には同じくスズキ系の#17チーム加賀山となった。この表彰台3チームはメンバーこそ若干変更されているが昨年と同じ順位とのこと。突然の豪雨でスタートが1時間5分遅れから波乱が始まった、今年の鈴鹿8耐は正確には6時間55分耐久レースとなり、4度のSC導入やトップ快走中の秋吉選手の大転倒等、近年希に見る大波乱のレース。SC(セーフティカー)がコースに入る度に、転倒チームはさることながら先に行けないチームもありで、チームの苦悩が手に取るようにわかる。レース中に雨が突然降りだしたり、SCがコースに何度も入ったりで、刻々と変化するレース展開になると経験豊富なチームが俄然有利になる。そんな展開の中での最終ゴール。優勝した#634のムサシハルクプロは通算優勝3回目、テレビに大写しになったハルクプロオーナーの満面の笑みと差し出す三本の指が印象的だった。
      「8耐優勝の#634ムサシハルクプロチーム」

一方、昨年同様に、圧倒的マージンを確保しながらも、トップ走行中の#11TSRレーシングチームの悲劇は何とも言えないほど残念だった。TSRチームは秋吉選手やWSBライダーのジョナサン・レイ選手等優秀な選手を有し、旧ホンダワークスの固有ナンバーだった栄光のゼッケン#11をつける。それは、他社の追従を許さないサーキットタイムでどんどん2番手以降を引き離す様子をテレビで見ながら、速い!と思った瞬間に起こった。テレビに映った画面は秋吉選手の大転倒だった。秋吉選手がコース外に派手に転がっていく様は、秋吉選手の大けがを予想させ、これで#11の8耐は終わりと思った。しかし、その後暫くして、テレビに移った画面は、130Rでの大転倒後、一度は担架で運ばれた秋吉選手がコース復帰して、マシンをピットまで戻してきたことだ。テレビインタビューを受けるチーム監督談では、秋吉選手は足の大腿骨の骨折。大腿骨を骨折しながらマシンをピットまで戻した根性にはさすがに驚嘆。TSRチームはその後、大破したマシンをコースに復帰させゴールさせたのは見事。これが8耐だと簡単に言っても、チームとしては反省すべき大きな失敗事例かもしれない。
     「大腿骨骨折にも関わらずピットに帰った#11秋吉選手」
TSRチームの「2014年レース活動計画 すべては鈴鹿8耐で勝つために!」にはこう書いてある。
「 秋吉耕佑&ジョナサン・レイ(予定)で2014鈴鹿8耐に参戦。F.C.C. TSR Hondaは勝利に向って邁進します。 TSRでは、2014年のレース活動を下記の通り計画しています。昨年の雪辱を果たすべく、 鈴鹿8時間帯耐久ロードレースにおける優勝奪還を唯一最大の目標として活動してまいります。 そのための選択と集中を行い、全日本ロードレース選手権JSB1000クラスは第1戦鈴鹿2&4のみに参加。すべては鈴鹿8耐優勝に向けた活動を行います」。昨年の鈴鹿8耐の雪辱を晴らすことこそが彼らの唯一の活動としていただけに、昨年同様にトップ走行中の大転倒によって一年間の活動の集大成は泡と消えた。

ところで、その活躍を期待されていたカワサキ国内販社が運営する”チームグリーン”の8耐参戦結果はどうであったろうか。
トップ10トライヤルでは4番手につけ、スタートライダーは経験豊富な柳川選手だった。柳川選手は彼がカワサキと契約して以来、昨今の全日本選手権での走行をパソコン観戦している事もあり、彼のアグレッシブな走行を知っている積りだが、スタートした柳川選手の走りには彼本来の切れが見えない。ウェト路面に加え、スタート直後はどのライダーもハイテンションになりがちなので、柳川選手は多分その状態をよく理解しナーバスな走りになっていたのだろうか。ヘビーレインでの走行なのでピットイン周回はもっと伸びると予想していたが、24周目ぐらいから各チームともピットインしドライ用タイヤに交換し始める。カワサキは第2ライダーの渡辺選手に交代。この時の鈴鹿の気温30℃、路面温度36℃ぐらいでドライだと報告もあり。だが、45周目ぐらいから西コースで大粒の雨が落ちてきた、との情報。次いでフルコースでも大粒の雨。ドライの中では9秒台でラップしていたトップ走行中の#11のレイ選手も23~25秒ほどにタイムを落とす。だが、滑りやすいコース路面にもかかわらずカワサキの渡辺選手は15秒台のタイムで走行し次々と先行するライダーをラップ・・・大丈夫かいなと思った瞬間、何処のコーナーだったか忘れたがコーナー立ち上がりで大きくハイサイド、そこは転倒を免れ、次々に先行するチームを再度捉え、遂に2位走行の#634をも捉えた。が、次のテレビに写った画面はヘアピンで転倒した渡辺選手、マシンも損傷を受けた。その後、第3ライダー藤原選手に交代するもFブレーキレバー不良のため再ピットイン。これで、チームグリーンの表彰台はおろか入賞の可能性さえも消えて無くなった瞬間。KMJのFBには「チームグリーンの目標は「完走」」とあったので、目標は最低限達成。こんなもんかな?? 


こうして2014年の鈴鹿8耐レースは終了した。優秀なマシンとライダーを確保し、トップ10トライヤルに入り、かつ鈴鹿8耐経験豊富な知識/ノウハウを確実に伝承しているチームが当然のことながら勝った。真の経験は記録や図面でなく人によってのみ伝承できるので、そのような人材を持った組織が勝ったと言う事。ちなみに、工場直轄のファクトリーチームが8耐から撤退して久しい、ここ数年の鈴鹿8耐の覇者を調べてみると、勝利者は数チームだけの寡占状態。
       「鈴鹿8時間耐久ロードレース:Wikipedia」

数年前から日本4社は、いわゆるワークスチームを8耐に出場させていない。かってはホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキから 計11~12チームのワークスチームが出場し、それこそ激しい火花を散らす強烈なインパクトがあったが、最近はワークスサポートと称し、本社がワークスマシン等を系列の支援チームに貸与する形式に変わったようだ。今年の入場者数は昨年より多い見込みだと、あるFBに投稿されていた。盛り上がりつつある鈴鹿8耐は日本の二輪モータースポーツの頂点に立つレースであり、日本の二輪業界の発展のためにも鈴鹿8耐の成功を切に願って止まない。更に言えば、ホンダHRCが再登場すれば8耐は一層引締り緊迫感が出ると思うが、ホンダ系のプライベートチームが連勝している範囲では、HRCの出番はないのかな~。

参考:2013年8耐:「鈴鹿8耐をテレビ観戦しながら、こんなことを考えていた

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

暑い~鈴鹿をパソコンで・・・

2014-07-27 06:27:32 | モータースポーツ
今日(26日)、鈴鹿8耐前日で鈴鹿4耐の開催日。
このところ連日の猛暑、おそらく鈴鹿は30度Cを確実に超え路面温度は60度C近いんだろうか。
朝から、庭のバメの樹とヒイラギを剪定した。日影になる時間帯を選んで剪定作業したので終えるのに3日掛った。
近くにアクエリアスを置いて飲みながらの作業だが汗びっしょりで、剪定を終えシャワーして扇風機にあたるも汗は止めなく出る。

段取りがついたので、鈴鹿4耐を"USTREAM"に合わせると暑そうな鈴鹿サーキットが出てきた。
暫く見ては、知っているチームもいないので別のチャンネルに合わせ、暫くするとまた見る。これを数回繰り返しながら4耐を見終えた。
結果は、「 Yamaha Indonesia Racing 」の1、2位。世界に発信されている「Asia Road Racing Championship」のFBにはこう書いてあった。
Congratulations to Yamaha Indonesia Racing for finishing 1-2 after a dramatic final minutes.
 Winner: Imanuel Pratna and Ibarek Sageru, Yamaha Indonesia Racing A
 2nd: Sudarmono and Sigid PD, Yamaha Indonesia Racing B

    「鈴鹿4耐はヤマハアジアが1、2位占めた」
知っている範囲での昔、4耐の覇者はカワサキだった時代もあったような記憶もあるが、時代は変わったのかな。
数年前からアジアロードレース選手権が開催され、そのチャンピオンは既に現地ライダーの頭上にある。
鈴鹿4耐はアジアのライダーにも解放され、そしてアジアライダーが鈴鹿4耐の覇者となった。彼らの次の狙いは鈴鹿8耐か。
しかも、4耐上位10位中にヤマハマシンが6台、ホンダ2台、カワサキとスズキが各1台だった。これこそヤマハの圧勝

その後、鈴鹿8耐のトップ10トライアルが始まった。トップ10に残ったチームは、ホンダ系が5チーム、ヤマハ系とカワサキ系が夫々1チーム、
そしてスズキ系が3チームだった。実力が拮抗していると、結果はサバイバルとなるので確率から言えばホンダ圧倒的に優位で、次はスズキ。
して、トップ10の結果は、設立60周年のヨシムラスズキ#34がポールポジションを獲得。
   「ヨシムラ60周年:鈴鹿サーキット」


久し振りにトップ10トライアルをじっくりパソコン観戦したが、これは実に面白い。
サーキットタイムが即8耐レース結果に直結するものではないが、速く走れるポテンシャルがあるマシンだと言うこと。
明日日曜日は終日、今度はテレビ観戦となるが、長い一日となりそうだ。鈴鹿の明日もかなり暑くなりそうだし、
今年度始めて採用されたタイヤ本数制限がどのように影響するのかも見物。各チームとも頑張れ!!
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

どうなっているの? 阪神のベンチ采配の冴え

2014-07-25 06:24:22 | スポーツ
最近の阪神ベンチ采配は冴えわたっている。
対巨人3戦目、梅野は能見の難しいバウンドをよく止めていた。しかし9回、痛恨の暴投で巨人3点目。これで勝負あり。
3戦目敗因の伏線はあった。両チーム得点出来ないまま回が進んで、9回、先頭の亀井にヒットを打たれ、代走に鈴木。
打席は村田、鈴木が盗塁し、間一髪セーフ。テレビを見た目はアウト。再度流れたビデオでもアウトのタイミングだが、
上本の捕球位置が悪かった。鈴木をブロック出来ず巧く滑り込まれてしまった。あの時上本のブロックがいい位置に
あったら完全にアウトで、その後の暴投でも一点が入ることはなかった。ここが鳥谷との大きな違い。
能見も投球内容は素晴らしかった。低目への制球が良く変化球も切れていた結果だっただけに、もったいない。
3戦目は惜しかったが、それでも対巨人戦は2勝1敗で2.5ゲーム差に縮めた。後半戦、出足好調にスタートした阪神。

その第2戦は阪神ベンチ采配が冴えわたった。
    「第2戦、12回裏同点Hrの福留」
交流戦後に一時マイナス2まで落ち込んだが、7月になって13勝3敗。阪神にとって最大の試練の月、8月をいかに乗り切るかだ。
巨人がピリットしな状況だけに、これ以上離されたくない。

この3連戦、圧巻は2戦目、延長12回の裏、福留のホームランではなかろうか。
こんな逆転劇は阪神には珍しいが、福留が決めたのが良かった。
前半戦、何も有効打を打てない阪神ベンチ、とかく不評の阪神ベンチが、交流戦後の目覚ましい活躍でベンチの采配が冴えわたる。
福留は打撃不振で、6月に2軍落ちを経験したが、このところ、フル出場。まさかのまさかだったが、気持がよい。ところで、
この日も、1点を追う六回、2死二、三塁。大和に告げた阪神の代打は関本ではなく新井良だった、しかも逆転の2点右前適時打。
これこそ和田采配がズバッと決まった瞬間だった。

9回は呉が登板して、簡単に2アウト。そこに村田の代打で高橋由。
テレビにはキョトンとしてベンチで仲間と話す村田の浮かぬ顔が大写し。だが、この代打作戦が大当たりで同点HR。
両監督の采配がさわやかに当たった好例だが、こんな試合は痛快で面白い。


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

野々池貯水池 のオニユリ

2014-07-23 06:13:07 | 野々池周辺
昨年は、「オニユリ」が開花する直前に野々池貯水池の一斉草刈りが行われたので咲くことはなかった。
蕾を付けていたので咲くのを期待していたが、咲く前にバサーット刈られてしまった。
今年はと言うと、草刈りはまだ始まっておらず何とか咲いた。ところで、「オニユリ」はムカゴをたくさんつけるので
毎年花数は増えてもよさそうだが、今年は花が咲いた一昨年よりかなり少ない。
野々池貯水池のジョギングコースからも注意してみると花が見え、散歩する人の格好の話題にもなっているので、
花を摘んでいく人や球根を持っていく人もいるのだろうか。

7月中旬も過ぎると、このところ外は31度を超す日が連日続く暑い日の毎日。
昼間、風の通り道になった窓に簾を下ろせば風通しは良く、今のところ快適だが、
夜、雨戸を閉め寝に入って暫くしてからの暑さにはほとほとまいってしまう。その度毎に扇風機をON。

そんな中、「オニユリ」を写真に撮りながら、外側にくるりと反りかえった橙赤色の花弁にある、暗褐色の斑点を繫々とみた。
写真を撮ろうと、手で草を分けながら中に入ると、「オニユリ」の赤褐色で衣類に付いてなかなか落ちない。
庭から「オニユリ」を眺めていた女房がこう言った。
「まだ閉じている花弁に指を突っ込んで中の花粉を集め、別の堅い葉の中に閉じ込め2~3日発酵させ、
 これを指先につけると、マニュキュアみたいに爪が紅く染まる。子供時代にこれで遊んだ」、と。





コメント
この記事をはてなブックマークに追加

我が家にも夏が来た

2014-07-22 06:20:54 | 
近畿地方の梅雨明け宣言が、21日に発令された。気温は31度前後だがうだるような暑さはまだない。
梅雨明け宣言を蝉が知るわけ無かろうと思うけど、数日前まであまり聞く事もなかった蝉の声が煩く響いて少し耳触りだ。
朝から庭の桜の木に、蝉が数匹。アブラゼミとクマゼミに交じって、この辺では珍しいニイニイゼミも一匹。
そんな朝、これが咲くと本当に我が家にも夏が訪れたと実感する花、「モミジアオイ」が咲いた。
昨年も8耐一週間前に咲いたと記録しているので、今年も昨年とぴったり一致。
これで我が家にも本格的な夏の到来。
   

「モミジアオイ」は一日花で、早朝満開となり夕方には閉じる。
開花寸前の蕾は前日、緑の蕾から真っ赤な花弁が少しのぞいて見えるので、明日の開花予報もわかる。
それで、朝一番に雨戸をあけると真っ赤な花弁の下の葉にアマガエルがこれまた一匹、じっと動かず。
   
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

また一人、カワサキのレース中枢から去る

2014-07-21 06:04:54 | モータースポーツ
また一人、カワサキファクトリーレース活動の中枢を長く背負い続けた人材がカワサキを去る。
カワサキがモトクロスやロードレース界で低迷していた時代から圧倒的なプレゼンスを誇った黄金期の輝かしい時代を構築したひとり。'73年にカワサキに入社し、学士ワークスライダーとして活躍、その後車体設計、ライダーコーチ、ワークス監督等を40有余年、モトクロスに関与した期間は20数年、その後ロードレース運営や監督として20数年、最近はアジアロードレース選手権にカワサキを始めて参戦させ、アジアロードレース選手権のチャンピオンを獲得し、アジアにおけるカワサキのプレゼンスを更に高めた功労者でもある。これで、「カワサキレーシングチーム」の1つの歴史が終わったのかもしれない。そんな圧倒的プレゼンスを発揮したカワサキの安井隆志さんがこの8月で引退する予定だ。互いに苦労を背負って戦った昔のごく親しい仲間が集まって、昔を懐かしみ、次のカワサキに期待しつつ、去る17日、懇親の夕べを持った。
       
     

ところで、本ブログでは安井さんに関する記事を過去投稿してきた。
その一部を再投稿してみようと思う。

★「仲間
安井さんが学士セニアライダーとして全日本モトクロス選手権に参戦した当時のマシンと本人(右)そしてマシン担当の和田さん(左)。
    
「安井君は、モトクロスの学士ワークスライダーとしてカワサキマシンでレース参戦し、その後、川重に入社した。 入社後一貫してモトクロスやロードレースの開発/レース運営の中枢で活動し、カワサキレースの歴史を実体験した数少ない貴重な人材である。 カワサキが世界のトップを邁進していた時代や他社の後塵を浴びていた時代をともに経験し、つまりカワサキの欠点を最も熟知している。 逆にいえば、どのような戦略そして組織にすればカワサキが勝てるかを肌で知った経験者だ。 世界のモトクロスフレームの基本となった、「ぺりメータフレーム」の開発責任者でもあり、優れた設計者でもある。 現在、ぺりメータフレームは世界のモトクロスマシンフレームの標準設計仕様となっている」

「カワサキが米人Brad Lackeyと契約し世界モトクロス選手権参戦時、入社後間もない時期に、Lackeyの派遣技術者として大変な苦労を経験し、 レースにおける支援体制の重要性、本社の役割のあり方を経験した。 マシンの設計者でありながら、カワサキレーシングチームの監督として全日本選手権を駆け回るソフト活動も上手に展開した」

     「’73カワサキワークスライダー安井隆志選手」
元カワサキモトクロスワークスライダーで旧友の立脇さんが懐かしい写真を公開していた。それには説明書きがこう添えてあった。
           「『瞬間@1973』、1973年はカワサキにとって、とってもレアな一年でした。
            この年のデビュー戦、カワサキファクトリーチームは伝統の赤タンクで登場。
            しかし、シーズン半ばになると今や誰もが知っているライムグリーンにカラーチェンジするという大変革の年となりました。
            さて、この赤ゼッケン28番のライダーさんはどなたでしょう? ハンマーサスは憧れでした!
            さて今年は、モトクロッサーKXシリーズ誕生40周年の記念すべき年。
            オーナーの方も、そうじゃない方も、これからオーナーになりたい方も、みんなでお祝いしましょう!」
KXが40周年となったので、昔の仲間が発起人となって、当時を懐かしみ次の世代に幸多かれと、’73当時の担当者から現役まで有志に呼び掛けている。そのコアになるのがワークス活動だが、‘73年のワークスライダーと言えば、竹沢正治、川崎利広の契約ライダーに加え、もう一人社員ワークスライダーとして安井隆志選手の三人だった。

★モトクロスフレームの新しい世界基準「「KAWASAKI DIRT CHRONICLES」:ペリメータフレーム
       「当時、MXの開発リーダを務めた安井さん:KAWASAKI DIRT CHRONICLES」
「KAWASAKI DIRT CHRONICLES」における安井さん談より転用。
「カワサキにはディスクブレーキやユニトラックサスペンションなど、画期的なメカニズムを他社に先駆けて導入してきた実績もあり、 今度は常識を覆すようなフレームを作りたいと考えていました。モトクロッサーの車体の進化を振り返ってみると、1960年代には150mmだったサスペンションストロークが、 '70年代には250mm、'80年代には300mmを超えるようになり、長さに応じた剛性を得るためにフロントフォークの倒立化が進んでいたことが背景にありました。 自ずと倒立フォークの太いアウターを受け止めるフレームにも高剛性化が求められ、既存のシングルバックボーン構造の鉄フレームに取って代わる何かを探していたのです。 骨格をツインチューブにすれば、将来的に燃料タンクとエアボックスの位置を逆転させ、キャブレターをダウンドラフトにすることも可能だと考えていました」

RACERS vol26 KXペリメータフレーム特集 (その1)
編集者曰く”かっこいいKX”はどの様に開発され、そしてその性能、戦闘力の高さを如何に証明してきたのか
「ペリメータフレームは'90年モデルKX125と250に始めて量産車として採用されたが、その前年1989年、全日本モトクロス選手権で、カワサキワークスチームは ペリメータフレームをワークスマシンに採用した。それはMXレースマシンとしての戦闘力を確認するためだが、岡部、花田、長沼の3ワークスライダー用に搭載した。 既に、次年度の量産適用を前提としていたので、是が非でもチャンピオンを獲得し戦闘力の高さを証明する必要もあった。当年のモトクロス選手権は前半125cc6戦、 後半250cc6戦としてそれぞれにチャンピオンを競うものだったが、'85、'87、'88年の125ccチャンピオンの岡部選手にペリメータフレームの勝利を託した。岡部選手の評価では「ペリメータフレームの特性は直進性に優れるがコーナリングに改良の余地あり」で、キャスター角等の変更でレース可能レベルまで改良された。 更に良い点として「ペリメータフレームの優れた特性としてライディングポションに圧倒的優位性がある」と評価される一方、重量がやや重く125ccのエンジンでは 非力さを感じるとの評価もあったと記述されている。残念ながら125ccクラスのチャンピオン獲得はできなかったが、後半250ccではパワーも十分にあったので ペリメータフレームの特性を見事に発揮しチャンピオンを獲得、そしてカワサキは全日本250ccクラスで13年ぶりにクラスタイトルを獲得することになるが、 同時にペリメータフレームの優秀性が実戦で始めて認知された瞬間だ。」

カワサキが勝利にこだわる姿勢を明確に打ち出し、圧倒的なプレゼンスを誇った黄金期に何をしたのか
「その後2年間、カワサキは善戦するも全日本チャンピオンを取れず、組織がこのままずるずると勝つ事の意味を忘れてしまう事を恐れた。 と言うのは 竹沢選手がカワサキで250チャンピオンになったのは1976年、次のチャンピオン獲得は125の岡部選手の1985年、その間の9年間、カワサキはチャンピオンから遠ざかる。 この9年間、勝ちたいと言う思いとは裏腹に思いを集大成して勝ちに繋げる意思はやや貧弱で、加えてこれを別に不思議と思わない環境にあった。 その後、 岡部選手が4年間チャンピオンを獲得し、組織は勝ち方を覚え、勝つことの意義を確認することができる時期にあったが、岡部選手に続く若手ライダーが育っておらず、 このままでは、以前の9年間に戻ること、つまり暗黒の数年を過ごさざるを得ない危機感があった。これは一度でもチャンピオンを維持し続けたチームだけが持つ 何とも言い難い焦燥感であった。何としても勝ちたい。そこで熟慮した結論は外人ライダーとの契約だった。全日本選手権に外人ライダーを出場させるのは、 別にカワサキが最初ではない。カワサキが外人ライダーと契約した理由はJEFF Chicken”MATIASEVICH・・・懐かしい写真!に述べている。

カワサキが勝利にこだわる姿勢を明確に打ち出し、圧倒的なプレゼンスを誇った黄金期だったからこそ、カワサキはモトクロス市場のリーディングカンパニーとして 行動を起こすべきと判断した。まず第1に勝てる事、次に高いレベルでマシン開発ができる事、そして競争させることで日本選手の技量を向上させ全日本選手権を 活性化させること等である。ただ、懸念された事は勝つためだけにアメリカンを走らせたと単純に捉えられてしまわないとか言うことだが、結果的にそれは杞憂だった」


★「’97年「KAZE」vol.84 鈴鹿8耐特集から ・・・
      「'97鈴鹿8耐、戦況をみる現場責任者の安井さん」
「ロードレース運営にも深く関与し、93年からモトクロス開発陣がロードレース運営や開発も統合して見ることになった時期以来、 ロードレース活動の中心人物でもあり続け、鈴鹿8耐でカワサキが初優勝し、その後もカワサキが8耐の表彰台を守り続けた時代の現場責任者でもある。 カワサキが世界のレース界で最も輝いていた時代を含めて、中心にいた人物だ。 このような人物がカワサキにいて活躍したからこそ、カワサキレースの歴史が守り続けられたと思う」

モトクロスの主任設計やレース監督の絶頂期、請われてロードレース担当となった。
ちょうどロードレースが低迷していた時期だったが、その後ロードレースが技術部に再復帰した際、この時の経験はロードレース復活に大いに役立ったようだ。鈴鹿8耐をロードレース活動の第一に位置づけ、そのための全日本選手権でもあり世界選手権だった。8耐に照準を当てて年間のテスト計画を立案、3か月ごとに見直す等、小まめに計画を周知徹底することで鈴鹿8耐に向けてベクトルを合わせることに一番苦心してきたのは安井さんの業績。その結果、それまで遠い8耐表彰台を表彰台の常連に引きよせたのも安井さんの功績だろう。鈴鹿8耐が近ずくと、同部に所属したモトクロス班はロードレース班に合流し鈴鹿に直行して安井さんの指示に従った。モトクロスもロードレースも寝食を共にして戦う唯一の場が鈴鹿8耐だった。 安井さんは常にその中心にいた。

とかくレースと言うと「結果は」という側面ばかりが目につくが、実際はマシンのハード開発とレース運営を融合させて結果に結び付けるソフト活動が両立しないと巧く機能しない。しかし口で言うのは簡単だが、総員80数名の8耐要員を同じ方向に進めるには、確かな人望がないと皆付いてこない。学士ワークスライダーを経験し有能な設計者としても能力発揮、多くのライダーを指導してチャンピオンを獲得させた監督という経験があるからこそ、皆は協力したのだろうと思っている。後にも先にもこんな人材をカワサキに見たことはないし、これからも出てこないように思う。





コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「ヒメヒオウギズイセン」・・・庭の花

2014-07-18 06:30:30 | 
昨年、この花を写真に撮った時期は7月13日だったが、今年は17日に咲いた。17日、朝からむし暑い。
玄関入口横のバベの木の根元で、「ヒメヒオウギズイセン」が咲いている。
スーットのびた花茎は細く、穂状のオレンジ色と黄色の花はフラフラして風に揺れている。
   
   

ところで、この時期になると野々池貯水池に「オニユリ」が咲く。
昨年は、ちょうど野々池貯水池の一斉草刈りに重なって、折角の蕾が根元から切られ
花を見ることがなかった。しかし、今年の草刈りはまだ始まっていない。
「オニユリ」は蕾が大きくなっていたので、間もなく咲くはず。昨年見れなかっただけに、楽しみにしている。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

2014 ワールドカップ(W杯)での一番印象深い写真

2014-07-16 06:05:01 | スポーツ
  
  「優勝トロフィー掲げたかった」と失意のメッシ、HuffPost Japan」

ワールドカップ決勝戦、ドイツ対アルゼンチンの後半戦からテレビをつけた。
起きるのが遅く眠気眼で後半戦から見始める。後半戦はアルゼンチンの責めが優勢にみえたが、勝負がつかず。
延長戦に入るとアルゼンチンに疲れが出たのかやや精彩を欠く一方、ドイツの攻めが目立ち、延長後半のロスタイムで貴重な一点が入りドイツの優勝。
24年ぶり4度目の優勝とあった。

試合後にMVPにあたる「ゴールデンボール賞」が発表され、準優勝したアルゼンチン代表のメッシが選ばれた。
優勝を逃したメッシは、失意のままVIPボックスまで重い足取りで階段を上りロフィーを受け取ったが、
階段を上る姿も、MVP賞を受け取る姿にも、テレビに映ったメッシの表情が何とも言いようもない寂しそうな姿が印象的だった。
加えて準優勝のメダルをかけてもらうべく階段の先頭を歩くメッシの沈んだ無表情さは、これが敗者の姿かと、なんとも言えず見るに堪えなかった

で、トロフィーを受け取ったメッシから「個人表彰は何の意味もない」と短い言葉に無念さが滲み出るコメント。
敗者のメッシの姿と短いコメントに、ワールドカップの凄さと残酷さがより強烈に表現され、一番印象深く感じた。

メッシのMVP受賞については、反対の意見が海外からたくさん寄せられたと報道されているが、記者の投票で決まるので、
メッシの受賞は妥当と判断すべきだろう。確かに今大会で活躍し、MVP該当プレーヤー数人がリストアップされていたが、
優勝を逃したメッシにMVPが贈られたことで、ワールドカップの優勝の重みがより一層際立つことになった。










コメント
この記事をはてなブックマークに追加

野々池貯水池周辺は・・・

2014-07-14 06:12:22 | 野々池周辺
今年の6月末には終了する予定とあった、「神戸ファッション造形大学」の跡地の造成工事は予定通り6月末に終了した。
昨年末から更地工事に着手し約半年、住宅地の付帯設備工事も終了し、いよいよ販売開始のスタンバイ。
7月に入ってから販売開始になったと思うのだが、平日は入口にゲートが設置され入れず、昨日(土、12日)になって始めて販売のノボリが立った。
昼過ぎに野々池貯水池ジョギングコースでウォーキングがてら暫く見ていたが、訪れる人は全くなく、広い敷地はがらーんとしたまま。
最近、野々池周辺周りの住宅建築がさかんに行われていたので、この住宅地の応募は抽選かと思っていたが、販売初日、どうもそうではないようだ。
西明石駅まで徒歩で約16分(関住の広告)の地、周辺は住宅地に囲まれた一等地だが、とりあえずはあまり販売の興味を引いていないようにも見えた。
 

その後、野々池貯水池のジョギングコースを速足でウォーキングしていると、初夏にしては珍しい山野草を見つけた。
花姿から「センニンソウ」だと思うが、咲くのが早すぎる。 野々池貯水池周辺の「センニンソウ」が咲く場所数箇所を良く知っているが、
咲く時期は8月末から9月。これが梅雨明けもしていない7月始めに咲いているので、一瞬間違いかと思い図鑑をみるが、多分「センニンソウ」。
しかも、「センニンソウ」は蔓性なので植木や草等に絡まって伸びていくのが一般的だが、ここのはそうではない。
 

野々池貯水池周囲にぐるりと植樹してある「夾竹桃」も咲いている。夾竹桃は梅雨時期に良く似合う。
 
コメント
この記事をはてなブックマークに追加