野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

茗荷 (続編)

2011-07-31 07:00:56 | 
7月に入って、茗荷の花芽が、やっと出てきた。
収穫したくてウズウズしていたが、我慢、我慢。
あれだけあった茗荷の葉の下の雑草が、多分、茗荷の下で日が当たらないからか、無くなったので、花芽が出ると直ぐ分かる。

花芽が出て直ぐに大きくなるかと思っていたが、食べれるような大きさになるまでには2週間以上かかった。
それでも、昨年に比べ小ぶりなのが気になってしょうがない。
冬場の肥料もやったし、稲わらも掛けてやった。
店で販売しているものとは、明らかに大きさが違う。

キュウリやゴーヤ等は店のものと遜色ないのに、茗荷の大きさが違う。
冬場の根分けが必要かな。
勉強しとこ。

それにしても、何でこうも茗荷の葉の下にはヤブ蚊が多いのか。

◎7月7日:
  雨が少し止んだ際、茗荷をみたら、花芽が出始めた。
  出たばかしなので、まだ小さい。  






◎7月25日 収穫(今日一日食べる分)
  今年の出来は今一つ。
  昨年に比べ、大きさが小さいのだ。
  これでは、秋になったら堀越して根の整理が必要のようだ。
  でも、味は全く問題なし。



◎7月30日 収穫
  たくさんとれるようになったが、小ぶりな物ばかり。
  小ぶりだけど、味はちゃんとしているから、マーよいか。
  



  庭のキュウリと一緒に、今日の夕食
  
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野々池のオニユリ

2011-07-29 07:06:17 | 野々池周辺
7月末になって、このところ30度を超す日が続いているが、まだまだ過ごしやすい。
野々池のオニユリが一斉に咲いた。

庭に植えていたオニユリに沢山のムカゴが出来たので、野々池の土手に蒔いていた。
彼此2~3年たったものが、このオニユリの花だ。
この野々池のオニユリにも沢山のムカゴが出来ているので、次第には広がっていくことだろう。

橙赤色の花びらは外側にくるりと反りかえり、暗褐色の斑点が特徴的なオニユリ。
茎の上半部には腺毛があって、葉の脇に黒紫色のムカゴを作る。

花粉は赤褐色で衣類などにつくと、なかなか落ちない。
写真を撮った後、腕をみたら赤く染まっていた。
まだ閉じている花弁に指を突っ込んで中の花粉を集めて、別の堅い葉の中に閉じ込め2~3日発酵させ、これを指先につけると、マニュキュアみたいに爪が紅く染まる。
この遊びを子供時代に興じていたとは女房の昔話。

実は、野々池にオニユリは珍しいので、春先に芽が出て成長し、オニユリの茎だと分かる頃になると、スコップを持って持ち去る人も多い。
それでも、これだけ残って成長し花を咲かせた。
(芽が出たものを球根ごときれいに掘り起こし移植するのは難しいのだが)










 



オニユリの花と蝉の抜け殻。
ムカゴもかなり出来ている。



葛がオニユリに巻き付いてへし曲げる。




 
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加美町 大袋地区の梅花藻(バイカモ)

2011-07-27 06:22:53 | 
加美町 大袋地区の「梅花藻(バイカモ)」

バイカモって、なんだ。
勿論見たことも聞いたこともないし、この辺り、加美町、中町には何度も足を運んだのに「梅花藻」の名は一向に出なかった。
ところが、梅花藻が群生している場所は、それこそ何度も車で通った場所にあった。

此処に至る途中の、国道427線沿いの「加美公民館」の受付で「梅花藻群生地案内図」を貰って、
「梅花藻」の場所と「梅花藻」なるものを教えてもらった。
「梅花藻」は、キンポウゲ科に属する水生植物で、夏に梅の花(ばいか)に似た白い花を咲かせる。
水温の低い清らかで豊富な流水中に生育し、清流の指標とされており、水質汚濁には大変弱いとのこと。

加美町大袋地区、現役時お世話になった工場の直ぐ近くだ。
工場に曲がる道路沿いの用水路に、梅花藻(バイカモ)が群生していた。
これは、一見に値する。

既に、「梅花藻」見物の人が数人いて、盛んに写真を撮っている。
聞くと、夏の最盛期には、愛らしい花が一斉に川面から涼しそうに顔を出すとのこと。
加美町の奥深い谷からコンコンと湧き出る冷たい水が流れる杉原川からの水を引いているのか、すこぶる清明だ。
「梅の花」に似たバイカモの花。花粉を水に流して受粉させる水媒花だそうだ。
また、「梅の花」に産卵するトンボ等の流水性のトンボがたくさん見られるし、小さな魚も泳いでいた。























「加美公民館」の受付で貰った「梅花藻群生地案内図」
427号線に並行している緑色に塗った用水路に「梅花藻(バイカモ)」が群生している。
この場所以外にも群生場所があと二カ所程ある。







本日の目的は多可町の「ラべンダーパーク多可」を見る予定だったが、
ラベンダーは既に刈り取られた後だったので、このパークで昼食のみを摂った。
食べ放題「卵かけごはん」350円の昼食をおかわりした。

 

  


途中の寺内交差点から、右に行くと平成の名水百選で有名な「松か井の水」があるのだが、次回の計画とした。


帰りには、中町の戎屋で酒饅頭「山田錦」を買った。
ちなみに、ここの酒饅頭は有名で、時々土産に買って帰っていた。
勿論、この酒饅頭は美味しいのだが、饅頭の皮が包装紙にまつわりつかないのが尚よい。
「銘菓 山田錦」の説明書きに、「酒米「山田錦」のルーツは、わが中町の安田郷です。
明治初年、東安田の郷農山田勢三郎氏が、山田穂を発見し、その後改良を重ねて、山田錦になり、
今や質量ともに、「日本一の酒米」の声価をかちえました」とあった。

余談だが、昔、東灘の「白鶴酒造」を工場見学したことがある。なぜ、「山田錦」が酒米として最適かの説明は理解し易かった。

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ホンダ アフリカに進出

2011-07-25 07:01:08 | 二輪事業
18日のダイヤモンド オンライン記事に、「ホンダが弱点のアフリカに戦略車を投入」とあった。

いよいよ、ホンダ二輪がアフリカに本格的攻勢をかけるようだ。
ホンダは1980年初頭に、ナイジェリアで二輪車工場を立ち上げ、アフリカの二輪市場に参入していたと、記憶している。アフリカ市場は中国メーカーによる低価格帯商品の投入で市場は拡大しており、ホンダも低価格商品で市場の90%を占める中国製品との本格的競争にのりだすのだろう。中国資本が育てた市場を、ホンダがより強烈な戦略機種を持って本格的に参戦する。10数年後に向けて熾烈な二輪市場獲得戦争が始まった。

この戦争、ホンダが勝利すると思う。

2000年初頭のベトナム市場では、中国資本が低価格二輪車をもって参入し、一時的には圧倒的シェアを拡大した時期があった。その頃のベトナムの二輪市場を見る機会があった。旧タイカワサキがベトナムに進出し、ベトナムに組立工場を建てた時期だ。タイでは評判の悪かった小型モペットが小柄なベトナム女性(ベトナム女性のバイク利用は高い)には好評で、そのモペットをベトナムで本格生産する計画だった。販売店や路地裏のモペット修理屋と部品屋が集合した地域がアチコチに点在しており、その数カ所見る機会があったが、当時どの販売店も中国製の低価格車を恐れていた。しかし、数年後、中国製は一掃され日本製モペットに変わった。日本車に取って代わった理由は分析され、報告書もある。

それにしても、信号らしきものが無い交差点で、雲霞(ウンカ)の如く湧き出てくると表現した方が適正だと思うほどのモペットの大群を見たとき、モペットをこれ程までに市場に認知させたホンダ技術者と営業担当には本当に敬服した事を覚えている。この光景は「二輪事業に携わったホンダマンこそ男冥利に尽きる」と感心したものだ。本当に頭が下がる思いだった。

鈴鹿8耐や世界の二輪レースではホンダと鉾を交えて戦う機会を得てホンダの戦い方は何となく理解していたが、ベトナムでのホンダの大群を見たとき程、二輪事業に携わった一人の技術者として羨ましさを感じた事はなかった。

アフリカと中近東は最後に残った二輪市場だと思うが、ホンダはどの二輪市場でも先鞭をつけて進出し成功を収めてきた先駆者だ。昔、昼休みの事務所の片隅で、遊びのトランプ賭けごとに興じながら、トランプ仲間の営業の大先輩が言っていた事を覚えている。「ドイツの山奥で、こんな処にバイクを売りに来た営業マンはいないだろうと聞いたら、「おまえはホンダについで二番目だ」」。ホンダの成功を期待している。

これから10~15年先、アフリカは二輪の大市場になる可能性は高く、そして次は、政情が安定化さえすれば中近東も二輪の大市場となる。
どの国の人々ももっと豊かになりたいと思って経済活動を推進するはずであるから、新興国はアフリカ市場を焦点にして経済活動を推し進めるだろう。これからは、次の市場アフリカを舞台に、ホンダの中国やインドとの競争は続く。


ベトナム市街交差点でのモペットの大群



 中国勢に勝負かけるホンダ二輪 「弱点のアフリカに戦略車を投入」
  アジアで強いホンダも、アフリカでのシェアは1%程度。
  ホンダが二輪車でアフリカに攻勢をかける。出遅れていた最後の成長市場で挽回を図るため低価格戦略車を8月に投入するのだ。
  年間1145万台(2010年度)を販売するホンダは、世界最大の二輪車メーカー。特に、東南アジアでのシェアは高く、ほとんどの国で過半
  を握っている。  今後の成長余地もまだまだ大きい。
  年間1145万台で売上高1兆2881億円という10年度の実績に対して、「将来的には新興国を中心に3000万台近くにまで伸びる」(ホンダ関係
  者)と見ている。 新興国でのおよその収益構造は、「工場建設に100億円を投入し、年間売上高約500億~600億円を見込み、2年分の利益
  で100億円を回収」というもの。  資金も期間も四輪事業の数分の1以下ですむ機動的なビジネスだ。二輪事業の営業利益は1385億円、売
  上高営業利益率は10.8%と四輪事業の3.9%よりも高い(10年度)。

  ホンダの屋台骨を支え、アジアでは向かうところ敵なしの二輪事業だが、アフリカではまったく事情が異なる。 
  年間300万台が販売されるアフリカ大陸全体でのホンダのシェアはわずか1%程度。ほとんどを中国とインドの格安二輪車メーカーに握られ
  ているのだ。  アフリカ市場は「格安のバイクを壊れるまで乗りつぶして、アフターサービスは気にしない」という特性があるという。
  そうした前提で作られた二輪車と価格差が生まれるのは必然だ。
  現在、ホンダの主力商品である排気量125ccの二輪車はナイジェリアでは10万円以上で売られている。これに対して、中国やインド製の格
  安二輪車は5万~7万円程度だという。  その市場に8月、新たな戦略車を投入し、勝負をかける。新車種は、中国での部品調達体制を見直
  し、品質を落とすことなく安価な部品を入手、それをナイジェリアの工場で組み立てることにした。

  その結果、日本円にして約6万5000円を実現した。5万円程度という中国車の価格よりは高いが、インドのメーカーであるパジャージの主力
  車種と同等になる。まずはナイジェリアで販売し、アフリカ全土を狙う。「15年ほどたてば、アフリカはホンダにとって大きな市場になる
  可能性がある」と見込む。2000年代初頭、ベトナムなどで中国製の粗悪なコピー二輪車が市場を席巻。ホンダの地位が脅かされた時期があ
  った。しかし、コピーメーカーが決してまねできないレベルの安くて壊れない二輪車を投入することで、再びシェアを挽回することに成功
  した。ホンダがアフリカで狙うのは、アジアビジネスの成功に学んだ一気呵成のシェア奪取だ。(「週刊ダイヤモンド」編集部 清水量
  介) 

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ヒメヒオウギズイセン

2011-07-23 07:01:33 | 
気が付いていたが、花の名が思い出せず、綺麗に咲いているのにブログにも記載せず放置していた。
梅雨時の花を検索していて、花の名をみつけた。
「ヒメヒオウギズイセン」という花だそうだ。
女房の里の土手に沢山咲いていたとのことで、球根を買って植えていたが、ずいぶん昔の事になって名前をすっかり忘れてしまっていた。

玄関の横、バベの木の根元で、2月中旬には福寿草、4月頃に春蘭が咲く個所と同じ場所に、7月、この「ヒメヒオウギズイセン」が咲く。

調べたら、名前に「水仙」とついているものの、所謂「スイセン 」とはまったく別の植物で、ヒメヒオウギズイセンはアヤメ科、だからこの季節に咲くのだな。

草丈は50cm~80cmくらいの多年草で、葉は先のとがった長い剣状。根もとの方を見ると、互い違いに出た葉が向き合って互いに抱き合うようについている。
分岐した花茎にも穂状にたくさん花をつけ、蕾のときは花序が丸く弧を描き、南京玉簾のような状態だ。
花被片の先は、ほぼ平らに開いて、横向きからややうつむき加減に咲く。


バベの木の根元で、今月は「ヒメヒオウギズイセン」が咲いた。
 



ちなみに、属の学名「クロコスミア (Crocosmia)」には、「サフランの香り」という意味があり、乾燥させた花を湯に入れるとサフランに似た香りがするのだそうだ。

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プロサーキット Mitch Payton  インタビュー

2011-07-22 07:00:09 | モータースポーツ
7月19日のkawasaki Racing News に面白い記事があった。
プロサーキットオーナー Mitch Payton さんのインタビューだ。Mitch Payton さんとは、アメリカで数回あったことがある。社屋の中も見学させてもらったが、当時、2サイクルのプロサーキット製エキゾートチャンバー、エンジンチューニングやグッズ等の販売を主にモトクロスのレース活動をやっておられた。当時の社屋の中は、ホンダ車をプロサーキットで走らせていた頃のチャンピオンマシンがズラート並んでいたが、今回みると殆どがカワサキ車に代ったようだ。

Mitch Payton さん。
話していると温和で、本当に素晴らしい人柄の人だ。こういう人が、しっかりと米国のモトクロス市場を支えてくれるからこそ、モトクロス市場は安定しているのだろう。米国のオフロード市場の裾野はとてつもなく広く、そして今だ健在だ。多分、サーキットでモトクロスレースを競っているユーザー以外にも沢山のオフロードユーザーがいる。

家族でバンにモーターバイクを積んで、一日中砂漠で遊んでいる場面に幾度となく出くわした。そこに、家族の絆が形成されていくのだろう。開拓時代の馬がモトバイクに変わっただけなので、オフロード車は米国人の伝統的な嗜好マインドに良く合致し支持されている。これが、オンロードの二輪市場が落ち込んだとしても、オフ車が米国で安定的に支持されている理由だと思う。伝統的な市場やモトバイクの遊び文化がある処には、多額のプロモーションプログラムをしなくとも安定的に販売が見込める。

現場には、このような人材がまだまだ一杯いる。机に座ってばかしでは現場の動きが掴めないかもしれない。健全な市場が存在している限り、健全なユーザーは存在し、健全なサポートをしてやれば、ユーザから支持される。ユーザーがカワサキライダーであることを誇りに感じてくれたら、担当者として男冥利につきるのではないか。Mitch Payton さんのインタビューを見ながら、改めてそう思った。



IN THE SADDLE: Words of Wisdom with Mitch Payton

In the Saddle: Words of Wisdom from Mitch Payton


日本語訳した内容が「Dirt.np」に投稿されていたので、転載させてもらった。


――勝つことと楽しむことのバランスとは?

メジャーリーグだって3割打てたら凄い。たった3割でだ。
モトクロスじゃ毎回ホールショット取れるなんてありえないし、クラッシュするかもしれないし、たとえばハードパック・ソフト路面のセッティングによっても全然状況が変わってくる。完璧ってことがない。モトクロスは不完全なスポーツなんだ。誰も負けようと思ってコースに出ては行かない。子供たちは与えられた中でできる限りのことをしようとする。子供たちを楽しく乗せてやることが親の仕事だと思う。

――あなたにとっての「成功」の尺度とは?

自分の定義する「成功」は結構ハードル高いよ 。
レースで勝つことをとても楽しんでいるし、それを望んでもいる。チャンピオンシップをとることはとても重要だ。でもそれだけじゃない。

我々のプログラム、あなたが今尋ねているキッズたちに関して言えば、我われはチームライド(注:チームオーダー的なこと?)をしないし、ズルをしない。良いことは良い人に起きるもんだ。現実を受け止め、そのスポーツのあるべきままを行う。そうすれば結果はついてくるもんさ。

――Team Greenのアマチュアプログラムを特別なものにした理由は?

カワサキは65、85だけじゃなく125、250に乗るたくさんのキッズたちをサポートしてきた。それによって、キッズたちもカワサキライダーである誇りと忠誠心を持ってくれるようになる。

そしてアマチュアプログラムを終えたキッズたちの何人かはファクトリーチームへと送り込まれる。Ricky Carmichael(リッキー・カーマイケル)、Nick Wey(ニック・ウェイ)、Casey Johnson(ケーシー・ジョンソン)、Dean Wilson(ディーン・ウィルソン)、Ryan Villopoto(ライアン・ビロポト)たちのようにね。

そうそう、新しい65ライダーがいる。昨日彼の走りを見てショックを受けた。この子、弾丸だわ。彼が85に乗り換えさらに上に行く。そうやって成長を見守っていくのはいいんもんだよ。

――Team Greenとの関係について

とても強固な関係です。スタッフはよくやってくれるし、50人からのキッズを抱えてるけど、みんな平等に扱ってくれる。平等ってのは大事なんだ。ずっとこの関係を続けていきたいね。

――ファミリーチームにアドバイスを

まずは楽しむこと。12歳の子供に夢を背負わしちゃいけない。国内転戦とか頑張り過ぎるのもどうかと。まずは自分のエリアで頑張るといい。多くのファミリーがでっかいモーターホームを買って全米を転戦してる。だけど普通のバンにバイクを積んで、家族でローカルレースを楽しむのもいいじゃないか。

レースだからそりゃ誰かが優勝するんだけどさ、やるだけやって楽しんで6位でも最高じゃないですか。全然恥ずかしいことなんかじゃないよ。




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魁皇 引退

2011-07-21 06:13:58 | スポーツ
  大関 魁皇

魁皇が引退することになった。
琴欧州との一番が気になっていたが、NHKのテロップを見て「やはり・・そうか!」と思った。
相撲をテレビで観戦して、魁皇ほど気になる力士はいなかった。
右上手を取るとめっぽう強いが、上手を取れないと本当に頼りない場面もあって、気になってしょうがない。

ここ数場所は目覚めたように強い相撲が多くなり、心境の変化でもあったのかなと感じていて、千代大海を投げつけて引導を渡した相撲など、鮮烈な印象を残した。
リンゴを簡単に握りつぶす、握力は100kg以上と言えば、怪物だ。
19日のNHK解説をしていた北勝力も言っていたが、「右小手投げはこわかった。腕が折れるんですよ」、と。
小手投げを多用すれば勝てるのに、それでも魁皇は上手を取ろうとした。

「気は優しくて力持ち、真面目で努力家、潔い」-金太郎のような「お相撲さん」らしい力士が土俵を去った。
・・・日本人の道義の基本を示してくれた力士でもあった。

新聞記事から、そうだなと思う記事を転載してみた。

 「攻める気持ちが足りなくなった」。この言葉が、すべてを物語っていた。
  琴欧洲の左差しを嫌い、左に回り込むと体が離れた。そこから足が出ない。
  琴欧洲の突き放しをいなそうと左に、左にと逃げたが、一度も前に出られずに土俵を飛び出した。
  取組直後、「全然思ったような相撲にならなかった」と話した魁皇だが、この時点で引退を決意していたのだろう。その表情はさっぱりしていた。
  
  魁聖を相手に場所中としては異例の関取との三番稽古(げいこ)をし、取組後は奈良県の整骨院に毎日通うなど、あらゆる手を尽くした。
  「体調が悪いけど、場所が始まってからも、やれることはしっかりやった」。無念さは、もう残っていなかった。

 魁皇の話 
  「やっと終わったな、長かったなと思う。振り返れば、いろんな人に支えられ、応援してもらった。
   そういう人たちがいたから、ここまでやってこれた。23年間の相撲人生は長い。簡単には振り返れないけど、全ての人に感謝したい。
   言葉にできないほど、感謝でいっぱい。魁皇としての人生は最高でした」
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夏の食材

2011-07-19 07:00:02 | グルメ
少しだけだが、家で食べれるぐらいの野菜を作っている。
狭い面積の場所さえあれば育つ蔓状野菜である、ゴーヤ、キュウリ、紫ツル草、サヤインゲン等が主である。

加えて、モロヘイヤ、にら、レタス、大葉等々をつる状野菜の根元やプランタに植えている。

つる状野菜それぞれの野菜の薬効を「Wikipedia」情報等により転載してみた。

「ゴーヤ」
 独特な苦味があるので、好き嫌いが分かれる野菜として知られ、種子にリノレン酸を含むことが知られている。
 主に未成熟な果皮を食用とし、ビタミンCなどの水溶性ビタミンを多く含むことや、健胃効果もある苦味(苦味成分として、モモルデシン(momordicin)を含む)のため、
 近年では夏バテに効く健康野菜・ダイエット食品としての認知度が上がり、日本全国で栽培されるようになった。

 
家での料理方はほぼ決まっている。



「キュウリ」
 キュウリは全体の90%以上が水分で、栄養素はビタミンC、カロチン、カリウムなどが含まれるが含有量は非常に低い。
 その低さたるや、「世界一栄養が無い野菜」としてギネスブックに登録されるほどである。
 
 
 栄養価が低いと言っても、料理活用の多様性はぴか一だと思う。
苗を買って、小さな竿を立ていたが、大きくなったキュウリの蔓は近くのツツジに巻き付いて伸びている。
  


「紫ツル草」
 葉と茎を食用にする。味はホウレンソウに似るが、独特の粘り気がある。
 つるが紫色のものは、炒めると汁が赤くなる場合があるため、中国語で臙脂菜(イエンジーツァイ)とも呼ばれる。
 ベトナム料理ではモントイと呼び、スープの具にすることが多い。
 日本料理では主に沖縄で栽培され、じゅびん(地紅)と呼ばれ島野菜の一つと認識されている。おひたし、味噌汁や薬味として用いられたりする。
 栄養価が高く、ホウレンソウよりも優れている。ビタミンA、ビタミンC、カルシウム、鉄などのビタミンやミネラルを非常に多く含む。

 

去年落ちた種が、アチコチに芽を出し成長する親孝行の野菜だ。
適当に、葉をちぎって炒めものにするが、焼酎のツマミにも合う。
また、サラダにして生で食べてもおいしい。


紫ツル草の葉っぱと茗荷、ツル草と生ハムの組合せとなった。



「インゲン豆」
 若いさやを食べる軟莢種(サヤインゲン)と、成熟した種子を食べる種実用種がある。
 サヤインゲンに豊富に含まれる栄養素として、生体膜を守り、がん細胞の増殖を抑制すると言われるβ(ベータ)-カロチン、
 細胞の結合を強化するコラーゲン生成を助ける美容作用や、 免疫を強化し風邪を予防する働きがあるビタミンC、便通を促し、 
 コレステロールを低下する作用がある食物繊維などが挙げられる。
   
 注意:「 毒性 」
  2006年5月6日、TBSテレビで放送された『ぴーかんバディ!』で、白インゲン豆を3分間炒ってから粉にして、ご飯にまぶして食べるダイエット法を紹介したところ、
  激しい嘔吐や下痢などの健康被害が全国で発生した。
  これは豆類全般に含まれるレクチンの一種、フィトヘマグルチニン(PHA)の作用によるものと考えられる。
  レクチンは蛋白質なので加熱すれば変性し、人体には無害になる。
  レクチンを無毒化するためには、豆を少なくとも10分は加熱する必要がある(豆を美味しく食べるためには、柔らかくなるまでさらに加熱調理しなければならない)。

  
「インゲン豆」
 料理の応用範囲は広い。食べるのは専らサヤインゲンだが美味しい豆だ。



しかし、近所の知り合いも結構野菜を栽培している人たちがいて、ほぼ毎日何かの夏野菜をもらう。
夏は、これだから嬉しい。




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2011-07-17 07:00:03 | 野々池周辺
7月の中旬を過ぎると、野々池周辺の花は殆ど見かけなくなり、緑一色となる。
緑の主役は雑草だが、その雑草や夾竹桃を覆いかぶさるように伸びているのが、「葛」だ。

葛は梅雨が明ける頃、野々池のジョギングコース内にも張り出してくるが、散歩やジョギングする人、あるいは自転車に踏まれて葛の先端は踏まれて伸びない。
しかし、それ以外の場所では、わがもの顔に張り出す。

野々池の葛は、いずれ草刈りで刈られてしまうが、疏水周辺の葛は誰も邪魔するものがないので、その生長はすさまじく低木林の上を覆い尽くす。
木から新しい枝が上に伸び、それに巻き付いてねじ曲げてしまう
花は8~9月の秋に咲き、穂状花序が立ち上がり、赤紫の豆の花を咲かせるが、今は蔓がすさまじく成長している。

秋になり枯れ葉も落ちた頃、蔓は直ぐに獲られてしまう。
蔓は強靭なので、昔は民具を作るときの材料にされたが、今はクリスマスリースに使用されるようだ。
根から取れる葛澱粉(クズコ:葛粉)が、葛湯として飲まれたり、漢方薬の葛根湯として風邪の引き初めに服用されている事はご存じの通り。 


夾竹桃の上を覆うように伸びた葛。



野々池端の葛、その葛の先端は恐ろしい勢いで伸びていく。



疏水沿いの葛。
此処の葛を刈り取る人はいないので伸び放題となるが、
晩秋の葉が落ちる頃になると、クリスマス用の飾りとして刈られる。
 


こんな緑一色の中でも、昼顔が咲いている場所があった。




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100円ショップで買った風鈴

2011-07-15 06:56:04 | 日常生活
風鈴・・・よい音色だ。

台風2号が来た際、取り外していた風鈴を再び取り付けた。
今の季節、そんなに強い風は吹かないので快い感じに鳴ってくれる。

取り付けた風鈴はガラス製なので、なんとなく頼りないが、返って心地よい。
チリリ~ン、チリリ~ン。



以前は、南部鉄の風鈴で、良く鳴ってくれたが、逆に風が強いと煩かった。
今は振り子を取り外して、梅の木に唯ぶら下げているだけだが、これも風流ありか。  


風鈴で思い出すことがある。
約25~30数年頃前だが、明石のマンションに住んでいた頃、リヤカーに一杯の風鈴を積んで売りに来た。
子供たちが集まってきた。
まさに、江戸時代の売り子の様だった記憶がある。

これもだいぶ話が飛躍するが、江戸時代に遡って暮らすことができるかという談話が、原発事故の後に話題となっていた。
当時の欧州に比べても遥かに文化的な暮らしぶりだったというが、もう後戻りは出来ないだろう。

明治以来、何とか欧州や米国に負けないように、また、米国人の豊かさを我々も暮らしたいと思って経済発展をしてきた。
そして、暮らしは少しだけど豊かになった。
昭和の頃、扇風機のある家は少なかったが、今は、節電のためにクーラーを消そうという運動もある一方、熱中症になる人も多いとの報道もある。
ノスタルジックに昭和の頃をなつかしむ心情は無いとは言えないが、それはノスタルジックでしかない。
もう前に進んで行くしかない時代を我々は経験してしまった。

日本がこの経済発展を足止めすれば、 それは中国やブラジルなどの新興国の国民が、米国人のような生活をはじめる時代に入る。
より多くのエネルギーを消費し、より多くの文明の利器を享受することになる。
そして21世紀も半ばに差し掛かる頃には、今度はアフリカがアメリカ人のような生活をはじめる。
人間というのは、より豊かになりたいものであり、そのことを誰も止めることができない。

「衣食足りて、礼節を知る」・・・「管子」
「一国の為政者の仕事と言えば、計画をたてて経済を豊かにすること。
 豊かな国から逃げ出す人民はひとりたりともいない、むしろ近隣から集まってくる。 
 生活が豊かになり、衣食が十分になって初めて、自分の名誉や恥とかを重くみるようになる」

風鈴の音色を聞きながら、少し飛躍しすぎたが、そう思った。

オーッ セミが鳴き始めた。

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