野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

思い出した

2020-10-28 06:31:34 | 故郷
26日のNHK「ファミリーヒストリー」は、東京の漫才コンビ爆笑問題・田中裕二のルーツを取り上げていた。
終わりまで見ていたが、この番組、家系の関係者、関係するお寺や親せきを訪ね、かなり詳細に対象者のルーツを調べているので結構面白い。

して、今回の対象者田中裕二のルーツは、戦国時代の九州の雄、佐賀の龍造寺隆信の家来だったそうで、龍造寺が島津と闘って戦死したあと、龍造寺軍は離散敗走し、その家来たちの一部は牢人(牢人とは主家を去って(あるいは失い)俸禄を失った者をいう)となって、同じ九州の福岡・小郡に移住、その地で成功し、小郡の発展に大いに寄与したと解説があった。これを聞いてピクッときたのが、龍造寺が陣地を構えたり戦死した場所で、生まれ故郷の直ぐ近くだ。その場所には戦場跡供養塔が立ち、高校通学時には何時も見ていた。龍造寺軍は佐賀から島原半島の神代(こうじろ)に上陸して三会(みえ)に進出し沖田畷(ウィキペディア)にて戦ったのだが、その三会は私の故郷で、そして、沖田畷の戦いで 龍造寺隆信が本陣を置いたのが、三会城。三会城跡の高台は昔、通学した中学校の近くにあったのでよく覚えている。
   「中央上の三会小学校に通い、中学は龍造寺本陣跡の直ぐ近く、隆信が戦死した沖田畷は高校通学時の途中にあった。実家は三会郵便局から歩いて直ぐの場所」

沖田畷の戦いは、薩摩の島津家と佐賀の龍造寺家の戦いで実質、九州の覇権争い。
  沖田畷の戦い
龍造寺が薩摩の島津と九州の覇権を争い、島原半島の領有権を巡って戦ったのが天正12年(1584年)、龍造寺隆信は兵5万8000(2万5000の説あり)の大軍を率いて、当時の島原の城主有馬晴信と島津義久軍8000と島原の沖田畷(おきたなわて)で戦った。

「沖田畷の戦い」をウキペディア等で調べてみると、こう書いてある。
「天正九年(1581)、北進を目指す島津氏は肥後の相良氏を降し、肥後に勢力を伸ばしてきた。これをみた肥前島原領主の有馬晴信は龍造寺氏を離れ島津家に誼を通じた。これを知った隆信は、自ら三万の大軍を率いて島原に上陸、有馬氏の居城・日野江城を目指した。有馬晴信は島津家に援軍要請を出した。
晴信からの援軍要請を受けた島津家中では、地理不案内の島原への派遣に対し否定的な意見を出す家臣が多かった。しかし、島津義久は「古来、武士は義をもって第一とする。当家を慕って一命を預けてきたものをなんで見殺しに出来ようか。」といい、島原への派兵を決定。派遣軍の総大将には末弟で、島津家一の戦上手といわれた島津家久が選ばれ、脇将として島津忠長・新納忠元・伊集院忠棟・川上忠堅ら精鋭三千が有馬氏救援に派遣された。
●沖田畷の敗戦
 そして、天正十二年(1584)、島津・有馬連合軍六千の兵と龍造寺氏の大軍が、沖田畷で対峙した。沖田畷の地は大軍を展開することが困難な場所で、寡勢をもって龍造寺軍を迎え撃つのに絶好の地として家久が予定戦場とした地でもあった。 沖田畷付近で龍造寺軍の先鋒部隊が島津軍と遭遇、龍造寺軍は島津軍が小勢なのを侮り、物見も出さずに攻めかかった。策を秘めた島津軍は、たいした抵抗もせず、ずるずると後退し、勢いに乗った龍造寺軍は一気に攻め立てようと沖田畷の畦道をひた進んだ。 家久は龍造寺軍が十分射程に入ったのを確認すると、一斉に銃弾を撃ちんだ。思わぬ銃弾の飛来に龍造寺軍は先陣が崩れ、退却しようにも後続の軍が次々と続いてくるため身動きがとれず、狭い道の中で大混乱に陥いった。 龍造寺軍の混乱ぶりを見きわめて、島津軍は一斉に抜刀し、三方から龍造寺軍に攻めかかった。隆信は、進展を見せない合戦に苛立ち、自らが前線に立ち指揮を取ろうとした。この時、島津家久の家臣・川上忠堅の放った鉄砲弾が隆信に命中、龍造寺隆信は呆気無く五十六才の生涯を閉じた。一方、寡勢をもって、勢いにのる龍造寺氏の大軍を撃ち破り大将まで討ち取った、島津家久の作戦による大勝利であった。これで島津氏にとって九州制覇への道が 大きく開けたのである」
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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2020-10-29 18:47:37
ネットサーフィン中偶然にこちらの記事を発見しました。同級生です。三会の中野の寺(祖父のいえ)から通っていました。出川に父方の実家があります。貴方のお名前を存じませんが、神奈川在住です。時々島高17期の方たちと集まっていますが、関西の同級会はよく集まっておられるようですね。
Unknown (mohtsu)
2020-10-31 16:27:02
訪問して頂き有難うございます。私は加藤衆議院議員と同期で、小中高と一緒でした。暇の時に、またブログを見て頂ければ幸いです。

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