田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

「歌と笑いのスターステージ」を楽しむ

2023-02-18 16:29:05 | ステージ & エンターテイメント

 三山ひろしや水森かおりが熱唱する。オズワルドとタカアンドセトシが満場を沸かせる。加えてSTVアナの木村洋二さんがそこに絡む。私としては珍しい演歌と漫才のステージである。雑食性を自認するお爺の面目躍如のひと時だった。

        

 2月16日(木)夜、カナモトホールにおいてSTVラジオ開局60周年記念」と銘打ち「歌と笑いのスターステージ」が開催され、楽しんできた。

 いくら雑食性とはいえ、私自身がこうしたステージのチケットを積極的に購入しようとはしないだろう。ところが!某日、知人のI氏から「チケットを購入したが、他に予定が入ってしまったのでチケットを譲る」というお話をいただいた。断る理由がなかったので喜んで譲り受けることにした。

 チラシを見ると、出演は今をときめく演歌歌手の三山ひろしと水森かおり、お笑いコンビのタカアンドトシとオズワルド、そして演出・司会として木村洋二といずれも高い知名度を誇る面々ばかりだった。

 会場のカナモトホールに駆け付けると、老若男女さまざまな年齢層の方々が会場を埋め、広いホールの9割程度が埋まっていたようだ。

         

 最初は三山ひろしさんのステージである。彼の歌をしっかりと聴いたことはなかったが、伸びのある素晴らしい歌声だった。会場の音響設備の素晴らしさもあるのだろうが、プロ歌手の凄さを思い知らされた。あるいは今が一番脂の乗り切った時期なのかもしれない。(現在42歳だという)彼は、彼の持ち歌「夢追い人」など5曲を披露した。

         

 続いて、お笑いコンビの「オズワルド」が登場した。木村洋二さんによると、今をときめくお笑いコンビだというのだが、時代に乗り遅れている(?)お爺には今一つ彼らの面白さを感得できなかったきらいがあった。

           

 3番目に登場したのは「ご当地ソングの女王」と呼称されているという水森かおりのステージだった。彼女はNHK紅白歌合戦に20年も連続して出場しているベテラン歌手である。持ち歌であるご当地ソング「鳥取砂丘」などやはり5曲を披露した。当年49歳ということだが、高音の素晴らしさはやはりプロの歌手である。これからも活躍されるに違いない。ちなみに彼女はこれまでにご当地ソングを147曲もリリースされているとのことだった。

            

 最後に登場したのが、札幌出身のお笑いコンビ「タカアンドトシ」である。彼らの息の合った掛け合いはテレビでもいつも楽しませてもらっているが、さすがである。随所に笑いを含んだ話術は当代の漫才コンビの中でも一二を争うのではないか?大いに笑わせてもらった。

        

 そして、登場した4組のステージを繋いだのがSTVのベテランアナの木村洋二さんである。道内ではテレビ、ラジオを通じてすでに人気者として定着しているが、この日のステージでも、お笑いの人たちを食ってしまうくらいのトークで会場を沸かせていた。こちらもさすがだった。

 そして最後にスペシャルなステージが待っていた。それは「けん玉さん」のニックネームもあるという三山さんのけん玉の妙技だった。僅かな時間だったが、会場が最も沸いた瞬間だったように思われた。

 こうして2時間、肩の凝らないエンターテイメントショーを楽しんだ。このようなステージもたまにはいいのかもしれない…。

※ 出演者の顔写真は全てウェブ上から拝借しました。


二つのフィンランド事情の講演を聴く

2023-02-17 13:34:52 | 講演・講義・フォーラム等

 フィンランドは遠くて近い国と思わせてくれた二つの講演だった。一人は現駐日フィンランド大使、そしてもう一人が在日40年になるというフィンランド人大学教師、お二人ともに女性だった。二つのお話からたくさんの示唆を得ることができた。

          

 少し話が古くなったが、2月11日・12日の二日間にわたってかでる2・7において「フィンランド一日大学2023というイベントが開催された。内容はフィンランド事情を知るための多彩な内容が用意されたが、私は他のスケジュールの関係もあり全てには参加することはできなかった。用意されたプログラムの中から、私は二つの講演を受講することで申し込みをした。

 その二つとは、11日(土)の「最近のフィンランドに関する話題」と題して駐日フィンランド共和国大使のタンヤ・ヤースケライネン氏が講演されたお話と、12日(日)の「フィンランド人は本当に『世界一幸せ』?」と題した九州ルーテル学院大学准教授の板根シルック氏のお話を聴くことにした。以下、お二人のお話の要旨をレポしたい。

     

 タンヤ大使のお話はさすがに国を代表する方らしく、最近の世界情勢とフィンランドとの関りについての話題だった。最近の世界情勢とは、つまり「ロシアのウクライナ侵攻」である。フィンランドがロシアのウクライナ侵攻を目の当たりにして直ちにスゥエーデンとともにNATO入りを表明したことは諸兄もご存じのとおりである。

 フィンランドが今回の事態に対して非常に危機感を抱いていることを大使は率直に表明した。それはフィンランドが過去にロシアに支配されていた歴史を持つ国であること、そしてロシアと実に1,600kmもの長い国境線で接しているということがあるという。さらには、近年ロシアの航空侵犯が頻発していること。あるいはコロナ前には年間1,000万人を超えるロシア人(数字は聞き間違えかもしれない)がフィンランドを訪れたり、移民が増加したりしている点を挙げて、ロシアは「ハイブリット戦略」を仕掛けてきていると強調された。

 「ハイブリット戦略」とは、単に武力でもって敵国を叩くだけではなく、いかに低コストで最大限のダメージを敵国に与えるか。執拗なサイバー攻撃、SNSを利用したプロパガンダ、暗躍する民間軍事会社、等々、プーチンが仕掛ける「現代戦」を指す言葉だそうだ。

 こうした脅威に対して、フィンランド国民はロシアがウクライナ侵攻する前はNATO入りに対して70%近くが反対していたものが、今では80%がNATO入りを支持するように変化したという。こうした国民の強い支持が国の意思を後押ししているという。

 大使はまた、日本に対してフィンランドと同じロシアの隣国としてもっと危機感を持ってほしいし、フィンランドとの連携を強化したいとも語られた。大使は自らの任期中、自国の、そして友国の安全保障問題の解決のため職務をまっとうしたいと語り講演を締めた。

 大使のお話を伺い、国を代表する一人として非常に危機感をもって職務に当たられていることを痛感した。ロシアの隣国である我が日本は、フィンランドの姿勢に見習う点があるのではないか、と率直に感じさせられた講演だった。

 大使の講演から面白い事実を発見した思いだった。というのは、大使の講演は英語での講演だった。当然通訳が入ったのだが、そのことが講演の内容をメモしようとする私には好都合だったのだ。メモする力に優れていない私には講演の内容をメモすることがけっこう大変なのが常なのだが、通訳が入ることによって余裕をもって講演内容をメモすることができた。もっとも、講演する側から言えば持ち時間の半分を通訳に取られるためにお話したいことの半分しか言えないというジレンマがあるのかもしれないが…。面白い発見だった。

     

  続いて、翌日に板根シルック氏の「フィンランド人は本当に『世界一幸せ』?」と題する講演を受講した。シルック氏は日本滞在40年ということで流ちょうな日本語での講演だった。いやいや日本人以上に聞きやすい口調のお話しだった。

 シルック氏は現在60歳代ということだが、かなり変化に富んだ体験をされているフィンランド人のようだ。まず生まれたところが日本である。さらには名前が板根シルックと称するように日本人と結婚されている方である。その間、頻繁に自国のフィンランドと日本を行き来しながら今日に至っている方で、仕事の方も9度も変わって今日に至っているということだった。

 シルック氏はけっしてフィンランド礼賛に終始するようなお話ではなく、冷静に自国の特徴を分析し、日本との違い、またフィンランドの課題についても言及された。

 シルック氏はまず国連が調査する「世界幸福度報告」において5年連続「世界一幸せな国」に選出されていることを紹介された。(ちなみに日本は2022年度153カ国中、62位である)そうなった要因についてシルック氏は次の3点を挙げられた。

①ソ連から独立して100周年であること。

②人口が550万人であること。

③国教が「福音ルーテル教会」であること。

の3点を挙げられた。その理由についてシルック氏は詳しくは触れらなかったが私は次のように解釈した。独立して100年しか経っていないということは、国民はその当時の辛い思いを忘れていないということではないか(フィンランドは第二次世界大戦の敗戦国として1960年までソ連に戦争賠償金を払い続けていたそうだ)。人口が550万人と世界的に見ても少数国家であることから国民がまとまらなければならないという意識が強いのではないか。宗教のことは良く分からないが、シルック氏はキリスト教のカソリックはローマ法王を頂点とする組織であるのに対して、ルーテル教会の祖であるマーチン・ルターは、人々は皆平等であるとの教えを説いた的なことを話された。

 シルック氏のお話は多岐にわたったが、その中でも印象的なお話はフィンランドの教育観についてのお話だった。まずフィンランド人は競争や比べることを好まないという。したがって学校においては生徒のランク付けをしないし、学校別の成績も公表しないということだ。また「頑張る」と意味する言葉がないとも話された。「ライバル」という言葉はスポーツ以外には使わないとも話された。そして国が目指すところは国民の「平等」できなく、「公平」だという。そして最終的に目指しているのは「ウェルビーイングな国」の在り方だという。ウェルビーイング(Well-being)とは、Wikipediaによると「誰かにとって本質的に価値のある状態、つまり、ある人にとってのウェルビーイングとは、その人にとって究極的に善い状態、その人の自己利益にかなうものを実現した状態である」とある。つまり「自分で自分らしい生き方を選べる」社会がフィンランドが目指しているところだという。

 しかし、フィンランドでも問題がないわけではないという。例えば、移民が増えてきていることとも関係するが、学校間格差が徐々に顕在化してきていること、あるいは少子化の進展によって国の将来の先行きに不透明感が出てきていること、等々…。

 とは言いながらも、シルック氏は自国に対して強い自負心を抱いていることは言葉の端々から受け取れた。そのことは彼女が未だに日本の国籍を取得せずにフィンランド国籍のままでいるところに現われているように思えた。

 拙ブログで何度も触れているが、私は今から55年前にヨーロッパ、中近東、アジアの国々を彷徨して歩いた体験を持つ。1978年6月にわずか1週間であったが、フィンランドに滞在した経験がある。今考えると、私が訪れた時はソ連への戦争賠償金を払い終えてから僅か18年しか経っていなかったことになる。それでも私が訪れた時のフィンランドは、北欧の豊かな国で、人々が幸せそうだなぁと映った。フィンランドという国は、悲惨で苦しい時代を経てきたからこそ、国民の幸せを何より優先して国づくりをしてきたことを今回の二つの講演をお聴きして改めて認識させられた思いだった…。


北海道低山紀行 108 荒井山

2023-02-16 13:55:47 | 北海道低山紀行 & Other

 標高185mだからといって侮るなかれ!全コースが新雪に覆われ、膝下までスノーシューが沈む中をラッセルすること30分。70?歳のお爺には十分に登り応えのある荒井山だった。

 連日の冬山低山登山である。というのも、実は前日に大倉山を登った時に、大倉山の下にある荒井山も同時に登るつもりで出かけたのだ。ところが荒井山の場合、周辺をいくら探しても駐車する場所が見つからなかった。残念だったが、これは車を使わずに公共交通機関で登山口まで来る以外に方法はないと悟り、諦めることにした。

   

   ※ 荒井山の登山口に至る入口です。「関係者以外の車両の乗り入れ禁止」の表示が…。

 帰宅すると悔しさが募った。「近いうちにリベンジを!」との思いがあったので、この日(2月15日)目覚めると、他のスケジュールが入っていたのだが、好天だったことも手伝い荒井山に登ることを優先した。

 荒井山の登山口に行くには、地下鉄の「円山公園駅バスターミナル」発着のバスを利用する方法がある。バスの発着地点となる地下鉄の「円山公園駅バスターミナル」まで歩いて向かったところバス便に間に合わなかったりして、新井山の登山口に立った時は午前11時を過ぎていた。

   

   ※ 荒井山緑地の一角、私は写真に見える小山の頂を目指して直登しました。

    (夏季の登山道は写真左側から林の裾野に造られています)

   

   ※ 上の写真からカメラを少し右に振ると、目指す荒井山々頂が見えます。

   

   ※ さらにカメラを見議に振ると、荒井山のジャンプ台が視界に入ります。

   

   ※ 登山口のところに建つ大倉山小学校の校舎です。

 荒井山の裾野の部分は「荒井山緑地」となっていて、以前に「札幌市内の緑地巡り」をしていたときに一度訪れていたが、ここの緑地は札幌市内の他の緑地と違い、市民に積極的には開放していないように見える緑地なのだ。つまりここの緑地は「荒井山ジャンプ競技場」として利用することを第一の目的としているように映った。(荒井山ジャンプ競技場はK点が55mのミディアムヒルと、K点が25mのスモールヒルの二つのジャンプ台を備え、夏季も飛ぶことができるジャンプ台である。少年少女ジャンパーの育成を目的としたジャンプ台のようだ)だから駐車場なども設けていないと思われる。     

 その緑地に入り、スノーシューを装着した。裾野のところでは隣接して建つ大倉山小学校のスキー授業(低学年?)が行われていた。夏の登山道は緑地を巻くように造られているが、冬季は全体が雪原となるため私は目の前に見える坂を真っすぐに直登することにした。(夏季は周囲が雑草に覆われているためにとても直登することはできない)2月に入り雪が良く降っていることから、新雪が降り積もり、踏み込むスノーシューは膝下くらいまで埋まり、けっこう負荷のかかる登りとなった。登り始めてから15分ほどで荒井山登山の中間点となる「荒井山展望台」に到達した。そこには「眼下のスロープは荒井山スキー場として昭和五十年代まで大変賑わいました」と記された看板が立っていた。以前はジャンプ台だけでなく、一般のスキーヤーも楽しむことができるスキー場だったようだ。

   

   ※ 私が目の前の雪山を直登したスノーシューの跡です。

   

   ※ 雪山の頂から横を見ると荒井山ジャンプ競技場が良く見えました。

   

   ※ 下の方を見ると、大倉山小学校の校舎、そして札幌市街地が望めました。

   

   ※ さらに少し登ったところに「荒井山展望台」がありました。

 「荒井山展望台」を過ぎると、林間に入り本格的な登山となる。私は山頂がどこなのか分からないまま入山したのだが、幸いなことに何日か前に先行者がいたようで微かな踏み跡が残っていたので、そこを辿りながら登り続けた。山頂直下はかなり斜度もあるために登山道は大きくジグを切りながらの登山となった。登りながらフッと気が付くと前日登った大倉山ジャンプ競技場が林越しに見ることができた。つまり、荒井山の山頂の標高と、大倉山の登山口の標高が同じ程度なのかもしれない。そうこうしているうちに登山開始からおよそ30分後に荒井山山頂に到達することができた。山頂は木が生い茂り、眺望は良くなかったが、周囲の円山、三角山などが林越しに見ることができた。   

   

   ※ 荒井山展望台を過ぎると、やや本格的な雪山登山の様相を呈してきました。

   

   ※  これは私の登ってきた跡を写したものです。

   

   ※ フッと気づくと林越しに前日登った大倉山のジャンプ競技場が見えてきました。正面はジャンプ競技の観覧席です。   

   

   ※ 荒井山の山頂標識です。

   

   ※ 山頂から見えた三角山です。

   

   ※ 同じく円山です。

 なお、「荒井山」も「大倉山」と同じく「札幌50峰」に入っている山である。               

【荒井山 登山データ】
標 高  185m

行 程  登山口→(30分)→荒井山々頂→(15分)→登山口

            駐車場無し

天 候  晴れ、微風、小雪混じり

登山日  ‘23/02/15


北海道低山紀行 107 大倉山

2023-02-15 15:43:29 | 北海道低山紀行 & Other

 前日にかなり雪が降ったこと、そのうえ階段登行は雪のために滑りやすく思いのほか難儀しながらの登行となった。大倉山ジャンプ競技場を横目に、大倉山のすそ野から直接山頂に至るルートは意外に手強かった。

 これまで何度も大倉山々頂には立ってはいるのだが、全て三角山から奥三角山への縦走の途中に寄ったケースばかりだった。そこで今回、大倉山の登山口から初めて登ってみることにした。

 天気が良く、風もなく、登山日和と言って良い天候だった。大倉山には観光客用の駐車場が完備されている。駐車場から大倉山ジャンプ競技場までは長いエスカレーターで導かれる。

   

   ※ 駐車場から大倉山ジャンプ競技場に導かれるエスカレーターです。

   

   ※ エスカレーターを降りると眼前にジャンプ競技場が迫ってきます。

 登山口は特に表示はないのだが、レストランや売店が入ったビルの脇に先行者の足跡があり、登山道に導かれる。登山道は途中までジャンプ競技の観覧席に向かう道と共用であるが、そこを過ぎると直ぐに階段登行が始まった。この階段が曲者だった。階段には雪が積もっていて、階段の体を成していないのだ。その上に夜間に降った新雪が載っていた。そこはもう急斜面以外の何物でもなかった。私は何度も何度も滑ることを繰り返しながら歩を進めた。幸いアイゼンを持参していたので途中でそれを装着したが、固雪とは違い柔らかな雪ではアイゼンもそれほど効き目はなかった。

   

   ※ 大倉山登山はジャンプ競技場の右手のレストランの建物の脇を通って向かいます。

   

   ※ 登山口の近くに北海道スキーの発展に大きく寄与した大野清七博士を顕彰する碑が建っていました。

   

   ※ 登り始めです。この日の先行者が1人いたようで助かりました。

 私は無理することなくゆっくり、ゆっくり登ることに徹した。とは言っても国際級のジャンプ台の横を登ることは急斜面の連続である。背中に汗をかかないように注意しながら登ったが、ジャンプ大会のスタートハウス直前の急階段には閉口した。私は下山の際にその階段のところで3度も足を滑らせ尻もちをつくほどだった。

   

   ※ 階段は雪のため階段の体をなしていません。ただの急坂はとても滑りやすかったです。

   

   ※ 登山中にジャンプ競技場のカンテ(踏切台)が望めました。

   

   ※ ジャンプ競技のスタートハウスが見えてきました。もうひと息です。

   

   ※  このジグザグの階段が曲者で、下山時に私は3度も滑って尻もちをつきました。

   

   ※ スタートハウスを背後から見たところです。

 それにしても大倉山の形状はジャンプ台の造成には理想的な山容なのだと改めて思いながら登った。というのも、ちょうど二つの尾根に挟まれた形で風を避けることができ、さらに自然の形が適度な斜度となっている。確か荻原次晴さんが言っていたと記憶するが、ジャンプ台で自然の形状で世界基準のジャンプ台があるのはそう多くないという。現在の世界のジャンプ台は長野がそうであるように、ほとんどがコンクリート製のアプローチをもったジャンプ台だという。それらコンクリート製のジャンプ台はルールの変更などがあっても造り替えることができないけど、大倉山だと自然に対して少し手を加えれば新しいルールにも適合することができるというようなお話をしていたと記憶する。

   

   ※ 尾根の上を往く登山道です。左側がジャンプ台のある谷、右側も谷になっています。

 そんなことを考えながら、急斜面を登り続けること50分。なんとかこれまで何度も目にした大倉山の山頂標識のところに辿り着くことができた。

   

   ※ 簡素な大倉山の山頂標識です。

 下山は先述したように3度も尻もちをついたが、登山に比べると楽ちんである。およそ20分で下山することができた。なお大倉山も「札幌50峰」に名を連ねる山である。

   

   ※ スタートハウスのところからランディングバーン、ブレーキングトラックを見たところです。

    

   ※ よく言われる選手たちは札幌の街に飛び込んでいくようにジャンプするといわれるシュチエーションです。               

【大倉山 登山データ】
標 高  307m

行 程  登山口→(50分)→大倉山々頂→(20分)→登山口

          ※ 駐車場有

天 候  晴れ、微風

登山日  ‘23/02/14


御朱印収集巡り №5 札幌三吉神社

2023-02-14 16:14:05 | 神社参拝・御朱印収集関連

 札幌市の中心部、電車通り沿いにあるのが三吉神社である。市の中心に位置していることから訪れる人も多く「さんきちさん」と市民から呼称される場合が多いようだが、「みよしじんじゃ」が正式名である。

             

          

 2月10日(金)に北海道神宮頓宮を訪れた帰りに、「そうだ!帰る途中に三吉神社がある。立ち寄ろう!」と決意し、電車通りを西へ歩を進めた。中心街からちょっと外れた西8丁目(札幌市の中心街は西4丁目付近である)の一角に周りを高い木々に囲まれて「三吉神社」が建っている。

   

   ※ 電車通りの南1条に面したところに三吉神社は建っている。

   

   ※ 電車が通った後、道路向かいから三吉神社境内全体を写しました。背後の大きな建物は「札幌ビューホテル大通公園」です。

 札幌の「三吉神社」の始まりは、明治11(1878)年に秋田県の太平山三吉神社から分霊したのが始まりとされている。

 境内は市街地とあって狭隘といった感じであるが、仕方のないことだろう。

   

   ※ 拝殿では一人の男性が長~くお参りしていました。

   

 拝殿横にはたくさんの合格祈願の絵馬が掲げられていました。札幌市内には学問の神様として知られる菅原道真を祀った神社が何社もあるらしいが、三吉神社もその一つだという。

   

   ※ 合格祈願の絵馬がびっしりと掛けられていました。

 また、本殿横には「出世稲荷社」という小さな鳥居と祠があった。そのいわれについて調べてみたが今一つその真相は掴めなかった。

   

   ※ 小さな「出世稲荷社」です。

 本殿横に社務所があり、そこで「御朱印の記帳を」とお願いしたが、書置きしかないとのことだった。日を改めても無理なようだったので、書置きのもので納得することにした。ちょっと残念である。そこで改めて調べてみると、市内の多くの神社では神職が常に滞在しているとは限らない。直筆の御朱印をいただくには、訪れる前に確かめてから出かけるようにした方が良いのかもしれない。

【札幌三吉神社 情報】

◇旧社格:県社

◇所属:北海道神社庁

◇住所 札幌市中央区南1条西8丁目

◇御朱印:あり(書置き 初穂料500円)

◇参拝可能時間:24時間

◇社務所受付時間:概ね9:00~17:00

◇例祭日:5月15日

◇駐車場:あり(無料・台数制限あり)

◇アクセス:札幌市電「西8丁目駅」から徒歩2分

◇創建: 1878年(明治11年)

◇代表的ご利益:○合格祈願・学業成就 ○商売繁盛 ○必勝祈願・勝利成功 ○旅行・交通安全(海上交通) ○病気平癒・健康祈願

◇御朱印記帳日 2月10日


珠玉のジャズの調べを聴く

2023-02-13 18:39:39 | ステージ & エンターテイメント

 札幌のジャズ界を長い間牽引し続ける “箭原顕” の珠玉のステージを聴いた。併せて彼の薫陶を受けた二人の女性ボーカリストのMIZUHO、松田宮佳のジャズティストに満ちた歌声も素晴らしかった。

          

 2月11日(土)午後、旭山公園通地区センターにおいて、「旭山公園通地区センター20周年記念事業」と銘打って「箭原顕プロデュース永遠のポップス&ジャズ” アフタヌーンコンサート」が開催され、友人と一緒に参加した。

 箭原顕について詳しく知らなかったのでウェブ上で調べてみると、次のような紹介文が見つかった。

 ディスコメイトレコードからデビュー。東京を中心に、ソロボーカリストとして、またジャズコーラスグループを率いて活動。デビッド・ソリン・コーリア氏(NY)、リサ・ソーソン氏(ボストン)、木下武久氏(東京)に師事。現在札幌を拠点に、音楽活動のほか、多数のコンサートイベントや、音楽制作を手がける。

            

            ※ 箭原顕

 彼はまた毎年開催される「サッポロシティジャズ」のプロデュースも手掛けていると聞いたが、文字どおり札幌のジャズ界を牽引している一人のようである。

 コンサートは、箭原顕のソロ、そして彼の指導を受けたMIZUHO松田宮佳、そこに彼が加わったボーカルグループ「Honey Bee」、さらに彼の音楽教室の生徒たちで構成する「サッポロジャズクワイア」、そしてドラムス(大山淳)、ベース(豊田健)、ギター(飛澤良一)の伴奏陣と多彩な顔触れがステージを賑わした。

            

            ※ MIZUHO

             

                                                ※ 松田宮佳                                                

  

  ※ サッポロジャズクワイア

 披露された曲は…、

 ◇Get back

 ◇Let it be

 ◇To you (作詞 MIZUHO  作曲 箭原顕) ※この曲は旭山公園通地区センター20周年を祝うために創った曲だそうです。

    ◇スウィングしなけりゃ意味ないね

 ◇上を向いて歩こう

 ◇Take the A train

   ◇ひょっこりひょうたん島

 ◇星に願いを

 ◇Sing sing sing

 ◇On the sunny side of the street

 ◇翼をください ~I believe I can fly~

 なかには私たちでも知っている曲(ex. 上を向いて歩こう、ひっこりひょうたん島、翼をください etc.)もあったが、それらは全てジャズティストに編曲されたものだった。その中の一つ、「上を向いてあるこう」は浅草ジャズコンテストでグランプリに輝いたと箭原氏は誇らしく語っていたのが印象的だった。

 全体として非常に質の高い音楽を聴かせてもらった印象であるが、特に女性ボーカリストの二人は、いかにもジャズシンガーといった雰囲気に満ちていてジャズファンからの支持も高いのではと思わさてくれた。

 記念事業ということで無料で公開されたこともあり、早々と定員となったと聞いている。私を含め、満員の聴衆が心からジャズの世界を堪能したひと時だった。

※ この種のステージはいつもカメラは禁止です。したがって出演された方の顔写真は全てウェブ上から拝借しました。


EZO音楽祭 久しぶりにポップスを

2023-02-12 17:10:50 | ステージ & エンターテイメント

 大人(中には還暦を過ぎた人も)のシンガーソングライターが紡ぐポップスミュージックはメロディーがどこか懐かしく、クラシックとは違った気安さも手伝い、楽しく耳を傾けた連夜の音楽祭だった。

        

 ポップス系の音楽を聴くのは、昨年の9月末の「大通オータムコンサート」以来だった。

 2月10日(金)、11日(土)の連夜にわたって、札幌市時計台ホールにおいて「EZO(蝦夷)音楽祭」が開催され参加してきた。「EZO音楽祭」はこの時期に毎年開催されているのだが、今回は17回目の開催ということだ。最近は参加していなかったが、私が札幌に転居した当時に2~3度参加した経験があった。

 この音楽祭は、「浅井のぶ」という札幌を中心に活動しているミュージシャンが仲間に呼びかけて、毎回違った顔ぶれのミュージシャンたちが無償でステージに立ってくれている音楽祭である。(らしい。詳しいことは分からないが…)

 今年のラインナップは10日(金)が「アウロラヤスコ&トラブルドウォーターズ」、「種市直樹(サポート:西岡俊明)」、「オーノキヨフミ」、「手風琴」の4組。

   

   ※ アウロラヤスコ&トラブルドウォーターズ

   

   ※ 種市直樹

   

   ※ オーノキヨフミ

   

   ※ 手風琴

 11日(土)が「小石(Stones)」、「CARIN」、「濱谷一助」、「浅井のぶ」という4組の予定だったが「濱谷一助」さんが事情によって出演することができなくなり、3組の出演ということになった。

   

   ※ 小石(Stones)

   

   ※ CARIN

   

           ※ 浅井のぶ

 各ミュージシャンはそれぞれ4~5曲を演奏するという形で進められた。

 登場したミュージシャンたちはそれぞれの場で若い頃から活動されていた方ばかりで誰もが聴かせる技量を持った方ばかりだったが、この3年間のコロナ禍にあって演奏する場を失い、活動を休止していたミュージシャンも多く、久しぶりに観客の前で演奏するという方もいた。

 それぞれが演奏した曲は、全てが自らの作詞・作曲によるオリジナル曲ばかりだったが、そんな中で還暦を過ぎた、あるいは間もなくといったベテランたちが紡ぎ出す曲にやはり私は共感を覚えた。それらベテランというと「手風琴」、「小石(Stones)」、「浅井のぶ」といったところだろうか?やはり私も歳なんですねぇ…。

 特に「手風琴」のボーカルの鈴木あきらさんという方の高音が素晴らしかった。おそらく還暦を迎えられていると思うが、衰えない高音はふだんのボイストレーニングの成果なのだろうか?

 その他のそれぞれの演奏に対する感想はここでは控えるが、若い年代に方たちは曲や歌い方に特色を出そうとしていることが窺えるステージだった。

 主催する浅井のぶさんは「20回まではぜひとも開催し続けたい」と宣言されていたが、私もできればそこまで参加できればと思ってはいるが、はたしてどうなることか…。

※ 各ミュージシャンの写真は、ウェブ上から拝借しました。


御朱印収集巡り №4 北海道神宮頓宮

2023-02-11 12:18:33 | 神社参拝・御朱印収集関連

 北海道神宮頓宮は、明治4年、円山の地に鎮座した札幌神社(現北海道神宮)が市街地と遠く離れ、かつ冬期間積雪等により参拝が困難になることから、明治11年に札幌神社遥拝所として設置されたのが始まりだという。その後は北海道神宮例大祭において、街を練り歩く神輿が休憩する「御旅所」の役目を果たしてきた。

            

        

 北海道神宮頓宮は、我が家からは北海道神宮とは正反対の東方向におよそ3キロ離れた市の中心部に近いビル街の中にあった。私は我が家から歩いて市の中心街を抜け、約45分かけて頓宮に着いた。頓宮は北海道神宮ほど人の姿は多くはなかったが、それでもちらほらと参拝する人の姿があった。社殿はこじんまりとしたものだったが、脇を固める狛犬は札幌軟石製で、札幌最古のものだそうだ。また、境内には石灯籠があり、そちらは道内最古のものだそうだが、事前に情報を収集していなかったために、写真の収めることを失念してしまったのは残念だった。

   

   ※ ご覧のようにビル街の谷間に建つ北海道神宮頓宮です。

   

   ※ 境内入口に立つ鳥居です。

   

   

   ※ 手水舎は「手だけを清めてください」と注意書きがありました。

   

   ※ 頓宮の拝殿です。

   

   ※ 札幌最古といわれる札幌軟石製の狛犬です。

 参詣を終えた後に、本殿横にある社務所に行き御朱印の記帳をお願いした。こちらは神職が直筆で記帳してくださる形式であった。

   

   ※ 社務所内の様子です。

【北海道神宮頓宮 情報】

◇旧社格:なし(末社のため)

◇所属:北海道神社庁

◇住所 札幌市中央区南2条東3丁目

◇御朱印:あり(直筆 初穂料300円)

◇参拝可能時間:24時間

◇社務所受付時間:9:00~16:00

◇例祭日:9月第3日曜日

◇駐車場:あり

◇アクセス:地下鉄東西線「バスセンター前駅」6番出口 から徒歩3分(約160m)

◇創建: 1878年(明治11年)

◇代表的ご利益:北海道神宮の末社のため基本的には同じだが、特に以下の二つにご利益があると言われている。 ○縁結び・恋愛成就 ○安産祈願・子授かり・子宝

◇御朱印記帳日 2月10日


御朱印収集巡り №3 開拓神社

2023-02-10 15:19:18 | 神社参拝・御朱印収集関連

 北海道神宮の境内には境内社として三つの神社がある。その一つが北海道の開拓の功労者37柱が祭られている「開拓神社」である。この神社の御朱印も北海道神宮で頂けることを知っていたので、併せていただいてきた。

              

          

 北海道神宮には、神宮本体の他に境内社として「開拓神社」、「鉱霊神社」、「穂多木神社」の三社がある。そのうち「開拓神社」は御朱印を発行されていることが分かった。そこで「北海道神宮」で御朱印をいただいた際に、同時に開拓神社の御朱印をいただくことにした。ただし、こちらは予め札に書いてあるものに日付だけをいれていただく形式のものだった。

     

    ※ 円山公園から神宮に向かう際にくぐる「円山公園口鳥居」です。

     

     ※ 鳥居をくぐると左手の林の中に「開拓神社」が見えてきます。

     

     ※ 開拓神社を正面から見たところです。

 開拓神社とは、昭和13年(1938)北海道開拓70周年を迎えるに当たり、開拓功労者をしのんで北海道神宮内に創建された。北海道の名付け親である、幕末の探検家松浦武四郎氏など、北海道の開拓に尽くした先人37柱が祭られているが、ここにそれらの方々のお名前を紹介したい。

     

     ※ 入口には開拓神社に祀られている37柱のお名前が記されていました。

○吾妻謙、○伊能忠敬、○井上長秋、○岩村通俊、○岡本監輔、○黒田清隆、○小林重吉 ○近藤重蔵、○佐藤信景、○佐野孫右衛門、○島義勇、○清水谷公考、○下国安芸 ○鈴鹿甚右衛門、○栖原角兵衛、○高田屋嘉兵衛、○武田信広、○田崎東、○伊達邦直、○伊達邦成、○田村顕允、○続豊治、○中川五郎治、○永山武四郎、○鍋島直正、○早川弥五左衛門、○東久世通禧、○本多利明、○松浦武四郎、○松川弁之助、○松田伝十郎、○松前慶広、○松前徳広、○間宮林蔵、○村山伝兵衛、○最上徳内、○依田勉三 

 なお、開拓神社は円山公園から円山公園口鳥居をくぐり、境内社三社のうち北海度神宮へ向かう参道で最初に左手に現れる神社である。

   

   ※ 神社鳥居のところに無人ですがお御籤やお札を販売していました。

   

   ※ 開拓神社の拝殿に近づいたところです。

   

   

   ※ 小ぶりながらも立派な拝殿です。

 実は本稿をアップしようと準備をしていたところ、写真が少ないのに気付き、本日(2/10)再び「開拓神社」まで出向き、関係する写真を撮り増ししてきた。

【開拓神社 情報】

◇旧社格:なし(境内社のため)

◇所属:北海道神社庁

◇住所 札幌市中央区宮ヶ丘474

◇御朱印:あり(北海道神宮の祈祷受付でいただくことが出来る 書置き 初穂料500円)

◇参拝可能時間:時期により異なる

◇社務所受付時間:9:00~17:00(11~2月は16:00まで)

◇例祭日:8月15日/2年に1度の大神輿渡御が有名

◇駐車場:あり(北海道神宮のもの)

◇アクセス:札幌地下鉄東西線「円山公園駅」から徒歩12分

◇創建: 1938年(昭和13年)

◇代表的ご利益:○商売繁盛 ○病気平癒・健康祈願 

   

   ※ 円山公園には造形作家が作る雪の造形があちこちに見られました。

   

   

   ※ 神宮境内の中ほどに建つ「神宮茶屋」です。

   

   ※ 茶屋の人気商品「福レ餅」(福と膨れを掛け合わせた?)です。(250円)


決定版!?さっぽろ雪まつり

2023-02-09 16:35:03 | イベント

 “決定版” などと胸を張って言えるものではないのだが…。それでも事前、雪まつり初日、そして昨日(第5日)夜と、都合3度通ってその魅力をカメラに収めようとしたのだが…。なにせカメラの技術が拙劣である。雰囲気だけでも味わっていただければ…。

        

 拙ブログにおいて2月3日付で「さっぽろ雪まつり いよいよ開幕直前情報」と題してレポしたが、開幕前ということで規制が厳しく満足な写真を撮ることができなかった。そこで2月4日の開幕日に再び会場に足を運び、雪像の全体像を撮ることができた。しかし、雪像は昼に見るのも良いが、ライトアップされた夜間も違った魅力を発見できると報じられていた。さらにはプロジェクションマッピングもあるという。そこで昨夜(2月8日)三度目のまつり見物でライトアップされた雪像をカメラに収めてきた。私のカメラは証拠写真的なものであり、技術的にはまったく拙劣であるが、雰囲気だけでも味わってもらえたらと思いアップします。

 掲載順は次のとおりとします。まず、大雪像の昼と夜、そしてその雪像の原図や塑像を提示します。続いて大雪像以外の雪像などについて掲載することとします。

◆大雪像 大通会場10丁目 UHB ファミリーランド

  「世界がまだ見ぬボールパーク“Fビレッジ” 2023.3.30誕生!」

   

   

   

   ※ 人物を造形するって一番難しいんでしょうね。新庄監督は似ていると言えるかな???

       

◆大雪像 大通会場8丁目 雪のHTB広場

  「豊平館」

   

   

   

   ※ 以下はプロジェクションマッピングの一コマです。    

   

   

   

          

◆大雪像 大通会場7丁目 HBC広場

  「すべての医療従事者に感謝を込めて

    ~フローレンス・ナイチンゲールの偉業を偲ぶ~ エンブリー荘」

   

   

   

         

◆大雪像 大通会場5丁目 道新 雪の広場

  「疾走するサラブレッド」

   

   

   

   ※ 以下はプロジェクションマッピングの一コマです。

   

   

   

          

◆大雪像 大通会場4丁目 STV広場

  「白亜紀の北海道 ~ティラノサウルス&カムイサウルス」

   

   

   

  ※ 私の目から見て、この大雪像にグランプリをあげたいと思いますが、皆さまはいかがでしょうか?          

◆中雪像 大通会場4丁目 「ブルーアーカイブ」アロナ像

   

◆中雪像 大通会場2丁目 「雪ミク 冬麗(ふゆうらら)Ver.」

    

◆小雪像 大通会場6丁目 「遊☆戯☆王 ゴーラッシュ!!」ユウディアス・ベルギャー

    

◆高校生スノーオブジェコンテスト

 このコンテストには札幌市内の高校美術部13校が出場したようです。私が事前情報で雪まつりの期間中作成するのだろうと記しましたが、実は一日だけで作成するという大変な作業だったようです。その結果、上位に入賞したのが以下3校でした。

 ◇第1位作品 厚別高校美術部 「くまちゃんがいいなみのってしゃけらいど」

   

 ◇第2位 札幌日大高校美術部 「うさぎ達よ理想を掴み取れ」

          

     ※ この2位の作品だけ撮り忘れてウェブ上から拝借しました。   

 ◇第3位 手稲高校美術部 「鮟中模索」

   

 ◆多くの観客が詰めかけた会場の様子

   

   

   

    

   ※ 6丁目会場は事前には飲食ブースが立ち並ぶのではと予想したのですが、今年は会場内での飲食が中止となり、物販ブースが僅かにあるだけで、寂しい6丁目会場でした。

   

  ※ 1丁目会場では初日の夕刻に「どぶろっく」というグループがライブを行ったのですが、大混雑でステージが見えませんでした。前方遠くに二人組の一人が小さく見えます。   

  まだまだ写真そのものはたくさん撮り貯めたのですが、このあたりで止めまししょう。「第73回 さっぽろ雪まつり」の様子が分かっていただけたでしょうか?