田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も10年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

エゾシカづくし

2017-09-30 17:11:05 | 環境 & 自然
何でも知りたい、何でも体験したい病がなかなかおさまりません。
今回は「森林とシカ なるほど体験ツアー」なるものに参加しています。
会場は当別町の「道民の森 神居尻地区」での1泊2日のツアーです。
朝から森林探索、赤エゾ松の下枝刈り、シカの角を利用してのアクセサリーづくり、エゾシカ肉の料理&試食と盛りだくさんのプログラムです。
夜も何かミーティングがあるとか…。
この歳になっての団体行動はなかなかたいへんですが、迷惑をかけないように気をつけながら、全日程に参加しようと思っています。

写真はエゾシカ肉のパーベキューに舌鼓を打つ参加者です。
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札幌ラーメンの雄、札幌ラーメンを語る

2017-09-29 18:29:01 | 講演・講義・フォーラム等
 “札幌ラーメン”を牽引し続ける(?)西山製麺社長の西山隆司氏は意気軒高だった。札幌ラーメンの歴史を語る中で、西山製麺の成長を語り、今ではメイド イン サッポロの麺が26の国・地域にまで輸出するまでになったと雄弁に語った。

 本年度第7回目となる「ほっかいどう学 かでる講座」が9月27日(水)午後、かでる2・7で開催され、受講した。
 今回の講座は「札幌ラーメン誕生の秘話と未来への飛躍」と題して、西山製麺株式会社社長の西山隆司氏がお話された。

                
                ※ 講演する西山製麺株式会社社長の西山隆司氏です。

 西山氏は西山製麺の二代目であるが、札幌ラーメンが誕生したのは戦後外地から引き上げてきた人たちが主流となって出来上がっていったという歴史を語った。
 そのようなラーメン店主たちと、製麺メーカーとして共に“札幌ラーメン”の誕生に奮闘した歴史を語った。その辺りは西山氏自身の物語ではなく先代の孝之氏の時代である。
 その孝之氏やラーメン店主たち、さらにはそこに通う客たちとの対話から“札幌ラーメン”が誕生したという。西山氏は、札幌ラーメンの店主たちには、師匠・弟子という関係はなく、店主たちが客との対話を通して創意工夫を重ねたうえで誕生したところが札幌ラーメンの特長だとした。

           
           ※ 西山製麺が海外輸出用に使用している段ボールの外装です。

 その“札幌ラーメン”の特徴は次のような点にあるという。
 ①スープ ~ こってりとした清湯
 ②調理方法 ~ 中華鍋を使う、野菜を煽りラーメンの上に載せる。
 ③たれ ~ 味噌ラーメンの研究と完成
 ④麺 ~ 黄色、縮れ、アシコシの強い麺の研究
 ⑤食文化 ~ 気候風土、店主とお客様との対話から誕生
としたが、これらすべてが完成したのは昭和30(1955)年頃と言われているそうだ。

           

 西山隆司氏が社長に就任したのは1989(平成元年)年だから、札幌ラーメンの誕生にはまったく関わっていない。むしろ札幌ラーメンはすでにブランドとして確立し、西山製麺の社業も軌道に乗っていた時期と思われる。
 隆司氏は先代の意志を引継ぎ、製麺メーカーとしてラーメン店の開業を目指す人たちをサポートするために社内の研修施設(厨房設備)を整備したり、チャーシューを製造する会社を設立したりと、社業を拡大していったそうだ。
 さらには、日本食が海外において人気がでてきたことに伴い、海外進出を積極的に進めっていったという。今では26の国や地域にメイド イン サッポロの麺を輸出するまでになり、さらに拡大を目指していると語った。

          

 西山製麺の海外進出の特徴は、麺を現地生産するのではなく、あくまで札幌で生産した麺をコンテナで運ぶという方法を取っていることだ。これは、ラーメン製造には欠かせない軟水を海外では入手できないということ、さらに現地に工場を建設するコストを考慮すると、コンテナ輸送代は痛手ではないという計算からだそうだ。

                   

 すでに海外ではラーメンは中華料理ではなく、日本料理の一つとして認知され、“RAMEN”文化が定着しつつあるという。全米では1,000店以上のラーメン店があるが、ほとんどは現地の食材を使用したラーメン店だそうだ。それを西山氏は「なんちゃってラーメン」と呼称していたが、西山氏としては日本の食材を使用した本物ラーメンが今後世界各地でなんちゃってラーメンを凌駕していくとの自信をもっているように見えた。
 札幌ラーメンの躍進を期待したい。

          

※ 「札幌ラーメンの雄」とか、「札幌ラーメンを牽引する」という言葉は、あくまで私が西山氏に対して抱いた印象であり、おおやけにそのように称されているかどうかは定かではないことをお断りしておきます。
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死をみつめ今を生きる~様々な死生観~

2017-09-28 18:39:29 | 大学公開講座
 長い間アイヌ民族についての研究を続ける講師(本田優子札幌大教授)は、アイヌ民族には独特の世界観があり、学ぶべきことが多いという。また、死生観についてもしかりであるという。死生観ということについて考える機会を得た。 

 札幌大学の公開講座を春学期に続いて、秋学期も受講することにした。
 秋学期のテーマは「地域社会における介護と看取り」と題するものだ。15回全ての講座の受講は無理だと思うが、テーマが私自身にとっても他人ごとではないとの思いもあり、遠い札幌大学まで毎週通うことにした。

 その秋学期が9月26日(火)午前、第1講目が開講した。
 第1講目は、「死を見つめ今を生きる~様々な死生観」と題して、本田優子札幌大教授が担当した。
 本田氏は歴史文化専攻、特にアイヌ民族に関する研究家として名高く、今回のテーマは専門外だが、と断りながらもアイヌ研究を通して培ったことをテーマと結び付けて語ってくれた。本田氏には思うところがたくさんあったようで、時間いっぱい精力的に早口で語られた。そのため、私のメモが追い付かず、本田氏の思いを十分にくみ取ったレポとはなっていないことをお断りしておきたい。

                    

 アイヌはまず「万物が精神性を有している」という世界観に立つということだ。アイヌ語で「シリ コロ カムイ」という言葉があるそうだが、これは「樹木が大地を支える」という意味だそうだ。
 アイヌの人たちは、現代においても「水の神」、「トイレの神」、「ストーブの神」などなど、全てのものに神が宿っているという考え方をするそうである。
 「人ありて神あり 神ありて人あり」という言葉もあるようだ。
 また、アイヌは◇死者・先祖の世界 ⇔ 人間の世界 ⇔ 神々の世界 この間を人々は絶えず行き来するという宇宙観ももっているという。

 そしてアイヌの伝統的な死生観について触れた。アイヌが死を迎えるということは、アフンルパラ(洞窟)から死者・先祖の世界へ行くことであり、その世界では現世と同じ生活が待っていると考えられているそうだ。そのアフンルパラ(洞窟)は道内各地に見られるという。

 さて、現代の普通の日本人の死生観は、死は恐怖であり、闇の中に行く恐ろしさを感じている人が一般的のようである。
 しかし、古くは宗教が今より人々が拠り所としていたこともあり、死ぬということは「自然の中に溶け込むように死んでいく」と考えられていたという。つまり、そもそも「死生観」は日本独自のものであり、生きることは死を受け入れること、とする考え方は日本人の精神性の基調にそうした世界観が息づいていると本田氏は言う。
 本田氏はここにアイヌと日本人との共通性を見ているのだと思われる。
 その根拠についても本田氏は語られたのだが、私がしっかり本田氏の語ったことを受け止めることができなかったので、その部分は割愛することにする。

 本田氏がこの講義で私たちに伝えたかったことは、アイヌ民族の世界観、死生観からは学ぶべき点が非常に多い。そのことを現代日本人はもっと謙虚に学ぶべきではないのか、ということを伝えたかったのだと私は理解した。

 
 
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札幌麺紀行 127 福来軒 本店

2017-09-27 22:46:00 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行
 50年来続いた名店がこの10月に閉店するとTVが伝えていた。一度行ってみなくてはと思っていたのだが、このほど友人S氏と訪れることができた。なるほど人気店らしく、ちょっと懐かしい醤油ラーメンは私の好みだった。 

               
               ※ かなりくたびれた建物は閉店もやむなしか?

 この店の存在を知ったのはTV番組だった。ラーメン通には有名な店だったようだが、その店が建物の老朽化によって10月20日に惜しまれて閉店すると知らせる番組で知ったのだった。
 この日、午前中にあった札幌大の公開講座を受講後、一緒に受講したS氏と一緒に訪れた。

 福来軒本店は、商店街からは少し離れた住宅街の一角にあった。その外観は確かにくたびれている感じで、閉店もやむなしといった感じだった。ところが、その店の前には不釣り合いなポルシェの代表車種の911がでーんと駐車していた。

               
               ※ その店の前には名車ポルシェ911がでーんと停まっていました。

 店内に入ろうとすると、昼どきということもあり満席のため店外でしばらく待たされた。先の客が退出してようやく入店できたが、座席はカウンター席のみで11席で、その後も客が退くと直ぐに次の客が埋まるという満席状態が続いた。

               
               ※ 店内の天井からはメニューが吊り下がっていました。

 私はさっそく福来軒のイチオシである醤油ラーメン(750円)をオーダーした。
 調理場ではちょうど麺を茹でるお湯の切り替え時ということでしばらく待たされたので、店内をキョロキョロしたのだが、名店らしく有名人の色紙が所狭しと張られていた。その中には、プロ野球名球会の長嶋、王といった人や、タカ&トシといったお笑い芸人の色紙が見られた。
 また、閉店を知らせる張り紙も店内に掲示されていた。

               
               ※ これが長嶋茂雄さんと、王貞治さんのサインです。左が長嶋さん?

               
               ※ こちらは元巨人の桑田真澄投手。1991年ですから現役時代?

               
               ※ こちらは今年の4月に訪れたらしいタカアンドトシのサインです。
                    
 さて、やや時間が経った後、もやしがたっぷり載った醤油ラーメンが運ばれてきた。
 さっそくスープを口に含むと、やや懐かしい優しい味が喉を潤した。けっして強く個性を主張するスープではないのが私のようなシニアには嬉しい。
 そして西山製麺の縮れ麺もとてもスープとマッチしていた。また、たっぷりのモヤシは最後まで麺と共にしゃきしゃき感を演出し、それも私には好ましかった。

               
               ※ かなり私好みの醤油ラーメンでした。

 塩ラーメンを食したS氏も好ましい味だったようだ。
 10月20日の閉店までに、もう一度行ってもいいかなと思っている。

                    
                    ※ 店内にはこのような閉店の告知文が…。


【福来軒 本店 データー】
札幌市中央区南16条西8-1-26
電  話   011-521-5407
営業時間   11:00~23:00
定休日    無休
座  席   11席(カウンター席のみ)
駐車場    有 8台(道路挟んで左斜め向かい側の空き地)
入店日   ‘17/09/25


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川の博物館 & 河川調査船「弁天丸」

2017-09-26 18:13:58 | 札幌(圏)探訪
 石狩地区地域防災施設、通称「川の博物館」の見学と、そこに所属する河川調査船「弁天丸」に乗船する機会を得た。どちらも普段はなかなか立ち入れない施設や船だったので興味深く拝見させてもらった。 

               
               ※ 国道231号線沿いに立つ「川の博物館」の建物です。ふだんは「休館中」の札がかかっている。

 9月25日(月)は、私が所属する「めだかの学校」の野外学習として石狩市新港南1-28-24にある「川の博物館」を見学した。
 「川の博物館」は通称:オロロンラインと称される国道231号線を石狩市から増毛町方面に向かって走ると右手に見える。私は以前からその存在を知っていて中を見学したいと思っていたのだが、その建物の前にはいつも「休館中」の札が下がり、ゲートが閉じられていたため、見学はできないものと諦めていた。
 しかし、今回のように事前に見学を申し込むと、可能だったようだ。

               
               ※ 「川の博物館」が所有する河川調査船「弁天丸」の全容です。

 今回は河川調査船「弁天丸」の乗船体験があり参加者数が制限されたため、参加は「めだかの学校」の会員限定の学習会となり、参加者は12名だった。
 参加者は2班に分けられ、前半にまず6名が乗船し、残り6名は先に「川の博物館」を見学し、後半はそれを反対にして実施された。
 私は先の班に属し、まず「弁天丸」の乗船体験をした。
 「弁天丸」はなかなか立派な船だった。弁天丸のトン数は16トンと小さく、最大積載人員は22名ということだが、しっかりした座席が備えられ、小さな遊覧船といった感じだった。

               
               ※ 弁天丸の操縦席です。河川の様子を探知するソナーも備えた立派な船です。

 船は茨戸川に乗り出し、しばらく走って石狩川との間に設けられた細い運河を通って、石狩川本流に出て、石狩川河口橋のたもとでUターンをして帰ってくる40分間の行程だった。(茨戸川は、もともと石狩川であったものがショートカット工事で取り残されたところを茨戸川と称しているようである)
 この日は好天だったこともあり、川面は波も立たず穏やかな中でのクルージング(?)となった。河原にはアオサギの姿も見える中、のんびりと船旅を楽しんだ。

               
               ※ 茨戸川と石狩川を結ぶ運河を行く弁天丸です。
               
               
               ※ 運河の岸の木の上で中央灰色っぽく見えるのがアオサギです。ちょっと不鮮明ですが…。            

               
               ※ 前方に見える橋は、石狩川を跨ぐ「石狩川河口橋」です。船はこの橋の手前でUターンしました。

               
               ※ 波を蹴立てて走る河川調査船「弁天丸」です。

 続いて「川の博物館」に入って、職員から石狩川の歴史や施設などについて説明を受けた。
 その説明の中で、以前は職員が常駐していて常時開館していたのだが、職員削減によって希望者がいた場合のみ札幌開発建設部から職員が派遣され開館するという方式に変更されたと説明があった。
 職員の説明は多岐にわたったが、私が興味を抱いたのは川に設けられた「樋門」、「排水機場」、「頭首工」、「遊水地」など、治水や利水の施設の働きであった。というのも、私が「冬の石狩川河岸を遡る」に取り組んだときに、これらの施設に何度もお目にかかったからである。
 また、現在の石狩川の長さは268キロだそうだが、29ヵ所の及ぶショートカット工事の結果、元の長さより100キロも短縮されたそうだ。その結果、石狩平野の湿原の乾燥化が始まり、現在の水田地帯が生まれ、今や国内有数の穀倉地帯となったということだ。

               
               ※ 「川の博物館」内で札幌開発建設部の職員の方から説明を受けました。

 私にはぜひ聞きたいことがあった。
 それは、私が4年間かけて冬の石狩川河岸を、石狩川河口から旭川市の旭橋まで至ったのだが、実距離を私は知っていなかった。(そのことを知る術を私は知らなかった)そのことをぜひ聞きたいと思い、尋ねたところ157.1kmだったことが判明した。そして、そのことをウェブ上で調べる方法も教示していただいた。そのことが私にとっては、最も大きな収穫になった今回の学習会だった。
 
               
               ※ 「川の博物館」内で目立った書家による「石狩川」の揮毫です。
 
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北海道の実業団野球事始め

2017-09-25 20:17:25 | 講演・講義・フォーラム等
 1920年代、北海道内には野球熱が高まっていたようだ。そんな野球の力と技を競う場として組織したのが当時隆盛を誇った「小樽新聞社」だった。1922(大正11)年には第1回全道実業野球大会を、1929(昭和4)年には樺太代表も含めた「全道樺太実業野球大会」を開催するまでになった。 

 9月24日(日)午後、北海道博物館の特別展「北海道と野球をめぐる物語 プレイボール!」展の関連行事の最後として、「全道樺太実業野球大会」と題する講演会が開催され参加した。講師は、同博物館学芸員の会田理人氏が務めた。会田氏には膨大な資料を提示いただき、平易な言葉で解説されるお話はとても聞きやすく、気持良く講演会に参加することができた。
 会田氏は8月27日に同博物館で開催した「樺太全島野球大会」の講師も務めた方である。(その投稿レポはこちら

               
               ※ 講師を務めた会田学芸員は日ハムのレプリカユニフォームを纏って雰囲気を出していました。

 会田氏は、前回と同じように今度は「小樽新聞」の記事の膨大な写しを準備して提供してくれ、それら記事をもとに当時の野球熱を掘り起こしてくれた。
 それによると、まず最初に1920(大正9)年、小樽新聞社が札幌と小樽のチームに呼びかけ、それに応じた7チームが参加している。参加チーム名は、新聞記事によると地元小樽からは「内外貿易」、「大正倶楽部香村商店」、「ユニオン倶楽部」、「マリン倶楽部」、札幌からは「共和」、「札幌鉄道」、「逓友」というチームが参加したとなっている。
 ちなみにその大会の決勝戦は「小樽ユニオン倶楽部」と「札幌鉄道」の間で争われ、35A 対 5 で小樽ユニオンが圧勝したと小樽新聞の記事は伝えている。
 
               ※ 以下の写真は「全道樺太実業野球大会」に関する小樽新聞の野球記事です。

               
               ※ 第8回大会になる「全道樺太実業野球大会」には大会歌も作られました。その歌詞です。

 先の大会は第1回とは称さず、正式に第1回全道実業野球大会と名乗ったのは、それから2年後の1922年大会からだった。この辺りは主催する小樽新聞社の意向が働いたものと思われる。

 さて、本稿の主題である樺太の実業チームも交えての「全道樺太実業野球大会」であるが、第1回大会が開催されてから8年後の1929(昭和4)年の第8回大会において実現している。
 この頃には実業チームも全道に広がっていて、樺太を含め10地区において予選大会が開催され、参加総チーム数も47チームという盛況を見せていたという。
 その中でも、南空知、北空知は最激戦地区で、南空知は10チーム、北空知は8チームの参加があったという。なぜ、空知に野球チームが多かったかというと…。
 南空知地区の参加チーム名を記してみると「蹄光倶楽部」、「万字社友野球部」、「幌内野球倶楽部」、「住友奔別野球部」、「岩見沢野球倶楽部」、「アサヒ倶楽部」、「栗山野球倶楽部」、
「岩鉄チーム」、「登川礦野球部」、「美唄三菱倶楽部」となっているが、鉱山関係の名が眼立つことに気付かれると思う。この時代の空知は石炭鉱山最盛期だったことが野球チーム名からもうかがうことができる。

               
               ※ 小樽新聞は大会前、参加各チームを写真入りで紹介し、大会熱を煽ったようです。写真は初出場の「樺太逓信軍」と強豪「札鉄倶楽部」です。

 小樽新聞は各地区の予選大会の様子から逐一報道して大会ムードを盛り上げ、1929年の第8回大会は、小樽公園グランドを会場に8月15~18日までの4日間日程で開催されたと伝えている。

               
               ※ こちらも同じように参加チームを紹介する記事です。

 もちろん小樽新聞は戦前予想をはじめ、大会に入ってからも連日試合内容の報道に努めて、大会熱を大いに煽ったようだ。新聞記事では、集まった観衆が連日2万、3万と伝えられ、決勝戦には実に4万人が集まったと伝えている。今の日ハム人気並みである。
 ちなみに第8回大会は「札鉄倶楽部」が大会史上初の三連覇を達成した年だったという。
 当時の北海道の実業野球界においては、「札鉄倶楽部」と「函館太洋(オーシャン)倶楽部」が二大勢力で函館オーシャンも2回の優勝を飾り、人気を二分していたようだ。

               
               ※ 大会を観戦する人たちを写した写真ですが、盛況なことが伝わってきます。
               
 以上がおおよその講演の概要であるが、私は大会の主催が札幌の新聞社ではなく、「小樽新聞社」だったことに興味を抱いた。当時の北海道において小樽が経済的にいかに繁栄していたかを物語る事実のように思える。
 「小樽新聞社」が当時人々が熱狂した実業団野球大会を主催したということは、新聞自体も全道に影響力をもっていたと想像される。
 栄枯盛衰はいつの世にもあることだが、興味深い事実を「全道樺太実業野球大会」を通して知ることができた。

               
               ※ この「大会スケッチ」と称する記事が面白い!記事を読んでみてください。絵はところてんを押し出しているところです。


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映画 蝉しぐれ

2017-09-24 19:54:29 | 映画鑑賞
 ご存じ時代小説の雄、藤沢周平の長編小説の映画化である。藤沢作品の良さが十分に味わえる作品となったかと問われると、正直言って私は「?」を付けざるを得ない。脚本は? 演出は? キャストは? 期待していただけにちょっと残念だったかな?という思いである。 

                    

 9月21日(木)午前、札幌市生涯学習センター(通称:ちえりあ)で「ちえりあ映画会」が開催された。今回取り上げられた作品は、藤沢周平原作の「蝉しぐれ」である。藤沢作品の映画化と知って、期待を抱きながら「ちえりあホール」に向かった。

 「蝉しぐれ」のあらすじはWiki‐Pediaによると「海坂藩(作者創造による架空の藩。庄内藩がモデルとされる)を舞台に、政変に巻きこまれて父を失い、家禄を減らされた少年牧文四郎の成長を描く。小説の冒頭で文四郎は15歳。市中の剣術道場と学塾に通い、ひとつ年上の小和田逸平や同い年の島崎与之助と仲がよく、また隣家の娘ふくに不思議と心を引かれ、すこしずつ大人になりつつある年頃である。平凡な日々がおだやかに過ぎてゆくなかで、お世継ぎをめぐる政争が表面化し、これに関与していた養父助左衛門は切腹を命ぜられる」となっているが、これは物語の冒頭である。

               
               ※ 主演の牧文四郎役の市川染五郎と、ふく役の木村佳乃です。

 私は、藤沢作品は江戸時代を舞台に、庶民や下級武士の哀歓を描いた時代小説作品を多く残した、と理解している。封建社会である江戸時代において、庶民や下級武士は藩主や上級武士から理不尽な扱いを受け、それに耐え、忍びながらも一寸の魂を抱きつつ反撃の機会をうかがう、というような作品が多く、本作(蝉しぐれ)もそうした類の作品と理解していた。先に観た「たそがれ清兵衛」がその典型だった。

 本作においても、父親の無念を晴らすべく耐えに耐え、忍びに忍んだ末に最後に本懐を遂げる、みたいなストーリーを想像していた。確かに全体のストーリーはそのような展開だったのだが、その描き方に私は少なからず不満を抱いた。
 まず、少年時代の文四郎をあまりにも冗長に描きすぎたのではないか、ということだ。
 少年時代の文四郎役の石田卓也は確かに好演していたと私には映った。しかし、ストーリーの中心は、成人してからの文四郎(市川染五郎)がどのようにして父親の無念を晴らすのか、といったところではないのだろうか?

               
               ※ 牧文四郎の少年時代を好演した石田卓也です。
  
 あまりにも前半を丁寧に描きすぎたために、藩の家老(父親の敵)を襲った文四郎が藩の中でその後どのような扱いを受けたのかが、まったく描かれていないのだ。
 ストーリーが父親の無念を晴らすというよりは、幼なじみでお互いに淡い恋心をいだいたふく(木村佳乃)との果たすことのできない恋話になってしまったのは、はたして藤沢周平の真意だったのだろうか?(原作を読んでいないので、なんとも言えないのだが…)

                    
                    ※ 藤沢周平原作の「蝉しぐれ」の新書版の表紙です。

 脚本・監督は黒土三男という方だそうだ。黒土は藤沢作品の「蝉しぐれ」にいたく惚れ込み、長い時間をかけてようやく映画化にこぎつけてということだが、私から見ると藤沢の思いを十分に描き切れたとはいえない作品となってしまったのではないか、そう思えた観賞後の思いだった。(私の期待が大きすぎたこともあるのだが…)

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コンサドーレ 痛すぎる引き分け

2017-09-23 21:53:46 | スポーツ & スポーツ観戦
  後半35分まで2対0で楽勝ムードだったのが、一転35分、42分と立て続けに失点してしまい痛すぎる引き分けに終わってしまった。今日でJ1残留を濃厚にすると信じて札幌ドームに駆け付けたのだが、ため息の出る結果となってしまった…。

               
               ※ 今日の札幌サポーターはオーソドックスにSAPPOROの文字を描き出した。

 私にとって秋のプロスポーツ観戦シリーズは、フットサル、プロ野球、に続いて第三戦目である。

 今日(9月23日)は、J1コンサドーレ札幌がホームに新潟アルビレックスを迎えての対戦だった。サッカーに興味のある人なら、今日の試合が札幌にとってJ1残留のためには鍵となる試合であることをご存じだったと思う。
 つまり、今年最下位に低迷している新潟から確実に勝点3を得て、残留圏内を確実にしたい一戦だった。

 私はその勝利を見届けたいと、道東に住むTさんに「一緒に勝利を見届けよう!」と声をかけ、一緒に観戦したのだった。
 Tさんはことのほかサッカーにはご執心で、サッカーのことを語らせたら、その蘊蓄はとどまることを知らない方である。
 
               
               ※ 新潟から繰り出した大応援団です。札幌に劣らず大声援でチームを後押ししていました。

 さて、試合の方である。
 一進一退の攻防が続いた試合は、前半のアデショナルタイムに札幌がゴール前の混戦から早坂が鮮やかなミドルシュートを決めて先制した。これは前半終了間際ということもあり非常に効果的な1点だった。
 後半も開始早々の11分にヘイスが30メートルくらいのフリーキックを見事に決めて2対0とした。

               
               ※ 先制点を叩き出した早坂選手(右端)と喜びを分かち合う札幌の選手です。

 サッカーの場合、2点差はかなりの確率で勝利することが多いので、正直言って私は「これで大丈夫だろう」という思いになった。
 そうした思いが、プロである選手やスタッフにまさかあったとは思えないのだが…。
 しかし、2点差としてから明らかに札幌からアグレッシブさが消え、消極的な試合運びが気になった。対して新潟はぐいぐいと攻めてくる。

 そうした中、後半35分ゴール前の混戦の中、センタリングに相手選手が頭で合わせ、ふわりと浮いた球がゴールの右上隅に吸い込まれてしまった。
 こうなると勢いは完全に新潟が勝った。札幌はFWジェイに代えて故障が癒えたMFの稲本を送り出して守りを固めようとしたが、その効果もなく42分に、今度は完全に守りを崩されての失点となってしまった。
 札幌には劣勢を覆す勢いはすでになく、空しく終了のホイッスルを聞くこととなった。

 引き分けで勝点1を得たとはいえ、試合展開からは負けに等しい引き分けである。空しい思いをしながらの帰路は寂しいものである。明日、地元で用件を抱えたTさんは、そのまま車で帰ったが、彼には厳しい帰路となってしまった。

               
               ※ 札幌の熱烈サポーター席の一隅に金色のポンポンを手にした一陣を発見しました。

 さて、私には珍しく私なりの選評を試みてみようと思う。
 まず、先発メンバーから札幌の主軸FW都倉を外したことが疑問である。Tさんは観戦中に何度もそのことを口にしていた。
 都倉の代わりのジェイは、確かに実績はあるのかもしれないが、その動きは緩慢で、高さを生かしたヘディングもほとんど見られなかった。
 ヘイスもフリーキックを決めたとはいえ、ジェイ同様その動きはけっして褒められたものではなく、なんだか同タイプのジェイとヘイスの二人が前線で緩慢な動きを見せられるのがつらかった。
 一人、タイからやってきたチャナテップだけは相変わらずのキレキレのプレーを披露して彼から何度も好機を生み出していた。

               
               ※ いつもキレキレのプレーを見せてくれるチャナテップ選手です。

 MF稲本の交代もやや疑問である。実は帰宅してTV中継の録画を確認すると、稲本の交代は2対0の時点で用意していたようだ。彼は昨年大怪我をして1年数か月ぶりの復帰である。まだゲーム感が十分に戻っているとはとても思えない。監督にとって稲本投入は、守備固めの意味と共に、稲本のゲーム感を呼び戻す機会と考えたとしたら、そこにスキはなかったろうか?

               
               ※ 1年数か月ぶりにピッチに立った稲本選手だったが…。

 最後に、GKク・ソンユンの負傷交代である。負傷交代は相手選手との衝突で致し方ないにしても、代わった金山にク・ソンユンの代役は難しかった。高いボールへの対応が金山は苦手のようだ。1点目はポジション取りも含めてク・ソンユンなら防げたのではないかと私たちが思ってしまうところに、金山への信頼が生まれない。

 と「たら、れば」をくどくどと述べたが、札幌のJ1残留には俄かに暗雲が垂れ込めたようにも思える。
 残り7試合、厳しい戦いが続くが、なんとかJ1残留を果てしてもらいたいものである。
 
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道新フォーラム「現代への視点」

2017-09-22 16:11:14 | 講演・講義・フォーラム等
 識者の言葉は重い。そして説得力がある。「しかし、それは一方の見方だろう」と指摘されると、そのとおりなのかもしれない。そのことも意識しつつ、保阪正康氏、姜尚中氏、田中優子氏の三人の考えに耳を傾けた。 

 9月18日(月・祝)午後、道新ホールで開催された北海道新聞社主催の道新フォーラム「現代への視点2017 ~歴史から学び、伝えるもの~」に参加した。

               

 フォーラムは、前半が三氏の講演、後半が三氏によるパネルディスカッションという盛りだくさんの内容だった。
 各氏の演題は次のとおりである。
 ◇保阪正康氏 ~ 「昭和・平成そして新時代へ」
          
   
 ◇姜尚中氏  ~ 「内戦の記憶と記憶の内戦をめぐって」
          

 ◇田中優子氏 ~ 「江戸から学び今に伝える」
          

 全ての講演が含蓄に富み、素晴らしい内容であったが、その全てをここに再現するにはかなりのボリュームとなるし、私の手にはあまりそうだ。
 そこで、この道新フォーラムの実質的主客である保阪氏の講演内容について振り返ってみることにする。(「道新フォーラム 現代への視点」は第9回目の開催ということだが、保阪氏は第1回目から欠かさず参加されている)

 保阪氏は「昭和・平成そして新時代へ」と題する講演の中で、我々は昭和・平成と同時代史を生きてきたが、やがてそれは歴史への移行していくとした。そうした中で、特に昭和史は我々に多くの示唆を与えているという。
 そして昭和史を語るキーワードとして、◇天皇、◇軍事、◇国民の三つを挙げた。
 「天皇」に関しては、昭和の時代に神格化された存在から、象徴天皇、人間天皇へと変化した。
 「軍事」に関しては、軍事主導体制から、非軍事国へと変化した。
 「国民」に関しては、臣民から国民に変化した。とそれぞれを分析した。

 つまり、昭和という時代は、前半と後半では合わせ鏡のようであり、私たちは後者を引き継がねばならないのではないか、と言及した。そして今、前者の顔を復元しようとする勢力の存在が徐々に声を大きくしていることに警戒感を示した。

 次に平成時代を語るキーワードとして、保阪氏は◇天皇、◇政治、◇災害の三つを挙げた。
 「天皇」に関しては、今上天皇が、昭和の時代の遺恨を清算するために追悼と慰霊の旅を繰り返しているのは、人間天皇の枠づくりをしようとしているのだ、と保阪氏は解説した。
 「政治」に関しては、現在の政治はシステムが機能不全を起こしているという。そのシステムとは「小選挙区制と比例代表制」による国会議員の選出方法についてである。つまりこのシステムによって選出された立法府は機能不全に陥っていると保阪氏は指摘する。
 昭和初期の軍部独裁といわれた仕組みは、実は行政独裁でもあったのだが、現代も行政が機能しすぎの傾向があり、立法府がないがしろされている傾向であると指摘した。
 このように政治のシステムがおかしくなるにつれ、選出される国会議員の資質も劣ってきていると指摘した。
 続いて「災害」についてだが、我が国は1995年の阪神淡路、2011年の東日本、2016年の熊本などの大震災をはじめとして非常に自然災害に見舞われることの多い国である。
 そのため、人々は虚無感に苛まれることもしばしばだが、こうした災害に遭った方々が陥るのが「情報閉鎖集団」化されることだという。こうした集団に虚々実々の流言飛語が飛び交うことが憂慮されるという。(このとき保阪氏は「○○ま」という言葉を使ったのだが、それが判然としない)情報化時代だからそこ、反対の意味で小さな流言飛語が人々を混乱に陥れる危険があるので注意しなければならないとした。

 保阪氏は、こうして昭和と平成の時代を振り返り、やがてやってくる次の時代に、二つの時代の反省点を生かしていくためには、国民一人一人が真剣に歴史と向き合うことの大切だとし、保阪氏は「愚民になるな!」と強調された。

 保阪氏の講演の概要は以上のようなものだと解したが、他のお二方もそれぞれの立場から自説を披露され、それぞれが傾聴に値するものだった。
 そして、この後、三人によるパネルディスカッションを行われたのだが、その内容については後日、北海道新聞紙上において詳報が掲載されると案内があった。今日現在、まだ掲載されてはいないが、近日中には掲載されるはずである。興味のある方はそちらをご覧いただきたい。
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新世界紀行 秘境を往く

2017-09-21 18:57:16 | 講演・講義・フォーラム等
 “秘境”とは、手つかずの自然が現存されているところ、との解釈も成り立つ。手つかずの自然が遺された「魔の山チマンタ」と「極北のユーコン大河」の二つのVTRを視聴する学習会に参加した。 

 ちょっと話は古くなってしまったが、9月11日(月)午後、「めだかの学校」の9月講座としてVTR「新世界紀行」を視聴する会が開催された。
 今回は秘境編として「魔の山チマンタ」「極北のユーコン大河」の2本を視聴した。

                    
                    ※ 私たちが視聴した世界新紀行のVTRのパッケージの外観です。

 「魔の山チマンタ」とは、あまり耳慣れないかもしれないが、「ギアナ高地のテーブルマウンテン」と言ったほうが、今では通りが良いのではないだろうか?
 ギアナ高地というと、南アメリカ大陸の北部のコロンビア、ベネズエラ、ガイアナ、スリナム、フランス領ギアナ、ブラジルの6ヵ国にまたがる高度2,000m級のテーブルマウンテンが点在する高地である。その中でも、世界一と言われる落差979mを誇るエンジェルホールがあるのことで有名である。
 ちなみに「チマンタ」とは、そのテーブルマウンテン群の中でも最も見事な卓上台地を形成するチマンタ山塊を指しているようだ。

          
          ※ ギアナ高地が点在する(茶色や黄色で色分けされた地域)南米の地域です。

 最近はこのテーブルマウンテンを対象としたテレビのドキュメンタリー番組がけっこう見られるようになったが、今回視聴したVTRは1980年代に制作されたものということで、そうしたドキュメンタリー作品の先駆けのような存在なのかもしれない。
 VTRでは、チマンタ山塊の卓上台地にヘリコプターで降り立って、隔絶された厳しい環境の中で生き延びるために独自の進化を遂げた動植物をレポートしている。
 栄養分の極端に少ない台地上で進化したものの一つが食虫植物である。さまざまな形状や仕組みを持った食虫植物が映し出された。
 また、背中の上で卵を孵化させるカエルも独特の進化を遂げた生き物の一つである。
 まさに“秘境”に相応しい「魔の山チマンタ」だった。

          
          ※ チマンタ山塊で最も有名なテーブルマウンテンです。写真左側中央を落ちている滝がエンジェルフォールです。



                    
                    ※ 同じく私たちが視聴した世界新紀行のVTRのパッケージの外観です。

 続いて上映された「極北のユーコン大河」であるが、こちらもドキュメンタリー番組などによく登場する手つかずの自然が残ったところである。

          
          ※ ユーコン川の流れをマップ上に記すと、このようになるようです。
          
 ユーコン川とは、カナダのユーコン準州とアメリカのアラスカ州を貫く延長3,700㎞、流域面積832,700㎢に達する大河である。冒険家やカヌーイストたちが好んで挑む対象でもある。
 VTRでは、ユーコンの大河の春夏秋冬をさまざまな角度から映し出している。
 特に、ユーコン川を遡上するサーモンは特大サイズのものが多く、キングサーモン、あるいはキングキングサーモンと呼ばれる大きな鮭を獲る漁民たちをとらえたところが印象的だった。

               
               ※ 冬季完全氷結したユーコン川の様子です。10月末には完全氷結するとのことでした。              

 私はこうした人智の及ばない、自然が創り出す光景を見ることに何よりも魅力を感ずる。
 そうした意味で、私の中に強烈な記憶として残っているのは、2012年、北米大陸のグランドキャニオン、アンテロープキャニオン、モニュメントバレー、ナイアガラ大瀑布を巡る旅である。
 その後はなかなか機会がないが、チャンスがあればその他の自然が創り出す光景を見てみたいという思いを密かに抱いている。

 実際に現地まで行かなくとも、今回のように映像で体験することも私は好きである。しかし、今シリーズはこの回で最終回となってしまい、ちょっと残念である。いずれまた、違う形でこうした自然を対象としたドキュメンタリーを視聴したいと思う。

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