田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

二つの展示即売会

2024-04-08 19:06:52 | 作品展・展覧会等
 芸術作品や骨とう品などには全くと言っていいほど興味のない私である。それが何の風の吹き回しなのか絵画作品展、骨董品の展示即売会に顔を出してみる羽目となってしまったのだ…。

 昨日(4月7日)は、今年初めての陽気に恵まれた日だった。特に予定はなかったのだが、 戸外に出てウォーキングを楽しみたい思いに駆られた。
 そこでネットでイベント予告を検索してみると、二つの展示即売会が目に留まった。
 一つは、札幌出身で広告業界においてグラフィックデザイナーとして一時代を画し、リタイア後にヨーロッパを旅して描いた水彩画を展示即売する「渡辺隆雄展」である。
 そしてもう一つは琴似のコンカリーニョという劇場を会場に開催されていた「大生活骨董市」という展示即売会だった。
 前述したように私には関心外の分野だったが、ウォーキングを兼ねてひやかしてみようと出かけることにした。

        
        ※ 「渡辺隆雄展」のポスターです。

 先ずは「渡辺隆雄展」である。会場は「マリアギャラリー」(北1西3マリヤ手芸店3F)
という時計台の近く、札幌の中心街にあった。会場には予想外にけっこうな人が鑑賞に訪れていた。「渡辺隆雄展」の案内には次のような説明がなされていた。
 「渡辺隆雄、世界を股にかけ、広告業界のトップを駆け抜けた男。札幌が生んだ、故渡辺隆雄「通称ワタキン」を偲んで、彼のデザイナーとしての仕事と、ライフワークだった水彩画を展示します。彼が海外で収集した骨董品の数々と併せてご覧ください」

   
   ※ 作品は写せませんでしたが、会場全体の様子を一枚撮らせてもらいました。

 それほど広くはないギャラリーに渡辺隆雄氏に関する作品などが所狭しといった感じで並べられていた。デザイナーとしての仕事は、雑誌などに車の広告などでその力量を発揮されたようである。私が興味をもったのはそうしたデザイナーの仕事よりも、水彩画の方だった。ヨーロッパの街並みを軽いタッチで描いた水彩画にはプロの画家の作品とは違う独特の趣きが感じられた。
 残念ながら写真を撮るのはNGだったために紹介できないのが残念である。なお、作品は一枚10万円で頒布されていた。

   
   ※ コンカリーニョの「大生活骨董市」の全体の様子です。

 続いて琴似に移動して琴似の劇場「コンカリーニョ」で開催されていた「大生活骨董市」 を覗いてみた。こちらも日曜日で好天に恵まれたこともあって、若い人を中心に賑わっていた。骨董品は「大生活市」と謳うくらいだから、その昔生活用品として使用されていたものが多かったような印象を受けた。

    
    ※ 展示物の中でインパクトのあった一つです。理容店の椅子と見ましたが…。

 大物では理容店の椅子とか、物入れなど…。小物となると実に様々なものが並べられていた。見る人が見れば垂涎の的のようなものもあったのだろうが、私にとっては猫に小判状態であった。もし仮に興味を抱き購入したとしても、帰宅直後にはゴミになってしまう恐れがあるので、心を鬼にしながら骨董品を見て回った。

    
    ※ こちらは木彫が施された物入れと見ましたが…。2,000円とは安価では?

 と好天に恵まれて、思いもよらなかった展示即売の会場を梯子してみたという話題でした。
 なお、この日は我が家から「マリアギャラリー」まで歩き、地下鉄で「大通駅」から「琴似駅」まで移動し、帰りはまた歩くといった行程で、帰宅してスマホの距離計を見ると、10.1キロを歩いたことになっていた。良い運動になった一日だった。 

家庭用ゲーム機の変遷を見る

2024-04-05 19:05:02 | 作品展・展覧会等
 ゲーム機についてはとんと関心のない私だが、北大総合博物館の企画展を覗いてみた。題して「GAME START Ⅱ」とあった。展示室にはどこかで見た覚えのあるようなゲーム機がたくさん展示されていた…。
      

 昨日(4月4日)、特の予定のなかった私は北海道新聞の「イベント情報検索」で表記企画展が開催中なのを知って、ウォーキングを兼ねて覗いてみることにした。
 企画展というので大々的に開催されているのかと思っていたが、想像とは違い博物館の一つのコーナーでささやかに開催されているものだった。
 企画展のテーマは「これからのゲーム展を考える」というもので、博物館は「ビデオゲーム・アーカイブ」にどのように寄与できるかを模索していくものとして企画した、ということだった。
 そこで今回は全国の博物館でこれまでゲーム展として開催されたことを調べ上げたうえで、取り上げられたゲーム機をランキングして展示したそうである。展示されていたゲーム機は全部で9台あった。
 その全て機種のデータをメモすることはできなかったが、№1~№3を並べてみると…、
 ◇第1位 ファミリーコンピュータ(任天堂) 14,800円
      1987年7月15日発売   販売数 1,935万台
   

 ◇第2位 スーパーファミコン(任天堂)      25,000円
      1990年11月21日発売   販売数 1,717万台
   

 ◇第3位 ゲームボーイ(任天堂)      12,500円
      1989年4月21日発売   販売数 3,247万台
   

 以上がベスト3だが、いずれも任天堂が開発、発売したものであるのが目を惹く。特に「ファミリーコンピュータ」は、それまでのゲーム機のイメージを覆すような高性能を誇り、その販売台数からいっても時代を画したゲーム機ということで多くの博物館が取り上げたのだろう。
 販売台数から見ると、ベスト3には入らなかったが1994年12月に発売された「Play Station」(ソニーコンピュータエンターテイメント)が1,941万台を売り上げている。
   

 こうして見てくると1980年代末から1990年代にかけてゲーム機の世界では日本製が世界を席巻していたことがうかがえる。
 ゲームに熱中された方にはどの機器も懐かしく思い出されるのではないだろうか?そして今、ゲーム機はどのように進化を遂げているのだろうか?現在の製造、販売会社の趨勢は?
 今回の企画展は今から3~40年前を振り返るアーカイブ展だったが、その後の変遷についてもいつか見てみたいものである。

太古のいきものよみがえる展

2024-03-20 10:18:18 | 作品展・展覧会等
 NHK札幌放送局のロビーが博物館に変身していた!?放送局のロビー内に太古の北海道に生きた生物の骨格標本がなんと8体も展示されていたのだ。NHKもやるものである!

      
 昨日(3月18日)、NHK札幌放送局で3月16日から31日までの予定で開催されている「太古のいきものよみがえる展」を覗いてみた。   
 ロビーに入ると、いきなり体長3メートルにも達するという海洋生物の🔳「デルモスチルス・ヘスペルス」のレプリカが出迎えてくれた。この生物は中新世(2300~1000万年前)に生息していたとされる水生生物で樺太でその全身骨格が発掘されたことから足寄博物館に全身骨格のレプリカが展示されていることから、今回展示されたようだ。
   
   
 続いてそれよりさらに大きい体長4メートルになるという🔳「ヌマタカイギュウ」の骨格標本のレプリカが迎えてくれた。「ヌマタカイギュウ」はその名の通り北海道・沼田町で発掘されたのだが、姿は鯨類に似ているが実際はゾウに近い哺乳類だそうだ。実は同種のカイギュウが札幌豊平川でも発掘され、「サッポロカイギュウ」と名付けられている。
   

 その他にも骨格標本がロビーのあちこちに展示されていた。その名と体長は、   
🔳「ホッカイドルニス・アバシリエンシス」(1.7メートル)
   
   
🔳「パレオロクソドン・ナウマンニ」(2.5メートル)
   

🔳「ヌマタフォシーナ」(?)
   

🔳「ヌマタフォシーナ」の実物化石
   

🔳「エティオケトゥス・ポリデンタトゥス」(3.5メートル)
   

と化石マニアにとっては垂涎の的のような骨格標本が展示されていた。(私は門外漢なのだが…)
 そして骨格標本として立体像ではなかったが、骨格のレプリカが平面に並べられた🔳「カムイサウルス・ジャポニクス」(8メートル)、いわゆる平成の大発見「むかわ竜」が床に並べるように形で展示されていた。
   

 また、8Kスタジオの方では札幌在住で、ボールペン細密画で有名な浩而魅諭(ひろじみゆ)さんが描く、古生生物の復元画が多数展示されていた。こちらの細密画も見ものの一つである。(浩而魅諭については先日のNHK番組「北海道道」で詳しく紹介する番組が放送された) 
 
 ※浩而魅諭ひろじみゆ)さんがボールペンで描く古代生物の細密画の一つです。

 というように、それほど広くはないNHK札幌放送局のロビーは太古の生き物ワールド一色に染められていた。
 古生生物にそれほど関心のない私でも十分に楽しむことができた。展覧会は31日までだそうだ。近くへ行った際はぜひ覗いてみることをお勧めしたい。

仏像彫刻展~原田政光のひとり旅

2024-03-09 10:44:33 | 作品展・展覧会等
 思わぬ形で仏像彫刻展を見物することになった。仏像彫刻の良さなど門外漢の私には分かるはずもない。それより、彫刻家・原田政光の人となりに注目した。
       

 3月7日(木)午後、札幌市民交流プラザのチケットセンターにチケット購入に赴いたときだった。チケットセンターの横のSCARTSスタジオで仏像彫刻展が開催されていた。しかも入場無料とあった。チケットを購入後、「ちょっと覗いてみるか」という軽い気持ちで入場した。
 場内には仏像彫刻(木像)がズラーッと展示されていた。その数56点という大変な数だ。その横に作家・原田政光氏の略歴が表示されていた。それをみると原田氏は高校卒業以来、北海道教育委員会に長く務められ後志教育局長などを務められ定年まで勤務されたとなっていた。というと、まんざら私と関係ないわけではない。俄然興味が湧いた。さらに略歴を見ると、原田氏が仏像彫刻を始めたのは定年退職後だという。独学で仏像彫刻を学び、80歳でお亡くなりになるまでに56点もの仏像彫刻を残したということだ。
 作品の写真撮影が許可されたので、そのうちの何点かを掲載することにした。
       
       ※ 作品名「吉祥天」 73歳時制作
       
       ※ 作品名「阿弥陀如来立像」 68歳時制作
       
       ※ 作品名「恵比寿天」 62歳時制作
       
       ※ 作品名「みかえり阿弥陀」 75歳時制作
   
   ※ 作品名「白衣観音」  67歳時制作
   
   ※ これは原田氏の木像制作をするアトリエを再現したものだということです。
        
        ※ 在りし日の原田政光氏です。

 会場にはおそらく仏像彫刻展を企画されたと思われる原田氏の娘さんがおられ、来場者に丁寧な接待をされていた。父親の努力の結晶を広く市民に公開することを誇りに思っているように見えた。麗しい父子愛を見た思いだった…。

モレウのうた AINU ART展

2024-03-06 11:18:12 | 作品展・展覧会等
 “モレウ” とは?アイヌ文様の特徴の一つである渦巻き文様のことだそうだ。そのアイヌ文様を継承しながら、そこに各作家の個性も加味したさまざまアイヌコレクションを集めた展覧会を覗いてみた。
     

 昨日レポした「北海道立近代美術館コンサート」の投稿に添付した最初の写真の右下のところに「特別展鑑賞 AINU ART モレウのうた」という表示に気付かれただろうか?実は昨日のコンサートは「モレウのうた AINU ART展」の鑑賞券付きコンサートだったのだ。
 そこでコンサートが始まる1時間前に会場に集合するよう案内があり、私たちは近代美術館が閉館した後に、特別に鑑賞が許可されてゆったりと鑑賞させていただいた。

  
  ※ 特別展会場の入口です。今回の特別展は常設展示会場で開催されていました。

 今回の特別展ではアイヌ芸術関連の作家、工芸家など10人の方々の作品が展示された。その10人とは…、(敬称略)
 ◇小笠原小夜(イラストレーション)
 ◇貝澤 幸司(木彫)
 ◇貝澤  徹(木彫)
 
      

 ◇川村 則子(布アート) 
 ◇下倉 洋之(金工)
 ◇関根 真紀(デザイン)
 ◇西田香代子(刺繍)
 ◇藤戸 康平(ミクストメディア)
   

 ◇藤戸 幸夫(木彫)
   
 ◇結城 幸司(版画、映像)
の10人が出品する展覧会だった。

  
  
 私にはそもそも芸術的な素養などこれっぽっちもなく、特に美術分野はその最遠にあるといってよい。作品の良さを受け止める感性なども皆無である。したがって、どんな作品を見ても「ほーっ」とため息をつくばかりであった。
 展覧会では一部の作品の写真撮影が許可されていたのだが、それがどの作品なのかよく判別が付かず、確実に許可されている数点をカメラに収めるのがせいぜいだった。

       

 いただいたパンフレットを見ると、関連行事がたくさん催されている。それらに参加することで少しは作品の良さを感得することができるかもしれない。これからは、そうした行事にも参加することで作品の良さを理解することに努めなければ…。

※ 添付した作品写真の上部3点は作者が分かったので作者の下に貼り付けましたが、下部の2点は作者に自信がありませんでした。

「北の縄文世界と国宝」展を観る

2023-09-03 21:06:21 | 作品展・展覧会等
 “国宝” と聞くだけで、観る側はもうそれらが光輝いて観えた。それは展覧会に訪れた人たち共通の思いだったようだ。遅々として動かない長蛇の列にはしびれを切らす思いだったが、さんざん待たされた後に目にする “国宝” だけに特別感は倍増した思いだった…。
     
 本日午後から北海道博物館で「『北の縄文世界と国宝』展ができるまで」という講座を受講することになっていたので(講座については明日レポします)、その前に特別展を観ようと午前から北海道博物館に向かった。
  
  ※ 北海道博物館のエントランスです。
 博物館に行ってみて驚いた。なんとチケット売り場から長蛇の列ができていた。チケットを購入し、常設展の入口でナウマン象の原寸大の骨格レプリカに迎えられる。常設展は何度も観ているのでそこはパスして、真っすぐに特別展会場に向かった。するとそこがまた凄かった。入口から長蛇の列が始まったのだ。その列が遅々として前へ進まないのだ。
  
  ※ 常設展入口のナウマン象の骨格レプリカに迎えられて…
 後で分かったことだが、特別展は4章から構成されていたのだが、その第1章が国宝が展示されている「縄文―その心と美―」というコーナーだったことが長蛇ができる原因だったようだ。
  
  ※ これは国宝ではありませんが、有名な「遮光器土偶」の複製です。
 今回の特別展に展示されていた "国宝” は次の9点の土偶や土器と、遠軽町の黒曜石の国宝である。
◇土偶(縄文のビーナス) 長野県茅野市棚畑遺跡
  
◇土偶(仮面の女神)   長野県茅野市中ッ原遺跡 
    
 ◇土偶(縄文の女神)山形県舟形町西ノ前遺跡
  
 ◇土偶(合掌土偶)    青森県一戸町風張1遺跡 ※複製
      
 ◇土偶(中空土偶)    北海道函館市著保内遺跡
  
 ◇土偶          青森県六ケ所村大石平遺跡 
      ※ 何故かカメラに記録が残っていませんでした。
 ◇火焔型土器       新潟県十日町市笹山遺跡
  
 ◇火焔型土器       新潟県十日町市笹山遺跡
  
 ◇王冠型土器      新潟県十日町市笹山遺跡
  
  ※ 王冠型土器は左側の土器です。
この他に、遠軽町白滝遺跡から発掘された21点の黒曜石製の石器が展示されていた。
  
  ※ 上の石器は長さが20cm以上もある大物でした。
  
  ※ 反対にこんな小さな石器も国宝でした。
 ここで私が気付いたことがあった。発掘された遺跡に注目してほしい。なんとこれらの遺跡は今回世界遺産に認定された遺跡が一つも含まれていないのだ。確かにそれらの遺跡は世界遺産に認定された「北海道・北東北の縄文遺跡群」には含まれないが、同じ北海道や北東北地方の遺跡だったり、北東北からそれほど離れていない地域の遺跡で発掘され、縄文時代に製作されたものであることから今回展示されたものと思われる。
 これら美術的価値、工芸的価値を有するような土偶や土器を数千年前に製作されていたということに驚きを禁じ得ない思いだ。
  
  ※ 札幌市内の遺跡から発掘された土偶です。「イケメン土偶」とも呼ばれている土偶です。
 特別展は、第1章「縄文―その心と美―」に続いて、第2章「世界遺産『北海道・北東北の縄文遺跡群』の価値」、第3章「世界遺産とは」、第4章「縄文文化を未来へ」という構成になっていて、主催者としては特に第2章に力点を置いた構成にしていたようだ。その第2章では「北海道・北東北の縄文遺跡群」の17の構成遺跡と2つの関連遺跡に関する展示があり、そこには各遺跡から発掘された相当数の土偶や土器が展示されていた。しかし、“国宝” を観た後とあって私も含めてあまり関心をもって観ている人は少なかったようだ。これは展示構成を構想された側の読み間違いでは?とも思われるのだがどうなのだろう。展覧会名としては「北の縄文世界」が前面には来ているが、多くの人の関心はやはり「国宝」に向いていたのではないだろうか?
 それはそれとして、やはり “国宝” という吸引力を改めて感じさせられた「北の縄文世界と国宝」展だった…。

特別展「小津安二郎」展を観る

2023-08-18 17:16:19 | 作品展・展覧会等
 小津安二郎が父親に宛てた手紙や、小津の愛したソフト帽、もちろん映画に関する膨大な資料が一人の蒐集家の手によって集められたことを知った。また、小津研究家として一家言をなす研究家が札幌在住であることも知ることができた特別展だった。
      
 映画監督として名匠の誉れ高い小津安二郎の生誕120年・没後60年を記念して北海道立文学館で開催されている。(と言っても会期8月20日までなのだが…)
 私は特別の小津ファンではないのだが、特別展の開催を知って関連事業に意識的に参加しようと努めてきた。参加できたのは、映画会「東京物語」、講演会「小津安二郎と北海道」、無声映画会「突貫小僧」と「出来ごころ」である。実は、このほかにも映画会で「東京暮色」、「秋刀魚の味」を観る予定にしていたのだがスケジュールが合わず断念した経緯があった。
     
 断念したことで、一連の関連事業に参加した後に特別展を観覧しようとしていたのだが、その熱も冷めかけていた。ところが先日、ある方から「特別展のチケットがあるが、都合が悪くて行けないので、どうでしょうか?」という嬉しいお誘いがあった。私に断る理由などない。有難くチケットを譲っていただき、本日午後道立文学館に赴いたというわけである。
 特別展は会期末とあってか結構な人たちが観覧に訪れていた。展示されていたのはもちろん小津映画に関連するポスターやシナリオ、関連する小物などであったが、小津安二郎が父親に宛てた手紙の実物なども展示されていた。(小津は一時父親とは別居していた時代があった)また、小津が愛したソフト帽やワイシャツ、あるいは腕時計なども展示されていた。
 その展示物のほとんどが築山秀夫氏(長野県立大学教授)という一人の蒐集家の手によるものだと展示会の一つのコーナーで知った。相当に精魂込めて集められたに違いない。素晴らしいコレクションである。
 蒐集家ではないが、札幌にも小津研究においては高名な方が存在していることを知ることができた。その方は、公益財団法人北海道文学館の副理事長で、武蔵女子短大教授である中澤千磨夫氏である。氏は小津に関する著書を二冊も出版し、今回の特別展開催にあたって中心的な役割を果たした方だという。
  
  ※ 特別展「小津安二郎」展が開催されている北海道立文学館の外観です。 
 小津安二郎映画は、よく黒澤明監督と対比されて語られることが多い。黒澤映画の派手な活劇を中心とした映画に対して、小津映画のそれは市井の人たちの日常を描くものが多い。どちらがどうということではなく、お二人ともに映画の世界において世界に名を轟かせたという点において私たち日本人には誇ることのできるお二人ということが言えるのではないか。今やお二人とも鬼籍に入られたが、二人の創った映画はいつまでも残されている。機会を見つけてこれからも二人の創った映画を楽しみたいと思う。


道立文学館特別展「細谷源二と齋藤玄」

2023-03-19 11:43:35 | 作品展・展覧会等

 私にとってはまたまた新たな魔界に足を踏み入れた思いである。細谷源二と齋藤玄は戦後の北海道の俳句界を牽引した二人だという。彼らを特集した「細谷源二と齋藤玄 北方詩としての俳句」展を覗いてみた。

        

 雑食性を自称する私であるが、そのことが思わぬ幸運を呼ぶこともある。何にでも興味関心を抱く私に、知人の方から時折り「チケットがあるので行ってみませんか?」とお誘いを受けることがある。今回もある方から「道立文学館で俳人を特集した特別展を開催しているので行きませんか?」とお誘いを受けた。俳句など私にとっては関心外の世界だが、未知の世界を覗いてみるのも悪くはないとの思いから、喜んでお誘いを受けることにした。

        

        ※ 道立文学館に掲げられた特別展の案内看板です。

 そしてスケジュールの空いた3月16日(木)午後、道立文学館に足を運んだ。当日は雨模様ということもあって特別展には誰も観賞している人はいなかった。

 私は前述したように俳句そのものについては、作品の良さなどについてまったく分からない。したがって、特別展では細谷源二氏と齋藤玄氏の人そのものを理解することに努めた。それをもとにお二人について簡略にまとめてみると…、

        

 細谷源二氏は東京生まれで、旋盤の町工場を経営しながら俳句の世界に入るも、戦時中の俳句弾圧に遭い拘留も体験した。その後東京空襲に遭ったこともあり、北海道豊頃村(現豊頃町)に入植するも失敗し、旋盤の腕を活かして砂川市にあった東洋高圧に職を得た。旋盤工をしながら作句も続け、仲間を募り同人誌「氷原帯」を発行するなど北海道の戦後俳句界を力強く牽引したそうだ。細谷氏は自らが旋盤工として働きながらの俳人ということもあり、「働く者の俳句」を志向し、リアリズムと冒険的な前衛性が特徴だそうだ。

 氏の代表的な作品は地の涯に倖せありと来しが雪」

        

 一方、齋藤玄氏は函館生まれで、早大商学部を出て旧北海道銀行に職を得た。大学時代に俳句の世界に魅かれ、俳人石田波郷に私淑する。銀行員としての多忙な生活のため一時作句を中断するが、銀行を退職し道央信用金庫の専務理事に就いてから再び作句を始めた。

齋藤の俳句は、「幽玄の世界」に深く分け入り伝統詩型の中に新局面を切り開いたとされている。

 代表的な作品としては「蘇る水の稲妻枯尾花」

 二人の俳句は上述のように目ざした俳句は異なるが、ともに新興俳句の精神を戦後北海道に根付かせ「北方詩としての俳句」という世界を創り出したという共通点を持つ俳人として後世に伝わる二人である。なお、二人が交流をもったのかどうかについて展示の中からは見つけることができなかった。

 特別展において、私は二人の俳人としての背景を知ることはできたが、彼らの俳句を味わうということは私の素養の無さゆえ叶わなかった。それでも北海道において戦後にこうした有能な俳人を有したことを知ったことだけでも有意義なひと時だった。


野田弘志展 & ギャラリーツアー

2023-01-07 19:38:43 | 作品展・展覧会等

 リアリズムの巨匠として名高い野田弘志展(「野田弘志-真理のリアリズム」)が芸術の森美術館で早くから開催されていたが、ギャラリーツアーがある本日まで待って待望の観覧をした。素人でもその素晴らしさが理解できる超写実的な絵画は息を呑むほどであった。

        

 本日(7日)午後2時から、学芸員による「野田弘志展」のギャラリーツアーがあると知って「札幌芸術の森美術館」に駆け付けた。会期末(1月15日)が近づいているからだろうか?次から次へと観覧客が押し寄せてくる状況だった。

   

   ※ 札幌芸術の森美術館のエントランスです。入口横には野田作品の「カワセミ」が展示されています。

 私は午後1時過ぎに美術館についたので、ギャラリーツアーの前に展示をざっと一回りして見た。その際に、野田作品を解説する動画も映写されていたのでそれを視聴してギャラリーツアーに備えた。

 午後2時、芸術の森美術館の学芸員・橋本柚香氏によるギャラ―リーツアーが始まった。橋本氏は野田氏がおおよそ10年毎にその作風に変化してきた順に6章に分けて展示されているのに従って解説を進めてくれた。

   

   ※ ギャラリーツアーのスタートの様子です。参加者は意外に少なかったですね。

 第1章は、「黎明」と題され、野田氏の高校~大学~イラストレーターとして活動していた時代の作品である。しかし、この時代は「白い風景」に代表されるように抽象画の作品も目立っていたが、さまざまな画法を試した時代でもあったようだ。したがって、彼の絵が信号のように変わることから “シグナルアート” とも呼ばれていたという。大学を卒業しイラストレーターとして依頼される仕事をこなす中で、写実的な画法も試みていて「パーゴルフ」という雑誌の表紙の絵などは当時のプロゴルファーがかなり写実的な描かれている。

 第2章は、「写実の起点と静物画」と題され、学芸員の橋本氏によると「黒の時代」とも称されたという。この時期にはすでに野田氏の代表的な作品が数多く顔を出している。「ヤマセミ」、「石榴」、「黒い風景 其の参」など背景を黒く塗りつぶしているのが特徴である。

         

        ※ 黒い背景の「黒い背景 其の参」です。

 第3章は、「挿絵芸術」と題して、朝日新聞に連載された小説「湿原」の挿絵が実に154点も展示されていた。それらは縦横10cm内外の小さな鉛筆画の作品だったが、実に繊細に描かれていた。ちなみに小説「湿原」は加賀乙彦によって1983~1985年まで1年半にわたって朝日新聞に連載された小説であるということだ。

        

        ※ 挿絵の一つ、眼を描いた鉛筆画です。

 第4章は、「風景を描く」と題して、「摩周湖・霧」とか野付半島の「トドワラ」など北海道に題材をとった風景画を描きながら、そこに彼の後年のテーマとなる「生と死」を絵の中に表現している。

        

        ※ 風景画「トドワラ」です。緑が生、枯れた松が死を意味しているとのこと。

 第5章は、「生と死を描く」と題して、とくに「TOKIJIKU(非時)」と題する動物などの骨を題材として描く作品が多くなっている。動物の骨を題材としたのは、生き物が生きた証として骨に着目したそうだ。

         

         ※ この章ではこうした動物の骨がたくさん展示されていました。

 最後の第6章は、「存在の崇高を描く」と題して、「裸婦」や「抽象画」を数多く手がけている。「まるで写真のような絵」と称される野田弘志の絵であるが、彼は対象をただ写実的に描くだけではなく、「内面をも描きたい」との思いをもっていつも制作してきたという。

           

      ※ イスラエルのヴァイオリニストの肖像画を描いた「崇高なるもの」op.7です。

 ギャラリートークの前に観た動画でも、「野田の絵は写真のように素晴らしい」という評に対して内心忸怩たる思いがあったようである。ヨーロッパにおいてはミケランジェロをはじめとして写実主義は美術の王道と評されるのに対して、日本では必ずしもそう評価されず抽象的な絵画が尊ばれる風潮に対して野田氏なりの思いがあるように私は受け取った。

 ギャラリートークは野田弘志が時代と共に変容する姿を作品と共に辿るものだった。

 最後に学芸員氏は野田の言葉として「生あるものは死すべき運命にある」という言葉を紹介して終わった。

   

  ※ 美術館のエントランスを入ったところに写真のようなポスターが掲示されていました。

 冒頭にも触れたが、野田弘志の作品が非常に繊細な写実的な絵であることが、多くのファンを呼び込む要素となっていることは間違いではないと思われる。しかし、今回ギャラリートークで学芸員氏の話を伺い、動画で彼の思いを拝聴し、野田氏の作品の背景には深い思索とそこから発する精神性が潜んでいることを少なからず理解できたような気がした「野田弘志-真理のリアリズム」展だった。

※ 掲載した野田氏の作品は全てウェブ上から拝借したものであることをお断りしておきます。


北海道報道写真展を見る

2022-12-22 13:26:00 | 作品展・展覧会等

 やはり今年の北海道の話題の第一はKAZU (カズワン)に占められるのだろうなぁ…。そういえば北京冬季五輪の北海道勢の活躍もあったけど遠い思い出になるなぁ…。などと思いながら報道写真展に見入っていた私だった。

          

   ※ グランプリを獲得した「暗闇の中、船体引き揚げ」という作品です。

 12月18日(日)、「吉本隆明展」を観覧した帰路、札幌駅前地下歩行空間(チ・カ・ホ)に立ち寄って、開催中の北海道写真記者協会主催の「北海道報道写真展」を覗いた。

 新聞記事によると昨年11月から今年10月までに新聞等に掲載された写真のうちから357点の応募があり、その中から70点が展示されているとのことだった。報道写真という親しみやすさも手伝い、チカホを往く人たちが数多く立ち寄って観賞していた。

 展示されていた70点の写真の中で目立ったのが、やはり知床観光船KAZU 1の沈没事故に関する写真だった。今年の北海道内での最大の暗い事故といえば、やはりこのことだろう。人の命を預かる事業者としての杜撰さ、多くの命が一瞬にして奪われてしまったという衝撃の大きさからいっても、記憶に残る大きな出来事だった。

   

  ※ こちらは海上に姿を現したKAZU 1を撮ったものです。この他にも関連写真が数点ありました。

 そして次に目立ったのが北京冬季五輪における北海道勢の活躍を伝える写真だった。私も連日連夜TVの前で声援を送っていたが、それが遠い昔のように思えた。そうした思いがあるからだろうか?私にとっては、もう過去のことという思いもあり、写真に見入る気持ちは薄れていた。

 私の目に留まったのは、入賞した写真ではなかったがプロ野球のプレーの一瞬の瞬間を切り取った「マトリックス伊藤」と題する写真だった。マトリックスとは映画「マトリックス」から着想を得たと思えるのだが、現実とは思えない日ハム・伊藤投手のグラブさばきを指しているものと思われる。

    

 また、「網絡まったエゾシカ」という写真も目に留まった。増えすぎたエゾシカ、そして人間が捨てたゴミが野山や海浜に散乱する現実を象徴する写真の一枚のように思えた。

          

 そして最後に報道写真というよりは、一枚の写真として素晴らしい一枚と思えたのが「ぽっかりと中秋の名月」という写真だった。私にはファンタジックな一枚の絵のように思えた写真だった。

     

 私がカメラに収めたのは70点のうちわずか6枚である。まだまだ素晴らしい写真がたくさんあった。報道写真は芸術的な写真と違って分かりやすさが一つの特徴だと思われる。さて、来年の写真展ではどのような写真が展示されるであろうか?願わくば、明るい道民の話題がたくさん展示されてほしいと思うのだが…。

         

   ※ 「神秘的に輝くレナード彗星」と題する写真も報道というよりは芸術的写真です。