田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も10年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

コンサドーレ 最終戦

2009-11-30 19:25:22 | ボランティア
  昨日(11月29日)コンサドーレの2009シーズンのホーム最終戦の対横浜FC戦が札幌ドームでありました。今シーズン5度目のCVS(ボランティア)の任務に就きながら、いろいろな思いに駆られた最終戦となりました。 

 当日の私はいつものゲートでの券種チェックの他に、選手のサイン会の整理係の担当となりました。
 サイン会には上里、石井の両選手が出てきました。ゲーム前のファンサービスをする選手は、ケガや累積警告などで当日ベンチ入りできない選手が担当します。
 上里選手は累積警告で出場停止のため、しかし石井選手は調子が上がらないためにベンチ入りできなかったようです。特に石井選手は前日に戦力外通告を受け、退団が決定している選手でした。
 サインの間に上里選手と話していましたが、気丈に振る舞いつつもやはり寂しさは隠せないようでした。まだまだ若い石井選手はどこかのチームに移籍して活躍してほしいものです。
        
        ※ サイン会でサポーターにサインをする石井選手です。        

        
        ※ サイン会の横では箕輪選手とチョー・ソンファン選手と一
         緒の撮影会が行われていました。

 ゲートチェックはSA席の担当でした。
 これが大忙しでした。SA席はほぼ満員状態で、その方々が激しく出入りするので目を凝らしながらのチェックは大変でした。聞くところによると、当日の入場者は21,000余人とか・・・。今シーズン最高の入場者数でした。しかし、これにはからくりもあったようです。というのは、見慣れぬチケットでの入場者がとても多いのです。聞いてみると優待チケットというものでした。どのような優待なのか私には判りかねますが、まあ普段スタジアムに足を運ばないような人が大勢詰めかけてくれたのだと思います。
        
         ※ 21,000人余名を飲み込んだスタジアムです。
         
 この日のゲームは最終戦であると同時に、ミスターコンサドーレと称された曽田選手の引退試合でもありました。
 札幌出身で、札幌一筋に9年間の選手生活を送った曽田選手も最後は怪我に悩まされ引退を余儀なくされたようです。
 ちょうどゲートチェックの任務も終了し、私たちもゲームを観戦することができた最終盤になって曽田選手が交代でピッチに入りました。石崎監督が粋な計らいをしたのです。すると幸運なことに曽田選手が相手選手に倒されPKを獲得しました。それを曽田選手自らが蹴ってゲームを決定づける3点目を入れました。
 試合は3対1で勝利し、21,000余の観客も大満足だったことでしょう。

 試合後、曽田選手の引退セレモニーが行われ、曽田選手が「変わらない美しさ、変わる寂しさ…」というフレーズを用いた詩的な引退の弁を述べたのが印象的でした。
 その後、全選手による場内一周のサンクスウォークが感動的だったようですが、私はCVSの任務に還ったためにその様子を見ることはできませんでした。
        
        ※ U12からトップまで、オールコンサドーレの選手が一堂に会しました。

 こうして今年最後のCVSの任務を終えたのですが、この日は9時15分集合に間に合わせるため、自宅を出たのが8時30分前、帰宅したのが午後6時少し前と、拘束時間が実に9時間30分にもなりました。
 同じ志を持つ人たちと一緒にゲーム運営のお手伝いをすることはとてもやりがいのあることですが、体力的にはかなりきついのも事実です。
 さて、来年はどうしようかな・・・、と考えています・・・。
        
        ※ 朝9時15分にはボランティアのみなさんが全員集合していました。
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真駒内選抜スピード

2009-11-29 22:45:06 | スポーツ & スポーツ観戦
 スピードスケートの競技会を観戦したのは何年ぶりだろうか?あまりにも寂しい競技会の様子に選手が気の毒に思いました…。
 
 それはあまりにも寂しい競技会でした。
 オリンピック出場を狙う一線級が海外転戦中とはいえ、それに続く国内の優秀の選手が集まった大会なのに観戦する人は少なく、それもほとんどが関係者のようでした。
 私のように選手たちにまったく関係のない観客ははたしてどれほどいたのだろうか?
        
        ※ スタンドにはほとんど人がいません。実際にはコース横で
         観戦している人がほとんどです。
 
 シーズン初めの競技会として新聞などではけっこう大きく取り扱われる(北海道新聞社主催だから?)「真駒内選抜スピード競技会」なのですが、真駒内セイスイハイムスタジアム(場所はこちら)の現場は寂しいかぎりでした。
 競技場外のかなり遠くまでも届くアナウンスの大音量がなぜかとてもむなしく響きます。
 競技の特質と云ってしまえばそれまでですが、ひたすら時計との戦いであるスピードスケートには見るものにアピールする要素が少ないということなのでしょう。しかも見るものには寒さという大敵もあります。
        
         ※ 競技をしていない選手は、他の選手の滑りにあまり関
          心がないかのようです。

 しかし、そうしたマイナーゆえの旨味(?)もありました。表彰式が私たち観客にも間近で見られたことです。また、あのカルガリーオリンピックの銅メダリスト黒岩彰氏が富士急行の監督として来ていたのですが、私の直ぐ横で談笑しているところに遭遇することもできました。
        
         ※ 男子1,500mの表彰式です。直ぐ横で撮ることができました。

 ところで会場の真駒内セキスイハイムスタジアムには1972年に行われた札幌オリンピックの優勝タイムが掲示されていました。
 私は主に1,500mを観戦したのですが、札幌オリンピックの優勝タイムはオランダのシェンク選手の2分02秒96です。当日優勝した土井選手の記録は1分54秒95というタイムでした。(ちなみに現在の世界記録は1分42秒01だそうです)
 37年前のオリンピックの優勝タイムははるか遠くに追いやられた感じです。それだけ技術や用具などが進歩したということなのでしょうね。
        
        ※ 札幌オリンピックの1,500mの記録が掲示されていました。

 長野オリンピックが開かれた際、当時の長野市長が「見ていて面白くない。ミズスマシのようだ」と発言し物議を醸しましたが、確かに一般の人にとっては地味な競技かもしれません。しかし、鍛えられた筋肉と技を駆使したスケーティングは美しくさえ見えます。もっと多くの人が競技場に足を運び声援してあげたいなぁ、と思いました。
        
        ※ 会場内には唯一「富士急行」の女子選手の激励幕が
         飾られていました。
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市民カレッジ 「北の大地の羅針盤になった先達」② 札幌の女傑

2009-11-28 15:10:35 | 札幌学 & ほっかいどう学
  明治の札幌では新聞社が投票によって札幌の女傑ランキングを発表していたそうです。そこから浮かび上がってきた札幌の女傑とは? 

 市民カレッジの講座そのものは3回目なのですが、私は先週欠席したために、私にとって11月24日は2回目ということでカウントすることにします。

 今回の講座は、「札幌の女傑とその時代」と題して、千歳市史編纂主任編集員の西田秀子氏による講義でした。

 明治31年、後発の新聞社であった「北海日日新聞」は販路拡大の話題づくりもあって「札幌三女傑」なる投票を募ったようです。その結果、第一位~秋野保全堂の母堂、第二位~小竹とめ、第三位~サ印越後屋の妻女と決定したようです。
 講座では、そのうち第一位の秋野保全堂の母堂と、第二位の小竹とめを取り上げながらその時代背景に迫りました。

 第一位になった秋野保全堂の母堂キトは、最初渡辺佐五右衛門と結婚し夫婦力を合わせて明治5年、薬種売薬店を開いたが夫に先立たれ、秋野武三郎と再婚して「一の秋野薬舗」として手広く商売を展開したようです。秋野キトの女傑たる所以は、先夫と開業した薬店を再婚してからも引き継いで商売を繁栄させたという点です。つまり商売の主導権はキトが握っていたのではないかと私は推測するのです。
 なお、明治34年に建てられたという「秋野総本店薬局」は今も南1条西1丁目に明治の香りを放ちながら商売も続けられていることは札幌っ子ならよくご存知のことです。

 第二位となった小竹トメは、秋田大館の生まれで29歳の時に兄の高橋紋三衛門を頼って来道し、煎餅屋をしていた小竹和七を助けているうちに夫婦となったようです。明治8年、小竹商店として開業し、米穀・雑貨・荒物・青物など生活物資を何でも取り扱い、使用人を10人も数えるほど繁盛させました。その中で小竹トメの働きぶりはつとに有名だったようです。
 小竹トメの場合も夫に先立たれているが、夫亡き後も店を切り盛りし店は一層の隆盛を誇ったようです。明治30年には帯広伏古に農地81万坪の払い下げを受け農事経営にも乗り出したとのことです。

 明治期に女傑と言われた人たちは上記の二人をはじめ多くは商家の人たちです。
 当時はまだ職業婦人が登場する以前のことで、社会的には男性規範の時代でした。
 そのような中で女性が力を発揮できるのは、個人的経営の商家の場合には夫を陰から支えていたつもりが、いつの間にか二人三脚となり、そのうちにそうした妻女が商売には欠かせぬ存在となっていったということではないでしょうか。(私の推測もかなり入っていますが)

 マスコミが意識的(?)に創り出したとはいえ、封建的風潮が色濃い明治の時代に男勝りの女性が札幌(北海道)の地で活躍していたということは、いかにも新天地北海道という感じがしないでもありません。
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ニッセイビル商業棟 拝見

2009-11-27 20:38:07 | 札幌(圏)探訪
  広~い空間にゆったりと配置された各ショップ・・・、札幌に新時代の到来を告げるような商業施設がオープンしました。
 
 マスコミが11月20日にニッセイビルの商業棟がオープンしたことを告げていました。
 ニッセイビルのオフィス棟は2006年に先行オープンし、道庁前に23階建ての偉容を誇っていましたが、そこへオフィス棟と接する形で駅前通りに面して4階建ての商業棟がオープンししました。(場所はこちら
 ノーチェックだった私ですが、かなり注目を浴びているようでしたので休日に街に出た際に寄ってみることにしました。

 エントランスを入ってまず度肝を抜かれます。
 地下1階から4階まで中央部分をかなり広くとったうえに、ど~んと吹き抜けになっています。そこには空間を彩るように「HELLO!」の文字を配した素敵な配色の垂れ幕(あのようなものを何ていうのですか?)が下がっています。
            

その横にはクリスマスツリーを模したオブジェ(?)がそそり立っています。
            

 ショップはというと、中央の吹き抜け部分を巡る通路の奥の壁際に位置しているという感じです。
 1階にはインテリアの「in ZONE(インゾーネ)」、チョコレートの「GOVIVA(ゴディバ)」、イタリアンの「sister BEAT DUO(シスタービートデュオ)」、日本料理の「をとわ」などが入っています。
 2階にはインテリアの「ILLMS(イルムス)」と「STATION999」が同居する形で入っています。
 そして4階には「島村楽器」が入っているというぐあいです。
        
        ※ 2階部分の回廊です。その奥に各ショップが配されています。     

 地上の各ショップが高級感を打ち出しているのに対して、地階に展開する飲食店フロアにはジンギスカン・とんかつ・そば&うどん・和食・定食・ラーメン・カフェ、さらには立ち飲み屋さんまでありますが、いずれも札幌の他の飲食街と大きな違いはなく、こちらは将来札幌駅からの地下道が繋がれたときに集客しやすい店が並んだものとみられます。
        
        ※ 地下の飲食店が並ぶフロアです。ゆったりした通路が印象的です。

 そうした意味ではちょっとちぐはぐ感はあるものの、ビルの外観のシャープさ、そして内部のゆったりした空間は札幌市民にも大きなインパクトを与えるものといって間違いありません。
            
    ※ 写真奥の高い建物がオフィス棟、手前が商業棟のエントランスです。
 
 一つ気になるものが目に入りました。
 オフィス棟のエレベーターホールに印象的な赤いソファが横たわっていました。
 調べてみると、案の定、イタリアの高級家具メーカーCassina社のソファということが分かりました。こうしたこだわりが随所に観られる「ニッセイ札幌ビル」は一見の価値ありと云えそうです。
        
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北海道と温暖化 ~「ほっかいどう学」レポート №4~

2009-11-26 16:36:12 | 札幌学 & ほっかいどう学
  道東のサロマ湖においても地球温暖化の影響が顕著に表れているようです。サロマ湖の変化というローカルな問題が、地球全体の変化も予感させるグローバルな問題であることを分かり易く指摘してくれる講座でした。 

 道民カレッジ「大学放送講座」は、すでに最終回(8回)まで進んでいます。
 私のレポート作成は遅れ気味ですが、本日第5回までレポートを事務局に提出してきました。
 提出はしたのですが、内容を特に検めることもなく検印を押して直ぐに返されました。ちょっと拍子抜けです。まあ、内容は問わないということなのでしょう…。
 う~ん。でも私はこうしてブログに投稿することによって、みなさんに評価してもらうことにしましょう…。

 それでは第4回目のレポートをご覧ください。
 なお、該当の放送内容はこちら()です。

 「北海道と温暖化~サロマ湖の水質への影響~」 感想レポート
 地球の温暖化が地球の生態系に大きな影響を与えている報告がよく聞こえてくる昨今です。
 今回の講座は私たちのごく身近なサロマ湖に起こっている変化を具体的に論証した貴重な報告です。それは東京農大の塩本教授も述べているように、ローカルな話題でありながらグローバルな問題提起でもあると思います。
 サロマ湖の冬の全面結氷の期間が短くなり、氷自体の厚さも薄くなっているという報告は、明らかに地球が温暖化の傾向を示している証ではないでしょうか。
 そしてそのことがサロマ湖の生態系にも影響を与え、水質の変化にも繋がると塩本教授は指摘します。そのメカニズムについて私たちにも分かり易く説明していただきました。
 ホタテガイの養殖をはじめ、豊かな漁業資源に恵まれたサロマ湖の水質変化は湖で生活する漁業者に大きな影響を与えます。
 それはサロマ湖のことというローカルな問題ではなく、地球全体にも及ぶグローバルな問題の指摘でもあります。
 地球温暖化阻止はこうした事象を見ていくと、「まったなし」の問題のようにも思えてくるのですが、未だ危機感の希薄な層もあり世界中の共通認識となっていないところが気になるところです。
 
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新しいウォーキング? ~「ほっかいどう学」レポート №3

2009-11-25 22:10:49 | 札幌学 & ほっかいどう学
  北海道らしい新しいウォーキングの提案でしたが、ウォーキングに多少の興味のある私としては素直に賛成しかねる提案と映りました。
 
 その後も道民カレッジ「ほっかいどう学」~放送講座~に地道に取り組んでいます。
 今回は「北海道らしい健康運動~新しいウォーキングを考える~」と題して、北海道大学の川初教授の講座でした。
 講座は北海道らしい新しいウォーキングのあり方についての提案でしたが、普段からウォーキングに取り組んでいる私としては素直には賛成できる内容でなかったように思ったのですが…。
 私のレポートをお読みください。
 放送内容を知りたい方はこちら()をクリックください。

 「北海道らしい健康運動~新しいウォーキングを考える~」 感想レポート

 今回の講座では「北海道らしいウォーキング」として二つの歩き方が提案されました。
 一つは、「ノルディックウォーキング」、二つ目に「ふともも歩き(ヒップ・ストライド)」の提案でした。二つともなかなか興味のある提案でした。
 しかし、ウォーキングには少なからず関心のある私としては正直に告白すると提案された二つの歩き方に素直に賛同はできかねました。
 なるほど放送ではその効用について詳しい解説がありましたが、二つの歩き方が相当に意識を高くもって取り組まねば長続きしないように映った点です。特に「ふともも歩き」については確かに負荷がかかり脚筋力を強くできるかもしれませんが、見た目にも不自然ですし、とても長続きするウォーキングの方法とは思えません。
 有酸素運動として長く続けるためには、ごく自然に行い、単純な目標設定で続けることが、その目的に近づけるのではないかと私は常々思っています。
 したがって私は現在、歩数計を購入し、「一日一万歩」という単純な目標を設定して自らの健康づくりの一助としています。

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渡辺陽子アナ

2009-11-24 17:06:49 | 講演・講義・フォーラム等
  HBCテレビ「HANA*テレビ」のメインキャスター渡辺陽子さんの講演があり、飾らない人柄と明るい笑顔に癒されました。
 
 北海道内のテレビも各局それぞれ魅力的な女性アナウンサーを揃えています。
 テレビウォッチャーでもない私がその中で「誰が一番」などと言うつもりは毛頭ありませんが、HBCテレビの渡辺陽子アナウンサーは気になる存在でした。
 それは彼女の天性の明るさと、自分を飾ることなくごく自然に振る舞っているようで、どこか華があるように感じられるからです。
        

 11月21日、WEST19において「さっぽろこころの健康まつり」が開催され、その一コマとして「HBC渡辺陽子アナの元気の秘訣」と題する彼女の講演があったのです。
 話が少しそれますが、「WEST19」(場所はこちら)とは、「夜間急病センター」、「札幌市保健所」、「精神保健福祉センター」、「地域生活支援センター」などが同居する複合施設だそうです。場所が大通西19丁目にあることからWEST19と名付けられたようですが、他にもWESTの一字一字に意味を持たせているようです。

 さて渡辺アナです。
 冒頭、彼女は「短大卒でHBCに入社し今年21年目になりますから、41歳になりました」と自己紹介したのですが、すかさず会場から「若い~!」と声がかかりました。すると彼女は「えっ?もっと言って!」「もっと大きな声で言って!」と気さくに会場内に話しかけるのです。
 一事が万事、彼女は飾ることなく自分の生活を語り始めました。
 28歳で結婚し、一男一女を設け、育児や主婦の生活をしながらも、「自分はそれほどストレスを感じてはいない」と語ります。
 それは彼女がその時、その時の状況を素直に受け容れ、前向きに生きているからだということが一つ一つ語るエピソードの中から伝わってきました。
 そして「私はほんとになぁ~んにも考えないで生きているんだなぁ、って思うんです」と語るところが、彼女の天性の明るさであり、飾らない人柄が滲み出ている言葉だと思うのです。
        

 渡辺アナが出演する「HANA*テレビ」は彼女がメインキャスターを務め、彼女のキャラクターを前面に押し出した番組だと思います。ですから彼女にかかるHBCの期待は大きく、ストレスもずいぶん感じているはずなのに、それを微塵も感じさせません。
 そして元気の源は「家族も、健康もあるが、何より仕事が元気の源です。テレビのスタジオがストレス発散の場であり、パワーをもらう源」だと言い切ります。
        

 家庭も子どもも大切にしながら、なおかつテレビの世界で輝き続ける渡辺陽子アナウンサーにこれからも注目していきたいと思います。(と言いながら「HANA*テレビ」の放送時間帯が変わってしまい、なかなか見ることができなくなりましたが…)
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ザ・北海道ベンチャーズ チャリコン

2009-11-23 17:30:34 | ステージ & エンターテイメント
※いささか時間が経過してしまった話題なのですが、私が体調を崩す直接の契機となったコンサートです。体調が回復した今、ようやくにしてレポートしようかという気分になりました。
 
 「十番街の殺人」、「ウォーク・ドント・ラン」、「ダイヤモンドヘッド」、「キャラバン」・・・、懐かしのベンチャーズナンバーを20数曲、ご存知のテケテケサウンドをたっぷりと楽しませてもらいました!
 
 本家ベンチャーズからお墨付きをもらったという「ザ・北海道ベンチャーズ」のチャリティーコンサートに知人と二人で足を運びました。(「北海道交通遺児の会」チャリティーコンサートということで私も多少協力させてもらいました)
 場所は札幌大学のプレアホール。(場所はこちら
 なぜ札幌大学かというと、なんとメンバの一人であるドラムスの御手洗氏が札幌大学の文学部教授という関係からのようでした。
 本家が還暦を遠くに過ぎているように、北海道版ベンチャーズも一人を除いては50代後半から60代の方々とかなりのベテランとお見受けしました。駆けつけた聴衆も私同様かなりの人生のベテランが多いようでした。
        
        ※ 開演前のステージの様子です。前面の壁にあるように 
         本家ボブ・ボーグルの追悼も兼ねたコンサートでした。

 年齢が多少高くなっていてもインストゥルメンタルの場合はそれほど体力を必要としないせいでしょうか、テクニックさえ備わっていれば、十分に聴かせることができということなのでしょう。(ご本家がいつまでも日本公演が可能なのもインストゥルメンタルだからでしょう)
 ザ・北海道ベンチャーズも息もつかせぬくらいの勢いで次々とベンチャーズサウンドを響かせました。
 ◇夜空の星
 ◇テルスター 
 ◇ドライビングギター 
 ◇心のときめき 
 ◇アパッチ 
 ◇さすらいのギター 
 ◇いとしのエリー 
 ◇十番街の殺人 
 ◇ウォーク・ドント・ラン 
 ◇ワイプアウト
ここまでちょっとしたMCを挟みながら一気に走り終えました。これだけ演奏しても動きの激しいドラムスの御手洗氏が汗をかいているくらいで、他のメンバーは汗一つかいていないような感じでした。
        
        ※ 演奏中のザ・北海道ベンチャーズの4人組です。

 一休み入れて、さらにさらにベンチャーズサウンドは続きます。
 ◇ダイヤモンドヘッド
 ◇クルーエルシー
 ◇ストップアクション
 ◇二人の銀座
 ◇京都の恋
 ◇雨の御堂筋
 ◇京都慕情
 ◇朝日のあたる家
 ◇イエロージャズ
 ◇若いってすばらしい
 ◇ダイヤモンドヘッド
 ◇パイプライン
 ◇キャラバン
        
        ※ 熱演中の札幌大御手洗教授です。一見どこにでもいる
         ようなおっさん(失礼!)的な外観とのミスマッチ(?)が
         良かったですよ!

 いやいやいや~、サービス満点、ベンチャーズサウンドてんこ盛りといった内容でした。
 これだけの曲のほとんどをカバーしたリードギターの進藤氏の実力には脱帽です。まったくのノー譜面で弾ききりました。多少のミスも抜群のテクニックで逃げ切るあたりもベテランならではの技です。
 私たちはプレアホールいっぱいに響き渡ったベンチャーズサウンドに酔いしれながら会場を後にしたのでした。

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日ハム優勝パレード ボランティア

2009-11-22 18:52:46 | ボランティア
 スポーツボランティアづいている今年の私ですが、今日行われた日本ハムの優勝パレードのボランティアにも参加しました。しかし…。
         
        ※ 朝8時30分、道庁赤レンガ庁舎裏の広場に集まった
         ボランティアの人たちです。          

 選手の姿が遠かったぁ~。
 私が割り当てられたところは、スタート場所の大通公園西6丁目だったのですが、パレードが行われる道路脇ではなく、コースからはるか離れたところの規制フェンスを守る役目でした。(ガックリ…)しかし、私だけではありません。同じようについていないボランティアの人が私の横に並んでいました。
 パレードを成功させるためには、私が割り当たったような裏方のさらに裏方もいなくちゃ成り立たないのだろうと考え素直に指示に従うことにしました。
        
        ※ ボランティアに配布されたスタッフジャンパーです。背中
         には「CHAMPIONS PARADE in SAPPORO」と書かれてあります。

 パレードコースから離れていましたから、観客も集まるはずはなく任務として苦労することはほとんどなく、時折通りすがりの観客から聞かれる質問に答えるくらいのことでした。
 そこで時折持ち場を離れて少し近づき写真を撮ることができました。
        
        ※ 駅前通りには重なるように掲示されていた横断幕です。

 ということで、私はパレードの熱気からはるか離れたところからパレードを見送ったのでした。
 その後、紙吹雪の清掃、フェンスの後片付けなどを手伝い、正午近くに解散となりました。
        
        ※ パレードが始まる直前になってようやく顔を出した主力選
         手が乗るオープンバスをようやく撮ることができました。
         しかし遠くて誰が誰だか分かりませんねぇ~。

 帰宅してから録画したパレードの様子を見てみると、青いスタッフジャンパーを着たボランティアの方々が活躍している姿が眼に留まりました。
 報道によるとパレードへの人出はおよそ11万人だったとか。
 こうしたビッグイベントに裏方として関われたというある種の満足感と、大観衆の一員としてイベントを楽しみたかったなぁ、という思いが交錯した複雑な思いでした。

 と同時に、朝8時30分から正午まで立ち尽くすようなボランティアでも体調に特に変化を感じなかったことは、私自身の体調が完全回復したと受け取ってもいいのでは、という思いにさせてくれた一日でもありました。
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森繁久彌さん

2009-11-21 17:35:38 | ステージ & エンターテイメント
 俳優界の大御所とも称された森繁久彌さんが11月10日に逝去されました。
 96歳での大往生ということです。
 テレビでは森繁さんの追悼番組が何本も放送されていました。
 その一つを見ながら、私は遠い日のことを思い出していました。

 物持ちの良くない私が「あるかなぁ・・・」と大して期待もしないで本棚を探してみたところ、出てきたのです!!! 表紙には「Fiddler on the Roof」とあり、下段に「IMPERIAL THEATRE」と金箔(?)で刻字されたガイドブックが!!!
        

 1982年(昭和57)年10月、私は東京上野の森にある研修施設で1ヶ月間の研修に入っていました。
 本来の研修である昼間の研修もしっかり務めていましたが、それと同時にこの機会に少しでも東京を知りたいと情報誌「ぴあ」を片手に東京のさまざまなところに出没し、さまざまな催しを訪ね歩いていました。
 その「ぴあ」の中に帝国劇場で森繁久彌主演の「屋根の上のヴァイオリン弾き」が公演中であることが載っていました。そして、「公演日に若干の当日券の販売がある」という記述を見つけました。
 当日の朝、帝国劇場のチケット売場に行きチケットを入手しました。その席は階段席といわれるいわゆる通路です。つまり会場の最後尾の階段に腰を下ろして観る席だったのです。

 私はステージから最も遠い階段席で森繁さんの代表作「屋根の上のヴァイオリン弾き」を観劇しました。
 今から25年も前のことですから、舞台の記憶はほとんど残ってはおりません。
 おぼろげながら記憶に留めていることは、森繁久彌さんの力みのない自然体の演技と、フィナーレで出演者全員で歌う「サンライズ・サンセット」の響きが微かな記憶となっています。
        

 森繁久彌さん主演の「屋根の上のヴァイオリン弾き」の舞台は1967~1986年まで合計900回も演じられたと聞きます。
 そうすると、私が観たのは何回目だったのだろうか・・・。計算するとその時、森繁さんはすでに69歳だったということになります。
 森繁さんのご冥福を祈りたいと思います。(合掌)
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