田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

映画 夕陽のガンマン、続・夕陽のガンマン №325

2021-09-30 18:06:17 | 映画観賞・感想

 マカロニウェスタンの巨匠セルジオ・レオーネが「荒野の用心棒」に続いて放った俗にいう「ドル箱三部作」の二作目、三作目である。この三作によってセルジオ・レオーネ監督は巨匠の階段を登り始め、三部作の主演を務めたクリント・イーストウッドは大俳優への手がかりを掴んだのだった。

 映画は「夕陽のガンマン」が1965(昭和40)年、「続・夕陽のガンマン」が翌年1966(昭和41)年にイタリアで制作されたものである。(イタリアで制作された西部劇だったことから、俗に「マカロニウェスタン」と称されるようになった)

 私は両作をBSプレミアムで9月3日、9月10日にそれぞれ放送されたものを録画しておいたものを先日二夜にわたって連続視聴した。

 「夕陽のガンマン」、「続・夕陽のガンマン」が制作・公開されたころは、私の大学時代である。どの作品だったか正確な記憶はないのだが、深夜映画であの乾いた大地を馬に乗って去っていく主人公の姿が印象的なマカロニウェスタンの映画を観たことを懐かしく思い出している。

 さて今回は映画のストーリーを追うのではなく、この二つの映画のエトセトラについて記してみたい。

          

 まず私が気になったのは「夕陽のガンマン」、「続・夕陽のガンマン」という邦題についてである。「夕陽のガンマン」のほうの英語題は「For a Few Dallars More」(もう数ドルのために)である。それが何故「夕陽のガンマン」などという邦題が付けられたのか調べてみたが分からなかった。おそらくは映画評論家(淀川長治さん?)とか、映画輸入会社の宣伝部員あたりが名付けたのかな?と思われるが、いかにも日本人好み(日本人が興味を抱きそうな)のネーミングである。

          

 「続・夕陽のガンマン」も前作「夕陽のガンマン」の続編では決してない。英語題も「The Good, the Bad, the Ugly」(善玉、悪玉、卑劣漢)である。設定も、ストーリーもまったく前作とは関係がないのに「続」とネーミングされた。共通項は監督のセルジオ・レオーネ、主人公のクリント・イーストウッド、音楽のエンニオ・モリコーネなどが前作と同じということから、前作が大ヒットしたことで敢えて「続」とすることで二匹目のドジョウを狙ったように思える。

 続いて「マカロニウェスタン」についてである。それまでアメリカで制作されていた西部劇は、アメリカの西部開拓を肯定し、開拓に抵抗するインディアンを悪に仕立て上げた勧善懲悪ものが主流でどこかに飽き足らなさを感じていた層が、ニヒルで暴力的な主人公が登場し、周りの人物もアウトローという、アメリカの西部劇とは一線も、二線も画した映画であったことが世の映画ファン(特にイタリアやヨーロッパにおいて)に受け入れられたのである。

          

 その中心人物が「荒野の用心棒」を含めた三部作を制作したセルジオ・レオーネ監督である。彼はこの後、ハリウッドに進出しさらなる話題作「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」でさらなる名声を博するが、惜しいかな短命に終わっている。

 そして三部作に主演したクリント・イーストウッドである。今や押しも押されぬ大俳優であり、名監督の名もほしいままにしているアメリカ映画界の大立者である。彼は当時34~36歳くらいで、まだそれほど名の知られた存在ではなかった。レオーネ監督に見いだされ、独特の風貌とニヒルな表情が “賞金稼ぎ” というイメージとも合い映画ヒットの要因となった。しかし、このマカロニウェスタンはアメリカではなかなか上映されなかったことから、アメリカにおける名声を得ることはまだ出来なかったようだ。しかし、これを足掛かりにハリウッドに進出し、「ダーティーハリー」というはまり役を得て、一大スターにのし上がったのだった。

    

 さらにこの三部作で欠かせないのはエンニオ・モリコーネの音楽である。あの効果的な口笛に乗せたメロディーがいつまでも耳に残った。特に第二作の「夕陽のガンマン」の音楽は最高である!

 ストーリーについては触れなかったが、二作ともいわゆるエンターテイメントとしての映画の出来は素晴らしい!の一語で、最後まで飽きることなく見入ることができた映画だった。

※ 掲載した写真はもちろんウェブ上から拝借した写真である。


札幌景観資産  旧星野邸(指定第12号)

2021-09-29 16:39:39 | 札幌景観資産巡り

 札幌には「札幌景観資産」に指定された物件が30件あるそうだが、うち3件が欠番となり、さらに1件が完全非公開となっている。その完全非公開なのが旧星野邸である。旧星野邸は所有者が代わって住宅として使用していることもあり非公開となったようである。

   

※ ウェブ上にあった旧星野邸の住宅前面です。

 妻が「桑園地区に面白い住宅がある」と言って、本日札幌駅近辺に所用で出かけた際に我が家から徒歩で向かったのだが、その途中で札幌景観資産に指定されている「旧星野邸」の外観を見せていただいた。

 そもそも「札幌景観資産」とは何ぞや?と思い調べてみた。すると札幌市のHPに次のように出ていた。

「景観形成上重要な価値があると認められる建築物や工作物、樹木、その他のものについて、所有者の同意を得たうえで、「札幌景観資産」として指定し、地域の良好な景観の形成を推進しています。」

とあった。そして指定されている物件30件が紹介されていたが、うち先述したように3件が指定後に辞退等で3件が欠番となり、1件が完全非公開、さらには「札幌市資料館」が国の重要文化財に指定されリストから外れていることが分かった。その完全非公開となっているのがこの「旧星野邸」である。

 そもそもこの一帯は北海道大学からも近く、現北海道大学がまだ北海道帝国大学と称していた時代には大学教授たちが競って洋風建築を建築していて、その頃は十数軒も建っていたそうだ。そうしたことで一帯は桑園「博士町」とか、「大学村」と付近住民からは呼ばれていたようだ。

 旧星野邸もその一つで、北海道帝国大学の名誉教授の星野雄三氏(専門は園芸学とのこと)が昭和7(1932)年に亜鉛鉄板葺木像2階建ての住宅を建てたそうだ。それを現所有者が買い取り平成23(2011)年に住宅として大改修し、現在に至っているとのことである。

 住宅は深い生垣に囲まれており、外観といっても玄関前がわずかに伺えるのみで、そのエントランスに「札幌景観資産」を示すプレートが立てられてあった。外観からはプレートにも説明があった、下見板張りの外壁、応接間の出窓、玄関までアプローチに札幌軟石が敷かれていることなどを伺うことができたが、「完全非公開」ということで写真は掲載しないこととしたい。(ウェブ上から一枚だけ拝借した外観を掲載する)

   

※ 住宅のエントランスのところに掲示されていた「札幌景観資産」のプレートです。

 実は、私はこれまで「札幌景観資産」に指定されている建物など数件はすでに訪れたことがあり、拙ブログでもレポしているが、今回改めて「札幌景観資産」のことを知り、もう一度全体を訪れてみようかな?と思い始めている。できれば雪が降る前に欠番以外の「札幌景観資産」を訪れたいと考えている。


北海道低山紀行 103 桂月岳(黒岳石室コース)

2021-09-28 14:37:15 | 北海道低山紀行 & Other

 黒岳石室の眼前に聳える桂月岳は石室から標高差50mとけっして大きな山ではないが岩石が積み重なった骨っぽい山だった。桂月岳の名は文学者の大町桂月にちなんで名付けられた山だそうだ。

   

※ 黒岳山頂から石室に向かって下っていく登山道です。

 黒岳山頂から桂月岳に登るには、一度標高差94mを下って黒岳石室(標高1,890m)に至り、そこから今度は標高差48mを登ることによって桂月岳の山頂に至る。

 黒岳山頂から石室までは約800mあるが、そこを20分かけて石室に着いた。黒岳石室は大雪山を縦走する人たちにとっては、宿泊点であり、中継点になっているようだ。(石室での素泊まり、その横にはテントサイトもある)たくさんの登山者が食事をしたり、休憩を取ったりしていた。

   

※ いかにも堅牢な石造りの「黒岳石室」です。

   

※ 「黒岳石室」の傍には登山者が憩うテーブルと椅子が用意されていました。

 私はそこを通過し、すぐに桂月岳に向かった。標高差わずか48mとはいっても、結構な迫力を伴い桂月岳は私の目の前に聳えていた。

   

※ 「黒岳石室」から見た「桂月岳」です。

 登山道は小さな山とはいえ、岩がごろごろと積み重なっていた。しかし、それほど困難な箇所もなく石室から25分後に桂月岳山頂に着いた。山頂とはいっても特に標識はなく、周りの様子からピークと判断した。山頂からは遠くに黒岳山頂も望むことができた。

   

※ 桂月岳に向かうまだ平坦な登山路で見た地被植物の紅葉です。

   

※ 岩がゴロゴロと積み重なっている登山道です。

   

※ こちらも同様です。

   

※ 常緑樹と紅葉の葉の組み合わせが素晴らしいとシャッターを押しました。

   

※ 山頂間近の登山道です。

   

※ 登山時に目に入った雪渓ですが、見方によっては北海道にも似ていると思ったのですが…。

   

※ 桂月岳山頂から見た山室を含めた風景です。

   

※ ここを山頂と考えたのですが、その隣にさらに高いところがありました。

   

※ こちらが真の桂月岳山頂だと思われます。

   

※ 桂月岳山頂から黒岳山頂が望めました。黒岳山頂にはたくさんの登山者が見えます。

   

※ 桂月岳の隣のピークですが、凌雲岳でしょうか?自信はありません。 

 ところで「桂月岳」の名称であるが、前述したように大正時代の随筆家の大町桂月にちなんで名付けられたという。桂月が黒岳を訪れた大正時代には登山道も整備されていなく、ロープウェイもリフトもない時代である。とてつもなく困難な登山であったことが想像される。そんな状況で大雪山を巡った大町桂月は素晴らしい言葉を残したそうだ。その言葉とは、

  富士山に登って、山岳の高さを語れ。

   大雪山に登って、山岳の大(おおい)さを語れ。

なんと含蓄のある言葉だろう。二つの山を体験することができた私にとって心から納得させられる言葉に出会った思いだった。

 下山は再び黒岳山頂を経て、2時間かかって黒岳7合目の登山口に着いたが、やはり歳を感ぜずにはいられない今回の山行だった…。

   

※ 帰路、黒岳石室から黒岳を目ざす登山道です。

【桂月岳(黒岳石室コース) 登山データ】
標 高  1,938m(獲得標高差 黒岳7合目から522m)

行 程  ※ グランドシニアの足とお考えください。
     登山口→(1時間40分)→黒岳山頂→(20分)→黒岳石室→(25分)→桂月岳山頂→(20分)→黒岳石室→(30分)→黒岳山頂→(1時間10分)→登山口

上り(2時間25分)  下り(2時間)

天 候  晴れ、微風

登山日  ‘21/09/25


大雪山 黒岳 紅葉登山(北海道低山紀行102)

2021-09-27 15:08:48 | 北海道低山紀行 & Other

 前日の赤岳と違い朝からの好天だったが、紅葉の方は期待していたより地味な感じだった。しかし、山頂からは大雪山の雄大な風景を眺めることができ、苦労しながら登った甲斐のある山だった。

 黒岳はこれまで何度か登ったことのある山である。そこで過去の体験を調べてみると、私が「北海道低山紀行」と称して、登った山をカウントし始めてから黒岳に登ったのは、2回とも大雪山の縦走の最後に訪れた山だった。今回は層雲峡温泉からの上り下りだったので、102座目としてカウントすることにした。(登山コースを違えて登頂した場合は1座としてカウントすることにしている)

 この日(9/25)は朝から晴れ上がって、とても気持ちの良い朝だった。前日の疲れもありやや出遅れたが、午前8時発のロープウェイで黒岳の7合目登山口を目ざした。ところがロープウェイ乗り場の駐車場は大混雑だった。土曜日、しかも晴れて紅葉日和とあってたくさんの登山客、紅葉見物客が押し掛けたようだ。それでもロープウェイは定員の1/2だったのかな?

   

※ ロープウェイから駐車場を撮ったのですが、これ以外にも駐車している車がびっしりでした。

   

※ ロープウェイから眼下の紅葉を写しました。

 7合目登山口に至るにはロープウェイを下りてからさらにリフトでさらに上へ上げてもらうのだ。この往復料金が3,000円である。昔、スキーに入れ込んでいた頃は毎年の初滑りがこの黒岳スキー場で、リフトにはずいぶんお世話になったのが懐かしかった。

   

※ ロープウェイに続いて、リフトに乗って登山口に向かいます。

   

※ リフト上から目ざす黒岳山頂を写しました。

 リフトを下りて、登山者名簿に記入し登山口をスタートしたのは8時40分だった。

   

※ 登山口です。7合目はここから少し登ったところにありました。

 黒岳の場合は、登り口から大きな岩が積み重なる急登が続く。登り口が7合目かと思っていたが、正式な7合目の表示は登り始めてからしばらく経ってから目にすることになった。

   

※ 登り始めは写真のように岩が積み重なったような登山道が続きます。

   

 黒岳の場合は赤岳と違い休みどころがなく、絶えず上り続ける登山道である。それでも時折り視界に入る遠くの紅葉が疲れを癒してくれる。精神的にきつかったのは8合目の表示がなかなか現れなかったことだ。急登が続く中、8合目の表示が現れたのは7合目から35分後だった。それに対して9合目の表示はそれから20分後だったのはどうしてだろうか?可能性として考えられるのは、8合目を過ぎると岩が積み重なった厳しい上りが消え、階段状の登りが増えたせいかもしれない。

   

※ 登山道からはところどころでこのような紅葉の風景が望めました。

   

※ 8合目以降は岩の積み重なりより、写真のような階段状の登りが続きました。

   

※ 9合目からは目ざす黒岳山頂がかすかに望めました。

 9合目からさらに登り続けること35分。突然視界が広がり、多くの登山者が憩っているのが目に入った。7合目の登山口から1時間40分かけて黒岳山頂に到達した。

   

※ 山頂間近な登山道です。

   

※ 視界が突然開けると、そこが山頂で多くの方が佇んでいました。

   

※ 黒岳山頂標識です。

 山頂からは大雪山の他の山並みが一望でき、10数年ぶりの眺望を楽しむことができた。

   

※ 山頂から大雪山の山並みを望みました。

 この後、私は黒岳の隣に位置する桂月岳に登ったのだが、そのレポは明日にしたい。

【黒岳(層雲峡コース) 登山データ】
標 高  1984.3m(標高差 474m)

駐車場  ロープウェイ乗り場のところに大きな駐車場がある。

行 程  ※ グランドシニアの足とお考えください。
     7合目登山口→(45分)→8合目→(20分)→9合目→(35分)→山頂→(25分)→9合目→(15分)→8合目→(30分)→7合目登山口

  上り(1時間40分)  下り(1時間10分)

天 候  晴れ、微風

登山日  ‘21/09/25                                                                                                                                                                                                                                                      

 


大雪山 赤岳 紅葉登山

2021-09-26 18:20:29 | 北海道低山紀行 & Other

 赤岳の紅葉は伝えられていたとおり素晴らしかった!しかし、天候が…。天気予報は晴れだったのだが、山には朝まで降り続いた雨の影響で山全体が霧(ガス)に覆われてしまい、効果半減となってしまったのは残念だった。   

 この季節(9/18~9/26)は赤岳の登山口となる銀泉台へは車の乗り入れが禁止されている。その代わり、層雲峡から17キロほど走った大雪ダムのレイクサイトという駐車場に車を置き、そこからシャトルバスによって銀泉台まで行くこととなる。(バス代往復と自然保護などの協力金として計1,500円を徴収される)

 私はこの日(9/24)朝7時レイクサイト発のバスに乗り銀泉台に向かった。約30分かかって銀泉台に着いた。雨は降ってはいなかったが水滴が付く恐れもあったので上下ともにレインウェアを身に付け、7時45分に銀泉台をスタートした。銀泉台からしばらくは大雪縦貫自動車道の工事跡の道路を行く。およそ10分程度歩いたところに本来の赤岳の登山口があった。ここから本格的な登山道である。銀泉台はかなり高所にあって標高1,500mだという。辺りはうっすらと霧(ガス)がかかっていてやや不安なスタートとなった。

   

※ 銀泉台からしばらくは写真のように車道が延びていた。

   

※ 車道をしばらく行くと赤岳の本来の登山口があります。

 本格的に登り始めてしばらくすると、手書きの「見晴台」というところに出た。ところが不安は的中し濃い霧に覆われほとんど視界が効かなかった。

   

   

※ 「見晴台」ではご覧のように霧が全体を覆っていました。

 それからこの赤岳が高山植物の見どころとあって、「第一花園」、「第二花園」、「奥の平」、「コマクサ平」と次々と見どころが現れた。このような見どころ付近では鮮やかな紅葉が見られるのだが、霧のため近影はなんとか写真に収めることができても、遠景は残念ながら無理だった。

   

   

   

   

 この辺りまでの登山道はけっこう急な上りも何ヵ所かはあったのだが、助かったのは急登の後に平坦なところが現れることだった。この平坦なところで疲れを癒すことができ、さらには見どころが次々と現れることも単調な登りと違い変化があって助けられた。それでもレインウェアを羽織っていたこともあり、かなりの汗をかきながらの登山となった。

   

※ 登り始めて間もなくの登山道の様子です。

   

※ 大雪山の登山道は多くの登山客が訪れるためか、登山道が深く掘れてしまっているところがあり、そこを写真のように補修している箇所が何ヵ所もありました。

   

※ 後半の大きな石が転がるガレ場が続きました。   

 「コマクサ平」まで登山口から1時間20分で着いた。問題はここからだった。ここからは特に見どころはなく、平坦な休めるところもない上りが続いた。途中には雪渓も姿を現した。私が過去に7月末に登った時には雪渓上を渡ることもあったが、今回は渡ることはなく眺めるだけだった。

   

※ 霧のためかピントが甘いですが、道中で唯一目にした雪渓です。

 途中で私と同年配と思われる方が私を追い抜いて行った。彼は赤岳から緑岳を経由して高原温泉に降りるという。「高原温泉の方も紅葉がきれいですよ」と言ってくれたが、私にはそちらへ廻るだけの余裕はなかった。もともとこの日は、紅葉を見ることが目的で体調によっては花園あたりまでとも思っていたのだが、いざ山に入ってしまうと自らの体力を顧みることもなく、どうしてもピークに達してみたいと思いが私を動かしたのだ。

 「コマクサ平」からの1時間半は、とくに後半の大きな石が積み重なっているガレ場を行くのが辛かった。たまらず私は途中の岩に腰を下ろして自主的に休憩を取った。

   

※ 山頂近く、ガレ場が続く最後の登りです。たくさんの登山客が見えます。

   

 銀泉台から2時間45分。岩を積み上げたような赤岳山頂に立つことができた。

   

   

 山頂には環境庁の職員がいて、「これからどこに向かわれますか?」と問いかけてきたが、私は「ここまでです」と答えた。聞くところによると、私が山頂に達した10時30分くらいでは、登頂者の多くは赤岳から大雪山系の縦走に向かう方が多いそうだ。

※ それではここでこの日私が目にした赤岳の紅葉の様子を一挙公開します。

   

   

   

   

※ ここからは紅葉の近影です。

   

   

   

   

   

   

   

 下山は登山と比べると短時間で下りられると思ったが、岩場の下りは私のような者にとっては慎重を期さねば事故に繋がることからけっこう時間がかかり2時間25分を要した。

その下山時、ようやく霧が晴れてきて「見晴台」まで下りてきたとき、この日一番の紅葉を目にすることができた。

   

※ 下山時に「見晴台」まで下りた時空が晴れ上がり、この日最も私が気に入った紅葉の光景。

 帰りのバスはかなり混んでいた。それでも定員の半数程度に抑えられていたが、乗客のほとんどは赤岳までは登らずに、途中まで登って紅葉を楽しむ人が多いようだった。

 鮮やかな紅葉を楽しむことはできなかったが、それなりに紅葉の赤岳を楽しむことができたことで納得できた秋の赤岳登山だった…。

【赤岳(銀泉台コース) 登山データ】
標 高  2,078m(標高差 580m)

駐車場  登山口にかなり大きな広場がある。(ただし、秋の紅葉期間は進入禁止)

行 程  ※ グランドシニアの足とお考えください。
     登山口→(35分)→第一花園→(45分)コマクサ平→(1時間25分)→山頂→(1時間10分)→コマクサ平→(45分)→第一花園→(30分)→登山口

  上り(2時間45分)  下り(2時間25分)

天 候  晴れ、微風(ただし山中は霧に覆われていた)

登山日  ‘21/09/24


黒も赤も

2021-09-25 18:54:34 | 北海道低山紀行 & Other

  

 黒岳も赤岳もなんとか登り切ることができました!

 両岳とも体力の無さゆえにようやく登り切れたという感じでした。なのに、私は黒岳からさらに1時間35分を要して黒岳の隣の「桂月岳」にも登ってきました。

 その理由は今回の山行で一つでも私の山のコレクションを増やしたいと思ったのです。赤岳も黒岳も以前に一度登っているので、私の登山歴として今回はカウントできません。貧乏性の私は、せっかく遠方から来たのだから、一つくらい登山歴を増やしたいと考えたのでした。

 さて今回の一番の目的の紅葉ですが、今日はきれいに晴れ上がり黒岳、あるいは桂月岳山頂からの見晴らしは素晴らしかったのですが、紅葉の方はどうやら天気は悪くとも赤岳に軍配が上がりそうです。

 明日から写真とともに三つの山の山行の様子を詳報したいと思います。

 今日の一枚は、黒岳から黒岳石室に向かう際に写した一枚です。写真の真ん中あたりに黒岳石室が写っています。


赤と黒と

2021-09-24 16:32:00 | 北海道低山紀行 & Other

 タイトルを「赤と黒」とするとスタンダールの代表作の読後感でも書くのでは?と誤解される恐れがあったので敢えて「と」を加えました。

 その謎解きは後ほどするとして、実は私は今層雲峡に来ています。というのも、ブログを通して交流させていただいている「田舎都会からの便り」さんや「ピンネの風に揺られて」さんが最近相次いで大雪山に向かわれ、見事な紅葉の写真をアップされたのを拝見し、大いに刺激を受けました。そこで天気予報を睨みながら、今朝未明に札幌を発ち、層雲峡まで来たというわけです。
 そして大雪山の中でも最も紅葉がきれいと言われている銀泉台から赤岳を目指しました。ここまで書くと鋭い方は謎が解けたのではないでしょうか?
 しかし、赤岳は私に味方してくれませんでした。天気予報は朝方までは雨だったものの、6時くらいからは晴れるという予報でした。確かに朝方雨は上がっていました。しかし山に入ってみると、山全体をガスが覆っていました。見通しが効かず、せっかくの紅葉も効果半減でした。
 さてせっかく遠出したので、明日は旭岳にと考えていました。ところが、旭岳よりここ層雲峡の黒岳の方が紅葉は素晴らしいと情報を得ました。そこで急遽明日は黒岳に登ることにしました。
 これで私がタイトルを「赤と黒と」としたわけをご理解いただけるでしょう。
 皮肉なことに今日赤岳を下山した午後2時半過ぎには空がきれいに晴れ上がっていました。明日こそは好天が望めそうです。良い便りができると信じています。
添付した写真はは、今日の中では出来の良いのをアップしました。

映画 オリエント急行殺人事件(1974年版) №324  

2021-09-23 15:51:48 | 映画観賞・感想

 ご存じイギリスの推理作家アガサクリスティーの代表作「オリエント急行の殺人」の映画化である。アガサの作品に度々登場する私立探偵ポアロが国際寝台列車オリエント急行内で発生した殺人事件を鮮やかな推理で解決する事件である。

        

 映画は1974(昭和49)年米英合作で制作されたものである。(同名の映画が2017年にも制作・公開されている)

 私は9月1日にBSプレミアムで放送されたものを録画しておき先日視聴したのだが、ポアロの謎解きの部分が良く理解できなくて2度観るはめになったのだが、それでも特別のミステリーマニアでもない私には十分に理解できないきらいがあった。

   

※ 映画に使用された蒸気機関車230G353号です。

 映画はまず、事件が発生する数年前にアメリカ国内で発生した富豪のアームストロング家の愛児ディジーを誘拐・殺害した事件のことをモノクロで伝える場面から始まった。

 そして事件は、トルコのイスタンブールからフランス・カレーまで走る国際寝台急行列車「オリエント急行」にシリアでの仕事を終えた探偵ポアロが乗り合わせたことから始まる。

 イスタンブールを発ったオリエント急行はバルカン半島の山間部に入り雪のために立ち往生して一夜を過ごさねばならなくなった。夜が明けた時に一等寝台に乗車していた実業家・ラチェットが殺害された姿で発見されたのだ。物語の核心はここから始まり、列車に乗り合わせた探偵ポアロの活躍が始まった。

   

※ 事件解決のために一等客車の乗客たちを尋問する探偵ポアロです。

 ポアロはラチェットの遺品から、ラチェットがアームストロング家のディジー誘拐・殺害事件の黒幕だったことを早々と察知したことが事件を推理していくうえで有力な材料となった。(この時、ポアロが燃えてしまった紙片に薬品をかけることで紙片に書かれた文字を読み取れたことが私には不思議だった)また、ラチェットの遺体を検証すると12ヵ所もの刺し傷が見つかったことも解決の大きな糸口となった。

 そしてこのオリエント急行の一等車に乗り合わせた12人に探偵ポアロは次々と尋問をする中で、12人の乗客のある共通項を見出すのだった。

 そして意外な結末は?

 そこは現実には考えられないミステリー小説故の結末なのか?

 結末は文字どおりミステリーとしておきたい。興味を抱かれた方はレンタル店などでお借りして視聴することをお勧めする。

 映画にはフランス国内で動態保存され、往時に走っていたとされる蒸気機関車230G 353号が豪華客車をけん引している。また、客車内の豪華に造りも見ものである。


スマート農業の今を知る

2021-09-22 16:16:37 | 講演・講義・フォーラム等

 農業の実態が進化していると聞いてはいたが、その実態は私が想像する以上の速度で進歩を遂げているようだ。講師の野口北大教授によると、農業経営者は今や企業経営者であり、その労働の実態は工場のオペレーターのように私には映った。

 私が継続受講する「ほっかいどう学」かでる講座の9月分が13日(月)に録画されYoutube配信されていたのだが、私はうっかりしていて昨日ようやく受講することができた。

 今年度第6回目となる講座は「農業ロボット研究の最前線 ロボットによる未来の北海道農業に期待 ~」と題して北海道大学農学部教授の野口伸氏が講師を務めた。

          

 野口氏はTBS系のドラマ「下町ロケット」の「ヤタガラス編」において登場する農業ロボット研究者の北海道農業大学の野木教授のモデルになった、と自己紹介された。私も野口氏の存在は以前から知ってはいたが、今回改めて野口氏の研究を伺うこととなった。

 野口氏は1時間の短い講義時間の中で次の4点について研究の今を紹介してくれた。

 ◇スマートロボットトラクタ

 ◇スマートフードチェーン

 ◇スマート野菜生産

 ◇スマート果樹生産

 野口氏の研究の中心はもちろん農業用ロボットトラクタの開発である。その「スマートロボットトラクタ」の開発は開発過程を3段階に分けて開発に取り組んできたそうだ。その3段階とは①GNSSオートステアリング、②自動走行農機(ロボット農機)③遠隔監視、圃場移動可能なロボットという段階を踏んで開発を進めているが、現在はすでに第3段階に入っているとのことだった。(ちなみにGNSSとはGPSと解釈しても良いようです)

 つまり現状は、遠隔監視、圃場移動について実証実験の段階に入っているが、安全性の確保、道路走行における道路法の規制の問題など、クリアしなければならない問題などが残されているとのことだった。私がリード文で描いた農業者の姿がもうすぐ目の前に来ているという印象だった。

 スマートフードチェーンについては、生産と消費の適正化のためにテクノロジーを駆使して日本だけではなく、世界各地と結び適正に生産し、適期に消費者に届ける仕組みの研究開発を進めているとのことだった。

 また、スマート野菜生産、スマート果樹生産も、これまではどうしても人の手を介さねばならない作業過程が多かったところに農業用ロボットを開発することによって生産性を上げる研究に取り組んでいるとのことだった。

   

 ことほど左様に、現代農業は驚くべきスピードで変貌を続けているようである。日本をはじめ農業生産国の多くは少子化が進行し、農業従事者の先細りが心配されている今、農業用の各種ロボットの登場は大きな朗報だろうと思われる。


道南の旅 エピローグ

2021-09-21 15:14:07 | 道内の旅

 わずか4日間の旅ではあったが、各市町村の観光スポットを巡りながらいろいろなことを考えさせられた4日間でもあった。そうしたことを振り返りながら旅を締めくくることにしたい。

   

※ 森地熱発電所を麓の集落から撮ったものです。排気塔から白い蒸気が上がっています。

◆歴史を感じた道南地方

 今回の旅で感じさせられた最も大きなことは、私が生まれ育った道東地方とは違い、道南地方は歴史を感じさせられた地域であったということだ。今回特に訪れることはなかったが、今年世界遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」の遺跡が道南地方の各地に点在していることもその一つである。それほど昔ではなくとも、江戸時代に唯一幕府より藩として認められていた「松前藩」の遺構が数多く残っていたり、箱舘戦争にまつわる史跡に各地でお目にかかれたりと、そうした意味で私にとっては有意義な旅だった。

   

※ 福島町が生んだ二人の横綱の土俵入り像が記念館の前に展示されていました。右~千代の山。左~千代の富士。

◆進む過疎化の現実

 青函海峡沿岸、そして日本海沿岸の町村を走っていて、いやでも感じざるを得なかったことは過疎化が確実に進行しているという事実だった。どの町村を訪れても人影は薄く、沿道に建つ家々はどこかくたびれているように見えた。

 試みに各町村の人口の最盛期と現在を比べてみた。

 ◇木古内町 1960(昭和35)年 13,484人   2021(令和3)年 3,888人

 ◇知内町  1960(昭和35)年 10,148人   2021(令和3)年 4,101人

 ◇福島町  1955(昭和30)年 13,428人   2021(令和3)年 3,755人

 ◇松前町  1955(昭和30)年 20,072人   2021(令和3)年 6,526人

 ◇上ノ国町 1960(昭和35)年 14,674人   2021(令和3)年 4,537人

 ◇江差町  1965(昭和40)年 15,380人   2021(令和3)年 7,190人

 いや、もうこれ以上調べることはよそう。江差町の約5割減を除いて、他は軒並み最盛期の3割程度に減少している。わずか5~60年でこの現実である。これは何もこの地方の町村だけではなく、北海道全体でも同様の傾向である。

 ただ、道南の沿岸を走っていて、海岸の背後には山が迫っていて、各集落は海岸と背後の山々との僅かな隙間に集落が点在しているように映った。そのことが一層過疎化の現実を見せつけられているように思えたのだ。

 上記の統計を調べた時に、各町村が人口減に対して強い危機感を持ち、その対策を講じようとしているようだった。しかし、現実の少子高齢化は止めようがなく、それに伴う過疎化も進行の度合いを早めていると言われている。

 誰もが有効な対策を打ち出せないまま、少子高齢化、人口減少傾向の世界の最先端を行っているといわれる日本である。もはや昔日の夢を追うのではなく、現実を見据えた日本の未来図を描き、そこへ向けて一人一人が幸せに思える国を目ざす国であってほしいなぁ、と考えながらドライブした4日間だった。

   

※ 掘割から見た松前城の天守閣です。

◆風車が描く海岸風景

 町村によって違いはあったが、ともかく海岸線に風力発電の風車が目立った青函海峡、日本海沿岸だった。ということは、私が旅した4日間は幸い天候に恵まれたが、この地方は風力発電に適した強風が吹く割合が多い地方なのではないだろうか。

おそらくそれら風車が設置されたのはここ10数年のことではと思われる。つまり青函海峡、日本海沿岸の風景はここ10数年で大きく変わってしまったのではないだろうか?

 風力発電は自然エネルギー利用による発電の代表の一つである。カーボンニュートラルが叫ばれる今日、風車が増加することはあれ、減少することはないだろう。さまざまな弊害も指摘されているが、そうした問題を解決しながら開発を進めてほしいものである。

 ただ、運転をしていて風車が目の前に現れたところがあった。そんな時私は風車が回る羽根に目を奪われてしまうときがあった。他のドライバーは気にならないのだろうか?私はちょっと気になった。

   

※ 開陽丸の甲板に上がった図です。

 と、とりとめのないことを綴ってきたが、結論として「旅はやっぱりいいなぁ」ということだ。今はコロナ禍とあって不要不急の外出の自粛が求められている。今回私は積年(というとかなりオーバーか?)の願いであった故坂口一弘氏の仏前にお参りせねばという 思いに、奥さまが快諾していただいたことで人との出会いを避けながらの旅をすることにして出発した。したがって、十分に下準備をしないままの出発となってしまった。その点はもう少し下調べ、準備に時間をかけたかったな、という思いはあるものの、それなりに意義深い旅ができたとこの4日間を振り返った私だった…。

※ 使用した写真は本文と直接関係はない。これまでのレポートで未掲載だった写真を掲載したものである。