田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

山口百恵 伝説のコンサート in 武道館 1980.10.5

2021-01-31 16:47:30 | ステージ & エンターテイメント

 昨日午後、私はテレビの前から離れることができなかった。あの「伝説のコンサート」とも伝えられている歌手・山口百恵のファイナルコンサートがNHK総合で2時間25分にわたって放映されたからだつた。改めて、山口百恵という不世出の歌手の偉大さを見た思いだった…。

         

           ※ この頁の上3枚はウェブ上から拝借した写真です。

 1980(昭和55)年というと、今から40年前のことである。当時、人気絶頂だった歌手・山口百恵が結婚を機に芸能界から引退するというニュースは驚きをもって伝えられた。山口百恵は15歳でアイドル歌手としてデビューし、以後年と共に魅力ある女性へと変身を遂げ、当時歌謡界では最大の人気を誇っていた。

 私は特別に歌謡曲好きでもなければ、芸能界に関心があるわけでもなかった。そんな私でさえ、彼女の引退のニュースは驚きをもって受け止めた。それは、当時の世相を反映してもいたからだ。当時のテレビは人々の娯楽の中心にあり、テレビ番組の中で歌番組は影響力が絶大だった時代に、山口百恵はテレビの申し子といってもよく、私のような一般人でも彼女の歌は自然に耳に入ってくるという状況だったのだ。

   

 当時のことで思い出に残っていることは、彼女が歌う「プレバックPartⅡ」、「ロックンロール・ウィドウ」などと、「秋桜」、「いい日旅立ち」などを歌う落差だった。前者を歌うときはいかにも街中にいる遊び人になりきり、後者を歌うときにはしっとりとした日本の叙情を醸し出す人になりきっている凄さを感じていた。

 私は昨日すっかり「伝説のコンサート」に魅入ってしまった。そこでまた彼女の魅力を一つ発見した。それは彼女のトークである。あのような特別なステージでも彼女は自分の思いを、自分の言葉でしっかりと伝えていることに驚いた。当時の彼女はまだ若干21歳である。時には会場のファンの声にも反応しながら…。

         

 驚きは私一人ではなかったようだ。ネット上には「伝説のコンサート 大反響」と題して次のような記事が掲載された。

山口百恵さんトレンド世界1位の大反響「令和の時代に…」最後のコンサート NHK総合で一度限りの再放送        1/30(土) 16:40配信

 1980年10月に芸能界を引退した山口百恵さん(62)の最後のコンサートを収めたNHK「伝説のコンサート“山口百恵 1980.10.5 日本武道館”」が30日に総合テレビ(後3・35~5・59)で放送された。地上波とあり、オンエア中から「#山口百恵」がツイッターの世界トレンド1位になるなど、SNS上で大反響を呼んだ。 昨年10月に BSプレミアムで放送。再放送希望の多くの声に応え、一度限りの再放送が実現した。2時間以上にわたる貴重な映像を、再構成や新撮パートなどの要素を一切加えず、忠実にコンサートの模様を届ける。  インターネット上には「当時21歳とは思えない迫力」「令和の時代に見られるとは」「歌、表情、トーク、立ち居振る舞い、いずれも傑出したレベル。今更ながら山口百恵の存在感に驚嘆し、圧倒されている」といった絶賛や驚きの声が続々と上がった。

 この記事からもけっして私の独りよがりではないことを分かっていただけると思う。そしてさらに彼女の凄いところは、人気絶頂の時にスパッと潔く芸能界を引退し家庭に入り、現在までけっして表に出てこないところだ。まさに “有言実行” の人である。そのことが彼女のさらなる神秘性を増幅させたものと思われるのだ。

   ※ 以下2枚の写真は、私がテレビ画面から撮影したものです。

   

   ※ 時折り笑顔を見せて会場に語り掛ける山口百恵さんです。

   

   ※ 最後の曲「さようならの向こう側」を熱唱する山口百恵さんです。

 昨日は久々に遠い昔に思いを馳せ、懐かしさに身を浸したひと時だった…。


PMF Connects LIVE! 豊平館 Ⅱ

2021-01-30 15:27:44 | ステージ & エンターテイメント

 PMF Connects LIVE!豊平館は、今シーズン2度目である。今回は札響のメンバー5名による弦楽五重奏(クインテット)だった。さすがに腕の確かな札響メンバーによる演奏である。どこかに余裕さえ漂わせながらの演奏に酔うことができたのだが…。

     

 昨日(1月29日)夕刻、PMF Connects LIVE!が由緒ある豊平館の2階ホールで開催された。PMF Connects LIVEが豊平館で開催されるのは今シーズン10月2日に続いて2回目である。(そこでタイトルには私独自でⅡの記号を付けさせてもらった)Connects LIVEは市内各所で開催されているが、私自身は由緒ある趣の豊平館のホールでの演奏会が最も気に入っている。

 今回の演奏者は札幌交響楽団に所属する男性弦楽奏者5名が集ったものだった。そのメンバーとは、

 ◆第一ヴァイオリン桐原宗生(2014)

    

 

 ◆第二ヴァイオリン熊谷勇大(2014)

    

 

 ◆ヴィオラ物部憲一(1993)

    

 

 ◆チェロ荒木均(1990)

    

 

  ◆コントラバス吉田聖也

    

 

といった札響の第一線で活躍する人たちだった。(カッコ内はPMFに参加した年度である。吉田氏だけは未参加)

 まずはこの日演奏された曲目を紹介する。

 ◇モーツァルト/ディヴェルティメント へ長調K.138 第一楽章

 ◇エルガー/愛の挨拶 作品12

 ◇M.モノー/愛の讃歌

 ◇H.マンシーニー/映画『ティファニーで朝食を』から「ムーンリバー」

 ◇H.マンシーニー/映画『ハタリ!』から「小象の行進」

 ◇フレデリック・ロウ/映画『マイ・フェア・レディ』から「踊り明かそう」

 ◇J・ホーナー/映画『タイタニック』から「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」

 ◇L・ハーライン/映画『ピノキオ』から「星に願いを」

 ◇木村弓/映画『千と千尋の神隠し』から「いつも何度でも」

 ◇井上あずみ/映画『天空の城ラピュタ』から「君をのせて」

 ◇山田耕筰/この道

 ◇三木たかし/津軽海峡・冬景色

 ◇新井満/千の風になって

 ◇見岳晃/川の流れのように

 ◇大野雄二/ルパン三世のテーマ

〈アンコール〉

 ◇モーツァルト/ディヴェルティメント へ長調K.138 第二楽章

 ◇いずみたく/見上げてごらん夜の星を

 演奏された曲目は1時間強の間にアンコール曲も含めて実に17曲である。確かな腕の奏者が奏でる一曲一曲はとても安定していて、聴いていて心地良いものだった。しかし、一方で諸兄もお気づきのことと思うが、曲目の中にクラシック曲の演奏が極端に少ない構成になっていた。私はふだんからクラシックには疎いと公言はしているが、この日はクラシックが聴けることを楽しみにして会場に足を運んだつもりだった。その期待が若干裏切られた思いをした人たちが私を含めて会場には少なからずいたのでは?と思われたのだが…。

 だからなおのこと、映画音楽や歌曲、演歌などの演奏の後、アンコールで再びモーツァルトを聴いたときにはどこかホッとした思いを抱いたのも事実である。

   

   ※ 演奏会が行なわれた趣のある豊平館のホールです。

 この日のクインテットは年長(?)の物部氏がリーダーだったようで、彼がMCを務め、選曲も物部氏だったということだが、物部氏が語る曲の合間のお話も楽しく寛げる話だった。おそらく物部氏はサービス精神旺盛な方なのだろう。曲目の構成は別として、楽しく豊かな雰囲気が豊平館のホールに漂った一夜だった。

 

 


田澤拓也著「空と山のあいだ」

2021-01-29 13:25:06 | 本・感想

 岩木山…。「津軽富士」とも称され、その山容の美しさは見事である。昨年秋、私もその山容を見た時に思わず「登ってみたい!」と思ったほどだ。昭和39(1964)年冬、その岩木山で高校生が遭難し、4人が落命した。その悲劇を追ったノンフィクションである。

          

 このところすっかり山岳小説(?)にハマっている。今回は高校生の遭難事件を追ったものである。著書には「岩木山遭難。大館鳳鳴高校生の五日間」という副題が付いている。

 昭和39年1月、青森県の岩木山で秋田県鳳凰高校の山岳部員5人が遭難し、うち1人が4日ぶりに奇跡の生還を果たしたものの、4人が死亡するという遭難事故が発生した。5人は山岳部とはいえ初めての冬山だった。遭難の原因は、経験不足、準備不足、未熟さを指摘されても仕方ないものだった。例えば、冬山登山なのに用意したアイゼンは3足分で彼らは片足ずつアイゼンを付けて登るという無謀さだった。

 それよりも著者が指摘するのは、地元警察署を中心とした対策本部のお粗末さである。冬山に精通した地元の山岳関係者の助言に耳を傾けず、二重遭難を恐れて及び腰の捜索活動に終始する。また所轄の警察署間(弘前署、鯵ヶ沢署)の軋轢などのためから、三日間で延べ500人も捜索隊を投入しながら何の手がかりもつかめなかった。

 そうした中、捜索隊が捜索しているところとは正反対の場所でただ一人の生還者・村井秀芳君が発見された。

 本書はその生還した村井君の証言を中心として、地元関係者、捜索隊、警察などに精力的に取材を重ねて、虚飾を排し淡々と綴る文章がかえって読む者を惹き付けた。

 特に村井君の証言に基づいた遭難に至る状況は壮絶である。下級生をかばう上級生。村井君自身も極限状況にありながら動けなくなった友に自らのヤッケをかぶせたことなど、猛吹雪ののなかをさまよいながらも、最後までお互いをかばい合う5人の姿は、読む者の胸を熱くする。

 この遭難事件でまず誰よりも非難を受けねばならないのは、遭難事件を引き起こしてしまった高校生自身だろう。岩木山は登山愛好者に言わせると標高1,625mという低山だという。しかし、冬山は夏山の常識では推し量れないくらい状況は激変する。初めての冬山ということであれば、経験者と同行することが最低条件だったのではないだろうか?若気の至りとはいえ、尊い若い命が奪われてしまったことは残念でならない。

 さらに非難を受けねばならないのは、地元警察をはじめとした捜索隊の官僚的な姿勢ではないだろうか?人の生死がかかっている状況下においても事なかれ主義に陥ってしまっているところに病巣の深さを感じずにはいられない。

 著者の田澤拓也氏は、そうしたことも含めてありのままを淡々と書き進めることで、かえって読者を惹き寄せたように思われる。作品は第8回の開高健賞を受賞している。


氷瀑巡り №5 白帆の滝 &(不老の滝)

2021-01-28 16:41:13 | 環境 & 自然 & 観察会

 国営の滝野すずらん丘陵公園内にある「白帆の滝」はなかなかの氷柱の美を魅せてくれた。しかし、「不老の滝」の方は残念ながら立ち入り禁止措置が取られていた…。

 「有明の滝」、「有明小滝」を終えた私は二つの滝からそう離れていない滝野すずらん丘陵公園内にある「白帆の滝」と「不老の滝」を目ざした。公園内にある残り二つの大きな滝「アシリベツの滝」、「鱒見の滝」はすでに過日(1月10日)に訪れ「氷瀑巡り№1」でレポート済みである。 

白帆の滝

   

   ※ 「白帆の滝」が最もよく写っている一枚です。

 「白帆の滝」は国営の滝野すずらん丘陵公園の渓流口駐車場に車を停めると、駐車場からはそう遠くないところに位置している。駐車場からは距離にして約600mだそうです。しかし、私はそこへ到達するのに若干の不安を抱えていたので、アシリベツの滝に向かうルート上に公園案内所があったので、そこで確かめてから向かった。案内所のところからアシリベツの滝に向かうルートとは別れ、橋を渡りクロスカントリースキーのコース上を上っていく。大きく湾曲した頂点付近に立ち入り禁止のテープが張ってあるところがあった。そして案内標識はカバーで覆われていた。「ここに違いない!」と確信して見ると、その先には手すりが付いた階段が見えた。

   

   ※ 渓流口駐車場からアシリベツの滝に向かう途上にある「公園案内所」です。

   

   ※ 案内所の前の橋を渡り、陸橋の下の方を道なりに上っていきます。

    

   ※ クロカンコースの左手に立ち入り禁止のテープが張られ、案内標識はカバーで隠されていました。  

 立ち入り禁止措置は取られていたが、案内所では親切に道案内をしてくれたので問題はないだろうと、私はその先へ歩を進めてみると間もなく「白帆の滝」が現れた。落差10mとけっして大きな滝ではないが、流量が少ないことがかえって良かったのか氷柱が何本も出来ていて、まあそれなりに満足できるものだった。 

   

   ※ テープの先にはこうした通路が見えたので「間違いない!」と確信しました。

   

   ※ 「白帆の滝」が遠くに見えてきました。前方の柵までした立ち入ることができません。

   

   ※ この滝もやはり雪に隠されて、イマイチ全貌を見ることができませんねぇ…。    

不老の滝

 続いて「不老の滝」に向かおうとしたのだが、こちらも私にとっては不安があったため、再び案内所を訪れた。すると、「不老の滝は現在立ち入り禁止になっています」と言われてしまった。そう言われてみると、公園の案内マップには三つの滝の名前は載っているけれど「不老の滝」の名前は記載がなかった。案内所での案内を無視して滝へ向かう気持ちにはなれなかった。残念ながらここで断念することにした。

 悔しい気持ちを抱えながら帰路に就いたとき、ハッと思い出したことがあった。「確か数年前の夏に不老の滝を訪れていたのではなかったか!?」と…。帰宅して拙ブログを一生懸命繰ってみた。苦労して探したところ2010年6月に確かに「不老の滝」を訪れていたことが判明した。(そのときのブログはこちら⇒

 札幌ウォーク 118 南区・滝野すずらん丘陵公園コース 前編

「不老の滝」へ至るにはアシリベツの滝へ向かう途中から分岐して進んだことも分かった。そこのルートが立ち入り禁止措置が取られているということなのだろう。残念だが仕方がない。

 さて、私の「氷瀑巡り」だが、札幌市内には私が訪れた滝以外には目立った滝はない。これで終止符を打つところだが、最後に札幌市内を離れるが支笏湖畔に近いところに「七条大滝」という名所がある。昨年は訪れたのが2月下旬だったために氷柱が退化してしまっていて残念な思いが残った。この「氷瀑巡り」の最後に「七条大滝」を2月上旬に訪れて〆たいと思っている


氷瀑巡り №4 有明の滝 & 有明小滝

2021-01-27 16:03:03 | 環境 & 自然 & 観察会

 意外や意外!大して期待をしていなかった「有明小滝」が見事な造形美を魅せてくれた。また、「有明の滝」も負けず劣らずこれまで見てきた滝よりは私を満足させてくれる氷の美だった。

  明日からは天気が崩れるとの予報が出ていたので、以前から考えていた清田区の「有明の滝」、「有明小滝」と、滝野すずらん丘陵公園内にある「白帆の滝」、「不老の滝」を目ざした。ところが天気は雨模様。湿雪に苦しみながらも各滝を巡って歩いた。本日は前半の二つの滝をレポートします。 

有明の滝

 「有明の滝」は、国営の滝野すずらん丘陵公園のすぐ近くに位置し、道々341号線沿いから少し奥まったところにある。道々沿いには「有明の滝」の標識もあり、駐車場も完備しているので分かりやすい。(但し、冬季は閉鎖していた)

   

   ※ 標識の周りは駐車場のようですが、雪に埋まっていました。

 案内によると滝は道路沿いから約600m奥まったところにあるとなっていた。滝へ至るルートにはスノーシューのトレースが付いていたので、私もスノーシューでその跡を辿っていった。湿雪で足が重たかったが、疲れを憶える前に滝に到達した。

   

   ※ 滝に至るスタート地点にあった案内標識です。

   

   ※ ルートはけっこう険しい山道でしたが、距離が短いのが救いでした。

   

   ※ 遠くに「有明の滝」が見えてきました。真ん中の黒い部分です。

 滝は落差13mとのことだが、この滝の魅力は滝のすぐそばまで行けるところか?まるでコンクリート壁のような一枚岩から水が流れ落ちていた。水が流れ落ちるすぐ横に、見事な氷柱(つらら?)が並んでいるのが見られた。

   ※ それでは「有明の滝」三態をどうぞ。

   

   

    

有明小滝

 「有明小滝」はやはり道々341号線沿いの奥まったところにあり、「有明の滝」より滝野すずらん丘陵公園の方に寄ったところにある。こちらも道路沿いに「有明小滝」の看板が見えるので分かりやすい。

   

   ※ こちらも駐車場は除雪されていませんでしたが、道路わきに停めることができました。

   

   ※ 滝までご覧のように除雪された道が続いていました。

 「有明小滝」の方は脇道が整備され除雪もされていて、何かの作業道となっているようだった。だから私はスノーシューを手にもってトレッキングシューズのみで滝に向かった。こちらも道路沿いからは600m程度で、疲れを覚える頃には滝に到達した。道路上からも 凍り付いた滝の様子が見て取れたが、滝に向かってスノーシューの跡が見えたので、私もそれに倣いスノーシューを付けて谷底に降り、滝のすぐそばまで寄ってみた。するとなかなか迫力ある氷瀑を眼前に見ることができた。これまで見てきた氷瀑の中では一二を争うダイナミックさに見えた。

   

   ※ 道路脇から見た「有明小滝」です。

   ※ 以下、4枚は滝の真下から撮った写真です。

   

   

   

   

 正直なところ、私はこの「氷瀑巡り」は企画倒れかな?と思い始めていた。というのも札幌市内の滝はいずれも規模が小さな滝が多く、それらが雪を被っているために滝が創り出す氷の様子がよく見えない場合が多く、少しがっかりしているところがあった。それでも「氷瀑巡り」を企画したことで、雪のフィールドに積極的に出かけようという動機付けを自身に与えてくれたことに納得していたのだが…。それが思わぬところで素晴らしい氷瀑を目撃することができ、本日の「氷瀑巡り」は満足している私である。          


映画 ウエスト・サイド・ストーリー №299

2021-01-26 16:01:37 | 映画観賞・感想

 レナード・バーンスタインの音楽、キレッキレのダンス、儚い恋、等々…。映画が制作されてから60年も経つというのに、その輝きは少しも失われていないかのようだった。

        

 ニューヨークのマンハッタンの西地区はアッパーウェストと称され、多くの富裕層が住む街として知られている。しかし、その片隅にはアメリカに夢を持って渡ってきたものの虐げられ貧しく暮らす移民の子孫たちがいた。彼らの多くは夢を描くこともできずに享楽に走り、ケンカを繰り返していた。そんな彼らの不良グループ、ポーランド系アメリカ人の「ジェット団」と、プエルトリコ系アメリカ人の「シャーク団」との抗争がストーリー縦糸として描かれるのだが、そこにジェット団の元リーダーのトニー(リチャード・ベイマー)とシャーク団のリーダー・ベルナルド(ジョージ・チャッキリス)の妹のマリア(ナタリー・ウッド)が恋仲となり横糸を紡ぐことになる。

          

 ストーリーを追いかけるのはよそう。この映画の魅力は何といっても音楽の魅力にある。音楽家バーンスタインが作曲した「トゥナイト」、「アメリカ」、「マンボ」、「クール」、「マリア」といった名曲が出演する俳優たちによって次々と歌われる。

 そしてダンスである。不良グループたちが群舞のような形で繰り出すキレッキレのダンスはこの映画の見ものである。映画の前半、シャーク団のリーダー役のジョージ・チャッキリスを中心としたダンスはこの映画のポスターを飾るほど象徴的なダンスである。チャッキリスはこの映画で必ずしも出番が多いとはいえないが、抜群の存在感を示している。主演のリチャード・ベイマーやナタリー・ウッドも好演しているが、この映画の最大の立役者はジョージ・チャッキリスだったのではないか。彼はこの映画でアカデミー賞の助演男優賞を獲得しているが納得である。

    

 映画はベルナルドも、トニーも抗争の中で命を落としてしまうという悲劇で終わるのだが、映画の背景には、アメリカが抱える古くて新しい人種差別という問題が横たわっていた。一方で、映画が制作された1961年というと、昭和36年である。私はまだ15歳の中学生の時だ。日本はまだまだ敗戦からの復興を目指していた時代である。映画の冒頭、ニューヨークの街を俯瞰する映像が映し出されるが、そこには高層ビルが林立し、立体交差する高速道路が縦横に走っているという富める国アメリカが映し出されていた。映画の観客たちは富める国アメリカへの憧れを強く抱いたのではないだろうか?私はマリアが勤める洋裁店の窓にかかるロール式のカーテンを見て、今でもお洒落なロール式のカーテンが60年前にアメリカの下町の小さな店に架かっていたことに小さな驚きをもって観ていた。

 批評家たちによるとミュージカル映画として「ウエスト・サイド・ストーリー」を上回るものは60年を経過した今も現れていないという。それくらい観客を魅了した映画だった。ところが奇しくもというべきか今年(2021年)の12月に、あの名匠ステーヴン・スピルバーグ監督によってリメイク版が公開されるという。公開されたならぜひとも映画館に足を運び観てみたいと思っている。

 ※ なお、本作は昨年12月31日にNHK・BSプレミアムで放送されたのだが、録画しておいて昨夜になって観たものである。


氷瀑巡り №3 平和の滝 & 布敷の滝

2021-01-25 16:09:19 | 環境 & 自然 & 観察会

 昨日午後、星置川水系から琴似発寒川水系に転進し、「平和の滝」、「布敷の滝」の氷瀑見物に向かった。ところが私の見通しは甘かった。「布敷の滝」へ至るルートはもう冬山登山そのもので、私にとっては悪戦苦闘の氷瀑巡りとなった。

 昨日午前、札幌市手稲区の金山地区の「星置の滝」、「乙女の滝」を見た後、西区西野地区の奥地にある平和地区に向かい「平和の滝」、「布敷の滝」の二つの氷瀑見物に向かった。 

平和の滝

 「平和の滝」は、札幌の観光スポットの一つとなっており、滝の直前まで道路が造られており、そこには駐車場も備えられている。ところが冬季間は、駐車場は除雪されておらず閉鎖されていた。そのため「平和の滝」の近くの道路は大量の車が路上駐車していた。その数は4~50台あったのではないだろうか?

   

   ※ 駐車していた車はその先にもずーっと続いていました。

 それらの車は「平和の滝」見物が目的ではなく、好天だったこともあり「手稲山」登山に向かった人たちが多かったようだ。

 「平和の滝」は車を停めたところから2~300m歩いたところにある。そこを訪れる人はそう多くはないようで、微かに足跡が残っているだけで、ツボ足ではけっこう苦労をして滝に向かった。「平和の滝」は落差約10mの幅の広い滝であるが、全体に雪が被っていて残念ながらその全容を見ることはできなかった。そのことが訪れる人が少ない要因か? 

   

             

布敷の滝

 「布敷の滝」は手稲山登山の際の登山口「平和の滝口」から手稲山を目ざす際に、その途中に出合う滝である。登山口から2.5キロ登ったところにあるとなっている。この地点は手稲山登山の場合の中間点である。私がこの登山口から手稲山に上ったのは10年前の2011月7月であるが、「布敷の滝」については微かに記憶に残っていた。

   

   ※ 手稲山登山の「平和の滝口」の登山口です。

登山ルートは多くの登山者が通った後が幅広く残り、雪道も硬く固まっていた。登り始めは傾斜がわずかに付いたくらいのだらだらとした上りが続いた。時折上からスキーを付けた人が降りてきたが、彼らは手稲山を登山した人ではなく、途中まで登った後にスキーを楽しむ人たったようだ。

   

   ※ 登り始めは写真のような緩やかな幅広い道が続いていました。

登山口から1キロ、左手に滝のようなものが見えたが、よく見るとコンクリート製の砂防ダムが作った水の流れだった。

   

   ※ 砂防ダムによってせき止められた水が落ちていた場所です。

 だらだらとした上りはその後も続いたが、徐々に斜度が強くなってきたようだった。高度が増したからだろうか?林間が疎らとなり、太陽が顔を出し背中に汗を感じ始めたので、ミドルを一枚脱いだ。

   

   ※ 登山ルートは徐々に、徐々に傾斜が増していきました。

そのころから手稲山登山を終えて下山する人たちと出会うことが多くなってきた。その方たちに「布敷の滝までどれくらいですか?」と問い続けた。そして「あと3~40分くらいですかねぇ」と言われた辺りから、ルートはグッと厳しくなった。基本的には沢コースなのだが、川筋を激しくアップダウンを繰り返すのである。もう完全な登山モードだった。何度アップダウンを繰り返しただろうか?ようやく眼前に「布敷の滝」が姿を現した。山道の2.5キロは遠かったぁ。その時、時計は登山口から1時間30分が経過していた。苦労して到達した「布敷の滝」だったが、ここもやはり雪に覆われていたためか落差10mあるということだったが規模は小さく見えた。

   

   ※ このようなきつい登りの箇所が何ヵ所もありました。

   

   ※ ようやく到達した「布敷の滝」です。雪に覆われていてちょっとガッカリ?

        

   

 この日、私は脇道にそれたりしたことが何度かあったためだろうか?スマホの歩数計は、23,638歩、16.7キロを示していた。うーん。疲れたぁー。それでも好天の中、雪と戯れることができた一日に満足、満足の一日だった。

 


氷瀑巡り №2 星置の滝 & 乙女の滝

2021-01-24 19:41:24 | 環境 & 自然 & 観察会

 久しぶりに晴れ上がった札幌の空の下、滝野すずらん丘陵公園内の滝に続いて氷瀑巡りを楽しんだ。水しぶきを上げる夏の滝とはまだ違った姿を見せる冬の氷瀑もなかなか良いものである。

   

   ※ 雲一つない今日の札幌の青空でした。(午前中)

 このところ降雪が続いたり、曇り空が多かったりと滅入る日が多かった札幌だが、今日はスカッと気持ち良く晴れ上がった札幌の空だった。そこで私も早速フィールドに飛び出した。今日は手稲山山麓にある四つの滝を巡って歩いた。その四つとは、「星置の滝」、「乙女の滝」、「平和の滝」、「布敷の滝」の四つである。四つの滝は川筋が二つに分かれるので、今日と明日の二日にわたってレポすることにする。

星置の滝

 「星置の滝」は星置川にできた滝であるが、近くに手稲西小や手稲西中があるなど、住宅街に近いところに位置する滝である。

   

   ※ 「星置の滝」は車道のすぐ横から谷に下ります。

   

   ※ このように入口から階段状に下っていきます。

 滝のすぐ傍には「真言宗巣立祈祷道場 如意輪寺」という除霊ができるお寺があるなど心霊スポットとしても有名な滝である。

   

   ※ ちょうど階段状のところを降りたところに如意輪寺の建物がありました。

   

   ※ お寺のある所から、さらに細い道を上っていくと…。

 滝の入口は道路脇にあり、滝に行くには難しくない。道路脇から階段状に200mほど急降下すると、川向に如意輪寺が見える。そのお寺に行く橋は、一般人は使用することができないようだ。お寺を横目にさらに進むと、そこに「星置の滝」が現れる。高さ12mとけっして大きな滝ではないが、全体が氷に覆われていた。しかし、滝を落ちる水の流れの音が聞こえてくる。そして滝壺は満々と水を湛えていた。つまり滝を流れ落ちる水の外側は凍っていたけれど、内部は今も水が流れ落ちていた。

   

   ※ 正面真ん中の氷の中を水が流れ落ちているものと思われました。

   

   ※ 滝つぼはごらんのように凍ってはいませんでした。

乙女の滝

 同じ星置川の上流にあるのが「乙女の滝」である。「乙女の滝」と命名された理由は、滝を流れ落ちる水の様子が優雅なことからつけられたとされている。

   

   ※ 手稲山登山の登山口「乙女の滝口」の標識です。「乙女の滝」まで1.4キロを歩きました。

 「乙女の滝」へ行くには、地図で確認すると「星置の滝」からさらに道路を遡り、道路が途切れたところから川沿いをスノーシューで近づこうと考えていた。ところが現地へ行ってみると、道路は企業の私有地(三菱マテリアル)のようで、きれいに除雪はされているものの、進入禁止となっていた。

   

   ※ 先行者の足跡を辿って「乙女の滝」に向かいます。

 そこで仕方なく、手稲山登山の「乙女の滝口」に車を置き、そこから徒歩で向かうことにした。距離にして約1.5キロである。先行者が雪を踏み固めていてくれたために、スパイク付き長靴で向かうことにした。天気は晴天、風はなく絶好のコンディションである。しんと静まりかえり、雪に覆われた林の中を歩くのはとても気持ちの良い。

 気持ちが良かったせいだろうか?ここで私は一つのミスを犯した。「乙女の滝」は散策路から脇道に入らねばならないのだが、その入口の標識を見落としてしまった。気が付いた時には4~500mも山道を登っていた。あわてて引き返し、脇道に入って無事に「乙女の滝」に到達することができた。

   

   ※ 写真の真ん中辺に標識がありますが、これでは見落としてしまいます。

   

   ※ この日「乙女の滝」を見に来た人はいなかったようです。

 「乙女の滝」は落差約8m。「星置の滝」よりさらに小さい。滝は二段に分かれているということだが、下の段の滝は「星置の滝」と違い、流れ落ちるところが凍っておらず、水が滑らかに滑り落ちる様子を見ることができた。

   

   ※ ちょっと小ぶりで氷瀑と称するには迫力不足かな?

   

 二つの滝とも氷瀑と称するにはやや小ぶりかな?とも思われたが、私の中では氷瀑のコレクションが増えたと思い満足している。

※ 今回を「氷瀑巡り №2」とするために、先に訪れた「アシリベツの滝」と「鱒見の滝」を№1とすることにした。                                 


山野井泰史著「垂直の記憶」

2021-01-23 16:47:29 | 本・感想

 著者の山野井泰史は言う。「クライマーは常に上のレベルを目ざして登り続ける」と…。そして山野井はこうも言い切る。「いつの日か、僕は山で死ぬかもしれない。死の直前、僕はけっして悔やむことはないだろう」という。私たち常人には計り知れない世界的クライマーの胸の内を覗いた。

          

 私が山野井泰史を知ったのは今から15年前、ノンフィクション作家・沢木耕太郎が「凍」を著したときだった。「凍」は山野井泰史・妙子夫妻が、ヒマラヤの高峰・ギャチュンカンに登頂後に雪崩に遭い、瀕死の重傷を負いながらも生還した一部始終を著したノンフィクションである。山野井夫妻はこのとき生還はしたものの、山野井が右足の指5本全部と、左右の手の薬指と小指を、妙子夫人は手の指全てを付け根から切断するという大怪我を負ってしまう壮絶な山行の記録を読み、戦慄を憶えたことをよく記憶している。

          

 また、その後NHK特集で山野井夫妻が住む奥多摩山奥の住宅にカメラが入り、山野井夫妻にインタビューする番組も視聴することができた。その時、彼らの手や足の指はほとんどない姿だったし、妙子夫人は顔にも後遺症が残っているように見えた。

        

  ※ 自宅で寛ぐ山野井夫妻です。妙子夫人の頬には後遺症が残っているように見えます。

 そのNHK特集で印象的だったのは、山野井夫妻が手足の指を失ったことに対しての悲壮感などみじんも感じさせなかったこと、手の指全てを失った妙子夫人が不自由な両手を工夫し家事をしっかりとこなしていたことが印象的だった。そして夫妻は不自由になった手足を使ってさらに岩壁に挑もうしていることを知り驚愕したものである。

  山野井の登攀スタイルは、アルパイン・クライミングと称されるクライミングスタイルで、もともとは「ヨーロッパアルプスでのクライミング」という意味のようだが、そこから派生し「難易度の高いルートを選んだ登山」とも言われ、非常に危険性の高いクライミングである。 

 本書は、その当人がギャチュンカンに登頂そして遭難も含め、印象に残っている7つのアルパイン・クライミングの挑戦の様子を自ら綴ったものである。その一つ一つのクライミングは、一つ間違えばそこには死が待ち構えているような過酷なクライミングの連続である。その表現力はさすがに沢木耕太郎には及ばないものの、クライマー自身が語っているところに説得力がある。

 また、世界的なクライマーと称されるようになった背景には山野井が中学生のころから絶え間なくクライミングを続けてきたこと、そしてそのクライミング一つ一つに全身全霊を傾けることによって培ってきた体力、知力の総合力が今の山野井を形成しているということが理解できる書だった。

       

        ※ 失くしてしまった手の指を見つめる山野井氏です。

 山野井のようなクライミングは、いつもが死と隣り合わせのクライミングである。だから彼はいつも死を感じているという。だから彼は言う。「ある日、突然、山での死が訪れるかもしれない。それについて、僕は覚悟ができている」と…。もうこのレベルになると、私たち素人が彼のやっていること、やろうとしていることをとやかく言う資格はないということかもしれない。できうるなら、山野井夫妻にはこれからもアルパイン・クライミングを追求していただきながら、いつの日か山から離れ安穏な生活も味わっていただきたいと思うのだが…。

 今日、山野井泰史氏は50歳に到達したはずであるが、彼は今もなお不自由な手足を駆使しながらいまだにクライミングを続けているという…。


札幌でしかできない50のこと〔32〕カフェ & バー Bossa

2021-01-22 16:57:14 | 札幌でしかできない50のこと

 店内の壁面はジャズのレコードやCDでうず高く陳列されていた。その数およそ14,000枚とか…。そして店内ではピアノを中心としたジャズミュージックが大音量で流れていた。

   

   ※ 壁面にびっしりと並べられたジャズのレコード&CDのコレクションです。

 「札幌でしかできない50のこと」№32はカフェ & バーの「Bossa」である。ガイドマップ上では№16にリストアップされている。そこには9000枚のレコードに囲まれる」と題して次のような紹介文が載っている。「40年以上、レコードとCDが増えるにつれ場所を変えながら営業してきた、ジャズカフェ&バー。ランチやドリンクを楽しみながら気軽に音楽に浸れるので、ジャズ初心者から往年のジャズファンまで客層は幅広い。ミュージックチャージはない。」とある。

   

   ※ 店内の様子です。中央の窓から唯一自然光を採り入れています。

 実はこのBossaを訪れたのは、昨日レポートした「いそちゃん」を訪れる前だった。数年前に一度訪れた時は夜間だったので、すっかり夜だけ開店するお店と思っていたのだが、店のHPを見ると11時開店と知って午後1時過ぎに訪れた。

 札幌駅前通りのススキノ寄りのビルの2階に店はある。入店するといきなり大音量(と云っても耳をつんざくような音ではないが)のジャズミュージックが耳に飛び込んできた。店内はさすがに客の姿はなく閑散としていた。わずかに一人の常連のような人がカウンターで昼飲みをしていた。

   

   ※ Bossaのある駅前通ですが、人通りが少ないですね。

 店内の壁を見ると、ラックに入ったレコードやCDがうず高く並んでいた。紹介文では コレクション9000枚となっていたが、ガイドブックが発刊されてから10年、コレクションはさらに増えたようで、今や14,000枚に達しているようだ。

       

       ※ ビルの2階のBossaの入り口です。

 私はさすがに昼飲みは遠慮して、コーヒーとミックスナッツでちょっと長居をしようと考えた。私はしばし持参した読書中の文庫本を持ちこんでジャズミュージックをバックにしてしばし読書を楽しんだのだった。

    

   ※ ちょっとブレてしまいましたが、私がオーダーしたコーヒーとミックスナッツです。  

《カフェ バー Bossa 概要》

〔住  所〕札幌市中央区南3条西4丁目 シルバービル2F

〔電  話〕011-271-5410

〔開館時間〕21時~翌日1時

       日曜営業  

〔定休日〕 無

〔座席数〕 40席(カウンター席、テーブル席)

〔駐車場〕 無