田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

卓上四季 580字の哀歓

2012-10-31 23:08:35 | 講演・講義・フォーラム等
 毎日執筆しなければならないというプレッシャー、読者の厳しい批判に耐えられる神経、などなど…。北海道新聞の1面コラム「卓上四季」を担当した経験のある二人のベテラン記者が対談形式で執筆の裏側を語った。 

 北海道新聞(通称:道新)の記者と読者の交流を目的とした「道新ニュース・カフェ」が開催された。カフェは2部に分かれていて、道新コラム「卓上四季」の担当記者の話と、北方領土問題を担当した記者の話を聞くという2部立てだった。私は両方ともに希望したのだが、前半の「卓上四季」のみ聴講可能な入場券が届いた。

 「卓上四季」を語ったのは、高橋純二編集委員と菅原淳経済部長の二人だった。
 二人が「卓上四季」を担当したのは、高橋氏が2004年2月から2006年6月まで、菅原氏が2006年7月から2010年6月までだそうだ。菅原氏が高橋氏から受け継いだということもあり、二人はリラックスした形で対談は進んだ。

 新聞の1面コラムはその新聞の顔である。執筆担当者は文章が書けて、その上その新聞社の知性を代表するような人でなければならない。人選は時の編集局長に委ねられているということだが、記者としてさまざまな経験を積み重ね、ベテランという域に達した人の中から、新聞社の知性を代表する人ということで二人はメガネに適った人だったということだろう。
             
 コラム担当になると、もっぱらコラムの執筆に専念するという。毎日毎日あの580字という短い文章の中に時の話題や関心事、あるいは人々の関心を喚起させるなど、多岐に渡る内容を平易な言葉で分かり易く表現しなくてはならないのだから大変である。
 二人は毎日の文章を捻り出すために、それぞれの方法でアンテナを張り、緊張しながら毎日を過ごしていたということだ。それだけにその日の原稿を書き終えると、開放感に包まれ居酒屋へ直行することも度々だったとか…。

 二人と比ぶべくもないが、文章を捻り出すということにおいては、私も毎日このブログを投稿するためにそれなりに苦労をしているので、二人の気持ちが少しは分かる気がすると言ったら「レベルが違うよ」と失笑されそうだ。

 菅原氏がコラムニストの辛さを上手く表現していた。
コラムニストとして朝起きると怖いことが三つあると…。一つは、「今日、自分は原稿が書けるだろうか」という怖さ。二つ目は、「今日はいったい何を書いたら良いんだろうか」という怖さ。三つ目は、「他紙のコラムと比べて自分のコラムはどうなのか」という朝、他紙を読む怖さ。と語っていた。どれも分かる気がする。(と言ったら驕りと取られるだろうか?)

               
※ 残念なことにカメラはNGだった。そこで二人ともウェブ上から拝借した。写真は千歳支局長時代の菅原氏である。

 また、高橋氏はコラムニストとしての心構えを次のように話した。
 コラムニスとは常に野党であるべきだ、とその心構えを話した。(批判的精神を忘れるな、ということだろう。註 丸尾)
 そして、自分は何も知らないんだというところからスタートし、読者の問題意識を喚起するように努めたということだ。
 最後に、読者からの反響、お叱りが常に緊張感を与えてくれた、と…。

               
※ この方はテレビで見たことがある人もいるかもしれない。UHBテレビなどでコメンテーターをしている高橋氏である。

 その他、コラムニストのあれこれをさまざまな角度から語ってくれたが、二人とも異口同音に「苦しかったが、楽しかった」と語ってくれた。その最大の理由は、「書きたいと思ったことを自由に書かせていただいたから…」と話したのが印象に残った。
 自由にとはいえ、新聞の1面を飾るのだからたくさんの制約があるだろうことは容易に想像できるが、その中でも最大限の自由を与えられていたということだろう。

 ニュース・カフェには先輩のF氏も参加されていた。
 ニュース・カフェが終わった後、F氏とカフェで歓談した。二人で、「コラムニストの肉声を聴いたことで、これからは今までよりも興味深く新聞のコラムを読めそうですね」と話し合ったのだった…。

藻岩山の紅葉 (;>_<;)

2012-10-30 23:09:14 | 環境 & 自然 & 観察会
 ちょっと好機を逸してしまったようだ…。藻岩山の紅葉はその最盛期を過ぎてしまったようだ。ロープウェイの高度を増すにつれ、茶褐色の葉が目立った。それでも…。 

 このところ私のブログは《講演・講義・フォーラム等》のカテゴリーばかりが続いている。たまあには口直しも必要と考え、ロープウェイを駆って藻岩山の紅葉を愛でて来たのだが…。
  
 今年の1月、もいわ山ロープウェイの「年間パスポート」を購入しながら、妻はその後一度も利用していなかった。(私は2度くらい利用していた)
 そこで「藻岩山の紅葉を見に行こう!」と出不精の妻を誘った。
 所用もあり出かけたのが午後3時、しかも天候は曇っていて光量が少なく、紅葉の写真を撮るには条件が悪かったが、今日を逃すとこの後はしばらく行けないこともあり敢えて行くことにした。

 藻岩山の山麓についてみると全山が紅葉して色付いているようだった。
 さっそくロープウェイに乗って山頂を目ざした。ロープウェイから見る藻岩山は黄色や褐色を中心に色付いていたが、赤い色は少ない印象だった。
 ところがロープウェイの終点、中腹駅が近づくとすでに落葉してしまった木が目に入ってきた。

          

          ※ ご覧のようにきれいに色付いてはいるが、赤色が少ないようだった。

          

          
          ※ 中腹駅のところでは褐色になっていたり、落葉したりしていた。

 中腹駅から写真を撮るため歩いて登ることにした。
 やはり落葉した木が目立ち始めた。それでもまだ葉を付けている木を探しながら撮影した。

          

          ※ う~ん。今や落葉寸前といった状態でした。

                   

 山頂からは遠くを俯瞰するように写真を撮り続けた。赤色の葉は見えないものの、黄色、褐色の葉がグラデーションを描くと共に、そこにビル群が加わるのが藻岩山の紅葉の特徴だろうか?

          
          ※ 山頂から藻岩山スキー場の方を眺めたところです。

          
          ※ これは札幌の南方向、札幌岳の方向です。

          
          ※ 円山も全山色付いていました。

          
          ※ ビルの間に浮かぶ緑の島は中島公園です。

 先日の〈紅桜公園の紅葉〉があまりに見事なものだったから、少々がっかりした気分だったのだが、ロープウェイで山を下り山麓駅に着いたとき、その周辺に赤く紅葉した葉をたくさん目にすることができた。その光景を目にすることができたので、藻岩山の紅葉もヨシ!とすることにしょう。

          

          

          

          

英字新聞の見出しから見えてくるアメリカの今

2012-10-29 23:34:14 | 講演・講義・フォーラム等
 オバマ氏の再選なるのか? それともロムニー氏がその座を奪い取るのか? アメリカ大統領選挙が間近い。武蔵教養セミナーに参加し、英字新聞の見出しから大統領選の行方が透けて見えてくるような気がした…。 

 北海道武蔵女子短期大学(北区北22西13)が市民向け公開講座「武蔵教養セミナー」を開催するとあって受講することにした。
 今年のテーマは「アメリカを知る ~社会・歴史・文化の諸相~」というテーマで3回にわたって開講される。10月27日(土)に第1講が開講した。第1講のテーマはタイトルのとおり「英字新聞の見出しから見えてくるアメリカの今」と題して、同短大の佐々木教授がアメリカ大統領選挙に関する記事を特集的に収集し、そこからアメリカの今を見る、というものだった。

          
          ※ 北海道武蔵女子短期大学の正面です。

 私にとって初めて足を踏み入れる女子大学だったが、当然と云えば当然か?大学内がとてもきれいで清潔だったことが印象的だった。全ての女子大学がそうなのかどうか知る由もないが、少なくとも武蔵女子短大の学内は隅々まで清掃が行き届いている印象だった。

          
          ※ ご覧のように大学内は隅々まで清掃が行き届いていました。

 さて講義の方だが、佐々木教授はA3版4ページに主としてニューヨークタイムズ、ワシントンポストなどの主要紙の見出しを抜書きし、アメリカ大統領選挙を巡る動きとその背景に迫った。

 たくさん提示された見出しの中から印象に残ったものを紹介することにする。
 まずは大統領選に向けたそれぞれの党大会における演説から
 ・Romney Vows to Deliver Country From Economic Travails (・ロムニー氏、経済的辛苦からこの国を救い出すことを誓う 《ニューヨークタイムズ》)
 ・Obama Makes Case for 2nd Term:‘Harder’ Path to ‘Path to Better Place’ (・オバマ2期目を目指し自らの信念を示す。「より困難な」道のりだが、「より良い場所」へ向かうのだと 《ニューヨークタイムズ》) ※以下は英文を省略します。

          
          ※ 講義をする英文科教授の佐々木勝志氏です。  

 オバマ大統領の肝いりの国民皆保険制度(通称:オバマケア)は下院の抵抗で廃案となったが、その時の見出しと一部記事の内容が紹介された。
 〈見出し〉 ・ヘルスケア法廃止、再び下院で可決 
 〈記 事〉 ・下院は水曜日、オバマ大統領のヘルスケア見直し法の廃止を決めた…。法案は244 対 185 で可決したが、民主党の5人も廃止に賛成した。

 そのオバマケアに関する記事をさらに二つ紹介する
 ・保険に加入している人でさえ深刻な病気になると経済的破綻に直面する
 ・保険に入っていたが、破産してしまった
 いずれもオバマケアをネガティブに報道しているように受け取れる。

 続いて、ロムニー氏も糾弾する経済問題についての記事である。
 ・5000万人近いアメリカ国民が貧困が原因で十分に食べられない状態に苦しむ
 ・食べ物を買うための家族の苦闘
 ・アメリカの空腹は14年来の高さ
 ・肥満と飢えの間のパラドックス
 ・どこが赤字?ウォールストリート高額のボーナス払う

          
     ※ 講義が行われた教室です。受講生が少ないようですが、休憩時間のためみなさん席を立っています。

 
 これでもか、これでもかと現政権(オバマ大統領)の失政(欠点)を突く見出しが目立つ。まだまだたくさんの見出しを紹介されたのだが、論調は一貫しているように感じた。マスコミは時の権力に対して批判的になるのが常かもしれないが、それにしてもアメリカ経済の低迷に対してアメリカ全体に相当にフラストレーションが溜まっていることを物語ってはいないだろうか?
 来る12月5日に判明するアメリカ大統領選挙はオバマ現大統領にとっては相当に厳しい選挙であるように思えた。

 最後にワシントンポスト紙は10月26日付の新聞で次のような見出しを付けたのを紹介して今日の投稿を締めることにする。
 ・合衆国は世界規模の断崖絶壁から転げ落ちる危険

北の歴史が動いた瞬間 3

2012-10-28 23:07:53 | 札幌学 & ほっかいどう学
 北の歴史が動いた、というよりは日本の歴史が動いた瞬間である。講師の合田氏は、日本が太平洋戦争に突入した、日本の歴史が動いた瞬間を昭和16年12月8日の開戦の詔書が発せられた時であると新聞記事の写しを示した。 

 札幌学院大学コミュニティカレッジ「北の歴史が動いた瞬間」第3講(最終講)は10月25日(木)に行われた。第3講のテーマは北海道の歴史というよりは、日本の歴史の大きな転換点であった「太平洋戦争」がテーマだった。本日の投稿は少し長くなるが、興味のある方はお付き合いください。

               
          ※ 昭和16年12月9日付の朝日新聞夕刊です。左側に小さく社説の欄が見えます。

 合田氏は朝日新聞の昭和16年12月9日付夕刊(実際は8日の夕刊だが、当時の慣習で夕刊は翌日付で発行されていたそうだ)のコピーを受講生に渡した。そこには 「宣戰の大詔渙發さる」 という大きな見出しが躍り詔書全文が載っていた。

        
        ※ 宣戦の詔書の写しです。(ウェブ上から)

 その詔書は非常に興味深いものだが原文ではとても内容の把握が難しい。そこでウェブ上に現代語訳文が載っていたので、それを紹介することにする。そこにはなぜ日本があのような太平洋戦争に突入していったのか、日本人の側から見た答えがそこにある。

神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、私の国民はおのおのその本分をつくし、一億の心をひとつにして国家の総力を挙げこの戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。 
そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、私が常に心がけている事である。そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。 中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとし、長い間、忍耐してきたが、米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。 
皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。 

 そしてこの詔書の横に朝日新聞の社説が掲載されている。その社説そのものは鮮明さを欠いていて判読困難なのだが、これもまたウェブ上から見つけたので紹介することにする。(というのも、後ほど紹介するニューズウィーク紙の社説の対比が興味深いからである)

          
          ※ 講義をする合田一道氏です。

帝國の對米英宣戰 と題した朝日新聞の社説である。

 宣戦の大詔ここに渙発され、一億国民の向うところは厳として定まったのである。わが陸海の精鋭はすでに勇躍して起ち、太平洋は一瞬にして相貌を変えたのである。 
 帝国は、日米和協の道を探求すべく、最後まで条理を尽くして米国の反省を求めたにも拘わらず、米国は常に謬れる原則論を堅守して、わが公正なる主張に耳をそむけ、却って、わが陸海軍の支那よりの全面的撤兵、南京政府の否認、日独伊三国同盟の破棄というが如き、全く現実に適用し得べくもない諸条項を強要するのみならず、英、蘭、重慶等一連の衛星国家を駆って、対日包囲攻勢の戦備を強化し、かくてわが平和達成への願望は、遂に水泡に帰したのである。すなわち、帝国不動の国策たる支那事変の完遂と東亜共栄圏確立の大業は、もはや米国を主軸とする一連の反日敵性勢力を、東亜の全域から駆逐するにあらざれば、到底その達成を望み得ざる最後の段階に到達し、東條首相の言の如く『もし帝国にして彼等の強要に屈従せんか、帝国の権威を失墜し、支那事変の完遂を期し得ざるのみならず、遂には帝国の存立をも危殆に陥らしむる結果となる』が如き重大なる事態に到達したのである。 
 事ここに到って、帝国の自存を全うするため、ここに決然として起たざるを得ず、一億を打って一丸とした総力を挙げて、勝利のために戦いを戦い抜かねばならないのである。 

 社説は詔書を受け、国民を鼓舞する内容になっている。対して、合田氏が用意してくれた開戦当時のニューヨークタイムズが興味深い。記事と共に紹介された12月8日付のニューヨークタイムズの社説を紹介する。

 日本との戦争 

 日本の攻撃に対する一つの答えは、日本に対してただちに宣戦布告をすることである。これは、日本が、アメリカがその力を大西洋から太平洋に振り向けることを望むドイツの力に屈した結果なのか、狂気に満ちた日本軍部主導による単独の行為なのかは、まだよくわからない。しかし、今重要なのは米国の防衛を破壊する行為が敵国によって行われたことである。 
 我々はこの行為に対し、すみやかに応戦するだろう。ただ、我々にとって最大の脅威は日本ではなくドイツであることを忘れてはならない。本当の戦いは極東ではなく、英仏海峡にあるのである。欧州戦線の兵力を常に整備しなくはならないのである。ヒットラーが打倒されれば、自ずと極東情勢は収拾する。しかし、仮に日本に勝利したとしても、ヒットラーが欧州で勢力を握れば、我々の危機は増大するのである。 
 米国は攻撃された。米国は今危機にある。国を愛する国民は民主主義を信じ守り通そう。我々は、この国土と現在、未来、そしてこの自由な国土で我々が築きあげてきた生活を守るために、戦闘を開始するのである。 

 下線は私が付けたものだが、日本が宣戦布告した太平洋戦争に対して、日本を脅威とは捉えていない米国の本音を見て取れる。日本が宣戦布告をしてきたので、その防御のために戦闘に入るのだという米国の思いであり、本当の脅威は欧州戦線にあるとしているところが見て取れる。

 この二つの新聞の社説のトーンの違いをどう解釈すべきなのだろうか? 合田氏は別の資料を用意して、当時の日米両国の国力・軍事力を比較したものを用意してくれた。それを見ると両者の差はあまりにも歴然としていて、愕然とする思いである…。

          
     ※ 合田氏が用意した米軍による日本国民に抵抗を止めるよう呼びかけるパンフの写しです。

 かくして3回にわたった合田一道氏による「北の歴史が動いた瞬間」の講座は終了した。またどこかの機会に合田氏の講座をぜひ聴いてみたいと思った三日間だった。

エネルギーシンポジウム2012

2012-10-27 23:24:52 | 講演・講義・フォーラム等
 現在の日本においてはエネルギー問題 = 原発問題である。今回のエネルギーシンポジウムももっぱら原発問題に終始した感があったが、今回のパネリスト、コーディネーターは原発推進派、あるいは原発推進容認派の方々の論だったように受け止めた。 

 10月23日(火)ホテル札幌ガーデンパレス(中央区北1西6)において「エネルギーシンポジウム2012」が開催され参加してきた。シンポのテーマは「エネルギー政策を考える ~エネルギー選択と社会・経済の行方~ 」というものだった。

 シンポのパネリストは、21世紀政策研究所 研究主幹で最近マスコミでエネルギー関係の発言が目立つ澤昭裕氏、評論家でテレビでおなじみの小沢遼子氏、原子力研究者で北大大学院教授の奈良林直氏の3人だった。
 シンポを掌るコーディネーターには、NHKのニュースキャスターとして活躍し、現在千葉商科大学の教授である宮崎緑氏が務めた。

 登壇するメンバーを見て、奈良林氏がどのような主張をする人なのかはまったく未知だったが、全体として原発を容認するような論調になるのではないかとの思いを抱きながらシンポを見守った。

          
          ※ 北大大学院教授の奈良林直氏

 ところが未知だった奈良林氏が最も鮮明に原発推進を唱えたのだ。
 氏は原子力の研究者としての立場もあるのだろうが、再生可能エネルギーが代替エネルギーとはなり得ていない現実、産油国が原発増設を目ざしている現実、ドイツの再生エネルギーを産み出すことが従来の10倍のコストをかけながらも1/10の発電量しか生み出していない現実、等々から基幹電源としての原子力は絶対に必要だと主張した。

          
          ※ 21世紀政策研究所 研究主幹の澤昭裕氏

 澤氏は民主党政権が2030年代に原発依存ゼロを目ざすという政策はエネルギー政策の全体像を描いていない中での決定であると批判した。そして原発問題を「命と経済」という対立する概念として捉えるかぎり解決しない問題であるとし、国がエネルギー問題について政策的に全体像を決定することが先決だと説いた。(ガバナンスの問題であるという言い方もした)
 そして原発を火力に替えることによって2割のコストアップになる。世論は「原発もいや、料金値上げもいや」という虫の良いものである。はたして国民はコストをどれだけ負担できるのか、その覚悟を自らに問う必要がある。

          
          ※ 評論家の小沢遼子氏

 小沢氏は過去の日本の原発推進の政策を批判しつつも、原発反対派の「原発を止めよ!」というばかりではなく、原発容認側も「安全な原発をよこせ!」というデモをすべきではないかと言う。と言いながら、「リスクを負うべき」とも言う。リスクを負うとは、原発の危険性を覚悟せよ、ということなのだろうか?
 結局、私は小沢氏のスタンスが最後まで分からなかった。

             
     ※ 宮崎緑氏の写真だけは遠くて撮影不可能だったのでウェブ上からお借りした。

 コーディネーターの宮崎氏は慎重にシンポジウムを進め、自らの意向は鮮明にしなかったが、言葉の端々に彼女の思いが滲み出ていたように思ったのだが、それは私の穿った見方か?
 彼女は最後に「水を飲んだら、井戸を掘った人を忘れるな」という諺を披露してシンポを閉じたが、その意味するところは?

 資源のない我が国においてエネルギー問題は国の根幹を揺さぶる問題であることは私が指摘するまでもないことである。
 現状のままの日本を維持していくためには確かに膨大なエネルギーを必要としている。果たして私たちはこれまでの日本の姿をこれからも求めていくのか。
 それとも相当の犠牲と覚悟をもって、これまでの日本とは違った姿になることを受容しようとしているのか。私たちは難しい選択を迫られているのではないか、と感じたシンポジウムだった。

紅桜公園の紅葉 最盛期!

2012-10-26 17:05:05 | 環境 & 自然 & 観察会
 札幌の秘境(?)紅桜公園の紅葉を愛でて来た。カエデが鮮やかに色づき、今が最盛期である。澄川の奥まった一角に位置する紅桜公園の紅葉は一見に値する紅葉だと思う。 

 私はいつも自身のブログのアクセス分析をチェックしている。すると、昨日、本日と今年春に投稿した「札幌の秘境?紅桜公園」の投稿がトップページに次いで多い閲覧数(昨日62、本日36)となっていた。
 いつもは近々に投稿したブログが上位に来るのに、どうして?という思いを抱いた。
 
 ここからは私の推測である。
 札幌の紅葉ポイントとして名高い紅桜公園の情報をウェブ上で得ようとしたところ、私が投稿した「札幌の秘境?紅桜公園」がヒットしたのではないだろうか?と推測したのだ。

 だとしたら、きっと紅桜公園の紅葉は今が見ごろではないだろうか?と考えた。ウェブ上では昨年の10月20日撮影の動画が見事の景色を映し出している。今年は残暑の影響で昨年より一週間後の本日あたりが見ごろ?
 「これは行ってみなくては!」と思い立ち、妻と妻の友人を誘い、本日の午後紅桜公園(南区澄川389番地)を訪れてみた。
 私の推測は間違いではなかった。
 園内は錦秋の秋を現出していた。赤や黄、そして紅葉には至っていない緑と、色さまざまに見事な光景がそこにあった。
 たくさんのアマチュアカメラマンも盛んに紅葉に照準を合わせていた。私もそれを真似て下手な写真を数枚撮ってみた。
 今日の投稿は紅桜公園の紅葉の写真の羅列でお茶を濁すことにする。

          

          

          

          

          

          

          

          

          

          

          

          

森末慎二さんの漫談(?)を聴く

2012-10-25 22:19:28 | 講演・講義・フォーラム等
 森末慎二氏というとロスアンゼルスオリンピックの体操の鉄棒競技で10.0という満点を叩きだし、金メダルを獲得したことで有名である。その後、タレントに転身したが彼の講演を聴く機会があった。その講演はタレントらしく(?)漫談調であった。

 10月21日(日)午後、道新ホールにおいて「北海道心臓協会市民フォーラム2012」が開催され、森末氏はそのゲストとして招聘されたようだ。
 フォーラムの前半は札幌医大の三浦教授による「心臓病予防の肝腎かなめは腎臓にあり」と題する講演だった。三浦氏のお話は「血圧の適正化によって腎機能の低下を防ぐ」という内容の非常に有益な話だったのだが、パワーポイントを駆使し早口で話す内容を理解し、それをメモするだけの余裕がなかったのは残念だった。

          

 続いて、森末氏が「緊張とプレッシャー」と題して講演した。
 話の趣旨は森末氏がロスアンゼルスオリンピックで体操競技に臨んだ際の緊張感やそこからくるプレッシャーについて語り、オリンピックを観戦するときにそれぞれの競技者が大変な緊張感の中でプレーしていることを感じながら観戦してほしい、というのが趣旨だった。
 
 話は森末氏の幼少のころ、競技を始めたころ、そして大学時代の転機など、それぞれの場面を面白可笑しく語るのである。
 森末氏の転機は大学2年の時の見舞われたアキレス腱を断裂した時だったと言います。その時1学年上の具志堅選手(ロス五輪の体操競技で総合優勝を果たした選手)と同室になって、具志堅選手の影響でリハビリに励み筋肉質の選手に変貌を遂げたときだったと言います。その描写も会場の笑いを誘いながらの話なのだ。

          

 オリンピックの競技の模様も同じである。
 まるで自身を劇画の主人公のように見立て、面白可笑しく語るのである。
 ロス五輪というと1984年の開催である。すでに28年が経過している。
 その間、森末氏はいったいどれくらいロス五輪の体操のことを語ったろうか?それはきっと相当数にのぼると推定することができる。その中で話はどんどん劇画タッチに磨きをかけられたのではないだろうか?
 
 肩の凝らない愉快な話をお聴きしたが、森末氏は現在タレントであると同時に日本体操協会の理事も務めているという。彼の生来の明るさが、競技に臨み緊張しきっている選手に笑顔をもたらすような効用を期待できるのではないかと思ったのだが…。

JOCアスリート・ペアレントサミット 後編

2012-10-24 22:49:17 | 講演・講義・フォーラム等
 今回のペアレントサミットを聴いていて日本を代表するようなアスリートに育った家庭にはいくつかの共通項が見えてきた。と同時に見えない部分もあったように思ったのはうがちすぎる見方だろうか?

           

 昨日レポートしたのに続き、司会者がさまざまな角度から質問し、それに答える形でシンポジウムは続いた。

 曰く「競技に熱中したわけ」、「競技者として高い目標を抱いたときは?」、「親子のコミュニケーションの取り方」、「スイッチが入った瞬間」などなど…。
 その中で印象に残ったことをいくつか記すことにする。

 すると、競技に熱中するようになったのは4者ともに、高いレベルで活躍したことがその原点にあるようだった。つまり成功体験が子どもを熱中させたということだ。
 競技者として高い目標を抱くようになったのも、やはり高いレベルの試合を体験して「より強くなりたい」、「日本一になりたい」、「オリンピックに出たい」という高い目標を抱くようになったということである。

          

 家庭生活において面白い共通項があった。
 高木氏 ~ 子どもはTVを観る時間がない。
 長岡氏 ~ 長岡家にはTVゲームがない。炭酸飲料がない。
 平野氏 ~ 3人の子どもにはそれぞれ家の手伝いをさせた。
 杉山氏 ~ 食事時に子どもに手伝わせた。
との発言があった。これらの言葉はシンポに参加していた親たちに少なからず影響があったようだ。(参加者同士が話し合う時間があったのだが、その中で親たちが吐露していた)

          

 最後に「親として勝利至上主義的なところはなかったか?」との質問に対して、
 平野氏 ~ 敗戦したときは親も悔しがる。そこから得るものを話し合う。勝った、負けただけで終わらないように留意した。
 長岡氏 ~ 「夢」をどう実現するか、という目標を持たせた。勝つことだけが全てではないと思っている。
 高木氏 ~ 目標は高い方が良い。スケートだけが人生じゃない。スケートを通じていろんな出会いを経験し、学んでほしいと願っている。
 杉山氏 ~ 目標と目的は違う。スポーツをする目的は「人間力を磨く」ことだ。そのために高い目標設定をし、努力することによって人間的に成長してほしいと思って杉山愛に接してきた。
         
 司会者が「人間的な成長が競技力の向上を促す」とまとめた。
 そして最後にこのアスリート・ペアレントサミットの提唱者である杉山芙沙子氏から「子どもとスポーツを通して一緒に成長していきましょう!」というメッセージが発せられシンポジウムを閉じた。

          
          ※ シンポの途中で参加者同士が交流する場面があった。写真はその場面です。

 さて今回のシンポを聴いてみての感想だが、4者の子どもはいずれも成功者、あるいは成功しつつある競技者の保護者の発言である。参加したスポーツ少年、少女の親たちは触発されたことが多かったように思う。
 しかし一方で、私は次のようにも考えるのだ。
 スポーツにおいて成功するのはほんの一握りの人間である。聴いていた親の子どもたちの多くは、残酷だがやがてどこかの段階で挫折を味わうことになると思う。その挫折に遭遇したとき、親としてどうフォローするのか。そうした際にアドバイスする方法について語り合うようなサミットの方がより有意義なのでは、と思ったのだが…。
 つまり、スポーツでは挫折を味わったが、社会人としてはスポーツの経験を生かして成功を収めた、というような体験をした方々のサミットをJOCはぜひ企画してほしいものと思ったシンポジウムだった。

JOCアスリート・ペアレントサミット 前編

2012-10-23 23:53:17 | 講演・講義・フォーラム等
 日本を代表するアスリートを育てた保護者を招いて、子育ての極意を伺うというちょっと趣向の変わったシンポジウムが開催された。それぞれの親から興味ある言葉を聞くことができた。

          
 
 10月20日(土)午後、道立総合体育館(通称:北海きたえ~る 豊平区豊平5条11丁目)で、日本オリンピック委員会が主催する「アスリート・ペアレントサミット」なるものが開催されたので参加し、アスリートたちの保護者の話を聞くことができた。

 シンポジウムに登壇したのは、
 1)元女子プロテニスプレイヤー杉山愛選手の母親、杉山芙沙子さん、
 2)女子卓球オリンピック選手平野早矢香選手の母親、平野美恵さん
 3)女子バスケットボール日本代表長岡萌映子選手の父親、長岡大尚さん
 4)女子スピードスケートオリンピック選手高木美帆選手の父親、高木愛徳さん
の4人だった。

 私自身とても興味深いシンポだったこともあり、4人の発言をことごとくメモしたために、1回の投稿ではとても全てをレポートすることができない。そこで前後編の2回に分けてレポートすることにする。

 司会を務めたJ0Cの職員が最初の質問として「子どものために心を砕いたこと」という問いがなされた。

          
          ※ 女子テニスの杉山愛選手の母親 杉山芙沙子さん

 それに対して、杉山さんは母であり、コーチである立場から3点について述べられた。それは①家族哲学を持つ~子どもは社会からの預かりものだから、例え子どもといえども互いに尊重するように心がけた。②テニスは家族で楽しむためのツールと考えた。③選手のポテンシャルを引き出すために手伝うという気持ちで接した(コーチの立場か?)、と述べた。

          
          ※ 女子卓球の平野早矢香選手の母親 平野美恵さん

 平野さんは、夫婦ともに学生時代に卓球選手だったが、①卓球は余計にすることのひとつと子どもに説いた。②自分たち(親)にできないことは、できる人に任せた。(一番良い環境を考える)③進む道は本人に考えさせて決めさせた。親はそれを支援するということを徹底した、ということだった。

          
          ※ 女子バスケットボールの長岡萌映子選手の父親 長岡大尚さん

 長岡さんは、①保護者自身も、子どものゴールイメージを具体的に持ち、親はそれに向けて全力でサポートした。②周りの関係者との信頼関係を築くことに留意した。③指導者の考えを聴き、チームメイトの保護者の方たちも良い人間関係をつくるように努めた、と述べた。

          
          ※ 女子スピードスケートの高木美帆選手の父親 高木愛徳さん

 高木さんは、①小学生時代はいろいろアドバイスしたが、中学生くらいからは自分で決めさせるようにした。②保護者は応援の立場に徹したが、やるべきことはきちんとやるように指導した。③子どもの前で指導者や先生の悪いことを言わないように留意した、述べた。

 話題はここから膨らむのだが、ここまで聴いていて、子どもの自主性を尊重した。親は子どもの頑張りを全力で支援した。というようなことが共通項として浮かび上がってくるようだ。話はこれからまだまだ続く。以降は明日レポートすることとしたい。

環境保全大国ドイツの姿

2012-10-22 14:44:29 | 講演・講義・フォーラム等
 パッシフハウス、デポジット制度、リターブル食器、三バケツ制度…、耳慣れない言葉が次々と出てきた。環境保全の先進国ドイツはさまざまな取り組みを展開し、環境保全に努めているということだ。 

 札幌国際プラザが不定期に開催している「○○○国を知るセミナー」が興味深い。
 10月19日(金)夕刻、エルプラザホール(北8西3)で開催された「ドイツ・ミュンヘンを知るセミナー ~環境編~ 」を受講した。
 講師はドイツ出身の札幌市環境保全アドバイザーのビアンカさんと、札幌市の国際交流員としてドイツ・ミュンヘンから来日したスティアンさんが務めた。

          
          ※ ドイツの取り組みについて説明するビアンカさんです。

 ミュンヘン市は人口140万人と札幌市よりは少し人口が少ないがほぼ同程度の都市と見てよい。
 そのミュンヘン市の公共交通だが、ミュンヘン市には郊外電車、地下鉄、市電、バス、と四つの公共交通機関が整備されているということで、この点は札幌市も同様である。ただし、その整備状況が段違いである。
 ミュンヘン市では郊外電車442Km、地下鉄92Km、市電71Km、バス4200Kmが縦横に整備されているということだから札幌市の比ではない。CO2削減のために市内の移動には公共交通機関の利用を促進する取り組みが浸透しているようである。
 ドイツというと自動車生産大国でもあるが、「自動車はアウトバーンを走りなさい」ということか?

 また、市内には自転車専用道路が張り巡らされているようだ。その延長距離680Kmということだから、自転車による市内移動も盛んのようだ。その一つの事例として、郵便配達は原則自転車を使用することが義務付けられているということだ。

 次にゴミ回収の実状についての報告があった。最近は日本でもほとんどの自治体が分別回収するようになったが、ミュンヘン市の特徴は「有機ゴミ」の分別回収をしていることだという。有機ゴミは当然堆肥化されている。
 冒頭に「三バケツ制度」と記したが、これは紙、有機ゴミ、最終廃棄物に分けてゴミを提出するために各家庭において三つのバケツを備えているということだそうだ。

          
      ※ 有名なオクトーバーフェスト(ビール祭)で供されるドイツ料理の皿もリターナブル食器です。

 「リターナブル食器」とは、ドイツでは公共の場で飲食する場合に使い捨て食器を使用することは法律で禁止されていて、そうした場での食器は使い終わったら回収・洗浄し、何度でも使うのである。
 札幌で年末に大通公園で開催されている「ミュンヘン・クリスマス市」において飲食をした場合、食器はこのリターナブル食器が使用されているのでご存知の方もいるかもしれない。
 その際、食器の紛失を防ぐため保証金(食器を返却すると返ってくる)を預かっているが、これが「デポジット制度」である。ドイツではビール瓶や清涼飲料水の容器にもデポジット制度が適用されているということだ。

          
          ※ スーパーなどには必ずあるというビール瓶の返却機です。

 最後に「パッシブハウス」ついてだが、パッシブハウスとは一言でいうと《暖房器具不要の家》という意味で、ドイツのパッシブハウス研究所が規定する性能基準を満たした家のことを指すそうだ。ドイツ国内では今盛んにこのパッシブハウスの建設が進んでいるとことだった。

          
          ※ 講師を務めた左がビアンカさん、右がスティアンさんです。

 その他にもさまざまな取り組みが紹介されたが、噂のとおりドイツでは環境に良いと思われることには積極的に試す・実践するという姿勢が徹底しているように思った。
 環境保全アドバイザーのビアンカさんは最後に、「日本は技術的には大変優秀な国である。もしドイツから環境保全について学ぶとしたら、それは技術ではなく、技術を生かす仕組みづくりである」と強調されたことが印象的だった。