田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

スノーシュー in 七条大滝

2020-02-29 18:02:19 | スノーシュートレック & スノーハイク

 ビジターセンターのスタッフからは「ちょっと時期が遅いかもしれない」とアドバイスされたが、やはりアドバイスどおりだったようだ。自慢の氷柱はやや後退し、期待したほどではなかったが、それなりに満足した七条大滝の氷瀑だった。   

 鈴木正道北海道知事が新型コロナウィルスの蔓延を押さえるべく「緊急事態宣言」を発し、「週末の外出は控えてほしい」と呼びかけられたのだが、その要請に目をつぶって今日もまた支笏湖周辺を彷徨し、「七条大滝」と「円山遠見」のスノーシューフィールド歩き回ってきた。人と出合う可能性が低かったこと、そして結果として誰とも出会うことなく帰ってきたのでご容赦いただきたい。

 私が「七条大滝」の存在を知ったのは二日前である。一昨日、伊達市大滝地区へ行った帰りに支笏湖のビジターセンターに寄り、情報を収集しようとしたところ、スタッフの方から「七条大滝」の存在を教えていただいた。その際、写真を見せたくれたのだが、それは2月初めのもので「今年はもう氷は後退していています」と言われた。私は「じゃ、来年にでも」と言いながらパンフレットをいただいた。

 帰宅して考えた。自分の体力からいって“来年”はあるのだろうか?と考えた。意欲がある今年のうちに行ってこよう!と思い直したのだった。

   

 今日は天気予報も良かったので午前7時に自宅を出、8時20分ビジターセンターで教えられた支笏湖から苫小牧に向かう国道276号線上に設けられた駐車場に車を停めた。

   

   ※ 朝早かったこともあり、広い駐車場には私の車だけでした。

 国道を横断し、「第一縦断林道」に入った。林道は大型の車が数日前に通ったようで雪が固まった上に昨日の雪が載っている状態だったので、スノーシューは装着せず手に持ったまま進んだ。

   

   ※ 「第一縦断林道」の入口です。

   

   ※ 林道はご覧のように大型の車のタイヤ跡がありました。

   

   ※ この足痕はキタキツネのものと思われます。

   

   ※ こちらはエゾユキウサギ?

 スタートから40分後、「鳥柵舞林道」との分岐点に至り、そこを右折して進んだ。分岐点から進むこと15分。林道右手に「七条大滝⇒」という表示に従い右折して5分、またまた同じ「七条大滝⇒」という表示があり、その指示通り右折すると、そこが「七条大滝」の上だった。

   

   ※ 「鳥柵舞林道」との分岐点です。コースは右に折れて進みます。

   

   ※ 写真中央奥に黒く映る小さな立て看板には「七条大滝⇒」と記されていました。

 ここからが大変だった。大滝の氷柱を見るためには崖に作られた急階段を下りなければならなかった。階段は雪氷が載っていて非常に危険な状態だった。スノーシューは階段には不向きだ。幸い私は軽アイゼンを持参していたので、それを装着して下りることにした。それでも体力が衰え、危機回避能力にも衰えが目立つ私は、恐る恐る慎重に下りた。かなり時間をかけてようやく最下段まで下りることができた。

   

   ※ 「七条大滝」にはこのような急階段を下りていかねばなりませんでした。

   

   ※ こちらも滝の近くの急斜面です。

 そこで見た氷柱は?ビジターセンターのスタッフのアドバイスどおり、写真で見たものの半分程度の長さのものだった。最盛期はさぞかしと思われたが、しかたがない。現在時点の氷柱の様子を写真の収め、やってきたコースを折り返した。

 それでは、「七条大滝」の氷柱の数々を…。

   

   

   

   

   

   

   ※ 滝の下流の流れです。   

 「七条大滝」での休憩も含めて73歳の足で往復2時間、やや疲労をおぼえながら「七条大滝」見物を終え、一息ついて次の「円山遠見」に向かった。そのレポは明日に。


スノーシュー in 百畳敷洞窟

2020-02-28 14:31:04 | スノーシュートレック & スノーハイク

 洞窟の中に、上から下から氷の柱が伸び一種異様な光景である。冬の間にだけみられる光景であるが、特に下から伸びる「氷筍」が珍しい。地元ファンによると暖冬のためいつもより規模は小さいとのことだったが十分珍しかった。

 昨日(2月27日)、天気予報も良かったので以前から一度行ってみたいと思っていた伊達市大滝地区にあるという「百畳敷洞窟」に向かった。

 ところが国道453号線から百畳敷洞窟に向かう入り口のところで右往左往してしまった。ガイドブックを上下反対に見てしまうという粗忽さを発揮してしまったことが原因である。おかげで「絹糸の床」を見ることができのだが…。

 スノーシューを始める道路終点に着いたところ、異様な風景が広がっていた。周りには点々と赤い立札が立っていた。近づいてみると「民有地のために駐車禁止」と書いてあった。それでも2台ほど車が駐車していたが、私は躊躇し終点からは少し離れた公道に駐車することにした。

   

   ※ こうした立て看板が周りにたくさん立てかけてありました。

 いよいよスノーシューイングの開始である。「百畳敷洞窟」はかなりの人気スポットのようで足跡はくっきり、雪は固く締まっていた。スノーシューは必要ないくらいである。でも私はツボ足の場合、ときどき足底が滑る感覚が嫌いなので、ツメ付きのスノーシューを装着して進んだ。

   

 天気は絶好、右手に徳舜瞥川の深い谷を見ながら林間に造られた林道跡を辿って進む。特に大きなアップダウンもなく、軽快なスノーシューイングである。40分後、ガイドブックで539m地点というところ到達した。そこは徳舜瞥川の川岸に降り立ったところだ。

   

 川岸のゴロゴロした巨岩のすき間進むこと10分、左手に大きな岸壁が突然現れた。百畳敷洞窟である。その岸壁をヨイショ(1~2分)と登ると、そこが洞窟の入口だった。

   

   ※ この岸壁の直ぐ際をよじ登ると洞窟の入口でした。

 洞窟内には上から下から氷が伸びていて不思議な光景を醸し出している。私は夢中で何枚もシャッターをきった。ただ、暖冬のせいだろうか?ガイドブックなどで見たものに比べるとやや小ぶりのように感じた。

 それでは「百畳敷洞窟」の不思議な氷のショーをどうぞ!!

   

   

   

   

        

   

   ※ 以下の写真は色調を少し変えて撮ったものです。

   

   

    

 洞窟の前で軽く昼食休憩を取り、引き返した。帰りには途中から斜面を登るコースの踏み跡があったので、そちらに進路を取った。かなりの急斜面を登って斜面の上に出ると、針葉樹の林が広がっていた。その針葉樹の間を縫い進むと、スタートした地点からはかなり離れた公道上に出た。そこでスノーシューを脱ぎ、車を駐車した地点へ向かった。

   

   ※ 写真では急斜面の様子が伝わらないのが残念です。頭上を目ざして登るようでした。

   

 途中の急斜面以外は、アップダウンもそれほどではなく、この時期だとツボ足でも十分に洞窟まで到達できるほどよいトレッキングコースのように思えた。

 


伊達市・大滝地区の滝巡り三題

2020-02-27 18:52:49 | 環境 & 自然 & 観察会

 本日、伊達市の大滝地区にある「百畳敷洞窟」を目的地にスノーシューを楽しんだのだが、そこへ行く前に大滝地区にある滝を巡ってきた。冬季の滝もなかなか見応えがあった。

 新型コロナウイルスの蔓延で人混みを避けよ、との勧告が出されているので「それなら人と会う可能性が低いスノーシューでもしよう!」と以前から一度行ってみようと思っていた伊達市の大滝地区にあるという氷筍で有名な「百畳敷洞窟」を目指した。そこへ行く前に大滝地区で名が知れている滝も同時に観てこようと思った。スノーシューの話題は明日投稿することにして、本日は冬の「滝巡り三題」とした。

三階滝

 札幌から行くと最も手前にあるのが「三階滝公園」である。国道453号線から1キロほど脇にそれるが、案内板も整備され、周辺を公園として整備しているので見落とすことはない。

 駐車場から近く5分も歩かないで滝が見える橋に到達する。滝そのものは小規模のものだが、なるほど滝が三段になっているところを水が流れ落ちている。夏にも見た記憶があるが、周りを氷に囲まれた中を流れ落ちる滝もなかなか良い。

   

   

   

大滝ナイヤガラ滝

 三階滝から伊達方面に8キロ走ったところに「大滝総合運動公園」があり、そこに車を駐車させて、そこからは徒歩で向かう。「大滝総合運動公園」への入り口の案内がそれほど大きくないので見落とす恐れがあるので注意を要する。運動公園には大きなグランドがあり、そこではクロスカントリースキーの練習が行われていた。そういえば拙ブログで時折り取り上げるsakagさんは函館から車を飛ばしてここのクロスカントリーコースでトレーニングすると良く言われていたが、私はその光景を見てからsakagさんのことを思い出した。

 さて、どうやって「ナイヤガラ滝」へ行ったらよいか分からない。そこでクロカンの練習をしていた人に尋ねたところ親切に教えてくれた。その方は「クロスカントリースキーコースの脇を邪魔しないように歩いていくと良い」と言ってくれた。

 アドバイスに従い、コースの脇を歩いていくこと15分、高さも規模も超ミニのナイヤガラの滝が現れた。小型であるが、確かに幅広に水が落ちていく様はナイヤガラの滝に似ているかもしれない…。ここも氷と雪の間を水が落ちていたが、夏だとどのような感じになるのか、一度夏に来てみたいと思った。

   

   

   

   ※ 大滝ナイヤガラ滝の傍にはこのような表示が掲示されていました。

大滝クロスカントリースキーコース

   

   ※ 大滝総合運動公園のスタート&ゴール地点の大きなグランドです。一周400m?

   

   ※ このように林間に立派なコースが造成されていました。

   

白絹の床

 滝ではないが、川床が普通の川とは違って見えた。観光案内などでは川床が白っぽいことから白絹と称したとなっているが、私の目には黄土色っぽく見えたのだが…。

 この「白絹の床」は、私が意図して行ったのではなく、「百畳敷洞窟」の入口を探して右往左往しているときに、川床が妙だなぁと思って見つけたもので、いわば怪我の功名である。

   

   

   

 今日は非常に天気が良かった。大滝地区へ向かうには支笏湖を経由する。支笏湖越しに見る「風不死岳」、反対方から望む「恵庭岳」がくっきりと鮮やかだったので、その写真も同時に掲載することにした。

◆風不死岳

   

   ※ 風不死岳の後方には樽前山が顔を覗かせています。(左側の雪をかぶった山)

   

◆恵庭岳

   

   ※ 恵庭岳は午前には山頂付近に雲を抱いていましたが、午後にはくっきりと(下の写真)

   


山崎豊子本 余話

2020-02-26 15:06:53 | 本・感想

 昨日の投稿で「花のれん」の写真で「大活字本シリーズ」と記されていたのにお気づきだったろうか?実は意図せぬ形で大活字本を読むことになった。さらには、これまた予期せぬ形で小さな活字に困惑した話も同時にお伝えしたい。

 新型コロナウイルスの猛威から各種イベントが軒並み中止となり、昨日、一昨日と一歩も戸外に出なかった。(本日は所用のために短い時間だったが都心に出向いた)そのためブログの話題にも事欠く事態となっている。そんなこともあり、昨日の話題の続編でお茶を濁すことにした。

 「花のれん」であるが、いつも買い求めるBOOK○○ではなかなか入手が困難だったことから札幌市の図書館から借りることにした。いつものようにネット上から予約をしたのだが、図書を受け取りに行ってビックリした。なんと予想していた文庫本ではなく、A5版タイプの本で重さもかなりのものだった。どうやら予約の際に本のサイズまで気にしなかった迂闊さによるものである。「大活字本」をうたっているだけに文字そのものも大きかった。1頁の行数が11行である。本の奥付けにも記されていたが高齢者や弱視者のためということで、高齢者の一人である私にも読むのに苦労することなく心地良く読むことができた。直木賞受賞作だから長編であるはずがない。文庫本なら軽く一冊に収まる内容である。

   

   

 ところが、その前に読んだ「女系家族」の方はBOOK○○で買い求めたのだが、こちらは反対にあまりに小さな文字で印刷されていて、読むのにかなり苦労した。文庫本なのだが、その中に文字がぎっしりと詰まっているのだ。1頁の行数が19行で、728頁もあった。普通サイズの文字で印刷すると軽く2分冊(いや3分冊?)となるところを1冊にまとめて発刊したようだった。

   

   

 その点、三作品の中で最初に読んだ「運命の人」は文庫本の普通サイズの文字が使われていた。こちらは1頁に17行だった。たった2行の違いで文字の大きさがずいぶん変わるものである。

   

   

 意図したことではなかったが三作品それぞれの文字の大きさが違った本を読み、読みやすさ、読みにくさも味わうという得難い体験ができた。


山崎豊子本 その後

2020-02-25 15:41:10 | 本・感想

 その後も山崎豊子にはまりっぱなしである。その後(1月19日投稿以降)「運命の人」、「女系家族」、「花のれん」を読了した。それぞれ興味深く読むことができた。こうなったら山崎豊子本の全てを読んでみようと思い始めた。

 「今さら…」と言いながら、昨年12月26日(https://blog.goo.ne.jp/maruo5278/d/20191226)、そして今年に入って1月19日https://blog.goo.ne.jp/maruo5278/d/20200119)にと山崎豊子本について投稿してきた。その中で私は山崎豊子の代表作のほとんどを読了した。(「沈まぬ太陽」、「華麗なる一族」、「大地の子」、「不毛地帯」、「白い巨塔」、「二つの祖国」)ところが、これらは山崎豊子が作家として揺るがぬ地位を築いた後の作品がほとんどだった。私は山崎豊子の原点も覗いてみたくなった。今回の「運命の人」はその範疇に入らないが、「女系家族」、「花のれん」は紛れもなく山崎の初期の作品である。

 それぞれについて簡単に感想を綴ってみたい。

   

◆「運命の人」(2009年 4分冊)

 この作品は、沖縄返還時の日米密約を題材に、国家権力とジャーナリズムの戦いを描いたものであるが、毎日新聞社の西山太吉記者が日米政府間の機密情報を入手・漏洩した実際の事件を作品化したものである。

 山崎にとってはかなり後期の作品であるが、取材と執筆に8年間を要した作品だという。圧巻は国家間の交渉に付随する機密性と、国民の「知る権利」とのせめぎあいの裁判の様子の記述である。緻密に精密に描く様は圧巻である。結局、最高裁まで争った裁判は西山の敗訴となる。

 この事件は私が20代前半に起こった事件であるが、まだまだ社会的関心に疎い時期であったが、国家が国民を欺いていたのか?という点から若干の関心を持ったのだが、機密情報の入手手段が西山が外務省高官の秘書と男女の仲になったうえで入手したと知り、がっかりし興味を失ったしまったことを記憶している。

 しかし、山崎は作品の中では最後まで国家と国民の関係の在り方を追求し続けた点が印象的であった。

   

◆「女系家族」(1963年)

 この作品は山崎が「花のれん」によって直木賞を受賞し、その後大阪ものを書き続けた中の一作であり、いわば彼女の初期の作品の一つの到達点的な作品である。

 物語の概要をネット上から拝借すると、「大阪・船場の老舗木綿問屋「矢島商店」は、代々家付き娘が婿養子をとる女系の家である。社長・矢島嘉蔵が死去し、遺言によってその存在が発覚した身重の愛人・浜田文乃と嘉蔵の娘である三姉妹(矢島藤代・千寿・雛子)、更に彼女たちの叔母芳子や矢島商店の大番頭宇市、藤代の踊りの師匠である芳三郎らの思惑も絡まりあい、彼らの間で繰り広げられる莫大な遺産の相続を巡る凄絶な権謀術数のさまが描かれる。しかし、最後に笑うのは彼らが予想もしなかった人物であった」

 私のような庶民にはまったく関係のない巨額の遺産相続をめぐる醜いばかりの騒動が描かれている。こうしたことは表面には出ないまでも現代においても見えない暗闘がそこここで行われているのでは?と思うと興味深い物語の展開であった。

   

◆「花のれん」(1958年 2分冊)

 この作品は前述したように1958年上半期の直木賞受賞作品である。

 作品は主人公・多加が船場の呉服問屋に嫁ぐのだが、夫が商売に身が入らず道楽に身を費やし、ついには相場に手を出して店を倒産させてしまった。窮地に陥った夫と多加は、夫が道楽で通った寄席小屋の経営に乗り出した。多加は才覚を発揮して懸命に夫を助け、商売も軌道に乗ったかに見えたが、そうなると夫はまた道楽癖がでてしまい商売に身が入らない。そんな中、夫が急死してしまう。窮地に陥った多加だったが、夫の枷が外れた多加は一層商売にのめり込み、次々と寄席小屋を増やし、やがて大阪一の寄席経営者と成り上がったのである。ところがせっかく築き上げたものも戦争によって全てを失ってしまう。

 山崎の作品としては「暖簾」に続く第二作目であり、本当の初期の作品である。後期の作品と比べると、内容的にはまだまだ底の薄さを感ずる。しかし、物語としては面白い。それが直木賞受賞に繋がったものと思われる。多くの直木賞受賞者がその作品が最高の作品だった場合が多いのではと思われるが、山崎のそれはあくまでその後の大成のキッカケになったに過ぎないところに彼女の器の大きさを見る思いである。

 山崎豊子の作品はまだまだある。ぜひとも全ての作品に目を通したいと思っている。


新型コロナウィルスの猛威ますます

2020-02-24 15:41:02 | その他

 まるでFS映画の世界の話が、現実世界に起こり人々が恐怖に陥っているという図である。目に見えぬウィルスに怯え、私たちは右往左往している。つい先日まで遠い世界の出来事と見ていた私たち道民ももはや他人事ではない…。

        

       ※ 本投稿における三枚の画像は全てウェブ上から拝借しました。

 去る2月14日である。札幌在住の男性が道内初の新型コロナウィルスの陽性反応が出たと発表されたのは…。それから瞬く間である。次々と道内在住者の陽性罹患者が増大の一途を辿り、昨日(23日)現在で26名となった。この数字は東京都に次いで多い数字である。(東京都は昨日現在29名)人口割合からいうと非常に高い数字である。

 連日放送されるワイドショーの豪華客船内での出来事をどこか他人事として見ていた私だった。そして特に対策も講じぬままに外出をしていたが、妻からの助言もありは重い腰を上げ、21日の外出時からマスクを着用するようにした。(かなり遅い措置ですが…)

 外へ出て積極的に講座やイベントに参加することを是としていた私の生活にも影響が出始めている。22日(土)HBCで開催予定だったトークライブ「“世界がまだ見ぬ夢の球場へ”現状と課題を考える」が中止となってしまった。また、本日(24日)私が期待していたエルプラシネマ「マダム・フローレンス!夢見るふたり」も残念ながら中止となった。

 これからも道民や市民が集まる催しは次々と中止や延期に追い込まれることになると思われる。さあ、どうしょうか?

    

 世界の免疫学者や医療者たちも困惑するだけで有効な手立てを講じられないでいる現状において、私たち一般人はなすすべなく事態を見守るばかりである。私たちにできることといえば、医療者のアドバイスに従い、外出時にマスクを着け、帰宅時に手をアルコール消毒するくらいが精一杯である。(外出を控えることも対策の一つだが)    

 今や世界に蔓延する様相すら呈している新型コロナウィルスだが、ひたすらその沈静化を願うしかない。

 冒頭にSF映画の世界みたいだと記したが、何やら嫌な予感が頭をかすめもするが、そんなことはあるまい。ただ、ただ一日も早く終焉の日が来ることを願いたい。

       

 と言いながら、今夜函館市在住の知人が来札されるというので一年ぶりに一献を傾ける約束をし、楽しみにしていた。しかし、知人氏より「この時節柄、人ごみの中へ出かけるのは避けましょう」と連絡が入り、断念することにした。これも残念だが致し方のないことと諦めるしかない。


第9回 かでる de かなでるFoster Concert

2020-02-23 18:06:35 | ステージ & エンターテイメント

 毎回触れているが、Fosterには「育てる」という意味がある。第9回目の今回は、陸上自衛隊第11音楽隊が札幌大谷高校吹奏楽局の生徒たちを育てるために一肌脱いだ(ちょっと古臭い言い回しですなぁ)コンサートだった。

          

 本日(2月23日)午後、札幌市内は吹雪に見舞われ、会場のかでるホール(北海道立道民センタービル)に着くまでが大変だった。また、新型コロナウィルスが猛威を振るっていることから「あるいは?」と思われたが、予定どおりに開催された。

 今回はFoster Concertは、陸上自衛隊第11音楽隊(第11旅団、真駒内駐屯地)が、札幌大谷高校吹奏楽局の生徒たちと一緒に練習をし、アドバイスした結果を披露するコンサートだった。

 記録をめくると、私は今回で4回目のFoster Concert鑑賞だったが、これまでアドバイス役は北海道警察音楽隊だったが、今回初めて陸上自衛隊第11音楽隊に代わっていた。代わった事情は何だったのだろうか?

 この際、陸上自衛隊の音楽隊についてちょっと調べてみた。道内には陸上自衛隊音楽隊を代表する「北部方面音楽隊」(全国に五つある方面音楽隊の一つ)がある。それとは別に北海道内には第2音楽隊(旭川)、第5音楽隊(帯広)、第7音楽隊(東千歳)、第11音楽隊(真駒内)と4つの音楽隊があるという。その第11音楽隊が今回大谷高校の生徒たちの育て役を担ったということである。

   

   ※ 演奏中の写真撮影はNGだったので、演奏前のステージを写しました。

今回のプログラムは次のとおりだった。

◆第1部 〈単独演奏〉

 ◇札幌大谷高校吹奏楽局

  ① ヤン・ヴァン・デル・ロースト/アルセナール

  ② ジェイムズ・スウェアリンジェン/ロマネスク

  ③ 和泉宏隆/Leave Me Alone

  ④ 和泉宏隆/OMENS OF LOVE

 ◇陸上自衛隊第11音楽隊

  ① 平山雄一/2020年度課題曲Ⅰ トイズパレード

  ② ROBIN DEWHURST/Brasilia

  ③ ウィリアム・H・ヒル/セント・アンソニー・ヴァリエーシヨン

◆第2部 〈合同演奏〉

  ① D・ショスタコーヴイッチ/祝典序曲

  ② A・リード/春の猟犬

  ③ バリー・マニロウ/コパカバーナ

  ④ 和泉宏隆/宝島

《アンコール》作者不明(黒人霊歌)/聖者の行進

 札幌大谷高校は、3年生が引退し21名という小編成だったが、近年は音楽コンクールにおいて入賞を繰り返していることもあり、十分に力量を備えた演奏だった。一つ気が付いたことは、音の強弱を相当に意識された演奏をしていたことから、その点についてのアドバイスがあったのではと推測してみたが、果たして実状は?

続いて演奏した第11音楽隊の演奏は、「さすがに音楽の専門家集団の演奏じゃわい!」と聴く者をうならせる演奏を披露された。ただ、技量で上回るものはより高みを目指すのだろう。2曲目、3曲目は技巧的にも難しい曲で、素人の私には音楽の楽しさを味わえない悲しさがあった。

しかし、それもその後に続いた総勢55名の合同演奏で音の厚みを感じながら、心楽しい楽曲の数々を聴くことができ、吹奏楽の良さを満喫して帰路に就くことができた。

 


運転免許証返納のタイミングは?

2020-02-22 19:13:28 | 講演・講義・フォーラム等

 高齢者の運転免許証の返納が話題となっている。れっきとした高齢者の一人である私も考えざるを得ない年代である。「家族で考える 高齢者の自動車運転」というフォーラムに参加し、考えた。

     

 2月21日(金)夜、北海道新聞社の道新プラザにおいて「道新ニュースサロン『家族で考える 高齢者の自動車運転』」というフォーラムに参加した。

 フォーラムは、基調講演とパネルディスカッションからなっていた。

 基調講演は、北海道警察本部の高齢者運転支援室長の河野浩信氏が「安全運転を続けるために」と題して、高齢者の運転事故の現況や、運転免許の返納の方法などについて説明された。その中でも印象に残ったのは、交通事故は近年右肩下がりの状況であるが、高齢者に限ると横ばい状態だという。したがって、年代比率でみると高齢者の交通事故の割合が右肩上がりの状況になっているということであり、そうしたこともあって高齢者の自動車運転の是非が話題となってきた一因のようである。

     

 パネルディスカッションには、交通アナリストの月居吉彦氏、地域包括支援センター長の島崎顕生氏、道新記者の佐藤圭史氏の三人が登壇し、それぞれの立場から高齢者の運転について論じた。

 基調講演、パネルディスカッションを通じて、新たな知識を何点か仕入れることができた。その新たな知識とは…

     

※ 本フォーラムでは、フォーラムが始まってからの写真撮影はNGだった。したがって、掲載写真は全て開会前に撮ったものである。

 ◆運転免許証を返納したことで、それまで免許証を身分証明書代わり活用していた人に対して、免許証に代わる「運転経歴証明書」というものが申請によって発行されるということである。この証明書が身分証明書の役割を果たすそうだ。

 ◆自動車に添付するマークが4種類あるということが分かった。それは①初心者マーク②高齢運転者マーク(70歳以上)、③聴覚障碍者マーク④身体障碍者マークの4種だという。この中で①と③は車体に貼ることが義務付けられているのに対して、②と④は努力義務である、ということだ。恥ずかしながら、私は聴覚障碍者マークや身体障碍者マークについては、その存在すら知らなかった。

 さて、私が最も知りたかった「運転免許証返納のタイミング」であるが、このことについて交通アナリストの月居氏が大変心強いアドバイスをしてくれた。ご自身も78歳という高齢者であるのだが、氏が言うには「運転に苦痛を感じたときが返納時期である」と…。非常に明快な回答だった。自分自身だけでなく、家族や周りの方々との対話も含めて、運転をすることにストレスを感ずるようであれば返納すべきだというのだ。反対に自らが運転する意欲があるかぎり、運転を続けて良いのではないかと断言された。

 私は今のところ運転することに苦痛は感じていないし、公的に仕事をこなすうえでも車は必須であるし、登山などアウトドアを楽しむためにも今のところ車は手放せない。しかし、体力的にも、能力的にも以前よりその力が衰えつつあることも自覚している。返納の時期が近付いていることを自覚しながら、そのタイミングを慎重に見定めたいと思っている。


映画 東京オリンピック〈前編〉 №267

2020-02-21 16:37:21 | 映画観賞・感想

 あの勇壮な古関裕而作曲「オリンピックマーチ」にのって赤と白のユニフォームを纏った日本選手団が堂々と行進する。そのさまを伝える鈴木文弥アナの名調子が画面に蘇った。陸上競技を中心とした映画「東京オリンピック」の前半を観た。

          

 本日(2月21日)午後、かでる2・7において「懐かしのフィルム上映会」があり参加した。今回取り上げられたフィルムは、1965年に開催された東京オリンピックを名匠:市川崑監督がメガホン取った「東京オリンピック〈前半〉だった。今年2度目の東京オリンピックが開催されることから、担当者が開催前に前回のオリンピックを思い出してみようとの計らいから実現した。フィルムは全編で170分の長時間になることから前後半に分けて観賞することにしたということだ。

 フィルムの前半は開会式と陸上競技を中心とするものだった。1965年10月10日の日は図っていたかのような晴天の秋空が広がる中での開会式だった。私には何といっても古関裕而二作曲の「オリンピックマーチ」が懐かしい…。あの勇壮なオリンピックマーチが耳に入ると、私は一気にあの時代に還ってしまうほどである。マーチにのって入場してくる各国選手団は現代のオリンピックのようなラフな入場の行進の姿とは違い、国々の選手団の足並みが揃っているところが印象的である。日本選手団もへんに格式張っているわけではないが、ごく自然に足並みがそろっているという感じが好ましかった。

 最終聖火ランナーの坂井義則さん、選手宣誓をした小野喬さんも懐かしい。また、あの航空自衛隊のブルーインパルスが国立競技場上空に描いた五輪のマークも懐かしかった。

  

 競技編である。前述したように前編は陸上競技が中心だった。(一部体操競技も入っていたが)当時行われていた競技のほとんどは取り上げられていたが、そこは市川監督である。その取り上げ方は一様ではなく、当然のごとく市川監督の目から見て魅力のある競技を中心にして編集されていた。私の記憶にあるのは、男子100m、男子走り高跳び、砲丸投げ(男女)、ハンマー投げ、男子10,000m、女子800m、女子80mHなどであった。特に、男子100m、女子80mHなどは、出走前の選手たちのぴりぴりとした緊張感をよく伝えていた。

 また、非常に特徴的だったのは男子砲丸投げの一人の選手が投擲前に執拗に繰り返すルーティーンをずーっと撮り続けて放映したところに市川監督の真骨頂が現れていると思った。その選手は、投擲のサークルに入ってから利き腕の方の手先を自らの唇とシャツの裾のところを何度も何度も往復させていた。その数が十数回も繰り返していたところをずっーと撮っていたのである。市川監督としては、選手が競技に臨んだ際の極度の緊張感を捉えたのだと思った。

          

          ※ カメラを覗く市川崑監督です。

 オリンピックの記録映画としては、1936年、「ヒトラーのオリンピック」とも揶揄されたベルリンオリンピックの時、映画監督女流映画監督のレニー・リーフェンシュタールが撮った「オリンピア」は高い評価を受けた(その裏側の話を、私は沢木幸太郎のノンフィクションで読んでいた)が、その映画に比肩するほど芸術的には高い評価を受けた映画である。記録性にやや難があるとも評されたが、私には記録性も芸術性も兼ね備えた素晴らしい映画だと思えた。ただ、残念なことに本日観たフイルムは経年劣化のためか、カラーフィルムのはずなのだが、色が飛んでしまい全体が赤茶系の色調になってしまっていたことが残念だった。

 3月に放映を予定している後編が楽しみである。

 

 

 

 

 


ノンスノーシュー in 三角山~奥三角山縦走

2020-02-20 18:50:17 | 北海道低山紀行 & Other

 ちょっと運動不足解消のため、などと思ったのは大きな間違い!今の私にとっては運動過多ともいえる厳しい三角山~奥三角山縦走だった。体力の衰えを痛感させられた行動時間3時間20分、歩数15,500歩の冬の山だった。

 今日(2月20日)は特に予定もなく、天気も良かったので、運動不足解消のためにスノーシューでもしようか、と思った。しかし身近にスノーシューを楽しめるフィールドが思い浮かばなかった。そこで以前に一度函館在住の登山愛好家で有名なsakagさんとご一緒させていただいた三角山~奥三角山の縦走を思い付いた。こちらだとスノーシューよりは軽アイゼンを着用したツボ足の方が適当と判断した。だから“ノンスノーシュー”である。

 しかし、「non snowshoe」というのもおかしい。フランス語+英語のちゃんぽんである。外来語を有難がる?日本人(というよりも私がであるが)の悪い癖が出てしまった。「no snowshoe」と言ってもいいのだが「non」の方が語感がよろしいと考えた。ということで今日は軽アイゼンを着用しての冬山登山となった。

   

   ※ 平日にもかかわらず、山の手口の駐車場はいっぱいでした。

 天候は曇り時々晴れ、雪のコンディションはこの2~3日に降った雪が山の上では固まっておらす、柔らかな雪のためやや歩きにくい状態だった。

 午前中に小さな要件を済ませた後、山の手口から午前11時10分から登り始めた。

   

   ※ 登り始めてすぐ、急斜面を上り詰めると尾根道に出ます。

 三角山登山もいつ以来かはっきりしないのだが、以前は見られなかった登山路の各所に階段が設置されていた。三角山は小さな山だが、けっこう急な斜面もあるため整備されたのだろう。

   

   ※ 三角山の登山路にはこうした階段がたくさんのところで見られました。

   

   ※ 三角山では〇合目という表示ではなく「〇の坂」という名称を使っているようです。

 約45分かかって「三角山」の山頂に立った。この時点では空は曇っていたが、札幌市内はよく見えた。三角山からはJR札幌駅が真正面に見え、北4条通りが正面に見えることを再認識した。

   

   ※ 三角山の山頂標識と、奥の高い山は「藻岩山」、手前は「円山」だと思います。

   

   ※ 三角山山頂から札幌市街地を眺めたところです。⇒のところはJRタワーです。

 山頂では5分もとどまらず、次の奥三角山を目指した。三角山を後にするとすぐに「三倉の大下り」という急激な下りがある。柔らかい雪のためアイゼンの爪が効かず、恐る恐る降りた。そこからは大倉山に向かっての尾根道でアップダウンが何度も訪れ、徐々に体力を奪われていった。振り返ると山頂を通過したばかりの三角山が見事な三角形の形をして視界に入った。

   

   ※ 「三倉の大下り」を下から見たところです。写真ではその急峻さが伝わりません。

   

   ※ 振り返ると通過してきた三角山が見えました。本当に三角の形をしていますね。

   

 ※ 大倉山ジャンプ競技場のスタートハウスです。併せて観光客用のお土産ショップもあります。

 大倉山を通過すると、目の前に奥三角山がそびえていた。ここからのアップダウンが厳しかった。大倉山から一度大きく下ってから登り返すのであるが、ここがきつかった。登山路は大きく斜行しながら巻くように長い長い上りが続いた。ちょうど大倉山を通過した後で観た奥三角山の背面に回り込むように登山路が造られているのだ。中には斜行しないで直登する猛者もいるようだが、今の私にはとても真似のできないことである。

    

※ 大倉山を過ぎると、目の前に「奥三角山」が、この後一度大きく下った後、山頂を目指します。

   

   ※ 奥三角山の中腹を斜行しながら高度を稼ぎ、裏側へ回り込みます。

   

   ※ 奥三角山の冬の灌木の様子を写した一枚です。

   

   ※ 奥三角山の中腹を斜行して、裏側の尾根道に出たところです。山頂まであと一息!

 背面に回り込んで尾根に出るとまもなく奥三角山の山頂だった。山頂に立った時にはスタートから約2時間が経過していた。奥三角山の山頂は周りに木がなく、眺望が素晴らしい。360度とは言わないが270度くらいは眺望が開けていた。この時点で私はかなり疲れていたが、一休みしたことで体力が少しは回復したかと思われたのだが…。

   

   ※ 奥三角山の山頂標識です。別名「よこして山」とも称するんですね。

   

   ※ 山頂から、藻岩山方面を望む。手前のジャンプ台は、宮の森シャンツェです。

   

   ※ こちらは前方が「円山」、後方は不明です。

   

   ※ こちらは三角山と琴似方面の市街地だと思われます。

   

   ※ 山頂からはban.Kスキー場も望めました。

 帰りが大変だった。前述したように帰りといえども下りばかりではないのだ。奥三角山に至るまで何度もアップダウンがあったということは、帰りはその逆のダウンアップ(?)があるということになる。

 衰えた体力に鞭打ちながら、喘ぎ喘ぎスタート地点まで戻った。スタート地点に戻ってきたとき時計は14時30分を指しており、行動時間は3時間20分だった。

 久しぶりの登山だったが、ちょっと情けない。こんな調子で夏山登山ができるのかちょっと心配である。