田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

怖~い、怖い高血圧のお話

2023-05-31 17:06:32 | 講演・講義・フォーラム等
 高血圧は万病の元と言われている。その高血圧状態の人が日本では3人に1人いると言われているそうだ。「世界高血圧の日」を記念して、市民公開講座が開講されたので専門の医師から高血圧についてのお話を聴いた。
   
 今回も旧聞に属する講座のレポである。5月27日(土)午後、札幌医科大学において「世界高血圧の日 市民公開講座」が開講され、受講した。「世界高血圧の日」とは、世界高血圧リーグという組織が5月17日を「高血圧の日」と定めたのにならって、日本でも同日を「高血圧の日」と定めたそうだ。
 そこで札幌医科大学の循環器・腎臓・代謝内分泌内科学講座教室が主催して市民公開講座を開催したということのようだ。講座は2部構成で実施された。
 講座Ⅰは「生活習慣と高血圧」と題して札幌医大の古橋眞人教授が、講座Ⅱは「高血圧から身を守ろう~皆さんからの疑問に答えます~」と題し、前札幌医大学長で、現在日本医療大学総長である島本和明氏がそれぞれ講師を務められた。
 血圧については、私も高血圧の傾向があり3年前から定期的に通院し、薬も服用していることもあり、それなりの知識は得ている。だから特段に目新しいことをお聴きしたわけではなかったが、改めて自ら生活を見直す契機になった。
 ここではお二人のお話から印象的だったワードはいくつか紹介することにしたいと。
 まずは私たちの心臓は一日に約10万回も収縮と拡張を繰り返しているということをお聴きし、心臓から押し出された血液が通る血管の大切さを再認識させられた。
 そして高血圧には「本態性高血圧症」「二次性高血圧症」があるそうだ。「本態性高血圧症」とは、血圧が高くなる原因が特定できない高血圧を指すという。高血圧症患者の9割はこの「本態性高血圧症」だという。つまり高血圧は遺伝的なものは少なく、塩分摂取過多、肥満、運動不足、ストレス、加齢などがその要因と考えられているそうだ。                                                         
 「本態性高血圧症」は特徴的な症状はほとんどなく、無症状で経過するため放置することによって、動脈硬化をきたして、脳梗塞、脳出血、心筋梗塞など引き起こすリスクが高いとされ、たとえ無症状でも高血圧の傾向がある人は血圧をコントロール必要があるという。
 その血圧を測る際に「白衣高血圧」という言葉があるそうだ。医者の前で血圧を測定すると緊張から高血圧を示すことがあるそうだ。そうしたことを防ぐため「家庭血圧」を測定することが大切であるとされた。
 「本態性高血圧症」を避けるための第一は、「生活習慣の改善」が何よりも大切だということは何度も聞かされていることころである。
 「生活習慣の改善」とは、①食生活の改善(塩分控えめなど)、②運動療法(有酸素運動)、③減量(BMI 25kg/m2が目標)、④禁煙、⑤節酒、が何より大切だと強調された。
 そして生活改善だけで不十分な場合は「薬物療法」が用いられるという。
 ともかく「高血圧」状態が慢性化することによって生命に直結するような疾病をもたらすことになることを強調された。怖~い、怖い「高血圧症」から脱却するために、私も心して生活しようと思っている。

近代美術館「トリック × イリュージョン」関連解説

2023-05-30 13:57:36 | 講演・講義・フォーラム等
 特別展「トリック × イリュージョン」関連の第3弾、第4弾の解説講座に参加した。まだ本展を観覧していない私だが、かなりイメージを膨らませることができた。いよいよ満を持して本展を観覧に向かおうと思っている。
     
 5月24日(水)午後、中央区民センター主催の美術講座「美術への誘い」、そして5月27日(土)午前、道立近代美術館主催の特別展関連イベントとして特別講演会「見ることの不確かさと面白さ」が開催されたので連続して受講した。
 まず24日(水)の美術講座「美術への誘い」であるが、講座は北海道美術館協力会アルテピアのボランティア会員が講師を務めて「三岸好太郎の生涯」、「浮世絵の見方」、そして「トリック × イリュージョン」展の紹介と、3部構成で実施された。
 本稿では「トリック × イリュージョン」展の紹介のみに絞ってレポートすることにする。今回の特別展では、前後期併せて66点のいわゆる「だまし絵」が展示されているという。その中から代表的な16点について、各章(ジャンル)毎に紹介してくれた。紹介していただいた作品の多くは、以前に近代美術館の学芸員の方から紹介があった作品と重なっていたものが多かった。以下、紹介された作品名・作者を羅列してみる。
◆第1章 「リアル」をめぐって
 ・「収穫」礒江毅作 1998年制作 油彩(長谷川町子美術館所蔵)
 ・「金魚酒 命名 鈴夏」深堀隆介作 2021年制作
                ※材質は多岐にわたる(個人蔵)
    
 ・「なま玉子 B」上田薫作 1976年制作
             油彩、アクリル(東京近代美術館所蔵)
     
 ・「遠近法のテーブル」高松次郎作 1967年制作 
              ラッカー、木(東京近代美術館所蔵)
◆第2章 幻惑のオプアート
 ・「ゲシュタルト・ゼルド」ヴィクトル・ヴァザルリ作 
   1976年制作 アクリル、キャンパス(北海道近代美術館所蔵)
   
 ・「BATTOR」ヴィクトル・ヴァザルリ作 1977年制作
         アクリル、キャンパス(北海道近代美術館所蔵)
 ・「リバティ №5」ヤーコブ・アガム作 1980年制作
      リトグラフ、アクリル板、紙(北海道近代美術館所蔵)
◆第3章 交錯するイメージ
 ・「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ」歌川国芳作
         1847年頃制作   大判錦絵(小樽芸術村所蔵)
 ・「昼と夜」マウリッツ・コルネリス・エッシャー作
         1938年制作 木版、紙(いわき市立美術館所蔵)
 ・「マグリットの落とし子たち」ルネ・マグリット作 
       1968制作 リトグラフ、紙(北海道近代美術館所蔵)
 ・「ダンス(ロックンロール)セブン・ライブリー・アーツより」
     サルバドール・ダリ作 2003年制作 油彩、キャンバス 
                    (諸橋近代美術館所蔵)
 ・「自画像悲しすぎて話せない」ヴィック・ムニーズ作
     2003年制作 クロモジェニック・プリント
                  (タグチ現代美術基金所蔵)
 ・「ランチはヘルメットをかぶって」福田繁雄作 1987年制作 
            ステンレス (福田繁雄デザイン館所蔵)
   
 ・「F100号の肖像画」福田美蘭作 2000年制作
               アクリル、キャンバス等(作家蔵)
 ・「美術史の娘 王女B」森村泰昌作 1990年制作
      カラー写真、透明メディウム(いわき市立美術館所蔵)
◆第4章 デジタル・トリック
 ・「花びんと鳥かご」フジ森作 2014~2022年制作
        チタン、鉄、プロジェクター、パソコン(作家蔵)
   
以上を羅列的に紹介されたが、一つ一つの作品についてより深く解説されることはなかった。それはおそらくリポーターの方が自分は専門家ではないと自認していることから深入りは避けたのだと理解した。
 続いて27日(土)に開講された特別講演会であるが、「見ることの不確かさと面白さ」と題して北大大学院文学研究院の金子沙永准教授が講演された。
 金子氏の講演の内容は大学院生に講義するような印象で、私のような年寄りには金子氏のお話をすべて理解することはかなり困難なことだった。
 金子氏はご自分の専門は「知覚心理学(ヒト視覚)」であるとして、「知覚」とは「こころ」の一部とも話された。したがって、私たちは視覚を使って自分の周りの世界を知覚しているとした。ところが、人間が見ているものと思っているものとは必ずしも一致していないことが多いという。金子氏は「見ているものは、けっこういい加減」だと指摘し、「知覚は現実のコピーではない」とも言及した。つまり、人間は見ているものを現実と認識しているが、それは必ずしも現実ではなく「錯覚」をしている場合が多々あるとした。
 そして、その「錯覚」を応用(利用)することで「トリック × イリュージョン」展が実現するとお話されたと理解した。そこからは具体的にどのような「錯覚」現象があるのかについて、具体的に事例を提示されながら解説されたが「チェッカーシャドウ錯視」、「ホロウマスク錯視」、「ポッゲルドルフ錯視」、「ヴァザレリ錯視」など専門的な言葉が登場し、私自身が自信をもってレポすることができないので、残念ながら割愛することにしたい。
 「トリック × イリュージョン」展の作者がこうした「錯覚」を理解していたか否かは分からないが、学術的にこのように分析することは一興なのだろう…。
 さあ、「トリック × イリュージョン」展に関して4度の解説などをお聴きした。いよいよ本展に向かいたいと思っている。
※ 掲載した写真は全てウェブ上から拝借しました。

ヘルシーウォーキング⑤ in 自然が織りなす海岸美、名勝ビリカノカ・室蘭ウォーク

2023-05-29 16:42:36 | JRヘルシーウォーキング & さっぽろラウンドウォーク
 室蘭駅から測量山に向かって延々と続く2キロ余りの上り道には閉口した。しかし、室蘭の海岸美を眺めながらのウォークは辛くとも楽しい3時間だった。(約12kmのコース)それにしてもかつての “鉄都” の衰退ぶりが痛々しい室蘭の街だった。
   
   ※ 私たちが巡ったのは室蘭の半島部、室蘭の街自体はマップの東側(左側)
      に広がっています。
 JRヘルシーウォーキングの第5弾(JRの担当者が滞在するイベントウォークとしては第4弾)は室蘭市を舞台にして実施された。
 室蘭というとJRの「一日散歩きっぷ」を利用して、当地でウォーキングを楽しみ帰ってくるには最遠地ではないかと思われる。(「一日散歩きっぷ」自体はもう少し遠方まで利用できることにはなっているが)料金的には札幌→室蘭間の普通切符は片道2,860円だから、「一日散歩きっぷ」(2,540円)だと半額以下で利用できることになり、料金的には大変お得である。しかし、時間的にはかなりの我慢を覚悟しなければならない。
 この日、私は朝6時21分札幌駅発の普通列車に乗車し、室蘭駅に着いたのは9時15分だった。行きはそれでも割合スムーズだった。帰りはウォーキングが12時20分前後に終了したのだが、適当な列車がなく室蘭駅発14時16分まで待たされ、さらに東室蘭駅で1時間弱の列車待ちを強いられ、結局札幌駅に着いたのは17時57分だった。このあたりのことについては今後ヘルシーウォークに参加する際にどうすることがより効率的なのか考えていきたいと思っている。
   
   ※ 室蘭駅のモダンな駅舎です。地球儀のモニュメントは地球岬をイメージしたものでしょうか?
   
   ※ 駅舎の壁には海抜3mと掲示されています。私たちは駅から近い標高160m
の女測量山のふもとまで上りました。いったいどれくらい上らされたのでしょうか?
 さて、肝心のウォーキングの方だが、列車から札幌、苫小牧方面からの参加者が一挙に降りてきたこともあり、大混乱の中受付を済ませてスタートした。天候は曇りで、気温はそれほど高くはなくウォーキングのコンデションとしては上々だった。
 しかし、コースの方はスタートからいきなり上りが続いた。駅から見える測量山に向かってだらだらとした上り道が続いた。測量山に登頂したわけではないが、おそらく2キロくらい連続した上りが続いたのではないだろうか。測量山の横に「女測量山」という測量山より少し低い山の裾野を通過すると、このコースの名勝ピリカノカに出た。
   
   ※ このようなダラダラ坂が延々と続きました。
   
   ※ 舗装道路が終わって山道になっても上りが続きました。
   
   ※ 「女測量山」などという名称は昔にネーミングされたものなのでしようね。
     今どきこうした名称は付けないでしょう。
 コースのところどころに展望台などがあったが、そこからの眺望は、断崖絶壁からの眺めが素晴らしいところが多かった。「ピリカノカ」とは、アイヌ語で「美しい・形」を意味するということだが、国指定の名勝として保護されているようだ。
 「マスイチ展望台」、「ローソク岩」、「銀屏風」、「絵柄岬展望台」とつぎつぎと展望の良いところが現れ、疲れを忘れさせてくれた。
   
   ※ 以下3枚の写真は「スマイチ展望台」からの眺めです。
   
   
   
   ※ 海中に飛び出した「ローソク岩」です。
   
   ※ 鋭く切り立った「銀屏風」の景色です。
   
   ※ 絵柄展望台から大黒島を挟んだ室蘭港の防波堤を望みました。
 途中から雨がポツポツと身体に当たるようになった。しかし、気にするほどのものではなく、そのままウォークを続けたが、小雨とは言え降り止まなかったこともあり、持参の傘を広げてウォークを続けた。
   
   ※ ピリカノカの森の中を往くヘルシーウォークの参加者たちです。
 「ピリカノカ」を抜け、遠くに「白鳥大橋」が望める室蘭港が近づいてきた。白鳥大橋の袂には「道の駅 みたら室蘭」があり、マップにはそこで販売されているうずらの卵を使った「うずらんソフト」が美味しいと掲載されていたので、一時休憩を兼ねてソフトクリームを賞味した。なるほど滑らかな舌触りが絶品だった。
   
   ※ 「あと5km」の表示を見るのが疲れた体には励みになります。
   
   ※ 窓外にうっすらと白鳥大橋を望みながら美味しい「うずらんソフト」を頬張りました。
   
   ※ 美しいシルエットを描く「白鳥大橋」です。
 道の駅を過ぎてから室蘭港沿いにゴールの室蘭駅までの約4kmは退屈なコースだった。いわゆる特に特徴のない市街地の道路が淡々と続いていた。道路沿いには造船所や鉄鋼、漁業関係の会社などが並んでいたが、いま一つ活気のようなものが感じられない道路が続いていた。活気といえば、室蘭駅をスタートした直後に商店街のようなところも通過したのだが、そこもまた閑散とした感じが否めなかった。今回設定されたコースは、外海となる噴火湾と室蘭港に挟まれた半島のような部分である。あるいは室蘭の中心街は他のところになるのかもしれないが、少なくとも私が歩いたところは残念ながら少し寂しい感じがした。“鉄都” として隆盛を誇っていた室蘭市を知る人たちにとっては寂しい限りだろうと思われる。
   
   ※ 室蘭港には比較的大きな客船が係留していました。
 東室蘭駅で小一時間の列車待ち時間を利用して東室蘭の街も巡ってみたが、印象は変わらなかった。街としてはいろいろと再建策を模索しているものと思われるが、ぜひとも往時の賑わいを取り戻してほしいものである。
   
   ※ 東室蘭駅の駅舎です。赤色の枠の構図が大胆ですね。
   
   ※ 名門「室蘭栄高校」です。学校名を金文字で表現しているところに誇らしさが出ているようです。
                                           

御朱印収集巡り №16 琴似神社

2023-05-28 20:24:30 | 神社参拝・御朱印収集関連
 琴似神社は、琴似の市街地の一角にあるのだが、境内もそれなりに広く、静かで厳かな雰囲気を醸し出している神社だった。また境内には境内末社も多く祀られている。
       
 琴似神社が建っているところは、ちょうど西区役所の道路向かいという好立地なのだが、上述したように市街地の神社としては境内も広く、厳かな雰囲気に満ちた神社だった。
   
   ※ 道路向かいから第一鳥居を撮りました。
                
   ※ 花手水としてはちょっと地味目の花手水でした。
                                           ※ 境内中ほどに第二鳥居が建っていました。                               
   
   
    ※ 琴似神社の本殿(拝殿)です。
   
 境内には「安全神社」、「報徳神社」、「御門山琴似天満宮」といった境内末社も祀られている。それと併せて北海道指定文化財にもなっている「琴似屯田兵屋」が保存されているのも琴似神社の特徴である。ただし、今回訪れた際は鍵がかけられていて見物することはできなかった。私自身は以前に一度見物させてもらっているのだが、一般の方々が通常は見学できないのだろうか?そうだとしたらちょっと残念である。
   
   ※ 境内末社の「安全神社」です。
   
   ※ 同じく「報徳神社」です。
   
   ※ 同じく「御門山琴似天満宮」です。
   
   ※ 琴似屯田兵屋が保存されていることを表示していました。 
 肝心の御朱印だが、残念ながらここは書置きの御朱印しかないということなので、それで納得するしかなかった。
 このところ言及している「旧社格」についてだが、琴似神社は「郷社」という社格だったそうだ。「郷社」とは、官社(札幌では北海道神宮だけ)以外の神社を「諸社」というが、その諸社は「県社」、「郷社」、「村社」とあるが、「村社」よりも尊崇範囲が広く、一地方にわたって崇敬される中心的神社をあてたそうである。                             
【琴似神社 情報】
◇旧社格:郷社
◇所属:北海道神社庁
◇住所 札幌市西区琴似1条7丁目1-30    
◇御朱印:あり(書置き 初穂料300円)
◇参拝可能時間:拝殿は夏季は17時まで、冬季は16時30分まで
◇社務所受付時間:夏季 9:00~17:00  冬季9:00~16時30分まで
◇例祭日:9月4日
◇駐車場:有り
◇アクセス:地下鉄東西線「琴似駅」1番・2番・4番から徒歩約5分(約350m)
◇創建: 1875年(明治8年)    
◇代表的ご利益: 〇縁結び・恋愛成就 〇安産祈願・子授かり・子宝 〇合格祈願・学業成就 〇夫婦円満・家内安全 〇商売繁盛 〇延命長寿 〇病気平癒・健康祈願 〇必勝祈願・勝利成功      
◇御朱印記帳日 5月19日

“自己肯定感” を高めノンストレスな生活を!

2023-05-27 18:54:31 | 講演・講義・フォーラム等
 講師の香山リカ氏は言う。「日本人は自分に厳しすぎる」と…。もっと自分を開放し、ストレスに悩まされず、元気に生活しょう!と私たちに呼びかけた。

 昨日(26日)午後、北海道立道民活動センター(かでる2・7)において、道民カレッジ「かでる講座」の第1回講座が開講され受講した。
 テーマは「ストレスに負けずに元気に暮らす」と題して、むかわ町国民健康保険穂別診療所の副所長を勤める香山リカ氏が講師を務めた。
   
 香山氏というと、精神科医であり、立教大学で教鞭をとっていたが、一時はマスコミから引っ張りだこでコメントを発していた有名人である。それがなぜ過疎化の著しい北海道の片田舎であるむかわ町に一医師として転進したのか?香山氏はそのことから話を始めた。
 香山氏の言によると、コロナ禍となり大学の授業がオンラインとなり学生の反応も分からない授業に魅力を感ずることができず、「もう後輩の人たちに譲ってもいいかな?」という心境になったことと、アフガニスタンで不慮の死を遂げた中村哲医師の生き方に感銘を受け、中村氏の「一隅を照らす」という言葉に触発されたという。そこで中村氏のような生き方をしたいと考え、総合病院で一年間臨床医としての研修をしたという。2003年4月、縁あって穂別診療所の副所長として赴任し、現在に至っているとのことだった。
 漏れ伝わるところによると、コトはそれほど単純ではなさそうだが、本稿ではそのことが目的ではないので触れることは避けることにしたい。
 そのことはさておき、本題に関しての香山氏のお話はとても興味深いものだった。
 香山氏はまずご自分の診療所における患者の方の例から話を始めた。その患者の方は回復の見込みも立たない寝たきりの重篤な患者だという。しかし、その患者は今やれること、やれそうなことに、前向きに挑んでいるそうだ。もう歳だからとか、先が短いから、などと考えずに生きる姿が素晴らしいと香山氏は語った。きっとその患者はストレスなど感ずることなく余命を生きているのではないかと…。
   
 このような具体例を交えながら香山氏は多くの事例を紹介し、ストレスに負けない生活のススメを語った。その語録を紹介したい。
◇自分で枷(かせ)を嵌めることはない。(枷を嵌めることでストレスを発生する)
◇日本人は自分に厳しすぎる。もっと自分自身を肯定せよ。
◇他人と比べることを止めよう!(他人と比べることはストレスの種になる)
◇自分で自分にストレスを与えない。
◇今やりたいことは、遠慮せずにやることが良い。
◇行きたいところに行ってみよう!(旅のススメ。ストレス解消法)
◇人に頼ることを恐れるな。もっと他人に頼ろう。
◇過去の栄光にすがれ!(もっと自分を自慢していいのではないか)
◇リラックスして眠りに就こう。
などなど、傾聴に値する数々の言葉をいただいた。
 世界の若者と日本の若者を比較した時に、“自分自身を肯定する” 割合が日本の若者はいつも最も低いという結果になるという。これは我が国においては “謙譲” などという行為が美徳とされる国民性が影響しているともいえるかもしれない。しかし、ストレスを溜めないためにはもっと “自己肯定感” を高めよう!と香山氏は強調された。香山氏の論には賛成である。と同時に自らの生き方・行動に自信をもてるよう生きていくことも大切なことだと悟らされた講演だった。

大通公園花壇ボランティア Vol.2

2023-05-26 16:14:21 | ボランティア
 「いや~、大変な世界に足を踏み入れてしまったなぁ…」というのが偽らざる思いである。ボランティア翌日の筋肉痛が大変だ。それでも始めてしまったからには、「やりきらなければ!」と思い定めている。

 4月20日に「ある団体が主催する大通公園の花壇のお世話をするボランティアに応募した」と書き、その第1回目の活動に参加した様子をレポートした。そのボランティアの第2回目の活動が昨日25日(木)にあり参加した。
   
   ※ ボーダー花壇の整美作業に精を出すD班の人たちです。
 第1回目と違い、ボランティアは4班に分かれて班ごとに毎週木曜日に4月に植え付けた花(パンジー)の花がらを取ったり、雑草を除去したりする作業を行うことになっている。私はD班に所属しているのだが、そのD班の活動が昨日25日にあったのだ。
 D班は女4名、男2名の6人体制である。私は事前の打ち合わせに出席したばかりに副班長に指名されてしまった。そのために活動日には他の方々より30分早く公園の管理事務所に出向いて作業のための用具などを活動場所まで運ぶという仕事も負わされている。
 活動場所は大通公園の西3丁目広場の東端と西端に設けられたボーダー花壇に植えられているパンジーの花がらを取り除いたり、花壇の雑草を取り除いたりする作業である。
   
   ※  この日はビルの壁の温度計が午前11時で21℃を示していました。
 作業は単純である。作業をする上での心理的なストレスは全くない。ただ、体力的にはかなり厳しい作業である。中腰での作業が続くのがシニアの我々にとってはかなり辛い作業となる。
 途中休憩を挟んで計1時間強、二つの花壇の花がら取り、雑草除去を終えて正午近くにボランティアを終了した。昨日は好天、高温の天候だったが、「ライラックまつり」と「ラーメンショー」の二つの催しが大通公園を会場に開催されていたこともあり、多くの観光客、市民が私たちが作業する横を行き交っていた。
   
   ※ 整美作業を終えたボーダー花壇です。
 副班長として用具などの後始末をして、解散となった。
 問題はボランティア翌日の今日である。体中が筋肉痛に覆われている。たいした作業をしたわけでもないのに、やはり私たちの年代になると中腰で立ったり、座ったりする動作を繰り返すことはかなりの負担になっているようだ。これはもう時間の経過を待つしかない。
 これほどの思いをしてまで、自分たちが行っているボランティア(「近美を愛するブリリアの会」の活動)に加えて、大通公園の活動に参加しようと思い立ったのかについては、現職時代に出会ったあることが動機となっている。そのことについてはいつか触れることができたら、と思っている。
 この後、大通公園の花壇のお世話をする活動は、夏花壇への衣替え、そして花壇の整美活動、花壇の整理活動と10月末まで続く。やり始めたからには「やりきらなければ!」と思い定めている。

道産食材を活かして楽しい食生活を!

2023-05-25 20:17:13 | 講演・講義・フォーラム等
 食の宝庫と言われる北海道である。旬の道産食材を活かして楽しい食生活を発信し続ける自称「どさんこ食材ハンター」こと木村光江さんの楽しいお話を聴いた。
  
 昨日、24日(水)午前は定期的に受講している社会福祉総合センター主催の「わたしの生き方セミナー」の今年度第2回目の講座だった。
 講座内容は「旬の道産食材で元気いっぱい! 簡単・美味しい!レシピ」と題してどさんこ食材ハンター “みーやん” こと木村光江さんが講師を担当した。木村さんはHBCラジオの「朝刊さくらい」の毎週木曜日のレギュラーとして道産食材の旬の情報を発信している方だそうだ。そのせいもあるのだろう、明るく爽やかな口調が講座全体を楽しいものにしてくれた。
   
   ※ 講師を務めた"みーやん"こと木村光江さんです。
 木村さんは石狩市在住の方のようで、当初は石狩市を中心に農家さんと連携してさまざまな食の情報を発信していたという。しかし、ラジオ番組を通じて(?)その名声が道内に広がるとともに、栗山町、豊浦町、平取町とその活躍は道内全域に広がりつつあるようだ。その中で紹介された料理のいくつかをレポしてみることにする。
 まずは栗山町で生産されている「新生姜」が紹介された。もともとは北海道で生姜は生産されていなかったようだが、最近は生産が可能となり「新生姜」の入手が可能になったという。(生姜といえば私たちが知っているのは我々が知っているのは「ひね生姜」と言われる茶色したものであるが、「新生姜」は「ひね生姜」になる前の若い生姜のことだという)その「新生姜」を利用した「しゃぶしゃぶ」や「佃煮」が絶品だという。北海道は気温が低いのでハウス栽培で「新生姜」の収穫は秋となり、店頭に並ぶのは10月だそうだ。
 続いて豊浦町で生産されている「本わさび」が面白いという。ねらいは「葉わさびの醤油漬け」だという。
 平取町のトマトジュース(「ニシパの恋人」)はすでに道民の中ではメジャーな存在である(我が家でも毎朝飲用している)が、木村さんも超オススメの一品だと紹介された。
 講義の後半「春は山菜でデトックス」と題して、山菜特有の苦みで体を目覚めさせる効用があると強調されたが、その中で紹介されたのが「シドケ」(正式名はモミジガサ)という私にとっては初耳の山菜だった。「シドケ」はアクの強さも最強で、クセがたまらなく美味しいそうだ。
   
   ※ 木村さんが会場に持ち込んだ「シドケ」です。
 最後に「ぬか漬け」に効用を説かれた。乳酸菌が豊富な腸活に有用であるという。動物性のヨーグルトと、植物性の「ぬか漬け」を取り入れることによってより効果的に腸内環境を整えましょう!と強調された。
 講義のメインではなかったが、木村さんはアルファ化米を使用した長期保存食を紹介してくれた。「もしも」の時のために水やお湯で食用可能な「安心米9食セット」を用意しておくべきではないか、と話され講義を終えた。
   
   ※ 会場に展示されたアルファ化米の数々です。
 明るくパワフルに活躍する “みーやん” こと木村光江さんののますますの活躍を祈りたい。

北海道の銅像の誕生のエピソードを聴く

2023-05-24 18:15:26 | 講演・講義・フォーラム等
 過日の「北海道内の銅像をめぐるエトセトラ」(5.11)に続いて、まったく別の方から「北の銅像 誕生余話」と題するお話を聴く機会を得た。けっして廉価ではない銅像を後世の方々が建てるためにはいろいろと苦労も多かったようだ。
          
     ※ 講師の小沢氏が著した著書です。私は講演後に買い求めました。  
 少し時間が経ってしまったが、5月26日(金)午後、「札幌彫刻美術館友の会」が主催する講演会がエルプラザで開催されたので参加し、聴講した。
 講師は北海道新聞の記者を退職された小沢信行氏「北の銅像 誕生余話」と題してお話された。小沢氏は北海道新聞社を退職された後、道新文化センターの講師をされていて、その講座の準備のために銅像とかかわったことから銅像に興味を抱き、以来北海道内にある銅像について調べ始めたという。調べてみると、銅像が誕生する裏にはさまざまなエピソードが隠されていることを知り、ついには「こうしてできた北の銅像」という著書まで発刊することになったそうだ。
 講座ではそうした銅像の中から何点かを選んでお話された。そのお話の中のいくつかを紹介すると…。
◆スタルヒン像(旭川市 1979年建立 本田明二作)
  スタルヒンの出身校・旭川中学で同じ野球部のメンバーで同級生だった西条敏夫氏は、1978(昭和53)年に北海道テレビ放送(HTB)が放送した「あゝスタルヒン物語」という番組を見て、彼のために故郷にせめて小さな記念碑を残したいと決意したという。しかし、建設費予算800万円を集めることは至難の業だったそうだ。西条氏は寝食も忘れて駆け回り寄附を募ったという。当時の800万円がどれほどの高額だったのか計り知れないが、ともかく西条氏をはじめとした関係者の努力が実り、当初は旭川市総合体育館の前庭に、そして今はその名も「スタルヒン球場」と命名されている市営球場の前に移設され、北の球児たちの活躍を見守っているという。
   
   ※ 旭川スタルヒン球場の前に立つスタルヒン像です。
◆荻野吟子像(せたな町 1967年建立 本田明二作)
  この荻野吟子像もテレビが介在しているというのは興味深い。1964(昭和39)年、NHKのテレビ番組で荻野吟子が日本初の女医だったことが放送された。それを見ていた北海道医師会の会長だった松本剛太郎は驚いたという。松本氏はそれまで女医の第一号は別の人物だと思っていたそうだ。しかも吟子は瀬棚町(現在のせたな町)で開業していたことも知ることとなった。
  松本は10年間務めた医師会長を辞めた後に荻野研究に打ち込み、荻野の顕彰碑を建てたいと決意した。そうして、医師会の仲間に広く訴え、地元の協力も得て1967(昭和42)年に無事に除幕式を迎えることができた。完成を見届けた松本氏は半年後に病に倒れ永眠したという。
   
   ※ せたな町の公園に建つ荻野吟子を顕彰する碑です。
◆依田勉三像(帯広市 1941年 田嶼碩朗作)
  依田勉三像を建設したのは中島武市という事業家である。中島氏は岐阜県の生まれであるが、北海道へ渡ってからいろいろな事業を手掛けて一代で大きく成功した人物である。中島氏が他の事業家と違ったのは蓄財に執着しなかったことだという。郷里には神社参道、仏閣、二宮尊徳像、地元の帯広神社には銅の神馬、帯広・十勝の学校には尊徳像などを惜しげもなく寄付し続けた人物だそうだ。一説には各地に銅像50個を寄付したとも言われているという。
そんな中島氏が「人生上の巻完成記念」として依田勉三像の建設を宣言し、自ら費用を負担し、1941年に像を完成させたという。像が建っている所は中島氏の名を取って「中島公園」となっている。
なお、その中島氏は後世の人たちから敬われ、故郷岐阜県と、帯広市にそれぞれ胸像が建てられたという。そして私たちを驚かせたのが、中島氏の長男・真一郎氏は帯広で開業医となったそうだが、その真一郎氏の長女があのシンガーソングライターの中島みゆきさんだという。講師の小沢氏は、お爺さんは銅像の建設者として名を残し、孫は後世に残る名曲を紡ぎ出していると述べ、講演を閉じた。
        
        ※ 戦後になって再建された依田勉三像です。
 その他、クロフォード像、土方歳三像、「赤い靴」の少女像、森繁久彌像など銅像についてもお話を伺ったのだが、レポートはこの辺で止めたい。
 興味深い小沢氏のお話に触発された私は、小沢氏の著書「こうしてできた北の銅像」を買い求めたのだった。

歩いて巡ろう札幌の公園 Vol. 2 中島公園

2023-05-23 18:42:10 | 「めだかの学校」関連
 私が所属する「めだかの学校」の札幌市内の公園を訪ねるシリーズであるが4月に続いて昨日、その第2弾が中島公園を会場に実施した。雨が心配される天候だったが、どうにか予定通りに無事に終えることかできた。   

 4月24日に続いて「めだかの学校」では、昨日22日(月)午後に「歩いて巡ろう札幌の公園」の第2弾として「中島公園」を会場に実施した。
 そして行きがかり上、案内役の方も先月に続いて不肖私が担当することになった。私は札幌で生まれ育ったわけでもないので案内役には相応しくないのではないか、と考えるのだが行きがかり上仕方のないことと思い、俄か勉強で責任を果たすことにした。
 私はまず、公園をめぐる前に中島公園の歴史について軽く触れた。それは中島公園が札幌都心近くの公園であったために、古くは明治時代に「北海道物産共進会」の会場として、昭和に入ってからも「北海道博覧会」の会場として使用されたり、夏季にはプール、冬季にはスケート場として活用されたり、またやはり明治期には競馬場、昭和に入ってからは野球場(中島球場)、「子供の国」という遊園地などさまざまな目的で活用された歴史を持つ公園であることを説明した。また、札幌に地下鉄が通される際の工事の時には「菖蒲池」の池の水が一時抜き取られたこともあったことを説明させてもらった。
   
   ※ 山内壮夫作「森の歌」を見入る会員の方々です。
 さて現在の中島公園であるが、公園内には様々な彫刻やモニュメント、銅像などが建てられている。私が把握したところによると、その数は13に及び、その他に様々な建物、日本庭園、池など多様な顔を持つ総合公園である。
 それら一つ一つを巡り、その建設年やエピソードなどを説明しながら公園内を巡った。その中の特徴の一つとして、北海道出身の彫刻家・山内壮夫氏の作品が5つも建てられている。参加者から「なぜ?」という質問があったが、私も詳しくは分からない。ただ、山内氏の作品は具象化されたものは少なく、抽象的でありデフォルメされた作品が多い。そのことが特に作品を見る子どもたちの想像をたくましくさせるものとして人気を博したのかもしれないなどと思うのだが、はたして? 
   
  ※ 同じく山内壮夫作の「鶴の舞」を見終えて次に移動しようとしている会員です
 中島公園には彫刻やモニュメントばかりでなく、私が度々訪れる「札幌コンサートホールKitara」をはじめ、「中島スポーツセンター」、「北海道立文学館」、「中島児童館」、「人形劇場こぐま座」などの施設が立ち並んでいる。その中でも移設された国指定の重要文化財である「豊平館」は、今や中島公園を代表する建築物となっている。それらについても参加者には外観のみだったが見てもらった。
   
   ※ 小田襄作「風景の夢」を見る会員の方々です。
 そして中島公園で忘れてならないのは昭和38(1963)年に作庭された「日本庭園」である。庭園は「池泉回遊式庭園」といって江戸時代に発達した日本庭園の様式を踏襲したものだという。そして庭園内には「豊平館」と共に重要文化財に指定されている「八窓庵」が池の傍に建てられている。「八窓庵」は江戸時代初期に現在の滋賀県長浜市に建てられたものだそうだが、数奇な運命を経て札幌に運ばれ、中島公園に落ち着いたようである。
   
   ※ 豊平館をバックに集合写真を撮りました。
 こうした数々の彫刻、モニュメント、建物などを拙い説明をしながら一巡した。私自身も勉強になったが、会員の方々も多少は中島公園について理解を深めてくれたのではないかと思っている。記録のために今回案内した彫刻、モニュメント、建物などを巡った順に記しておくことにしたい。
〈1〉「森の歌」(山内壮夫 作)
〈2〉「ヨットと方向」(林正美 作)
〈3〉「ライラックの賦 時計塔」(作者不明)        
〈4〉中島児童館
〈5〉人形劇場こぐま座       
〈6〉「のびゆく子等」(小野健寿 作) 
〈7〉「木下成太郎像」(朝倉文夫 作)        
〈8〉「放送記念塔」(作者不明)
〈9〉北海道立文学館        
〈10〉「猫とハモニカ」(山内壮夫 作)
〈11〉「鶴の舞」(山内壮夫 作)        
〈12〉「笛を吹く少女」(山内壮夫 作)
〈13〉「母と子の像」(山内壮夫 作)        
〈14〉中島スポーツセンター 
〈15〉「風景の夢」(小田襄 作)        
〈16〉「レナード・バーン・スタイン像」(宮田亮平 作)
〈17〉札幌コンサートホールKitara        
〈18〉「相響」(安田侃 作)
〈19〉豊平館        
〈20〉日本庭園(八窓庵)
〈21〉「四翁表功之碑」(作者不明)        


マンドリンフェスティバル2023

2023-05-22 18:51:11 | ステージ & エンターテイメント
 繊細なトレモロ奏法を聴きたくてマンドリンのコンサートに足を運んだ。しかし、主催者の思いと、私の期待に齟齬があったのだろうか?マンドリンの良さは感じつつも、やや期待していたこととは違った面もあった…。
    
 3日連続のKitara通いである。21日(日)午後、札幌市民芸術祭の一環としては「マンドリン音楽祭」が札幌コンサートホールKiatraで開催されたので参加した。
 プログラムを紹介すると…
 ◆第1部 独奏・重奏の部
  □Sound-Hole(マンドリン・マンドラ・マンドロンチェロ 三重奏)
・J.ダウランド/The Frog Galliard
    ・ながえ わかこ/歩いていく
  □坂口楓馬(マンドリン独奏)
・桑原康雄/じょんがら
  □森羅万象 with B(マンドリン・マンドラ・ギター 三重奏)
・M.ラヴェル/亡き王女のためのパヴァーヌ
 ◆第2部 学生団体合同合奏の部
                       (4つの高校・大学のサークル合同)
  《指揮:安藤里奈(小樽商科大学プレクトラムアンサンブル)》
    ・中崎智大/夜空への回想Ⅰ~冬空の帰り道~
    ・青山涼/バタフライ・エフェクト
  《指揮:金 洛伶(北海道大学チルコロ・マンドリニスティコ「アウロラ」)》
          ・藤掛廣幸/山河緑照
  《指揮:内海静恵(北海道大学チルコロ・マンドリニスティコ「アウロラ」)》
         ・E. モリコーネ/ニュー・シネマ・パラダイス
 ◆第3部 学生団体・社会人団体合同合奏の部
                         (学生・社会人の10団体合同)
《指揮:堀 健治(札幌プレクトラムアンサンブル)》 
         ・L.V.ベートーベン/エグモント序曲
         ・丸本大吾/杜の鼓動 ~魂の還る場所~
         ・鈴木静一/狂詩曲『海』
《指揮:堀 健治(札幌マンドリン倶楽部)》
        ・末廣健児/瑞木の詩より第1楽章「翠雨」
        ・久石 譲/ハウルの動く城より~人生のメリーゴーランド
        ・C.A.ブラッコ/マンドリンの群れ
 プログラムを一覧して、その多くが合同合奏であることに気が付かれると思います。第2部は50名、第3部は実に89名の大合奏である。
 私はこれまで何度かマンドリンの団体が主催するコンサートに参加して、マンドリンの奏でる哀愁を帯びた音色に他の楽器にはない魅力を感じていたのだが、それらはほとんどが数名から数十名程度の合奏だったように記憶している。      
※ マンドリ四重奏の基本は、左から第一マンドリン、第二マンドリン、マンドロンチェロ、マンドラの四つのマンドリン系楽器で構成された重奏を指すようです。
 私は多人数の合同演奏がダメと言っているわけではない。多人数はやはり少数の重奏などよりは音に厚みがあり、迫力も感ずる。しかし、私の中では少人数の重奏にこそマンドリンの良さがより出てくるという思いが拭いきれないのだ。そうした人たちの演奏が少なかったなぁ、という思いを今回の音楽祭では感じてしまった。おそらく市民芸術祭の一環ということで何かの縛りがあるのではと想像するのだ。
 マンドリンの響きの魅力は、繊細な、囁くような響きにあるように思われる。それは繊細さ、あるいは哀愁さを漂わせる日本人が創り出すメロディーとの相性が合う楽器なのではないだろうか?私の理解ではマンドリンをメジャーにしたのは、あの「古賀メロディー」を創り出した古賀政男と聞いている。マンドリンの響きは古賀メロディーをより魅力的に引き出したのではないか?
 実は音楽祭が始まる前に「プレステージ」としてマンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギターの四重奏で、北海道に関係する歌謡曲、そして美空ひばりの代表曲が演奏されたが、私としては最もマンドリンなどの魅力が引き出されていたと感じたのだが…。
 合同演奏の最期にアンコールとして中島みゆき作詞・作曲の「ヘッドライト・テールライト」が演奏された。演奏は彼女の歌声がどこからか聞こえ、あのTV番組が脳裏をかすめた。あのような曲にこそ、マンドリンが最も相応しいのでは?と私は感じたのだが…。
※ なお、私が以前に聴いていたコンサートはどうやら「マンドリン四重奏演奏会」というコンサートだったようだ。来年1月に予定されているようなので楽しみに待ちたいと思う。