気まぐれ剣士の言いたい放題
253 いい加減
「いい加減」は、中途半端という意味だけではありません。本来はちょうど良い具合にバランスがとれている状態を示す言葉だそうです。
この世の三次元は二元論の相対の世界で成り立っています。「陰、極まれば陽となり、陽、極まれば陰となる」が成り立つ世界です。
全てのものの中に、陰陽の要素がたたみ込まれており、その陰陽のバランスでこの世は成り立っているのです。
つまりこの世の全ては「いい加減」でバランスを保っているから存在しているそうです。
どんなに良いことでも、われわれがそのことに熱中し過ぎて、ねばならないで取り組んでいる時、バランスが崩れています。
あなたがポジティブに偏っている時、そのバランスを保とうとして、あなたの一番弱いところ、一番隠して置きたいネガティブな部分がクローズアップされて来て、バランスを保とうとするのです。
全てがバランスの中で成り立っているのですから、何事も「いい加減」で、ちょうど良い加減なのだそうです。
陰も陽も実際に、その両極を体験して極めなければ、本当の真ん中、中庸、「いい加減」はわからないのかもしれません。
「いい加減」な人は、適当なヤツかもしれませんが、真ん中を知っているから、 ちょうどピッタリの場所が見つけられるのですね。
完璧を目指さず、「いい加減」で適当に過ごしてみましょう。何もせず、ただダラダラと過ごすのではなく、肩の力を抜いて、何事もほどほどに楽しむ姿勢が大切かも知れません。
熱くなり過ぎず、かと言って冷め切ってしまうのでもなく、ちょうど良い加減で、適当にバランス良く楽しむことです。 「いい加減」で適当な人だと言われてもいいじゃないですか~。
そう評価する人は、自分に完璧を求め、 自らの正しさの価値観に縛られ苦しんでいるのかもしれません。
気まぐれ剣士は「いい加減」が大好きです。本人は“良い加減”と思っているのですが。女房殿はやっぱり適当と思っているようです。
次回もお楽しみに
以上
253 いい加減
「いい加減」は、中途半端という意味だけではありません。本来はちょうど良い具合にバランスがとれている状態を示す言葉だそうです。
この世の三次元は二元論の相対の世界で成り立っています。「陰、極まれば陽となり、陽、極まれば陰となる」が成り立つ世界です。
全てのものの中に、陰陽の要素がたたみ込まれており、その陰陽のバランスでこの世は成り立っているのです。
つまりこの世の全ては「いい加減」でバランスを保っているから存在しているそうです。
どんなに良いことでも、われわれがそのことに熱中し過ぎて、ねばならないで取り組んでいる時、バランスが崩れています。
あなたがポジティブに偏っている時、そのバランスを保とうとして、あなたの一番弱いところ、一番隠して置きたいネガティブな部分がクローズアップされて来て、バランスを保とうとするのです。
全てがバランスの中で成り立っているのですから、何事も「いい加減」で、ちょうど良い加減なのだそうです。
陰も陽も実際に、その両極を体験して極めなければ、本当の真ん中、中庸、「いい加減」はわからないのかもしれません。
「いい加減」な人は、適当なヤツかもしれませんが、真ん中を知っているから、 ちょうどピッタリの場所が見つけられるのですね。
完璧を目指さず、「いい加減」で適当に過ごしてみましょう。何もせず、ただダラダラと過ごすのではなく、肩の力を抜いて、何事もほどほどに楽しむ姿勢が大切かも知れません。
熱くなり過ぎず、かと言って冷め切ってしまうのでもなく、ちょうど良い加減で、適当にバランス良く楽しむことです。 「いい加減」で適当な人だと言われてもいいじゃないですか~。
そう評価する人は、自分に完璧を求め、 自らの正しさの価値観に縛られ苦しんでいるのかもしれません。
気まぐれ剣士は「いい加減」が大好きです。本人は“良い加減”と思っているのですが。女房殿はやっぱり適当と思っているようです。
次回もお楽しみに
以上