1991年の生聴きしたコンサートからピックアップして書いてます。
網羅的な記録ではありません。
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1991年も中盤6月です。
この時期、ベルリン・コーミッシェ・オーパーが初来日しました。
400人の引っ越し公演です。
この劇場はフェルゼンシュタインが戦後作り上げた劇場で、旧東ドイツにありました。
1989年のベルリンの壁崩壊、1990年のドイツ統合、そのあと1年も経ずに日本に初来日しました。
まるで何事もなかったかのようなドイツのハイレベルな結束力、優秀な民族であることの証でした。
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この劇場の当時の主席演出家はハーリー・クプファー。
クプファーの演出はバイロイトでは1970年代後半から、さまよえるオランダ人、で見ることができましたが、そのバイロイトに関して言うと何と言っても1988年を開始年とするダニエル・バレンボイム指揮によるレーザー光線のリングサイクルの大ブーイング。
初年はみんなあんなものさ、とはいうけれどね。
5年間で音楽は丸みをおび、演出は斬新さから陳腐へと様変わり。
いや、聴衆の方が変わっただけなのかもしれない。
日本で2002年に行われたクプファー演出のリングサイクルの3連発はバイロイトの後の新演出であったと記憶する。
飽くなき挑戦です。
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1991年というとクプファー演出のバイロイトのリングサイクルの4年目にあたりますが、この来日の折、クプファーが日本に同行してステージに顔を出したのかどうか、もう記憶にありません。
6月はバイロイトの演出、マイナーチェンジに忙しかったのではないでしょうか。
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それで、ベルリン・コーミッシェ・オーパーの方はどうだったの?
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1991年6月
6日(木)青ひげ 上野
7日(金)青ひげ 上野
9日(日)青ひげ 上野●
13日(木)ラ・ボエーム 上野●
15日(土)ラ・ボエーム 上野
18日(火)ラ・ボエーム 相模大野
20日(木)フィガロの結婚 神奈川
21日(金)特別コンサート オーチャードホール
22日(土)フィガロの結婚 神奈川
23日(日)フィガロの結婚 神奈川●
27日(木)ラ・ボエーム 名古屋
7月
1日(月)フィガロの結婚 名古屋
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●は河童潜入
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11回公演と特別コンサートが1回。
指揮はヨアヒム・ヴィラート、ロルフ・ロイター。
青ひげはフェルゼンシュタインの演出。ラ・ボエームとフィガロの結婚はクプファーの演出。
特別コンサートには、カウンター・テノールのヨッヘン・コワルスキーが出ております。
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1991年当時でこの来日公演の最高席が2万7千円ということで、一流どころから見るとワンランク下の格付けだ。
日本人にはなじみがないとはいえ、なじみのないかたちが、「まぼろしのオペラハウス」というよりも「よくわからない2流どころのオペラハウス」の来日公演のように主催者も感じていたのかもしれない。
それはそれで客にとってはもっけの幸いであった。
これとは全くの逆の現象が今年2007年のついこのあいだあった。
イタリアのスポレート歌劇場とパレルモ・マッシモ歌劇場の来日公演。
海のものとも山のものともわからない歌劇場来日公演のベラボーなチケット代、一流どころなみにふっかけていて聴く前から怪しかった。
日本にわざわざ来てどうのこうというレベルではないと思う。
評論も地方の隠れた素朴な美点を探し出すのが精いっぱいだったのではないか。
主催者の「隠れた名門」「最後の名門」など、吹き出し、失笑してしまうが、本当の名門なら今頃まで日本に来たことがないというのはこの時代にあり得ない。
外国の演奏団体は日本に来てはじめて聴衆の恐ろしさ、商売のうまみを知る。
名門はとっくの昔からそんなことは百も承知。
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それはそれとして、ベルリン・コーミッシェ・オーパーのこの公演の目玉は演出にありそうだということはなんとなくわかっていたが、それよりもなによりも、ラ・ボエーム見たさ、というのが一番。
公演は、青ひげ、ラ・ボエーム、フィガロの結婚、の順番だが、明日から書くブログの順番は、ラ・ボエーム、フィガロの結婚、青ひげ、となります。
つづく
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