1930年9月のある日、お昼休みをセントラルパークで過ごした彼は夕方からニューヨーク・フィルとの練習を終え、やれやれこのオーケストラは定期公演よりもその前の練習の方が疲れるなぁ、などと愚痴をこぼしながらカーネギーホールの近くの、暗いバー、で一人でバーボンで喉を潤していた。
1928-1936のシーズンはアルトゥーロ・トスカニーニの時代だが、1930-1931シーズンは、エーリッヒ・クライバーの棒で始まった。
クライバーにとっては10月2日から11月9日までの長丁場だ。
エーリッヒが酒飲みだったかどうか知らないが、当時は今と違い交通手段がそんなに便利ではないから移動が大変で、一か所で何ヶ月かすごさなければならない。
ニューヨーク・フィルが相手だと、公演そのものは楽だと思う。しかし、オケが棒振りになじむまで、言うことをきくようになるまでが大変だと思う。特に、指揮者より我々の方がうまいのだ、と思っている連中が相手だ。酒でも飲まないとやってられない。
自信過剰なだけで力がないオケならすぐに見抜かれて、黙りこませるまでに時間はかからないが、ベラボーな腕前の連中なだけに手におえない。
まぁ、しょうがいない。一流オケをドライブ出来てはじめて一流の棒振りということになるわけだし。
今回は一か月強でどのくらい振らなければならないのか。
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クライバーの棒のプログラム
1930-1931シーズン
カーネギーホール
10.2 プロA
10.3 プロA
10.4 プロA
10.5 プロB
10.9 プロC
10.10 プロC
10.11 プロC
10.12 プロD
10.16 プロE
10.17 プロE
10.18 プロE
10.19 プロD (ブルックリン)
10.23 プロF
10.24 プロF
10.26 プロG
10.30 プロH
10.31 プロH
11.2 プロI (メト)
11.6 プロJ
11.7 プロJ
11.9 プロJ
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あぁ、数えたくもない。
21回も振らなければならない。
それでも旅行日程はないので楽だ。
プログラムは当時だいたい3回でワンセット。
棒もこの先一か月もあるのかと思うと気が重いが、目先の一つ一つをこなしていくにつれ段々と乗ってくるものだ。