楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

海外旅行準備ー旅行のお金の工面(2)

2012年08月13日 10時50分09秒 | 海外旅行1

 
定年退職後はカミサンとの約束の外国旅行をしたい。
その訪問目標を105カ国と他人に話したら、
「何でそんなに経済力があるのですか、
余ほど金持ちなのですね。」と、不思議に思われた。
随分金持ちのように思われたが、
実際はそうではない。
 
お金を稼げるだけの能力を持っていただけのことである。
 
定年後にやりたいことを残しておいた。
しかし暇はあれど肝心のお金が無い。
そこで1週間に2日だけ働き、
残り5日間を自由気ままに、
老後を楽しむことが出来る仕事は無いものかと探した。
 
希望を求めて探し回ったが、
そんな都合の良い仕事があるわけが無い。
 
半ば諦めて、現役時代の延長のようなフルタイムの仕事をする事にしようと、
覚悟を決めた。
 
面接に行くと、人事の方、採用部署の係りの人、採用部署の担当部長さん、
入れ替わり立ち代り面接を受けて、最後に社長さんが出てきた。
随分大ごとになったと思ったが、
その際、本来の自分の希望(本当は週二日間/土日/だけ働く)を述べた所、
先方が採用したいのは、実は土日を働いてくれる人だったのである。
しかし、週二日だけでは来てくれる人も無く、
やむを得ずフルタイムで募集することに決めた矢先であった。
 
お互いの希望が合致して、とんとん拍子に話は進んだ。
ところが仕事を実際には、どのようにやるのかがよく解らないので、
「具体的に一日見学させて欲しい」と頼んだ。
この間はアルバイト。待遇は時間給1750円。
 
翌日一日、仕事を見学した。
コンピューターを駆使していると言うものの、
仕事の内容は、前時代的なやり方であったので、
(つまり、手書きでやる事をコンピューターに置き換えただけの仕事)
その日のうちに五項目の改善をお願いして、
その改善が出来なければ仕事をお受け出来ないと、
改善要望書を提出した。
 
世界に冠たるアメリカの日本支社である。
しかも、この会社が商品を発明した先駆者で、
アメリカではこの商品がないと生活が出来ない。
1996年には、世界のビッグスリーに入っている会社である。
 
翌日、日本支社長が仕事場にわざわざやって来て、
「要望書の内容、すぐには出来ないが改善します。」の約束されたので、
仕事をすることにした。
(この問題は五年後には改善された。)

毎月、土曜日曜祝日勤務して月平均9日間勤務して、
年収400万円也、
 
この仕事の収入がすべて、
ボクの計画の旅行費用になった。
 
生活費は定年になった時点で、
年金で賄えるようにしてあった。
さらに言えばボクが55歳の時点で、
二人の子供は大学を卒業し、
住宅ローンも完了していたのである。
 
さらに幸運な事に60歳定年の時には子供たちは、
親には都合よく、結婚して独立していた。
 
ボクは決して金持ちではない。
どちらかと言うと、
人生の時間割をきちんとこなして来たことは確かである。
何歳までに子供を生み終え、
何歳までに住宅ローンを終える。
子供の結婚、独立にしても、
何歳までには独立するよう話してあった。
子供たちがパラサイト・シングルにでもなったら、
それこそボク達の老後は無い。
 
誰にも平等に与えられた時間を意識して、
その時間を一所懸命まじめに、
そして有効に使った者が人生をたのしめる。
 
と格好よく書いたが、
実際の所ヨーロッパへ一つの旅行をするのに、
1997年には夫婦二人で二週間旅するのに、
安くて一人135万円は必要であった。
 
(つづく)
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Potora!  NTTグループ運営!