定年退職後はカミサンとの約束の外国旅行をしたい。
その訪問目標を105カ国と他人に話したら、
「何でそんなに経済力があるのですか、
余ほど金持ちなのですね。」と、不思議に思われた。
随分金持ちのように思われたが、
実際はそうではない。
お金を稼げるだけの能力を持っていただけのことである。
定年後にやりたいことを残しておいた。
しかし暇はあれど肝心のお金が無い。
そこで1週間に2日だけ働き、
残り5日間を自由気ままに、
老後を楽しむことが出来る仕事は無いものかと探した。
希望を求めて探し回ったが、
そんな都合の良い仕事があるわけが無い。
半ば諦めて、現役時代の延長のようなフルタイムの仕事をする事にしようと、
覚悟を決めた。
面接に行くと、人事の方、採用部署の係りの人、採用部署の担当部長さん、
入れ替わり立ち代り面接を受けて、最後に社長さんが出てきた。
随分大ごとになったと思ったが、
その際、本来の自分の希望(本当は週二日間/土日/だけ働く)を述べた所、
先方が採用したいのは、実は土日を働いてくれる人だったのである。
しかし、週二日だけでは来てくれる人も無く、
やむを得ずフルタイムで募集することに決めた矢先であった。
お互いの希望が合致して、とんとん拍子に話は進んだ。
ところが仕事を実際には、どのようにやるのかがよく解らないので、
「具体的に一日見学させて欲しい」と頼んだ。
この間はアルバイト。待遇は時間給1750円。
翌日一日、仕事を見学した。
コンピューターを駆使していると言うものの、
仕事の内容は、前時代的なやり方であったので、
(つまり、手書きでやる事をコンピューターに置き換えただけの仕事)
その日のうちに五項目の改善をお願いして、
その改善が出来なければ仕事をお受け出来ないと、
改善要望書を提出した。
世界に冠たるアメリカの日本支社である。
しかも、この会社が商品を発明した先駆者で、
アメリカではこの商品がないと生活が出来ない。
1996年には、世界のビッグスリーに入っている会社である。
翌日、日本支社長が仕事場にわざわざやって来て、
「要望書の内容、すぐには出来ないが改善します。」の約束されたので、
仕事をすることにした。
(この問題は五年後には改善された。)
毎月、土曜日曜祝日勤務して月平均9日間勤務して、
年収400万円也、
この仕事の収入がすべて、
ボクの計画の旅行費用になった。
生活費は定年になった時点で、
年金で賄えるようにしてあった。
さらに言えばボクが55歳の時点で、
二人の子供は大学を卒業し、
住宅ローンも完了していたのである。
さらに幸運な事に60歳定年の時には子供たちは、
親には都合よく、結婚して独立していた。
ボクは決して金持ちではない。
どちらかと言うと、
人生の時間割をきちんとこなして来たことは確かである。
何歳までに子供を生み終え、
何歳までに住宅ローンを終える。
子供の結婚、独立にしても、
何歳までには独立するよう話してあった。
子供たちがパラサイト・シングルにでもなったら、
それこそボク達の老後は無い。
誰にも平等に与えられた時間を意識して、
その時間を一所懸命まじめに、
そして有効に使った者が人生をたのしめる。
と格好よく書いたが、
実際の所ヨーロッパへ一つの旅行をするのに、
1997年には夫婦二人で二週間旅するのに、
安くて一人135万円は必要であった。
(つづく)