都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「マーク・ロスコ 瞑想する絵画」(Vol.3・シーグラム壁画展示室) 川村記念美術館
川村記念美術館(千葉県佐倉市坂戸631)
「マーク・ロスコ 瞑想する絵画」
2/21-6/11(会期延長)
そろそろ会期末を迎えました。三度目のロスコ詣です。川村記念美術館で開催中の「マーク・ロスコ 瞑想する絵画」へ行ってきました。
展示構成、会場写真、またプレビュー時の学芸員、林寿美氏のレクチャーなどは以下のエントリをご参照下さい。
「マーク・ロスコ 瞑想する絵画」 川村記念美術館(Vol.1・プレビュー)/(Vol.2・レクチャー)
さてこの展覧会の最大の見せ場が「シーグラム壁画展示室」であることは言うまでもありませんが、今回はその率直な印象を、特に展示方法に関する形で書きたいと思います。
・ロスコの想定したイメージに近い展示方法(作品の高さ、間隔など。)がとられているが、当然ながらも完全な「再現」になっているわけではない。
→そもそもロスコが壁画展示を見ることなく亡くなったことを考えても、その再現は結局、言わば作る側と見る側とがそれぞれに思う一種の幻影に過ぎないのではないでしょうか。
・新旧を問わず、常設の「ロスコ・ルーム」とは空間、照度とも展示形態が大きく異なっている。
→半ば川村記念美術館が長年に渡って築いてきたロスコのイメージを、不思議にも同美術館自身が見事に打ち破りました。戸惑いを覚えた方も多いかもしれません。
・比較的照度の高い展示室は、暗室にぼんやりと浮かび、まるで得体の知れないものとして映るロスコの『アウラ』を取り払った。
→ロスコの作品を一つの「絵画」として捉えることが可能です。作品との適度な距離も、また「壁画」としてあるべき作品の意味を伝えていました。
・細部まで見ることが可能になったことで、一枚一枚の作品の持つ力を汲み取り易くなっていた。
→毛羽立ったタッチ、太く力強いストローク、そして随所に見られるレイヤー状の色調変化などが手に取るように分かりました。ロスコの絵からこれほど激しい熱気と情熱を感じたのは初めてです。じっと絵画だけを見つめているとその煮えたぎる炎と血潮にのまれてしまいました。
・サブタイトルにある瞑想的なロスコ観はこの展示に似つかない。
→川村のロスコ・ルームのような半ば地底の洞窟から引き出し、作品に新たな光と輝きを与えたことこそ最大の功績です。天井の採光窓によって変化する照度により、絵画自身があたかものびのびと呼吸しているような気がしたのは私だけでしょうか。
・円環状に繋ぎ合わされた絵画は人知を超えたスケールへと達していた。
→ロスコの意図した空間はともあれ、今回は彼の作品を内向きではなく、むしろ外に開かれた、言わば大自然の景色のような大きな存在として見せていました。大きな山や海原を前にした時の感覚に近いかもしれません。普段、時に息のつまることもある濃密なロスコも、ここでは少し離れることで、比較的落ち着いて向き合えました。
ロスコの作品はデリケートと言うよりもむしろ饒舌で、見る側にある程度の情報の取捨選択を迫るためか、その時々の心持ちなどによって大きく印象が変わります。実際のところ、今回ほど受け手側の想像力を自由にさせるロスコ展はありませんが、出来れば私もさらに足を運び、多様なイメージを想い馳せながら楽しめればと思いました。
なお会期が若干延長されました。6月11日までの開催です。改めてお見逃しなきようおすすめします。
*上記写真は「(c) Kawamura Memorial Museum of Art 2009」
「マーク・ロスコ 瞑想する絵画」
2/21-6/11(会期延長)
そろそろ会期末を迎えました。三度目のロスコ詣です。川村記念美術館で開催中の「マーク・ロスコ 瞑想する絵画」へ行ってきました。
展示構成、会場写真、またプレビュー時の学芸員、林寿美氏のレクチャーなどは以下のエントリをご参照下さい。
「マーク・ロスコ 瞑想する絵画」 川村記念美術館(Vol.1・プレビュー)/(Vol.2・レクチャー)
さてこの展覧会の最大の見せ場が「シーグラム壁画展示室」であることは言うまでもありませんが、今回はその率直な印象を、特に展示方法に関する形で書きたいと思います。
・ロスコの想定したイメージに近い展示方法(作品の高さ、間隔など。)がとられているが、当然ながらも完全な「再現」になっているわけではない。
→そもそもロスコが壁画展示を見ることなく亡くなったことを考えても、その再現は結局、言わば作る側と見る側とがそれぞれに思う一種の幻影に過ぎないのではないでしょうか。
・新旧を問わず、常設の「ロスコ・ルーム」とは空間、照度とも展示形態が大きく異なっている。
→半ば川村記念美術館が長年に渡って築いてきたロスコのイメージを、不思議にも同美術館自身が見事に打ち破りました。戸惑いを覚えた方も多いかもしれません。
・比較的照度の高い展示室は、暗室にぼんやりと浮かび、まるで得体の知れないものとして映るロスコの『アウラ』を取り払った。
→ロスコの作品を一つの「絵画」として捉えることが可能です。作品との適度な距離も、また「壁画」としてあるべき作品の意味を伝えていました。
・細部まで見ることが可能になったことで、一枚一枚の作品の持つ力を汲み取り易くなっていた。
→毛羽立ったタッチ、太く力強いストローク、そして随所に見られるレイヤー状の色調変化などが手に取るように分かりました。ロスコの絵からこれほど激しい熱気と情熱を感じたのは初めてです。じっと絵画だけを見つめているとその煮えたぎる炎と血潮にのまれてしまいました。
・サブタイトルにある瞑想的なロスコ観はこの展示に似つかない。
→川村のロスコ・ルームのような半ば地底の洞窟から引き出し、作品に新たな光と輝きを与えたことこそ最大の功績です。天井の採光窓によって変化する照度により、絵画自身があたかものびのびと呼吸しているような気がしたのは私だけでしょうか。
・円環状に繋ぎ合わされた絵画は人知を超えたスケールへと達していた。
→ロスコの意図した空間はともあれ、今回は彼の作品を内向きではなく、むしろ外に開かれた、言わば大自然の景色のような大きな存在として見せていました。大きな山や海原を前にした時の感覚に近いかもしれません。普段、時に息のつまることもある濃密なロスコも、ここでは少し離れることで、比較的落ち着いて向き合えました。
ロスコの作品はデリケートと言うよりもむしろ饒舌で、見る側にある程度の情報の取捨選択を迫るためか、その時々の心持ちなどによって大きく印象が変わります。実際のところ、今回ほど受け手側の想像力を自由にさせるロスコ展はありませんが、出来れば私もさらに足を運び、多様なイメージを想い馳せながら楽しめればと思いました。
なお会期が若干延長されました。6月11日までの開催です。改めてお見逃しなきようおすすめします。
*上記写真は「(c) Kawamura Memorial Museum of Art 2009」
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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ギリギリセーフです。
今日は曇っていたので、展示室もなんとなく暗い雰囲気でしたが、
かえってシューベルトのBGMとマッチしていたような印象を受けました。
ずいぶん長い時間「瞑想」して、不思議とリフレッシュできた休日でした。
曇りだと少しくらい感じになりますね。それでも普段のロスコルームよりは遥かに明るいですが…。
>シューベルトのBGM
実は私もシューベルトの方がしっくりきました。
不思議ですね。
>リフレッシュ
それは何よりでした!いつか川村オフなんてのもやってみたいです。