「夏目漱石の美術世界展」 東京藝術大学大学美術館

東京藝術大学大学美術館
「夏目漱石の美術世界展」
5/14-7/7



東京藝術大学大学美術館で開催中の「夏目漱石の美術世界展」のプレスプレビューに参加してきました。

「ちょっとご覧なさい」と美禰子が小さな声でいう。三四郎は及び腰になって、画帖の上へ顔を出した。美禰子の髪で香水の匂がする。
画はマーメイドの図である。裸体の女の腰から下が魚になって、魚の胴が、ぐるりと腰を廻って、向う側に尾だけ出ている。女は長い髪を櫛で梳きながら、梳き余ったのを手に受けながら、こっちを向いている。背景は広い海である。
「人魚(マーメイド)」。
「人魚(マーメイド)」。
頭を擦り付けた二人は同じ事をささやいた。
*夏目漱石「三四郎」より

近代日本を代表する文豪、夏目漱石。漱石自身が美術に大きな関心を持っていただけに、彼の著書にはいくつも美術作品が出てくることはよく知られています。


「夏目漱石と美術世界展」会場風景

しかしながら文学と美術。たとえ親和性があろうとも、なかなか接点を持って同時に見る、また読むことが出来ないのも事実。漱石の個々のテキストと美術作品を具体的に参照する機会はありませんでした。

ここに決定版が。タイトルも「夏目漱石の美術世界展」。漱石文学に登場する美術品が一堂に集結。美術の側から改めて漱石世界を知るまたとない展示となっています。


J.W.ウォーターハウス「人魚」1900年 王立芸術院、ロンドン
Royal Academy of Arts, London;Photographer: John Hammond


というわけで、冒頭に引用した「三四郎」から。ウォーターハウスの「人魚」です。漱石は自らのイギリス留学時に英文学と英国美術研究を重ね、当時のラファエル前派や世紀末美術、そしてターナーやコンスタブルに惹かれていきました。


J.M.W.ターナー「金枝」1834年 テイト、ロンドン
Tate, London 2013


よって漱石の美術世界、一つの核となるのはイギリス美術。「それから」で大助の見たブランギンことブラングィンの作品も。(小説と直接関係する作品は図版で紹介されています。)そして秋に都美館で大回顧展の控えるターナーです。こちらは「金枝」。「ぼっちゃん」で赤シャツと野だいこの会話で登場。漱石は必ずしも常に特定の絵画を小説に登場させたわけではありませんが、ともかくイギリス美術を多く引用しています。


B.リヴィエアー「ガダラの豚の奇跡」1883年 テイト、ロンドン
Tate, London 2013


「夢十夜」ではラスト、庄太郎が最後に見る夢のイメージの元になった絵画、リヴィエアーの「ガダラ豚の奇跡」も出品。これは珍しいと思いきや、さり気なく日本初公開です。


左:ダンテ・ガブリエル・ ロセッティ「レディ・リリス」1867年

ターナー3点、ウォーターハウス2点、そしてミレイにロセッティ。テートからも作品が来日しています。ちょっとしたラファエル前派展とも言えるかもしれません。

さて続いては日本美術へ。元々、子どもの頃から書画に親しんでいた漱石は、雪舟以降の水墨、また狩野派や円山派などの江戸絵画について関心を寄せています。


伊藤若冲「梅と鶴」江戸時代(18世紀) 展示期間:6/11-7/7

「草枕」では若冲の一筆書きの鶴を引用。さらに同じく「草枕」では、逆に漱石の没後、松岡映丘らが門弟らと制作した「草枕絵巻」なども展示。


右:伊年「四季花卉図屏風」(17世紀) 東京国立博物館 *展示期間:5/14-6/2

また興味深いのは漱石が宗達に注目していることです。伊年印の「四季花卉図屏風」を参照しながら、画家の津田青楓に宗達風の画を描いてみないかとすすめています。ちなみに青楓は漱石の親友。漱石本の装幀を手がけながら、漱石へ油絵や山水画を指導した人物でもあります。

さらに漱石と同時代の日本美術もずらりと勢揃い。日本画に油画。繋がりは文展の批評です。漱石は第六回文展を見て批評を新聞へ連載。展示ではそこで彼が見たであろう作品を批評の言葉とともに紹介しています。


左:黒田清輝「赤き衣を着たる女」大正元(1912)年 鹿児島県歴史資料センター 黎明館

横山大観、黒田清輝、藤島武二、坂本繁二郎、青木繁、木島桜谷に今村紫紅ら。その数は約40点。ここでは面白いのは漱石の批評です。これがかなり印象批評的(監修の古田先生談)で、好き嫌いがはっきりしていること。


今村紫紅「近江八景」大正元(1912)年 重要文化財 東京国立博物館 *場面替えあり

例えば今村紫紅の「近江八景」に対しては、「これは大正の近江八景として後世に伝わるか疑問。」と述べた上、「今村君の苦心を尊敬する。」としたものの、結局「何だか自分の性には合わない。」とバッサリ。また総じて画壇の重鎮には厳しい目を向ける一方、青木や坂本繁二郎らの若手には好意的であるのも特徴です。


橋口五葉「彼岸過迄」表紙画稿 大正元(1912)年 鹿児島市立美術館 他

またもちろん展示では漱石本の装幀、挿画についても紹介。ここで主役をはるのは橋口五葉と津田青楓。そして漱石本人が装幀を行った「こころ」なども。彼はアール・ヌーヴォー風の図柄を好んだそうです。


漱石自筆の作品

ラストには漱石自ら描いた書画もいくつか。「崇高でありがたい気持ちのする奴をかいて死にたいと思います。文展に出る日本画のようなものはかけてもかきたくはありません。」とは彼の言葉。一部の批評と同じく辛辣です。もちろん素人の域ではありますが、晩年の画作、漱石はかなり没頭したとのことでした。

さて最後に重要な一枚を。これが荒井桂の「酒井抱一作 虞美人草図屏風(推定試作)」に他なりません。

逆に立てたのは二つ折りの銀屏である。一面に冴え返る月の色の方六尺のなかに、会釈もなく緑青を使って、柔婉なる茎を乱るるばかりに描た。不規則にぎざぎざを畳む鋸葉を描た。緑青の尽きる茎の頭には、薄い弁を掌ほどの大きさに描た。(略)色は赤に描た。紫に描た。凡てが銀の中から生える。銀の中に咲く。落つるも銀の中と思わせる程に描いた。花は虞美人草である。落款は抱一である。*夏目漱石「虞美人草」より


荒井桂「酒井抱一作 虞美人草図屏風(推定試作)」2013年

本作はもちろん「虞美人草」のラストシーンで藤尾の枕元に置かれた銀屏風。抱一作と記されていますが、実は抱一によるヒナゲシを描いた屏風絵は確認されていません。よっておそらくは漱石が架空に生み出した作品だと考えられています。

それを本展では何と再現。手がけたのは東京藝術大学文化財保存学専攻准教授、荒井桂。同氏によれば抱一の画風と漱石のテキストをどう合わせるのかに苦心したとのこと。当初はヒナゲシを群生させた作品を描いたそうですが、それはあまりにも劇的過ぎるとしてボツに。その後にもっと瀟洒で可憐、余白を取り入れ、より抱一に近づけたものが出来上がったのだそうです。


荒井桂「酒井抱一作 虞美人草図屏風(推定試作)」2013年(逆さの状態)

なお「虞美人草」には本屏風を「逆さに立てた」と記してあります。というわけで、内覧時には実際に逆さに立ててみる試みも。ちなみに会期中に逆さの状態を見られるのはただ一度。6月15日です。この日は開館中ずっと逆さに展示されます。(それ以外は通常通りに展示。)狙い目です。

また抱一といえば忘れてはならないのは「月に秋草図屏風」。これぞ抱一、月明かりに照らされた無限の虚空を背にした秋草の自在な舞い。公開頻度の少ない超一級品、漱石の「門」で言及のある屏風絵です。小説と細部は一致しませんが、おそらくは漱石がイメージしていたとされています。


酒井抱一「月に秋草図屏風」江戸時代(19世紀) 重要文化財 東京国立博物館寄託 *展示期間:6/25-7/7
Image: TNM Image Archives


こちらは出品期間が限られています。会期末6/25~7/7のみの展示です。その他の作品について一部展示替えがあります。詳細は出品リストをご覧ください。

「夏目漱石の美術世界展 出品リスト」@東京藝術大学(PDF)

導入に「吾輩は猫である」を据え、漱石と日本・西洋美術の関係を見ながら、主に「三四郎」、「草枕」、「それから」などに登場する美術品をピックアップ。さらには文展から同時代の日本人画家たちを紹介し、最後には装幀や漱石自身の書画で締める。キャプションにも漱石のテキストを多数引用。構成とも秀逸です。率直なところ期待以上の内容で感心しました。


J.W.ウォーターハウス「シャロットの女」1894年 リーズ市立美術館
Leeds Museums and Galleries (Leeds Art Gallery)


6月にはNHK日曜美術館の本編でも特集されるそうです。こちらもお見逃しなく!

NHK日曜美術館 「絵で読み解く夏目漱石」Eテレ
6/2(日) 9:00~9:45 *再放送 6/9(日) 20:00~20:45

夏目漱石ほど小説の中に絵のイメージを取り込んだ作家はいない。
ダ・ヴィンチの「モナリザ」や若冲「鶴図」など古今東西の有名無名の絵が、小道具や小説の重要な鍵として登場する。
『三四郎』や『草枕』など“絵画小説”とも言われる漱石作品を、絵から読み解いていく。


ミュージアムショップに並べられた漱石の著作

7月7日までの開催です。ずばりおすすめします。

「夏目漱石の美術世界展」 東京藝術大学大学美術館
会期:5月14日(火)~7月7日(日)
休館:月曜日
時間:10:00~17:00 *入館は16時半まで。
料金:一般1500(1200)円、高校・大学生1000(700)円、中学生以下は無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
住所:台東区上野公園12-8
交通:JR線上野駅公園口より徒歩10分。東京メトロ千代田線根津駅より徒歩10分。京成上野駅、東京メトロ日比谷線・銀座線上野駅より徒歩15分。

注)写真は報道内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
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