「赤瀬川原平の芸術原論」 千葉市美術館

千葉市美術館
「赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現在まで」
10/28-12/23



千葉市美術館で開催中の「赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現在まで」を見て来ました。

1937年に生まれ、美術の領域に留まらず、漫画や小説のほか、写真やエッセイストなどでも幅広く活動した赤瀬川原平。その多方面な業績を主に時間軸で追いかける展覧会です。

出品は全500点。最初期の絵画から近年の資生堂の椿会に出品した作品までを網羅する。もちろんハイレッド・センターや千円札裁判、またトマソンなどにも言及があります。内容は膨大です。観覧に2時間近くはかかりました。

はじまりは1952年に描いた父の肖像画です。中学の頃に美術グループに属していた赤瀬川、武蔵野美術大学へと進学する。しかし生活は苦しく、例えばサンドイッチマンなどをしてお金を稼いでいた。実家も豊かではなかったそうです。同じく50年代には「貧しき家族」と題した絵画も残しています。


「ヴァギナのシーツ(二番目のプレゼント)」1961/1994年 作家蔵(名古屋市美術館寄託)

1959年から読売アンデパンダン展に出展しました。かの東松照明が赤瀬川のパフォーマンスを写した写真も興味深い。真空管やゴムチューブ、割れたコップなど既存の素材を活かしては時に奇異なオブジェを作り上げる。巨大な「ヴァギナのシーツ」は今見ても存在感があります。また1963年のシェル美術賞で佳作を受賞した平面作品も目を引きました。


「不在の部屋」1964/1994年 名古屋市美術館

続くのはハイレッド・センターです。言うまでもなく中西夏之、高松次郎、そして赤瀬川原平によって結成された前衛美術のグループ。オブジェなどの制作から、いわゆる直接行動、つまりはイベントやハプニングへと活動の軸を移します。


「宇宙の缶詰」1964/1994年 作家蔵 協力:白石コンテンポラリーアート

梱包もこの頃です。家具や扇風機を紙で梱包しては提示します。何と第6次ミキサー計画では梱包作品を大胆にも新橋駅のホームに置いたとか。また「宇宙の缶詰」も面白い作品です。カニ缶の中身をとり外のラベルを剥がす。そして今度はラベルを内に貼ってはさらに密封する。すると缶の内側にこそ我々の宇宙が封印されるという仕掛けです。意図も簡単に世界を反転させてしまう。何たる発想でしょうか。


「首都圏清掃整理促進計画」1964年

有名な「首都圏清掃整理促進計画」は写真パネルでの展示でした。場所は銀座のど真ん中です。全身白衣に身を包んだメンバーが、縁石やマンホールを丁寧に拭き取る姿が写されている。警官が首をひねりながら見ています。


「大日本零円札」1967年 作家蔵 協力:白石コンテンポラリーアート

そして「千円札裁判」です。ここでは細かく触れませんが、摘発の背景や裁判の経過、起訴状や押収品、さらに裁判をある意味で逆手にとって行われた赤瀬川の創作などにもついても言及があります。展示全体から見てもかなりのウエイトがありました。


「『お座敷』より」1970年 作家蔵

1970年前後からイラストの仕事が増え始めます。婦人公論や朝日ジャーナルでも連載をはじめる。時に社会的な素材をパロディ化して描きました。また永山則夫の著作の装丁の仕事もしています。さらにガロで漫画も連載。うち展示では「お座敷」のペン画の原画全点を紹介。43ページの全てを読むことも出来ました。

現代思潮社を母体に開設された美術学校の教壇に立っていたこともあったそうです。そしてその講義がユニーク。例えば古典絵画はパロディにして模写させています。さらに新聞記事や紙幣に広告をそのまま写させるという取り組みもある。また一時はマッチのコレクションや、天文同好会に入って天体観測にのめり込んでいたこともあったそうです。関心の方向はもはや全方位と言って良いかもしれません。

「父が消えた/尾辻克彦/文春文庫」

赤瀬川は芥川賞受賞作家でもあります。ペンネームは尾辻克彦、受賞作は「父が消えた」です。うち展示では著作の原稿のほか、受賞記事なども紹介。それにしても類い稀な創作力です。赤瀬川は常に同じ地点に留まりません。関心は常に移り続け、新たな地点においても端から見れば易々と一定の成果を挙げてしまいます。


「トマソン黙示録真空の踊り場・四谷階段」1988年 大分市美術館

私が一番知っている赤瀬川の活動は「トマソン」や「路上観察活動」かもしれません。名付け親とも言えるゲイリー・トマソンの肖像にはじまり、赤瀬川の「トマソン黙示録」へと繋がる流れ。いわゆる不動産における美しい無用の長物を次々と写真に収めています。また添えられた赤瀬川のコメントにも思わずにやりとさせられました。街にはかくもこう面白い建築物が潜んでいたのか。今もその驚きは失われません。


「ライカIIIg」2000年 作家蔵
 
さらに80年代には印象派風の絵画を制作し、90年代には中古カメラ収集を切っ掛けにライカ同盟を結成する。1997年には路上観察学会のメンバーでもある藤森照信による自宅兼アトリエの「ニラハウス」を建設。かの有名な「老人力」がベストセラーになります。


「ハレーション」2012年 協力:ギャラリー58

以降は近年の展開です。2000年頃に美術史家の山下裕二と行った「日本美術応援団」なども紹介されています。さらにラストには未完の油画「引伸機」(2012年)が待ち構えている。そしてこの作品は今後完成することはありません。つまり赤瀬川はこの展覧会が始まるまさに直前、2日前の10月26日に77歳の生涯を閉じました。

それにしても何というタイミングなのでしょうか。そしてこの回顧展に接することで、改めて希有な方を亡くしたと残念に思えてなりません。心からのご冥福をお祈り致します。

さてDIC川村記念美術館の五木田智央展との提携の情報です。赤瀬川原平展会期中、DIC川村記念美術館との無料直通バスが運行されます。

DIC川村記念美術館「五木田智央」展(8/31~12/24)との連携(千葉市美術館)

私も実はこの日、先に川村で五木田展を見た後、バスを利用し、千葉市美術館へ向かいました。所要時間はおおよそ30分です。佐倉から千葉へ電車で移動するよりも遥かに早く行くことが出来ました。



多岐に渡るマルチな才能、氏の業績を俯瞰するにはもはや芸術家という括りでさえ足りないのかもしれません。赤瀬川は赤瀬川という存在でしか捉え得ないのかもしれない。最終的には人間・赤瀬川に大いに興味が引かれます。漠然とした印象で恐縮ですが、そのように感じました。

図録が超弩級です。内容もすこぶる充実していて2300円です。永久保存版になりそうです。

「赤瀬川原平の名画読本ー鑑賞のポイントはどこか/知恵の森文庫」

ともかく時間に余裕をもってお出かけ下さい。12月23日まで開催されています。もちろんおすすめします。

「赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現在まで」 千葉市美術館
会期:10月28日(火)~ 12月23日(火・祝)
休館:11月4日(火)、12月1日(月)
時間:10:00~18:00。金・土曜日は20時まで開館。
料金:一般1000(800)円、大学生700(560)円、高校生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
住所:千葉市中央区中央3-10-8
交通:千葉都市モノレールよしかわ公園駅下車徒歩5分。京成千葉中央駅東口より徒歩約10分。JR千葉駅東口より徒歩約15分。JR千葉駅東口より京成バス(バスのりば7)より大学病院行または南矢作行にて「中央3丁目」下車徒歩2分。
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