都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「レオナルド・ダ・ヴィンチ - 天才の実像」 東京国立博物館(その1・受胎告知)
東京国立博物館・本館(台東区上野公園13-9)
「レオナルド・ダ・ヴィンチ - 天才の実像」
3/20-6/17
そろそろ会期も中盤に差し掛かってきました。東京国立博物館で開催中の「レオナルド・ダ・ヴィンチ - 天才の実像」展です。レオナルド初期の傑作であり、またかの「最後の晩餐」に次ぐ大作でもあるという「受胎告知」(ウフィツィ美術館蔵)が、初めてイタリア国外に出て展示されています。各メディア等でも頻繁に取り上げられている展覧会です。既に注目度は満点です。
展示は二部に分かれていますが、「受胎告知」は博物館本館正面の特別5室(第一会場)で公開されています。(第二会場は平成館です。以前、ウフィツィ美術館で開催された企画展が日本向けにアレンジされています。)特5室への入場の際には、美術展では異例とも言える荷物検査も行われていました。その雰囲気からして他の展覧会とは一線を画しています。
「受胎告知」は展示室の最奥部にて静かに鎮座していました。遠方の正面より見てまず印象に残ったのは、厳格なルネサンス遠近法に基づくはずのこの作品が、不思議とどこかひどく不安定な、言い換えれば、見る側の視点を定めさせないような構図感を漂わせているということでした。ガブリエルとマリアによる受胎告知のドラマは、遠近法の消失点である高山に収斂されるようにしてのみ込まれ、こちら側へ迫ってくるような求心力があまり感じられません。それに二者の間隔も奇妙なほど開いています。そしてその空間に、大気遠近法によって美しい青みを帯びた山がそびえ立っているのです。しかもそれは不自然なほどに目立っていました。
しばらく前景の告知のシーンを見ていた自分が、いつの間にやらその山を含めた奥の遠景に目が移っていることに気がつきました。またマリアの後ろ側に見る歪んだ石壁や、ガブリエルの後方に立ち並ぶ極めて図形的な木々の描写などは、何やらシュルレアリスム絵画に登場するような不気味な静謐感を漂わせています。絵の「全体」よりも「部分」に強く意識の働く作品です。それぞれのモチーフが、複雑なパズルを組み合わせるかのようにして一つに繋がっています。そして、そこに歪みも感じられるわけなのです。
いわゆるマリアの右手の問題は、確かに絵の右側に立って鑑賞することで殆ど解決してしまいました。右方向より眺めれば、正面より見ると異様なほど長く伸びる手も適正なものへと変化していきます。また、石壁に強く表れた歪みもほぼ無くなっていました。少なくとも見かけ上、マリア側全体における歪みは相当に解消されています。
ただしそれでも、私はこの作品を右手より、またマリアの背中側より見ることについて賛成することは出来ません。何故ならそれは、右方向より見ることで、マリアの存在感が損なわれる、ひいては「受胎告知」のドラマにそぐわないとも言える流れが絵の中に生まれるからです。マリアの正面、もしくは右手より見ると、視線はまず石壁の遠近法を伝わるかのように遠景へと移され、すぐにかの記号的な木々へと向うことが分かります。そしてその後、ようやく前景へと戻って、この絵で最も充実して描かれているガブリエルへと到達することになるのです。つまり右側より見ると、マリアの眼前にいるはずのガブリエルが、あくまでも遠景を無視しない限り直接的に鑑賞することが難しくなってしまいます。また、ガブリエルよりまさしく受胎を告げられたマリアというこの作品の構図が、マリア方向から眺めることによって転倒してしまうのではないでしょうか。マリアの右手の問題などは、まさしくレオナルドの未熟だった部分を覆い隠そうとする、後世の言ってみれば「後知恵」的な発想ではないかとさえ思いました。アナモルフォーズ(歪曲技法)をこの絵画に当てはめるのは早計かと感じます。初めに完璧ありきではお話になりません。
と言うことで、結局、私が一番落ち着きを持って見ることが出来たのは、絵の中央より左手の位置、つまりややガブリエル側によった場所でした。天使ガブリエルが神の言葉を告げ、マリアがそれに戸惑うという一連の流れが発せられているのは、やはり画中の生気溢れるガブリエルの強い眼差しとその神々しき手の指先です。彼の視線を追うようにしてマリアをのぞむことが、「受胎告知」のドラマをこの画にて追体験出来る唯一の方法ではないでしょうか。そしてマリアの後方はすぐ石壁にて覆われています。確かに遠近法の若干の歪みにて、マリアはやや窮屈な場所に立っているようにも思えますが、ガブリエルの目を追ってみると、その圧倒的な存在感が石壁の重厚感と相まってひしひしと伝わってくるのです。右手の問題に囚われて、マリアの存在感を消してしまうのは如何なものかと思います。このドラマの主人公はやはりマリアなのです。
マリアがガブリエルに比べると凡庸だとも言われるのは、おそらくガブリエルの描写があまりにも素晴らしいからではないでしょうか。口をやや半開きにした、端正な顔立ちの、いかにもレオナルド好みな中性的な表情は、緊張感のある眼差しの力も借りて、実に生き生きとした天使の姿を描き切っています。またやや赤らんだような頬も美しく、お馴染みの水流のような巻き毛もひたすら流麗です。仄かに光の差し込んだ百合、もしくは美少年には不釣り合いにも見える猛々しいも羽も、ともに驚くほど精緻な描写にて表現されていました。
一方のマリアに見る、やや表現に硬いとも言われる顔の表情ですが、それはむしろ彼女の強い母性を示しているからではないかと思いました。ふっくらと丸みを帯びた顔の輪郭や、「告知」を受けながらも全てを達観したような泰然としたその眼差し、そしてやや肉付きのよい胴から下半身にかけては、それこそ既に何名もの子どもを宿し、また育て切った母親だけが持つような力強さと慈愛すら感じさせています。このマリアは凡庸でも、また表情が硬いわけでもありません。むしろここには描き手、つまりレオナルドにとっての理想の母性像の投影した姿があると言ってしまうのは危険でしょうか。さながら遠景にてそびえ立つ高山のように、またさもガブリエルの告知などは知っていたかと言わんばかりのその姿は、どこか孤独ではありながらも、逞しく漲る母性の力を見出すことが出来ます。これくらい悠然とせずに、どのように子を育てるのか。ここに母親の一種の理想像を見る思いもしました。
ガブリエルの足元に広がる植物の園や、マリアの前に鎮座する書見台などは、何としてでもがぶり付きで見ながら、その絶妙な画肌の感触を確かめたい部分です。花々はまるで人間の感情を持つかのように憂いをたたえながら咲き乱れ、書見台はその原料の石を混ぜ込んだのではないかと思うほど優れた質感にて表現されています。また書見台より垂れるレースは、あたかも清らかに流れる一筋の水のように美しく描かれていました。マリアの下に広がるタイルの目地も、もはや肉眼では確認するのが困難なほど、精巧な筆のタッチにて乾いた質感を表現しています。作品に近づけば近づくほど、眼前に息をのむような美しい光景が出現する作品です。マリアの衣装の折重なる様子などは、何度眺めて見ても飽きることはありません。
遥か彼方の高山より広がる遠景は、例えば水辺の周囲に広がる街の連なりや浮かぶ舟などの精巧な描写によって、前景の告知のシーンとは全く異なった、一種の「現実」の世界が広がっていることを感じさせてくれました。ただし、その前にて立ち並ぶ木々だけはどうしても納得出来ません。あれほど細やかな遠景を描くレオナルドが、どうしてこのようなそれこそシールでも貼ったような、極めて平面的な木を並べたのでしょうか。その部分にだけ、さながら木の標本を写し取ったかのような場が広がっています。明らかに異質です。
最後に会場について触れたいと思います。特5室での展示はこの「受胎告知」一点のみです。ゲートを抜けると、すぐさまひな壇の奥に飾られている作品を眺めることが出来ます。まずは、絵より一段上に昇った部分より見るのが効果的です。そこでは絵の全体を確かめながら、比較的自由に鑑賞することが可能かと思います。そしてじっくりと味わった後は、絵の前へと続く列に並ぶことをおすすめします。(画肌を味わうには最前列でないとかなり難しいと思います。)ただしここは立ち止まることを許されていません。終始、ゆっくり歩きながらの鑑賞です。また絵の前を抜けてしまうと、列に戻ることもほぼ出来ません。(空いていれば別です。)列に並ぶのはあくまでも鑑賞の最後です。(ただし特5室は、当日に限り最入場が可能です。一回出てから、もう一度見ると言うのも良さそうです。)
思っていたほど混雑している印象はありませんが、もしじっくりと拝見したいのであれば、私も鑑賞した金曜日の夜間開館時間帯(17:00-20:00)を強力におすすめ致します。特に19時以降は驚くほど館内が空いていました。先に第二会場の展示を見て、最後の一時間だけ特5室で粘るのも良いのではないでしょうか。閉館前の数十分は殆ど絵の前を自由に行き来することが出来ます。何度も何度もがぶりつきで見ることが可能です。
記事が長くなってしまいました。第二会場の展示については「その2」へ続けたいと思います。
*関連エントリ
「レオナルド・ダ・ヴィンチ - 天才の実像」 東京国立博物館(その2・平成館)
「レオナルド・ダ・ヴィンチ - 天才の実像」
3/20-6/17
そろそろ会期も中盤に差し掛かってきました。東京国立博物館で開催中の「レオナルド・ダ・ヴィンチ - 天才の実像」展です。レオナルド初期の傑作であり、またかの「最後の晩餐」に次ぐ大作でもあるという「受胎告知」(ウフィツィ美術館蔵)が、初めてイタリア国外に出て展示されています。各メディア等でも頻繁に取り上げられている展覧会です。既に注目度は満点です。
展示は二部に分かれていますが、「受胎告知」は博物館本館正面の特別5室(第一会場)で公開されています。(第二会場は平成館です。以前、ウフィツィ美術館で開催された企画展が日本向けにアレンジされています。)特5室への入場の際には、美術展では異例とも言える荷物検査も行われていました。その雰囲気からして他の展覧会とは一線を画しています。
「受胎告知」は展示室の最奥部にて静かに鎮座していました。遠方の正面より見てまず印象に残ったのは、厳格なルネサンス遠近法に基づくはずのこの作品が、不思議とどこかひどく不安定な、言い換えれば、見る側の視点を定めさせないような構図感を漂わせているということでした。ガブリエルとマリアによる受胎告知のドラマは、遠近法の消失点である高山に収斂されるようにしてのみ込まれ、こちら側へ迫ってくるような求心力があまり感じられません。それに二者の間隔も奇妙なほど開いています。そしてその空間に、大気遠近法によって美しい青みを帯びた山がそびえ立っているのです。しかもそれは不自然なほどに目立っていました。
しばらく前景の告知のシーンを見ていた自分が、いつの間にやらその山を含めた奥の遠景に目が移っていることに気がつきました。またマリアの後ろ側に見る歪んだ石壁や、ガブリエルの後方に立ち並ぶ極めて図形的な木々の描写などは、何やらシュルレアリスム絵画に登場するような不気味な静謐感を漂わせています。絵の「全体」よりも「部分」に強く意識の働く作品です。それぞれのモチーフが、複雑なパズルを組み合わせるかのようにして一つに繋がっています。そして、そこに歪みも感じられるわけなのです。
いわゆるマリアの右手の問題は、確かに絵の右側に立って鑑賞することで殆ど解決してしまいました。右方向より眺めれば、正面より見ると異様なほど長く伸びる手も適正なものへと変化していきます。また、石壁に強く表れた歪みもほぼ無くなっていました。少なくとも見かけ上、マリア側全体における歪みは相当に解消されています。
ただしそれでも、私はこの作品を右手より、またマリアの背中側より見ることについて賛成することは出来ません。何故ならそれは、右方向より見ることで、マリアの存在感が損なわれる、ひいては「受胎告知」のドラマにそぐわないとも言える流れが絵の中に生まれるからです。マリアの正面、もしくは右手より見ると、視線はまず石壁の遠近法を伝わるかのように遠景へと移され、すぐにかの記号的な木々へと向うことが分かります。そしてその後、ようやく前景へと戻って、この絵で最も充実して描かれているガブリエルへと到達することになるのです。つまり右側より見ると、マリアの眼前にいるはずのガブリエルが、あくまでも遠景を無視しない限り直接的に鑑賞することが難しくなってしまいます。また、ガブリエルよりまさしく受胎を告げられたマリアというこの作品の構図が、マリア方向から眺めることによって転倒してしまうのではないでしょうか。マリアの右手の問題などは、まさしくレオナルドの未熟だった部分を覆い隠そうとする、後世の言ってみれば「後知恵」的な発想ではないかとさえ思いました。アナモルフォーズ(歪曲技法)をこの絵画に当てはめるのは早計かと感じます。初めに完璧ありきではお話になりません。
と言うことで、結局、私が一番落ち着きを持って見ることが出来たのは、絵の中央より左手の位置、つまりややガブリエル側によった場所でした。天使ガブリエルが神の言葉を告げ、マリアがそれに戸惑うという一連の流れが発せられているのは、やはり画中の生気溢れるガブリエルの強い眼差しとその神々しき手の指先です。彼の視線を追うようにしてマリアをのぞむことが、「受胎告知」のドラマをこの画にて追体験出来る唯一の方法ではないでしょうか。そしてマリアの後方はすぐ石壁にて覆われています。確かに遠近法の若干の歪みにて、マリアはやや窮屈な場所に立っているようにも思えますが、ガブリエルの目を追ってみると、その圧倒的な存在感が石壁の重厚感と相まってひしひしと伝わってくるのです。右手の問題に囚われて、マリアの存在感を消してしまうのは如何なものかと思います。このドラマの主人公はやはりマリアなのです。
マリアがガブリエルに比べると凡庸だとも言われるのは、おそらくガブリエルの描写があまりにも素晴らしいからではないでしょうか。口をやや半開きにした、端正な顔立ちの、いかにもレオナルド好みな中性的な表情は、緊張感のある眼差しの力も借りて、実に生き生きとした天使の姿を描き切っています。またやや赤らんだような頬も美しく、お馴染みの水流のような巻き毛もひたすら流麗です。仄かに光の差し込んだ百合、もしくは美少年には不釣り合いにも見える猛々しいも羽も、ともに驚くほど精緻な描写にて表現されていました。
一方のマリアに見る、やや表現に硬いとも言われる顔の表情ですが、それはむしろ彼女の強い母性を示しているからではないかと思いました。ふっくらと丸みを帯びた顔の輪郭や、「告知」を受けながらも全てを達観したような泰然としたその眼差し、そしてやや肉付きのよい胴から下半身にかけては、それこそ既に何名もの子どもを宿し、また育て切った母親だけが持つような力強さと慈愛すら感じさせています。このマリアは凡庸でも、また表情が硬いわけでもありません。むしろここには描き手、つまりレオナルドにとっての理想の母性像の投影した姿があると言ってしまうのは危険でしょうか。さながら遠景にてそびえ立つ高山のように、またさもガブリエルの告知などは知っていたかと言わんばかりのその姿は、どこか孤独ではありながらも、逞しく漲る母性の力を見出すことが出来ます。これくらい悠然とせずに、どのように子を育てるのか。ここに母親の一種の理想像を見る思いもしました。
ガブリエルの足元に広がる植物の園や、マリアの前に鎮座する書見台などは、何としてでもがぶり付きで見ながら、その絶妙な画肌の感触を確かめたい部分です。花々はまるで人間の感情を持つかのように憂いをたたえながら咲き乱れ、書見台はその原料の石を混ぜ込んだのではないかと思うほど優れた質感にて表現されています。また書見台より垂れるレースは、あたかも清らかに流れる一筋の水のように美しく描かれていました。マリアの下に広がるタイルの目地も、もはや肉眼では確認するのが困難なほど、精巧な筆のタッチにて乾いた質感を表現しています。作品に近づけば近づくほど、眼前に息をのむような美しい光景が出現する作品です。マリアの衣装の折重なる様子などは、何度眺めて見ても飽きることはありません。
遥か彼方の高山より広がる遠景は、例えば水辺の周囲に広がる街の連なりや浮かぶ舟などの精巧な描写によって、前景の告知のシーンとは全く異なった、一種の「現実」の世界が広がっていることを感じさせてくれました。ただし、その前にて立ち並ぶ木々だけはどうしても納得出来ません。あれほど細やかな遠景を描くレオナルドが、どうしてこのようなそれこそシールでも貼ったような、極めて平面的な木を並べたのでしょうか。その部分にだけ、さながら木の標本を写し取ったかのような場が広がっています。明らかに異質です。
最後に会場について触れたいと思います。特5室での展示はこの「受胎告知」一点のみです。ゲートを抜けると、すぐさまひな壇の奥に飾られている作品を眺めることが出来ます。まずは、絵より一段上に昇った部分より見るのが効果的です。そこでは絵の全体を確かめながら、比較的自由に鑑賞することが可能かと思います。そしてじっくりと味わった後は、絵の前へと続く列に並ぶことをおすすめします。(画肌を味わうには最前列でないとかなり難しいと思います。)ただしここは立ち止まることを許されていません。終始、ゆっくり歩きながらの鑑賞です。また絵の前を抜けてしまうと、列に戻ることもほぼ出来ません。(空いていれば別です。)列に並ぶのはあくまでも鑑賞の最後です。(ただし特5室は、当日に限り最入場が可能です。一回出てから、もう一度見ると言うのも良さそうです。)
思っていたほど混雑している印象はありませんが、もしじっくりと拝見したいのであれば、私も鑑賞した金曜日の夜間開館時間帯(17:00-20:00)を強力におすすめ致します。特に19時以降は驚くほど館内が空いていました。先に第二会場の展示を見て、最後の一時間だけ特5室で粘るのも良いのではないでしょうか。閉館前の数十分は殆ど絵の前を自由に行き来することが出来ます。何度も何度もがぶりつきで見ることが可能です。
記事が長くなってしまいました。第二会場の展示については「その2」へ続けたいと思います。
*関連エントリ
「レオナルド・ダ・ヴィンチ - 天才の実像」 東京国立博物館(その2・平成館)
コメント ( 15 ) | Trackback ( 0 )
« 「アートフェ... | 「レオナルド... » |
先に手稿等の展示を見てから『受胎告知』へ。
美しいけれどもどこかバランスが崩れていて
細かい部分をじっくり見たくなる絵だな、という印象。
19時頃にガブリエルの前でうろうろしていました。
もしかして、はろるどさんとニアミスしているかも?
その後は国宝室へダッシュ『鳥獣戯画』を味わったのでした。
気合入っていますね。
これだけ書けるのは流石です。
天晴れです。
さて、内覧会の時は混雑していて
ゆっくり観られなかったので
別日に再度観てきました。
ガブリエルを観てしまう時間どうしても多いですね。
私も閉館前にかぶりつきで観ることできたので
たっぷり隅々まで観てこられました。
しゃがんで観ると修復のあともくっきり見えました。
他にもあれこれあるのですが、、、この辺で。
また飲んだ時にでも。
>ガブリエルの描写があまりにも素晴らしい
いやほんとに同感です。
書籍などで見る機会のあったこれまでも、
どうしたって視線がガブリエルの方に吸引されてしまっていました。
金曜日の夜間ですね。
チャンスがあったら再度と目論んでいるのですが・・・。
同じ物を観ても、
こうもいろんな事を感じながら、
観られるものだな~
っとびっくりしました
近いうちに行く予定なので、
もう一度ハロルドさんの視点を生かして、
観てきたいです
次回の鑑賞の際のテキストにさせていただきたいです!
こんばんは。早速のコメントをありがとうございました。
>私も金曜夜間を狙って、今日、行ってきましたヨ。
実は私が出かけたのは先週の金曜でして…。
でも夜間開館が一番良いですよね。
昼間と二度はいりましたが、
格段に夜の方が空いていました。
>美しいけれどもどこかバランスが崩れていて
細かい部分をじっくり見たくなる絵だな、という印象。
同感です。どうしてもがぶりつきで見たくなる作品ですよね!
>国宝室へダッシュ『鳥獣戯画』を味わった
出ておりました!
そういえばサントリーで今年、鳥獣戯画展があるのですよね。
そちらも楽しみです。
@Takさん
こんばんは。コメントありがとうございます。
>こんばんは。気合入っていますね。
長々と失礼しました。どうも短くまとめられなかったもので…。
要するに言いたかったことは、
1.この絵を右から見るべきだという説には反対であること。
2.マリアは決して凡庸ではないこと。
3.「全体」よりも「細部」にこそこの絵の価値があること。
くらいだったのかもしれません…。
>他にもあれこれあるのですが、、、この辺で。
また飲んだ時にでも。
レオナルドの話題を肴に是非(?!)
@tsukinohaさん
こんばんは。
ガブリエルは確かに良く描けておりましたよね。
どうやってみてもこの作品の中で一番美しく表現されています。
>金曜日の夜間ですね。
おそらく金曜夜間より空いている時間帯はないかと…。
平日の朝などは結構混雑しているようです。
@グリシーヌさん
こんばんは。
>近いうちに行く予定なので、
もう一度ハロルドさんの視点を生かして、
ありがとうございます。現地でもご覧になられましたか!
日本ではもう一期一会の作品ですよね。
じっくり見入りました。
@さちえさん
こんばんは。
>この記事、プリントアウトしていいですか?(笑)
次回の鑑賞の際のテキストにさせていただきたいです!
恐縮です…。
平成館の池上先生のご解説で本当に理解が深まった気がします。
また先生の最新刊(平凡社ライブラリー「受胎告知」)も超オススメです!是非!
この画は細かい部分は非常に優れているのですが、全体としてのバランスが悪いように思いました。
右手のことも、右下側からみると、多少分かりにくくなるとしても、こんなに長いのはやはり変です。
長々としたエントリで恐縮です…。
色々思ったことを書いていくうちに、
まとまりがつかなくなってしまいました…。
>この画は細かい部分は非常に優れているのですが、全体としてのバランスが悪いように思いました。
同感です。
細部の精緻な描写は本当に素晴らしかったですね。
右手は、たんにこの部分で「破綻」しているのだと思いました。
ただそれが、今更この作品の価値を落とすものでもないとも感じます。
後の画業の布石になる部分も、
先生のご解説で良く見て取ることが出来ました。
やっと金曜日に行ってきました。
並ばずに人の流れに沿って全体を見ることができました。それにしても、ガブリエルの存在の凄さは、
ビビビでした。自分の頭の中を整理してから、
記事にしたいと思っているところです。
あの絵だけに賭けた東博の情熱も凄い物ですね。
コメントとTBをありがとうございます。
>それにしても、ガブリエルの存在の凄さは、
ガブリエルは良く描けていますよね。
この部分だけ切り取ったハガキが売れているのも良く分かります。
その生気溢れる表情と美しさに釘付けです。
>金曜日に行ってきました。
並ばずに人の流れに沿って全体
夜間でしょうか。あの時間が一番絵とじっくり向えそうですね。
後ほど記事を拝見させていただきます。
左からの鑑賞が好きな方、右からの鑑賞が好きな方、正面が好きな方、マリアがお気に入りの方、ガブリエルがお気に入りの方…皆さんの感想記事を拝読していると、視野が広がり、とても勉強になります。
ここまで一つの作品に時間をかけたのは初めてでした。1点もの展示だからこそ、じっくりと見てしまうのかもしれません。
それが存分に楽しめる夜間開館時は最高ですね!
コメントとTBをありがとうございます。
長々とした拙い感想におつきあい下さり恐縮です。
本当にありがとうございます。
>ここまで一つの作品に時間をかけたのは初めてでした。1点もの展示だからこそ、じっくりと見てしまうのかもしれません。
私もそうでした。
同じく夜間時間帯の鑑賞でしたので、
作品の前を行ったり来たりしながら存分に楽しみました。
最後の30分くらいは見放題でしたよね!
あのガブリエルのまわりが意図的にうるさく作画されているのがすごく気になりました。
タッチが精緻なだけで絵としてはもう十分なのに、いろいろな仕掛けが感じられて見応えがありましたね。
コメントありがとうございます。
>いろいろな仕掛けが感じられて見応えがありましたね。
キリスト教主題の絵画の醍醐味ですね。
謎解きのようにモチーフを追って行くと、
絵画の全貌が開けて行くような気もします。
もちろんそのためには下準備も必要ですが…。
レオナルド展もそろそろ会期末ですね。
イタリアの至宝をお借りしているわけですから、
最後まで無事に何事もないよう祈りたいものです。