「光琳追慕の系譜ー光琳の江戸下りから抱一まで」 千葉市美術館

千葉市美術館
講演会:「光琳追慕の系譜ー光琳の江戸下りから抱一まで」
講師:玉蟲敏子(武蔵野美術大学)
2014年4月12日

千葉市美術館で開催中の中村芳中展の講演会、「光琳追慕の系譜ー光琳の江戸下りから抱一まで」を聞いてきました。



講師は日本美術がご専門で抱一の研究でもお馴染みの玉蟲敏子先生です。著書には東京美術の「もっと知りたい酒井抱一」の他、吉川弘文館の「生きつづける光琳」など。また最近では2012年の「俵屋宗達 金銀のかざりの系譜」で第63回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞されました。

「俵屋宗達:金銀の〈かざり〉の系譜/玉蟲敏子/東京大学出版会

さて講演は1時間半。スライドを引用しての密度の濃いお話、到底全てを網羅出来ませんが、当日配布されたレジュメと私のメモに沿って、概要を追ってみたいと思います。

1 光琳の江戸下りから抱一の登場まで

 ◯尾形光琳(1658-1716)の江戸下り ー 宝永年間を中心に数度の往来。光琳の画風の変遷期でもある。

  狩野派、雪舟の学習。豪商深川冬木家と交流し、江戸での顧客拡大に成功した。(江戸で苦悩したという説もあるが、ここは積極的に評価すべき。)

 「四季草花図巻」(宝永2年、津軽家伝来)
 ・宗達に迫った記念碑的作品。本展出展作。江戸制作説と京都制作説があるが、京都で描かれたのではないか。江戸でこれほどの宗達受容があったとは考えにくい。
 ・四季と言いつつも、冒頭に牡丹が描かれている。百花の王「牡丹」をはじめに記すのは中国・明の絵画でも見られる展開。(津軽家の紋が牡丹であるから牡丹を描いたという説もある。)

 「禊図」(畠山記念館)
 ・江戸で描いた作品。抱一が「禊図」に写す。其一画もあり。

 「躑躅図」(畠山記念館、黒田家伝)
 ・江戸の作品。線の組み立ては雪舟の撥墨に倣った可能性。

 「波涛図屏風」(メトロポリタン美術館)
 ・外隈の技法。波頭が兎に見えるという指摘。中国宋元画由来か?漢文化圏的テイスト。
 ・バリエーションとしての抱一の「波図屏風」(静嘉堂文庫美術館)がある。
 ・日本からの英語版光琳画集にも収録。海外で有名に。(今で言うクールジャパン)
 ・落合芳幾の「春色今様三十六会席」(明治初期)中に似た作品が挿入。舞台は抱一も通った料亭八百善。料亭で絵を見せることはよく行われていた。抱一も見たのか?


尾形光琳「四季草花図」(部分) 個人蔵

 ◯尾形乾山(1663~1743)の東下とその受容層 ー 光琳に続いて江戸へ。江戸で没した可能性。

 「朝岡興禎編『古画備考 巻44 英流』所載の関係図」
 ・乾山と抱一の交流を示す資料。俳諧を通じる。一蝶の弟子とも関係。乾山は本所の材木商の長屋に住んでいた。
  
 「立葵図」(畠山記念館)
 ・抱一が「百合立葵図押絵貼屏風」に写す。
 ・そもそも抱一の初期は光琳よりも乾山風の作品が多い。

 「燕市撰・建部巣兆編『徳万歳』」(寛政12年)
 ・燕市とは俳諧の千住連の一人。建部巣兆は極めて深く抱一と親交のあった人物。
 ・その彼の著した「徳万歳」の挿絵を芳中が担当している。蕪村の「万歳図」との類似。元々は蕪村的な画風から入ったのか。
 ・「抱一 ー 巣兆 ー 芳中」の繋がり。俳諧ネットワーク。(但し抱一と芳中とが直接会っていたかは不明。)

 ◯立林何げいの出自と活動 ー 乾山の弟子。金沢出身。
  
 「抱一編『光琳百図』後編所載尾形光琳筆『宗達写扇面図巻』」
 ・光琳周辺作と何げい作の類似関係。何げいは余白の美。洒脱的。抱一風とも言える。光琳と抱一を繋ぐ存在?
 ・金泥のたらしこみ。

2 芳中と抱一の共通性と差異

 ◯光琳への関心を示す時期 ー 抱一の方がやや早い

 「何げい筆『玉蜀黍朝顔図」(出光美術館)
 ・宗達派の草花図的系統。何げいは金沢に多く伝わった伊年印の作品を引用した。それを抱一も学んだ?
 
 「酒井抱一『燕子花図屏風』」(出光美術館)
 ・抱一40代の作品。後の抱一画のエッセンスが詰まっている。
 ・瀟洒、余白の利用。ひょっとすると何げいにも似たような作品があったのかも。

 「中村芳中『光琳画譜』」(享和2年)
 ・光琳に倣って描いた芳中の作品。言わば光琳風の芳中画譜。
 ・風俗的な人物画。光琳は布袋や大黒天などで人物を描くが、普通の人物を描くことはない。一方で芳中は市井の人物を描く。蕪村、一蝶風か。特に子どもたちの生き生きとした描写は目を見張る。
  
 「たらしこみ」という言葉  
 ・基本的には水墨の技法。金泥、銀泥。(但し芳中に銀泥はない。)
 ・1930年代頃に宗達画について「たらしこみ」という言葉が使われるようになった。それは芳中の研究が始まった時期と重なる。

 *たらしこみの始源
  「本阿弥光悦書・俵屋宗達画『蓮下絵和歌巻』」ー宗達の傑作(現在はコロタイプのみ。関東大震災で失われた。)
  芳中画を思わせるようなユーモアな描写。蓮の花びらがめくれる瞬間。
  生命が内側からうごめく瞬間、それとたらしこみのもぞもぞとした描写。=形が生まれてくる原初。それが「たらしこみ」の描写と繋がるのではないか。


中村芳中「光琳画譜」より

 ◯抱一の光琳へのアプローチ
 
 ・そもそも抱一は狩野派から入った線の画家。
 ・元禄・寛永期に光琳、乾山画に出会い、同時期に芳中とも接近する。
 ・宗達画の「蓮池水禽図」を賞賛。
 ・いわゆる「尾形流」を江戸の中間層、例えば下級武士、裕福な商家らの第三勢力に提供。(第一は幕府や有力大名などの支配層、第二は浮世絵受容の町人庶民層。)
 ・大名の子という立場も利用して、様々な人々を積極的に動員。光琳百図を出版し、百年忌で光琳を顕彰するなど、戦略的に「尾形流」を広めた。今で言うメディア戦略。


酒井抱一「燕子花図屏風」 出光美術館

3 芳中は琳派か

 ◯芳中の光琳派への登場過程と評価 ー 抱一は「尾形流」に芳中を入れなかった
 
 「片野四郎『尾形派』」(稿本、東京国立博物館)
 ・1906年に東京国立博物館で行われた「光琳派」展に芳中画が出ている。
 ・展覧会の内部資料。芳中画の作品を解説しているも、後に出版された画集には掲載されなかった。

 ・光琳風から「逸脱」した魅力。当初はコレクターが評価。
 ・1960年代以降に具体的に研究。

 ◯芳中画の根底にあるもの

 「旧塩原家本金銀泥絵色紙『百合図』」(サンリツ服部美術館)
 ・ゆるキャラの宝庫ともいえる作品。芳中の「百合図扇面」に似ている。

 「隆達節小歌巻断簡」(京都民藝館)
 ・刷絵。竹の節を空かして描く表現。水墨ではあり得ない。(水墨では節に濃い墨を塗る)それをあえて描かないのが宗達風。

 ◯芳中画の特徴

 ・ゆったりとした太い線。
 ・おそらく町に浸透していたであろう「俵屋風」(必ずしも宗達として認知されず、例え光琳と思われていても。)の自然な摂取ー料紙装飾の技術
 ・たらしこみの始源に対する同質性。


中村芳中「白梅図」 千葉市美術館

4 まとめ

 ◯「文化的先進都市=京都」←→「新興都市=江戸」

 ・京都において
  宗達の金銀泥絵は光琳と組んだ料紙下絵からスタート。水墨画を吸収し、宮廷絵師とはまた違った俵屋風を確立する。以降、上方の生活文化の底流になり、光琳及びその周辺の文人や裕福な町人層の遊びになる。ただし上方では流派化せず、成熟しなかった。

 ・江戸において
  光琳、乾山の江戸下りに始まり、土着化(何げいを含む)。そして抱一の手によって「尾形流」として編纂されていく。江戸にとっての「尾形流」とは元来異なる文化(上方由来)のもの。よって流派化は必然的。江戸という異なる文化に接触、また摂取する過程で、明確な輪郭を持つ必要に迫られたのではないか。

 ◯「古都=京都」←→「首都・帝都=東京」

 ・東京では抱一の「尾形流」が「琳派」として古典化されていく。 
 ・宗達への関心は明治来~大正にまず東京、そしてやや遅れて京都でまた高まり、二次大戦終了後に進展。芳中の評価は宗達の後追い的な側面がある。
 ・大正から関西でも芳中への関心が高まった。昭和に入ると東京でも高まったが主流にはなり得なかった。
 ・一方で現代。近年のゆるキャラブーム。ほのぼの、おおらかな作風への愛着。殺伐とした世相を反映してのかわいいものへの志向。そこに芳中画がムーブメントになる可能性もある。

以上です。光琳、乾山の江戸下りに始まり、芳中と抱一との関係、さらに芳中画の特徴とは何か。また芳中や抱一が参照していた可能性のある作品(蕪村や何げいなど)、たらしこみの特質、さらには絵師同士を繋いだ俳諧ネットワークの存在(芳中が江戸にやって来たのも俳人を頼ったと言われている。)の指摘なども重要かもしれません。

また抱一が江戸の中間層を狙って戦略的に尾形流を波及させたという部分も興味深いもの。最後は京都(上方)と江戸(東京)の二都市を参照しながら、「尾形流」から「琳派」の流れを見ていく。現代の芳中画受容の話に進んだところでレクチャーは幕となりました。


中村芳中「光琳画譜」より

さて芳中展、本講演会の他、会期中に市民講座も行われます。

特別市民美術講座:「かわいい琳派 中村芳中」
【講師】福井麻純(細見美術館主任学芸員)
4月20日(日)14:00より(13:30開場予定)

市民美術講座:「『光琳画譜』と中村芳中」
【講師】伊藤紫織(同館学芸員)
5月3日(土・祝)14:00より(13:30開場)

*会場はいずれも11階講堂。無料。先着150名。講演会及び特別市民美術講座は当日12時より11階にて整理券を配布。

「もっと知りたい酒井抱一/玉蟲敏子/東京美術」

またこの日はもちろん芳中展もあわせて観覧してきました。またそちらの感想は別途まとめるつもりです。

「光琳を慕う 中村芳中」 千葉市美術館
会期:4月8日(火)~5月11日(日)
休館:4/21、5/7。
時間:10:00~18:00。金・土曜日は20時まで開館。
料金:一般1000(800)円、大学生700(560)円、高校生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *リピーター割引:本展チケット(有料)半券の提示で、会期中2回目以降の観覧料が半額。
住所:千葉市中央区中央3-10-8
交通:千葉都市モノレールよしかわ公園駅下車徒歩5分。京成千葉中央駅東口より徒歩約10分。JR千葉駅東口より徒歩約15分。JR千葉駅東口より京成バス(バスのりば7)より大学病院行または南矢作行にて「中央3丁目」下車徒歩2分。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
ありがとうございます (みけ)
2014-05-03 00:17:03
さすがのまとめ、ありがとうございます!素晴らしいです!芳中についての講演ながら、抱一についてのお話が多かったですね笑。でもその対比で、芳中の立ち位置がわかりやすいものになっていましたね。玉蟲先生、琳派関連ではやはり他の追随を許さない感があるなあと思いました。これからどんな研究を進めていかれるのか、楽しみですね。
 
 
 
 
Unknown (はろるど)
2014-05-12 21:58:56
@みけさん

こんばんは。コメントありがとうございます。
当日はご挨拶程度で失礼致しました…

>芳中についての講演ながら、抱一についてのお話が多かったですね

玉蟲先生の抱一愛が感じられるような講演でしたね。
戦略的に尾形流を広めた抱一のプロデュース力。
その辺の指摘も面白いなと思いました。

光琳イヤーが待ち遠しいです。
 
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