都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「肉筆浮世絵のすべて(後期展示)」 出光美術館
出光美術館(千代田区丸の内3-1-1 帝劇ビル9階)
「肉筆浮世絵のすべて(後期展示)- その誕生から歌麿・北斎・広重まで」
5/30-7/1
約70点に及ぶ浮世絵の全てが肉筆画です。約2世紀にわたる浮世絵の通史を、出光の誇る肉筆浮世絵コレクションにて概観することが出来ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/f6/316631023649ed80fc21d46e84491893.jpg)
展示は、浮世絵を各流派毎に分け、その上で時系列に紹介するものでした。簡単な構成は以下の通りです。
*出品作品リスト
寛文美人(寛永期 1624~44):江戸浮世絵の原初。屏風絵から掛物絵、または人物群像から一人立ち美人像へ。
菱川派(元禄期 1688~1704):菱川師宣一派。古山師重ら。
鳥居派(元禄期 1688~1704):役者絵の基礎。鳥居清倍、清秀。
懐月堂派(宝永期 1704~1711):肉筆専門。始祖懐月堂安度。度秀ら。
奥村派(宝暦期 1751~64):奥村政信。菱川師宣と鈴木春信を結びつける。
川又派(享保期 1716~36/寛延期1748~51):始祖川又常正は狩野派に学ぶ。
西川派(宝永期 1704~1711):上方で活躍。西川祐信、祇園井特。
宮川派(享保期 1716~36):菱川派の後継者。宮川長春、一笑。版画をしない。
北尾派(天明期 1781~89):北尾重政。弟子らが大成。
勝川春章(明和~寛政期 1764~89):天明の黄金期を築く。鳥居清長に並ぶ人物。
喜多川歌麿・鳥文斎英之(寛政期 1789~1801):ライバル同士。歌麿の大首絵。
葛飾北斎(寛政~文化期 1789~1818)
歌川派(幕末期):歌川豊春、孫弟子の広重ら。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/cf/08d30f4b54fd136a3a6287eda9d8b195.jpg)
浮世絵に疎い私にとって、全然見知らぬ名前もいくつも挙がっていたわけですが、その中でも特に印象に残ったのは、西川派の祐信や奈良でも見たまさしくギョッとする井特、それに遠近法に特徴的な勝川春章の「遊里風俗図」、もしくはお馴染み北斎の「鍾馗騎獅図」や「樵夫図」などでした。このサイボーグ戦士のような鍾馗(道教の神だそうです。)が獅子に乗る「鍾馗騎獅図」は、いかにも北斎ならではの「カッコ良い。」と言える作品です。見入ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/94/e77faa7c3da4d02293e67ab4a48095c8.jpg)
抱一ファンとしては見逃せない作品も一点出ていました。それが歌川派の類にて紹介されていた酒井抱一の「遊女と禿図」(1787)です。どちらかと言うと習作の域を出ず、特に隣に展示されていた豊国の「海浜美人図」などと比べると完成度に歴然としたものがありますが、これは抱一が光琳へ傾倒する遥か以前、27歳の時に描かれた作品なのだそうです。(現存する抱一の8点の浮世絵の中の一つです。)ちなみに抱一はこの時期、豊春に学んでいくつかの浮世絵を描いていたとされていますが、残念ながら豊春との実際的な接点は確実なものではありません。(若かりし抱一の出入りしていた吉原の文人サークル、および江戸の酒井家の大名屋敷に豊春が出入りしていたのではないかとも考えられています。)ちなみに作品にある五言絶句の漢詩は、天明期を代表する狂歌師である大田南畝のものです。こちらは抱一とも交遊関係を持ち、狂歌絵本の挿絵を描いていた山東京伝らを巻き込みながら制作活動を続けていました。そこに抱一も交じっていたというのが真相のようです。
結局、殆ど抱一目当てになってしまったかもしれませんが、私の浮世絵への苦手意識も若干和らぐような、とても親切丁寧に構成された展覧会でした。ぐるっとパスで入場出来るのが申し訳なく思えるほど、充実した品々ばかりが揃っています。
7月1日までの開催です。(6/16)
「肉筆浮世絵のすべて(後期展示)- その誕生から歌麿・北斎・広重まで」
5/30-7/1
約70点に及ぶ浮世絵の全てが肉筆画です。約2世紀にわたる浮世絵の通史を、出光の誇る肉筆浮世絵コレクションにて概観することが出来ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/f6/316631023649ed80fc21d46e84491893.jpg)
展示は、浮世絵を各流派毎に分け、その上で時系列に紹介するものでした。簡単な構成は以下の通りです。
*出品作品リスト
寛文美人(寛永期 1624~44):江戸浮世絵の原初。屏風絵から掛物絵、または人物群像から一人立ち美人像へ。
菱川派(元禄期 1688~1704):菱川師宣一派。古山師重ら。
鳥居派(元禄期 1688~1704):役者絵の基礎。鳥居清倍、清秀。
懐月堂派(宝永期 1704~1711):肉筆専門。始祖懐月堂安度。度秀ら。
奥村派(宝暦期 1751~64):奥村政信。菱川師宣と鈴木春信を結びつける。
川又派(享保期 1716~36/寛延期1748~51):始祖川又常正は狩野派に学ぶ。
西川派(宝永期 1704~1711):上方で活躍。西川祐信、祇園井特。
宮川派(享保期 1716~36):菱川派の後継者。宮川長春、一笑。版画をしない。
北尾派(天明期 1781~89):北尾重政。弟子らが大成。
勝川春章(明和~寛政期 1764~89):天明の黄金期を築く。鳥居清長に並ぶ人物。
喜多川歌麿・鳥文斎英之(寛政期 1789~1801):ライバル同士。歌麿の大首絵。
葛飾北斎(寛政~文化期 1789~1818)
歌川派(幕末期):歌川豊春、孫弟子の広重ら。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/cf/08d30f4b54fd136a3a6287eda9d8b195.jpg)
浮世絵に疎い私にとって、全然見知らぬ名前もいくつも挙がっていたわけですが、その中でも特に印象に残ったのは、西川派の祐信や奈良でも見たまさしくギョッとする井特、それに遠近法に特徴的な勝川春章の「遊里風俗図」、もしくはお馴染み北斎の「鍾馗騎獅図」や「樵夫図」などでした。このサイボーグ戦士のような鍾馗(道教の神だそうです。)が獅子に乗る「鍾馗騎獅図」は、いかにも北斎ならではの「カッコ良い。」と言える作品です。見入ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/94/e77faa7c3da4d02293e67ab4a48095c8.jpg)
抱一ファンとしては見逃せない作品も一点出ていました。それが歌川派の類にて紹介されていた酒井抱一の「遊女と禿図」(1787)です。どちらかと言うと習作の域を出ず、特に隣に展示されていた豊国の「海浜美人図」などと比べると完成度に歴然としたものがありますが、これは抱一が光琳へ傾倒する遥か以前、27歳の時に描かれた作品なのだそうです。(現存する抱一の8点の浮世絵の中の一つです。)ちなみに抱一はこの時期、豊春に学んでいくつかの浮世絵を描いていたとされていますが、残念ながら豊春との実際的な接点は確実なものではありません。(若かりし抱一の出入りしていた吉原の文人サークル、および江戸の酒井家の大名屋敷に豊春が出入りしていたのではないかとも考えられています。)ちなみに作品にある五言絶句の漢詩は、天明期を代表する狂歌師である大田南畝のものです。こちらは抱一とも交遊関係を持ち、狂歌絵本の挿絵を描いていた山東京伝らを巻き込みながら制作活動を続けていました。そこに抱一も交じっていたというのが真相のようです。
結局、殆ど抱一目当てになってしまったかもしれませんが、私の浮世絵への苦手意識も若干和らぐような、とても親切丁寧に構成された展覧会でした。ぐるっとパスで入場出来るのが申し訳なく思えるほど、充実した品々ばかりが揃っています。
7月1日までの開催です。(6/16)
コメント ( 14 ) | Trackback ( 0 )
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はろるどさんの抱一レビュー待ってました!
あれは習作という評価がピッタリですよね。
浮世絵に学び、琳派に傾倒してゆく幅の広さを実感できて良かったです。
昨日はどうもです。
メール先程拝見し確認しました。
ここの抱一と太田の「蚊」
何だか知らない抱一ワールドが
今都内に現れているかのようです。
抱一の肉筆画を見て、真っ先に「ほろるどさんはどう思うかな~?」と思っちゃいましたよ。
様々な技法を学んだからこその、風情ある花鳥画を描けたのでしょうね。
なんか「この人に歴史あり」という感じで見てしまいました。
こんばんは
やっぱり抱一でしたか...
歌川一門のエリアに展示されていたので、ちょっと意外な気がしました...
こんばんは。
>抱一レビュー待ってました!
ありがとうございます!
作品自体を他と比べると、さすがに分は宜しくありませんよね。
まずは手習いとしての浮世絵制作というところでしょうか。
この作品以外の7点も是非見てみたいものです。
>琳派に傾倒してゆく幅の広さを実感
同感です。
これだけを見てしまうと、
50歳過ぎに始まる琳派への道が、さながら「突然変異」のようにも思えてしまいます。
やはりここはそろそろ抱一の回顧展が必要かと…。(と、無理矢理こじつけてしまいましたが。)
@Takさん
こんばんは。
太田の蚊は色々な意味で絶品ですよね。
あの団扇の風にあたってみたいものです。
>抱一ワールドが今都内に現れている
さり気なく数点出ておりますよね。
茶道具展の書もなかなか見事なものでした。
@アイレさん
こんばんは。
>真っ先に「ほろるどさんはどう思うかな~?」と思っちゃいましたよ。
ありがとうございます。
抱一の浮世絵は一度見たいと思っていたので、
この展覧会はそれだけでも満足出来ました。
>風情ある花鳥画
このような初期の浮世絵からですと、
琳派の世界はもう想像もつきませんよね。そのギャップを楽しみました。
@lysanderさん
>抱一でしたか...歌川一門のエリアに展示
抱一が出ていると聞き、まずは飛んで行きました。(?)
歌川豊春への私淑というのが実情のようですね。
ただもし実際に豊春の手ほどきをうけていたとなると、
また面白くもなってきそうです。
はろるどさんの感想楽しみにして折りました。
こういう道のりを経ての花鳥画となる訳ですね。
後7点あると云う抱一の浮世絵も見てみたいです。
先ずはある場所を捜さなければ!!
とは、おもしろい事実ですね。
歌麿の画本虫撰があったり、北斎の肉筆画でもそうですが、
浮世絵師と琳派の絵師もクロスオーバーしていますね。
十年位前、見る機会を潰したことがずっとククク(涙)になってたので、今回楽しめてよかったです。
せいとくは奈良でもご覧になったとおりの画風ですが、ここにもあるとは思いもしませんでした。
こんばんは。そう仰っていただけると嬉しいです!
どうもありがとうございます。
>後7点あると云う抱一の浮世絵
そうですね。是非拝見してみたいものです。
デビュー作とされる「松風・村雨図」は京都の細見美術館、または同じような時期の「文を読む遊女図」は太田記念にあるそうです。これらはいずれ手軽に楽しめるかもしれませんね。
@一村雨さん
>酒井抱一の花鳥風月も、実は浮世絵がスタートだったとは、おもしろい事実ですね。
私もこれを知った時は本当に驚きました。
まさか夏秋草の作者が浮世絵をと…。
抱一の画業史はなかなか興味深いです。
@とらさん
「蚊」は私も好きな作品です。こういう図案を団扇にするなんて粋ですよね。20匹程度いるそうです。図録にありました。
太田→出光のはしごでしたか。
私は泉屋で抱一の書を見て太田へ行きました。
その後は偶然お会いしたTakさんとご一緒して色々と…。
楽しかったです。
@遊行さん
こんばんは。
>十年位前
10年前となると、この浮世絵展は10年に一度クラスの展覧会だったのですね!道理で皆、名品ばかりだと…。次はいつでしょうか。
>せいとくは奈良でもご覧になったとおりの画風
かなりつぼにハマっています。
もっと見たいです!!
こんなに肉筆画があるとは思いませんでした。
浮世絵の版画とは別世界で
貴人御用達が納得できました。
抱一は、そういう過程で雅の世界に眼が開いたのでしょうか?
そんな中、井特のぐろい曽我五郎をギロッと見たのでした。目に残ります。
泉屋の抱一の椿の棗、はんなりしてましたね。
こちらにもありがとうございます。
>抱一は、そういう過程で雅の世界に眼が開いたのでしょうか?
どうなのでしょうねえ…。
どちらかというとまずは手習い、教養ということで浮世絵に取り組んでいたのかもしれません。南画なども嗜んでいるようですから…。
>井特のぐろい曽我五郎をギロッ
井特は皆さん触れられておられますよね。
こういう奇異な画家がもっと評価されていけばなとも思います。
絵は黒い着物ので、今回の出光と似ていますが、色香漂うなかなかの作品のようです。
もう一枚、画集で見ましたが所蔵先が記入されていませんでした。
“個人蔵”かも知れませんね(笑)
そういえば、『酒井抱一展』は出光がやってましたね
>東博にもあるようです。
東博にもありましたか。それは是非拝見したいですね!
>画集で見ましたが所蔵先が記入されていませんでした
私も確認してみましたが、いくつかは所蔵先が書かれていませんでした。一体どなたが…。
>『酒井抱一展』
結構昔ですよね…。図録だけは持ってます。
そろそろもう一度お願いしたいところですが…。